『秘めておくべきこと ー後半ー』 |
「うんっ、分かったよ! これからすぐ、その洞窟に行けばいいんだね」 ついさっき、ダイは無邪気な笑顔でそう言ったばかりだ。 「ええ、お願いするわ。急な話で悪いけれど、被害が起こる前に調査を済ませたいの。じゃあ、支度をしてすぐに城門に行ってくれる? もう、馬車は用意してあるから」 単純なダイはレオナの早急な依頼に特に不信を持つ様子もなく、あっさり承諾した。 (ポップ君って、いつもそうね) 少しばかり悔しさも感じるが、それは認めざるを得ない。 それは仕事というよりは、自分の居場所を再認識させてくれるものだろう。 それを払拭するためにも、ダイの力が人々のために役に立つのだと、本人にも周囲にも知らしめる機会は必要なのだろう。決して彼は恐れるべき存在ではなく、自分達を庇護してくれる存在なのだと、誰もが納得してくれるように。 そして、ダイ自身が、自分が人間達とともにいてもいいのだと納得できるようになるように。 「じゃあ、おれ、急いで支度してくるねっ」 そう言ってレオナの執務室を飛び出していってから、まだ30分と経っていない。 表情の全く消えた顔の中で、目だけが冷たい光を放っている。
自分でも驚く程頼りない声が、震えているのにまた驚かされる。 ダイが何者でも構わない。 ダイが人間でもなかったとしても、自分達の仲間だと言い切ったポップと同様に、レオナだってそう思っている。 (ここにポップ君がいてくれれば……!) 思わずそう思ってしまった時、レオナの目にようやく『それ』が飛び込んできた。 「え……っ」 レオナの位置からは、ちょうどダイの身体に半ば以上隠れてしまうため、目立たなかった人影が。 トレードマークのように緑色の服を着た少年が、力なく倒れていた。 ――倒れて、ぴくりとも動かない魔法使いの少年の身体を、しっかりと抱きしめて離さない小さな勇者。 一瞬、三年前の魔王軍との戦いの場に引き戻されたかのように錯覚に、レオナは目眩すら感じる。 ここはテランではない、パプニカ王宮の回廊だ。 「ポップ君……?! どうしたの?!」 それは、ダイに対しての呼びかけだったのか、それともポップに対してのものだったのか。 「……分かんない。ポップが、ここに、倒れていた……」 悄然とした口調だったが、それでもダイがやっと自分に反応してくれたことに、レオナはわずかに安堵する。 「嘘…っ、また倒れたの?!」 ポップの顔色は、さっきよりもずっと悪かった。 規則正しい心臓の鼓動を感じて幾分安心したが、レオナは気を緩めることなく最上級回復魔法をかけた。
ポップの側に寄りそうダイに、かける言葉など思いつかなかった。 まるで、ほんの一瞬でもポップから目を離せば、そのまま彼を失ってしまうとでも思っているかのように――。いつもの彼とは別人のように暗い表情で押し黙っているダイは、レオナのかける言葉にもほぼ上の空だった。 言葉が上滑りするような空しさに、レオナはダイとポップの強い絆を思い知らされると同時に、自分の無力さを感じずにはいられない。 (あの時と、同じだわ……) 魔王軍との戦いの最中の、バランとの戦い。 あの時、ダイを引き止める手段など、レオナにはなかった。 必死で死者蘇生魔法を唱え、それでも力及ばなかったあの時の苦々しさはいまだに胸に残っている。 倒れ伏したポップに、何もできなかった。 「失礼します、姫様、ちょっと……」 エイミの耳打ちを受け、レオナは心を残しつつも席を外す。 「姫様……少し、お話があるのですが」 そう話しかけられた段階で、嫌な予感を感じた。 「実は、ポップ殿のことで是非、お耳に入れておきたいことがあるのです」 「……!」 不意に、記憶が蘇った。 当時、軽い風邪で寝込んでいた妃について、お話がある、と。 だが、――今なら分かる。 だが、今のレオナに耳障りな言葉から守ってくれる保護者などいない。国の最高責任者として、レオナは事実は事実として知り、それに対して判断を下す義務がある。 「その話は、別室で聞きます。ここで話せるような話ではないのでしょう?」 否定してくれれば、どんなに気楽だっただろう。
「ポップ殿の容体なのですが……色々と不審な点があるのです」 厳重に人払いを済ませた部屋の中で、侍医は重々しく切り出した。 「まず、最初にお断りしておきますが、私の診断では今のポップ殿の体調はさほど悪いものとは思えません。過労気味なのは確かですが、とても吐血する程の重症とも思えません。にも関わらず彼は血を吐いた。これが、どういう意味を持つかお分かりですか?」 レオナは黙って首を横に振る。 基本的な知識はあるものの、それは簡単に習った程度のものであり、魔法の補助的な知識に過ぎない。 「では、姫はポップ殿が最近、頻繁にテランより薬草を取り寄せている事実をご存じですか?」 「え?」 それは、初耳だった。 薬草学において、世界で最も優れているのは疑いもなくテラン王国だろう。 パプニカでは入手が難しいような特殊な薬草でも、テランではなんなく手に入る。 「ポップ殿は個人で使うものだからと言って、何度となく自費で注文をしています。ちょっとした研究に使うだけだと言っていましたが……姫は、それをご存じでしたか?」 「いいえ……!」 不安が強まるのを感じながら、レオナは頭(かぶり)を振った。 彼なら侍医の力を借りずとも、自分で薬も調合できるはずだ。 第一、そんな時間の余裕など、ないはずだ。 なのに、レオナすら気づかない内にこっそりとそんな真似をしていたことが、ショックだった。 「いったい、ポップ君は何の薬草を手に入れているの?」 侍医が上げた薬草の名前の数々はひどく珍しいものであり、レオナには聞き覚えのないものだった。 だが、その種類の多さだけでも目眩を感じる。 「これらの薬草は主に鎮痛効果が非常に高い薬の材料ばかりなのですが……正直、あまり感心できませんね。これらは、通常の医師ならばまず使わない劇薬の類いです」 「劇薬……ですって?」 「はい。確かに痛みを抑えはしますが、効き目が強すぎて肉体にかかる負担が少なからず出てしまうのです。使用する分量を間違えれば逆に命を縮めかねない程の劇薬なのですから。それに適量だったとしても、貧血に似た症状や、絶え間のない咳、喉の粘膜からの出血などの副作用は免れません」 その症状に、思い当たることがあった。 「他に……心臓の発作を抑える薬草も複数ありますが、こちらも劇薬なのに変わりはありません。これらの薬は、本来は……もう助からない患者の末期の苦しみを抑えるのに使われる薬なのですよ」 嫌な予感が、ゆっくりと浮上してくる。 「ポップ君が……その薬を、使用しているというの?」 誰にも打ち明けないままで。 「残念ながら、それは私には判断致しかねます。もし、薬を使用している場合、発作やその他の症状は抑えられてしまうので、通常の診断で判別はできなくなってしまいます。本人が自覚症状を全く口にしてくれない以上、痛みの有無を判別するのは非常に困難ですから」 できるだけ早い時期にことの真偽を確かめた方がいいと言う侍医の忠告を、レオナは愕然としたままで聞いていた――。
「ポップ〜ッ、ちゃんと聞いてる?!」 (あ……ダイ、君?) 予想を超えた衝撃的な話に、レオナは自分で思った以上のショックを受けていたらしい。 侍医との話が終わった後、無意識にふらふらと歩いていたのか、気がつくとレオナはポップの部屋の前までやってきていた。 だが、何をどうしていいかも分からないほどの動揺の中に耳に飛び込んできたのは、ダイの声だった。 珍しく怒っていると言うか、少し拗ねたような、どこかしら甘えを感じさせる声。 「ん? ああ、聞いてるって。で、次は何の字を聞きたいんだよ? 面会謝絶か?」 ちょっとふざけた調子で返す声は、ポップのものだ。 それはかつて、一度は失ってしまったものだ。 だからこそ、レオナはその大切さが痛い程よく分かる。 かつて、大魔王バーンは言った。 お前を倒して、地上を去る、と――。 レオナには止められなかった、ダイのその選択……それを止められるとしたら、ポップしかいまい。 ダイを人間の世界に引き止めたいのならば、ポップの存在は必要不可欠だ。 (ダイ君……ポップ君……) ほんの少しの間だけ、扉に寄り掛かって心を落ち着けてから、レオナはきちんと姿勢を正す。
「……ふうっ……」 部屋から出た途端、溜め息が漏れる。その際、つい零れ落ちそうになった涙を、レオナは慌てて拭った。 そんな暇など、レオナにはない。大切なものを引き止めるために、レオナがやらなければならないことはたくさんある。 (本当に分かってないんだから、ポップ君は) 他人のことに関しては敏感で、人の心を汲み取れるのに、自分に関してはとてつもなく鈍感で、分かっていない魔法使い。 だから平気で自分をないがしろにし、他人の心配ばかりをしてしまう。 ダイをなだめ、元気を取り戻させるだけでなく、物言いいたげなレオナに気付いて、ダイに席を外させてまで話を聞いてくれた。レオナの不安や怯えを、持ち前の調子のよい明るさできれいさっぱりと拭い、心を軽くしてくれた。 いつだって周囲を助けてくれる明るさを振りまく魔法使いを、今度はレオナが助ける番だ――。 「あっ、レオナ!!」 元気のいいダイの声に、レオナはそちらを向いた。 ついさっきまでの変化が嘘のように、ダイはいつものダイに戻っていた。
「ううん、いいのよ。謝るのはこっちだわ……ごめんなさいね、ダイ君」 そう答えて、レオナはその場を立ち去った。 (ごめんなさい、ダイ君……) さっき、自分はいつも通りに笑えただろうか? ダイは、勘はとてもいい。本能的とも言える鋭さで、他人の感情の変化を感じ取ってしまう。 だが、それでは駄目だ。
言うわけにはいかない。 (ごめんね、ポップ君) 心の中で、レオナはもう一度謝罪を繰り返す。 どうせ、正面きって聞いたところで、あの意地っ張り魔法使いが正直に言うはずも無い。 ポップを失いたくない、助かって欲しいと思う気持ちが強すぎるから――ポップの口から何を聞いたとしても、その真偽を冷静に見定めるなど不可能だろう。 それでは、駄目だ。 ポップを助けたいのなら、彼がどんなに隠そうとしていたとしても、真実を見つけ出ださなければならない。
「お願い、急いでね。これは、とても大切な手紙なの」 優しく言いながら、レオナは鳩の背を軽く撫でた。 気球を所持しているのはパプニカ王国一国だけであり、目立つことから先触れも必要のない通信手段として、昔から愛用されている。 その他に、ここ1年程の間ですっかり定着したのが、大魔道士ポップによる瞬間移動呪文での緊急連絡だ。 どこの国にも瞬時に飛べる上に、各国の王達と親交の厚いポップは、使者としては申し分ない存在だ。 だが、今日、レオナはその二つの連絡方法を選ばなかった。
現状を伝え、助力を頼むための手紙。 大魔王バーンに知力戦を挑んで打ち勝ったポップが、本気で隠そうとしているものを暴くにはレオナ一人では難しい。 迷惑と思われても、構わない。 多少、後で無理な外交で苦労することになったとしても、今は優先すべきものがあるのだから。 「さ、行って! 頼んだわよ」 空に向かって放たれた鳩は、矢のような勢いで飛び立った。 だが、それでさえまだ遅く感じてしまうのは、焦りが強いせいなのだろうか。 《後書き》
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