『失われたもの 2』

  

 それはある意味、幻想的とも言える物体だった。
 薄暗い地下牢の中で、それは、仄かな光を放って床からわずかに浮き上がっていた。

 人間の大人がやっと立てるぐらいの大きさの、透き通った水晶球のように見える巨大な球。

 球は完全に透明ではなく、シャボン玉の油膜のように淡い虹色の輝きを帯びていて、時折、微かに色合いを変える。
 一見幻とも思える球体の中に、ポップは閉じ込められていた。

(なんなんだよ、これは……!?)

 透明な球形の壁は触れることはできるものの、奇妙な柔軟性に満ちていて破ることなどできそうもない。
 しかも繋ぎ目一つ見当たらない滑らかな壁は、出口などないように見える。

 少なくとも、目覚めた時はすでにここに閉じ込められていたポップにとっては、どこが出入り口なのかも分からなかった。

 ポップに分かるのは、二つだけ。
 自分が囚われの身になったことと……この中では、一切の魔法が使えないこと、だ。

 この不思議な檻の中では、暑くも寒くもないし居心地が悪い訳ではない。
 それに、気絶する前には確かにあったはずの怪我が消えているところを見ると、ある程度の手当てもされたらしい。

 だが、絶対に出られない場所に閉じ込められているというのは、精神的に圧迫感がある。
 ましてや敵に掴まったままで寛げる余裕など、ポップにはなかった。

(ちくしょう……! ダイや、みんなが心配してるだろうに)

 必死に、自分を助けようとして手を伸ばしてくれたダイの顔が、脳裏を離れない。
 むざむざと敵の挑発に乗り、しかも掴まってしまった自分を思うと、悔しくてしょうがない。

 しかも、それだけならまだしも、敵にいいように利用されて仲間達の足を引っ張るかもしれないと思うと……いてもたってもいられないような不安と焦燥感がある。

 なんとか逃げ出す方法はないかと諦め悪く調べ、疲れてはその場に座り込む――その繰り返しだった。
 何度か目の休憩の時に、ポップはガチャリと音を立てる扉の音を聞いた。

「……!?」

 咄嗟に緊張に身構えたポップに向かって、足音すら立てずに滑るような動きでやってきたのは、見慣れぬ人影だった。

 目を射るのは、銀色に輝くボディー。
 全体的なシルエットは、マントを羽織った長身の貴婦人、と言ったところか。

 だが、彼女が貴婦人でないのも、それどころか人間でさえないのは一目瞭然だった。
 肌の色まで銀色の人間などいるはずもなく、手足の存在すら感じさせない姿ならまだしも、わずかに空を浮いて進む動きは人の歩行ではない。

 なにより、整った美貌でありながら鋭さを秘めた怜悧なその目は、貴婦人ではなく戦士のそれだった。

「やっと目覚めましたか、魔法使いポップ」

 ハスキーな声音は、美声といって差し支えのないものだ。
 だが、身も知らぬ人外の存在から名を呼ばれる恐怖に、ポップは警戒せずにはいられなかった。

「……あんたは、一体誰だよっ!?」

「おや、失礼。自己紹介が遅れましたね」

 金属製の顔に美しくも冷たい微笑を浮かべ、アルビナスは慇懃に一礼した。

「お初にお目にかかります。私は、ハドラー様の忠実なる駒、ハドラー親衛隊の女王、アルビナス……以後、お見知りおきを」

「ハドラー……親衛隊、だって?」

 初耳だが、敵の名を冠した部下の存在に、ポップの警戒心はますます強くなる。いっそう険しい目で、ポップはアルビナスを睨み返した。

「――あんたが、おれを殺すのかよ?」

「いいえ」

 意外なくらい素っ気ない答えに、ポップが肩透かしをくらったようにきょとんとした顔になる。

「勘違いなさらぬように。今回、私が動いているのはハドラー様のご命令ではありません。その上からの指示に従っているまでのことです」

 その言葉に、ポップは顔をしかめるばかりだ。
 初めて見る敵の命令系統が、複雑に絡み合っているらしいとはおおよそ見当がつくが、これだけの情報では詳しい事情など推測できるはずもない。

 だが、アルビナスはポップの戸惑いに構う様子もなく、決められた芝居をこなす俳優のごとく、淡々と言葉を続けた。

「あなたは以前、一度、死亡しましたね?」

「……ああ」

「そして竜の騎士バランより竜の血を受けて、蘇生した――違いますか?」

「その通りだけど、それがなんだってんだよっ!?」

「そのせいか、バーン様があなたに興味を持たれた。あなたを見てみたいとおっしゃったので、これから連れて行きます」








 ――それと同じ頃。
 パプニカ城の一室では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。

 ヒュンケルを初めとした傷病者を収容した病室の窓に、突然ヌウッと巨大な鰐の怪物が現れたのだから、一般兵が驚くのも無理はない。
 だが、パプニカの人間やヒュンケル達は驚く様子は見せなかった。

「クロコダイン……!」

 ダイとポップの身を案じて、魔法に比べると格段に速度の遅い怪鳥ガルーダを駆って死の大地まで援護に向かった彼の帰りを、一同は待ちわびていたと言ってもいい。

 部屋中の人々の視線を一心に浴びながら、クロコダインは小脇に大切そうに抱えていた少年をそっと手近な空きベッドの上に横たえさせる。
 ぐったりとしている小柄な少年の姿を認めて、レオナが慌てて駆け寄ってきた。

「ダイ君っ!」

「大丈夫、気を失っているだけだ。力も使い果たしたようだし、このまま眠らせてやった方がいいだろう」

 クロコダインの言葉に、レオナは唱えかけた回復魔法を中断させる。だが、その手を見て訝しげな顔をする。

 ダイの右手には、決して離さないとばかりに、一本の杖が握られている。気を失っているというのに、その手は少しも緩みそうもない。
 その杖がポップの持ち物だと知っているだけに、不安は大きく広がっていく。

「ポップは……!? ポップは、どうしたの!?」

 耐えきれなくなったようにマァムが叫ぶのを聞き、クロコダインは辛そうな表情で俯いた。

「…………すまん」

 その瞬間、部屋の空気が凍りついたような気がした。誰もが言葉を失う中、クロコダインが言い辛そうに、それでもそれが自分の義務であるかのように、きちんと説明をしていく。

 自分がついた時はすでにダイしかいなかったこと、どうやらポップはミストバーン達に連れ拐われたらしいという、不吉な事実。
 力を使い果たした上に剣まで無くし、それでもポップを助けると言い張ってきかないダイを、当て身で気絶させてここまで連れてきたこと。

 彼の説明に口を挟む者は誰もいなかった。ただ、誰もが言葉を失って、沈痛な表情で黙り込むばかりだ。

 いつまでも続くかと思える、重苦しい沈黙。
 それを破ったのは、子供っぽい、たどたどしい声だった。

「……後、もうちょっとだったのに……」

 声の主に、レオナがハッとして振り向く。

「ダイ君っ!? 気がついたのっ!?」

 ベッドに横たわったままのダイは、目を開けてはいた。
 だが、その目は駆け寄ってきたレオナを見ることはない。目が覚めたとはいえ、意識が覚醒したとはとても言い切れない様子だった。

「おれが、もっと早く……っ。もう少しでも手を伸ばしていたら、ポップを助けられたんだ……!」

 自分の手だけを見ながら、ダイがどこか虚ろな声で呟く。悲痛に沈んだ表情は、単に泣いているよりもよほど辛そうだった。

 どんな慰めの言葉も届かないような悲しみを前にして、レオナは言葉をなくして立ちすくむしかない。
 が、思いもかけず口を開いたのは、ヒュンケルだった。

「ミストバーンが、ポップを連れて行った……そう言ったな?」

 部屋の片隅に寝ていた彼に、全員の視線が集中した。

「ならば、ポップの拉致を命じたのは、バーンだろう。あの男を動かせる命令を下せるのは、大魔王しかいない」

 淡々とした言葉ながら、そこには確かな説得力が込められていた。ミストバーンの師事を受けていたヒュンケルは、彼の性格や行動パターンを誰よりもよく承知している。

「拉致がバーンの命令なら……、大魔王の元に連れて行かれるまで、ポップが殺されることはない。ミストバーンは、決してバーンの命令には逆らわない」

 その言葉に、虚ろな目をしたダイでさえ、ヒュンケルに目を向けた。
 それが事実ならば、幾分かでも一同の心は救われる。
 魔王軍の殺し屋であるキルバーンにおびき出されたポップが、すでに殺されてしまった可能性は、一同の心に重くのし掛かっていたのだから。

「ポップ……生きている、ん……だ……」

 ホッとした様に大きく息をつくダイの手を強く握り、レオナは自分自身に言い聞かせる様にいう。

「ええ、生きてさえいるなら、チャンスはあるわ。助ける方法を必ず考えるわ、きっと……!」

 力強い姫の言葉に、ダイの顔に泣き笑いじみた笑顔が浮かぶ。が、次の瞬間、ダイの頭が沈み込んだ。

 慌てたレオナがダイの様子を見て、心配ないという様に頷いて見せる。
 おそらくポップの無事を聞き、今まで無理に起きていた意識の糸が切れたのだろう。レオナの励ましも、効果があったに違いない。

 動揺していたマァムや三賢者も、さっきまでに比べればずっと表情が明るくなっている。
 それを確認したクロコダインは、問う様な眼差しをヒュンケルに投げ掛けたが、言葉は口にしなかった。

 元、魔王軍の二人は知っている。
 大魔王バーンがいかに強大で恐ろしく、また、意図の掴めない底知れない人物であるかを。

 バーンは、気紛れのように他者に興味を持つことがある。ちょうど、生粋の人間であるヒュンケルを、軍団長に取り上げた様に。
 それでいて、バーンはほんの気紛れで他者を滅することもある。

 寛大さと残酷さ、相反する嗜好を合わせ持った正体不明の魔王、それが大魔王バーンだ。
 そのバーンが、ポップに何の用があって拉致を命じたのか……それは、ヒュンケルやクロコダインにとっても謎に包まれていた――。







(バーンって、どんな奴なんだよ……!?)

 幻想じみた球の中で、ポップは落ち着かない様子で立ったり座ったりを繰り返す。

 大魔王バーンの存在は、ポップは噂だけなら耳にしてきた。
 魔王ハドラーが口にした、自分以上の高位の魔王として。
 そして、ヒュンケルやクロコダインから、断片的とはいえバーンの存在を聞かされてはいた。

 だが――聞くと見るのとは、大違いだった。
 紗のベールがかかった謁見室へと連れてこられただけで、ポップは意識せずに震えていた。

「バーン様、勇者一行の魔法使いを連れて参りました」

 封印している檻ごとポップをここまで連れてきたアルビナスは丁寧に一礼し、それ以上は興味はないとばかりにさっさと去っていった。
 やけにだだっ広い大広間の中、ポップと大魔王バーンだけが取り残される。

(な……なんだ、よ、これ……!? なんて、迫力だよ)

 紗のベールに覆われている以上、バーンの姿はしかとは確認できない。まるで、明かりを遠くに置きすぎた影絵のように、幻じみた角の生えた怪物の影だけが写し出されている。

 だが、ポップを震え上がらせているのは、その影ではなかった。
 ベール越しでも感じられる、圧倒的な存在感。それこそが、ポップに戦慄にも似た悪寒を呼び起こす。

 今すぐにでも逃げ出したいと思うような、恐怖感。
 しかし、逃げ場などありはしない。

 ビクビク震えながらも、それでもポップはベール越しに存在するはずのバーンを睨むように、強い視線を向けていた。
 と、唐突にその声が聞こえてきた。

「――おまえが、魔法使いポップか……。報告で聞いてはいたが、まだ子供ではないか」

 重く、深い声が響き渡る。
 声を張り上げている訳ではない。だが、よく通る声はこの広い空間全てに、余すことなく行き渡るかのようだった。

「……!」

 初めて耳にする大魔王の肉声に、ポップは息を飲む。
 嗄れた気配は、年配の男性特有のものだ。だが、意外なぐらい聞き心地の良い声は、優しいと言ってもいい響きがあった。

「おれを……知ってるの……か?」

「アバンの使徒で、勇者ダイの片腕とも言うべき魔法使いの存在を、余が知っているのがそんなに意外か?」

 声音に、わずかに笑いが含まれる。どこまでも余裕とゆとりに満ち溢れたバーンの態度に、ポップは戸惑いと恐怖を覚えていた。

(――なんだろう? こいつは……違う。今まで出会った、どんな敵とも違う……!)

 ただ相対しているだけなのに、まるで全力で魔法合戦をしているかのような疲労感を覚えてしまう。
 恐ろしい程の威圧感と、底知れぬ余裕――敵の余裕は、ポップにとっては恐怖に繋がる。

 まだ、ハドラーやバランのような威圧感なら、理解もできる。己の気迫をそのまま放出しているような、近付くだけでピリピリと空気を震わす迫力とは、明らかに違う。

 ジワジワと底無し沼へでも引き込まれて行くような、不可思議な魅力。
 敵意を持ったポップでさえ、知らず知らずの内にその威厳に膝を屈してしまいそうにさえなる、圧倒的な威圧感があった。

『バーン様……いや、大魔王バーンとは数える程しか対面したことがないが――。ハドラーとはまるで器が違う。いったい、何が目的なのか……』

 兄弟子の言葉が、耳に蘇る。
 直属の上司だったはずの魔王ハドラーを平気で呼び捨てにする男が、バーンの名を口にする時は意識しなければ敬語を使ってしまう理由を、今こそ理解する。

「どうした? ずいぶんとおとなしいではないか。余が、怖いか?」

 揶揄するようにそう言われると、ポップ本来の負けん気が頭をもたげる。意識して強く踏ん張り、ポップは強く言い返した。

「いったい、おれをどうする気なんだよっ!? 殺すんなら、殺すではっきりしろよ!」

「ほう……」

 面白そうに、バーンは低く笑った――。
                                    


                                    《続く》
 

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