『勇者のお勉強大作戦♪ ー前編ー』

  

 字なんか読めなくても、別に困りはしない。
 字を書けなかったからと言って、別に死にはしない。
 結論。字なんか、勉強しなくてもいい。

 世間様どころか仲間にさえ言ったことがないが、それが勇者ダイの密かな信念だった。12歳の頃からずーっとそう思っていたダイは、その考えが覆される日がくるなんて、思ってもみなかった――。





「ダイ、今日はずいぶんと早いな」

 聞き慣れた声に呼びかけられ、ダイは急いでいた足を止めて振り返った。

「あ、ヒュンケル、おはよう! ヒュンケルも早いんだね」

 紙の束を片手に歩いている兄弟子を認めて、ダイは少しばかり足を緩めて並んで歩く。
「こんな朝早くから、レオナに用事でもあるの?」

 ダイとヒュンケルが今歩いているのは、パプニカ城の中枢に向かう回廊だ。王族やそれに準じる者しか出入りを許されない区域なだけに、そこにいる人間は限られている。
 ヒュンケルがそこに行くとしたら、真っ先に思い当たるのは主君であるレオナからの呼び出しだったが、彼は首を横に振った。

「いや、ポップの所へ行くところだ。おまえもそうなんだろう?」

「うんっ。だって、ポップ、やっと帰ってきたんだもん」

 世界でも指折りの魔法使いや宮廷魔道士が集まって、論文や研究発表を行う場――その名も『マジック・オリンピア』と呼ばれる集会が4年に一度、開かれる。

 招かれるのは超一流と世間で認められた魔法使いばかりだし、素晴らしい名誉でもある。だが、それに参加するように要請を受けた時、ポップはひどく面倒がっていた。

『じょーだんじゃねえよ、おれは宮廷魔道士なんて名ばかりで、研究や論文なんて全然やってねえよ。んな退屈そーな集会なんて、真っ平御免だね』

 だが、大魔道士マトリフの直弟子であり、見習いとはいえパプニカ王国の宮廷魔道士であるポップに対する招聘は、丁寧ではあったがしつこいものであった。
 各国の王宮にさえも働きかけ、政治的な方面からも圧力を仕掛けてくる。度重なる参加要請に折れて、ポップは渋々ながらもと出かざるを得なかった。

 そして、4、5日で終わるはずだった集会が長引き、やっと帰ってきたのは出発から10日も経った昨日だった。
 ダイにとっては、ひどく長く感じた10日間だった。

 だからこそ昨夜、ポップが帰ってきたという話を聞いた時、本当なら即座に駆けつけたいところだった。
 実際、ポップの部屋のすぐ下まで駆けつけたのだが、見張りの兵士からポップがひどく疲れている様子だったと聞き、考え直したのだ。

 早く会いたいけれど、疲れているところを邪魔したいとまではさすがに思わない。だから一生懸命我慢して、今朝まで待ったのだ。

「ところで、ヒュンケルはポップに何か用なの?」

「ああ、昨日、朝一番にこれを届けてくれと頼まれたからな」

 近衛隊長のヒュンケルは、門番の全般的な管理も仕事の内だ。帰城したポップが兵士に頼んだことも、当然彼の耳にも届く。
 ヒュンケルが手にしているのは、定期的に伝書鳩で運ばれてくる、各王国間で公表された最新の出来事をまとめた報告書――いわゆる『新聞』だ。

 新聞は、各王国が一般市民に対して発した意見をまとめたものであり、割と一般的な知らせしか載っていないだけに、ポップやレオナは普段はあまり読もうとはしない。

 実際、国家機密にまで関わっている彼らは、大抵の場合公表される以上の詳細な情報を掴んでいる。一般公表された意見など読んでも、ほとんど意味がない。
 それだけにポップがそれを読みたがるのが意外で、多少興味を持った。

 本来なら、下っ端兵士に任せてもいい使い走りを、わざわざヒュンケルが引き受けたのも、そのためだ。

「ふうん?」

 字の読めないダイにとっては、新聞など何の価値もない紙切れにすぎない。なぜポップが読みたがるのか、さっぱりと分からない。
 だから、深く意味も考えずに、元気よくポップの部屋へと向かう。
 王族のいる回廊を守る見張りの兵士も、ダイやヒュンケルならば無許可で通してくれる。
「ポップーッ、おはよ! もう朝だよ、起きなよ」

 いつものようにノックもせずに部屋に飛び込むと、予想に反してポップは起きていた。 ベッドの端に腰掛けたままあくびをし、いかにもかったるそうに着替えている最中だった。

「なんだ、ポップ、起きてたんじゃないか。おれ、てっきりまだ寝てるのかと思ったよ」
 違和感を覚えたのは、そう声をかけた時だった。ダイの話しかけに、ポップは全く反応しなかった。全然聞こえていないかのように、振り返りさえしない。

「ポップ?」

 最初、ダイはポップが怒っているか拗ねているのかと思った。だが、ポップは機嫌を損ねて無視する時は、もっと子供っぽい。
 自分は今、すっごく機嫌が悪くて、おまえの言葉なんか聞こえてなんかいないよと、そう言わんばかりのわざとらしい態度を取るのだ。

 こんな風に空気のようにサラリと、ダイの存在自体を無視するなんて珍しい。というより、初めてだ。

「ポップ、頼まれたものを持ってきた」

 ヒュンケルの声かけにも、ポップは振り向かなかった。
 ヒュンケルの場合、ポップに無視されるのはさして珍しいことではないだけにショックを受けたりはしなかったが、ダイの方はそうもいかない。

「ポップ、どうしたんだよ?」

 ダイにしてみれば、ポップを怒らせた覚えなんてないし、無視されるなんて嬉しくない。だいたい、10日ぶりにやっと会えたのに、顔も見せてもらえないなんて、あんまりだ。 近寄っていって肩に手を置きながら、ダイはもう一度強めに呼びかけた。

「ポップ!」

「――――ッ!?」

 肩に手を置いた途端、ポップがひどくビックリしたように振り返る。そのあまりの驚きように、ダイの方がかえってビックリしたぐらいだ。

「ポップ? どうしたんだよ、そんなに驚いて」

 心配になってそう聞くと、ポップはダイを認めたのかいつも通りの笑顔を浮かべる。そして、何か言いかけて……怪訝そうに喉を押さえた。

「ポップ?」

 呼びかけるダイに、ポップは答えようとした。だが、その口からはいつものように元気のいい、明るい言葉が流れはしなかった。
 ただ、ヒューヒューと風が吹き抜けるような音が、わずかに漏れるだけだ。

「ポップ!? 喉、痛いの? 声、でないくらい? おれ、誰か呼んでこようか!?」

 呼びかけるダイの声に、ポップは全く反応をみせない。ただ、自分で自分の喉を押さえ、何度か回復魔法を使おうとしているだけだ。
 だが、いつもなら速やかに回復できるはずの魔法は効果を現さず、空しく手が光っているばかりだ。

 その様子と、自分の声に全く反応していないポップを見て、ダイはどうしていいか分からず、ただうろたえるばかりだった。
 だが、動揺するばかりのダイに比べて、ヒュンケルは冷静さを残していた分、素早く真実に気がついた。

(もしかして――)

 それを確かめるためではなく、間違っていることを願って、ヒュンケルはわざとポップの視界に入らないように左手を使ってサイドテーブルの上にのっていた本を手に取る。
 そして、肩を動かさないようにして、手首の捻りだけで壁に思いっきり投げつけた。

「ヒュンケル、どうしたんだよっ!?」

 驚く程大きな音に、ダイが思わず顔をそちらに向けたが、ポップは目を向けもしなかった。ダイが顔を動かしたのを見てから、ぎこちない動作でようやく自分もそちらの方向を見る。
 その様子を見て、ヒュンケルは確信を得た。

「確かめただけだ。ポップは……口がきけないだけじゃない。耳も、聞こえてはいないんだな」

「え……っ!?」

 ヒュンケルの言葉を、ダイは即座には理解できなかった。

「う、うそ……だろ……っ」

 悲痛さを含んだダイのその叫びを、ポップが聞いたはずはない。だが、ひどく辛そうな表情を浮かべたダイの様子を見て、ポップは言葉にならないまま、口をゆっくりと動かして言葉の形を作ろうとした。

 自分の喉を押さえる手を外して、いつものようにダイの頭を乱暴に撫で、笑顔を浮かべてみせる。
 口には出さなくとも、そのしぐさが見せる意味は明白だった。

『大丈夫だから、心配するな』

「ポップ……」

 自分の心配などそっちのけで、まずは親友を安心させようとするポップに、ダイはますます泣きそうな顔になり、細い身体にしがみついた――。





 それから、1時間後。
 ポップの部屋は、騒然とした騒ぎになった。
 ただポップにしがみつくだけのダイに代わって、人を呼んだのはヒュンケルだが、その人数は時間とともに増える一方だ。

 三賢者やレオナはもちろんのこと、侍医や薬師に、侍女、果ては司祭まで集まってくる始末だ。
 心配で心配で、ポップの側から離れたくないダイだが、診察の邪魔になるといわれては、しぶしぶ部屋の隅にひきさがるしかない。

「これは、医療の分類ではありませんね……」

「呪いの一種のようですが、原因は……」

 おぼろげに聞こえる会話が、不安をかき立てる。
 だが、会話はさして多くない。
 しゃべれないポップに合わせて、診察は主に筆談が行われているからだ。

 口はきけないし、耳も聞こえていないが、ポップは元気は元気だった。周囲の人から紙に書かれたものを見せられる度に、ポップは自分でもさらさらとペンを走らせ、返事する。

 その紙と、表情豊かなポップのしぐさで、充分に意思の疎通はできていた。
 立派にコミュニケーションが確立しているのだが、ダイだけはその中に入れなかった。
(なんて、書いてあるんだろ?)

 ちらっと用済みの紙を見てはみたが……難しいすぎてダイにはさっぱりと読めない。それだけに、不安と――細やかな不満が溜まっていく。

「どれ、今度はあの馬鹿が何をやらかしたんだって?」

 エイミとヒュンケルを従えて、やってきたのはマトリフだった。
 世界有数の英知を誇る大魔道士の登場に、部屋の中の人間は一斉に沈黙し、耳目を注ぐ。

 師匠の登場を見て、ポップがホッとしたような顔をして、あらかじめ用意してあった何枚ものの紙をまとめて差し出した。

 それを無言で読むマトリフの顔は、いつものごとく苦虫を噛み潰した様な渋面で、感情が読み取れない。
 彼が次に口を開くまで、随分と長く感じられた。

「……ふーん。分かったぜ。全く、馬鹿をやらかしたもんだな、てめえも」

 そう憎まれ口を叩いてから、マトリフは今のポップにはその言葉が聞こえていないのだと気がついたらしい。
 ペンと紙を要求すると、物凄いスピードで次々と文章を書き上げ、ポップに渡していく。それを見たポップの表情に、驚きが浮かび、それから納得する様に頷くのが見えた。

「ポップ君? 何が書いてあるの?」

 待ちきれない様に、レオナもポップの後ろからそれを除き込み、同様の反応を示す。
 ヒュンケルや三賢者もそれはあまり変わりがない様で、誰もがとっかえひっかえマトリフの書いた数枚の説明文を手にしては、読みふけっていた。

「何度も説明するのは、かったるい。詳しいことはそこに書いておいたから、後はその文章を見ろや。あーあ、急な呼び出しのせいですっかり疲れちまったぜ」

 首をコキコキと鳴らしながらぼやくマトリフを見て、慌てた様にマリンとアポロが彼を休ませる部屋の手配のために動いたり、案内をし始める。
 そんな騒ぎの中、ダイもまた説明文をなんとか手にして眺めるのに参加したが――ただ、眺めていただけだった。

(ど、どうしよう、読めない……! え、えーと? この三つの文字は、たぶん、ポップの名前だよね?)

 ところどころにポップの文字が書かれているだけに、彼について書かれた文章だとは分かる。

 が、そんな難解な文章を読むにはダイはあまりにも読解力が低かった。ただ、ただ、用紙を握りしめて突っ立っているだけのダイに、ヒュンケルが話しかけてくる。

「ダイ。悪いが、読み終わったのならその用紙を次の人に渡してやってくれないか?」

 言われてから、ダイは周囲の人間が順番待ちしているのにやっと気づいた。ポップを心配し、集まっていた人間は大勢いるのだ。

「あ……、うん、ごめん」

 自分の独り占めを恥じ、用紙を他の人に渡しながらも、ダイはヒュンケルに問いかける。
「ねえ、ヒュンケル、これ、なんて書いてあったの?」

 その問いに、ヒュンケルはしばし沈黙する。
 それは、深い意味のあるものではなかった。口下手なこの戦士は、物事をかいつまんで説明するのに不慣れなだけだ。

 おまけに、ポップの状態の説明を受けた以上、近衛隊長としてやるべき仕事が発生してしまった。

「それは、姫からでも聞くといい。すまないがオレは少し急ぎの用があるから、また、後でな」

 ヒュンケルにしてみれば、それは文字通りの意味にすぎない。
 が、文字が全く読めないダイにとっては、不安を呼ぶ言葉ではあった。

「レオナ、これ、なんて書いてあるの?」

 いつもならレオナはダイがそう質問すれば、文章を読み上げながら丁寧に説明してくれる。が、今は忙しいのか、説明はごく短かった。

「あ、大丈夫、大丈夫、ポップ君なら心配はいらないわよ。病気じゃないんだし、すぐによくなるわ。
 ところで、エイミ、ポップ君のスケジュールを全部調べ上げて、面会はキャンセルするように調整し直して! 大至急でお願いね!」

 てきぱきと指示を飛ばしながら、レオナもまた、忙しげに部屋を出て行ってしまった。その他の人達も、書類を読み終わると部屋から退出していく。
 それと同時に、ポップもまた、ベッドから起き上がって部屋から出て行こうとする。

「ポップ!? どこ行くんだよっ!?」

 引き止めようとすると、ポップはひどくびっくりして、それから邪険にダイの手を振り払おうとした。

「ポップ! 動いたりしちゃだめ……なのかな?」

 止めようとしてから、ダイもまた首をひねる。
 病気や怪我の時は、おとなしく寝ていた方がいい。それは、ダイでさえ知っている。
 が、さっき、レオナはポップは病気じゃないとはっきりと言っていた。それなら、寝ている必要はないのだろうか?

 悩むダイに対して、ポップはなんとか手をふりはらうと、手近な紙に手早く文字を書きつけて突き出してきた。

「い……っ!?」

 短く、そう多くもない文章とはいえ、ダイにとってはまるっきり読めないのは変わらない。
 思わず硬直してしまった勇者を見て、ポップもそれを悟ったらしい。

 わざとらしく溜め息をつくと、ポップは嫌みなほど大きな文字を数文字だけ書きなぐった紙を、ダイにつきつけた。
 ものすごく簡単に書かれたその文字は、なんとかダイの知識でも読めることは読めた。
「えっと……お。…れ? ……は、……げ……。あれー、この後の字、なんて読むんだっけ、ポップ?」

 と、聞いたところで、口のきけない今のポップに答えられるはずがない。
 しかたなくダイは一生懸命自力で考え、頭が沸騰しそうなほど悩んだ揚げ句、十分ほどかかってやっと正解にたどり着いた。

「あっ、分かった! 『おれは元気だ』って、書いてあるんだろ、ポップ!」

 喜びに目を輝かせて、やっと正解に辿り着いたのはいいのだが、すでにそこにはポップの姿はない。
 どうやら、悩んでいるダイを放置して、そのままどこかに行ってしまったらしいと気がついたのは、それからさらに五分ほど経過した後のことだった――。

 


                                     《続く》
  
  

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