『知られざる物語ー前編ー』

 

「…………」

 何かを言いたくてたまらないのに、何も思いつかない、もどかしいような思い――それに苛まれながら、ダイは小さくなっていく背中を見送る。
 勝利を勝ち取った将軍のように胸を張り、しっかりとした足取りで戦場から去って行く一人の男――竜の騎士バランを。

 彼が完全に見えなくなるまでの間、ダイは放心したように立ちすくんでいた。
 なぜ、あの人はポップを助けてくれたのか。
 あの人の真意はどこにあるのか。

 様々なことがごちゃごちゃと頭に浮かぶ。混乱した様な、それでいて奇妙にどこかすんなり納得できる様な、そんな矛盾した気持ちでいっぱいになり、ダイの言葉を奪う。
 バランの姿が完全に見えなくなってからやっと、呪縛が解けた様にダイはポップの側に駆け戻った。

「……ポップ! ポップは!?」

「大丈夫よ、ダイ君。ポップ君は大丈夫……脈がしっかりとしてきたわ」

 そう答えるレオナの表情は、さっきまでとは比べ物にならない程に明るかった。
 しっかり者のパプニカの王女は、すでにてきぱきとポップの治療に当たっていた。袖を切り落とされたポップの左肩にせっせと包帯を巻きつけている姿を見て、ダイは改めてポップの傷の深さを思い知る。

 レオナは回復魔法にかけては、エキスパートだ。
 その彼女が治しきれない怪我だったとは余程の重傷なのかと肝を冷やしたが、レオナはダイの顔色を読み取ったのか優しく説明してくれる。

「傷は、そう深くはないの。ただ、この怪我には回復魔法が効きにくくて……でも、大丈夫よ、一応、傷はふさいだから」

 包帯を巻いているのはレオナだが、左肩に傷を負っているポップに負担にならないように気をつけながら、半ば抱き起こす形で後ろから支えているのはヒュンケルだ。
 その彼のすぐ近くで、血に染まったままの片袖を握りしめたまま心配そうにポップを覗きこんでいるのは、メルルだった。

 クロコダインやゴメちゃんも、その様子を息を詰めて見守っている。
 ぐったりしたまま動かないが、ポップの顔色は明らかに良くなってきているし、瞼がピクピクと動いているのも見える。
 間違いなく、ポップは生き返ったのだ。

「うう……」

 レオナが仕上げとばかりに少しきつめに包帯を結ぶと同時に、ポップが小さく呻いて瞬きを繰り返し始める。
 それを見ては、もう我慢などできなかった。

「ポップ! ポップ、聞こえる!?」

 ポップの真正面に割りこんで叫ぶと、ポップはゆっくりと目を開けた。だが、その目はどこか空ろで、はっきりと目が覚めていないかのように、ぼんやりとしている。

「……ダ…イ? 姫さん……、ゴメ……?」

 夢でも見ているようなあやふやな声で仲間達の名を呼んだ後、ポップは何かを振り切る様に小さく首を左右に振る。
 そして、幾分かしっかりした声で尋ねてきた。

「おれ……死なかったの…か?」

「ポップ……ッ!」

 気がついた時は、もう、身体が動いていた。ダイはポップを、しっかりと抱きしめる。チラッと頭の片隅で、こんなに力を入れたらポップが痛がるかなと思ったりもしたが、怖くて手を緩めることなどできなかった。

 腕の中でかすかにみじろぐその反応が、確かに生き返ったんだと実感できて、たまらない程嬉しい。

「よかった……! 本当に、よかった……!」

 ゴメちゃんがピーピーと鳴きながら、ポップやダイの頭の上をところ構わず跳ねて、ゴムまりのように飛び回る。
 自分は構わないけれどポップの上を跳ねたりしては、ポップの傷に障らないかなと思うことはできても、それを口に出す程の余裕はなかった。

「生きててくれて……良かった、ポップ……!」

 同じ言葉を繰り返しながら、ダイは一生懸命手加減しながら、ポップを抱きしめる。
 前に、氷づけにされたレオナを助けだした直後の様に。間一髪のところで氷の檻から開放されたレオナを、ダイは今と同じようにしっかりと抱きしめた。

 いつもよりもひんやりしていても、ちゃんとした体温を感じさせる身体と、定期的に脈打つ心臓の鼓動がひどく嬉しかったのを――涙が出る程に嬉しかったのを、今も覚えている。

 そして、今も同じぐらいか、ひょっとするとそれ以上に嬉しい。
 嬉しさのあまりつい力を込め過ぎたのか、ポップが悲鳴を上げる。

「い、いてぇえっ!?」

「あっ、ご、ごめん、ポップ!」

 慌てて、ダイがポップから離れる。

「ごめんですむかっ!? おれを殺す気かよっ、てめえはっ!?」

 と、ひとしきり文句を言った後で、ポップは改めて目の前にいるダイを、まじまじと見つめた。

「……ダイ、おまえ、記憶が戻った、のか? それに、戦いは……?」

 たった今目覚めたばかりのポップは、事情が掴みきれていないのだろう。不安そうに周囲を見回そうとするが、それだけの力も無いのか身体がついていかない。
 ふらつきかけた身体を後ろから支えたのは、ヒュンケルだった。

「……もう、終わったさ。全部、な」

「げっ!? ヒュンケル!?」

 声を掛けられてから、ポップは自分のすぐ後ろにいるのが誰だか気付いたらしい。兄弟子に支えられているのがしゃくなのか露骨に嫌な顔をするが、ヒュンケルは気にした様子も見せなかった。

「それより姫、もうじき、日も暮れます。安全な場所に、移動した方がいいと思いますが」

 ヒュンケルの提案に、真っ先に反応したのはメルルだった。

「あ、あのっ、私、誰かを呼んできます」

 咄嗟に城の方に行こうとしたメルルを引き止めたのは、レオナだった。

「……いいえ。メルル、申し訳ないけどフォルケン王にご伝言願えるかしら? 私達はこのまま、ここから離れますとね」

「ひ、姫様っ!?」

 レオナの言葉に驚いたのは、メルルただ一人だった。
 他の者達は一瞬驚きは見せたものの、すぐに納得したような顔になる。
 その意味に、メルルはすぐに気がついた。

(ああ、この人達は……)

 レオナがテラン王フォルケンに助力を頼んだのは、記憶を失った勇者を一時的に保護するための場所を借りるためだった。
 だが、敵の攻撃力がここまで凄まじい物であり、勇者の居場所をあっさりと探知できるのであれば、テランの城などなんの守りにもならない。

 城を守る戦士や魔法使いもろくにいず、なにより戦う気概を持たないテランの城の者は、すぐ近くでこれほどまでの死闘が行われたにもかかわらず、手を貸すどころか様子を見にこようとさえしなかった。

 そんな無気力な自国の民をメルルは恥じたが、レオナはそれを責める気配も見せない。それどころか、そんな情けないテランの国に対して気遣いをしてくれている。
 これ以上テランの城を、戦いに巻き込まないために。

 そのために、レオナはこの場を去ろうと考えたのだろう。傷を負い、満身創痍となったにも関わらず、自分達の力だけで次の敵に備えようとしている。

「短い間ではありましたが、居住をお借りしたことを心より感謝致します。緊急時につき礼を欠きましたが、後日、改めて正式なお礼に伺いますと、そう伝えていただきたいの。悪いけれど、お願いできるかしら?」

 パプニカ王女の名に恥じない立派な謝意の挨拶を述べた後、レオナは仲間達を振り返って森の小屋に一時避難する様にと告げる。

 テランの森の中にぽつんと存在するその小屋は、ここからはそう遠くない。複雑に入り組んだ森の中にあるから一目にはつきにくいが、距離的にはテランの国からはそうは離れてはいないのだ。

 メルルの足でも行くことができる距離には違いないが、激戦を戦い抜いた直後の身体ではいささか堪えるだろう。
 だが、誰一人として文句を言う気配も無く、よろめきながら歩きだした。

「あ……、待ってくれよ」

 座り込むのもやっという風情のポップも立ち上がろうとするが、それよりも早く、太い指がまるで猫でもつまみ上げる様に魔法使いをひょいと持ち上げる。

「なんだよ、おっさん。おれ、自分で歩けるって」

 強がるポップを、肩の傷に障らないように気をつけながら抱きかかえたクロコダインは、のっしのっしと歩きだす。
 いつものように豪快な足取りに見えるが、その実、振動を抑えるために加減しているのは彼の気遣いというものだろう。

「いいからおとなしくしておけ」

「おとなしくしろって……だいたい、あれから何があったんだよ?」

「説明なら、オレがしてやろう」

 そう言ったのは、クロコダインと並んで歩きだしたヒュンケルだった。

「てめえがかよ?」

 ちょっと嫌そうに顔をしかめたものの、ポップはすぐに頷いた。
 個人的にはいかに引っ掛かりのある相手だろうと、ヒュンケルの冷静さや客観的視点はポップも認めている。
 今、この場で、何があったかを一番はっきりと話せるのは彼だろう。

「分かった。話せよ」

「ああ……。まず、おまえのメガンテを見て、ダイが記憶を取り戻した――」

 淡々と説明を始めるヒュンケルの声を聞きながら、レオナもまた後を追う。その足が少しふらついているのは、失敗したとはいえ大呪文をかけた直後なせいだろう。
 蘇生魔法は必要とされる集中力も、魔法力の消耗も半端では無い。

 そんなレオナを心配して、手を貸そうとしたダイはふと思い出した様にポップが倒れていた場所に駆け戻った。
 そして、風に飛ばされかけていた黄色い布きれを拾い上げた。

 それが何なのか、メルルは知っていた。あれほどの戦いの最中も、ダイが大切に握り締めていたそれは、ポップがいつも身に付けているトレードマークのバンダナだ。
 さっき、ポップを抱き締めた時にうっかり手放したそれを、ダイは大切そうにポケットにしまい込む。

 それから、慌ててレオナの側に駆け寄って彼女を支える。
 寄り添いながら、森の中へ入り込んでいく一行をメルルは黙って見送る。本音をいえば、自分もその後を追っていきたい気持ちはある。だが、レオナに頼まれた伝言を果たさない訳にはいかなかった。

 一人、取り残された寂しさを味わいながらも、メルルは急ぎ足で城へと向かう。用を済ませて、再び、彼らの後を追うために――。






「いいってば! 別に横になってなきゃなんないほど、おれは具合が悪かねえっつーの」

 メルルがナバラと一緒に小屋に戻ってきた時、真っ先に聞こえてきたのはポップの声だった。
 意外なくらい元気なその声にホッとしつつも、すぐに心配になったのは、ポップがヒュンケルともめていたからだ。

 奥の部屋、たった一つしかないベットから起き上がろうとするポップを、押し戻したのはヒュンケルだった。

「無理に動こうとするな」

 言い返す声には、苛立ちが混じっている。
 何も知らない者が聞いたのなら、ヒュンケルが本気でポップに腹を立てているとしか思えないだろう。

 だが、彼を知っている者なら、分かる……ヒュンケルは怒っているのではなく、弟弟子を心配しているだけだ、と。
 普段は感情を押し殺しているせいで本心の見えにくい彼だが、少し知り合えば分かってくる。

「いいから、おまえは寝ていろ」

「いいわけねえよ! だいたいだなあ、ベッドを使うんだったら、重傷の奴が優先だろ?」

 確かに怪我の程度だけで言うのなら、ポップは軽傷と言える。満身創痍のヒュンケルやクロコダインの方が、よほど重傷だろう。
 だが、なんと言ってもポップは一度死亡し、つい先ほど蘇生したばかりだ。周囲の心配が彼に集まるのも、無理はなかった。

「おれなら、ベッド、なくってもいいってば! 他ので間に合わせるから」

 またも起き上がろうとしたポップを押し戻したのは、今度はダイだ。

「他のって、ここにゃベッドは一つしかないんだせ、何で間に合わせるってんだよ?」

「え? えーと?」

 と、キョロキョロと周りを見回したダイは、角の方に積み重ねられた木箱らに目を留める。

「あっ、あの箱とかどうかな?」

「アホか、おまえはっ!? 捨て猫や捨て犬じゃあるまいし、あんな箱なんかで寝る気か!?」

 勇者様のご提案に思わず全力で怒鳴ったポップは、そのせいで傷に響いたのか肩を押さえて顔をしかめる。それを見て、慌ててダイはポップを支えた。

「ポップ、無理しないで休んでなよ」

「あのな〜、誰が怒鳴らせてんと思ってんだよ……?」

「もうっ、この非常時に無駄な争いはいい加減にしてよね! まだ、全員の手当ても終わってないんだから、余計な騒ぎを起こさないでよ!」

 きっぱりとした態度で、争いにケリをつけるべく声を張り上げたのはレオナだった。

「こうなったら、平和的に多数決で決めましょう。はい、ポップ君がこのベッドを使うのに賛成の人、手を上げて」

「な……っ!?」

 ポップが反論の言葉をあげるより早く、ポップを除く全員の手が高々とあげられる。ゴメちゃんでさえ翼を一生懸命にあげて、賛成に一票を投じたのだから、まさに全員一致だ。
「満場一致ね。と言うわけで、ポップ君、おとなしくそこで横になっていてね」

「姫さん、そりゃ横暴……」

「あら、なにか文句でもあるの?」

 にっこりと笑う笑顔が、ポップのあげかけた文句を完全封殺する。

「いいわよ? そうね、よく考えたら非常時だからこそ互いのわだかまりは取り除いておいた方がいいかもしれないものね。あたしだって、言いたい文句の一つや二つや三つや四つや百ぐらい、あるし。たとえばポップ君があんな嘘をついてくれちゃったこととか、一人で無茶をしでかしたこととか、メガンテなんてとんでもない呪文を使った件とか……」

 笑顔のまま指を折って数え上げるレオナを見て、慌ててポップは持説を引っ込めた。

「い、いや、その……よく考えたら、文句なんかないし、多数決に従うよ。おとなしく休ませていただきます、はい」


                                                             《続く》
  

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