『ホーム 2』 |
「よし……、今日はこれぐらいにしておくか」 ロン・ベルクのその声と共に、ダイは崩れるようにその場に座り込んだ。 二人はしばらく、その場を動かなかった。 朝から夕方まで、ろくな休みもなしに激しい訓練を受けた二人がヘバるのはある意味当然だが、ロン・ベルクは違った。 何事もなかったかのようにどこからともなく酒瓶を取り出し、片手で器用に栓を抜いてグビリと一口煽る。 相当にきつい酒のようだが、彼にとっては水と大差はないのか、喉を潤すのには丁度いいようだ。飲み干すまで、それほどの時間は掛からなかった。 「ロン・ベルクさん、もう一回やろうよ! まだ、結構明るいし」 とても先ほどまでバテきっていたとは思えない復活の早さに、さすがのロン・ベルクも驚いたように目を見張る。 「ほう。たいしたタフさだな。さすがは竜の騎士というべきか」 指導する立場上、手加減をしたのはもちろんだが、それでも普通の人間ならば筋肉痛と疲労でしばらく動けなくなる程度の猛特訓だったはずだ。 「だが、今日はもう訓練は終わりだ。さすがにオレも少々疲れたし……ジャンクはともかく、スティーヌさんをあまり驚かせても悪いだろう」 「そっか、それもそうだよね」 今日も訓練終了後は、ジャンクの家に招かれている。 もう少し休んで、せめて息を整えてからお邪魔した方がいいだろうと、ダイは再びその場に座り込んだ。 「それにしても伝説の竜の騎士か……話としちゃ聞いていたが、まさか現実にお目にかかるとは思いもしなかったよ」 ロン・ベルクはただ、淡々と事実を口にするように伝承を語って見せた。 「昔、昔の話だそうだ。三つの種族の神が集い、それぞれの種族の最も優れたものを与えた最強の戦士を作り上げた……世界のバランスが崩れた時に、それを是正する存在になるためにな」 その話は、ダイにとってもヒュンケルにとっても、初めて聞くものではなかった。 「竜の神は悩んだそうだ。 悩んだ揚げ句、竜の神は、騎士に鱗を授けた。目に見えない鱗は竜の騎士の身体に張り付き、騎士の身体はどんな刃物や魔法も受け付けぬ頑強なものとなった」 その言葉を聞いて、ダイは自分で自分の腕を見回し、確かめるように撫でた。だが、つるんとした肌には鱗の手触りなどしない。 「そして、魔の神も悩んだという。 悩んだ末、魔の神は騎士に強大な魔力を与えた。 その言葉を、ただの誇張した伝説だと思うことは、ダイにもヒュンケルにもできなかった。実際の竜魔人・バランと戦った経験から、その強さは嫌という程骨身に染みている。 「あまりにも完全なので、魔の神も竜の神も満足し、これ以上の戦士は考えられないとさえ思った。そして、人の神が竜魔人に『奇跡』の力を与えるのを望んだという。 偶然を超え、超常的な確率で起こる『奇跡』は、人の神だけが操れるもの……しかし、期待に反して、人の神が竜魔人に与えたのは人間の精神だった」 声に、少しばかり皮肉な響きが混じる。 「その途端、竜魔人は弱くなった。 そこまで話してから、ロン・ベルクは酒瓶を置いてダイの方に目をやった。 「魔族の伝説では、人の神は竜魔人のあまりにも強靭な力を憂いて、力を制御させるために人間の精神を与えたと言われているがね。そのために、最高の能力どころか一番つまらなく、役に立たないものを与えたってのが魔族の定説だ」 「違うよ、それ」 いやにきっぱりと、ダイは首を横に振った。 「人間の神様は、やっぱり、一番大事なものをくれたんだよ」 子供っぽい口調ながら、はっきりとした確信の込められた言葉だった。それを聞いて、ロン・ベルクはフッと口端に笑みを浮かべる。 「……半分魔物の血を引いているくせに、変わった奴だな」 言葉こそきついものの、彼の口調は柔らかかった。 「ダイ、ところでちょっと伝言を頼みたいんだが、引き受けてくれるか?」 「うん、いいよ! なに?」 「オレも今日、ジャンクの家に招かれていたが……、悪いが、来客の予定を思い出した。すまないが、オレの分の夕食はいらないと伝えてくれないか?」 ちょっと長めの伝言を、ダイはぶつぶつと口の中で復唱してからこっくりと頷いた。 「うん、分かったよ。行こう、ヒュンケル」 誘われるまでもなく、すでに立ち上がっていたヒュンケルだったが、ロン・ベルクに引き止められる。 「おっと、おまえさんには別な用事がある。ちょっと、手を貸してくれないか」 少し間をおいてから、ヒュンケルは無言で頷く。 「ふーん。じゃ、おれ、先に行ってるね」 屈託なく駆け去っていくダイは、振り向きさえしなかった。それを見送りながら、ロン・ベルクは低い声で、独り言のように呟いた。 「あの竜の騎士の子は……まだ人間に迫害された経験はないのか?」 「いいや」 短く、ヒュンケルは首を振った。 子供の姿でありながら魔物以上の力を発揮するダイを、一般の人間が恐れるのも当然だろう。 ……その苦悩も、歯がゆさも、ヒュンケルには理解できない感情ではない。魔物に育てられ、人間からかけ離れてしまった存在という意味では、ヒュンケルもダイと同類なのだから。 人間ではない者として恐れられ、蔑まれる苦悩は共感できる。 「だが、迫害を受けた時……あいつには、そんな人間ばかりじゃないと教えてくれた奴がいただけだ」 友達が魔物でも構わないと言い切った魔法使いの少年は、口先だけでなくその行動で自分の意思を示してみせた。 「それが――ジャンクの息子ってわけか」 しみじみと呟き、ロン・ベルクはふらりと自分の家の中に戻った。そして、さして間も置かず、二つの荷物を手に現れる。 「おまえさん、パプニカのお姫様に伝言を頼まれてはくれないか? 一つ、彼女にねだりたいことができたんでな」 荷物の一つは、キメラの翼。 さすがに本職の魔法使いのように、自由自在にどこにでも行けるわけではないが、使用者の本拠地に一瞬で戻れるぐらいの魔力はある。 そして、メインの荷物は手紙だった。 「あいにく帰りの分のキメラの翼はないが、問題は無いはずだ。パプニカの姫がこの願いを聞き届けてくれるなら、な」 その羊皮紙には、ヒュンケルは見覚えがあった。 勇者一行を後援する者の責任として、レオナはロン・ベルクへの助力の依頼する手紙を書き綴った。助力への礼として、どのような返礼にも応じる用意があると言い、彼の望みを聞き届けるためにわざわざ返信用の羊皮紙まで同封した。 だが、この俗世と縁を切った変わり者の魔族は、礼など無用とあっさりとその特権を投げ出したはずだったが――どういう心境の変化だろう? ふと、興味がわいたが、他人の手紙を勝手に覗き見る趣味などヒュンケルにはない。彼はそれをそのまま、懐にしまい込んだ。 「分かった。確かに引き受けた」
パプニカ王女レオナは、真剣な面持ちでロン・ベルクの手紙を読んでいた。 「……厄介ね。金銀財宝や、まだしも美女でも所望された方が楽だったわ」 見た目の可愛さとは裏腹に、レオナは極めて率直な口の利き方をする少女でもある。 「そんなに、大層な要求なのか?」 ヒュンケルの疑問に、レオナはピラリと手紙を彼の眼前に翻してみせた。 「見てご覧なさいよ。アバンの使徒の長兄としてのあなたの意見も聞きたいわ。あなたなら、この要求を受け入れられる?」 手紙に書き込まれた字を目で追い――ヒュンケルは苦笑混じりに首を左右に振った。 「……無理な相談だな」 「……でしょうねー。ああ、もう、どうしてこう、問題って次から次に発生するのかしら? 全く、頭が痛いわ」 ぼやきながら、レオナは座っていた机の上をうんざりとした目で眺める。 戦いの準備は言うに及ばず、協力し合う国々との連絡を密に入れ、万が一敗北した場合に備えて、あらゆる手を打って置く義務がある。最悪の場合、レオナ自身も戻ってはこられないかもしれないのだから。 戦いの場に参戦する前の数日間を、ダイ達は少しでも自分達の力を底上げするための特訓に当てているが、レオナにはそんな余裕さえ無い。 ダイの剣を無償で作ってくれたロン・ベルクには感謝をしているし、その恩恵は承知している。 「ましてや、この要求じゃねえ。黄金や魔法道具でも求められたのなら、この城に残っている物なら全部差し出したのに」 ボヤきながらも、頭の回転のいい彼女は素早く条件を検討し、代案を考え出したらしい。真新しい羊皮紙を取り出して、忙しくペンを走らせだした。 「ヒュンケル、疲れているところを悪いとは思うんだけど、もう一カ所、伝言をお願いしてもいいかしら?」 《続く》 |