『咎なき罪人 ー前編ー』 |
それは、まるで罪人の姿。 もう救われてもいいのだと、優しく差し延べられた手すらも拒絶し、自ら望んで苦難の旅を選び取る。 だが、その先に、救いなどない。 『これが、彼の者に相応しい咎か?』 この世ならぬ者の声が、どこからともなく響く。 ヒュンケルは迷わずに、その問いに頷いた。 『ならば、今、彼は裁かれる!』 その声と共に、落雷が走る。 いや――よく見れば、それはまだ少年だった。 「……ポップ……!?」 衝撃の次に訪れたのは、激しい怒りの感情だった。 『だって、ヒュンケルが認めたんだよ。助けなんていらないって。彼の者にはその罪が相応しい、と……』 悲しげな声音は、子供っぽさを増していた。
跳ね起きてから、ヒュンケルは今のが夢だったと自覚した。 「どうかしたのか?」 そう呼びかけられた声音は、心配というよりも不審の念の方が遥かに強い。 まだ、夜明けまでは時間がある。 ヒュンケルとラーハルトが共に旅をするようになって結構経つが、こんなに安全な場所で眠るのは久しぶりだった。 「いや……なんでもない。ちょっと、夢を見ただけだ」 「夢?」 いささか呆れた色合いが、ラーハルトの表情に浮かぶ。 「ああ……、有り得ない夢だ。起こしてすまなかったな」 そう、あんな夢など有り得ない。 不吉な夢を切り捨てて、ヒュンケルは再び目を閉じようとした。 「ラーハルト?」 「目が覚めたついでだ。もう出発しても構うまい。どうせお前もその様子では、もう眠るどころではないだろう」 図星だった。 大魔王バーンを倒し、ダイが行方不明になってから今日で三ヶ月あまり。 各々がそれぞれのやり方でダイを探すなり、または勇者捜索に繋がる手掛かりを求めるために動いている。 ヒュンケルはラーハルトと組んで、ダイを捜索する旅を続けているように、ポップはポップで、ダイを探すために単独行動をとっている。 城に行けば、会えないまでもポップの無事や消息は確かめられるだろう。 「それは……本当なのですか、姫……!?」 尋ね返す声が、震えているのを自覚する。 ダイの捜索についてめぼしい発見も情報交換も出来なかったが、ある意味でもっと衝撃的な新事実が発覚した。 「ええ。残念ながら本当よ。もっと詳しい話をお望みかしら?」 ヒュンケルはすぐに、ラーハルトは一拍の間を置いてから頷く。 「本人は隠そうとしているけど……どうやら以前から度々あったらしいのよ」 レオナの表情はいつになく硬く、暗いものだった。 気がついたのは世界会議の後だったと、レオナは語った。 ダイの手掛かりが見つからないのは変わりがないが、ポップの様子は相変わらずで、その明るさを分けてもらいたくてレオナは彼を引き止め、会議への参加も望んだ。 是非にと請われて嫌々ながらも参加し、傍聴はしていたものの発言は控えていたポップは、会議中は別段変わった様子は見られなかった。 呼びかけてもすぐには意識が戻らなかった。 「ポップ君……かなり無茶な旅をしているようだって、先生は診断されたわ。これでは倒れて当たり前だって……」 ポップはひどく衰弱していて、疲れきっていた。 「それに……」 泣きそうな顔で言いよどみ、それでも気丈な姫は最後まで言葉を続ける。 「ポップ君は、今まで使用した禁術のせいですでに内蔵にダメージを受けているって……。 普通に生活する分には何の問題はないけど……、今までと同じように無茶な魔法の使い方をすれば、この先、反動は全て直接身体を蝕んでしまう。ここ一、二年の行動が寿命を決定するだろう――先生は、そうおっしゃったわ」 ダメージや病状自体は深刻なものではないのだと、レオナは事細かに説明をする。 正直、専門用語を交えた説明は、医学や魔法に疎いヒュンケルには理解しにくい部分も多かったが、異議を挟む気は毛頭なかった。 「要は、休養の問題なの。身体が治るまで、ゆっくりと安静にしていればなんの問題もない……先生はそう保証してくださったわ」 いくらダメージを負ったとはいっても、それは致命的なものではない。 強い魔法を行使するならともかく、軽い魔法を使う程度ならば今でもなんの問題もない。 ポップの年齢から言えばそのぐらいの時間を休養に当てるぐらい、どうということはあるまい。 禁術でさえ、二度と使えないというわけでもない。 「なのに……」 声を詰まらせたレオナの言葉の先を、ヒュンケルは予測出来た。 「ポップは……嫌だと言ったんだな」 「ええ……」 「自分の病状を聞いても、そう言ったのか?」 それまでずっと無言だったラーハルトが、初めて口を挟む。 「ポップ君は、……最初から知っていたわ。自分の身体の具合も、どうしてそうなったのかも、全部ね。魔王軍との戦いの時に、マトリフ師からすでにその危険性を教えてもらっていたんですって」 魔法使いの成長は、戦士や勇者とは違う。 が、魔法使いは違う。 だが、精神力だけが突出していればいいというわけではない。 そしてもう一つ必要なものは、精神の円熟だ。 だからこそ魔法使いがもっとも力を得るのは、身体が完全に出来あがり、なおかつ自分の衰えを自覚した上で行動出来る初老の域に達してからになる。 精神も身体も未熟な内から、しかもわずか1年たらずで急激に成長してしまったポップは、自分の力と折り合いをつけるだけの時間がなかった。 驚嘆に値する天賦の才は、本来なら時間と共に自然に開花するのが一番良かったのだろうが……ポップは待てないと言った。 『いずれ、じゃダメなんだ。力が要るのは、今なんだ』 ダイが見つからないままの状態で療養に専念するなんて選択肢は、最初からポップの脳裏には存在していない。 「説得はしたわ。私と、先生と、マトリフ師と三人掛かりで代わる代わるにね。……効果は、なかったけれど」 疲れきった表情で、レオナは深々と溜め息をつく。 アバンやマトリフとも知己の間柄だ。三人の説得がどれ程徹底したものだったか、想像がつく。 それでさえ効かなかったというのなら、他の誰に止められるというのだろう? 「それで……ポップは今、どこに?」 「この城にいるわ。本人はすぐにでも旅立ちたがっていたけど。少し無茶をしたら熱が出るような身体じゃ、旅なんてとても無理なのにね。とりあえずあなた達が報告のためにもうすぐ来るはずだからと言って、引き止めているの」 そう言ってからレオナが告げた部屋は、以前ダイ達が使っていた部屋とは違っていた。聞けば、ポップが勝手に抜け出さないよう、このパプニカで最も警備が厳重な貴賓室を与えたのだと言う。 「正直……私じゃ、ポップ君を抑えきれないわ。今はまだ具合が悪いからおとなしくしていてくれるけど……、彼がその気になったら閉じ込めておくなんて無理だもの」 泣き顔よりも辛そうな顔で、レオナが悲しく微笑んだのが強く心に残った――。
ポップのいる部屋は、塔といってもいい造りの部分にあった。 階下には見張りの兵士がいるため、出入りするのには彼らの許可が必要となる。 貴賓室というだけあって、その部屋は相当に立派なものだった。 居心地が悪い部屋とは、見えなかった。 「遅いじゃないか、待ちくたびれちまったぜー。それで、どうだった? ちったあ成果があったか?」 普段着のまま、高級な絨毯の上にだらしなく寝転んで本を読んでいたポップは、入ってきたヒュンケルに気がついた途端、そう話しかけてきた。 レオナから先ほど話を聞いていなければ、間違いなくごまかされただろう。 話を聞きたくてうずうずしているはずのポップが、ろくに動きもしないで寝そべったままでいる理由が。 ポップが読んでいるのは、装丁の凝った分厚い古文書だった。 おそらく、今のポップにはその本を持ち上げて読むだけの力がないのだろう。 「ラーハルトは? 一緒じゃなかったのか?」 「あいつなら、先に休むと言っていた」 「ふうん? 相変わらず愛想のない奴だなー。ま、報告なんざは一人いりゃいいから、いいけどさ」 そう言いながら、ポップはまじまじとヒュンケルを見つめる。 「オレの顔に何か、ついてでもいるのか?」 「いや、別に。なんでもないって」 軽く手を振って、ポップはようやくヒュンケルから目を離して地図へと目を向けた。 「で、さっそくだけど、おれはさー、ここら辺からここんとこを探したんだけど、空振りだったな。それと噂で聞いたんだけど、ここらへんの地方じゃ最近怪物の動きが妙に活発なの、知ってたか?」 机の上にあらかじめ広げてあった地図のバツ印を指差しながら、ポップは口の重いヒュンケルに質問を重ね、新たなバツ印を書き込んでいく。 「じゃあ、おれは明日っからこっちの地方を探ってみるよ。前にアバン先生と一緒に近くの村まで行ったことあるから、ルーラで行けるし」 そう言ってポップが指差したのは、ギルドメイン山脈の中でも最も険しい地形のあたりだった。 危険な怪物も多数生息しているはずのその地域は、魔法使いが一人旅するには不向きな場所だ。 「…………」 自分自身でさえ強張ったと分かる表情に、ポップもまた気がついたようだった。 「なんだよ、怖い顔しちゃって。なんか問題でもあんのかよ?」 「あるな」 短く答えると、ポップは一瞬怯んだ。 「おまえもかよ? あのなあ、……姫さんに何言われたか知んないけど、おれは別に平気なんだよ!」 苛立ちが先にたっているせいか声を荒らげるポップには、明らかに焦りが見て取れた。 しかし、ポップが見せるその苛立ちが、ヒュンケルにとってはかえって安心できた。 元々、ポップはヒュンケルに対してはいつもそうだ。 マァムやダイ、レオナやアバンでさえ、どこかヒュンケルの過去には気を遣う。 だが、どうしても超えられない壁を感じてしまうヒュンケルにとって、唯一、それを気にもさせないのがポップだ。 「何度も倒れた癖に、平気だと言い張る気か?」 「……!!」
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