『いつか得る勲章 ー後編ー』 |
「ねー、ポップ。おんせんってなに?」 その夜、いつものようにポップと一緒の部屋で寝ようとしていたダイは、疑問をぶつけてみた。 「ん、地熱で熱せられた地下水が、地上に出たものだよ。要するに天然のお風呂だな。火山の近くなんかで割とあるんだけど……そーいや、デルムリン島にはなかったっけ?」 わくわく気分で早くも荷造りを始めつつも、ポップは結構真面目にダイの質問に答えてやる。 「お風呂? なんだ、おんせんって、お風呂だったの? じゃあ、こんよくって?」 「おっ、そんなことに興味が湧くようになったとは、おまえも成長してきたじゃねえか。そうだよなあ、やっぱ混浴ってのは男の夢、男のロマンだよなあ」 と、一人、うんうんと頷きつつ、ポップは機嫌よく説明してやる。 「混浴ってのは、男女の区別なく一緒にお風呂につかることだよ! くぅ〜っ、たまんねえよなぁっ♪」 果たしてどんな桃色パラダイスを想像しているやら、鼻の下を伸ばしまくって喜んでいるポップを、ゴメちゃんは理解出来ないものを見る目で見るばかりだ。 こんな時、ダイもまたゴメちゃんんと一緒に首を捻り、不思議がっていることが多い。 が、今日のダイはひと味違った。 「それ、ほんとっ!? わあっ、楽しみだなぁ!」 いつになく熱心なダイの反応に、ポップはちょっと戸惑いながらも、からかった。 「なんだよ、おまえもやっとお子様卒業ってか? 混浴がそんなに嬉しいのかよぉ?」 「うんっ! だって、ポップやマァムと一緒にお風呂に入るってことなんだろ? みんなで一緒のお風呂って、初めてだね!」 心の底から嬉しそうに言うダイには、下心なんてかけらもない。ただ、ただ、ポップと久しぶりに、そして、初めてみんなと一緒に入るお風呂を喜ぶばかりだ。 心からホッとして喜び、明日のためにと早く寝ようと、ゴメちゃんに一緒に横になったダイには、ポップの表情の変化に気がつかなかった。 山間の中に音もなく湧いているその露天風呂は、周囲の静けさも吸い取っているかのようだった。 周囲は木々に彩られ、直接肌に感じられる微風が、かえって心地好い。 「………………やっぱり、ポップ、おれとお風呂入るの、ヤなんだ……」 風呂の片隅で、ダイとマァムがどんよりと沈み込んでいるのを見て、レオナは自分の作戦失敗を悟らずにはいられなかった。 (まさか、こんなことになるだなんてねー) 温泉を見にきて、異常がないのを確認するところまでは、問題はなかった。ポップもついてきたし、ごく普通の様子で参加していた。だが、用事が片付き、さあ肝心の風呂に入ろうとした段階で、ポップはルーラで逃げた。 風邪気味だからやっぱりやめとくと言って逃げ出したポップのその言葉を、素直なダイやマァムでさえ額面通りには受け止められないでいる。 「ま、まあ、ポップも一応、風邪だと言っていただろう?」 本人でさえあまり信じていなさそうなクロコダインのフォローに、マァムは泣かんばかりの勢いで言い返してくる。 「だって! 人が水浴びやお風呂に入っている分かると覗きたがるあのポップが、来ないのよ!?」 (……今まで何してたのよ、ポップ君って……) 時々、レオナとしてはダイ、ポップ、マァムがどんな三人旅を過ごしていたのやら疑問を抱きたくなる時があるが、まあ、それはとりあえず問題にしている場合ではない。 優先すべきは、この裏目に出まくってしまった計画のフォローだろう。 ――と、その時、ヒュンケルが風呂のすぐ側に置いていた槍に手を伸ばした。 どうしたのかと問おうとするレオナを、ヒュンケルは口に指を当てるしぐさで封じる。 その反応を見て、マァムやチウもまた、レオナを庇う様に一歩前に出て身構える。 ダイが剣を手に取るのを見てから、ヒュンケルは槍を投げる。まだお湯に半身つかったままにもかかわらず、勢いよく飛んでいった槍はものの見事に手近な茂みを貫いた。 「うひゃあっ!?」 途端に上がる間の抜けた悲鳴に、一同は顔を見合わせる。その声が、誰もが聞き覚えがあるものだったから――。 「えっ!? ポップッ!?」 慌てて茂みの側に駆け寄ったダイに続いて、他のメンバーも駆けつけてみると、槍がぐっさり地面に刺さった付近であたふたとしているのは、紛れもなくポップだ。 「……運良く、刺さらなかったようだな」 無表情のままだが、普段は無口なヒュンケルの一言には、本心からの安堵が見え隠れしている。 「なにが刺さらなかっただっ、もう少しで当たるところだったじゃねえかっ。あっぶねーなっ、いきなり何しやがるんだよっ!?」 「――それは、こっちの台詞よね。いったい、ここで何をしていたのかしら、ポップ君?」 朗らかなその声音に、ポップはギョッとしたような表情を見せる。 「ポップ君……! 一緒に温泉に入ろうという誘いを断っておきながら、こっそり覗きとはいい態度ね?」 温泉の地にいるだけに、周囲は地熱とお湯から立ち込める湯気のせいで、暖かさに満ちている。 「何か言い残したいことがあるのなら、一応は聞いておいてあげる」 浮かべる微笑みは、死刑囚の最後の望みを聞くがごとく、慈悲深いものだった。 「おっ、……温泉に水着で入るなんて、邪道だ……っ!」 「ちょっとお! それがどうしても言っておきたいことなのっ!?」 と、レオナはカンカンになって怒鳴り返すが、ポップは恨めしそうになおも訴える。 「だってよぉ〜、温泉で混浴って言えば、期待するのが人情だろっ!? それなのに、水着だなんて……っ」 と、心底無念そうに言いながら、ポップは溜め息混じりに周囲を見る。 そして、肝心の女性陣もまた、ばっちりと水着を着込んでいた。 ――が。 ポップの目は、自然、マァムに引きつけられてしまっている。 が、それでも目を引かれてしまうのは、男の性と言うべきか。 「……何見てるのよっ!?」 「そうだぞおっ、マァムさんの清純かつ豊満な身体に不埒な視線など、このぼくが許さないぞっ!」 「いてっ、いてぇっ!? この野郎、なんでてめえまで混じってんだっ!?」 マァムにならまだしも、チウに殴られるのは納得いかないとばかりにポップが反撃しだした。 「当たり前だろうっ。覗きだなんて、卑劣な真似はこのぼくの目が黒いうちは断じて許さんぞっ、この女の敵めっ」 「ふざけんなっ、だいたいマァムとおんなじ風呂につかってたてめえにゃ言われたかねえよっ!? つーか、てめえだって見てるんじゃねえかっ! しかも、おれより至近距離からっ!」 パンチなどよりもよほど鋭いポップのツッコミに、チウは目に見えて動揺を見せる。 「ぼっ、ぼくは、覗いてなんかいないからいいんだっ、悔しかったらきさまも一緒に入ればいいじゃないかっ!?」 「ばかやろーっ、それができりゃあ苦労しないんだよっ! とっくの昔に一緒に入ってるやいっ!」 と、力一杯怒鳴った後で、ポップはハッとした顔をする。その顔に失言を後悔する表情が浮かぶよりも早く、言葉尻を取り上げたのはレオナだった。 「『できれば苦労しない』ってことは、できない理由でもあるの?」 レオナのその指摘に、ポップがギクッとして動きを止める。 「風呂に一緒に入るのは嫌、でもわざわざ覗きに来るってことは……もしかしてポップ君、見るのはよくても、見られるのが嫌なわけ?」 聡明なレオナが的確に問題点を拾いあげると、ポップは見ている方が恥ずかしくなるような勢いでうろたえだした。 「なっ、なっ、なんだって、そんなことをっ!?」 (まったくこーゆー隠し事は下手よね、ポップ君って。それって、魔法使いとしてはどうなのよ?) 内心溜め息をつきつつも、レオナにはここで手加減を加えてやる気はさらさらなかった。さっき、落ち込みまくったダイの顔を見てしまっただけに、うやむやのまま終わらせるつもりなんかはない。 「で――どうやら、見られたくないのって、相手が限られているみたいね。少なくとも、チウ、その他の人とは一緒にお風呂に入ってるんだものね。でも、ダイ君やマァムとは入りたくない……そういうことなの?」 「ちっ、違うって!」 即座に、ポップは言い返す。 「なら、構わないじゃないの。一緒にお風呂に入ってもらうわ。言っときますけどね、適当なごまかしが通用するだなんて思わないでね。もし素直に従わないのなら、強硬手段をとらせてもらうわよ?」 「きょっ……強硬手段って、何をする気だよ?」 聞くのも怖いが、聞かないのも怖い――その葛藤の末に問いかけたポップに対して、レオナはケチのつけようのない笑顔をもって答えた。 「問答無用よ。こうなったなら、ひんむいてでも一緒のお風呂に入ってもらうわ」 あまりと言えばあまりなお言葉に、ポップはギョッとした様子でわめき立てだした。 「そっ、それが女の子っ……しかもよりによって、お姫様の言うことかよっ!?」 「あら、男女差別する気? それにね、人がせっかく温厚な手段をとってあげたのを無にされちゃって、こっちだっていい加減に腹に据えかねるものを感じてるのよ? 同意見で、手を貸してくれそうな人は他にもいるし……」 と、レオナがわざとらしく目を向けたのは、ヒュンケルの方向だった。 そして、いささか常識外れの上にデリカシーに著しく欠けるところのあるヒュンケルなら、遠慮もへったくれもなくやりかねないことも――。 「入るっ、入るっ、入るから、やめろってば!」 血相を変えて飛びずさったポップは、あっけない程あっさりとギブアップを宣言した――。
溜め息混じりにレオナがぼやくのも、無理はない。 温泉初体験の女の子でも、こうはガードが堅くはないだろうと思える徹底ぶりである。 「おいっ、貴様ぁっ! 風呂にタオルを持ち込むなど、言語道断のルール違反っ。正義に反する行為だぞっ! とっとと、外したまえっ」 「わっ、よせっ、チウッ!? やめっつーのっ! ひっぱるなーーっ!?」 正義に燃える空手ねずみと、露出を嫌う魔法使いのタオルを巡る攻防は一進一退であり、実にいい勝負だった。 「だいたい、何を隠して……ん? ああ、おまえ、ひょっとして、肩の傷を気にしているのか?」 それを聞いて、ハッと息を飲んだのはダイばかりではなかった。 「なんだ、そんなのを気にするのなんか、男らしくないな。第一、傷は男の勲章だぞ、誇りこそすれど隠すことはないだろう」 何も知らないチウの、的はずれな慰めの言葉が上滑りしていく。 致命傷には程遠い傷跡だし、後遺症も残っていないように見えた。 だが、バランとの戦いに参加した者にとっては、その傷は特別の意味を持つ。 「ちぇっ、分ぁーったよ!」 小さく舌打ちし、ポップはタオルを手放してそのままゆっくりと風呂に身を沈める。 「んなの、えらそうに言われなくたって、オレだってそう思ってるよ! ただよ、見る方は気にするかもしんないって思ったからさー」 湯量こそ豊富でも浅めの露天風呂では、肩に負った傷は、白く濁った湯に少しも隠れてはくれなかった。 傷を負ってからまだ日が経っていないせいか、他の皮膚の色と違う傷跡が生々しい。 「だから〜、その、つまりよ、別に、ダイ達と一緒の風呂に入りたくねえわけじゃあ、ねえんだって。ただちょーっとさ……傷跡を見られたくないなって、思っただけで」 そう言いながら、ポップが軽く左肩のあたりを押さえる。 その上、湯で体を暖められたせいで、傷跡が見る見るうちに赤く染まっていく。色の変わった傷跡は、たった今怪我を負ったばかりのように見えて、余計に痛々しく見える。 「…………」 その怪我を初めて見るマァムは、思わず言葉を無くしていた。 (そう言えば……) 思い出すのは、着替えの最中のポップの行動だ。拒絶されたショックが大きかったせいで見逃してしまったが、あの時、ポップはマァムに後ろを見せるのを嫌がっていたのだ――。 他の仲間達にとっては見るのは初めてではないとはいえ、こんな形でまざまざと見せられるのはいささか辛いものがあった。 そして、ダイは――ひどく沈んだ様子で俯いてしまった。 妙に静まり返った温泉の中で、ポップの場違いなまでに明るい声だけが響き渡った。 「風呂に入ると、これ、けっこう目立つからヤだったんだよ。もう、痛くもなんともねえんだけどさ」 静まり返る仲間達とは違い、ポップは開き直ったような態度を見せる。 「ぶわぷっ!? なっ、なにすんだよっ、ポップーッ!?」 油断しきっていたダイには、見事なまでに不意打ちになった。 ついでに言うのなら、ダイの肩に乗っていたゴメちゃんも巻き添えを食らい、びしょぬれのままでピーピーと抗議して鳴きまくる。 「おめえがあんまりシケた面してっから、ちょっと顔を洗ってやっただけだろー」 「だからって、ひどいやっ。お湯、飲んじゃうとこだったろっ!? これ、変な味がして、まずいのにーっ」 「って、おまえ、しっかりと飲んでるのかよ!?」 「だ、だって、これ、ミルクみたいな色でおいしそうだったんだもんっ。ちょっと試したくなるだろ!?」 「試すなっ! 勇者が温泉のお湯を飲み過ぎて腹壊しただなんて、とんだ恥さらしになるだろーがっ!」 元気のいいダイとポップの、どこか間の抜けたやり取り――それが、その場の空気を変えていく。 「もう、ダイもポップも湯船の中で大騒ぎしないでよ!」 見兼ねたマァムが注意をする頃には、本来、レオナが望んだような賑やかでいて、楽しげな雰囲気に満ちあふれていた――。 「ぷわーっ、いい湯だったよな」 腰に手を当てて、牛乳を一気のみ。いささかおっさんくさい癖のように思えるが、風呂上がりにはこれに限るとポップはひどくご機嫌だった。 普段なら、ヒュンケルに近くになど決して座りたがらないポップだが、なんせここは戸外だ。温泉の周囲で、座れるような丁度いい石の場所なぞ限られている。 「おーおー、ダイ達の奴、まだおねんねかよ」 ダイは慣れない温泉ではしゃぎ過ぎたせいか湯中りしたらしく、ゴメちゃんやチウと一緒に目を回したまま、ひっくり返っている。 意外と面倒見のいいクロコダインが、うちわのように大きな手でぱたぱたと風を送ってやり、介抱してやっているのが見える。 「あれだけはしゃがせれば、当然だろう」 そう呟いたヒュンケルの言葉には、ほんのわずかだが非難めいた響きが混じっていた。 ダイ達が湯中りした一番の要因は、ポップだ。お湯を掛け合ったり、潜ったりしたのが湯中りの原因だが、その遊びに引き込んだのは紛れもなくポップだ。 「なーに、いいんだよ。どーせ、湯中りぐらいでなんとかなる奴等じゃないし。――それに、あれだけ騒げばもう、おれとの風呂で傷跡なんか気にしなくなるだろ?」 その返事に、ヒュンケルは感心するべきか、呆れるべきか、迷う。 お調子者の本領発揮とばかりに遊びまくっていた子供っぽさと相反する、妙に冷静に状況判断をし、最善手を選びとる計算高さがポップにはある。 だが、ポップの言動はいつだって周囲の人間の気を引き立て、励みの元になる。 「しかし、ずるいよな。おまえの方が、傷跡が多いのになんも言われないんだもんなー」 ポップのその不満に、ヒュンケルは苦笑を誘われる。 だが、ポップと違って完治してから日が経った傷跡は、暖められても赤く浮き上がって見えたりはしない。 「古傷だからな」 その言葉に、ポップがムッとした表情で、強く言い返す。 「――おれの傷だって、そのうち古傷になるさ」 その言葉は、今は強がりにしか聞こえない。 だが、傷とはいつかは癒えるものだ。 しかし、戦いに望む以上、傷つくことを恐れはしない。 「……そうだな」 静かに頷いたヒュンケルの言葉に、ポップは満足したようにニッと笑い、腰掛けていた石から降りてダイの方へと向かった。 ダイを冷やかしながらも、魔法で氷を出してやるポップの様子を眺めながら、ヒュンケルは一人、思う。
《後書き》
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