『咎なき罪人 ー前編ー』 

 それは、まるで罪人の姿。
 求めても、決して得られない切望だけを抱え、当てもなく荒野を彷徨う。
 安らぎに背を向け、愛する者すら自ら捨てた。

 もう救われてもいいのだと、優しく差し延べられた手すらも拒絶し、自ら望んで苦難の旅を選び取る。

 だが、その先に、救いなどない。
 苦しみだけが繰り返すその旅路の先に、彼の求める望みなどない。ひたすら身を削って進む旅のその果てに、報われるものなど何一つとして、ない。

『これが、彼の者に相応しい咎か?』

 この世ならぬ者の声が、どこからともなく響く。
 それは、人間を超越した存在の声。
 地に這う人間を裁くに相応しい、断罪者の声。

 ヒュンケルは迷わずに、その問いに頷いた。
 自分の罪深さを、片時も忘れられない。そんな自分には相応しい罰と思えたから――。

『ならば、今、彼は裁かれる!』

 その声と共に、落雷が走る。
 だが、意外にも雷はヒュンケルを打たなかった。天よりの一撃は、別の人間を罪人と認めた。
 悲鳴も上げずに、倒れたのは若い男。

 いや――よく見れば、それはまだ少年だった。
 自分よりもずっと小柄で、痛々しい程細い手足。
 黒髪の魔法使いは、もはやぴくりとも動かなかった。

「……ポップ……!?」

 衝撃の次に訪れたのは、激しい怒りの感情だった。
 憤りが、胸を吹き荒れる。
 なぜ、ポップが。
 こいつが、なんの罪を犯した? なぜ、ポップが裁かれなければならない?

『だって、ヒュンケルが認めたんだよ。助けなんていらないって。彼の者にはその罪が相応しい、と……』

 悲しげな声音は、子供っぽさを増していた。
 断罪者の声は、ヒュンケルのよく知っている竜の騎士の子供に似ていた――。








「……!?」

 跳ね起きてから、ヒュンケルは今のが夢だったと自覚した。
 戦闘を終えた直後のように、心臓が早く脈打っている。
 嫌な感じに背を伝う冷や汗が、ひどく気味が悪かった。

「どうかしたのか?」

 そう呼びかけられた声音は、心配というよりも不審の念の方が遥かに強い。
 半分魔族の血を引いた青年が身を起こして自分を見ているのに気がつき、ヒュンケルは空の色合いに気がついた。

 まだ、夜明けまでは時間がある。
 野宿とはいえ、パプニカ城が目視できる範囲内であり、魔物の気配も感じられない場所では、交替で見張りもせずに安心して眠ることができる。

 ヒュンケルとラーハルトが共に旅をするようになって結構経つが、こんなに安全な場所で眠るのは久しぶりだった。
 彼らの旅の中では実に貴重な安眠出来る時間を、夢などという益体もないもののせいで無為に潰してしまったという事実が、少しばかり後ろめたい。

「いや……なんでもない。ちょっと、夢を見ただけだ」

「夢?」

 いささか呆れた色合いが、ラーハルトの表情に浮かぶ。
 それを見て、ヒュンケルも苦笑混じりとは言え、自分で自分を笑う余裕が持てた。

「ああ……、有り得ない夢だ。起こしてすまなかったな」

 そう、あんな夢など有り得ない。
 ポップが罪を犯すはずがない。ましてや、ダイがそれを裁く断罪者になるなど……有り得ない。

 不吉な夢を切り捨てて、ヒュンケルは再び目を閉じようとした。
 が、ラーハルトは荷物を手早くまとめだす。

「ラーハルト?」

「目が覚めたついでだ。もう出発しても構うまい。どうせお前もその様子では、もう眠るどころではないだろう」

 図星だった。
 実際にヒュンケル一人だったら、不安を解消しようと即座に行動に移っていただろう。
 パプニカ城まで行けば、こんな夢など笑い飛ばせるのだから。

 大魔王バーンを倒し、ダイが行方不明になってから今日で三ヶ月あまり。
 国としての公式な捜索はすでに中断されて久しいが、彼の仲間達はいまだにダイを探すのを諦めてはいない。

 各々がそれぞれのやり方でダイを探すなり、または勇者捜索に繋がる手掛かりを求めるために動いている。

 ヒュンケルはラーハルトと組んで、ダイを捜索する旅を続けているように、ポップはポップで、ダイを探すために単独行動をとっている。
 そして、誰もが2、3ヶ月に一度は、連絡や手掛かりを交換するためにパプニカに帰還するようにレオナに命じられている。

 城に行けば、会えないまでもポップの無事や消息は確かめられるだろう。
 そう思い、ヒュンケルは荷物をまとめるのもそこそこに歩きだした。
 しかし……城でヒュンケルが聞いた知らせは、彼が望んでいたのとは真逆の真実だった――。







「それは……本当なのですか、姫……!?」

 尋ね返す声が、震えているのを自覚する。
 貴人を尋ねるにはいささか早すぎる時間の来訪だったにもかかわらず、パプニカ城に着くなりヒュンケルとラーハルトはレオナと面会することができた。

 ダイの捜索についてめぼしい発見も情報交換も出来なかったが、ある意味でもっと衝撃的な新事実が発覚した。

「ええ。残念ながら本当よ。もっと詳しい話をお望みかしら?」

 ヒュンケルはすぐに、ラーハルトは一拍の間を置いてから頷く。
 それを確認してから、レオナは語り始めた。

「本人は隠そうとしているけど……どうやら以前から度々あったらしいのよ」

 レオナの表情はいつになく硬く、暗いものだった。
 大魔王との戦いの最中さえ、誇り高く頭を高くあげていた少女王は、今は沈痛に顔を伏せている。

 気がついたのは世界会議の後だったと、レオナは語った。
 ポップがパプニカに一時報告にきたのは、1週間程前。
 ちょうど、戦後二度目の世界会議の前日だった。

 ダイの手掛かりが見つからないのは変わりがないが、ポップの様子は相変わらずで、その明るさを分けてもらいたくてレオナは彼を引き止め、会議への参加も望んだ。

 是非にと請われて嫌々ながらも参加し、傍聴はしていたものの発言は控えていたポップは、会議中は別段変わった様子は見られなかった。
 だが、会議の後でベンガーナ王に引き止められて立ち話をしている時、不意に意識を失って倒れたのだと言う。

 呼びかけてもすぐには意識が戻らなかった。
 医師を呼ぶまでもなく、近くにいたアバンが直々に手当てに当たってくれた。
 そして分かったのは――。

「ポップ君……かなり無茶な旅をしているようだって、先生は診断されたわ。これでは倒れて当たり前だって……」

 ポップはひどく衰弱していて、疲れきっていた。
 ろくに食事や睡眠もとらず、魔法力を目一杯使って無理な旅をしているとしか思えない、と。

「それに……」

 泣きそうな顔で言いよどみ、それでも気丈な姫は最後まで言葉を続ける。

「ポップ君は、今まで使用した禁術のせいですでに内蔵にダメージを受けているって……。

 普通に生活する分には何の問題はないけど……、今までと同じように無茶な魔法の使い方をすれば、この先、反動は全て直接身体を蝕んでしまう。ここ一、二年の行動が寿命を決定するだろう――先生は、そうおっしゃったわ」

 ダメージや病状自体は深刻なものではないのだと、レオナは事細かに説明をする。

 正直、専門用語を交えた説明は、医学や魔法に疎いヒュンケルには理解しにくい部分も多かったが、異議を挟む気は毛頭なかった。
 説明を口にすることで必死に自分を落ち着かせようとしている姫の心理が分かるだけに、ヒュンケルは無言のままそれを聞いていた。

「要は、休養の問題なの。身体が治るまで、ゆっくりと安静にしていればなんの問題もない……先生はそう保証してくださったわ」

 いくらダメージを負ったとはいっても、それは致命的なものではない。
 若いだけあってポップの回復力は充分に期待できるし、日常生活を阻害する程には病状は重くない。

 強い魔法を行使するならともかく、軽い魔法を使う程度ならば今でもなんの問題もない。
 1年か、長くても2年ほどおとなしくしていれば、おそらく体調は改善され元の健康を取り戻せる。

 ポップの年齢から言えばそのぐらいの時間を休養に当てるぐらい、どうということはあるまい。

 禁術でさえ、二度と使えないというわけでもない。
 体調が治り、ある程度身体ができてからなら、場合を選べば再使用も夢ではないだろう。もちろん、アバンもレオナも即座にポップに休養を薦めた。
 ダイの捜索を一時やめて、ゆっくり身体を休めるように、と。

「なのに……」

 声を詰まらせたレオナの言葉の先を、ヒュンケルは予測出来た。

「ポップは……嫌だと言ったんだな」

「ええ……」

「自分の病状を聞いても、そう言ったのか?」

 それまでずっと無言だったラーハルトが、初めて口を挟む。
 その質問は、さらに彼女を苦しめるだけだった。

「ポップ君は、……最初から知っていたわ。自分の身体の具合も、どうしてそうなったのかも、全部ね。魔王軍との戦いの時に、マトリフ師からすでにその危険性を教えてもらっていたんですって」

 魔法使いの成長は、戦士や勇者とは違う。
 戦士ならば、鍛え抜いた肉体でできる以上の技はそもそも使用できない。

 が、魔法使いは違う。
 精神の力こそが、魔法の力を決定する。
 極端に言えば、ほんの子供であれ意志が強ければどんな強大な魔法でも行使できる。

 だが、精神力だけが突出していればいいというわけではない。
 強い魔法は、精神力だけでなく肉体的疲労も伴う。
 それに耐えられるだけの頑健な身体がなければ、制御しきれない魔法力は反動となって本人の身体を蝕む。

 そしてもう一つ必要なものは、精神の円熟だ。
 年を経て経験を重ねることにより、人間の精神は自然に円熟していく。
 それこそが、魔法の効果に深みを与え、制御を助ける鍵となる。

 だからこそ魔法使いがもっとも力を得るのは、身体が完全に出来あがり、なおかつ自分の衰えを自覚した上で行動出来る初老の域に達してからになる。
 ポップのようにまだ成長期も終わらない内から極大呪文すら習得するのは、普通ならば有り得ない。

 精神も身体も未熟な内から、しかもわずか1年たらずで急激に成長してしまったポップは、自分の力と折り合いをつけるだけの時間がなかった。

 驚嘆に値する天賦の才は、本来なら時間と共に自然に開花するのが一番良かったのだろうが……ポップは待てないと言った。
 魔王軍との戦いの最中も、今も。

『いずれ、じゃダメなんだ。力が要るのは、今なんだ』

 ダイが見つからないままの状態で療養に専念するなんて選択肢は、最初からポップの脳裏には存在していない。

「説得はしたわ。私と、先生と、マトリフ師と三人掛かりで代わる代わるにね。……効果は、なかったけれど」

 疲れきった表情で、レオナは深々と溜め息をつく。
 ラーハルトはともかくとして、ヒュンケルはこの美少女の気性を知っている。

 アバンやマトリフとも知己の間柄だ。三人の説得がどれ程徹底したものだったか、想像がつく。

 それでさえ効かなかったというのなら、他の誰に止められるというのだろう?
 しばし、部屋を重い沈黙が満たす。

「それで……ポップは今、どこに?」

「この城にいるわ。本人はすぐにでも旅立ちたがっていたけど。少し無茶をしたら熱が出るような身体じゃ、旅なんてとても無理なのにね。とりあえずあなた達が報告のためにもうすぐ来るはずだからと言って、引き止めているの」

 そう言ってからレオナが告げた部屋は、以前ダイ達が使っていた部屋とは違っていた。聞けば、ポップが勝手に抜け出さないよう、このパプニカで最も警備が厳重な貴賓室を与えたのだと言う。

「正直……私じゃ、ポップ君を抑えきれないわ。今はまだ具合が悪いからおとなしくしていてくれるけど……、彼がその気になったら閉じ込めておくなんて無理だもの」

 泣き顔よりも辛そうな顔で、レオナが悲しく微笑んだのが強く心に残った――。








「おっ、おめえ、やっと来たのかよ?」

 ポップのいる部屋は、塔といってもいい造りの部分にあった。
 王族の私室へ通じる回廊を介さなければ行くことのできない、螺旋階段の上にある部屋。

 階下には見張りの兵士がいるため、出入りするのには彼らの許可が必要となる。

 貴賓室というだけあって、その部屋は相当に立派なものだった。
 それにポップの趣味に合わせているのだろう、部屋には不釣り合いに難しそうな本の詰まった本棚も置かれている。

 居心地が悪い部屋とは、見えなかった。
 ――窓にはまっている、出入りを封じる鉄格子じみた飾り格子さえなければ。

「遅いじゃないか、待ちくたびれちまったぜー。それで、どうだった? ちったあ成果があったか?」

 普段着のまま、高級な絨毯の上にだらしなく寝転んで本を読んでいたポップは、入ってきたヒュンケルに気がついた途端、そう話しかけてきた。
 その明るい声音もよく動く豊かな表情も、いつものポップと何の変わりはない。

 レオナから先ほど話を聞いていなければ、間違いなくごまかされただろう。
 だが、あの夢を見て……なおかつ、レオナから詳細な話を聞いた今ならば、見えてしまう。

 話を聞きたくてうずうずしているはずのポップが、ろくに動きもしないで寝そべったままでいる理由が。
 ただ行儀悪く見えるその姿勢の理由さえ、見えてくる。

 ポップが読んでいるのは、装丁の凝った分厚い古文書だった。
 入ってきたヒュンケルに気がついたポップは、その本にしおりを挟んで閉じたが……いかにも重そうに閉じるその手つきを見て、悟らざるを得ない。

 おそらく、今のポップにはその本を持ち上げて読むだけの力がないのだろう。
 机に向かう動きも、どこか緩慢で生彩に欠ける。だが、それでもポップの口調の明るさや屈託のない陽気な笑顔だけは、何の変わりもなかった。

「ラーハルトは? 一緒じゃなかったのか?」

「あいつなら、先に休むと言っていた」

「ふうん? 相変わらず愛想のない奴だなー。ま、報告なんざは一人いりゃいいから、いいけどさ」

 そう言いながら、ポップはまじまじとヒュンケルを見つめる。
 やけに熱心なその目付きに、ヒュンケルはやや疑問を感じて聞き返した。

「オレの顔に何か、ついてでもいるのか?」

「いや、別に。なんでもないって」

 軽く手を振って、ポップはようやくヒュンケルから目を離して地図へと目を向けた。

「で、さっそくだけど、おれはさー、ここら辺からここんとこを探したんだけど、空振りだったな。それと噂で聞いたんだけど、ここらへんの地方じゃ最近怪物の動きが妙に活発なの、知ってたか?」

 机の上にあらかじめ広げてあった地図のバツ印を指差しながら、ポップは口の重いヒュンケルに質問を重ね、新たなバツ印を書き込んでいく。
 打ち合わせ自体は、そう長くはかからなかった。

「じゃあ、おれは明日っからこっちの地方を探ってみるよ。前にアバン先生と一緒に近くの村まで行ったことあるから、ルーラで行けるし」

 そう言ってポップが指差したのは、ギルドメイン山脈の中でも最も険しい地形のあたりだった。

 危険な怪物も多数生息しているはずのその地域は、魔法使いが一人旅するには不向きな場所だ。
 ましてや体調が悪いともなれば、なおさらだ。

「…………」

 自分自身でさえ強張ったと分かる表情に、ポップもまた気がついたようだった。

「なんだよ、怖い顔しちゃって。なんか問題でもあんのかよ?」

「あるな」

 短く答えると、ポップは一瞬怯んだ。
 だが、彼はそこで憶さずにケンカでも売ってくるような口調で噛みついてきた。

「おまえもかよ? あのなあ、……姫さんに何言われたか知んないけど、おれは別に平気なんだよ!」

 苛立ちが先にたっているせいか声を荒らげるポップには、明らかに焦りが見て取れた。

 しかし、ポップが見せるその苛立ちが、ヒュンケルにとってはかえって安心できた。
 笑顔や陽気な態度でごまかされるよりも、そうやって本音をぶつけられる方が、ずっと安心できる。

 元々、ポップはヒュンケルに対してはいつもそうだ。
 遠慮も気遣いもなく、感情を隠さずにそのまま短気さをヒュンケルにぶつけてくる。

 マァムやダイ、レオナやアバンでさえ、どこかヒュンケルの過去には気を遣う。
 いや、もしかすると、過去に囚われているヒュンケル自身こそが過剰に気にしているだけで、本当は彼らと自分との間に壁などないのかもしれない。

 だが、どうしても超えられない壁を感じてしまうヒュンケルにとって、唯一、それを気にもさせないのがポップだ。
 それだけに、ヒュンケルもポップに対しては遠慮せずに本音をぶつけられる。

「何度も倒れた癖に、平気だと言い張る気か?」

「……!!」


                                    《続く》
 
 

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