『魔法使いのいない勇者 1』

  

 北の勇者。
 その呼び名はノヴァにとっては、かつては誇りだった。他の者を引き離して手に入れた勲章であり、自分に相応しい名前だと胸を張って受け止めた。

 誰ともなく、ノヴァはそう呼ばれるようになり、いつの間にかすっかり馴染んで自ら名乗るようになった名前。
 北の勇者、ノヴァ。
 しかし、その名はいつしか……ノヴァにとっては苛立ちの元となった――。







「おい、知っているか? 勇者様の話!」

 漏れ聞こえるその声に、ノヴァは思わず廊下を歩いていた足を止めた。
 盗み聞きするつもりなんて、微塵もなかった。
 ただ自分の名を呼ばれれば、つい足を止めるてしまう。それは人として、ごく自然な反応だろう。

「ああ、知ってる、知ってる! まだ子供なのに、凄いよなー」

「オレぁ、つくづく思ったね。勇者様って奴は、普通の人間なんかとは訳が違うんだって。なんていうのかな、こう……特別な、選ばれた人って気がするんだよな」

 手放しに褒めそやす声が次々に続くのが、心地好く自尊心をくすぐってくれる。ただ、子供と言われるのだけは少々不本意だった。
 16歳のノヴァは、もう、とっくに大人に足を一歩踏み入れたと自負しているのだから。

「へー、噂には聞いていたけど、勇者様ってそんなにすごいのかい?」

「噂なら、オレも聞いたな。なんでも、町を襲った数十匹ものドラゴンをあっという間に倒したとか」

「オレの聞いた話ではさ、雲を衝く様な物凄い巨大な化け物を、ものの見事に一刀両断したって聞いたぜ」

(……噂とは、当てにならないものだな)

 あまりに大仰な噂に、ノヴァは一人、苦笑を隠せない。
 噂は噂を呼び、どんどん大きくなりがちなのはノヴァは経験上よく知っている。

 だからこそ、彼は自分の活躍とは似ても似つかないその噂を聞いても不審には思わなかった。
 次の台詞を聞くまでは――。

「はん、噂で満足している奴ぁ気の毒だねえ。そりゃあもう……すげえなんてもんじゃないさ、なんせオレはこの目でばっちりと見たんだからな、ロモスでよ」

(…………!)

 その言葉に、ノヴァの身体が凍りつく。
 ロモス。
 ギルドメイン大陸の中央付近に存在するその王国の名を、ノヴァは知っていた。だが、一度も行ったことはない。

「オレはパプニカで見かけたぜ! ……ちらっとだけだったけどさ。いやあ、それにしても感激したぜ、なんといっても救国の勇者様だものな! まだあんなに小さな子供なのに、たいしたものだよ、ホント!」

「小さい子供って、お幾つぐらいなんだ?」

「確か、12だか13歳だか……とにかく、そんなものだって聞いたなあ。だけど、ものすごく強いんだよな、これが」

 ついさっきまでは心地好かったはずの称賛が、今は腹立たしく聞こえる。
 すでにノヴァは、この話題が自分が聞くべき話ではないと察していた。盗み聞きをするのは、勇者どころか一般人としても褒められた諸行ではないとも自覚している。

 だが、足が動かない。
 噂されているのは、北の勇者たるノヴァではない。

 勇者ダイ。
 最近、やけに耳につくようになった少年の名前だ。ロモスやパプニカ王国を一度ならず救った功績から、勇者と称えられる新参の子供の噂はノヴァをいつも苛立たせる。

 自分が北の勇者と呼ばれるのに対して、ダイは常に勇者と呼ばれる。ロモスの勇者でもパプニカの勇者でもなく、単に勇者と。
 その差が、妙に腹立たしい。

「オレなんかよ、勇者様やそのお仲間と直接、この手で握手したんだぜ!」

 響き渡る胴間声が、やたら得意げなのがまた、癇に障った。

「意外と、みんな小柄だったな。見たところ、普通の子供って感じで。でも、みんな、おっそろしく場慣れしていて強いんだな、これが。怪物がいきなり攻めてきたのに、堂々としているんだ!」

 まるで我が事のように嬉しそうに語る、男の話は他の連中の興味を引いたようだった。

「へえ……勇者様のお仲間ってのは、どんな人達なんだい?」

「それがよぉ、ものすごっく可愛い女の子なんだよ! 勇者様よりもちょっと年上だが、可愛い顔して強いのなんのって……いやはや、あんなに強い武闘家にゃ会ったことないねえ。もう一人は魔法使いの小僧なんだが、こっちもただものじゃなかったなぁ」

 武闘家の少女に比べ、魔法使いの少年の印象は付け足しっぽいあたりが、男の関心度を如実に示している。

(勇者に……仲間だって?)

 ノヴァの苛立ちは、ますます強まる一方だ。
 勇者に、仲間など必要ない。それこそがノヴァの持論だった。

 勇者とは、戦士以上の剣技を持ち、武闘家以上の強力と素早さを持ち、魔法使い以上の魔法を使える者だ。
 なにもかも自分でできる勇者に、なぜ助け合うための仲間が必要だろうか?

 それが証拠に、15年前に世界を救った大勇者アバンだって、旅立ちは一人だった。途中で仲間と旅したのは事実だが、最後に魔王と戦ったのは彼一人だったと伝承は伝えている。

 勇者に、仲間などいらない。
 翻って言えば、仲間に頼っている内は勇者などとは決して呼べまい。
 ノヴァにとっては、これ以上ない程分かりきったこの理屈を、誰一人として疑問すら持たないのがもどかしいぐらいだ。

「勇者様より少し年上って言うと、……お仲間の年頃ってちょうどノヴァ様くらい?」

「ああ、そうそうそれくらいだな」

「そう言えばさ、ノヴァ様って『北の勇者』だろ? 勇者様とどっちが強いかな?」

 ついでの話題から流れた、他愛のない比較。そこまでが、ノヴァの限界だった。
 足音も荒くドアに駆け寄ると、ノヴァはノックもせずに扉も開ける。

「……!」

 突然やってきたノヴァに驚いたのか、その場にいた人間があたふたするのが見える。思わず怒鳴りつけたい怒りを抑えこみ、ノヴァは事務的に言った。

「……作業はどうした、進んでいるのか?」

「あ……っ、はいっ、今のところ港の建造は順調に進んでいます。ちょうど、これから作業に戻るところでして」

「そうか。これは、各国が協力しての一大事業なのだから、くれぐれも手を抜かないようにな」

 先日、パプニカの王女レオナが主導する形で開かれた、世界中の王達を集めての初の世界会議(サミット)。

 今まで魔王軍の猛攻に対して各国がそれぞれに守備優先の形で戦ってきたが、そんな形での戦いが不利なのは子供にさえ分かる。王達は優れた人材を募り、こちらから攻撃をしかけるための協力を約束し合った。

 リンガイア王国の重臣の息子として、ノヴァはもちろんその意見には賛成だったし、できる限りの協力もしている。今も、不在の父の代わりにその計画の実行主導者として、人員の監視をしている。少なくとも、ノヴァはそのつもりだった。

 集合地と自国が近かったため、ノヴァは真っ先に連合軍に加わって率先して陣頭指揮を執ってきた。

 にも拘わらずロモスや他の地域から集まった人間は、目の前にいるノヴァではなくまだ訪れないダイを勇者と呼び、より多くの期待を掛けているのだ。
 ノヴァにとって、これ以上気に障る存在などこの世にいない。

(勇者ダイ、か。……気に入らないな)

 まだ、見もしない少年に対し、ノヴァは強烈なライバル心さえ抱いていた――。







 前途は暗い。
 というか、すでに終わっていると言うべきだろうか。

 ほんの少し前まで、ここは前線基地だった。
 大魔王バーンに対抗すべく世界中の王達が助力し合い、各国から選りすぐった勇者達が呼び集められて、この前線基地へと集まった。

 世界を救うため、こちらから魔王に挑む覚悟で集まった有志達は、言うまでもなく腕に覚えのある強者揃いだ。

 だが――それなのに、たった5名の魔物達に前線基地は壊滅的な被害を与えられ、怪我人も多数でてしまった。正直いって、魔物達の強さは桁が違っていた。

 しかし、……その魔物でさえ大魔王の配下にすぎない。
 自分達が手も足も出なかった配下以上の力を、大魔王は備えていると聞かされて戦慄しないものはいるだろうか。

 本来ならば、誰もがうちひしがれ、立ち上がる気力もなくしていてもおかしくない。
 だが、この場所には奇妙な活気があった。

「はい、魔法はかけ終わったわ、後は包帯を巻いてあげて。あ、予備の薬草は気球船に積んであるから、急いで取りに行ってちょうだい」

 野戦病院と化したかのような、元カール王国城跡で、負傷者の手当てが行われている中、最も活躍しているのはパプニカ王女レオナだった。
 その生まれ故か、王女として人を導く術に長けた少女は、次々に人に的確な指示を与えている。

 しかし、それが人に不快を与えさせないのは、レオナ自身が率先して働いているせいかもしれない。
 レオナを初めとする回復魔法を使える少女達は、みな、その力をフルで使って怪我人の手当てに当たっている。

 その中には、先ほどノヴァをきつく責めた気丈な少女……マァムが混じっていた。

 ノヴァにとっては、この敗北は他の誰よりも痛感するものだった。
 なぜなら、彼は負けたのだから。

 単に魔王軍の配下に負けただけではなく、勇者ダイに完敗させられた。
 味方の危機に颯爽と現れて、敵を一掃する――ノヴァがしたくてたまらなかった役どころを、勇者一行はいともたやすく行って見せた。

 それは、実際に負った怪我以上にノヴァの心を打ちのめした。もう立ち上がれないとさえ思ったノヴァだが、それを立ち上がらせてくれたのはマァムだった。

 ……が、感謝する気持ちなどは微塵も沸かないが。
 なんせ、マァムはどん底に落ち込んだノヴァに、厳しい一喝をくらわせてくれたのだから。物心ついた時には母がすでにいなかったノヴァにしてみれば、女性にこれほど手酷い叱責をくらったのは初めてだ。

 なんて気の強い娘なんだ――そう思った。
 しかし、今のマァムにも驚かされる。
 怒った時とは別人のような聖母のような表情で、彼女が次々と優しく傷を癒やしていくのを、ノヴァは意外な思いで見ていた。

「マァム、この人も見てあげてよ」

 彼女の側に、自分よりもはるかな大きな男をなかば引きずるように連れてきた子供。
 勇者ダイから、ノヴァは目を離せない。

 ダイはノヴァと同じ様に、自力では歩けない怪我人を介護して連れてくる役割を負っている。

 だが、ひどく手際が悪い。
 別にみんなに指示をしているわけでもなし、ただ言われた通りに行動しているにすぎない。むしろ、魔法使いのポップの方が状況を把握する力が強いようだ。

 レオナが怪我人の手当てを最優先しているのなら、ポップは怪我人の収容と壊された瓦礫の片付けを重視しているようだ。
 空を飛んで高い位置から辺りを見回しては、地上にいる仲間達に怪我人の居場所や、取り除くべき瓦礫を的確に指示している。

(そう言えば……さっき、指示を出していたのは勇者じゃなくてあいつだったな)

 ぼんやりと上を見上げていると、目が合ったポップがすかさず声を掛けてきた。

「あ、ノヴァ。手があいてるなら手伝えよ、おまえ、飛べるんだろ? その木材、もってきてくれないか」

 本来なら、ノヴァは人の命令をそうやすやすと受け入れる人間ではない。父親や国王の命令にさえ反発し、虚勢を張って一言言い返す性格だ。
 だが、今は気が弱っていたせいもあり、ほぼ言いなりに木材を手に飛び上がっていた。もっとも、少しばかり不満を口にするのは忘れなかったが。

「……なんで、ボクがこんな雑用を……」

 ノヴァの考えでは、実際に魔王と戦う勇者達とただの後方支援である援護係は明確に区別を付けられてしかるべきだった。
 勇者達は戦いに専念し、日常的な雑事で煩わされるべきではない。それがノヴァの考えだった。

 しかし、勇者ダイの一行は違う考えを持っているらしい。
 ボヤくノヴァをよそに、ポップは意外と器用な手つきで、とんてんかんてん釘を打ち付ける。

 付け焼き刃では身につかない慣れた動作は、彼がこんな仕事をするのは初めてではないと証明していた。

「なんでもなにも、このままじゃ雨が降ったらだだ漏れだぜ? 文句言うなよ、壊したのおまえなんだから」

「…………」

 それはその通りなので、反論できない。
 力を見せつけたいために室内にいたのに闘気弾を打ち出し、屋根に大穴を当てたのは紛れもなくノヴァなのだから。

「ただでさえ人手が足りない上に移動呪文の使い手は少ないんだ、協力しろよ。ダイはこんな作業ができるほど、慣れてないんだしさ」

「勇者なのに?」

 思わず聞き返してしまったノヴァの一言に、ポップは呆れた表情を見せる。

「勇者だからって、なんでもできるわけねえだろ。あいつは、魔法関係は苦手なんだよ」

 ごく当たり前のように言ってのけるセリフが、心に引っかかる。
 勇者ならば――いや、勇者だからこそ、なんでも一人でできなければならないと、ノヴァは思っていた。

 戦士以上の剣技を持ち、武闘家以上の強力と素早さを持ち、魔法使い以上の魔法を使える……そうでなければ、勇者ではないと思っていたし、そうあろうと努力してきた。

 だが……。
 ダイ一行らを前にして、ノヴァは自分の今までの考えが急に色褪せてしまったように感じていた――。







「――以上が、今回の被害状況の全てです」

 深刻な被害を報告するその声音は毅然としていて、絶望など跳ね返す明るさに満ちていた。

「決して、少ない被害とは言えないでしょう。でも、死者は一人もでなかったわ。これを僥倖と受け止めるべきよ。怪我人こそは多かったものの、幸いにも致命的な怪我を負った人はいないわ。これなら、いくらでも態勢を立て直せます」

 魔王軍との戦いに先陣をきる、まだ少女でありながら、勇猛なるパプニカの姫。

 噂に違わぬその勇姿を、ノヴァ達は今、目の当たりにしていた。見た目の可憐さとは裏腹に、ずば抜けた気丈さや指揮力の高さには驚かずにはいられない。

 戦いに傷つき、意気消沈した者達にとって、レオナ姫のその強さは一種の奇跡だった。 だが、勇者ダイの一行にとっては、ごくありふれた風景にすぎない。ゆえに、感動の余韻も感じずに、平気でちゃかした台詞も吐ける。

「そうそう、さすが姫さん、いいこと言うよ。そうだよな、物なんかいくら壊れたって、なんとかなるって!」

 おちゃらけた魔法使いの少年の言葉に、パプニカの王女はにっこりと笑ってみせた。

「――その通りよね。でもね、ポップ君……ついさっき渡したばっかりの杖を、いきなり壊したあなたには言われたくないけどね」

「う……っ!? あ、あれはー、わざとじゃなくって不可抗力って奴で……っ」

 あたふたと言い訳するポップだが、その点をつつかれると弱い。
 なんせ、戦いの直前にポップはレオナからパプニカ王国で揃えてくれた新しい装備一式を授かった。

 最後の戦いに備えて、前々から準備してくれていたという特注品だったのだが……服の方はともかくとして、杖の方はすでに壊してしまった。

 ポップの身長程の長さもあり、鳥をあしらったデザインの高級杖は見るからに由緒ありげで、かなりの魔力を秘めている逸品と手にしただけでよく分かった。

 が、どんなに魔力があったところで、杖はしょせん杖だ。肉弾戦には極端にもろい。
 結局の所、ポップが生まれて初めて手にした高級杖は……魔法を一回も試さない内に戦いの中で折れてしまった。

「やれやれ、せっかく奮発したっていうのに、無駄で終わっちゃったなんて」

「だから、悪かったって。謝るからさぁー……、いいかげん機嫌直してくれよ、姫さん」

 ポップとしては本気で謝っているのだが、持ち前の明るさやおどけた口調の軽さが、どうにもそれを軽く見せる。本気で反省しているのかどうかも怪しく見えるぐらいだ。

(こんな非常時に、不謹慎な奴……!)

 生真面目なノヴァはちょっとムッとしたが、その他大勢の意見は違っていた。

 この軽妙なやりとりは、意気消沈していた連中にさえも笑いを取り戻させる。結果的にさっきまでの暗さが払拭され、その場の雰囲気はぐっと明るくなった。

 それはそれで結構だが、それだけでいいはずが無い。
 急場の修理を施したとはいえボロボロとなったし、大半が怪我人に成り下がったとは言え、ここは魔王軍対策本部の最前線であることには違いない。

 被害から立ち直るだけでは、駄目だ。
 自分達は魔王軍と戦うためにこそ、この場にいるのだから。

「ところで……! この先はどうするおつもりなのですか?」

 半ば強引に、ノヴァは話題を対策会議へと引き戻した。
 それには多少の皮肉と、本人も気付いていない依頼心が混じり合っていた。普段のノヴァならば、遠慮もせずに自分の意見をはっきりと述べる。

 どんな時であれ、自分なりの意見を持てるのがノヴァの長所であり、短所でもあるのだから。
 だが、今度ばかりは意見など思いもつかない。

 自分の力が全く及ばない敵。全く役に立たなかった戦闘準備。何よりも、移動手段の封印――どれをとっても、ノヴァにとっては予測もつかなかった不利な状況だ。これを覆せるアイデアなど、彼には浮かばない。
 それだけに、この質問にダイがどう答えるか興味があった。

「勇者ダイ。君は、どう考えているんだ?」


                                    《続く》
 
 

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