『ホーム 2』

 

「よし……、今日はこれぐらいにしておくか」

 ロン・ベルクのその声と共に、ダイは崩れるようにその場に座り込んだ。
 それ程ひどくはないものの、ヒュンケルの息も荒い。

 二人はしばらく、その場を動かなかった。
 そんじょそこらの戦いよりもよっぽどハードな訓練をこなした後は、そうすぐには動けない。

 朝から夕方まで、ろくな休みもなしに激しい訓練を受けた二人がヘバるのはある意味当然だが、ロン・ベルクは違った。
 二人を同時に相手に教えを授け続けた剣の師は、疲れを見せるどころか息一つ切らしていない。

 何事もなかったかのようにどこからともなく酒瓶を取り出し、片手で器用に栓を抜いてグビリと一口煽る。

 相当にきつい酒のようだが、彼にとっては水と大差はないのか、喉を潤すのには丁度いいようだ。飲み干すまで、それほどの時間は掛からなかった。
 と、それを待っていたように、ダイが元気よくひょこっと起き上がる。

「ロン・ベルクさん、もう一回やろうよ! まだ、結構明るいし」

 とても先ほどまでバテきっていたとは思えない復活の早さに、さすがのロン・ベルクも驚いたように目を見張る。

「ほう。たいしたタフさだな。さすがは竜の騎士というべきか」

 指導する立場上、手加減をしたのはもちろんだが、それでも普通の人間ならば筋肉痛と疲労でしばらく動けなくなる程度の猛特訓だったはずだ。
 それを、ほんのわずか休んだだけで回復させてしまうダイのタフさは、確かに普通の人間のものではない。

「だが、今日はもう訓練は終わりだ。さすがにオレも少々疲れたし……ジャンクはともかく、スティーヌさんをあまり驚かせても悪いだろう」

「そっか、それもそうだよね」

 今日も訓練終了後は、ジャンクの家に招かれている。
 いくらなんでも、疲れきってへとへとになった状態で転がり込むのは失礼だと思うぐらいの常識はダイにさえあった。

 もう少し休んで、せめて息を整えてからお邪魔した方がいいだろうと、ダイは再びその場に座り込んだ。
 ロン・ベルクは新しい酒をぐいっと一口煽り、そんなダイをもの珍しそうに見やった。

「それにしても伝説の竜の騎士か……話としちゃ聞いていたが、まさか現実にお目にかかるとは思いもしなかったよ」

 ロン・ベルクはただ、淡々と事実を口にするように伝承を語って見せた。

「昔、昔の話だそうだ。三つの種族の神が集い、それぞれの種族の最も優れたものを与えた最強の戦士を作り上げた……世界のバランスが崩れた時に、それを是正する存在になるためにな」

 その話は、ダイにとってもヒュンケルにとっても、初めて聞くものではなかった。
 竜の騎士と関わりの深い、テラン王国に伝わる伝説とほぼ同じものだ。だが、そこから先の話は、彼らが知るものとは少し違っていた。

「竜の神は悩んだそうだ。
 竜族ならではの炎の息吹を授けるべきか、それとも強く鋭い爪を与えるべきか、あるいは一度怒りだせば周囲を全て壊すまでやまない猛り狂う凶暴さをやるべきか――。

 悩んだ揚げ句、竜の神は、騎士に鱗を授けた。目に見えない鱗は竜の騎士の身体に張り付き、騎士の身体はどんな刃物や魔法も受け付けぬ頑強なものとなった」

 その言葉を聞いて、ダイは自分で自分の腕を見回し、確かめるように撫でた。だが、つるんとした肌には鱗の手触りなどしない。

「そして、魔の神も悩んだという。
 魔族特有の強靭な再生力を授けるべきか、あるいは狡猾とも言える知恵を授けるべきか――。

 悩んだ末、魔の神は騎士に強大な魔力を与えた。
 それで、竜魔人が完成した。その強さは、完璧だったと言われている。これ以上手を掛けても、減らしても今の強さが損なわれるだろう、とまで言われた戦士になった」

 その言葉を、ただの誇張した伝説だと思うことは、ダイにもヒュンケルにもできなかった。実際の竜魔人・バランと戦った経験から、その強さは嫌という程骨身に染みている。

「あまりにも完全なので、魔の神も竜の神も満足し、これ以上の戦士は考えられないとさえ思った。そして、人の神が竜魔人に『奇跡』の力を与えるのを望んだという。

 偶然を超え、超常的な確率で起こる『奇跡』は、人の神だけが操れるもの……しかし、期待に反して、人の神が竜魔人に与えたのは人間の精神だった」

 声に、少しばかり皮肉な響きが混じる。

「その途端、竜魔人は弱くなった。
 平常時には人間としての姿を持てるようになった代わりに、皮膚の力も弱まり魔力も低くなった。痛みも感じれば、寿命もある種族になってしまったのだ、と――」

 そこまで話してから、ロン・ベルクは酒瓶を置いてダイの方に目をやった。

「魔族の伝説では、人の神は竜魔人のあまりにも強靭な力を憂いて、力を制御させるために人間の精神を与えたと言われているがね。そのために、最高の能力どころか一番つまらなく、役に立たないものを与えたってのが魔族の定説だ」

「違うよ、それ」

 いやにきっぱりと、ダイは首を横に振った。

「人間の神様は、やっぱり、一番大事なものをくれたんだよ」

 子供っぽい口調ながら、はっきりとした確信の込められた言葉だった。それを聞いて、ロン・ベルクはフッと口端に笑みを浮かべる。

「……半分魔物の血を引いているくせに、変わった奴だな」

 言葉こそきついものの、彼の口調は柔らかかった。

「ダイ、ところでちょっと伝言を頼みたいんだが、引き受けてくれるか?」

「うん、いいよ! なに?」

「オレも今日、ジャンクの家に招かれていたが……、悪いが、来客の予定を思い出した。すまないが、オレの分の夕食はいらないと伝えてくれないか?」

 ちょっと長めの伝言を、ダイはぶつぶつと口の中で復唱してからこっくりと頷いた。

「うん、分かったよ。行こう、ヒュンケル」

 誘われるまでもなく、すでに立ち上がっていたヒュンケルだったが、ロン・ベルクに引き止められる。

「おっと、おまえさんには別な用事がある。ちょっと、手を貸してくれないか」

 少し間をおいてから、ヒュンケルは無言で頷く。
 が、ダイは迷いすらしなかった。

「ふーん。じゃ、おれ、先に行ってるね」

 屈託なく駆け去っていくダイは、振り向きさえしなかった。それを見送りながら、ロン・ベルクは低い声で、独り言のように呟いた。

「あの竜の騎士の子は……まだ人間に迫害された経験はないのか?」

「いいや」

 短く、ヒュンケルは首を振った。
 人間は、人間以外の物を恐れる。
 それは当然の感情であり、理性では消しがたい本能だ。

 子供の姿でありながら魔物以上の力を発揮するダイを、一般の人間が恐れるのも当然だろう。
 自分が人間ではないと知ったのとほぼ同時に、ダイは人間達から嫌われる辛さを味わったはずだ。

 ……その苦悩も、歯がゆさも、ヒュンケルには理解できない感情ではない。魔物に育てられ、人間からかけ離れてしまった存在という意味では、ヒュンケルもダイと同類なのだから。

 人間ではない者として恐れられ、蔑まれる苦悩は共感できる。
 だが、ヒュンケルとダイでは、決定的に違う点があった。

「だが、迫害を受けた時……あいつには、そんな人間ばかりじゃないと教えてくれた奴がいただけだ」

 友達が魔物でも構わないと言い切った魔法使いの少年は、口先だけでなくその行動で自分の意思を示してみせた。
 ポップの存在が、ダイを救ったのだ。

「それが――ジャンクの息子ってわけか」

 しみじみと呟き、ロン・ベルクはふらりと自分の家の中に戻った。そして、さして間も置かず、二つの荷物を手に現れる。

「おまえさん、パプニカのお姫様に伝言を頼まれてはくれないか? 一つ、彼女にねだりたいことができたんでな」

 荷物の一つは、キメラの翼。
 人工的に作り出された複合怪物であるキメラは、移動に長けた種族でもある。そのせいか、雷に打たれて死んだキメラの翼には、瞬間移動呪文の魔力が籠もっている。

 さすがに本職の魔法使いのように、自由自在にどこにでも行けるわけではないが、使用者の本拠地に一瞬で戻れるぐらいの魔力はある。
 ヒュンケルのように、呪文を全く使えない戦士にとっては貴重な魔法道具だ。

 そして、メインの荷物は手紙だった。
 立派な羊皮紙とは裏腹に、封もせずに雑に折り畳まれただけの手紙を、ロン・ベルクはそのままヒュンケルに手渡す。

「あいにく帰りの分のキメラの翼はないが、問題は無いはずだ。パプニカの姫がこの願いを聞き届けてくれるなら、な」

 その羊皮紙には、ヒュンケルは見覚えがあった。
 ダイとヒュンケルがロン・ベルクの元を訪れる際、レオナ姫の手紙と一緒にことづかったものに違いない。

 勇者一行を後援する者の責任として、レオナはロン・ベルクへの助力の依頼する手紙を書き綴った。助力への礼として、どのような返礼にも応じる用意があると言い、彼の望みを聞き届けるためにわざわざ返信用の羊皮紙まで同封した。

 だが、この俗世と縁を切った変わり者の魔族は、礼など無用とあっさりとその特権を投げ出したはずだったが――どういう心境の変化だろう?

 ふと、興味がわいたが、他人の手紙を勝手に覗き見る趣味などヒュンケルにはない。彼はそれをそのまま、懐にしまい込んだ。

「分かった。確かに引き受けた」








 

 パプニカ王女レオナは、真剣な面持ちでロン・ベルクの手紙を読んでいた。
 よほどの難問にでも接するように眉を寄せ、二度、三度と読み返した揚げ句、姫の可憐な唇からは溜め息混じりの呟きがこぼれ落ちる。

「……厄介ね。金銀財宝や、まだしも美女でも所望された方が楽だったわ」

 見た目の可愛さとは裏腹に、レオナは極めて率直な口の利き方をする少女でもある。
 王女という立場上、人前では毅然とした態度を崩さないが、ごく親しい人間の前では彼女はいつでも少しばかりおてんばで、気さくな女の子だ。

「そんなに、大層な要求なのか?」

 ヒュンケルの疑問に、レオナはピラリと手紙を彼の眼前に翻してみせた。

「見てご覧なさいよ。アバンの使徒の長兄としてのあなたの意見も聞きたいわ。あなたなら、この要求を受け入れられる?」

 手紙に書き込まれた字を目で追い――ヒュンケルは苦笑混じりに首を左右に振った。

「……無理な相談だな」

「……でしょうねー。ああ、もう、どうしてこう、問題って次から次に発生するのかしら? 全く、頭が痛いわ」

 ぼやきながら、レオナは座っていた机の上をうんざりとした目で眺める。
 そこにあるのは、文字通り山と積まれた書類の数々だ。大魔王との決戦に備えて、計画発起人であるレオナにはやるべきことが山程ある。

 戦いの準備は言うに及ばず、協力し合う国々との連絡を密に入れ、万が一敗北した場合に備えて、あらゆる手を打って置く義務がある。最悪の場合、レオナ自身も戻ってはこられないかもしれないのだから。

 戦いの場に参戦する前の数日間を、ダイ達は少しでも自分達の力を底上げするための特訓に当てているが、レオナにはそんな余裕さえ無い。
 残務処理を行い、戦いの結果がどう転ぼうとも残された者が立ち行けるよう、今後の方針を幾つか示しておくだけで手一杯だ。

 ダイの剣を無償で作ってくれたロン・ベルクには感謝をしているし、その恩恵は承知している。
 だが、正直、ロン・ベルクへの謝礼は何を置いても優先したいと思うものではない。

「ましてや、この要求じゃねえ。黄金や魔法道具でも求められたのなら、この城に残っている物なら全部差し出したのに」

 ボヤきながらも、頭の回転のいい彼女は素早く条件を検討し、代案を考え出したらしい。真新しい羊皮紙を取り出して、忙しくペンを走らせだした。

「ヒュンケル、疲れているところを悪いとは思うんだけど、もう一カ所、伝言をお願いしてもいいかしら?」

                                    《続く》
 
 

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