『失われたもの 17』

  

 凄まじい激突音の余韻が消える頃、舞い上がった砂もほぼ落ちきって視界が良好になる。
 そこには、鍔競り合いの形で接近し合う勇者と魔王の姿があった。

「……!?」

 誰よりもその事実に驚愕し、目を見張ったのは、ダイだった。
 ぶつかりあったのは、ダイの剣とハドラーの右腕だった。
 だが、ダイの剣をまともに受け止めたハドラーの腕には、傷一つついていない。

(そんな……っ!?)

 ダイの剣は、素材からして並とは違う。
 魔界の武器職人でさえ最高の金属と認めたオリハルコンで作られた、強固な剣だ。

 しかも、今、ダイは竜の紋章を使ってまで全力で剣を振り切った。山のような巨体を誇った鬼岩城を一刀両断した時と、同じタイミングと、力で。
 にもかかわらず、ハドラーの腕は全くの無傷……おまけに、手応えが変だった。

 とてつもなく堅く、揺るぎのない物に切りつけたような印象。
 それに、両者が激突した瞬間に響き渡った金属音――ダイの直感は、理屈を飛び越えて真実に辿り着いこうとしていた。

「ハドラー……ッ、この腕に、何を仕込んでいるんだっ!?」

 ダイの問いに、ハドラーはニヤリと口端で笑って見せる。

「フッ……分かったか?」

 気迫を込めて、ハドラーは腕を一振りする。
 その勢いで派手に吹き飛ばされたように見えるダイだったが、実際には自分からも後ろに飛んだので、たいしたダメージはない。

 だが、ダイの表情がいつになく険しく、強張っているのは緊張感のせいだった。

 神経がピリピリと張り詰め、決して油断するなと心の奥底から警告信号が発信される。今のハドラーが、今までの彼とまるで違う強敵となったことを、ダイは本能的に察知していた。

 ダイがハドラーと顔を合わせたのは、これが初めてではない。
 倒さねばならない魔王軍の敵として、アバンの仇として、ずっと意識していた相手だ。幾度か戦ったことはあったし、大体の強さも把握していたつもりだ。

 しかし、今のハドラーから感じるのは、今までの記憶が嘘かと疑いたくなるような、圧倒的なまでのパワーだ。
 膨大なエネルギーを溜め込み、噴火寸前の火山を見ているかのような戦慄と、奇妙な高揚感すら感じる。

 改造され、今までの比ではないほどまでに鍛え上げられた肉体には、ダイは見覚えがあった。
 細かい造作は違うが、今のハドラーの肉体は超魔生物と化したザムザに雰囲気が似ている。

 それだけに、ダイの本能は警戒を緩めない。
 恐るべき回復能力を備え、圧倒的な肉体強度を誇る超魔生物との戦いは、ダイにとって苦戦を強いられた戦いだった。

 竜の騎士の力の使い方に不慣れなため戦略を誤ったせいもあり、ポップやマァムのサポートがなければ正直勝てなかっただろう。
 ザボエラの研究成果の結晶である超魔生物は、竜の騎士の力を持つダイにとってさえ驚異だった。

 本業が魔法学士であり、本体は決して戦闘向きとは言えなかった上に、戦いの経験が浅く戦闘慣れしていそうもなかったザムザの超魔生物でさえ、苦戦したのだ。

 戦闘経験ではザムザの比ではなく、元々戦闘向きの肉体を持っていたハドラーが強化されたことを考えると、背筋に震えが走る。
 しかも、悪寒の原因はそれだけではなかった。

「オレは、最強の身体を手に入れた……! そして、それに相応しい剣もな」

 高々と振り上げたハドラーの右腕が、勢いよく降り下ろされる。
 それと同時に、ハドラーの右腕の中から一本の剣が生み出された!!

「――!?」

 思わず、ダイは目を見張っていた。
 右の拳から生えたように見える剣は、ハドラーの腕と完全に一体化していた。その剣の正体に、ダイはすぐ気がついた。

 ロモスの武術大会の賞品だった、覇者の剣。
 オリハルコンで作られたと言われる伝説の剣は、密かにロモスに潜入していたザムザの手に寄って贋物とすり替えられていた。

 本物はすでにハドラーに献上済みだと彼が語っていたことを、ダイは覚えていた。

 最強の肉体と、伝説の剣。
 しかし、それらを備えたからハドラーが恐ろしいと思うのではない。

「来いっ、ダイ!」

 ハドラーが、吠えるように叫ぶ。
 不意打ちや罠の気配など微塵も感じられない、堂々たる態度に圧倒されずにはいられない。
 ハドラーの気迫に押されながらも、ダイが考えていたことは一つだった。

(とにかく、ポップから離れなくっちゃ)

 足場を確保しにくい砂浜は、戦いにはそもそも不向きだ。この場で全力で戦っては、ポップにまで被害が及ぶかもしれない心配も拭いきれない。
 ダイは無意識に砂浜を強く蹴り、宙へと飛び上がっていた――。








「フ……ッ、なかなかの名勝負ですね」

 蒼天を見上げ呟くアルビナスには、余裕に満ちている。
 戦いの舞台を空に移したダイとハドラーが、激しく何度もぶつかりあい、斬り結びあう姿が見える。

 だが、その攻撃はどこか相手を探る雰囲気が強いことは否めない。
 実力は拮抗……というよりは、ややハドラーが有利と言った雰囲気か。
 気迫を込めて最強の敵と戦う覚悟を決めたハドラーに対して、ダイにはまだまだ戸惑いの色が強い。

 互いの力を確かめるがごとく、剣を交えていると言う事実を、アルビナスは決して見逃さなかった。

 しかし、武術の達人の稽古が、一種の舞踊のように整い見応えのある動きとなるように、ダイとハドラーの戦いもまた、目を惹きつける。
 立会人という立場上、見物に徹さざるをえないアルビナスにとっては、多少の歯がゆさは感じつつも見るのに困る戦いではなかった。

 だが、同じ立会人という立場でも、ポップにはそれだけのゆとりはなかった。

(ダイ……ッ)

 ポップにとって、それは文字通り到底手の届かない戦いだった。
 手を出せる余地があるのに、敢えて立会人の立場にとどまっているアルビナスと、見ているしかできないポップとでは、そもそも精神状態からして違ってくる。

 アルビナスの言葉に応えるだけの余裕もなく、ポップは必死の形相で空を見上げる。
 目で追うのがやっとの速度で動き回りながら、火花を散らして剣を打ち合うダイとハドラーから、ポップは目をそらせなかった。

 初めて見る、戦いのはずだった。
 ――だが、不思議に心が揺さぶられる。絶対に手の出せない所で戦う勇者と魔王の姿を、以前にも見たことがあるような気がしてならない。

 こんな風に、何も出来ない自分に歯がみしながら誰かの無事を祈ったことがあるような気がする。
 思い出せそうで思い出せない、懐かしい面影がすぐ胸元まで込み上げてくる。

 優しい笑顔、頼りがいのある背中――。
 揺れ動く思い出の中の光景と、目の前で実際に繰り広げられている光景が、重なって見えるようだった。

 自分にとって大切な人間が、途方もなく不利な戦いに挑んでいる光景を見るのは、胸が締めつけられるように痛む。
 空中戦では、明らかにハドラーが有利だった。なにしろ、ダイとハドラーでは体格が違う。

 地面に足をしっかりとつけて、足場を固めての戦いならばまだ違うかもしれないが、空中では踏ん張りが効かないせいで、ダイも力の振るい方に苦戦しているようだった。

 飛ぶのが得意とは言えないダイが、空での戦いに挑むのがそもそも無茶なのだ。
 なのに、彼がそんな無茶をする原因がポップには薄々察しがついていた。

(くそっ、あいつ、おれのことなんか気にしている場合かよ!?)

 庇われる立場にいるのが、悔しくてならない。
 前は、何も出来なかった自分……だが、それだけでは終わらないと誓ったはずだった。

(でも、おれに何ができる……!?)

 ポップは強く、自分の手を握り締める――と、その手に、ズキンと痛みが走った。

「痛……っ!?」

 いきなり、何かに噛みつかれたような激痛は、腕輪の周囲からもたらされた。

 しかし、手には一切の傷はない。
 腕輪の太さが変わったわけでもなく、締め付けられているのでもない。だが、腕輪の色が変わっていた。

 紅かった腕輪は、どす黒い色合いへと変わっていて、不気味な明滅を繰り返す。それと同時に、ポップは自分の内部から何か、力は奪い取られていくのを感じ取った。

「……く……くぅ……っ」

 体力をガクンと削りとられる感触に、ポップは右手を押さえたままその場に膝を突く。その途端、頭上から降ってくる声が聞こえた。

「ポップ――ッ!?」

(バカ野郎……っ。決闘の最中に、どこ見てんだよっ!?)

 そう文句を言おうと顔を上げたポップは、絶句する。
 青空が、黒く染まっていた。
 いや、そう見える程の大群の怪物が不意に現れていた。

 まず、真っ先に目につくのがスカイドラゴンや、ドラゴンライダー。その他にも、パピラスやキメラ、ガーゴイルなど数え上げればきりがない。

 そして、登場したのは空だけでは無い。
 密林の中から、マンドリルやゴーレムなど重量級の怪物達がのっそりと現れる。

 天地を埋め尽くさんばかりの勢いで登場した大群は、興奮にいきり立った目で彼らを捕らえる。

「なっ、なんだとっ!?」

 ダイだけでなく、ハドラーにさえこれは不意打ちだったのか、驚いたように周囲を見回す。
 その戸惑いに付け入るように、怪物の大群は一斉に無差別攻撃を開始した――!








「キーッヒッヒッヒッ!! いいぞっ、いいぞいっ! その調子じゃあっ」

 耳障りな声で、ザボエラが哄笑する。
 安全が保証された自分の研究室の中から、水晶球を通してダイとハドラーの決闘を見ているザボエラにしてみれば、笑いが止まらない展開だ。

 ポップに与えた腕輪には、実は、三つの効果があった。
 一つは、通信器としての役割。腕輪を通してザボエラは向こう側の風景も見ていたし、当然のように盗聴もしていた。

 二つ目は変魔の腕輪としての効果。持ち主の魔法力を利用して、本人の気配を魔物へと変え、周囲の怪物の興奮を誘う効果……だが、これはザボエラの意思でその効力を操作できる。

 威力を最低に抑えていれば、効力は薄い。
 せいぜい、ポップを中心に1?範囲内にいる怪物に影響を与えるぐらいのものだ。それも、戸外にいなければ効き目は薄い。

 いわゆるフェロモン……人間には感じ取れないだろうが、魔法力を微々たる匂いに変換して興奮を誘うからだ。
 だが、効果を最大限に発揮すれば、数?範囲内の怪物を熱狂的に興奮させ、呼び寄せるのも可能だ。

 しかし、ザボエラはあえてこの機能を今まで抑えていた。
 結局のところ、この腕輪は持ち主の魔法力の続く範囲の時間しか効き目はない。ポップの魔法力は人間としてかなり高いが、それでも本来魔族用に作られたこの腕輪の効力を、常時完全発揮し続けるだけの力は無い。

 中途半端に力を強めてダイ達に余分な警戒をされないように、ザボエラは今まで最低限の効力に抑えてきた。

 そして、三つ目の効果……それこそが、ポップに腕輪を与えた最大の目的だった。
 自己犠牲呪文――メガンテの発動だ。

 単に腕輪をはめているだけでは一つ目と二つ目の効果しか発動しないが、ポップの死亡と同時にメガンテの効果が現れる。

 しかも、このメガンテの効力は通常のものよりも遥かに強い。
 古代期に作られた呪器だけに、その効力は絶大だ。
 現在では、魔法の効力は古代よりも劣っていると言われている。

 現に、今はメガンテは接触した相手に対してしか発動しない単体魔法となっているが、記録によるといにしえの時代のメガンテは全体魔法だった。
 直接相手に触れていなくとも、己の周囲の敵全てを道づれに滅する究極の自己犠牲魔法だったのだ。

 言わば、ザボエラはポップを一度っきりの使い捨ての爆弾として、利用するつもりだった。
 そのためにザボエラは、今までずっと機会を窺っていた。
 ダイが近くにいて、しかもポップを庇うのに間に合わないであろう機会を。

 その意味では、今回の決闘は絶好の機会だった。最初から連中がくると分かっているのであれば、前もって周囲に大量の怪物を用意するのは難しくない。

 部下に命じて、決闘の島に催眠呪文で眠らせた怪物を大量に潜ませておいた。眠っている怪物ならば気配も無いため、ハドラーにも怪しまれないし、腕輪の効力を最大限にすれば興奮に誘われた彼らは自然に目覚める。

 怪物の猛攻でポップが死亡し、ダイと――ついでにハドラーにも大ダメージを与えるのであれば、ザボエラにとっては好都合というものだ。

 今のところ、面白いぐらいにザボエラの思惑通りに事が運んでいる。
 興奮するだけ興奮しきって猛り狂った怪物達は、すでに敵を選ばない。ポップはもちろんのこと、動くものすべてを敵と見なして攻撃を仕かけている。

 突然の怪物の襲撃に、ダイやハドラーが決闘も一時中断して応戦しているのが見えるが、なにしろ数が数だ。
 間違っても怪物ごときがダイやハドラーを倒せるとは思っていないが、手頃な時間稼ぎにはなる。

 ダイがポップを庇おうとしても、間に合うまい。
 この乱戦の中で、魔法を使えないただの人間が生き残れる可能性は低い。ましてや、すべての怪物はポップの匂いに興奮し、最優先で彼を襲うのだ。
 ポップの絶命は、時間の問題だろう。

「ヒーッヒッヒッ、死ねっ、死ねっ。あんな小生意気な小僧など、せいぜい惨たらしく死ねばいいんじゃっ!」

 ポップの死亡は、ザボエラとしては溜飲の下がる思いだ。
 細かいことにこだわり、なおかつしつこく根に持つタイプであるザボエラは、何度となく自分の邪魔をした人間の少年を決して快く思っていない。

 嘲笑いながら水晶球を見ているザボエラは、冷静に計算をするのも忘れなかった。

(ダイやあのハドラーめも死んでくれれば万々歳じゃが、瀕死になったところに駆けつけて、とどめを刺してやってもいいのう……)

 舌なめずりをしながら計算するザボエラは、ポップに向かってマンドリルやゴーレムが向かっていく映像を眺めていた――。








 ドラゴンの咆哮と共に、炎が吐きだされる。
 炎系最大呪文に匹敵する炎の塊が複数襲いかかるが、ハドラーは動じさえしなかった。 ただ、豪腕を一振りしただけで炎を打ち消してしまう。無造作に振った腕に、闘気がこめられているからこそできる技だ。

「ええいっ、うっとうしいわっ!!」

 苛立ちも露わに、ハドラーが怒鳴る。
 本来なら、魔王であるハドラーに襲いかかるような怪物などいない。
 怪物は、本来、本能に忠実な生き物だ。自分よりも強い存在には、戦いを挑もうともしない。

 よほど強い自意識を持っているか、でなければ理性をなくしていない限り、怪物が自分よりも上位の存在である魔物や魔族に挑んだりはしないものだ。
 圧倒的な実力差を理解もせず、凶暴化してしゃにむにかかってくる怪物は、魔王を不快にさせるだけだった。

 ハドラーからしてみれば、戦う価値さえないような低級怪物の集団から戦いを挑まれるのが、わずわらしい。
 だが、数も多く、四方八方から襲いかかってくるので無視もできないのが、また腹立たしい。

 怪物に邪魔されて苦戦しているのは、ダイも同じだった。
 ダイもまた、ハドラーとは違う意味で苛立ちを押さえきれなかった。自分に襲いかかる怪物よりも、地上の怪物達の動きが気になってしょうがない。
 大猿の群れが、吠えながら走っている。

 両の手を前足に変え、四つ足で力強く大地を駆って一直線に人間の少年に襲いかかろうとする。
 襲いかかってくる怪物は、それだけではない。

 マンドリルの群れの後ろからは、ゴーレムが一定の速度でのっそりのっそりと歩いて来る。
 並んだ壁のように同じ速度で動くゴーレムは、まるで要塞が移動しているようにさえ見える。

 宙を飛ぶ怪物も、砂浜にいるポップを襲おうと、下降しようと態勢を整えたり、先を争って仲間割れをしたりしている。幸いなことに、集まったのが大型の飛行系怪物が多いのがいい方向に働いていた。

 大型の飛行系怪物は、攻撃力が高く長い距離を飛べる代わりに小回りが利かない。気流に乗ることで移動補助を受けているため、離着陸には多少の時間が掛かるのだ。

 そう簡単には大地に降りられない大型飛行系怪物は、キメラやパピラスなど小回りの利く怪物に牽制をかけているせいで、なかなかポップの所に襲いかかるまでいかない。

 だが、ポップはすでに四方八方を怪物に囲まれてしまっている。
 それなのに、ポップは逃げようとさえしなかった。
 左腕を押さえたまま、蹲っているだけだ。いかにも苦しそうな表情のポップは、青ざめた顔でこちらを見上げている。

 それを見て、ダイが感じた恐怖は半端なものでは無かった。自身が化け物に襲われる以上の恐怖に襲われる。

 一刻も早く、ポップの側に駆けつけたいのに、自分の周囲を取り囲む怪物達がそれを阻む。
 乱戦の最中、焦るダイは自分の背後に迫るスカイドラゴンの動きにさえ気づかなかった。

 ダイが見ていたのは、ただ一つ。
 自分を見上げる魔法使いの少年に迫る、身の危険だけだ。
 凶暴な大猿が、ついにポップの間近にまで迫る。鋭い爪の生えた腕が唸りをあげて振り下ろされるのを見て、ダイは思わず絶叫していた。

「ポップ――――ッ!!」

 背後に感じる熱気など、意識にも上らなかった。
 必死に、救いを求めるように、ダイはポップの名を叫んでいた――。


                                  《続く》
 
 

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