『洞窟に残されたもの ー後編ー』 |
混乱はしていても、彼女の怒りは本物だった。 その傍らでは、メルルがひどくもどかしそうに、混乱して器用さが大幅に落ちる手で服を脱ごうとし続けている。 「早く……早く、さらけ出さなきゃ。そうよ、そうすれば良かったんだわ。どうせ避けられない運命なら、悲しみは遠くにある方がいいと思ってしまうなんて……!」 乱れた黒髪が、俯く彼女の顔を隠す。だが、その震えた声までは隠せなかった。 「もっと早く、占いの結果をみんなに知らせていれば、よかった……! そうすれば、ポップさんが一人で真相を抱え込むなんてことはなかったのに――」 嘆く彼女の声にかぶさって、ヒュンケルの低い声も聞こえていた。 「オレは……本当に、ダメな男だ。見知らぬ人どころか、弟弟子も救えないときている」
「知っていた。……ずっと前から、薄々気がついてはいたんだ。あいつが一人で無理をしているのは、知っていた。だが、どう口を出していいかも分からず、止められなかった。オレは――何も出来なかった」 拾いあげる片端から、ヒュンケルの手から石のかけらがこぼれ落ちていく。 「ポップ……」 何度か口を開きかけて、ダイは泣きそうな顔でやっと言葉を口にする。 「元気だして、って言いたいけど、多分、言わない方がいいんだよね。だって、そう言ったら、ポップ、元気なくても元気なふりするだろ?」 「――!!」 その言葉を聞いて、思わずポップは息を飲む。 「大丈夫って、聞くのもおんなじだよね。大丈夫じゃない癖に、平気な顔して大丈夫って言うんだもん、ポップ」 「そうだな、オレは本当に腑甲斐無い兄弟子だ。こんなザマで、アバンの使徒を名乗るのもおこがましい……」 まるっきり会話が噛み合っていないが、本人達は大真面目だった。 「元気ないポップを見るの、嫌だけど……でも、無理して大丈夫だって笑っているポップより、ずっといいや」 ぽろぽろと手からこぼれ落ちる石のかけらを拾い続ける男どもの傍らで、女の子達も女の子達で混乱したまま勝手な行動を取り続ける。 もはや誰にも止めようもなくなった勇者一行に、またもや壺からの霧が降り懸かっていた。 ――だんだん、分かってきたのだ。 「くそっ……、もう知ったことか、どうにでもなりやがれーっ」 何度目かに壺から撒き散らされた霧を、ポップはもう避けなかった。 なぜなら、分かっていたから。 堅く張り巡らせたはずの自意識を薄れさせ、今、一番深く思っていることや後悔している事柄を素直に吐きださせる効果がある。 焦点の合っていないポップの目は、もはや破壊されかけた洞窟などを見てはいなかった。仲間の奇行すら、意識にはのぼらない。 ポップの目に見えたのは、マァムに壊されたはずの揺り椅子に崩れた姿勢で座って、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている老魔道士だった。 「師匠のバカヤローッ!」 それが幻と気がつかないまま、ポップは今まで言えずに溜め込んでいた不満を、爆発させる。 「大魔王を倒して、やっとダイも見つかって、国々も復興して落ち着いて――平和を楽しむんなら、これからじゃないか! 姫さんだって、アバン先生だって、城に招きたいってずっと言ってたのに! なのに……っ、なのに、なんでだよぉーーっ!!」 理性では、言っても仕方がないと分かっていた。 「この妖怪ジジイ……っ、100年も生きたんなら、もう100年ぐらい踏ん張ったっていいじゃねえかっ?! おかげで、ずっとあんたに頼ることしかできなかったじゃねえかよっ!!」 いつか、恩返しするつもりだった。 様々な知識を、教えてもらった。
不慣れな政務に忙殺されて、時折尋ねてきた時も、その知恵に頼ってばかりいた。 「バカヤロー……ッ、師匠だけじゃないや、他のやつらも、みんな、みんな、バカばっかりだ! バッカヤローッ、どいつもこいつも、人の心配ばっかしてるんじゃねえよっ!!」
「そんでもって、一番バカヤロウなのは、おれだっ。おれなんか……っ、ずっと、みんなの心配に気がつきもしなかったのによっ」 自分一人で、悩みを抱え込んだ気になっていた。 ついさっき、霧の混乱によって一行が本音を暴露するまで、あんなにも心配されているだなんて、思いもしなかった――。 「バカヤロォオオーーッ!!」 怒鳴るポップの両手から、光り輝く魔法の塊が吹き上げ、お手玉のように左右の手の間を踊る。
ついさっきまでと比べると妙にすかすかと見通しがよくなった風景を、ポップは砂浜にあぐらをかいて眺めていた。 (ま、当然か。洞窟どころか、崖ごとなくなったもんなー) 密閉状態での極大爆裂呪文は、さすがに効力絶大だったようだ。 正確に言うのなら、壷と洞窟が壊れて霧が霧散したおかげで、と言うべきか。 マァムやヒュンケルはまともにくらったが、体力が並じゃない二人のこと、命に別条はない。一番被害が大きかったのは、自分の魔法でものの見事に自爆してしまった魔法使いだったりしたのだが、まあ、それはどうでもいい話だ。 他の仲間達の回復はレオナに任せ、ポップは回復魔法で自分を癒しながら、洞窟の残骸を眺めていた。 ポップにしてみれば、それほど深い意味があって見ていた訳じゃない。 「ポップ……。ごめん」 「何、謝ってんだよ?」 どちらかというなら、謝るならむしろポップの方だろう。
「だって、洞窟、壊れちゃったじゃないか」 「ああ、まあな。でも、洞窟だけで済んで、よかったじゃねえか」 本心から、ポップはそう思う。 壊れたのが『物』ならば、いくらでも取り返しがつく。
強く言ってから、ダイは肩を震わせて俯いた。 「マトリフさんの洞窟……、なくなっちゃったじゃないか。ここ、ポップにとってはすごく大事な場所だったのに……」 ダイのその言葉を、ポップは否定はしなかった。 何度も寝泊まりしたし、この洞窟の主は尋ねる度に皮肉をかましながらもいつだって迎えいれてくれた。 確かに、ここはそういう意味では、大切だった。 「いいんだよ、もう」 「いくないって! だって……っ。ポップ、あの時、すごく嫌がったじゃないかっ。バルジ島で、レオナを助けた時――っ、先生の形見が壊れちゃうの……っ」 いつになくムキになって食い下がるダイに、ポップはちょっと苦笑した。 「おいおい、いつの話をしてんだよ。あんなの、もう三年も前の話だろ? もうガキじゃねえんだからよ」 そう言いながらも、無理もないかとも思ってしまう。 あの頃は本当に子供だったなと、今なら思う。 「いや、いいんだって。本当に――これでよかったんだよ。だいたい、この結果って、師匠が企んだに決まってんだから」 本心からの思いを込めて、ポップはそうダイに言い聞かせる。 それが分かっていて自ら混乱する道を選んだのは、それこそが師匠の望みだと気がついたからだ。 「師匠は、きっと分かってたんだ。この洞窟が残ってたら、ここがおれが逃げ場になるってさ」 消滅しても、なんの損傷のない洞窟。 ダイが行方不明の頃、マトリフは何度となくポップを呼びつけては本棚の整理を押しつけ、いらない本を各国の図書館に寄贈する用事をいいつけた。 今となっては、この洞窟内に貴重と呼べる程の書物も道具もなかった。 「ダイ。おまえ、やけに強引におれについてきたのって、もしかして師匠になんか言われたせいか?」 尋ねると、ダイは罰の悪そうな顔をしながらもこっくりと頷いた。 「うん……。マトリフさん、おれに言ったんだ。ほら、その……亡くなるちょっと前に、おれだけを呼び出したろ?」 死の間際、マトリフが遺言を残したのはアバンやポップではなく、ダイだった。 「自分が死んだ後、必ずポップがこの洞窟に来るだろうから、その時はなるたけ大勢で付き添えって」 「やっぱりなー。道理で、忙しいはずの姫さんやマァム達まで来たわけだ」 最後の疑問も氷解し、ポップはやけに気分がスッキリするのを感じた。 遺品を後生大事にとっておく必要など、ないと。 最後の最後まで、自分の思い通りに好き放題に生きて、勝手気ままに逝ってしまった。死んだ後など知ったことかと高笑いしながら、潔いまでに見事に。 「結局……あのくそジジイの思惑には、最後まで勝てなかったってわけか」 それは悔しいようで、嬉しい。 いつか超えるべき壁なら、それはどこまでも高く、堅い壁であるといい。 ポップが彼に初めて出会った頃、マトリフはすでに98歳だった。 だが、それでさえ、当時のマトリフにポップは全然適わなかった。 手加減をされまくった上での模擬戦で、いつも情けなく惨敗した思い出は、今でも昨日のことのように思い出せる。 ポップにとって、最初の師であるアバンは憧れの人であり、優しく導いて教え諭してくれる人だった。 彼の後をずっとついていきたいと思えるような人であり、その気持ちは今でも変わっていない。 容赦なく、厳しい師だった。 そんなのは自分で考えてみろとばかりに、いつだって突き放された。 それでいて、マトリフはその厳しさに相反した優しさを持った師でもあった。 突き放しているようで、マトリフは決して人を見捨てない。 「……?」 肩に、ふわりと暖かいものがかけられる。 「ダイ〜。いつまでも人を病人扱いすんなっつーの。もう良くなったって言ったろ?」 「だって、ポップ、熱とかなくってもまだ身体の具合が完全じゃないんだろ? 風が冷たくなってきたし、ちゃんと身体を大事にしなくちゃ!」 ダイの言う通り、ふと気がつけば確かにちょっと身体が冷えてきた。 しかし、いくら親友が相手とはいえ男に上着を貸し出されてそれを素直に喜ぶ程、ポップは乙女には出来ていない。 「バカか、おまえは。上着を貸したら、今度はおまえが寒いだろ? んな、気障な真似する前に、そろそろ帰ろうって言えばすむことだろーが!」 「言わないよ。だって、ポップ、まだここに居たいんだろ?」 図星をつかれて、ポップは一瞬黙り込む。 「でも、おれも一緒に居る。今日ばっかりは一人になんか、させないから。マトリフさんとの最後の約束なんだ。ポップが嫌だって言ったって、おれ、ずっと一緒にいるからね!」
ここまで見越して、弟子であるポップにではなく、ダイにだけちゃっかり遺言を残した師匠には本当にかなわないと思う。 (……ほーんと、似ても焼いても食えないくそジジイだぜ、師匠って) 一人でいたのなら、ポップは気が済むまでここにいたかもしれない。 彼らの本音を聞いてしまった今となっては、特に。 もう、とっくに治療などは終わっている。それぞれ忙しいはずなのに、急かしもせずにポップが気がすむまで待ってくれているのだと、今なら分かる。 「……ポップ?」 どこまでも心配そうに自分を見つめる少年を見ながら、ポップはわざと乱暴に言った。
「え?」 驚いて思わず手の力を緩めるダイから、するりと腕を引き抜いてポップは立ち上がった。 壊れた洞窟を一瞥し、それにくるりと背を向けて歩きだす。 (ま、いつかは乗り越えてやるさ。まだ、時間はたっぷりあるんだ) ポップがマトリフに初めて会った時、15歳だった。 魔法使いとして若すぎるのは自覚しているが、戦闘力という意味でなら今が絶頂……とはまだ言えなくとも、少なくとも昔より上がっている自信はある。 今の自分でさえ、当時のマトリフに勝てるかどうか、正直自信はない。 それまでには、まだまだ成長していけるだろうし、そのつもりだ。 「そのためにも、まずはうんと長生きしなきゃ、だな」 「え? 今、なんて言ったの、ポップ?」 追いついてきたダイが聞き返すが、ポップはただ笑った。 「なんでもないって。これからは、ちょっとは方針を変えようかなって思っただけだよ」 たまには、レオナにワガママを言い返してやろう。――それで、彼女が安心できるというのなら。 それともヒュンケルに昔話でもねだってみて、からかってやるのも楽しいかもしれない。 その時は、マァムやメルルとも一緒に聞こう。そのついでに、嘘とホントを見分けるコツを教えてやってもいい。 そして、ごく当たり前のように自分の隣にやってきた相棒の肩に、ポップは腕を絡めて体重をかけた。 「わっ、何、ポップ? どうしたの? 気分、悪いの?」 心配そうにそう聞くダイに、『大丈夫だ』と答えるのは簡単なことだ。 「ちょっと肩、貸せよ、ダイ。一人でも歩けるけど、なんか疲れたから楽したいんだよ」 それを聞いてダイは目を真ん丸くし――それから太陽の様な満面の笑顔をみせた。 「うんっ、それならいくらでも肩、貸すよ!」 「いくらでも、なんて必要ないって。少しの間でいいっつーの」 そんな軽口を叩きあいつつ、ポップはダイと肩を並べて、待っていてくれる仲間の方へとゆっくりと歩いていった――。 《後書き》
|