『ホーム 5』

 

 ――月明かりが皓々と照らす中、ジャンクはゆったりと歩いていた。
 急ぐつもりはなかった。
 森の中の夜道とはいえ、月が明るい上に歩き慣れた道だ。

 揺れのせいか、それとも単に酒が覚めたのか、ポップが小さくむにゃむにゃと呟き、目を覚ました。
 が、起き抜けで状況が分かっていないのか、伸びをしようとするから危なくってしょうがない。

「こら、ポップ、暴れるな。落としちまうだろうが!」

「あ? えー、あ? 親父ぃ? え? なんで、おんぶなんか?」

 ねぼけたようなあやふやな声で言いながら、ポップは頭を押さえて呻く。

「……いてー、なんか頭いてえや」

「そりゃ、自業自得ってもんだろ。ガキの癖に酒なんか飲むからだ、この酔っ払いが」

「えー、おれ、酔ってなんかないよぉー」

 ポップ自身はそういうものの、普段よりも一段高くなった声や、酔っ払い特有の返事は、明らかに酔いが残っている証拠だ。

 実際、もしポップが正気だったら、この年齢で父親におぶわれている状況におとなしく従うはずがない。とっくの昔に、自分で歩けると飛び下りているだろう。

「ったく、家につくまでに酔いを覚ましておけよ、でないと母さんが心配するからな」

「母さん……? 心配……?」

 鸚鵡返しの声音は、寝ぼけているように覇気がなかった。

「おれがいなくなって……母さん、心配してた?」

「……当たり前だろうが、この馬鹿息子が。いきなり家出なんかしやがって、よく言うぜ」

「――ごめん……。おれ、悪かったって思ってるよ」

 いつになく素直に謝るポップに、ジャンクは驚きを隠せない。この意地っ張りなドラ息子は、たとえ本心から自分が悪いと思っても素直に謝るような素直なガキじゃない。

 思わず立ち止まったジャンクの背に、ぎゅっとしがみつく手の感触があった。

 小さな子供の手――とは、もう言えないだろう。
 だが、大人の物というにはまだまだ頼りなく小さすぎる手が、ジャンクの背中を強く掴む。

「ごめん……ごめんよ」

 声がかすかに震えているのは、気のせいだろうか。

「きっと……きっと、これからもっと、心配かけちまうけど……でも、おれは――いかなきゃ……」

 弱々しかった声音に、不意に決然とした響きが満ちる。

「おれ……帰らなきゃ……」

 言って、ポップはジャンクの背から降りた。
 多少、足元が心許無い感じは残るものの、自分の足で立ったポップは、とことこと歩き出す。

 2、3度あくびを繰り返し、ポップは何度か首を振って酔いを追い払おうとする。

 自分で自分のほっぺたをパンパンと叩き、ポップはなんとか酔いを振り払ったようだった。まだ多少のふらつきは残っているものの、持ち前のしゃっきりとした口調で、ポップは明るく手を振った。

「皆、待っているし――おれ、もう帰るよ。今度、また、時間ができたら家によるから……じゃ!」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ポップの姿は一瞬にして空高くへと飛び上がった。
 止める隙もない程素早く、それこそ瞬く合間に。

「ポッ……!?」

 呼び掛けた声を、最後まで言う暇すらなかった。
 しばらく呆然としてから……ジャンクは、思ったよりも家のすぐ近くまで帰ってきている事実に気がついた。

 家まで、後、ほんの数十歩。
 だが、それを待たずにポップは去ってしまった。

「……ったく、あのガキときたら……」

 ぼやくついでに頭を掻き、ジャンクは一人、足を速めて家路を辿る。
 と、家の扉の前に人影が見えた。

「……あなた? 遅かったのね」

「スティーヌか」

 愛妻の出迎えに、ジャンクの相好が少しばかり緩む。

「客人はどうした?」

「ダイさん達なら、もうお食事も済んで、眠ったわ。それより……あなた、どうかしたの? ロン・ベルクさんの家で何かあったの?」

 心配そうな口調なのは、どことなくジャンクの様子が普段と違うと察しているからだろう。

「……ロンの家で、ポップに会ったよ」

「本当……!? それで、ポップは今、どこに?」

 心配してやまない息子の名を聞いて、妻の顔に驚き、喜び、心配などの表情が目まぐるしく移り変わる様を見ながら、ジャンクは素っ気なく真実だけを告げた。

「あいつなら……帰ってこねえよ」

「…………」

 たった今、輝いていたスティーヌの瞳が悲しみに沈む。

「また、いっちまったんだ。皆の所に『帰る』って言いやがった」

 ポップ自身は、無意識だっただろう。だが、意識しないままの使い分けは、ポップの現状を余すことなく現していた。

 ポップにとって、今、帰る場所は勇者一行の仲間の元なのだろう。
 生まれ育った家とはいえ、ポップにとっては実家はすでに、帰るべき場所ではなく、たまによる場所になってしまっている。

 それを、悪いとは言うまい。
 だが――どうにも、寂しいものではあった。

「なぁ、スティーヌ……。二階の部屋の寝台、もう捨てちまおうか」

「え……」

 戸惑いと、不安がスティーヌの顔をよぎる。
 もう、持ち主のいない部屋なら、いつ片付けてもよかった。
 だが、その部屋をずっとそのままにしてきたのは、いつ我が子が帰ってきてもいいようにと、密かな願いをかけての母心ゆえだ。

 ポップがいた時のまま保存し、こまめに掃除を続ける妻の気持ちを慮ったのか、ジャンクは今まで一度も、それをやめろと言ったことはなかった。
 それを突然覆されては、スティーヌが戸惑うのも無理もない。

「あなた――」

 不満と不安が内在した彼女の声を、無神経な程に明るい胴間声が遮った。

「そうだ、それがいいな。あの寝台じゃ……、もうポップにゃちと小さいだろう。あれでも、少しは背が伸びたみたいだからな。一回り大きい物に作り変えてやるとするか」

「……あなた……」

 再び、夫を呼ぶ彼女の声音には、今度は安堵と喜びの籠もった物だった。

「そうね、布団も新しくしましょう。色は……あの子が好きな、緑色がいいかしらね」

 子供が自分の手元を巣立っていってしまっても……、家にはもう帰らないと承知したとしても、それでもなお、決して忘れられないのが親というものだ。

 子供が好き勝手なことをしていようとも、それでも、もし……もしも、子供が帰りたいと望んだ時に、戻ってこられる場所を用意してやらずにはいられない。

 ジャンクやスティーヌにとっては、ポップはいまだに勇者一行の魔法使いなどではなく、自分達の子にすぎないのだから――。








 

 ランカークス村の、唯一の武器屋の二階には、誰も使っていない部屋がある。
 こざっぱりと片付けられた部屋は、今は少しも埃くさくはない。
 新品に変えられたばかりの寝台が、心地好い木の香りを放っているからだ。

 以前の物よりも一回り大きな寝台は、いかにも手作り感が溢れる無骨なデザインだが、寝心地はよさそうだ。

 丹念な手縫いが施された掛け布団もまた、新品だ。
 色鮮やかな緑色が、部屋をパッと明るく見せていた。
 誰も使わないままの部屋は、部屋の主が戻ってくるのを、静かに待ち続けている――。                                    END 


                                     END


《後書き》
 こりは原作で言えば160話『つかめ!!最強の力』と161話『決戦の地へ…!!』の合間に当たるストーリー。
 ロン・ベルクやポップの両親……原作ではあまり活躍しないどころか、ポップの両親なんかは完全に脇役なのだけど、なぜだか昔から気にいっていて、彼らが登場する話を書きたいとずっと思ってました。今回、やっと書き上げられて満足っす?
 
 

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