『失われたもの 18』 |
狂獣の爪が、ポップを引き裂く――誰もがそう思った瞬間、アルビナスがスッと一歩前に進み出た。 その銀色の身体から、眩い光を発する。 「うわわわっ!?」 悲鳴を上げて身を竦めるポップには当たらなかったのは、偶然か、意図的なものか。 だが、ポップに襲いかかる寸前だった大猿の群れには情け容赦なく針が突き刺さる。研ぎ澄まされた針状の呪文は、ベギラゴンに匹敵する威力を発揮する。 アルビナスの必殺技の一つ、ニードルサウザンド。 それを一度に大量に、予備動作無しで即座に発動するのが、彼女の得意技だ。不意に繰り出された恐るべき数の呪文の針に貫かれ、黒焦げになった怪物達が次々に倒れ伏す。 (よかった……っ) ダイがホッと息をつく。 「ダイッ、危ねえっ!!」 その声に従ったと言うよりも、ダイの本能的な直感が迫る危機に最適の判断を下した。 だが、それでさえ炎の塊はダイの背をなめた。竜闘気で防御すれば完全に防げたであろう炎も、生身のままではダメージは避けられない。 奇声を上げ、スカイドラゴンが落下する。 痛みと、無理な姿勢から無理やり剣を振るったことで姿勢を崩したダイに、容赦なく怪物が襲ってくる。 (くそ……っ) 背中の痛みが、邪魔だった。 おまけに、この怪物を倒せばそれで終わるわけではない。 さすがにここまでの乱戦ともなれば、ハドラーとて無傷では済まされない。だが、超回復能力を誇る超魔生物の肉体は、ダメージを受けたところですぐさま回復していく。 ザムザと戦った時に分かっていたとは言え、その肉体強度は驚異だ。 「ええい、雑魚は引っ込んでおれ!」 苛立ちと共に叫ぶハドラーの手から、灼熱の塊が生み出される。放たれた魔法は、周囲にいた怪物達をあっという間に燃やし尽くした。 「な……っ!?」 驚きに、ダイは言葉を詰まらせる。 だが、同時にそれは有り得ないはずだった。 しかし、超魔生物の強靭さと、卓越した魔法を同時に合わせ持っているのだとすれば……それは、まさに究極の生物兵器に他ならない。 「不思議か、ダイ? 超魔生物であるこのオレが、魔法を使えるのが」 満足感が、ハドラーを満たす。 そのためになら、何を失っても惜しくないと思えた。魔族としての長寿も、寿命さえも――。 最強の肉体を得るために、ハドラーは魔族としての余生を捨てた。 だが、その安全策を、ハドラーはよしとしなかった。 長寿を約束された魔族の身体を捨て、最強の怪物として生きる道を。 挑まずにはいられない……かつて、己の野心を阻んだ勇者の遺志を受け継ぐ少年に。 そんなハドラーの捨て身の決意も、引き換えにした代償の大きさも、ダイが知るはずもない。しかし、それでも漠然とながらハドラーへの恐れを感じとっていた――。
空ばかりを見上げているポップに対して、いささか皮肉めいたハスキーな声が、かけられる。 「先程は雑魚があまりにうっとうしかったから攻撃を放ちましたが、元々、あなたを守れとは命令は受けておりません」 完璧と呼ぶに足りる美貌で、アルビナスはニコリともせずにそう言い、いささかわざとらしく目を周囲へと向ける。 足の速いマンドリル達は一掃したものの、一定の速度で行進してくるゴーレム達は全くの無傷だった。 だが、彼女にとっては、ゴーレムなどただの雑魚だ。いくら来ようとも怖くも何ともないし、側にいる人間を守る余力も充分にある。 「僣越ながら、一つ、ご忠告を。 銀色の女王は余裕を滲ませたまま、いとも礼儀正しく無力な人間の少年を突き放す。 「おれは――そんな方法なんか、知らねえな」 ゆっくりと、ポップが立ち上がる。ずっとしゃがみ込んでいたせいか、その動きはいささかぎこちがない。 「自分の身を守る力なんか、最初っからねえよ。おれは……そんなの、習わなかった」 その口調も、強気なものだった。 肩幅ほどの広さに足を広げ、しっかりと立ったポップは身構えるように両手を握り締める。 「おれがアバン先生から習ったのは――他人のために使う力なんだよっ!!」 ポップが叫ぶと同時に、彼の身体が光り輝いた。 「――!?」 乱戦の最中のダイやハドラーが、息を飲んだ。 それは、凄まじいまでの魔法力の輝き。 目を見張るような魔法力での、一気呵成な放出に耐えきれなかったのか、腕輪に見る見るうちにヒビが入る。だが、それでもポップは気を緩めずに魔法力を高める。 限界は、あっけなく訪れた。 「うわぅぉおっ!?」 顔をすれすれまで近付けて水晶球を覗き込んでいたザボエラは、悲鳴を上げて飛び退いた。 いくら魔族の中では最下級レベルに貧弱な体格であり、肉体強度も低いとはいえ仮にも魔族だ。 だが、傷や痛みには極端に弱く、我慢のきかないタイプであるザボエラは、それこそ転げ回って痛みにわめく。 普段なら、ザボエラの配下が即座に駆け寄ってきて、治療に当たっただろう。しかし、秘密を守るために人払いしていたのが裏目に出て、ザボエラはその後もしばらく、みっともなく痛みに転げ回っていた――。
アルビナスの目が、ポップに向けられる。 腕輪が壊れた途端、ポップからは強力な魔法力が感じられるようになった。 「やれやれ、あなたは立会人という立場を弁えるおつもりは――もはやないようですね」 軽く溜め息をつくアルビナスの表情は、わがままな子供の子守を押しつけられた者のそれに等しい。 「一つ、忠告しておきますが、私には並の魔法は効きませんよ。ハドラー様より頂いたこの身は、オリハルコンでできておりますゆえに……」 誇らしげに、アルビナスは宣言する。 魔法に対しても絶対の耐性を持っているからこその、その名が与えられている。 「ご忠告、ありがとよ。でも、そんなの分かってるさ。前に、ヒムって奴に会ったからな」 軽口めかせた言葉には、不遜とも言える強気さが込められている。 「呪文が効かない相手なら、効かないなりの戦いがあるってもんだよ」 「ほう? どうなさるおつもりですか? 後学のために、教えて頂きたいものですね」 問い返すアルビナスの声にも、丁寧な中にも慇懃な嘲りが混じる。 だが、それさえ気付いていないのか、まるで自分の方が格上だとでも言わんばかりに強気に振る舞う、この魔法使いの少年が癪に障る。 小生意気な彼の鼻を明かしてやりたい気持ちが、彼女の中に生まれていた。こんな魔法使いの魔法ごとき、自分には効かないと証明してやりたいとさえ思う。 しかし、彼女は気がついてはいなかった。 「こうするのさ――ベタン!」 ポップの振り下ろした杖は、有り得ない重力の増加を引き起こす。途端に、ポップのいた地点を中心に、地面を穿つ大きなクレーターが誕生した。 「――っ」 不意打ちの魔法は、アルビナスにさえ影響を及ぼす。通常の魔法とは全く違うその呪文は、彼女の知識にはないだけに反応が遅れた。 だが、混乱は一瞬のみだ。 しかし、彼女が自分自身の魔法力を高める前に、誤算が発生していた。 言葉なきゴーレムはきしむような音を立てながら、砂に沈み込みつつ埋め込まれていく。重量級の身体が仇となり、ゴーレムは早い沈下速度で埋もれていく。 「……ああっ!?」 意外と女性らしい悲鳴が、アルビナスからあがる。 堅い強度を誇る身体は潰れることはないが、底無し沼に引き込まれるように沈められてしまう。 黄色のバンダナを翻して宙に佇むポップの顔には、してやったりとばかりの笑みが浮かんでいる。 (そういう……ことですか……!) 屈辱と共に、アルビナスは悟る。 同時に、アルビナスは気がつく。 もう、彼女に構う暇などないとばかりに、ポップは身を翻して空へと向かう。そして、杖を身構えながら勇者の名を呼んだ。 「ダイッ!!」 呼びかけられた声に、ダイが驚きを見せたのは一瞬だった。 ポップの手から、炎が踊る。 「――!?」 ポップの意外な行動に、ハドラーが驚きを見せるのも無理はない。その驚きが、ポップの攻撃を許す一瞬の隙となった。 もし、ポップが直接ハドラーを狙ったのだとしたら、そうはいかなかっただろう。 もしくは彼を忠実に守ろうとする女王がいたのなら、ポップの攻撃を許すはずもない。主君に少しでも害をなすようならば、即座に反撃に転じたに違いない。 しかし、どんな時でも忠実にハドラーを守ると決めた女王は砂に埋められてしまって、すぐには動けない状況にある。 「は……っ!!」 短い呼気と共に、ダイは剣を一閃させた。 それは、少しでもずれていれば不可能な角度での受け流しだった。ダイが得意とする海波斬で炎を断つのではなく、炎の勢いを殺さないままその方角だけを変える。 それは、予め入念に打ち合わせていたとしても、容易には真似のできないタイミングの合わせ方だった。 息のあった連携に思わず息を飲んだハドラーの顔に、その炎の塊が直撃する。 「うぬ……っ!?」 いかに超魔生物とは言え、炎に焼かれてはただでは済まない。肉体のダメージは再生するとしても、炎の熱さと眩しさに一瞬、目が眩む。 「――――っ!」 言葉さえ、必要なかった。 決して離すまいとばかりに、強く握られた手。 「ハドラーッ! 悪いが、この勝負は水入りだ……っ、こんな邪魔が入っちゃおまえだって決闘どころじゃないだろ!?」 その言葉を言い残し、フッと二人の姿が消えたのは瞬間移動呪文の効果だ。軌跡を描いて飛んでいく影を、ハドラーは敢えて追わなかった。 「よろしかったのですか、ハドラー様」 ゴーレム達を一掃し、やっと簡易蟻地獄の中からアルビナスが抜け出したのは、それから間もなくだった。 その時には、ハドラーもまた、乱戦を終えていた。 砂浜に舞い降りたハドラーは、アルビナスが差し出したマントを当然のように羽織う。 「なにをだ?」 「お戯れを。勇者達を……いえ、あの魔法使いを見逃した件です」 静かに、アルビナスは問い掛ける。 魔法使いの役割は、その魔法と頭脳を持って戦況の流れを変えること、だ。 不利な戦いの場でこそ、魔法使いの力は発揮される。 そんな魔法使いがいかに厄介な存在か……生まれたばかりとはいえ、身に備えられた軍略知識からアルビナスはその危険度を知っていた。 ましてや、アルビナスはポップの戦いやダイに与える影響を直接、見た。 そして、ポップの頭脳の切れも問題だった。 (今なら、バーン様やキルバーンの考えも分かりますね) アルビナスから見れば、バーンやキルバーンほどの魔族がポップの何をそんなに警戒して、特別視しているのか理解しかねるところがあった。 しかし、今ならば彼らに賛同できる。 今後の憂いを考えれば、記憶を失っていた間に始末して置いた方が得策と思えた。いや、今からでも遅くはあるまい。 だが、最大の敵に敢えて最強の武器を返した魔王は、不敵な笑みを浮かべる。 「構わぬ。オレの望みは、アバンの使徒との……最強の勇者との対決のみ。 負け惜しみとは程遠い、晴れ晴れとした口調には微塵の悔いも感じられない。 「勇者にとって、不可欠なもの――失ったものを、返してやったまでのこと。それだけよ」 海の上を、二人の少年が飛ぶ。 飛ぶ速度はポップの方が早く、ダイの手を引っ張るようにして飛んでいる。 追っ手がくるかと全力で飛び続けるダイとポップだが、その気配が無いと分かって少しばかり気が緩む。 「ポップ……ッ、魔法を使ったってことは、記憶、戻ったのかい……? 鍵を、思い出せた、の……?」 ダイらしくもない、おっかなびっくりの質問に、ポップは振り返ってニヤリと悪戯っぽく笑う。 「ああ、『鍵』ね。あー、うん、分かったって言えば、分かったけどさ」 思い出してしまえば、『鍵』は拍子抜けするほど簡単なものだった。 「え? ホント!? それって、なんだったの?」 無邪気に聞いてくるダイに、ポップは露骨に顔をしかめる。 「たいしたことじゃ、ねえよ」 「えー? たいしたことじゃないって、だって、記憶が戻ったんだろ? たいしたこと、あるよ! おれ、聞きたいよ!」 ねだるダイに対して、ポップは空中なのにもかかわらず器用に相棒の首に手を回し、ヘッドロックを決め込んだ。 「あーっ、るっさい! んなの、たいしたことないったら、たいしたことじゃねえんだよっ!」 「うわっ、うわわっ!?」 あたふたと、ダイは下降した。それは、別にポップの技が効いたからじゃない。 飛ぶのがまだあまりうまくないダイは、そのせいで集中が途切れてしまって、慌てて目に見えた岩礁に下り立った。 「なんだよっ、聞いただけなのに何すんだよっ、ポップ!」 「だから、たいしたことねえって言ってんだろっ、話すほどのことじゃねえよ!」 口々に叫びながらも、互いに言っている半分も怒ってなんかいない。むしろ、互いに楽しくってたまわないという気持ちがあふれ過ぎて、知らず知らずのうちに笑いあっていた。 他愛もなく言い合いながら、じゃれ合うように馬鹿騒ぎをする。それは、ポップの照れ隠しに他ならない。 ――言えるわけがない。
必ず訪れる機会なら、その時、ダイの助けになれるようにとポップは願った。自分で自分の記憶を封じたポップが、最後まで考えていたのはそれだった。 (……んなの、照れくさくって言えるわけねえけどよ) おまけに――もう一つ、ポップには不満があった。 「それにだなー! おめえ、だいたいなんでも一人でやろうとしすぎなんだよ。つーか、もっと、おれ達を頼れっつーの!」 照れ隠しとちょっとした苛立ちを込めて、ポップはダイの頭をぐしゃぐしゃに掻き回す。 実のところ――ダイがもっと早く助けを求めれば、話は違ったはずなのだ。 単に、ポップの記憶喪失に困って、助けを求めてくれるだけでもよかった。というか、それが一番簡単だっただろう。 しかし、ダイはポップの生還だけで、満足してしまった。戦う力を失ったポップでも構わないとばかりに、全面的に受け入れてしまった。 ダイの記憶喪失で、性急にダイの記憶復活を望んだ経験を悔いたレオナの助言も、悪い意味で大きかった。 ――だが、嬉しくないこともなかった。 「…………」 乱暴にダイの頭を掻き混ぜていたはずの手が、いつの間にか止まっていた。 「うん……! そうするよ、ポップ。ありがとう、助けてくれて。ポップがいてくれて、本当によかった……!」 聞いている方が恥ずかしくなるほど、真っ直ぐな感謝の言葉。何の衒いもなく、ダイは満面の笑顔で素直に気持ちを口にする。 「やっぱ、ポップがいないと、戦えないよ。おれ、ポップに力を貸してほしいんだ」 両手でしっかりとポップを抱きつきながら、真顔でそんなことが言えてしまう。 「まったく……ホント、しょうがねえ奴だよな、おまえって」 ダイのこの真っ直ぐさ……意地っ張りのポップには、決してできやしないことだ。 しかし、だからこそだろうか――どこまでも真っ直ぐな小さな勇者に、力を貸してやりたいと思える。 (アバン先生……) 今のポップには、失った記憶が全て蘇っている。 だが、それと同様にもう一人の勇者の記憶も、ポップの中に戻ってきた。 ただ、肩を並べてその隣にいたいと願う。 「いいぜ、力を貸してやっても。こうなったら、とことん付き合ってやるよ」 ポップの答えに、ダイの顔がパッと明るくなった。満面の、まさに太陽のような笑顔でダイは大きく頷いた。 「うんっ! ありがとう、ポップ!」 失われたものは、取り戻された。
《後書き》 ううっ、なにやら物凄く基本的な失敗をやらかした気がします。 |