『気がついたこと ー後編ー』 |
「あぁあああ――っ、い、いでぇえ〜〜っ、痛っ、し、死ぬっ?!」 「うるせえ、ぎゃんぎゃんわめくな! これっくらいじゃ人間死ぬもんかよ」 「これっくらいって、痛っ、痛いって、これマジでっ?! ぎぃゃあああ――っ?!」 「やかましいんだよ、いちいち暴れるんじゃねえ! 下手にあがいても、余計痛い思いするだけだぜ?」 「さ、ポップ、もう少しだけおとなしくしててくださいね〜? 大丈夫、すぐに済みますからね」 「ひっ?! せ、先生っ、それだけは止め……ぅあああああああ――っ」 ポップの部屋から聞こえてくるのは、派手な悲鳴やら悪党そこのけの脅しめいた台詞だった。 幽閉室と言う性質上か、あるいは他の部屋から独立した塔部分の上部にあるという構造上の問題か、ポップの部屋には防音措置はほとんどされていない。中でどんなに大騒ぎしても距離がある階下の見張りにまで届くことはないが、部屋の近くまで来れば話は別だ。 扉を閉めていたとしても、螺旋階段を登り切った所まで来れば中の物音はだだ漏れだ。
「いったい、なんの騒ぎだ?」 「……『治療だから邪魔するな』って、先生とマトリフさん、言ってた」 ものすごくあやふやな口調で言うところを見ると、ダイもヒュンケル同様、中からの騒ぎを不安に思っているらしい。 いっそ、中に踏み入ろうか――ヒュンケルがそう考えを巡らせ始めた時、悲鳴がぴたっと止んだ。 「ポップッ?!」 急に止んだ悲鳴に、かえって心配になったのだろう。それまでは一生懸命我慢していたダイは、レオナの手を振り切って扉に張りついてどんどんと叩く。 「先生っ、マトリフさんっ、ポップは?! ポップは大丈夫っ?!」 心配そうな声や、必死に戸を叩く様子にダイの不安が見て取れる。 ぼこんっ!! 「あーっ、ダイだな?! てめえっ、何回おれの部屋の扉を壊しゃあ気が済むんだよっ?!」
いきなり怒られたにもかかわらず、ダイはこれ以上ないほど嬉しそうな顔になる。そのまま壊したついでとばかりに穴を広げそうになる非常識な勇者に、大勇者様からの心ばかりの忠告が投げ掛けられた。 「あ〜、あの〜、ダイ君? もう入ってもいいですから、扉は壊さない方がいいんじゃないですかねえ?」 それを聞いて、元気よく扉を開けるダイを先頭に、レオナが、さらにヒュンケルも続いた。 「なんだよ、姫さんやヒュンケルまでそろって……それならダイを止めてくれりゃいーのによ〜」 ポップはベッドに俯せに倒れ込んでいて、ぐでっといかにも疲れた様子で不貞腐れているが、思っていたよりは元気そうだった。 そして、そのすぐ側でせっせと書類に何かを書き込んでいるのはアバンであり、用途が分からないながらも医療用具とおぼしきものを片付けているのはマトリフだった。その中になぜかロープなどが混じっているのにやや疑問も感じたが、取りあえずそれは本来の疑問からすればごく瑣末な問題だった。 「それで――診察結果は……っ?」 何時になく緊張の面持ちで、そう聞いたのはレオナだった。それを大袈裟だと思ったのは、ベッドで伏せている当の本人ぐらいのもだろう。 部屋に張り詰めるのは、緊張の一瞬。 「ああ、問題はなかったぜ。別に悪化はしてねぇな。前に診察した時に比べて、特に不調らしき点はねえ」 マトリフのその言葉に、三人はそろって安堵の息を吐く。 「だが、良くなってもいねえけどな。てめえ、本気で身体を治す気があんのかよ? 絶対安静にしていろとまでは言わねえが、人並みの生活を心がけていりゃあもっと回復していたはずだぜ? でめえ、いったいどういう生活をしていやがったんだ?」 睨むだけでは物足りないとばかりに、マトリフは手にした杖を脅すようにゆっくりと振り始めた。 「オリャア、てめえに言ったはずだよな? 魔法をできるだけ使わず普通にしていれば、日常生活を送るぐらいはなんともねえって」 「だ、だから、おれ、最近は魔法なんかろくすっぽ使ってねーっつーの。使ったって、せいぜいルーラぐらいのもんだぜ? ふつーに、地味に暮らしてるって、毎日!」 迫ってくる杖を避けつつ、ポップは言い訳がましい台詞を口にするが――それをフォローしてやる者はこの場には一人足りともいなかった。 確かに、ダイ帰還後はポップはあまり魔法を使わなくなった。……が、連日仕事漬けと言ってもいいような今のポップの生活が、『普通で地味』とは呼べないとヒュンケルにさえ思える。 「えー? ポップ、いっつも忙しいし、それに時々メラゾーマとかも使って……もがっ」
正直者のお子様勇者の口を、ポップは必死で抑えつけるがすでに手遅れというものだろう。 「ま、普段のてめえの生活態度は、後でそこのお姫さん辺りにじっくり聞かせてもらうとして、だ――」 と、マトリフの杖が一閃して、ものの見事に愛弟子の頭をひっぱたく。 「バカか、てめえはっ! 風邪引き状態は、普通とは呼ばねえんだよ!! 体調が少しでも崩れた時はすみやかに安静にしろって、あれほど言ったはずだよな? それとも、忘れたとでも言うつもりか?」 「いてっ、いてっ、いてえっ!! いてえって、師匠っ、ちったぁ手加減してくれよ〜っ」
「ポップは大丈夫ですよ。確かに、今回は風邪気味なところに無理をしたから倒れたようですが、もう具合は良くなっています。 「はいっ、先生っ! もう、こんなことがないように、気をつけますっ」 熱心に頷くダイを、ポップがジロリと睨みつけた。 「なんでおまえが返事するんだよ?」 「だって、ポップってば、一人で無理ばっかするじゃないか。だから、おれが気をつけたげるよ」 「いーよ、そんなの! 面倒なんか見てもらわなくったって、大丈夫だって」 「よくなんかないよ!! ポップ、自分のことはすぐに手を抜くんだもん!」 叫ぶダイの横で、ヒュンケルも思わず同感せずにはいられなかった。が、それはどうやらポップには気に入らなかったらしい。 「ヒュンケル! てめえも無言で頷いてんじゃねえよっ――で、姫さん、これでいーかげん、納得してくれただろ? そろそろ、部屋から出てもいいって許可、出してくれよ〜。ずーっとこの部屋に籠ってるのも、いい加減飽き飽きしてんだからさ」 前半はヒュンケルに、後半はレオナに言いながらも、ポップの意識はヒュンケルに向いているらしく、彼を睨みつけている。 「…………」 アバンやマトリフの話を聞いて、手放しに喜んでいるダイとは対照的に、レオナの顔色は優れなかった。 それは、そう長い時間ではなかった。
「なんでそうなるんだよ?! もう具合がよくなったって先生達だって保証してくれたろ!」 「これは心配をかけてくれたお返しだもの、具合とは関係ないの!」 ちょっといたずらっぽい言い方や、ポップと小気味良く言い合う態度は、いつものレオナそのものだ。
それが、レオナがポップに押しつけた、部屋を出るにあたっての条件だった。しばらくはブツブツ言っていたものの、文句を言ったところで決してレオナが前言を覆さないと知り抜いているポップは、諦めて妥協することにしたらしい。 それに、その条件はポップにとってはそれ程悪くはなかったはずだ。 「ポップ! ポップ、治ったばっかなのに急に走ったりしちゃ、ダメじゃないか!」 心配そうに追っていったダイならば、ポップが何か無茶をしようとすれば、すかさず止めるだろう。 口に出して言ったことはないが、ヒュンケルはアバンに絶大の信頼を置いている。それは、アバンの仲間である、ポップの第二の師であるマトリフに対しても同じだ。 もっとも、今日はいつものように部屋まで上がるつもりはなかった。もう大事はないとはいっても、さすがに病み上がりで久々に動き回れば疲れも出るだろう。 王室回廊の見張り番をしている当番兵に、ポップがちゃんと自室に戻ったのを確認だけすれば、それだけでいいと思った。 「いいだろ? な、なんなら、あんた達がついて来てくれてもいいからさ。ちょっとでいいんだ」 「そう言われても困ります、姫様から厳命を受けているのです、決してポップ様をお一人で部屋から出さないように、と……」 「何を騒いでいる?」 声をかけると、困り切っているような兵士達は、ホッとしたような顔をする。 「あっ、隊長! 実は、ポップ様が……」 「お、ヒュンケル! ちょうどいいところに来たな、なあ、おれをアバン先生のとこに連れてってくんない?」 「こんな時間にか?」 「まだ、そんなに遅くないだろ! いいだろ、先生に少し話があるだけだよ」 確かに、今の時間はそれほど遅いというほどのものではない。子供や病人はもう横になってもおかしくない時間ではあるが、普通ならまだ寝るには間がある時間だ。 めったに会えない師に積もる話があるというのなら、遮るのも気の毒な気がする。ポップがどうしてもと言うのなら、連れて行っても構わないと思えた。 「それなら、なぜ昼間に話さなかったんだ?」 その質問に、ポップが一瞬怯んだのが分かった。ヒュンケルにしてみれば、たいして深い意味もない疑問だったのだが、ポップは少しばかりうろたえ、早口に言い返してくる。
(嘘、か) 直観的に、ヒュンケルはポップの嘘を見抜く。その理由や本音までは分からなくとも、ことの真偽を見破る自信はあった。 「明日では、駄目なのか?」 そう尋ねると、ポップが困ったような表情を見せる。 ヒュンケル的には賛成できない行動だが、めったに自分には頼ろうとしない弟弟子の頼み事を無視するのは気が咎める。 「……まあ、いいだろう。ただし、あまり遅くならないようにしろよ。姫が心配されるからな」 「まったく、姫さんも案外心配性だよな〜。おれはもう全然平気って言ってんのに、大袈裟なんだよ」 ぶつくさ言いながら、ポップはいつもよりもゆっくりとした足取りで城内を歩きだす。その隣に並び、同じ速度に合わせて歩きながら、聞いてみた。 「本当に、身体の具合はもういいのか?」 「なんだよ、てめえまで? 先生や師匠がもう平気だって言ったの、聞いただろ。あんまり無駄な心配ばっかしてると、ハゲちまうぜ〜」 心配など撥ね除けるその態度は、いつものポップだ。 「おや? ポップにヒュンケル、お揃いでどうしたんですか? まあ、とりあえず中にお入りなさい。ちょうどよかった、美味しいお茶でも入れようかと思っていたところなんですよ」 ノックに応じてドアを開けてくれた師は、突然の弟子の訪れに驚きつつも歓迎してくれる。 「お揃いなんかじゃないです、先生。こいつは単に、おれの付き添いで来ただけですって。それより、おれ、ちょっと先生に相談したいことがあるんですけど」 そう言ってポップはアバンの側に近寄り、ちょっと背伸び気味に何やら耳打ちをした。 側にいるヒュンケルを警戒しているのか、ごく小声のその言葉は彼には聞こえなかった。 が、アバンの表情に、わずかばかりの驚きが浮かぶ。 しかし、それはほんの一瞬でいつもの和やかさを取り戻した。 「ところですみませんね、ヒュンケル。ポップの部屋を見張っている兵士さん達に伝言を頼めませんか? 話が長引くかもしれませんから、ポップは今日、この部屋に泊めることにしますのでご心配なく、とね」 「別に、オレは話が終わるまで待っていても構わないが」 近衛隊長という役目柄、ヒュンケルはすでに要人の警護には慣れている。貴人の話が済むまで何時間も待たされながら警護するのも、仕事の内なのだから。 「いえいえ、待たせる程の話でもありませんからね〜。明日の朝、私がポップを部屋まで送っていきますから、ヒュンケルももう休んじゃっていいですよ」 優しいその労いの言葉と共に、ヒュンケルの目の前で扉は固く閉ざされた――。
かすかな不安が次第に広がっていくのを、ヒュンケルはどうしても止められなかった。 純白の布に一滴落としたインクが、染み込みながら広がっていくように、それは速度を増しながら無視できない大きさへとなっていく。 (先生を……疑いたくはないが) とりあえず伝言をきちんと伝えてから自室に戻ったヒュンケルは、ぼんやりと机に座ったまま目の前に置いた本を眺めやる。 アバンは誠実な人間であり、信用のおける師匠なのは間違いない。 それが最善の道であるのなら、アバンは周囲を騙してまで目的を遂げようとする。 さらに言うのなら、マトリフとてそれは変わるまい。 その口の堅さは、かの老魔道士が信頼の置ける人柄だと証明しているが、こんな時はそれが少しばかり恨めしい。 「……誰だ?」 扉を遠慮がちにノックする音に、ヒュンケルはいぶかしく思わずにはいられない。 たまに来てもダイやポップだったり、でなければ仕事の関係で緊急の呼び出しがある程度だ。 「やあ、こんな夜分に済まないね」 ドアを開けると、そこにいたのはアポロだった。 「見張りの兵士からの報告を聞いて、姫様が少し心配されていてね。悪いが、ポップ君がアバン先生を尋ねた理由を知っているのなら、教えてもらえないかな?」 さしつかえなかったらでいいんだがと、申し訳なさそうに言う賢者の青年に対して、ヒュンケルは首を横に振った。 「いや……すまんが、知らない」 「ああ、気にしなくていいよ。知っているならでいいと、姫様もおっしゃっていたし」 実直で人の良いアポロのように、レオナのその命令を言葉通りに受け止められたのなら、どんなに良かっただろうとヒュンケルは思う。 レオナは、確かに人使いの荒い主人だ。おまけに少しワガママな面もあり、こまめに情報を仕入れるために高位の人間に使い走りに等しい仕事を振ることなども、珍しくはない。 だが、今回のそれは、いつものワガママとは違うのだろう。 いつになくポップの容体を気にしながらも、ポップ本人やアバン達に直接話を聞こうとせず、遠回しに探ろうとするなどとは、普段の彼女らしくもない行動だ。
「じゃあ、邪魔したね」 忙しく立ち去ろうとしたアポロを見て、ヒュンケルは思わず引き止めていた。 「あ、いや、待ってくれ。少し、聞きたいことがあるんだ」
「これらは……主に、終末期治療や、延命治療についての本ばかりだね」 賢者であるアポロは、ヒュンケルの机の上にある本を見て、そう言った。 そのせいか、アポロが去った後もヒュンケルは動けなかった。彼の親切に対して、ちゃんと礼を言ったかどうかでさえあやふやだ。 まだ明確には見えないまま、だが、今までとは違う形の不安が、音もなく静かに広がっていくのをヒュンケルは感じていた――。 END 《後書き》 |