『世界を巡って ー前編ー』

  

「いい? これはあなたにしか頼めないの。お願いできるかしら?」

 念を押すように最期にそう言ってから、レオナはそれが愚問だと気がついた。
 念押しなど、無用のもの。
 パプニカ王女の目の前にいる戦士は、彼女が命令を口にした時から、顔色一つ変えずに同じ姿勢を保ったままだ。

 彼女自身、少しばかり無茶で、しかも筋違いな命令だと思っている。少なくとも、並の兵士ならばこの命令に異を唱えてしぶりかねないような『ワガママ』だった。

 だが、この戦士はどこまでも実直であり、律義すぎるほどに律義だった。紫色のその瞳に浮かぶのは、固い決意。
 なにがあっても、姫の拝命をかなえようとする、強い意志がそこにはあった。

「はい、一命に代えましても」

 短いながらも、力の籠もった言葉で彼は確かに頷いた――。





「え? ヒュンケルの奴、まだ帰ってこねーの? いったいどこに行っちまったんだ?」
 と、兵士達に問い掛けたのはポップだった。

「さ……、さぁ……? 存じ上げません……と言うか、……こちらが知りたいぐらいですよ……」

 と、息も絶え絶えに答えたのは、一人の兵士だった。荒い息のせいで途切れがちであり、聞き取りにくかったが、返事をするだけでも御の字というものだろう。
 なにせ、この修練場にいる9割以上の兵士は気息奄々な様子で倒れふしているのだから。その惨澹たる有様を見て、ポップは同情を禁じ得ない。

「おいおい、大丈夫かよ〜?」

 さすがに気の毒になったのと、いくらなんでもこれでは話もできないと言う理由から、ポップは手を伸ばして回復魔法をかけてやる。
 それはただの初級魔法にすぎないが、それでも大魔道士であるポップがかけると並のレベルの術者のものとはひと味違う。

 ほとんど死にかけているんじゃないかと思うほどにへたばっていた兵士は、急に顔色が明るくなり復活した。

「あ、ありがとうございますっ、助かりましたっ」

「いや、いいって。それより、ヒュンケルの奴、いつからいねえんだ? あ、そっちの人達、並んで、並んで」

 一人だけにかけるのは不公平だと思ったのか、あるいはすがりつくように集中してくる視線に負けたのか、ポップはそこらに倒れている兵士達に次々に回復魔法をかけながら聞いた。

「隊長なら二週間前に休暇願を出して、出かけて行ったきりですよ。行く先は聞いておりませんが、なんでも大事な用でどうしても行かなければならないと言っていましたが」

「ふーん、大事な用ねえ?」

 ヒュンケルと大事な用の繋がりが思い浮かばず、ポップは不思議そうに首を捻る。
 至って無口でぶっきらぼうな男ではあるものの、ヒュンケルは上に何とかがつくレベルに真面目で律義だ。それに、仕事と私用はきっちりと分ける主義でもある。

 そのヒュンケルが、休暇を取ってまでやりたいと願う『大事な用』など、ポップには思い当たりさえしない。

「で、あいつ、いつ帰ってくるって言ってた?」

 ポップのその質問に答えたのは、兵士達ではなかった。

「あいつなら、どんなに遅くとも半月後には戻ると言っていたぞ」

 その声を聞いて、兵士達一同から文字通り血の気がさあっと引く。
 それと同時に、波が引くようにささっと兵士達は左右に分かれ、大きく道を空けた。

 生半可ではない怯えられ方に見ているポップの方が心配になるくらいだが、当の本人は気にした様子もなくずかずかと歩いて来る。
 元竜騎衆、陸戦騎ラーハルト。

 現在は名目上はカール王国の客分として籍を置いているものの、基本的に修行と称してあちこちを放浪している男である。
 ダイが気になるのか、思ったよりもまめにパプニカを訪問しにくるラーハルトではあるが、今回はそれが理由で滞在しにきたわけではないようだ。

「おまえ、もしかしてヒュンケルの行く先、知っているのか?」

 ラーハルトが二週間前から、パプニカにやってきたのはポップも知っていた。というか知りたくなくっても、ポップの後を追っかけてくるダイの後を、さらに追っかけてくるラーハルトに気がつかないはずがない。
 が、それとヒュンケルの不在を結びつけて考えてはみなかった。

「行く先までは知らん。オレはただ、奴が留守にする間の代わりを頼まれただけだ」

 そっけなくそう言い、ラーハルトはギロリと迫力のある目線を兵士達に向ける。

「いつまで休んでいる。稽古メニューはまだ半分も終わってないんだぞ」

 それを聞いた途端に、兵士達から思わず漏れた声なき溜め息が、大合唱のごとく響き渡る。
 その怯えきった様子を見れば、この半分魔族の男がヒュンケル以上に過酷な訓練を施していることは明白だ。

 常日頃から、ヒュンケルの訓練でさえ厳しすぎるのではないかと思っているポップから見れば、もはや限界レベルを突破している。

「あ、あのよー、ラーハルト。訓練もいいけどさ、ちょっとは手加減してやれよ?」

 思わずそう声を掛けたものの、頑固さではバランにも匹敵するこの男と来たら聞く耳も持たなかった。

「加減した稽古で、強くなれるはずもなかろう。こんな有様では、また魔王軍が攻めてきたら半時と持たずに全滅だ」

 情け容赦なくびしっと言う彼自身が、元魔王軍なのだから説得力があるというか、ないというか。

(いや、城の兵士がそこまで最強を目指す必要はねえだろうっ!? 第一、また魔王が誕生だの復活だのしてたまっかよ!?)

 ツッコみたい気分は山々だったが、素早さでは勇者一行で随一を誇るラーハルトはその隙さえ与えてはくれない。

「さあっ、回復した分、ハードにいくぞ! まずは足慣らしならやり直しだ!」

 基本中の基本、ランニングは本来は割合緩やかな速度で走るものだが、ラーハルトの要求速度はすでに一般人にとっては全力疾走だろう。

 しかも、哀れな小羊の群れを容赦なく追い立てる牧羊犬のごとく、一糸乱れぬ駆け足を要求する。すでに魂が口から半分はみ出たような表情で走り出した兵士達を気の毒には思ったが、ポップもポップで他人には構っていられない事情があった。

 リン、リン、リンリンリンッ!

 王女専用の執務室のテラスに仁王立ちとなり、本来なら侍女を呼ぶために使用する王族専用のベルを、威嚇的に振り回している少女を、ポップは恐る恐る見上げる。

 中庭の習練場からテラスまでかなり距離があるが、表情など見えなくとも彼女の苛立ちが伝わってくるだけに、急がずにはいられない。
 これ以上待たせるなんて、できやしない――恐ろしすぎて。

(悪い、後でダイに会ったら、ラーハルトにきつく言いきかせるよう、伝えとくからっ)

 傍若無人なラーハルトが相手では、ポップでも説得は難しい。唯一、ラーハルトが無条件で命令を聞くのは、ダイだけだ。
 気の毒すぎる兵士達に心の中だけで謝り、ポップは飛翔呪文を使ってレオナの執務室に戻る。

 ポップが着地してからようやく、ベルを鳴らすのをやめたレオナは、にこやかな笑顔で彼を迎え入れた。

「あら、ポップ君、思ったよりも早かったのね。意外だわ」

「え?」

 てっきり、今の不機嫌さ丸出しの呼び出し方から見て、遅かったと責められると思っていただけに、労いに驚かずにはいられない。

(な、なんだ、そんなに機嫌悪くなかったのかな?)

 朝から――いや、ここ数日、レオナはやけに機嫌が悪かった。
 人待ち顔で溜め息をついたり、やけにそわそわして落ち着かなかったり……そして、先ほど思い詰めたような顔で、ヒュンケルの居場所を確かめてきてと言ってきた。
 本来なら、そんな使いっぱしりにも等しいはポップの仕事ではない。

 第一、今はポップもレオナも半端じゃなく忙しい時期だ。
 ダイの誕生日を祝うため、みんなでデルムリン島に数日、旅行がてら集まろうとこっそり計画しているおかげで、てんやわんやの有様だ。

 休暇を取るために前倒しで仕事をこなしている真っ最中であり、寝る間もおしい程に忙しい。
 今日になってようやく目処が立ってきたとはいえ、まだやることなど幾らでも残っている。

 だが、彼女の顔を見た途端、ポップは賢くも悟った。
 もし、これを断ったりしたのなら、明日の日の出は拝めないだろうと――。

 兵士やラーハルトに聞いてもはかばかしい答えはなかっただけにどうなるかと心配したが、とりあえずこれで用事は済んだのだろう。
 一瞬、気を緩めたポップに、レオナはあくまでもにこやかに問うた。

「それで、ヒュンケルは?」

「ああ、それがさー、聞いてみたけどラーハルトも知らないってさ。あいつ、ホント、どこに行ったんだろうな〜」

 答えながら手近な椅子に腰を掛けようとしたポップだったが、座ろうとしたその瞬間、レオナがその椅子を引いたからたまらない。目測を誤って、見事に尻餅をついてしまった。

「い、いててっ!? な、なにすんだよっ、姫さんっ!?」

 すっころんだままのポップに、レオナはずいっと一歩近寄って、もう一度問いかけた。

「質問に答えてないわよ、ポップ君? それで、ヒュンケルはどこ?」

 その時、ポップはやっと気がついた。
 にこやかな笑顔とは裏腹に、レオナの目はいっこうに笑っていない事実に。
 そして、声音には氷の冷ややかさをまとっていた。

「私は、ヒュンケルを探して来てって頼んだはずよね? まさか、世界各国どこにでも行けるどころか、魔界にまで行ったことのある大魔道士様が見つけられなかった……だなんて、ありえないわよねえ?」

 否と答えるのを決して許さないぞとばかりに詰め寄ってくる王女に気おされて、ポップは起き上がることすら忘れ、わたわたと後ろへずりさがる。

「むっ、無理っ。無理だって! どこにいるかも分からない奴を、探せねえよっ」

 確かに、ポップは知っている場所ならばどこへでも瞬間移動呪文を使える。が、それはあくまで相手がどこにいるか分かっているなら、という条件の上での話だ。

 相手の現在地が分からない以上、いくらなんでもどうしようもない。
 だが、かつて大魔王バーンにさえ気丈さを褒めたたえられた姫君は、全く追撃の手を緩めずに言ってのけた。

「いやだ、ご謙遜を。行方不明の勇者様を見事に探し当てたキミが、出来ないわけないじゃない。地上のどこかにいると分かりきっている戦士の一人や二人、簡単に探せるでしょ?」

 今すぐ、地の果てまで行ってでも探してこいとでも言わんばかりの迫力である。

(ち、地上って……めちゃくちゃ範囲、広いんですけど……っ)

 そう言い返したい気分は山々だったが、今のレオナの雰囲気はただ事ではなかった。

 戦いの場でさえ見たことのないレオナの切迫した迫力に、ポップはテラスの柵ぎりぎりまで追い詰められてしまった。
 もう、どこにも逃げ場がなくなったポップは、たまらずに悲鳴じみた声を上げる。

「いやっ、無理っ! つーか、なんでそこまでしてヒュンケルを探さなきゃなんねえんだよっ!?」

 自棄っぱちで叫んだ言葉だったが、意外にもレオナが反応する。

「そっ、それは……っ」

 少し慌てた彼女の頬が、やけに赤らんで見えるのは気のせいだろうか。さっきまでのド迫力はどこへやら、今のレオナはもじもじと意味もなく指でのの字を掻きつつ、そわそわと落ち着きがない。

「その……彼に、大切な用事を頼んだからよ。そろそろ持って来てもらわないと困るのっ、どうしてもっ」

「大事な用事って、いったい、何を?」

 ポップにしてみれば、何の気なしに聞いた言葉だった。
 が、その途端、もじもじ乙女は般若か阿修羅へと変化したっ!

「そ、そ、そんなこと、言えるわけがないじゃないっ! どうでもいいでしょっ、ソレはっ!? とにかく、ヒュンケルがソレを、持ってきてくれば問題はなくなるのよっ! なんとかしてよ、ポップ君、あなた大魔道士でしょっ!」

 ――もはや、理屈にも何にもなっていない言葉を、勢いだけで捲し立ててくる。だが、それだけに異様なまでの迫力があった。
 嫌だと言ったらどうなるか分からない剣幕に、ポップは恐れおののいて頷くしか出来なかった。

「わ、わわ、分かった! 分かったから! 必ず、ヒュンケルを探してくるから〜っ」





「ヒュンケルさん……の居場所、ですか?」

 黒い瞳、黒い髪のテランの王女は、その細い首を軽く傾げてポップを見つめ返した。

「ああ、悪いけど占えないかな? 今すぐ、どうしてもあいつに用事があるんだよ」

 と、頼み込むポップは真剣そのものだった。
 とにかくレオナから逃れたい一心で逃げ出してきたものの、ヒュンケルの居場所などポップには見当もつかない。

 悩んだ挙げ句、ポップが思いついたのは今や世界一の占い師と評判の高い、テランの姫君、メルルの存在だった。
 もちろんいくら知り合いとは言え、今や一国の姫君にそうそう会えるわけがない。普通の手段で面会を申し込んだなら、軽く数日はまたされる。

 が、テラン城への留学経験のある上に空を自在に飛べるポップは、こっそりとバレないように忍び込むなどお手の物だ。

「ホント、悪ィ。急に押しかけちまった上に、無理な頼みをしたりしてよ」

 本来なら、メルルに占いをしてもらえる者は少ない。彼女の占いを求めて王宮には世界から様々な人が集まるが、あまりにも多すぎて選択を絞らざるを得ないのだ。

 それを思えば、いくら仲間とは言えこんな風に無理やり頼みごとをするのは気が引けた。
 だが、メルルははにかんだ笑みを浮かべ、首を小さく振る。

「いいえ、迷惑だなんて……むしろ、思いがけず会えて嬉しいですわ」

 いかにもメルルらしいこまやかな気遣いの言葉の後、内気なはずの少女は少しだけ大胆に内心を吐露する。

「別な理由で来てくれたのなら、もっと嬉しかったですけど」

「……っ」

 言われたポップが、言ったメルル以上に顔を赤らめる。
 くすくすと軽やかな笑い声を立てながら、メルルはポップのために水晶玉を取り出して覗き込み始めた――。


    

                                                  《続く》               

 

後編に進む
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system