『ホーム 4』

 

「おや、珍しくノックが聞こえるから誰かと思えば……ジャンクの息子か、何の用だ?」

 皮肉めいた笑いを浮かべながらも、ロン・ベルクは突然のポップの訪問を歓迎しているようだった。

「パプニカの姫さんから、あんたに手紙を届けてくれって頼まれたんだよ。はい、これ」

 そう言いながら、ポップは無造作に腰の後ろのベルトに挟んでいた筒状の書簡を取り出す。

 その持ち方も渡し方も、立派な書簡には相応しくないものだったが、ロン・ベルクはそれに異議を唱えなかった。
 同じように無造作に受け取り、乱暴に封を切って中を確かめる。ざっと目を通し、ロン・ベルクは苦笑いじみた表情を浮かべる。

「じゃ、用はもうすんだから、おれ、帰るよ」

「まあ、待て。そう急くこともないだろう。姫からの手紙を最後まで読み終わるまで、付き合ってもらおうか」

 引き止められて、ポップは迷惑そうに顔をしかめる。
 実際、家出少年にしてみれば、親の友人宅など進んで上がりたい場所ではない。だが、返事がいるような手紙だとしたら、それを運ぶのも使者の役目の一つだ。

「入りな」

 ロン・ベルク、くいっと手で奥を指す。しぶしぶながらそれに素直に従ったポップだったが、たった一部屋しかないその家に入った途端、目を剥いてとびずさった。

「おっ、親父ぃっ!? なんでこんなとこにいるんだよっ!?」

 驚きの余り、もう少しで瞬間移動呪文で逃げ出すところだったが……ジャンクはポップのその声にも反応しなかった。

 テーブルにずでんと突っ伏し、だらしなくいびきをかいているその様子といい、側に酒瓶が転がっている有様といい、どうやら酔って熟睡しているらしい。

「ああ、こいつならついさっき、上手い酒があるからと持参してきてくれたはいいが、酒がすぎて酔い潰れたところだ」

 その言葉を証明するように、ジャンクはポップが恐る恐る側に近寄っても、全然目を覚まそうとしない。絶え間なく聞こえるいびきに、ポップはかえってホッとさえした。

「……ったく、親父の奴、しょーがねえなあ……」

 それでも口先だけはボヤくポップに、ロン・ベルクは淡々と言った。

「まあ、ジャンクの心配はいらん。酔いが覚める頃、オレが起こしておいてやる。おまえも、遠慮なくその辺に腰掛けな」

 と、言われても、さすがに父親のすぐ近くに座る気にはならず、できるだけ離れた場所を選ぶ。そのせいか、ロン・ベルクの近くに座る羽目になったが、彼は気にした様子は見せなかった。

 手紙を見ながら、無意識のように酒瓶に手を伸ばし、ぐびりぐびりと飲んでいる。そのついでに、珍しい物を見るようにジロジロとポップを見た。

「――どちらかというと、おまえは母親似なんだな。目元なんか、そっくりだ」

 そんなどうでもいい話をしながら、ロン・ベルクは上機嫌に酒を傾けているが、ジロジロ見られているポップはどことなく落ち着かない。

「こいつはとびっきりのいい酒でな。どうだ、おまえさんもやるか?」

「いや、おれはまだ……」

「15なら、そろそろ酒を飲んでもいい年頃だろう。ジャンクもそれくらいから飲み出したと言っていたぞ」

「どうして、おれの年を……?」

 聞きかけて、ポップはジャンクの方に目をやった。

「そうだ、ジャンクから聞いたんだ。ジャンクもスティーヌさんも、よくおまえさんの話をしていたからな」

 ロン・ベルクは新しい酒瓶を開け、意外なくらい器用な手つきで水割りを作った。氷系呪文を使い、氷と水を多めにいれた薄い水割りをポップの前に差し出す。

 カランコロンと軽快な音を立てる酒入りのコップを、ポップは持て余すように見ていたが、倫理観より好奇心の方が勝ったらしい。
 ちょびちょびと、少しずつ飲みだした。

(……なんか苦いし、あんま美味くないな)

 期待外れの味にがっかりしながらも、ポップは気になることを聞いてみる。

「あのさ……親父達、どんな風に話していたかな?」

「気になるか?」

「べ、別に! どうせ親父のこったから、おれの悪口でも言ってたんだろ?」

「ほう、よく分かるな。さすが親子だ、その通りさ。お調子者で、飽きっぽくて、臆病でどうしようもない根性なしの息子だとよく言っていたよ」

 身内ならではの情け容赦ないけなし文句に、ポップは顔をしかめる。

(……このくそ親父めっ!)

「アバンと言う流れの旅人にどうしてもついていくと言い張り、家出同然に飛び出してそれっきり帰ってこないバカ息子だ、万一帰ってきやがっても家になんか絶対に入れてやらねえ――飲む度に、ジャンクはそう言っていたよ」

 ポップには耳の痛い話だが、ロン・ベルクは構わずに続ける。

「村人やスティーヌさんの話も聞きたいか?」

「いいよ。どーせ、そっちもロクな話じゃないんだろ?」

 憮然としたポップに、ロン・ベルクは苦笑しながら続ける。

「武器屋の息子は旅に出ていったっきり、帰ってこない。果たして、無事なのか。最近、怪物が増えたようだし、もしや――」

 その意見はポップにとっては意外なものだった。
 だが……考えれば、当然の発想だ。
 見知らぬ男に誘われても、危険だからついていってはいけない。子供ならば必ず聞かされるこの注意は、多くの場合において真実だ。

 自ら志願してまで見知らぬ旅人についていっただけでも心配するだろうに、怪物の増加、凶暴化を目の当たりにして、心配が加速度的に強まるのは当たり前だ。
 ポップは一瞬、目を見張り……そして、俯いた。

「……母さん……心配していたのかな?」

 それは、疑問ですらない。
 母親の心配症を、実の息子が知らないはずはない。それだけに、いたたまれなさが先に立つ。

「まぁな」

 頷き、ロン・ベルクはまた酒を一口あおった。

「しかし、ジャンクはその度にむきになってこう言ってたよ。『あのガキは根性なしの癖に逃げ足だけは早いから、怪物にやられるはずはない。あんな根性なしは、その内馬鹿面さげてノコノコ帰ってくるに決まっている』ってな」

「親父が?」

 ぽかんと、ポップは目ばかりか口もぱっくりと開ける。
 意外、なんてものじゃない。
 正直、考えもしなかった。

 昔気質の頑固親父であるジャンクは、ポップにしてみれば顔を見る度にすぐに怒鳴るわ鉄拳を振るうばかりの、ただひたすら怖い存在だった。叱られてばかりで、ろくすっぽ褒められた覚えなんて、ない。
 その父親が悪口半分とはいえ、自分を認めるような台詞を言うとは。

 驚いて、ポップはしばしジャンクを見つめていた。
 そんな魔法使いの少年を見ていたロン・ベルクは、静かな口調で切り込んだ。

「ポップ。オレが言うべきではないのかもしれんが……村にとどまる気はないのか?」

「…………!」

 虚を突かれ、ポップは息を飲む。
 言葉による不意打ちは、実際の刃物以上に衝撃的だった。

「子供は親の元にいた方がいい。子供にとっても、親にとっても、な」

 静かな口調は、優しいとは言えないものかもしれない。だが、魔族とも思えない穏やかさと確信に満ちていた。

 それが、ポップの迷いを揺さぶらなかったと言えば嘘になる。
 戸惑い、二度ほど、口を開きかけ――ポップは強く、首を横に振った。目眩を起こすのではないかと思えるほど、強く。

「……おれは……村に帰るわけにはいかないよ」

 やっとのように押し出される、重い口振り。
 だが、魔族であるロン・ベルクを前にして、ポップは少しも憶さなかった。
 普通の人間ならば他人に、ましてや魔族に自分の本音など打ち明けるのはためらうだろうに、ポップにはそんな躊躇などなかった。

「この前話した通り……ダイは実の親父さんと……竜騎将バランと戦った。そう仕向けたのは、おれなんだ。記憶を失ったダイが、迷いもせずに父親についていこうとしたのを、無理に引き止めたのはおれなんだよ!」

 強い口調が、勝手にこぼれ落ちるように迸る。興奮の余り、半ば中腰に立ち上がりかけた事実を、ポップは自覚していなかった。

 簡単にではあったが、それはすでに一度話した説明だ。生き別れになった親子の、どうしても譲れない信念の違いによる激しい対立。
 戦いのきっかけは、それだった。

 それは、ポップの責任とは言えないだろう。
 だが、どこまでもバランに逆らい、ダイを引き止めようとしたポップの意思が、戦いを激化させたのには違いはない。

 それを、悔いる気はない。
 ポップは同じ事件が起きたのなら、今でも、ポップは同じ行動を取るだろう。だが――ダイとバランの親子の対立に、無関心でなどいられない。

「それなのに……! おれ一人がぬくぬくと親元になんて帰れるもんかよ! おれはダイと一緒に、魔王軍を倒すってアバン先生に誓ったんだ! ダイとも、みんなとも、ずっと一緒にやってきたんだ、今さら村になんか……きゃえれない――あれ?」

 後半、呂律が回らなくなり足元がふらついたポップを、ロン・ベルクは慣れたしぐさで軽く受け止め、再び椅子に座らせる。
 もっとも、ポップは椅子に真っ直ぐ座ることもできずに、べしゃりとテーブルに突っ伏してしまった。

「アバン先生の……仇……討つんだ……魔……王ぐん……あ……きゃめる――もん……か……」

 よく聞き取れない呟きを漏らしながら、ポップはそのまま寝入りこむ。つついても、揺さぶっても、起きやしない。

「やれやれ、こんな薄い水割り一杯で沈没とは、まだまだ酒を飲ませるにゃ早かったかな? ――なあ、ジャンク」

 からかいを含んだその声に、机の端に突っ伏していたジャンクがむっくりと起き上がる。ポップが酔いつぶれるのと入れ違いに起き上がった父親は、少しも酔っている風には見えなかった。
 持ち前の三白眼で、ギロリとロン・ベルクを睨みつける。

「……ふん。そんなの一目で分かっていただろうに、こんなガキに酒を進めといてから何を言ってやがる」

「ならば、おまえが止めてやればよかっただろう。どうせ、狸寝入りだったんだからな」

 不機嫌な顔で沈黙したジャンクは、今度はポップのすぐ側にどかっと座り、彼に対して文句をつけだした。

「……このクソガキめ。生意気な台詞を言いやがって」

 そんな憎まれ口を叩きながら、ジャンクはごつい手で、不器用にポップの頭を撫でていた。

「ジャンク、嘘をついたな」

「何がだ?」

「息子のことだよ。不出来な不肖の息子どころか、話とは大違いの勇気のある立派な息子さんじゃないな。こりゃあ、トンビが鷹を生んだかな?」

「ほざけ」

 威嚇するように、ジャンクは歯をむきだした。一見怖く見えるが、それは彼にとっては上機嫌の笑顔に等しい。
 その顔のまま、ジャンクはポップの頭を再びこづいた。

「まったく、この親不孝者め」

 どう扱われようとも、眠ってしまったポップはまったく起きる気配がない。

「完全に眠っちまったか……。へっ、寝顔はちっとも変わっちゃいねえな」

 寝顔でみるとやけに子供っぽく、家出する前とほとんど変わっていないように見える。
 いや、もっと昔……まだ、ほんの4、5歳のまるっきりの子供の頃を思い出させる。

 臆病なくせに妙に気が強く、無茶な真似をしでかす子供だった。
 だいたいにおいて、ポップはアンバランスさが目立つ子だった。

 頭がよく、大人も舌を巻くほどの小難しい理屈をこねたりするくせに、子供特有の無鉄砲さに溢れ、感情に振り回されてちっとも理性的に行動できやしない子だ。

 人間はいつか、必ず死ぬ。
 『死』とはいったい、何なのか……幼さに関わらずそんな哲学じみたことを考えながらも、死ぬのが怖いと、夜中に突然泣きだしたこともあった。
 あれは、ほんの数年前のようにさえ思えるのに――。

「……本当に、子供って奴はすぐに大きくなりやがる。親の手から離れて、自分の道を歩き出して――そして、いつか親を越えていくんだろうな」

「……それが、人間ってものか」

 ロン・ベルクは自分の言った言葉を噛み締めるように、深く頷いた。

「人間の親子関係の絆は、他種族とは比べ物にならないほど強いと聞いたがあるが……息子が離れていくのが寂しくはないのか?」

 ジャンクはにやっと顔を崩して、破顔する。

「そりゃあ、あれだな。寂しくないっていや……嘘になるがな。だが、子供の成長を見るのが親の楽しみなんだよ。自分らの都合で子供の成長を妨げるようなら、そいつには親の資格なんかないのさ」

 そういいながらジャンクは、眠ったままのポップをひょいと抱き上げ、そのまま器用におぶった。

「……前とたいして、変わんねえか。へっ、背丈だけはちったぁ伸びたが、さして育っちゃいねえみたいだな」

 おぶった子供の重みを確かめるように、ジャンクは二、三度、ポップをゆすりあげ、ロン・ベルクに軽く挨拶する。

「じゃ、ロン。オレはこいつと一緒にけぇるわ。邪魔したな」

「ああ。重くはないか? 手を貸してもいいぞ」

 その気になれば、ロン・ベルクは瞬間移動呪文が使える。しかし、ジャンクは首を左右に振った。

「なぁに、軽いもんさ。それに、こいつをおぶえるのは今の内だけだ。……親らしいことをしてやれる内に、しておくさ」

 首を捻って背中のポップを見ながら、ジャンクは上機嫌に言った。

「しかし、今でも信じられねえぜ。このガキが勇者様一行の魔法使いとはねえ。気が強いくせに臆病で、口ばっかり達者だったお調子者のこいつが……。信じられるか、勇者様がこいつを一番頼れる仲間だと言ったんだぜ」

 冗談めかしたジャンクの言葉に、ロン・ベルクは真面目に頷いた。

「――ああ、信じられるね」

 ロン・ベルクは軽くポップの頭に手を触れながら、あくまでも真面目に答える。

「世界各国の王族の危機に、一瞬で最善の対応策を考え、時を移さず実行した行動力といい、瞬間移動呪文で世界中を飛び回る魔法力といい……。間違いなくおまえの息子は、勇者が全幅の信頼を置くに足る力量を持つ魔法使いだよ」

 しみじみと感心して呟くロン・ベルクに、ジャンクはなおも虚勢を張る。

「はん、武器屋の息子が魔法使いになるなんざ、身の程知らずもいいところだぜ」

 焦ったような早口に、くるりと背を向けるその素振りを、ロン・ベルクは見逃さなかった。
 全てを見通したかのような微笑みを浮かべたロン・ベルクは、出ていこうとするジャンクに声をかける。

「――ポップは見た目は母親似だが、性格はおまえに似ているな」

「……オレはそうは思わんがね」

 ジャンクはひょいっと肩を竦めると、ポップを軽く揺すり上げてロン・ベルクの家を出ていった。








 そのごつい背中を見送りながら、ロン・ベルクは手にした手紙にもう一度目を落とす。
 レオナ姫からの直々の親書には、丁寧な謝罪文が綴られていた。

(どうせ無駄だとは、思ったんだがな……)

 ロン・ベルクの願いは、たった一つだった。
 ジャンクの息子を家に帰してやる訳にはいかないのかと、駄目で元々と思い頼んでみた。

 しかし、正直叶わない願いだろうとは思っていた。
 案の定、レオナはそれを拒否した。

『勇者の剣を鍛えてくださった貴方様は救国の恩人であり、望むだけの宝を報償として進呈しようと思っておりました。
 しかし、大変心苦しいのですが、あなたの要求は飲むわけにはいきません。

 ポップ君を抜きにしては、勇者一行の勝利は有り得ません。彼は、決して欠かせない戦力であり、大切な仲間なのですから……』

 生真面目でいて、どことなく若い女性らしさの漂う文体には、若きパプニカ国主の誠意が感じられる。

『ですが……せめて一晩でも、家族と過ごせるように――彼に伝えてください』

 それを最後に締めくくられていた手紙は、勇者一行の統率者としてはぎりぎりの好意というものだろう。
 無理な願いだと単に跳ねのけることも、無視することもできたはずなのに、わざわざ機会を与えてくれた誠意は有り難い。

 だが――ロン・ベルクはポップへ伝言を伝えるのが最善の策とは思わなかった。

(なんせ、あのジャンクの息子だからなぁ)

 人一倍頑固で、意地っ張りなジャンクは、他人の言葉に素直に従うような人間ではない。
 むしろ、反発してすべてを台無しにしかねないところがある。

 だからこそ、ロン・ベルクは多少の策を弄した。
 来客があるなどと、有り得もしない嘘でジャンクの招待を断ったのもその一つだ。

 村人はロン・ベルクを恐れているのか決して近寄らないのに、いったいどんな客が来るのかと、好奇心の強いジャンクが来るかどうかが、まず賭けだった。

 ポップがここに来る可能性は、さらに低かっただろう。まあ、ポップを直接説得して家に帰らせる可能性は、正直言えば成功は有り得ないとは思っていたが。

 しかし、どうやらこの賭けは――そこそこは成功したらしい。
 ともあれ、あの似たもの頑固親子は再会を果たしたのだから。

(後は本人達にまかせるとするか……)

 月を見上げ、ロン・ベルクは乾杯するように酒瓶を高く掲げてみせた――。


                                    《続く》  
 
 

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