『失われたもの 18』

  

 狂獣の爪が、ポップを引き裂く――誰もがそう思った瞬間、アルビナスがスッと一歩前に進み出た。

 その銀色の身体から、眩い光を発する。
 その途端、四方八方に発射されるは灼熱の針。無数とも言える閃熱呪文が、一斉に周囲へと放たれた!

「うわわわっ!?」

 悲鳴を上げて身を竦めるポップには当たらなかったのは、偶然か、意図的なものか。

 だが、ポップに襲いかかる寸前だった大猿の群れには情け容赦なく針が突き刺さる。研ぎ澄まされた針状の呪文は、ベギラゴンに匹敵する威力を発揮する。

 アルビナスの必殺技の一つ、ニードルサウザンド。
 親衛隊はそれぞれが違う系統の魔法を得意とするが、アルビナスの得意呪文は、閃熱呪文。

 それを一度に大量に、予備動作無しで即座に発動するのが、彼女の得意技だ。不意に繰り出された恐るべき数の呪文の針に貫かれ、黒焦げになった怪物達が次々に倒れ伏す。
 それは、時間にすればほんのわずかな間の出来事だった。

(よかった……っ)

 ダイがホッと息をつく。
 が、その背後に灼熱の塊が迫っていた。その熱気を感じるのと、ポップの叫び声を聞くのと、どちらが早かったのか。

「ダイッ、危ねえっ!!」

 その声に従ったと言うよりも、ダイの本能的な直感が迫る危機に最適の判断を下した。
 身をわずかに捻って、直撃は避ける。

 だが、それでさえ炎の塊はダイの背をなめた。竜闘気で防御すれば完全に防げたであろう炎も、生身のままではダメージは避けられない。
 肌を焼く熱い痛みに顔をしかめながらも、ダイは剣を振るって炎ごと怪物に切りつけた。

 奇声を上げ、スカイドラゴンが落下する。
 しかし、だからといって安堵する暇などはない。
 猛り狂った怪物達は、獲物を選ばずにダイに襲いかかってくるのだから。

 痛みと、無理な姿勢から無理やり剣を振るったことで姿勢を崩したダイに、容赦なく怪物が襲ってくる。

(くそ……っ)

 背中の痛みが、邪魔だった。
 怪我としてはたいしたことはないし、動くのに支障が出るほどではないが、痛みは戦いにたいする集中力を欠く。なんとか今は応戦できているものの、戦いが長引けば不利にしかならない。

 おまけに、この怪物を倒せばそれで終わるわけではない。
 本来の目的を、ダイは忘れてはいなかった。
 ハドラーとの決闘――だが、こんな乱戦では超魔生物の有利を思い知らされる。

 さすがにここまでの乱戦ともなれば、ハドラーとて無傷では済まされない。だが、超回復能力を誇る超魔生物の肉体は、ダメージを受けたところですぐさま回復していく。

 ザムザと戦った時に分かっていたとは言え、その肉体強度は驚異だ。
 しかし、それ以上に目を見張らされる出来事が目の前で起こった。

「ええい、雑魚は引っ込んでおれ!」

 苛立ちと共に叫ぶハドラーの手から、灼熱の塊が生み出される。放たれた魔法は、周囲にいた怪物達をあっという間に燃やし尽くした。

「な……っ!?」

 驚きに、ダイは言葉を詰まらせる。
 魔法の威力、そのものに驚いたわけではない。
 ハドラーは本来、炎と爆烈呪文を得意としていた。このぐらいの魔法は使えたからといって、何の不思議もない。

 だが、同時にそれは有り得ないはずだった。
 超魔生物は、魔法は使えない――それが唯一の欠点なのだから。
 あからさまな弱点であり、ダイにして見れば付け入る隙でもあった。

 しかし、超魔生物の強靭さと、卓越した魔法を同時に合わせ持っているのだとすれば……それは、まさに究極の生物兵器に他ならない。
 ダイの背筋が、粟だった。
 そんなダイを一瞥し、ハドラーが不敵に笑う。

「不思議か、ダイ? 超魔生物であるこのオレが、魔法を使えるのが」







 満足感が、ハドラーを満たす。
 勇者アバン……その後継者たる、勇者ダイを倒すこと。
 それこそが、今のハドラーにとっては全てだった。

 そのためになら、何を失っても惜しくないと思えた。魔族としての長寿も、寿命さえも――。

 最強の肉体を得るために、ハドラーは魔族としての余生を捨てた。
 ザボエラの研究した超魔生物とは、本来は一種の変身にすぎない。
 必要な時だけ最強の肉体に変身できるが、本人の意思一つで元の身体に戻れるようにと、安全面にかなりの配慮をされている。

 だが、その安全策を、ハドラーはよしとしなかった。
 魔族と怪物を変身する機能……それこそが魔力を失う原因と知ったハドラーは、潔く一つの道を選んだ。

 長寿を約束された魔族の身体を捨て、最強の怪物として生きる道を。
 それを捨ててもなお、ハドラーは竜の騎士に匹敵する力を欲したのだ。神々の作り上げた最強の生物兵器と謳われる竜の騎士と、互する力が欲しかった。

 挑まずにはいられない……かつて、己の野心を阻んだ勇者の遺志を受け継ぐ少年に。
 己の力も、生命も振り絞り、彼と真っ向から戦って打ち倒したい――それが、今のハドラーの唯一の野心だ。







 そんなハドラーの捨て身の決意も、引き換えにした代償の大きさも、ダイが知るはずもない。しかし、それでも漠然とながらハドラーへの恐れを感じとっていた――。








「よいのですか。そんなによそ見ばかりして。上ばかり気にしていられる場合とも思えませんけど?」

 空ばかりを見上げているポップに対して、いささか皮肉めいたハスキーな声が、かけられる。

「先程は雑魚があまりにうっとうしかったから攻撃を放ちましたが、元々、あなたを守れとは命令は受けておりません」

 完璧と呼ぶに足りる美貌で、アルビナスはニコリともせずにそう言い、いささかわざとらしく目を周囲へと向ける。
 敵に囲まれているのは、ダイとハドラーばかりではない。
 地上もまた、怪物に取り囲まれていた。

 足の速いマンドリル達は一掃したものの、一定の速度で行進してくるゴーレム達は全くの無傷だった。
 足並みを揃えて迫ってくるゴーレムは、もはや攻撃範囲内にいると言っていい。

 だが、彼女にとっては、ゴーレムなどただの雑魚だ。いくら来ようとも怖くも何ともないし、側にいる人間を守る余力も充分にある。
 しかし、アルビナスにその意思はなかった。

「僣越ながら、一つ、ご忠告を。
 戦場では他人を当てにするな。自分の身は自分で守れ――それが鉄則であり、生き延びる確実な方法だと思いますよ、フフフ……」

 銀色の女王は余裕を滲ませたまま、いとも礼儀正しく無力な人間の少年を突き放す。
 そんな彼女を睨み返すように見つめながら、ポップが口を開いた。

「おれは――そんな方法なんか、知らねえな」

 ゆっくりと、ポップが立ち上がる。ずっとしゃがみ込んでいたせいか、その動きはいささかぎこちがない。
 だが、その目は強い光を放っていた。

「自分の身を守る力なんか、最初っからねえよ。おれは……そんなの、習わなかった」

 その口調も、強気なものだった。
 自分の周囲を取り囲むゴーレムどころか、目の前にいるアルビナスなど気にしていないかのように、ポップはあさっての方角を向いて目を閉じた。

 肩幅ほどの広さに足を広げ、しっかりと立ったポップは身構えるように両手を握り締める。
 もし、魔法の知識がある者なら、一定の方角を向いたその立ち方が魔法契約の際の姿勢を酷似していることに気付いただろう。

「おれがアバン先生から習ったのは――他人のために使う力なんだよっ!!」

 ポップが叫ぶと同時に、彼の身体が光り輝いた。

「――!?」

 乱戦の最中のダイやハドラーが、息を飲んだ。
 今まで冷静な仮面を崩さなかったアルビナスさえ、目を見張る。

 それは、凄まじいまでの魔法力の輝き。
 高ぶる感情のままに全身から魔法力を放出し、その余波が光となってポップの身体を光らせている。

 目を見張るような魔法力での、一気呵成な放出に耐えきれなかったのか、腕輪に見る見るうちにヒビが入る。だが、それでもポップは気を緩めずに魔法力を高める。

 限界は、あっけなく訪れた。
 腕輪は不思議なほど澄んだ音を立てて、砕け散った――!!







「うわぅぉおっ!?」

 顔をすれすれまで近付けて水晶球を覗き込んでいたザボエラは、悲鳴を上げて飛び退いた。
 ポップの腕輪が砕けた瞬間、それに連動していた水晶球も砕けた。細かい破片はザボエラを多少は傷つけたものの、たいしたダメージにはならない。

 いくら魔族の中では最下級レベルに貧弱な体格であり、肉体強度も低いとはいえ仮にも魔族だ。
 いくらなんでも、破片程度で大怪我を負う程までは脆弱ではない。

 だが、傷や痛みには極端に弱く、我慢のきかないタイプであるザボエラは、それこそ転げ回って痛みにわめく。

 普段なら、ザボエラの配下が即座に駆け寄ってきて、治療に当たっただろう。しかし、秘密を守るために人払いしていたのが裏目に出て、ザボエラはその後もしばらく、みっともなく痛みに転げ回っていた――。


「なるほど……それが本来のあなたの姿、というわけですか」

 アルビナスの目が、ポップに向けられる。
 ポップが凄まじい魔法力を放出した時間はそう長くはないが、今の彼がさっきまでと違っているのはアルビナスにさえ分かる。

 腕輪が壊れた途端、ポップからは強力な魔法力が感じられるようになった。
 だが、それ以上に問題なのは、ポップが腰の後ろから杖を抜いて、こちらに向けて身構えたことだ。

「やれやれ、あなたは立会人という立場を弁えるおつもりは――もはやないようですね」

 軽く溜め息をつくアルビナスの表情は、わがままな子供の子守を押しつけられた者のそれに等しい。

「一つ、忠告しておきますが、私には並の魔法は効きませんよ。ハドラー様より頂いたこの身は、オリハルコンでできておりますゆえに……」

 誇らしげに、アルビナスは宣言する。
 オリハルコンはどんな物体よりも堅い強度を誇るからこそ、超金属と呼ばれているわけではない。

 魔法に対しても絶対の耐性を持っているからこその、その名が与えられている。
 物理攻撃にも、魔法攻撃にも無敵を誇る不可侵の金属。
 しかし、それを知ってなお、ポップの態度は変わらなかった。

「ご忠告、ありがとよ。でも、そんなの分かってるさ。前に、ヒムって奴に会ったからな」

 軽口めかせた言葉には、不遜とも言える強気さが込められている。
 手にした杖をバトンのように気楽に振り回し、ポップは挑発的な視線をアルビナスに投げ付けてきた。

「呪文が効かない相手なら、効かないなりの戦いがあるってもんだよ」

「ほう? どうなさるおつもりですか? 後学のために、教えて頂きたいものですね」

 問い返すアルビナスの声にも、丁寧な中にも慇懃な嘲りが混じる。
 彼女が軽蔑じみた態度を示すのは、自惚れとは言えないだろう。アルビナスとポップの実力差など、歴然としている。

 だが、それさえ気付いていないのか、まるで自分の方が格上だとでも言わんばかりに強気に振る舞う、この魔法使いの少年が癪に障る。

 小生意気な彼の鼻を明かしてやりたい気持ちが、彼女の中に生まれていた。こんな魔法使いの魔法ごとき、自分には効かないと証明してやりたいとさえ思う。

 しかし、彼女は気がついてはいなかった。
 そう思ってしまった段階で、すでにポップのペースにはまっていることに。

「こうするのさ――ベタン!」

 ポップの振り下ろした杖は、有り得ない重力の増加を引き起こす。途端に、ポップのいた地点を中心に、地面を穿つ大きなクレーターが誕生した。
 巨大な、見えない円を無理やり砂浜に押しつけたように、クレーターはジリジリと大きく、深く、沈んでいく。

「――っ」

 不意打ちの魔法は、アルビナスにさえ影響を及ぼす。通常の魔法とは全く違うその呪文は、彼女の知識にはないだけに反応が遅れた。

 だが、混乱は一瞬のみだ。
 アルビナス本人には、ベタンの効き目は薄かった。思いもしない不意打ちにかかりはしたものの、全力を振り絞れば術を破れる自信もあった。

 しかし、彼女が自分自身の魔法力を高める前に、誤算が発生していた。
 その範囲内にいる怪物もまた、重圧呪文からは逃れられない。
 すぐ側まで迫っていたゴーレムは、残らずその重力に引き込まれた。

 言葉なきゴーレムはきしむような音を立てながら、砂に沈み込みつつ埋め込まれていく。重量級の身体が仇となり、ゴーレムは早い沈下速度で埋もれていく。
 それに、アルビナスも巻き込まれた。

「……ああっ!?」

 意外と女性らしい悲鳴が、アルビナスからあがる。
 攻撃は効かなくとも、ゴーレム十数対分の重みと体積にのし掛かられては、さすがの彼女も対応しきれない。

 堅い強度を誇る身体は潰れることはないが、底無し沼に引き込まれるように沈められてしまう。
 ゴーレムの群れごと砂浜に埋められるながら、アルビナスは空中に浮かんでいるポップの姿を見た。

 黄色のバンダナを翻して宙に佇むポップの顔には、してやったりとばかりの笑みが浮かんでいる。

(そういう……ことですか……!)

 屈辱と共に、アルビナスは悟る。
 これこそが、最初からポップの狙いだったのだ、と。ポップは最初から、敵さえも利用する気だった――アルビナスを挑発し、時間を稼いでゴーレム達が近付いてくるのを待っていた。

 同時に、アルビナスは気がつく。
 ポップの目的が、自分への攻撃などではない、と。
 その証拠に、ポップはアルビナスが砂の中にある程度沈んだのを確認すると同時に、術を解いた。

 もう、彼女に構う暇などないとばかりに、ポップは身を翻して空へと向かう。そして、杖を身構えながら勇者の名を呼んだ。

「ダイッ!!」

 呼びかけられた声に、ダイが驚きを見せたのは一瞬だった。
 瞬き一回に値するかどうかの時間……たった、それだけだ。
 そして、ダイが返事するのも待たずに魔法使いは先手を打ってきた。

 ポップの手から、炎が踊る。
 彼が最も得意とする炎の呪文は、一直線にダイに目掛けて襲いかかった。

「――!?」

 ポップの意外な行動に、ハドラーが驚きを見せるのも無理はない。その驚きが、ポップの攻撃を許す一瞬の隙となった。

 もし、ポップが直接ハドラーを狙ったのだとしたら、そうはいかなかっただろう。
 だが、ポップが味方のはずのダイを狙って攻撃した事実への驚きが、彼の先行を許した。

 もしくは彼を忠実に守ろうとする女王がいたのなら、ポップの攻撃を許すはずもない。主君に少しでも害をなすようならば、即座に反撃に転じたに違いない。

 しかし、どんな時でも忠実にハドラーを守ると決めた女王は砂に埋められてしまって、すぐには動けない状況にある。

「は……っ!!」

 短い呼気と共に、ダイは剣を一閃させた。
 自分に向かって放たれた炎を、ダイは絶妙のタイミングで、剣で受け流す。

 それは、少しでもずれていれば不可能な角度での受け流しだった。ダイが得意とする海波斬で炎を断つのではなく、炎の勢いを殺さないままその方角だけを変える。

 それは、予め入念に打ち合わせていたとしても、容易には真似のできないタイミングの合わせ方だった。
 なまじ斬るよりもよほど難しい離れ業を、勇者と魔法使いは目を合わせすらしないで見事にやってのけた。

 息のあった連携に思わず息を飲んだハドラーの顔に、その炎の塊が直撃する。

「うぬ……っ!?」

 いかに超魔生物とは言え、炎に焼かれてはただでは済まない。肉体のダメージは再生するとしても、炎の熱さと眩しさに一瞬、目が眩む。
 だが、その一瞬だけでダイとポップには充分だった。

「――――っ!」

 言葉さえ、必要なかった。
 ハドラーが怯んだ一瞬をついて、瞬間移動で飛んできたポップの伸ばした手と、予めそれを知っていたかのように伸ばされたダイの手が、全く同時に互いの手を掴む。

 決して離すまいとばかりに、強く握られた手。
 そして、そのままでポップが一声、怒鳴る。

「ハドラーッ! 悪いが、この勝負は水入りだ……っ、こんな邪魔が入っちゃおまえだって決闘どころじゃないだろ!?」

 その言葉を言い残し、フッと二人の姿が消えたのは瞬間移動呪文の効果だ。軌跡を描いて飛んでいく影を、ハドラーは敢えて追わなかった。

「よろしかったのですか、ハドラー様」

 ゴーレム達を一掃し、やっと簡易蟻地獄の中からアルビナスが抜け出したのは、それから間もなくだった。

 その時には、ハドラーもまた、乱戦を終えていた。
 ポップの腕輪が壊れた途端、正気を取り戻した怪物の群れは倒すまでもなく、散り散りに逃げ去った。

 砂浜に舞い降りたハドラーは、アルビナスが差し出したマントを当然のように羽織う。

「なにをだ?」

「お戯れを。勇者達を……いえ、あの魔法使いを見逃した件です」

 静かに、アルビナスは問い掛ける。
 リーダーであり、参謀の役も兼ねているこの美しき女王には、あの魔法使いの厄介さが目に見えていた。

 魔法使いの役割は、その魔法と頭脳を持って戦況の流れを変えること、だ。
 大呪文を放って敵を討つのだけが、魔法使いの仕事ではない。そんな単純な動きや思考しかできない魔法使いならば、恐れるには足りるまい。
 真に厄介なのは、一行の参謀として活躍するタイプの魔法使いの存在だ。

 不利な戦いの場でこそ、魔法使いの力は発揮される。
 頭脳を駆使して戦いの流れを読み、参謀として仲間を指揮しながら、自軍の有利となるように場を傾けるための魔法を放ってくる。

 そんな魔法使いがいかに厄介な存在か……生まれたばかりとはいえ、身に備えられた軍略知識からアルビナスはその危険度を知っていた。

 ましてや、アルビナスはポップの戦いやダイに与える影響を直接、見た。
 絶対の信頼を持ち合い、即座に連携を取ってくるあの一体感。
 打ち合わせなどできるはずもなかっただろうに、ポップが立てた作戦にダイはすぐに乗ってきた。あの絆は、一朝一夕でできるものではない。

 そして、ポップの頭脳の切れも問題だった。
 乱戦の中での、あの立ち回りの巧みさ。
 決闘という概念に拘ったこちら側の思考の隙を突き、咄嗟に策を弄してくるあの小賢しさは、正直厄介だと思う。

(今なら、バーン様やキルバーンの考えも分かりますね)

 アルビナスから見れば、バーンやキルバーンほどの魔族がポップの何をそんなに警戒して、特別視しているのか理解しかねるところがあった。

 しかし、今ならば彼らに賛同できる。
 確かに、ポップは敵とするには厄介な存在だ。
 勇者の片腕となる魔法使いを生かしたまま見逃せば、勇者一行の戦力を大きく左右する存在となるだろう。

 今後の憂いを考えれば、記憶を失っていた間に始末して置いた方が得策と思えた。いや、今からでも遅くはあるまい。
 ハドラーの許可さえあれば即座に追撃をかけ、せめてポップにだけでもとどめを刺した方がいいとさえ思う。

 だが、最大の敵に敢えて最強の武器を返した魔王は、不敵な笑みを浮かべる。

「構わぬ。オレの望みは、アバンの使徒との……最強の勇者との対決のみ。
 武器も覇気も失い、力が半減したあやつと戦ったところで、気も晴れぬわ」

 負け惜しみとは程遠い、晴れ晴れとした口調には微塵の悔いも感じられない。
 むしろ、最初からこうなるのを望んでいたとばかりの余裕に満ちている。
 彼は敵に、塩を送ったのだ。

「勇者にとって、不可欠なもの――失ったものを、返してやったまでのこと。それだけよ」







 海の上を、二人の少年が飛ぶ。
 ダイとポップは、互いにしっかりと手を繋ぎながら飛んでいた。
 主導権を握っているのは、ポップだ。

 飛ぶ速度はポップの方が早く、ダイの手を引っ張るようにして飛んでいる。
 瞬間移動呪文を使うには魔法力が足りなかったのか、さっきのポップの呪文では半端な距離の地点まで飛ぶのが精一杯だった。

 追っ手がくるかと全力で飛び続けるダイとポップだが、その気配が無いと分かって少しばかり気が緩む。
 そのせいで、口を利く余裕もできた。

「ポップ……ッ、魔法を使ったってことは、記憶、戻ったのかい……? 鍵を、思い出せた、の……?」

 ダイらしくもない、おっかなびっくりの質問に、ポップは振り返ってニヤリと悪戯っぽく笑う。

「ああ、『鍵』ね。あー、うん、分かったって言えば、分かったけどさ」

 思い出してしまえば、『鍵』は拍子抜けするほど簡単なものだった。

「え? ホント!? それって、なんだったの?」

 無邪気に聞いてくるダイに、ポップは露骨に顔をしかめる。

「たいしたことじゃ、ねえよ」

「えー? たいしたことじゃないって、だって、記憶が戻ったんだろ? たいしたこと、あるよ! おれ、聞きたいよ!」

 ねだるダイに対して、ポップは空中なのにもかかわらず器用に相棒の首に手を回し、ヘッドロックを決め込んだ。

「あーっ、るっさい! んなの、たいしたことないったら、たいしたことじゃねえんだよっ!」

「うわっ、うわわっ!?」

 あたふたと、ダイは下降した。それは、別にポップの技が効いたからじゃない。
 ポップは手を抜いた遊び半分でやっているし、痛みよりもくすぐったさの方が勝っている。

 飛ぶのがまだあまりうまくないダイは、そのせいで集中が途切れてしまって、慌てて目に見えた岩礁に下り立った。
 だが、一緒に降りてきたポップはまだ、ダイの首に手を回したまま、髪を引っ張ったり、ほっぺたを引っ張ったりを繰り返す。

「なんだよっ、聞いただけなのに何すんだよっ、ポップ!」

「だから、たいしたことねえって言ってんだろっ、話すほどのことじゃねえよ!」

 口々に叫びながらも、互いに言っている半分も怒ってなんかいない。むしろ、互いに楽しくってたまわないという気持ちがあふれ過ぎて、知らず知らずのうちに笑いあっていた。

 他愛もなく言い合いながら、じゃれ合うように馬鹿騒ぎをする。それは、ポップの照れ隠しに他ならない。

 ――言えるわけがない。
 ポップが自分に設定した『鍵』は、『ダイを助けるため』にあった、だなんて。
 だが、それが真実だった。








 ずっと、信じていた。
 この小さな勇者が、必ず自分を助けに来てくれるはずだと。あの絶望的な状況の中でも、無意識にそれだけは信じていたのだ。

 必ず訪れる機会なら、その時、ダイの助けになれるようにとポップは願った。自分で自分の記憶を封じたポップが、最後まで考えていたのはそれだった。







(……んなの、照れくさくって言えるわけねえけどよ)

 おまけに――もう一つ、ポップには不満があった。
 文句を言うのは筋違いとは思うが、『鍵』は本来もっと早く解けるはずだった。

「それにだなー! おめえ、だいたいなんでも一人でやろうとしすぎなんだよ。つーか、もっと、おれ達を頼れっつーの!」

 照れ隠しとちょっとした苛立ちを込めて、ポップはダイの頭をぐしゃぐしゃに掻き回す。
 冗談めかした言い方ながら、それはポップの本音だった。

 実のところ――ダイがもっと早く助けを求めれば、話は違ったはずなのだ。
 別に、ポップはダイが助けを求める対象を、危機や敵などに限定した覚えはない。助けは、精神的な意味でも充分だった。ダイがポップに助けを求めれば、それがきっかけになったはずだ。

 単に、ポップの記憶喪失に困って、助けを求めてくれるだけでもよかった。というか、それが一番簡単だっただろう。

 しかし、ダイはポップの生還だけで、満足してしまった。戦う力を失ったポップでも構わないとばかりに、全面的に受け入れてしまった。
 内心はポップの記憶を戻したいとは思っても、無理強いをせずにじっと待つ方に頑張ってくれた。

 ダイの記憶喪失で、性急にダイの記憶復活を望んだ経験を悔いたレオナの助言も、悪い意味で大きかった。
 ダイのおおらかさや仲間の思いやりが、かえって仇となってしまったのは、皮肉としか言い様がない。

 ――だが、嬉しくないこともなかった。
 記憶がない間でさえ、自分を大切な仲間として守ろうとしてくれた仲間達の思いやりは、本音を言えば身に染みるほどに嬉しかった――。

「…………」

 乱暴にダイの頭を掻き混ぜていたはずの手が、いつの間にか止まっていた。
 と、それを待っていたように、ダイが顔を上げて真っ直ぐにポップを見上げる。

「うん……! そうするよ、ポップ。ありがとう、助けてくれて。ポップがいてくれて、本当によかった……!」

 聞いている方が恥ずかしくなるほど、真っ直ぐな感謝の言葉。何の衒いもなく、ダイは満面の笑顔で素直に気持ちを口にする。

「やっぱ、ポップがいないと、戦えないよ。おれ、ポップに力を貸してほしいんだ」

 両手でしっかりとポップを抱きつきながら、真顔でそんなことが言えてしまう。
 呆れてしまうほどに直球で、無敵なほどに天然な勇者――しばし呆気に取られ、それからポップは声を立てて笑った。

「まったく……ホント、しょうがねえ奴だよな、おまえって」

 ダイのこの真っ直ぐさ……意地っ張りのポップには、決してできやしないことだ。
 それができるからこそ、ダイはダイだ。
 ポップには到底できっこないことを、いともすんなりとやってのける少年。

 しかし、だからこそだろうか――どこまでも真っ直ぐな小さな勇者に、力を貸してやりたいと思える。
 フッと、記憶を過ぎるのは憧れ続けた背中だった。

(アバン先生……)

 今のポップには、失った記憶が全て蘇っている。
 アバンの背中に憧れて追いかけた日々も、鮮明に思い出せる。

 だが、それと同様にもう一人の勇者の記憶も、ポップの中に戻ってきた。
 一緒に旅立ち、一緒に戦い続けてきた小さな勇者。
 まだまだ未熟で、なのに驚くほど強くて、誰よりも頼りに思える勇者に対しては、憧れなんて抱いちゃいない。

 ただ、肩を並べてその隣にいたいと願う。
 不安と期待を込めた目で、一途に自分の答えを待つ勇者に対して、魔法使いは笑いながら言った。

「いいぜ、力を貸してやっても。こうなったら、とことん付き合ってやるよ」

 ポップの答えに、ダイの顔がパッと明るくなった。満面の、まさに太陽のような笑顔でダイは大きく頷いた。

「うんっ! ありがとう、ポップ!」







 失われたものは、取り戻された。
 そして、勇者と魔法使いは初めて会った時のように、互いの手をしっかりと握り合った――。



                             《完》


《後書き》
 や、やっと完結いたしました!
 44444hit記念リクエスト、『ポップが記憶喪失になる話』です! …って、完成まで時間かかりすぎな上に、長すぎっ!!(自爆)
 ちょっとちょっと、これって表で最長編な話になっておりますですよっ?!
 

 ううっ、なにやら物凄く基本的な失敗をやらかした気がします。
 なんだか色々と申し訳ない気がしますが、でも久々に原作沿いのがっちりとした話を書けてすんごく楽しかったです!
 
 
 

17に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system