『失われたもの 1』 |
天を突き刺すように尖った岩山――それらが無数に存在する荒野が、そこにはあった。空の色さえもが暗雲に染まり、生き物の姿がまるで見つけられない、荒廃した雰囲気を漂わせる場所。 死の大地。 漆黒のピエロは、ユラリと無造作に大鎌を振り上げる。 「……!!」 空気の流れからそれを感じ取ったのか、ポップの表情が強張った。だが、キルバーンの仕掛けた幻覚により視覚や聴覚を狂わされ、手足すら動かせなくなったポップに、それを避ける術もない。 不吉な予感に身を震わせながら、ただ歯を食いしばっているだけの少年の細首目がけて、光る鎌が振り下ろされた! 「――!?」 いかに張りついた仮面の顔とは言え、驚きの色をさすがに隠せない。 (……た……、助かった……?) まだ目がはっきりと見えず、しっかりとは立てないポップは自分を助けてくれた相手が、誰かも分からないまま、すがりつきかける。 「……いったい、どういうつもりだい? いくら親友のキミでも、返答次第では許さないよ、ミスト」 「――!?」 キルバーンの言葉に、ポップは大きく目を見張る。 「な……っ!? てめえがっ、なぜ……っ!?」 よりによってミストバーンに助けられ、かばわれた事実に驚愕したポップもまた、キルバーンと似た様な疑問を口にする。 「バーン様のお言葉は……全てに優先する」 くぐもった、その癖、不思議なぐらい深みのある声。静かに呟いただけなのに不思議な程よく響く声が、抑揚なく言葉を紡ぐ。それに対するキルバーンの声は、場違いなぐらいに明るいものだった。 「あれっ、なァ〜んだ、バーン様のご命令があったのかい。それじゃ従うしかないけどサ、いったいなんて言われたんだい?」 「『この魔法使いを、生かしたまま連れてこい』と……」 告げられた言葉の意味を深く考えるよりも早く、悪寒がポップを捕らえる。 「じょ……冗談じゃねえっ!」 ポップは咄嗟にミストバーンを突き飛ばして逃げようと試みた。 指は飛び掛かる蛇の速度で、ポップの身体を一瞬で絡め取り、動きを封じた。 「うわぁあっ!?」 手に、足に、二の腕ごと胴に、不規則に絡み付いた伸縮自在の指は、ポップを操り人形の様にたやすく手のひらへと拘束してしまった。 だが、その恐怖に身を竦めて動けなくなる程、ポップは諦めのいい性格ではない。 「離せっ、離せよっ!? くそおっ、離しやがれっ」 「あー、うるさいな〜。やっぱ、殺しちゃってから連れてった方が、楽じゃないの〜? キャハハッ」 一つ目ピエロの軽口に、ミストバーンは応じようとさえしない。ただ、ポップのうるささに辟易した様に、腕を水平に伸ばしてわずかに遠ざけ、空に飛び上がろうと身体を浮かしかける。 その時、凄まじい轟音が響き渡った。 そのあまりの凄まじさに、土煙が噴火のごとく立ち昇る。 だが――魔王軍の幹部にとっては、この攻撃は脅威ではあっても、驚愕には値しない。 「ヒュ〜ッ、危なかったねえ。まったく、ダメじゃないか、勇者クン。いきなりそんな一撃を振るったりして……ミストが庇わなかったら、魔法使いクンが死んじゃうところだったよ」 怒るというよりは、些細な悪戯をたしなめているような口調は、かえって相手を挑発し、馬鹿にしているように聞こえる。 彼の目はただ、ミストバーンの手に捕らえられたポップに向けられている。 「……ポップを離せ……っ!」 小さな少年の身体とは裏腹の、たぎる様な気迫。 大勇者アバンの最大の必殺技、アバンストラッシュの構え。 (おまけに、さすがは勇者の一撃。これも天運かねえ?) 自分の手にした鎌に、キルバーンは皮肉な視線を投げかける。 さすがにすぐに壊れるほどのダメージは避けたものの、刃から柄に渡ってひびが入ってしまっては、笛としては役に立たない。 「おお、怖い、怖い。でも……いいのかねえ? こっちには魔法使いクンがいることを、忘れてもらっちゃ困るよ?」 その言葉に、ダイの目はよりいっそうの険しさを増し、死神を見据える。剣の柄を握り締める手に一段と力が籠もるが、だが、打って出るようなうかつな真似はしない。 慎重に、間合いを計る様に相手と対峙し、わずかに足の位置をずらして足場を踏み固める。 「ダイッ、おれのことは構わなくていいから、そいつに一発、ぶっ放しちまえっ!」 掴まっている分際で威勢だけはよくわめくポップに、ミストバーンは一瞥すらしなかったが、キルバーンはおかしがっているような視線を投げ掛ける。 「……だってさ。ククク、どうする、勇者クン? 一つ、リクエストに応えてみるかい?」 おどけた口調で言いながら、しかし、キルバーンは人質から離れて大鎌を手に、スッと一歩前へと進みでる。 目を合わせるまでも、言葉など交わすまでもなく、彼らには連携が取れていた。 確かに、勇者の初太刀はキルバーンの武器にひびを入れた。おまけに、ポップを捕らえることで片手をふさがれたミストバーンの方も、ある意味で半分武器をもがれたようなものだ。 だが、それでもこの場で有利なのは、明らかにミストバーン達の方だ。 ポップがミストバーンに囚われている限り、ダイは決して全力で攻撃などできやしまい。それを確信しつつ、それでもなおキルバーンが先鋒を買って出たのは、バーンの命令ゆえだ。 バーンの命令ならば、ミストバーンはこの場でダイと戦う選択など、選びはしない。迷わず、ポップを連れて行くのを優先するだろう。 目前の敵に対し全力で身構えている様で、ダイの意識は恐らくキルバーンよりもミストバーンに向けられている。 瞬間移動呪文は、一度飛び立ってしまえば捕捉はまず不可能だが、出発間際の瞬間に邪魔が入ればその限りではない。 ダイの狙いは、飛び立つ瞬間のミストバーンに一撃を食らわせ、ポップを取り戻す隙を見出だすことにあるだろう。 それを阻むために、滑る様な足取りでダイに近付きながら、キルバーンは牽制のつもりで大鎌を身構える。 「――!?」 牽制などという生易しいものではない。キルバーンの胴を真っ二つに斬らんばかりの剣の一撃は、紛れもなくダイの全力攻撃だった。なまじ、ミストバーンへの援護のつもりで半端に身構えていただけに、キルバーンの姿勢は簡単に崩される。 辛うじて大鎌の柄で攻撃は受け止めたものの、勢いに押されて数メートルは吹っ飛ばされ、後方の岩山に叩きつけられる。 「わわわっ!?」 離れた位置にいたピロロが、慌てながらもキルバーンの方へと駆け寄ってくる。 「やるねえ……だが、これで終わりだよ」 今の一撃で、ダイはミストバーンに攻撃するチャンスを失った。 だが、その余裕の笑みは、瞬間移動するはずのミストバーンが空中で奇妙にふらついたのを見て凍りついた。 (あのボウヤの仕業か……っ!!) 瞬間移動魔法は、一方向にしか働かない魔法だ。 だが、もし――あえて呪文を発動するタイミングを合わせ、まったく同時に瞬間移動呪文を唱えたのなら。 しかし理論上はそれは可能でも、そこまで相手が呪文を唱えるタイミングを合わせるのは、そう容易いことではない。 だが、予想してしかるべきだったのか。 キルバーンとミストバーンがそうだったように、言葉など交わさなくとも連携攻撃はとってくる。 「ダイ、こっちだ――ッ!!」 ミストバーン共々失速して落ちかかりながら叫ぶポップに応じて、ダイは今度はミストバーンに向かって振り返りざまに剣を振るう。 「空烈斬ッ!」 アバン流刀殺法・空烈斬――空を飛んだ残撃は、驚くべき正確さでミストバーンの手だけを貫いた。 「イオ!」 途端に大気が変化を生じ、高温の熱エネルギーを撒き散らしながら爆烈していく。まるで花火を間近でまいた様に、炸裂する光の塊がその場にいた者の目と身体を焼いた。 しかも、ポップは数発、連続して爆烈呪文を放つ。 自ら生み出した呪文の勢いで、ポップの身体は爪に絡みつかれたまま空中に投げ出される。 それを見て、真っ先に動いたのはダイだった。 (ポップって、やっぱりすごいや――!) ポップを目指して空を飛びながら、ダイは今になってからやっとそれを思い至った。 ポップが敵に掴まっているのを見た時から、ダイ自身は冷静さも考えも失っていた。ただ、本能のままに初撃を放ったものの、その後、どうするかなんて思いつきもしなかった。 だが、戸惑わずにすんだのはポップがいてくれたからだ。 正直、ダイにはポップが何を考え、何を狙っていたのかなんて分からなかった。自分の考えでは、ミストバーンに攻撃した方がいいんじゃないかとは思ったし、そうしたいと思いもしたのだが、それでもポップの言葉を優先した。 そして、今になってからようやくポップの狙いや指示の適格さが分かる。 実際、そうしていたのなら、さすがのキルバーンやミストバーンも追いつけなかっただろう。 「……っ!?」 残像の様に、目の前にいるポップがダブって見える。おまけに浮力が急激に弱まり、力が入りにくい。 (だ、だめだ、もう少しもってくれ……っ!) 焦りを感じつつダイは、ポップに手を伸ばす。だが、その速度は明らかに遅くなり、剣に邪魔をされて片手しか使えない手は力が入りにくい。 (邪魔だよっ) ほとんど無意識に、ダイは剣を投げ捨てていた。持ち主の手を離れた剣は、くるくると周りながら下に落ち、海へと落下したがダイはそれを見てさえいなかった。 ただ、両手を目一杯伸ばすのに精一杯だ。 「遅いよ、勇者クン」 その言葉と同時に、弧を描いた大鎌がダイを襲う。 「うわぁっ!?」 まだ、距離をおいた場所にいるにもかかわらず、ミストバーンの伸ばした爪が、生き物のごとくポップを捕らえる。 「ポップ――っ!?」 切迫した叫びと同時に、ダイの手が伸ばされる。眼前の敵であるキルバーンなど無視して、自分の身も顧みずに、ただただ、ポップだけに向かって。 「ダ……イ……ッ!!」 ミストバーンの爪に二重に全身を絡め取られながらも、それでもポップはわずかに動く手を無理やり動かし、ダイに向かって伸ばそうとする。 だが、獲物のわずかな抵抗すら、ミストバーンは許さなかった。 「――ぐぁああっ!?」 「ポップ!? ポップッ!」 ポップの全身を戒めていた、触手のような指がその身体に食い込んでいた。今まで以上の力で締め上げられ、苦痛の悲鳴を上げるポップはもう手を伸ばすどころではない。 落下しかかったポップの手と、ダイの手が触れ合ったのはほんの一瞬だけだった。手を握る力を込める隙すらなく、力の抜けたポップの身体は目を見張る速度でミストバーンの元に引き寄せられる。 完全に意識を失っているのかぐったりとしているものの、ポップの胸はかすかに上下していて、生きているのだけは確認できる。 「くそ……っ!!」 思わず、ダイは歯がみをする。 しかも、ミストバーンの挑発的な嫌がらせはそれだけにとどまらなかった。 そのゆとりを見せた態度は、ダイを激昂させ冷静さを無くさせるには十分だった。 「ポップを返せっ!」 「おおっと、これ以上は行かせないよ、勇者クン♪」 ミストバーンの側に行こうとするダイを、キルバーンは大鎌を振りかざして阻む。 「邪魔だっ、どけっ!」 苛立って怒鳴りつけたところで、キルバーンが怯むはずもない。 小賢しい魔法使いの少年は、すでに無力化させて今度こそ完全な捕虜とした。 あわよくば仕留めようと考えるキルバーンの思考を、ミストバーンも賛成しているのだろう。 しかし――ミストバーンはふと、ある一点を見つめると、スッとその方向を指差した。それに釣られるようにそちらを見たキルバーンは、大仰に肩を竦める。 「おやおや。……やれやれ、今日は邪魔が多い日みたいだね。じゃあ、お楽しみはまた今度かな?」 耳障りな笑いをたて、互いに頷き合ったキルバーンとミストバーンの身体が、一瞬の光の軌跡となって空へと消える。 「まっ、待てっ!!」 後を追おうとして……ダイは、飛ぶどころかその場から落下して、地面に叩きつけられた。 しかし、その目に映るのは誰も見えない空だけだ。 「……あ……」 うろたえ、思わず周囲を見回して……ダイは、地面に落ちたままの杖を見つける。 師匠のマトリフからもらったというその杖を、ポップはいつも身につけていた。震える手でその杖を握り締めるダイは、周囲の状況など目に入っていなかった。 「ダイ、大丈夫か!?」 ガルーダと共にやってきたクロコダインの問い掛けも、耳にろくに入らない。彼の接近を視認したからこそ、キルバーンやミストバーンが逃げたことなど、考えにすら及んでいなかった。 ただ、杖を手にしたまま俯いているダイに、不安げなクロコダインの声がかけられる。 「……!? ダイ、ポップはどうしたんだ!? まさか……?」 それを聞いて、ようやくダイがピクンと反応した。 「ポップ――ッ!」 無人となった死の大地に、小さな竜の咆哮が響き渡った――。
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