『気がついたこと ー前編ー』 |
「……!」 ヒュンケルの目が、驚きに見開かれる。もっともそれはごく微かなもので、普段の彼をよく見知った人間でなければ見抜けない程、わずかな変化だったが。 パプニカ城の一般通用門から、入場希望者の列の中に並んでいる男の姿を見たからだ。 正確に言うのならば、それは二人連れ。マントをすっぽりとかぶった旅人は、一人はかなり年配のようだった。 そして、もう一人は――。 (あの人ときたら、いつ迄経っても……!) 軽い苛立ちを覚えたが、それ以上に仕方がないなという諦めが同時に浮かぶ。 「隊長、どうかしましたか? 何か、問題でも?」 「いや、なんでもない」 側にいた兵士長が緊張の面持ちを見せるのを見て、ヒュンケルはその疑念を晴らしてやるために首を横に振った。 現城主のレオナの意向によって、パプニカ城は開かれた城として一般人の来訪を歓迎する方針を取っている。 城に出入りする人間の中に不審な者がいないかどうか、つぶさにチェックを行う必要があるため、正門以上に通用門の門番の負担は特に大きい。 任務の最中に気を逸らすなど門番としては失格だなと思いながら、ヒュンケルは『彼』から目を離さぬまま言った。 「急用を思い出しただけだ。悪いが後は頼む」 部下に一声かけ、予定よりも早めだが交替の手続きを取ると、ヒュンケルは『彼』の側へと近よった。 「……なんで、あなたがここにいるんですか?」 小声で問いながら、目の前の人物をねめつける。 昔の王様の肖像画のごとく、髪をカールさせた頓狂なヘアスタイルなのに、不思議としっくりと似合って見える。
人を食った軽い口調を聞いて、これが世間で噂に名高い大勇者であり、現在はカールの国王であるアバンだとは誰も思わないだろうなと、ヒュンケルは溜め息をつく。 「オレも、自分の身分も弁えずにこっそりと城内に入り込もうなどと企むような、姑息な師など持った覚えはありませんが」 なにせ、世界を救った英雄かつ国王様である。アバンがパプニカ王国を尋ねてくるともなれば、本来ならば歓迎のために城をあげての大騒動になるはずだ。 「おやおや、言うようになりましたね〜」 皮肉など気にも止めず上機嫌に笑うアバンだったが、その傍らにいる年老いた人物は苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔で文句をつけてくる。 「おい、アバン。いつまでくっちゃべっているつもりなんだ? ちったぁ年寄りを労りやがれ。こっちはいい加減年なんだ、知り合いに会えたんならとっとと用を済ませようぜ」
だが、一癖も二癖もあるこの二人に文句を言ったところで、徒労で終わるだけだとヒュンケルはすでに承知していた。 「了承しました。城内に案内しましょう」 近衛隊長であるヒュンケルが責任を取ると請け負ったため、アバンとマトリフはあっさりと城の中へと通された。 侍女に任せず、ヒュンケル自らが先導して城の奥深くへと案内していく。一般の民間人では入れない内殿へと案内し、人も疎らになってきた頃、アバンはふと真顔になって質問してきた。 「それで、ポップの具合はどうなんですか?」 その問いには、さっきまでの気安く話していた軽い世間話とは、全く違う響きが込められていた。 アバンやマトリフがそろって、しかもお忍びという形を取ってまで急に訪問するからにはそれなりの理由があるはずだと察していた。 「ポップなら姫の言いつけ通り、自室でおとなしく休んでいるようです」 淡々と事実だけを口にする。 「『ようだ』ってのは、なんだぁ? 面会謝絶にでもなってんのかよ?」 「いや、そうではありません。ただ、オレが見舞った時は二度目に倒れた直後で気絶していたし、その後もいつ行っても眠り込んでいるもので」 本当なら、せっかくポップを心配して駆け付けてきた師や老師に、もっと安堵させるようなことを言いたい。 そして、彼はこの上なく幸運のステータスの低い男でもある。 律義なヒュンケルは私的な用事のために、勤務時間を割こうとは思いもつかない。決まって、食事時間が終わった後の休憩時間を利用して見舞いに行く。 『ついさっきまでは起きてたんだよ?』 昼休みに尋ねた時、ポップの側に付き添っていたダイは申し訳なさそうに言った。 『ご飯も全部食べたし、ずいぶん元気になったんだ』 満腹になった安堵感もさることながら、食後に飲む薬の影響で眠くなりやすいのだけなのだが、回復魔法や治療に疎いヒュンケルやダイにそれが分かるわけがない。 別に顔色が悪いわけでもなく、すやすやと気持ち良さそうに眠っているのだから、それはそれでいいはずだ。
育ての親に等しいアバンには、特にそれがよく見える。それだけにヒュンケルの心配や不安を感じて、顔を曇らせた。 「やれやれ……たいしたことがなければいいんですけどねえ」
ポップの部屋から聞こえてきたのは、思いのほか元気のいい声だった。 「だから、違うって、ダイ! 右じゃなくって、左だっ! そう、その棚の本は全部、しばらくの間、隠せっつってんだよ!!」 「隠せって、どこに?」 「どこでもいいよ、見つからなきゃ。えーと、ベッドの下辺りでいいや、この際」 「あー、ポップは寝てなきゃダメだろ? おれがやるから、じっとしててよ」 「って、んなに乱暴に押し込むなよっ?! それ、どんだけ貴重な本だと思ってんだっ?!」
それでも、ダイはいち早く三人に気がついてあたふたとするが、ポップの方はマトリフに話しかけられるまで全く気がつかなかった。 「――ナニやってやがるんだ、てめえは?」 「いっ?!」 驚いたせいで、ベッドの下に半ば潜り込んでいたポップは、うっかりと立ち上がりかけたらしい。 「おやおや、大丈夫ですか、ポップ。今、結構大きな音がしましたけど」 「せ、先生?! それに師匠まで……っ?! な、なんでこんなに早くっ?!」 まだベッドの下に潜ったままでも、声で誰か来たのか悟ったのかポップが焦った声を上げる。 「なんでじゃありませんよ、ポップ。病人がいったい何をやっているんですか? ほら、いい加減に出てきなさい」 促され、ポップは渋々と言った様子でベッドの下からはい出してくる。罰の悪そうな顔をしつつも、必死にベッドの下の本を隠そうとするのだが、それを見逃すマトリフではない。 「だいたいなんの本を隠してんだ、てめえは? 調子が悪い癖にエロ本でも読んでってえのかよ?」 言いながら、マトリフは無遠慮に手を伸ばし、一冊の本をつかみ取る。 「あーっ、し、師匠っ?!」 騒ぐポップを無視してその本をじっと見たかと思うと――マトリフはその本をぱたんと強く閉じ、仏頂面で宣言した。 「没収だ。んな本、ガキには十年早え! おい、若いの、悪いがこの本を残らず運びだして、どっかに捨ててきてくんな」 後半はヒュンケルに向かって言った言葉に、ポップがすっ頓狂な声の悲鳴を上げる。 「ええーーっ?! そりゃあいくらなんでも横暴だよっ、師匠! その本、いくらしたと思ってんだっ、集めるの苦労したんだぞっ?!」 「やかましい、こんな本は病人には刺激が強すぎるんだよ! だいたい、倒れた上に吐血騒ぎまで起こしておいて、なんだってじっとしてねえんだ、てめえはっ?! 病人はおとなしく安静にしてやがれっ」 と、言いつつ、マトリフはその年齢の老人とはとても思えない勢いでポップの頭をぶん殴る。 「痛てえよっ、病人になにすんだよっ?! 人を病人扱いするんなら、殴るなよーっ」 と、しごくもっともな反論をした後、ポップはむくれつつ文句を言う。 「それに吐血? そんなの、してないって! 誰だよ、そんなこと言ったの?」 「だって、ポップ、ホントに血を吐いたじゃないか!」 いつになく強い口調で言い返したのはダイだが、ポップの反論はさらにその上を行っていた。 「おまえかっ?! あれはちょっと喉の粘膜が切れただけで、ンな大袈裟なもんじゃねえんだよっ!! その証拠に内蔵の方には何の問題もないって、医者だって、おれだってちゃんと説明しただろうがっ」 「あ、あれ? そうだったっけ?」 正直、ダイは医者の説明など覚えていない。 いや、正確に言うのなら聞いてはいたのだが、理屈が頭に残らなかったというのが正しいだろう。
悪人顔負けの顔でそう言ってのける師匠を見て、ポップはげんなりとした表情を浮かべた――。
診察の邪魔だからとダイともどもポップの部屋から追い出されたヒュンケルは、大量の本の山を抱えてとりあえず自室へと向かった。 捨てろと言われたが、ヒュンケルも仮にも学者の家系生まれのアバンに師事した身である。本は大事にするものだと認識は、しっかりと刷り込まれている。 とりあえず、ほとぼりが覚めるまで自室に隠しておいて、後で処分を決めようと思った。 「ヒュンケル! 先生達がお見えになったって、本当なの?」 ポップの部屋に通じる回廊を見張る兵士達と話していたレオナは、階段を下りてきたヒュンケルを見るなりそう声をかけてきた。 レオナはとても、耳が早い。 「はい。今、二人でポップの診察にあたっています。ですが、診察には時間がかかると言っていました」 「そう……」 彼女の形のよい眉が、わずかに潜められる。 「結果が出たら後で報告に行きます」 「いいえ、それには及ばないわ。今から、あたしもポップ君の部屋に行って直接聞くから」
時折、ちゃっかりと要領よくサボることもあるものの、一日の勤務時間を自分の都合やわがままで減らすことなど、普段ならあり得ない。ましてや、今はポップが仕事を休んでいる分、レオナは余分の仕事を抱え込んでいる。 忙しくてここ2、3日は恒例の夕食すらダイと共に取れない程なのに、待ち時間がかかると分かっていながらポップの診断を聞くのを優先するとは。 (それだけ、心配されているということか……) ヒュンケルがそう思った時、レオナが訝しげな表情で彼の持っている本に目を止める。
「マトリフ師の命令で、ポップの部屋から運びだすように言われたのですが……姫? どうかされたのですか?」 レオナの表情が明らかに強張っているのに気がつき、ヒュンケルは疑問を投げかける。 難解な古代語で書かれた本は、ヒュンケルにはタイトルさえ読むことが出来ない。 「これらの本は あまり良くない本なのですか、姫?」 「…………」 青ざめたレオナの表情を見て、ヒュンケルは己の失言を悟った。 それだけに、ヒュンケルはずっと疑っていた。 そして、自身の不安を気取らせまいと、気丈にも何事もなかったように振る舞う王女に、真偽を問い質すのもためらわれた。 「……すみませんでした。今の質問は、お忘れください。では、荷物を片付けてから、オレもポップの部屋に戻りますから」 「え、ええ。じゃあ、先に行って待っているわね」 どこかぎこちないながらも、レオナはいつもの微笑みを浮かべてそう答えた。 |