『世界を巡って ー前編ー』 |
「いい? これはあなたにしか頼めないの。お願いできるかしら?」 念を押すように最期にそう言ってから、レオナはそれが愚問だと気がついた。 彼女自身、少しばかり無茶で、しかも筋違いな命令だと思っている。少なくとも、並の兵士ならばこの命令に異を唱えてしぶりかねないような『ワガママ』だった。 だが、この戦士はどこまでも実直であり、律義すぎるほどに律義だった。紫色のその瞳に浮かぶのは、固い決意。 「はい、一命に代えましても」 短いながらも、力の籠もった言葉で彼は確かに頷いた――。 「え? ヒュンケルの奴、まだ帰ってこねーの? いったいどこに行っちまったんだ?」 「さ……、さぁ……? 存じ上げません……と言うか、……こちらが知りたいぐらいですよ……」 と、息も絶え絶えに答えたのは、一人の兵士だった。荒い息のせいで途切れがちであり、聞き取りにくかったが、返事をするだけでも御の字というものだろう。 「おいおい、大丈夫かよ〜?」 さすがに気の毒になったのと、いくらなんでもこれでは話もできないと言う理由から、ポップは手を伸ばして回復魔法をかけてやる。 ほとんど死にかけているんじゃないかと思うほどにへたばっていた兵士は、急に顔色が明るくなり復活した。 「あ、ありがとうございますっ、助かりましたっ」 「いや、いいって。それより、ヒュンケルの奴、いつからいねえんだ? あ、そっちの人達、並んで、並んで」 一人だけにかけるのは不公平だと思ったのか、あるいはすがりつくように集中してくる視線に負けたのか、ポップはそこらに倒れている兵士達に次々に回復魔法をかけながら聞いた。 「隊長なら二週間前に休暇願を出して、出かけて行ったきりですよ。行く先は聞いておりませんが、なんでも大事な用でどうしても行かなければならないと言っていましたが」 「ふーん、大事な用ねえ?」 ヒュンケルと大事な用の繋がりが思い浮かばず、ポップは不思議そうに首を捻る。 そのヒュンケルが、休暇を取ってまでやりたいと願う『大事な用』など、ポップには思い当たりさえしない。 「で、あいつ、いつ帰ってくるって言ってた?」 ポップのその質問に答えたのは、兵士達ではなかった。 「あいつなら、どんなに遅くとも半月後には戻ると言っていたぞ」 その声を聞いて、兵士達一同から文字通り血の気がさあっと引く。 生半可ではない怯えられ方に見ているポップの方が心配になるくらいだが、当の本人は気にした様子もなくずかずかと歩いて来る。 現在は名目上はカール王国の客分として籍を置いているものの、基本的に修行と称してあちこちを放浪している男である。 「おまえ、もしかしてヒュンケルの行く先、知っているのか?」 ラーハルトが二週間前から、パプニカにやってきたのはポップも知っていた。というか知りたくなくっても、ポップの後を追っかけてくるダイの後を、さらに追っかけてくるラーハルトに気がつかないはずがない。 「行く先までは知らん。オレはただ、奴が留守にする間の代わりを頼まれただけだ」 そっけなくそう言い、ラーハルトはギロリと迫力のある目線を兵士達に向ける。 「いつまで休んでいる。稽古メニューはまだ半分も終わってないんだぞ」 それを聞いた途端に、兵士達から思わず漏れた声なき溜め息が、大合唱のごとく響き渡る。 常日頃から、ヒュンケルの訓練でさえ厳しすぎるのではないかと思っているポップから見れば、もはや限界レベルを突破している。 「あ、あのよー、ラーハルト。訓練もいいけどさ、ちょっとは手加減してやれよ?」 思わずそう声を掛けたものの、頑固さではバランにも匹敵するこの男と来たら聞く耳も持たなかった。 「加減した稽古で、強くなれるはずもなかろう。こんな有様では、また魔王軍が攻めてきたら半時と持たずに全滅だ」 情け容赦なくびしっと言う彼自身が、元魔王軍なのだから説得力があるというか、ないというか。 (いや、城の兵士がそこまで最強を目指す必要はねえだろうっ!? 第一、また魔王が誕生だの復活だのしてたまっかよ!?) ツッコみたい気分は山々だったが、素早さでは勇者一行で随一を誇るラーハルトはその隙さえ与えてはくれない。 「さあっ、回復した分、ハードにいくぞ! まずは足慣らしならやり直しだ!」 基本中の基本、ランニングは本来は割合緩やかな速度で走るものだが、ラーハルトの要求速度はすでに一般人にとっては全力疾走だろう。 しかも、哀れな小羊の群れを容赦なく追い立てる牧羊犬のごとく、一糸乱れぬ駆け足を要求する。すでに魂が口から半分はみ出たような表情で走り出した兵士達を気の毒には思ったが、ポップもポップで他人には構っていられない事情があった。 リン、リン、リンリンリンッ! 王女専用の執務室のテラスに仁王立ちとなり、本来なら侍女を呼ぶために使用する王族専用のベルを、威嚇的に振り回している少女を、ポップは恐る恐る見上げる。 中庭の習練場からテラスまでかなり距離があるが、表情など見えなくとも彼女の苛立ちが伝わってくるだけに、急がずにはいられない。 (悪い、後でダイに会ったら、ラーハルトにきつく言いきかせるよう、伝えとくからっ) 傍若無人なラーハルトが相手では、ポップでも説得は難しい。唯一、ラーハルトが無条件で命令を聞くのは、ダイだけだ。 ポップが着地してからようやく、ベルを鳴らすのをやめたレオナは、にこやかな笑顔で彼を迎え入れた。 「あら、ポップ君、思ったよりも早かったのね。意外だわ」 「え?」 てっきり、今の不機嫌さ丸出しの呼び出し方から見て、遅かったと責められると思っていただけに、労いに驚かずにはいられない。 (な、なんだ、そんなに機嫌悪くなかったのかな?) 朝から――いや、ここ数日、レオナはやけに機嫌が悪かった。 第一、今はポップもレオナも半端じゃなく忙しい時期だ。 休暇を取るために前倒しで仕事をこなしている真っ最中であり、寝る間もおしい程に忙しい。 だが、彼女の顔を見た途端、ポップは賢くも悟った。 兵士やラーハルトに聞いてもはかばかしい答えはなかっただけにどうなるかと心配したが、とりあえずこれで用事は済んだのだろう。 「それで、ヒュンケルは?」 「ああ、それがさー、聞いてみたけどラーハルトも知らないってさ。あいつ、ホント、どこに行ったんだろうな〜」 答えながら手近な椅子に腰を掛けようとしたポップだったが、座ろうとしたその瞬間、レオナがその椅子を引いたからたまらない。目測を誤って、見事に尻餅をついてしまった。 「い、いててっ!? な、なにすんだよっ、姫さんっ!?」 すっころんだままのポップに、レオナはずいっと一歩近寄って、もう一度問いかけた。 「質問に答えてないわよ、ポップ君? それで、ヒュンケルはどこ?」 その時、ポップはやっと気がついた。 「私は、ヒュンケルを探して来てって頼んだはずよね? まさか、世界各国どこにでも行けるどころか、魔界にまで行ったことのある大魔道士様が見つけられなかった……だなんて、ありえないわよねえ?」 否と答えるのを決して許さないぞとばかりに詰め寄ってくる王女に気おされて、ポップは起き上がることすら忘れ、わたわたと後ろへずりさがる。 「むっ、無理っ。無理だって! どこにいるかも分からない奴を、探せねえよっ」 確かに、ポップは知っている場所ならばどこへでも瞬間移動呪文を使える。が、それはあくまで相手がどこにいるか分かっているなら、という条件の上での話だ。 相手の現在地が分からない以上、いくらなんでもどうしようもない。 「いやだ、ご謙遜を。行方不明の勇者様を見事に探し当てたキミが、出来ないわけないじゃない。地上のどこかにいると分かりきっている戦士の一人や二人、簡単に探せるでしょ?」 今すぐ、地の果てまで行ってでも探してこいとでも言わんばかりの迫力である。 (ち、地上って……めちゃくちゃ範囲、広いんですけど……っ) そう言い返したい気分は山々だったが、今のレオナの雰囲気はただ事ではなかった。 戦いの場でさえ見たことのないレオナの切迫した迫力に、ポップはテラスの柵ぎりぎりまで追い詰められてしまった。 「いやっ、無理っ! つーか、なんでそこまでしてヒュンケルを探さなきゃなんねえんだよっ!?」 自棄っぱちで叫んだ言葉だったが、意外にもレオナが反応する。 「そっ、それは……っ」 少し慌てた彼女の頬が、やけに赤らんで見えるのは気のせいだろうか。さっきまでのド迫力はどこへやら、今のレオナはもじもじと意味もなく指でのの字を掻きつつ、そわそわと落ち着きがない。 「その……彼に、大切な用事を頼んだからよ。そろそろ持って来てもらわないと困るのっ、どうしてもっ」 「大事な用事って、いったい、何を?」 ポップにしてみれば、何の気なしに聞いた言葉だった。 「そ、そ、そんなこと、言えるわけがないじゃないっ! どうでもいいでしょっ、ソレはっ!? とにかく、ヒュンケルがソレを、持ってきてくれば問題はなくなるのよっ! なんとかしてよ、ポップ君、あなた大魔道士でしょっ!」 ――もはや、理屈にも何にもなっていない言葉を、勢いだけで捲し立ててくる。だが、それだけに異様なまでの迫力があった。 「わ、わわ、分かった! 分かったから! 必ず、ヒュンケルを探してくるから〜っ」 「ヒュンケルさん……の居場所、ですか?」 黒い瞳、黒い髪のテランの王女は、その細い首を軽く傾げてポップを見つめ返した。 「ああ、悪いけど占えないかな? 今すぐ、どうしてもあいつに用事があるんだよ」 と、頼み込むポップは真剣そのものだった。 悩んだ挙げ句、ポップが思いついたのは今や世界一の占い師と評判の高い、テランの姫君、メルルの存在だった。 が、テラン城への留学経験のある上に空を自在に飛べるポップは、こっそりとバレないように忍び込むなどお手の物だ。 「ホント、悪ィ。急に押しかけちまった上に、無理な頼みをしたりしてよ」 本来なら、メルルに占いをしてもらえる者は少ない。彼女の占いを求めて王宮には世界から様々な人が集まるが、あまりにも多すぎて選択を絞らざるを得ないのだ。 それを思えば、いくら仲間とは言えこんな風に無理やり頼みごとをするのは気が引けた。 「いいえ、迷惑だなんて……むしろ、思いがけず会えて嬉しいですわ」 いかにもメルルらしいこまやかな気遣いの言葉の後、内気なはずの少女は少しだけ大胆に内心を吐露する。 「別な理由で来てくれたのなら、もっと嬉しかったですけど」 「……っ」 言われたポップが、言ったメルル以上に顔を赤らめる。
《続く》
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