『ホーム 1』

 

 ランカークス村の、唯一の武器屋であるジャンクの家の二階には、こざっぱりとした小さな部屋があった。

 きちんと片付けられてはいるものの、どことなく埃っぽく、誰も使っていない部屋独特の空虚さの漂う部屋だ。
 しかし、いつでも使えるように整えられ、部屋の主を静かに待ち続けていた――。








「さあ、どうぞ沢山召し上がってくださいな。遠慮なさらずに……といっても、たいしたものもありませんが」

 素朴な木の食卓の上には、端がぶつかりあうほどたくさんの皿が並べられ、暖かな湯気を立てていた。その一つ一つはさして珍しくもない家庭料理であり、ありふれた物には違いなかったが、作り手の温もりが感じられる料理ばかりだった。

「おう、遠慮せずにたんと食ってくんな!」

 謙遜する妻とは対照的に、豪快に歓迎する夫は戸惑っている客人の背を叩く様にして、強引に部屋に押し込む。
 そんな素朴かつ熱心な歓迎を、嬉しく思いながらも戸惑いは隠せない。

 勇者ダイに、魔剣士ヒュンケル。
 勇者一行の主力戦士であるこの二人は、どんな強大な敵を相手にしても怯みもしないが、こんな優しい歓待に対しては不慣れだった。

 小さい頃は怪物の手によって育てられた過去を持つ二人は、一般的な家庭とはとんと縁のない生活を送ってきたのだから。

 それに、今は状況が状況だ。
 唐突に始まった、大魔王バーンによる世界征服。その侵攻は恐るべき速度で成し遂げられようとしていた。

 ほとんどの人間はそれに対してなす術もなく、ただ逃げ惑うばかりだったが、ほんの一握りではあるが魔王に対して牙を剥く者達もいた。
 それが勇者ダイを中心とする、勇者一行である。

 彼らが総力を挙げて、大魔王バーンの居住地にこちらから乗り込んで決戦を挑むと決定したのは、数日前。
 全世界から集まる有志達の支度が調うまでの間、ダイとヒュンケルはランカークスの村へやってきた。

 魔界の名工、ロン・ベルクに剣を修繕してもらう目的で訪れたのだが、予想外なことに、二人は彼から剣の猛特訓を受けるはめに陥った。
 鍛冶屋としても突出した腕を誇るロン・ベルクは、剣技にかけても超一流であり、ダイとヒュンケルの二人がかりでも適わないほどの腕前だった。

 最初は戸惑ったものの、少しでも訓練で腕が磨けるならとダイもヒュンケルも目一杯それに応じたものの、まさかその後でこんな歓迎を受けるとは思いもしなかった。

 剣が治るまでは、ロン・ベルクの家の近くで野宿でもする予定でやってきた二人だが、それに反対したのは家主たる彼ではなく、たまたま彼の家にきていたジャンクだった。

 ダイ一行の魔法使い、ポップの父親であるジャンクは、息子の友人を放ってはおけないと、強引に自宅へと引っ張り込んだ。

「お代わりはたくさん用意してありますから……そうそう、私、お風呂の様子を見てきますね」

 皆が食べている間も休みもせずにくるくると立ち働く女性は、エプロンで手を拭きつつ奥の部屋へと下がっていく。

「ねえ、ポップのお母さんって、どっかポップに似ているね!」

 新発見をしたとばかりに目を輝かせるダイに、ヒュンケルは少しばかり笑いを誘われる。

「それを言うなら、ポップの方が母親に似たんだろう」

 ポップの母親、スティーヌ。
 ほっそりとした体付きの、長い黒髪が似合う優しい面立ちの女性だ。
 物静かでおとなしい印象を与えるスティーヌと、お調子者で騒がしいポップはパッと見ただけでは正反対に思える。

 だが、生き生きとよく動く表情のせいで気付きにくいが、ポップのすんなりした眉や目元の辺りなどは、意外と整っているのはとっくに気付いていた。
 それは、母親であるスティーヌによく似ている。
 男にしては細身な体付きも、母親譲りなのだろう。

「男の子は母親に似る、というからな」

 ヒュンケルが口にした在り来たりの俗説を、世間知らずのダイはもの珍しそうに耳を傾ける。

「そうなの? おれ、父親と息子みたく、男同士の方がよく似ているかと思ったよ」

「一理あるな。オレも、実際にジャンクの息子に合うまでは、そう思っていたよ。正直、意外だったな。こいつの息子なら、もっとごつい感じの戦士かと思っていたが」

 ひょいとそう口を挟んだのは、ロン・ベルクだ。
 ついでだからとジャンクに引っ張られるようにしてきた彼は、賑やかな夕飯をそれなりに楽しんでいる様子だ。

 ロン・ベルクがジャンクと知り合ったのは、つい半年程前のことだ。ジャンクやスティーヌから、家出した息子の話はそれとなく聞いたが、外見までは知らなかった。ただ漠然と、友人であるジャンクに似た男の子を想像するのも当然だろう。

 背はさして高くないのに肩幅があり、いかにも逞しそうな体付きや、人相が格段に悪く見える険しい目付きが特徴的なジャンクは、ポップとはあまり似ていない。
 外見上親子の繋がりを連想させるのは、強情な癖っ毛ぐらいなものだ。

「ふん、戦士なんざ無理、無理! あのクソガキときたら、昔っから貧弱な上に根性なしでよ、剣の稽古なんざした試しがねえんだ。武器屋の倅の癖して、剣一つ振り回せないときてるんだから呆れたもんだぜ」

 辛辣に、ジャンクはこの場にはいないポップをこき下ろす。
 身内を必要以上に貶める話っぷりは、この年代の男性としてはごく当たり前の癖にすぎないが、生真面目なダイはそれをごくまともに受け止めて親友をかばおうとした。

「確かにポップって力は弱いし剣を使えないけど、でも、すごい魔法を使えるよ」

 ……あまりフォローにはなっていないようだが。

「そこがどうにも信じられないんだよなあ。あのクソガキが、魔法をねえ?」

 魔法使いは、そう多くいる職業ではない。
 魔法の修行には素質と共に、年月も必要とされる。ごく小さい頃から修行を始めても、実際に魔法を使えるようになるまではかなりかかると言われている。

 辺鄙な片田舎であるランカークスには、魔法使いなど一人もいない。
 そこで生まれ育った少年が、家出してほんの一年足らずで魔法使いになるとは、普通は思えない。

 ましてや、実の息子の根気のなさを知っているだけに、ジャンクは今一歩実感が湧かない様だ。

「うん! ポップは魔法を使えるだけじゃなくって、頭もいいんだよ。いろんなこと知ってるし、本だってスラスラ読めるもん」

「あー、そういやあのガキは読み書きだけは妙に得意だったな。家の手伝いなんかはサボりまくる癖に、村に新しい本が入荷したと聞くと、持ち主より早く読みふけっていたんだから迷惑な話だぜ。んな暇があれば、鍛冶の手伝いでもすりゃいいのによ」

 一般の人間は、読み書きをさほど重視しない。
 簡単な文章や数字の読み書きを覚えれば、大抵の人間はそれ以上の学問を修得しようとはしなくなる。

 ことに、肉体労働に終始する田舎の人間ほど、その傾向は強くなる。
 難解な文章もスラスラと読み解き、古文書ですら拾い読みできるポップのその知識には、一国の王女として高度な教育を受けたレオナ姫さえ凌駕するものがある。

 しかし、田舎の村では無理もないが、ポップの頭脳はここでは全く評価されていなかったらしい。
 気の毒なことだと苦笑しつつも、ヒュンケルは特に反論を唱えずに美味しいスープを飲み干した――。








「へえー……」

 ダイとヒュンケルは、物珍しげにその部屋を見回した。
 魔物に育てられたという経歴を持つこの二人は、普通の部屋に入った経験がほとんどない。

 画一的な要素を持つ宿屋とは違う、持ち主の個性が宿る個人の部屋は、二人にとっては目新しく映った。

 やや小さめの寝台や机が置いてある部屋の床には、少々色あせた緑色の丸い敷布がしかれている。
 様々な物が雑多に混じった木箱や、木製の剣を無造作にほうり込んだ大きめの壺などが、部屋の隅に置かれているのも見えた。

「……これ、なんだろ?」

 ダイは興味ありげに、寝台の下を除き込む。
 もう用はないよとばかりに、寝台の下の一番奥に押し込まれた古い木箱には、その癖、沢山の玩具が丁寧に隙間なく詰め込まれていた。

 使い込んだ跡が一目で見て取れる、木の枝で作ったパチンコ。
 鮮やかに色を塗った独楽。
 ビー玉が目一杯詰め込まれた、ツギの当たった布袋。長いしっぽのついた凧。

 よく弾みそうなボール。糸の切れたケン玉。
 派手な彩色を施された四角い箱をいじっていたダイは、突然中から飛び出してきたピエロ人形を見て、目を白黒させる。
 文字通り、びっくり箱にびっくりさせられている。

 いかにも男の子が好みそうな玩具ばかりを詰め込んだ箱は、ダイの興味を引いたらしい。

 だが、ヒュンケルにとってはその玩具箱よりも机に興味を引かれた。
 机の上には、何冊もの本がきちんと並んで立てられている。
 ほとんどは子供向けの冒険物語のようだが、中には大人でも読むのは難しいと思える本も混じっていた。

 だが、どの本にも平等に、何度となく読み明かした証である手擦れの跡が残っている。机の上に乗せられた市松模様のチェス版には、使い込まれた木の駒が一揃いそろえてある。

 持ち主はよほど熱心に遊んでいたのか、駒の先端や部品の一部が欠けていた。
 それに、机の上に直接かいてある走り書きめいた落書きは、チェスの際に書いた時のメモらしい。

 ヒュンケル自身もチェスは多少たしなむ方だが、そのメモに書かれた手は、ひどく難解な手と見えた。
 子供っぽい字とは、まるでそぐわない。

 机の前に貼られているのは、古い世界地図だった。
 長い間張ってあったのか、もうだいぶ日に焼けて色褪せ、隅の方はボロボロになっている。赤丸や小さな書き込みのしてある地図を、ヒュンケルは軽く目で追った。

 子供っぽさの名残が随所に残る癖に、どことなく抜きんでた知性のきらめきを感じさせる部屋。
 それは、見事なまでにポップの印象に重なっていた。

「ねえ、ヒュンケル。これ、なんだろう?」

 戸口近くにある柱に目を留めたダイが、不思議そうに首をひねる。
 ナイフで刻まれた横線が、幾本も刻まれた後があった。傷の横には、数字が書かれている。

 少し背をかがめ、ヒュンケルは柱を眺めやる。
 別に、そこまでして見なくてもその傷の意味は分かっていたが、刻まれた傷を目の高さで見てみたくなったのだ。

「13歳、12歳、11歳……これは丈比べの後だな。ポップは一年置きに自分の身長の高さを、柱に刻んだんだ」

 子供の背を測って記録しておくのは、別に珍しい風習ではない。
 だが、南海の孤島でたった一人の人間として、ごく背丈の低い魔物に育てられたダイにとっては初耳の習慣だったようだ。

「へえ〜」

 面白そうに、ダイは自分の背と丈比べの傷を見比べだした。
 ポップが12歳だった頃の身長は、今のダイよりも低い位置にある。最後の13歳の時の身長でさえ、今のダイより少しばかり高い程度の身長でしかない。

「なんだあ、いっつもおれのこと、チビ、チビっていう癖に、ポップだって前は小さかったんだ!」

 嬉しそうにダイがはしゃいでいる最中、開いているドアを律義に軽くノックする音が響く。

「失礼します。寝間着は、これを使ってくださいな。古着で悪いんですけれど……」

 この家の主婦のスティーヌは、女性らしい気遣いを見せながら二人にそれぞれのサイズにあったパジャマを渡した。

「あれ? これって、もしかしてポップの?」

 袖を通したダイは、もの珍しそうにそのパジャマを見下ろした。
 何度も水に晒して色落ちしているとはいえ、それでも鮮やかさを残す緑色はポップが好んで着ている服の色そっくりだ。
 そして、この家の主であるジャンクが大荷物を抱えたまま入ってきた。

「勇者さまにはそっちの寝台を使ってもらえばいいとして、戦士さんよ、あんたにゃあれじゃちと小さいだろう。あんたの分の布団を一組、持ってきたぜ。古い藁布団で悪いがね。どっこいしょっと」

 小さなベットのすぐ隣に、ジャンクが床に大きなマットレスを下ろすと、申し合わせていたかのようにスティーヌがてきぱきとベッドメイクしていく。

「なんせ、うちはちっぽけな武器屋だ、お恥ずかしい話だがお客様を泊める部屋も足りないもんでね。息子の部屋で我慢してくれや。宿屋と違って、少しばかり寝心地は悪いかもしれんがね」

「いや……、十分過ぎるほどだ」

 短くぶっきらぼうな言葉ながら、そこには確かな感謝の念が籠もっていた。
 野宿で過ごすことの多いヒュンケルにとっては、屋根の下で寝られるだけでも満足だ。

 ましてや即席に作られたその寝台は寝心地が良さそうだし、何よりもわざわざ自宅に招待して泊めてくれるという心遣いがありがたい。

 その思いが、ヒュンケルの目礼を深いものにしたが、それを見たスティーヌは――不意にぽろりと涙を零した。
 思いがけない反応にヒュンケルも驚いたが、ダイの方が対応が早かった。

「どうかしたの、おばさん?」

 いかにも心配そうに自分を見上げる小さな子供に、スティーヌは涙を拭いながら笑顔を浮かべようとした。

「ご、ごめんなさいね、ダイ君。ちょっと、昔を思い出してしまって……ヒュンケルさんがアバンさまと同じことをおっしゃるから……」

 もちろん、そっくり同じというわけではない。
 口にした言葉の意味合いはほぼ同じでも、アバンはもっと物柔らかで人当たりのよい男性だった。
 見た目の印象も、まるっきり違う。

 だが、それでも今、目の前にいる二人は彼女のある記憶を刺激する。
 1年以上の前の光景だが、それはスティーヌの目に焼き付いて離れない光景だった。

「いえね、アバン先生をこの家にお泊めした時のことを思い出してしまって……」

 旅人としてランカークス村を訪れたアバンを泊めたのも、この部屋だった。ちょうど今のダイのように、ポップははしゃいでアバンにまとわりついていた。
 そして、アバンが旅立った日、ポップも後を追って家出してしまった――。

「……つまらない話をお聞かせしてしまって、ごめんなさいね。じゃあ、ゆっくりおやすみなさい」







 明かりの消えた、静かな部屋。
 猛特訓の後で疲れているし、美味しい夕食のおかげで腹もいっぱいだ。それに、借りたベッドは意外な程寝心地がいい。

 普段使っていない布団にありがちな埃臭さが全くなく、かすかに日向の匂いがする――だけど、それだけの好条件がそろっているのに、ダイは眠りにつかなかった。

 普段は至って寝付きがよく、寝起きがいいダイにしては珍しい出来事だ。
 ころんと寝返りを打つついでに、ダイは藁布団の上で眠っているヒュンケルに声を掛けた。

「ヒュンケル? もう寝た?」

「いいや」

 返事は、即座に返ってきた。

「ダイ、眠れないのか?」


「うん、ちょっと……。なんでだろ? ここ、すっごく寝心地いいのに、なんでかな? なんか、眠りにくいんだ」

 不思議そうにそう言うダイは、寝付きがいつになく悪い原因に気づいていないらしい。
 苦笑しつつ、ヒュンケルは軽く言った。

「……奇遇だな。オレもだよ」

 『家庭』なんて温もりなど、今まで縁などなかった。
 そんなヒュンケルにとってはこの家は、暖かすぎて――。あまりにも心地好すぎて、かえって居心地が悪く感じてしまう。

 ある意味、ここは理想の家だった。
 いつ帰ってきても、暖かく迎え入れてくれる家。
 優しい母親がいて、少し厳しいが話の分かる父親がいる家。

 だが、自分がこの家に相応しいなどとは、ヒュンケルには到底思えなかった。ここにいるのが相応しいのは、自分などではない。
 ここにいるべきなのは――。

「……ポップってさ、どうして家出なんかしたのかなあ?」

 ちょうど、ヒュンケルの考えていた答えを読み取ったかのようなタイミングで、ダイがぽつりと疑問を口にする。

「さあ? どうしてだろうな」

 ポップがアバンに憧れて、家出してまで押しかけ弟子となったという話はヒュンケルはもちろん、ダイも知っている。
 その動機に、嘘はないだろう。

 だが――おそらく、アバンとの出会いは、きっかけにすぎまい。自分の願いを叶えるためなら家出をしてもいいという覚悟は、最初からポップの心にあったはずだ。

 ダイやヒュンケルから見れば、そもそもその覚悟を持てるという考え自体が不思議だ。孤児である二人は、多かれ少なかれ家というものを渇望している。
 その存在を、こんなにもあっさり投げ捨てていけるなんて――それは羨ましいを通り越して、妬ましくなってしまう程の気ままさだった。

「……ポップって、すごいなー」

 しみじみと、ダイは呟いた。
 ダイが育ったのは、南海の孤島デルムリン島でだった。
 人間がいない怪物だらけの島での暮らしに、ダイは何の不満もなかった。

 育ての親である奇面道士のブラスは口うるさいけれど心優しい親だったし、島にすむ怪物達はみんな友達だった。
 島は充分以上に居心地がよい場所であり、満たされた楽園だった。勇者に憧れていたとは言え、ダイはあの島を出たいとは思ったこともなかった。

 もし、ゴメちゃんが人間にさらわれるなんて事件が起きなかったら。
 デルムリン島に、レオナ姫が訪れて友達にならなかったら。
 友達や世界の危機というきっかけがなければ、ダイはずっとあそこで満足し、島から出ないまま一生を送ったかもしれない。

 だが、ポップが家出したのは、世界に危険が迫るずっと前だ。
 アバンとの出会いというきっかけがあったとは言え、こんなに居心地のいい家を飛び出していくだなんて。

「おれだったら……もし、ここがおれの家だったら、家出なんかしなかったかもしんないや」

 大真面目に呟くダイに対し、ヒュンケルは小さく頷いて見せた。暗闇の中では見えないだろうが、彼としても全く同感だったのだから。


                                                    《続く》                                  

 

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