『レストア 8』

  
 

 夕日を受けて、剣の宝玉がきらきらと光り輝くのを、ヒュンケルは佇んだまま見つめていた。
 今、彼の目の前にあるのは、一本の剣だ。

 頑丈そうな台座にすっくと突き立てられた剣は、装飾が少なく実用的なものでありながら、どことなく風格を感じさせる物だった。
 台座には、とある文章が刻まれている。

『真の勇者、ダイの剣』と――。

 城からほど近い、風光明媚なパプニカ国の中でも有数の絶景を誇る岬の先端。
 そこに勇者の記念碑を建てようと言い出した発起人は不明だが、復興途中で国にまだ余裕がない時期にも拘らず、多くの人々が記念碑の制作のために力を貸してくれた。

 行方不明になった勇者のために善意の人々が献花してくれているのか、台座の回りには花が絶えない。

 もっとも、立派な記念碑ができた割には、ポップを初めとする勇者一行はそれを喜んではいないが。
 まるで墓のようで縁起が悪いと、ポップはこの記念碑を嫌っているぐらいだ。

 しかし、この記念碑の意味を覆してくれたのは、ロン・ベルクだった。
 ふらりと、思い出したように彼がパプニカ城にやってきたのは、つい昨日のことだ。
 ダイの捜索がどうにも手詰まりになり、当てもなくなった頃に知らされた彼の話は、まさに朗報だった。

 ダイの剣は、ダイ自身の意思や生命と呼応して強度を増す。
 ある意味で剣自身が生命を持っているとも言える、生きた剣だ。
 ダイが死ねば宝玉が割れ、剣として生き絶える……しかし、今だに光ったままの宝玉こそが、ダイが生存を証明するなによりの証拠。

 それを聞かされた時の、一行の喜びは大きかった。
 生死不明のまま行方不明と、生きていると分かった上での行方不明では、探している側の精神状態が大きく変わってくる。

 行方が分からないのは変わらないとはいえ、ダイの生存が保証された今ならば、現状を考え直す余裕も生まれる。ダイのことばかりではなく、自分自身の今後を考えるのも大切だと、思いを巡らすこともできる――。

「ヒュンケル?」

 驚いたような声で名を呼ばれ、振り返るとそこにいたのはマァムだった。
 そのすぐ後ろにいるのは、ポップだ。
 ポップは村人風の普段着のままだが、マァムの服はそうではなかった。

 ここ最近、ずっと普通の村娘のような軽装で過ごしていたマァムだが、今日はバーン戦で着ていた時の武闘着をきりっと着こなしている。
 片手に手荷物を、もう片手に大切そうに花を抱えている少女を見ただけで、ヒュンケルは即座に悟った。

「……そうか、マァム。決心がついたんだな」

 そう言われて、マァムは少しだけ驚いた表情を見せる。一瞬で目的を見透かされたことに、驚いたのだろう。
 だが、マァムはすぐに笑顔で頷いた。

「ええ。やっと、決心がついたの。だから……ダイにお別れを言いにきたの。まさか、あなたもここにいるとは、思わなかったけど」

 でも、会えて良かったと、素直に口に出せる少女を、ヒュンケルは愛しく見つめる。
 ごく当たり前のように、慈愛の心を他者に与えられる少女。

 それは、ヒュンケルのように頑なに心を凍てつかせた人間には、奇跡のようにさえ見える優しさだった。
 マァムの存在は、ヒュンケルにとっては天使に等しい。

「ダイ」

 剣に対して人に対して呼び掛けるように話しかけ、マァムは屈み込んで手にした花をたむけた。

「ダイ……、私ね、正直言うと、ずっと悩んでいた。あなたが行方不明のままなのに、わたし達だけが平和に暮らしていていいのかって。それに……皆と離れるのもどこか不安で……心細かったから……」

 かすかに震えるその言葉を、ヒュンケルとポップはすぐ隣で並んで聞いていた。

「だけど、心配することなんかなかったのよね。だって、ダイは生きているんだし……、それなら、いつか……そう、いつか、きっと会えるんだから  ――」

 半ば、自分に言い聞かせるように語りかけながら、マァムは剣に向かってはっきりと告げる。


「私は、故郷に帰るわ。あなたが世界を守ってくれたように……私も、私の故郷を守りたいの」

 決して、返事の帰らない一方的な話しかけ。
 だが、それでもマァムは、返事を待つかのごとく、しばらく間を置いた。
 しかし、返事があろうはずがない。

「……もう、気がすんだんだろ?」

「ええ。ポップも、何か挨拶したら?」

 ダイがいなくなった今……彼に話しかけたい言葉を剣に語りかけるのは、マァムや多くの人にとってはごく自然な行為ともいえる。
 だが、ポップはそれを拒絶した。

「やだね! これはただの剣で、ダイじゃねえもん」

 ダイの剣の真の意味合いを知っても、ポップの記念碑嫌いは変わらないようだ。マァムのように、剣をダイの代理に見立てて声をかける気はさらさらないらしい。


 しかし、そんなポップの一途なまでの頑なさも、ヒュンケルにとっては好ましく思える。
 それに――剣への言葉かけを嫌がりながらも、マァムが話しかけている間は決して邪魔をしなかった律義なところも。

「そう言えば、ヒュンケル。あなたは、これからどうするつもりなの?」

「オレは……そうだな、近い内に旅に出るつもりだ」

 パプニカにとどまりたいとは、ヒュンケルは最初から一度も思わなかった。身体が治らないままでも、彼は旅立っただろう。

 ヒュンケルは知っている。
 例え魔王が倒れたからと言って、全ての怪物や魔族が善良な生き物になるわけではないことを。

 人間の中にも邪悪に傾く者がいるように、世界が平和になったとしても、人に害を為す怪物は絶えないだろう。
 それに対抗する手段を、戦士であるヒュンケルは一つしか思いつかない。

 剣をふるって、戦うまでだ。
 魔族や怪物と戦うことで、レオナ達とは違う方向からダイを探せるかもしれない。
 自分に見つけられるとは思っていないが、ダイを捜し出す手掛かりが得られるなら、どんな徒労であれ、厭うつもりはなかった。

「幸い、ポップが身体を治してくれたからな。自由にどこにでも、行くことができる」


「言っとくけどな、てめえ、健康になったと思って一人であんまり無茶ばっかすんじゃねえぞ。なんかあったって、もう二度と治療なんかしてやんないからな」

 突っ掛かるような憎まれ口を叩くポップに、ヒュンケルは軽く言い返す。

「それは、こちらの台詞だ。オレはもう二度と、おまえに治療を頼まない」

 高い立場からのスカした言い方に、ポップがぶち切れるのも無理もない。

「なんだよ、仮にも治してもらっといてその言い種は! 大体、てめえはまだ一度も礼を言っていないじゃねえか!」

「ポップ、やめなさいよ! もう、どうしていつもいつも、そんな言い方をするのよ? それにヒュンケルも……、治療の時、何かあったの?」

 今にもケンカを始めそうな二人の間に割って入ったマァムは、訝しげに二人を見比べる。その途端、ぎくっとして目を反らすのはポップの正直さの表れと言うべきか。
 その様子に何か不信を感じ取ったのか、マァムの目が少々険しくなる。

「ポップ。なにか、隠してるんじゃないでしょうね?」

「な、なんかってなんだよ?! 別になんでもないって!」

「……そう言えば、ヒュンケルの治療って私が留守の間に終わっていたのよね? あの時、みんなが一室に集まっていてずいぶん騒いでいたみたいだけど?」

 探るような目が、一段と険しさを増した。
 実際、あの日は何も知らないマァムが戻ってくるまで、ポップはさんっざんみんなに文句を言われ説教されまくっていたのだから、騒がしかったのは事実だ。

 おたおたと慌てふためくポップは、言い訳の言葉を探してかあちこちに目を泳がせる。 と、そこに救いの手を差し延べたのはヒュンケルだった。

「何、たいしたことのない騒ぎだ」

「そう……なの?」

 ヒュンケルの言葉だと説得力が違うのか、マァムが素直に引き下がるのがポップにとっては少々癪に触るが、助かったのも事実だった。

 半ばホッとし半ばムッとしているポップだったが、ヒュンケルから向き直られてドキッとする。

「……そう言えばあの時は騒ぎのせいで、ポップに礼を言いそびれていたな。一度、ちゃんと、礼を言っておかねばと思っていた」

 正面きって頭を下げられそうになって、ポップは慌ててそっぽをむく。
 さっきは礼くらい言えと文句を付けたものの、面と向かって感謝されるのは妙に照れくさい。

「いいよ、別に! 改まって礼なんか言われたら、調子狂うぜ。……それに、おれ、おまえのためにやったわけじゃねえもん」

 礼など言われなくとも、ポップはとうに気付いている。
 あの治療騒ぎの後、散々みんながポップに文句だの説教をいいまくったが、ただ一人、ヒュンケルだけは文句一つ言わなかった。

 実際に、充分に説明もしないまま危険な魔法に突き合わされた張本人だけに、言いたいことがないはずはなかっただろう。

 だが、ヒュンケルは律義なまでに『どんな結果になっても、文句を言うな』と言った、ポップとの約束を守ってくれた。
 それを思えば礼を言わないくらい、それこそ物の数にも入らない。

「それより、そろそろいこうぜ、マァム」

 マァムを促して、ポップはさっさとそこから逃げ出そうとする。だが、淡い赤毛の少女は立ち去り難い様子で、青年を見つめていた。

「じゃあ、……さようなら。あなたも気をつけてね、ヒュンケル。決して無理はしないで」


「ああ、分かっている。マァムこそ、身体に気をつけてくれ」

 互いに互いを思いやり合う、青年と娘。それは、事情を知らぬ者が見れば、お似合いの恋人同士と見えただろう。

 実際、二人の関係を正確に知っているはずのポップの目から見てでさえ、そう見えたのだから。

(んにゃろぉ〜。何、雰囲気だしてやがるんだっ?!)

 苛立って、ポップは無意味に手近の草やら花をぶちぶちとむしる。
 それがただの妬き餅だと自覚はしていても、沸き上がる不満は押さえきれない。

「もう、いいだろ、今生の別れじゃあるまいし。別に会いたければ連絡さえくれりゃ、いつでもルーラするって!」

 いい雰囲気に割って入るなど、お邪魔虫もいいところである。だが、ポップのその態度を受け入れてくれたのは、恋敵のはずの青年の方だった。

「そうだ、もう行くといい、マァム。オレもこの後、少し用があるから」

 ヒュンケルに背を押されて納得したのか、マァムはポップと手を繋ぐ。

「ルーラ!」

 呪文の声と同時に、二人の姿はフッとかき消えた。一瞬、頭上高くに飛び上がった軌跡が、光の残像となって見えただけだ。

 戦士ならではの目の良さでそれを追ったヒュンケルは、太陽の光の眩さに目が眩まされる。直視さえできない眩い光として消えたポップの姿を、ヒュンケルは心の中で見送っていた。

 ヒュンケルは、ずっと思っていた。
 闇に落ちた自分を救ってくれた天使には、心より感謝をしている。
 だが、天使にずっと側にいてほしいなどとは、ヒュンケルは思ったことはない。

 そう……ヒュンケルは、ずっと思っていた。
 天使は、光と共にあるべきだ、と――。

 

 


「なんだ、もう来ていたとは……待たせちまったかな?」

 声をかけられる前に、ヒュンケルは誰がやってきたか察知していた。
 片手に大きな布包みを携え、片手でぐびりと酒を呷っている長身の魔族。顔に大きく刻まれた十字傷は、大魔王バーンに逆らったがゆえに付けられた傷だ。

 かつて、魔界一の名工と称えられた剣職人、ロン・ベルク。
 彼は無造作に、手にした布包みをヒュンケルに放り投げた。

「土産だ。まずは受け取ってくれ」

 投げられた包みは、ずしりと重かった。

「これは……」

 布を解き、ヒュンケルは思わず息を飲む。
 無骨なまでにごつごつとした装飾に施された鞘を持つ、禍々しい印象の幅広の剣。
 それは、ヒュンケルにとっては見覚えのある剣だった。

 以前、バーンの配下だった頃、伝説の魔剣として拝受した魔装剣。
 掛け声一つで身を守る鎧になる鞘で覆われた、絶対の魔法防御を持つ魔剣だ。

 だが、魔剣は以前の物よりも微妙に形が違うし、なによりもこれは新品だ。
 まだ一度も使っていない剣特有の交じり気のない輝きを見ながら、ヒュンケルは疑問も露にロン・ベルクを見返した。

「なぜ、この剣を? あなたは、もう剣は打てないはずでは?」

 バーン戦の最中、ロン・ベルクは地上に残った人間を庇うために、自らの腕を犠牲にして強敵を倒した。
 結果、両腕の機能が破壊されたと聞いていた。

 戦い終了後、まったく腕を動かせずに肩からダラリと垂らしていた姿は、いまだに記憶に新しい。

「おいおい、どこを見ているんだ、オレの腕はこの通り、ちゃんと動いているだろう?」
 

 いささかおどけて、ロン・ベルクは自分の腕を振り回す。その動きは滑らかで、少しの不自由さも感じられない。

「それはそうだが、だが……」

 ロン・ベルクがパプニカにきた時から、彼の腕が動いていたのは、ヒュンケルも知っていた。
 だが、それはあくまで、日常的に動かせるという程度のものだと考えていた。

 魔族の治癒能力は、人間とは比べ物にならないほど高い。
 完治はせずとも、動かせるレベルまでは治ったのか――ヒュンケルはそう考えていた。しかし、それを否定したのは本人だった。

「この腕はおまえさん達の魔法使いが治してくれたんだよ。数日前、ふらっとやってきて、実験台になってくれと頼み込んできてな。無茶な魔法だと思ったが、あの魔法使いの腕は確かだな……。戦いは無理とは言え、もう、鍛冶をするには不自由はない」

「ポップが……」

 思い当たる節は、ひしひしとあった。

「礼をしようとは思ったんだが、ポップから別に武器は欲しくないと言われちまってな。こっちは武器職人だ、武器を作る以外の礼はできないっていうのにな」

 また、酒を一口呷って、ロン・ベルクは苦笑する。

「まあ……それに、あの魔法使いなら、下手に武器を送るのは本人のためにならないような気もするしな」

 その意見には、ヒュンケルも全面的に賛成できる。
 防御に欠ける魔法使いは本来、味方の後方で援護に徹するべきなのに、ポップは自ら先陣を切り込んでいく。

 武器によって肉弾戦でも戦う術を覚えたら、ポップのその傾向はより強くなるだろう。実際、ロン・ベルクが作った武器を手に、ポップは大魔王にさえ切りかかったのだから。


「恩返しのつもりで、仇を返したんじゃ洒落にならない。だから、おまえさんに剣を送ることにしたんだ。魔法使いに直接武器を送るよりも、よほど確実な援護になるだろうからな」

「ああ、その通りだ。感謝する」

 魔剣を手に、ヒュンケルは頭を下げた。
 戦士が魔法使いの盾になり、魔法をかける時間を稼ぐ――それこそが魔法使いにとっては最良の武具だろう。

 ヒュンケルに異存があるはずもない。
 彼にとっても、ポップに礼を返したい気持ちは同じなのだから。

「なに、たいしたことじゃない。それより……あの魔法使いは、武器はいらないから聞きたいことがあるって言っていた。魔界や、ヴェルザーについて、なんでもいいから知らないかってな。その時は話しそびれたんだが、思い出したことがある」

 言いながら、ロン・ベルクは鋭い目をヒュンケルに向けた。

「だが――オレには、それをポップに直接話していいのかどうか分からなくてな。おまえさんさえよければ、代わりに聞いてはくれないか?」

 それを聞いた時、なにやら不吉さを感じ取ったのは、戦士の勘と言うものだろうか。だが、ヒュンケルは憶することなく頷いた。

「ああ、聞こう」

「知っていると思うが、ヴェルザーは死んではいない。確かに石化し、活動を封じられてはいるが……封印さえ解ければ蘇る。だが、幸いなことに、天界の精霊の封印は魔族には絶対解けない。竜族だろうと竜の騎士だろうと、同じことだ。だが、神々が最も愛した種族ならば解くことができる。……分かるか?」

「ひょっとして……人間か?」

「そうだ。だが、ただの人間では駄目だ。特別な……そう、言うならば神に選ばれた人間でなければならない」

 説明ごとに、ロン・ベルクは間を置く。まるで、ヒュンケルの答えを待ち望むように。 だから、ヒュンケルは説明をただ聞くだけでなく彼の言葉を検討しながら、自分の考えを口にした。

「たとえば……王族とか、か?」

「まさか。確かに王家の血統や儀式はかなりの純血を伝承するが、血筋だけで条件がすべてクリアできるほど、天界の封印は甘くはない。神に選ばれるってのは、もっと直接的な意味だ。……おまえ達は生け贄と言えば、どんな人間を連想する?」

「それは……清らかな乙女、ってところか」

 その即答に、ロン・ベルクは薄く笑った。

「半分は当たりだな。だが、魔族や神族にとっては人間の男女の差など、どうでもいい。肝心なのはその清らかさだけだ。身の純潔、なんて陳腐なことは言わない。魔とは正反対の、魂の輝き。自分を犠牲にしても、他者を救おうとする優しさ。魔族にとっては最も目障りな神の力を引き寄せて奇跡を起こせる人間ってのは、そう多くはいないが、皆無ではないだろう?」

「すると、僧侶か?」

「僧侶レベルでは役不足だな。世界で屈指の賢者……まあ、最低でも、それぐらいの素質は必須だろう。死者蘇生呪文を成功させるぐらいの力量に、自己犠牲呪文も辞さない程の優しさや献身と、死誘導呪文にも耐えるほどの強い精神力。それら全てを備えてこそ、生け贄の価値がある」

「…………!」

 大きく目を見張り、ヒュンケルは息を飲む。
 言葉の一つ一つが、胸に突き刺さるようだった。
 一つでさえ世にも稀な数々の条件……だが、それらすべてが当てはまる少年を、ヒュンケルは知っていた。

 魔法の素質においては世界一の魔法使いと謡われた大魔道士マトリフをも上回り、猛毒により心臓停止していた少女を生き返らせ、自身も何度も死の縁から這い戻ってきたほど強い精神力を持つ少年を。

「……ポップ、か?」

 震えがちの問いを、いっそ否定して欲しいと思った。
 だが、ロン・ベルクははっきりと頷いた。

「ああ。あいつなら申し分ないだろうよ。おそらく、ポップならば冥竜王の封印を解き放てるだろう」

 その断言を、ヒュンケルは背筋が冷える思いで聞いていた。

「それは……魔族の間では、有名な話なのか?」

 やっとそう聞くまでに、随分と時間が掛かった。

「封印や生け贄の条件だけなら、な」

「オレは以前アバンから、ハドラーが魔界の神に対する生け贄にするため、一国の王女を狙ったという話を聞いたことがある。ハドラーも、それを知っていた……のか?」

 当時は王女だったフローラを生け贄にしようと言う話はただの口実であり、実際の狙いは指導者を殺して人間の抵抗を削ぐためだと思っていた。
 だが、それは真実だったのではないかと、ヒュンケルは今となってから思う。

「オレは直接はハドラーに会ったことはないが、ある程度以上の年齢の魔族なら誰でも知っている話だろうよ。魔界の神が人間を生け贄に欲するという話なら、オレも聞いたことがある。封印された神を解放した者の望みは全てかなえられる、とな。まあ、そんなお伽話じみた噂を本気で信じる魔族もいないだろうが……」

 試したいとも思わないがと静かに付け加えてから、ロン・ベルクはヒュンケルに背を向けて、ダイの剣の方を向いた。
 その後ろ姿を見つめながら、ヒュンケルはざわめく心を押し殺し、堅い声で言った。

「興味深い話を聞かせてもらったのには、感謝する。だが、今の話……できるなら、忘れてくれ。特に、ポップには決して教えないで欲しい」

 もらったばかりの剣の柄に無意識に手を掛けていることなど、ヒュンケルは意識はしていなかった。

 だが、背中越しの殺気を、ロン・ベルクはしっかりと察知していた。
 否と答えた途端、自分に向けられかねない殺気を意識しつつ、ロン・ベルクはむしろホッとするような感覚さえ味わう。

 それは、強力な武器を手放す時の感覚に似ていた。
 作り手の手にさえ余り、使いこなせずに持て余す武器。
 一歩間違えれば使い手までをも破滅に追い込む武器。

 しかるべき使い手を見極め、その手に預けるまでが武器職人の役割だとロン・ベルクは心得ている。
 自分の勘は正しかったのだと、ロン・ベルクは強く思う。
 この話は、ポップにではなく、その兄弟子に預けるのが一番良いのだろう。

「そうか……。おまえさんがそう判断するなら、それもよかろう。この話は、おまえさんに預けた――後は、好きにしろ」
                                                   《続く》
 

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