『知られざる物語 ー後編ー』

 

「それにしても、なんだってこの小屋、ベッドが一個しかないのかねー? 変な場所にあるしさ」

 周囲の説得が聞いたのかやっとおとなしくベッドに横になったポップは、それでも気が済まないのかブツブツと文句じみたことを言っていた。
 傷を負ったばかりの左肩に体重が掛からないように、身体を少し浮かせる形でクッションを当てているせいもあり、ポップには部屋の中をよく見回せる。

 ここはダイが記憶を失った際、とりあえず休める場所としてメルルとナバラが案内してくれた無人の小屋だ。
 クロコダインとヒュンケルは隣の部屋にいて、ゴソゴソと動いている気配は感じるが何をしているかは見えない。

 レオナ、メルル、ナバラの女性陣はこちらの部屋で、布などの必要そうな道具をせっせと選り分ける作業に余念がない。
 何もしていないのは横になっているポップと、そのすぐ側に座り込んでいるダイとゴメちゃんんぐらいのものだ。

「すみません、それは分からないんです……。数年前にテランに帰った時に偶然見つけただけで、謂われまでは知らなくって……」

 申し訳なさそうにメルルが謝るのを聞いて、ポップは慌てて口を挟む。

「あ、いや、別に責める気なんかないって。ただ、不思議でさー。この小屋って、なんのためにあんのかさっぱり分かねえんだもん。そんな古くもなさそうだしさ」

 ポップの言う通り、この小屋はそう古くはない。
 長年使われずに放っておかれた形跡があるが、使いこまれていないことは、汚れ具合の少なさで分かる。
 それは、家としては異例のことだろう。

 人が住まなくなった家は、恐ろしいぐらいの早さで荒れる。
 だが、この家は無人であるにも関わらず、朽ちた様子がない。まるで、誰かが定期的に使用しているかのように保存状態がいい。
 しかし、何の目的で、誰がそんな真似をしているのかが全く見当がつかない。

 この小屋は、現在は誰も住んでいる形跡はないし、そもそも住むのであればこんな半端な場所より、テランの国内に住んだ方がよほど楽だ。
 かといって山小屋と呼ぶには、無理があり過ぎる。

 確かに猟師や樵、もしくは旅人などが、山で一泊する場合に備えて小屋を建てておくのはよくある話だ。
 野宿と、小屋で寝泊まりするのとでは、身体への負担が大幅に違う。山小屋があるかないかで、遭難者の数や生存率にまで関わると言っていい。

 そのため、人里から離れた山や森の奥にぽつんと小屋を建てるのはそう珍しくはない話だ。
そんな小屋は、定期的に寝泊まりする者がいるせいか、放置された小屋よりもずっと長持ちする。

 だが、ここはテランの国に近すぎる。
 なにせごく普通の女の子であるメルルが、そう時間もかけずに商店のある場所まで往復出来るぐらいだ。

 休憩地点としての役目なら、まったく意味はない。ここに休憩所を設けるぐらいなら、テランまでの道程の正確な標識を出した方が、よっぽど役に立つ。

「なんのためにあるのかはあたしも分からないけど……でも、この小屋をこの位置に建てた人の意図なら、なんとなく分かる気がするわ」

 首を捻るポップに、レオナは忙しく働きながら論理的に説明をする。

「この場所は、治外法権なのよ。名目上はテランの森と呼ばれているし、ベンガーナとテランの国境線に位置しているけれど、正式に言うのならそのどちらの領土でもない場所なの」

 国境に位置する、人が住み着いていない寂れた場所。
 実際にその土地に住む人間にとっては、あまり意味がないかもしれない。だが、王族の目から見た世界地図では、そんな場所は非常に重要なものだ。

 王国同士の観念では、互いに互いの国境を越えて武力で干渉すれば、それは戦争をしかけるも同義だ。
 たとえば今回のように、ベンガーナ王国でレオナ率いる勇者一行が戦った場合も、厳密に言えば領土侵害に当たる。

 もちろん魔王軍の攻撃から人々を守るための緊急措置ということで、後日ベンガーナ王国に理解と事後承諾を得るつもりではいるが、本来は許されることではない。
 執政者としては、他国との余計な騒動は避けておきたい事態なのだから。

「ここでなら、もし問題が起きたとしても、他国には迷惑はかからないわ」

 この森は、確かにテラン王国から場所は近いかもしれない。
 だが、政治的な距離は離れている。
 レオナはテラン王に庇護を求め、王はそれに応じた。にも拘わらず、テラン王がレオナ達を庇護しきれなかったとなれば、契約違反として問題が発生する可能性が残る。

 それは、レオナにとって望むところではない。
 テラン王の名誉を傷つけ、他国からの干渉や非難を浴びせさせる立場に追い込むのは、なんとしても避けたかった。

 この森で起こった他国の問題に関わらなかったとしても、テラン王国が非難されることはない。
 そして、治外法権の地ということで、他国の王達からは干渉を受けにくい場所だ。

「前にここに住んでいた人も、そう考えたんじゃないかしらね? そう考えれば、ここはとても都合のいい場所だもの」

 政治的な意味では他国からの干渉を受けにくく、だが、実際には人里への距離は近い。犯罪者でないが、人目を避けたい複雑な事情を抱えた人が隠れ住むには、もってこいの場所と言える。

(さすがはお姫様というか、考えが深いね。……まあ、この小屋は一人で暮らすには大きすぎるし、駆け落ち者が住んでいたのかもしれないねえ)

 小屋の中を見回したナバラは、レオナの考えに補足するようにそう考えたものの、口には出さなかった。
 大半は壊れて使い物にならなくなっているとはいえ、残された家具やわずかな生活用品の数々から見て、この小屋には二人の人間がいたと予想出来る。

 しかも、残された道具の中には女性の存在を思わせるものは少なくない。
 さらには二間ある小屋にも関わらず、一つしかないベッド……それを考えれば、ここに住んでいたのがベッドを共にする間柄と考えるのが自然だろう。

 が、それをまだ年若い少年少女達に教えるのは、いささか気恥ずかしいものがある。そもそも世間を知った占い師であるナバラには、人目を隠れ忍ぶ必要性のある男女の話など、嫌というほど見聞きした。

 こんな場所にわざわざ小屋まで建てて隠れ住もうとしたからには、二人の気持ちは単なる遊びなどではなく本気だと思っていい。その点はナバラも疑ってはいない。
 だが、駆け落ちせざるを得ないような事情を抱えている男女が、綺麗な事情ばかりを抱えているとは限らない。

 男女の色恋沙汰の話を、わざわざこんな時に持ち出すこともないと思い、ナバラは黙々とレオナの手助けを続けた。

「ふうん……。おれはそーゆーのはよく分からねえけど……この小屋が、普通じゃないのは分かるな……」

 眠そうにあくびをしながら、ポップが呟く。

「この小屋……ちょっと、気配が普通と違うんだ。多分、精霊かなんかの祝福があるんだと思う」

「精霊が?」

 思わずメルルが聞き返すと、ポップは軽く頷いた。

「ああ。家を建てた人か、住んでいた人が精霊と近しい人の場合は、自然に精霊が居着くんだってアバン先生が言ってたよ」

 アバンに連れられて多くの場所を旅したポップは、人里離れた場所にある家や小屋などもよく見てきた。
 人間が住まなくなった家が、いかに簡単に荒れるものなのか。

 そんな例なら、幾らでも見てきた。
 ただ、世の中には例外があるものだ。人里離れた場所にぽつんとある無人の家でも、不思議なほど原形を保っているものもある。
 そんな家は大抵、魔法陣の中に入ったのと同じ感覚を覚えることが多かった。

「先生に前に習ったけど、特殊な魔法がかかっている建物が普通の建物よりも長く持つように……精霊の祝福がある家も、普通よりもずっと長く持つものなんだってさ」

 ポップのその説明に、みんなが改めて小屋の中を見回す。
 素朴な、どこにでもあるようなごく普通な小屋――だが、精霊の存在があるとポップが保証したのならば、疑いはしない。

 不可視の存在であり、常人にはその存在すらも分からないとされる精霊は、高い資質を持った魔法使いにとっては身近な存在だと聞く。
 そして、ポップは疑いようもなく、高い資質を備えた魔法使いに違いない。

 賢者を遥かに凌ぐ魔法力を備えたほどの魔法使いの言葉を、レオナは信じることが出来た。
 レオナ自身には関知できないが、この小屋には精霊がいるのだろうと、素直に思える。
「そう……それは、心強いわ。精霊の加護の強い場所では、魔法の効き目が強いっていうもの」

 ポップへの手当てはもうすませたとは言え、他の三人の手当ては応急手当て程度しかしてはいない。
 いかに回復魔法が得意なレオナとは言え、重傷者を何人も回復させるのは並大抵のことではない。

 完全に傷を治しきれる保証もないだけに不安もあったが、そこにポップのこの言葉は気休めであろうとも、嬉しかった。
 大いに力づけられ、困難に挑む勇気を抱かせてくれる。

「さて、用意はだいたい整ったわね。じゃ、みんなの手当てをするからメルル達も手伝ってくれる? ダイ君も、こっちに来て」

 レオナに呼ばれ、ダイは反射的のようにポップの手をぎゅっと握った。

「……レオナ。もうちょっと、ここに居ちゃだめ?」

 母親から引き離されるのを嫌がる幼子か、あるいは飼い主から引き離される時の子犬の表情と言うべきか。
 無言のまま、ポップと一緒に居たいと訴えかけるダイを見て、レオナは柔らかく苦笑した。

 本音を言えば、勇者であるダイの手当ては真っ先にすませたいところだし、蘇生直後のポップの方も一人にさせてあげてゆっくりと休ませてあげたい。
 だが、今は離れたくないというダイの気持ちを尊重して、レオナは優しく頷いた。

「いいわよ。じゃあ、ヒュンケル達の手当てが終わったら呼ぶから、ポップ君をよろしくね」






 レオナ達が隣の部屋に行くと、ダイとポップ、それにゴメちゃんだけが取り残された。扉があるわけでもないし、完全に隔離された部屋でもないので閉塞感はないし、互いに隣の部屋の気配も感じられる。
 みんなの無事を容易に確認できる距離に安堵しながら、ダイはポップに問いかけた。

「ねえ、ポップ。精霊がいるって、どうしたら分かるの?」

 ダイの質問に、ポップは少しばかり答えに迷う。
 自分にとってはごく当たり前のことを、他人に説明するのは案外難しい。

「う〜〜ん、そうはっきりと分かるわけじゃないんだけどよ。なんとなく居心地がよくって、自分ん家に帰ったみたいにホッと出来る場所って感じかな?」

 ポップは知らない。
 ポップ自身が精霊の祝福を受けた存在であり、彼が住んでいた実家にも精霊が宿っていた事実を。

 精霊が身近にいるのがごく当たり前の環境で育ったポップには、精霊の祝福に溢れた場所は珍しいものではない。

「ふーん、そっかぁ。おれ、よく分からないけど、ポップが言うならそうなんだね」

 そして、ダイも知らない。
 竜の騎士という存在そのものが神々の遺産であり、精霊の加護に恵まれた種族であることを。

 純血の竜の騎士であるバランが建て、本来なら有り得ない奇跡の結晶であるダイが生まれた小屋に、精霊が宿るのは当然である事実を。
 記憶を失っていた間でさえ、この小屋にいる間に感じていた不思議な安らぎの理由を、ダイは知らない。

 そして、追及したいとも思わなかった。
 今、目の前にいる大切な友達。
 生き返ってくれたばかりのポップへの喜びが大きすぎて、他の感情や感覚にまで気を回していられないからだ。

「おれが分からなくても、ポップには分かるんだったらいいや。ここ、ポップにとっては安心出来る場所なんだね? なら、よかった。ゆっくり休んでよ、ポップ」

 ダイのその言葉に、ポップはわずかに苦笑した。
 ――確かに安心感はある。
 だが、それはこの場所だから得られるものではなかった。

 もしかしたら、永遠に失ってしまうかもしれなかった友達。
 今までの全てを忘れ、決定的な意味で決別するかもしれなかったダイが戻ってきてくれた安堵感が、なによりも上回っている。
 そのせいで、いまだに掴まれたままの手を解けと言う気にもならない。

「ああ……一寝入りさせてもらわぁ……」

 ダイに手を預けたまま、ポップは目を閉じる。今まで張り詰めていた気が抜けたのか、その息が寝息に変わるまでそうは時間が掛からなかった――。

 精霊達が、飛び回る。
 普通の人間にとっては不可視の存在であり、関知できない存在である者達。
 太古の昔ならばいざ知らず、現在ではほとんど力を失い、幽霊のように希薄な存在でありながらも、それでも人間に興味を抱き、心を寄せる性質に変わりはない。

 寝入ってしまったポップも気付かないし、戦士の資質か勝っているために精霊の存在には疎いダイも知るよしもなかったが、二人の側には無数の精霊達が飛び回っていた。





 精霊達は、覚えている。
 かつて、出来たばかりのこの小屋でも、今のようにこのベッドに横たわる人間と、大切そうにそれを見守る人間がいたことを。

 ちょうど、今の少年達のように、互いにいたわり合うように手を取り合っていたことも。
 あの時は若い娘と、青年だった。
 互いに思いを寄せ合う二人は、国の争いに巻き込まれることなく、ここで静かに暮らすことだけを夢見て、この小屋を建てた。

 愛し合う二人は、慎ましくもここで幸せに暮らし、一人の赤ん坊を設けた。
 長くは続かなかった、だが、二人にとっては夢のように幸せで、輝いていた日々――。
 それが不意に失われてしまった時、精霊達がどんなに悲しんだことか。

 本来ならば、精霊は無人の家には居着かない。興味を惹かれる人間がいなくなった段階で、いなくなる方が普通だ。
 無人となった家に住み着くのは、よほどその人間が気に入っていた場合……。

 それも愛しいと感じた人間が住んでいた期間よりも、短い場合が多い。まだ、子孫がその家に住んでいるならばともかく、こんな風に完全に無人となった小屋に十年以上居着くのは異例のことだ。
 だが、その甲斐はあったのかもしれない。

 精霊達は、歓喜する。
 十数年の時を経て、あの時の子供は帰ってきた。精霊の祝福を色濃く受けている少年と共に、この小屋にいる。

 精霊達はこの小屋にとどまり続けた自分達の幸運を喜び、再び安らぎの時間を与えてくれた愛しい人間達の存在を歓迎する。
 少しでも彼らの助けになるようにと、賢者の少女が使う魔法を手助けし、ひどいダメージを負った人間達の怪我が良くなるようにと、祈りを込めて祝福を与える。

 精霊の祝福は、ほんのわずかな助力にしかならない。
 そして、精霊の助力は人間には関知出来ない。魔法使いの資質の高い者には、精霊の存在は察知出来るかもしれないが、彼らでさえ精霊と直接交流は出来ない。

 存在が希薄となった現在の精霊達は、人間界においては霞にも等しい存在なのだから。 だが、それでも気に入った人間に心を寄せる心を持っているし、わずかなりとも干渉するだけの力は備えている。

 その力を、精霊達は惜しみ無く二人の少年のために使っていた。
 誰にも、知られることはないまま。
 誰にも、感謝されることもないまま。
 これは、誰もが知ることのなかった、知られざる物語――。

 
                                    END


《後書き》
 ポップ蘇生後の捏造話の一つ、一番初めの話です〜。書く順番は、めちゃくちゃですが(笑)
 ところで、筆者はずーっと前に解析でもちらりと発言しましたが、テランでダイが記憶喪失の時に寝泊まりした小屋=ダイの生まれた小屋、という持説を持っております!

 あの小屋、よく見てみると山小屋にしては位置的に変だし、花瓶や宝石箱っぽいこまやかな品とかもあるし、回想シーンとダイの記憶喪失シーンを見比べると、結構似てるんですよね〜。

 まあ、別にはずれていても、当たっていても、物語上はなんの問題もない仮説なんですけど。
 でも、ダイが自分でも気が付かないまま、生まれた小屋に戻る話にロマンを感じたので、思い切って捏造してみました!

 原作であの小屋が出てくるシーン、好きなんです。
 特にポップ蘇生直後、目立たないんですけど、よく見るとダイの寝ている場所ってベッドじゃないんです。

 木箱を並べてベッドっぽくしているだけだし、ヒュンケルやレオナなんか寝る場所もなくて椅子に座って休んでるんですよね。
 で、ポップはベッドがあった方の部屋から出てきている……ってことは、小屋の間取りから考えても、一つっきりしかないベッドをポップのために譲っているんですよ!

 地味なシーンだけど、すごくお気に入り場面の一つで、前から書いてみたかったんです! ……まあ、この後、ハドラーの急襲があって、やってきたマトリフが一つっきりのベッドを横取りして寝てしまうオチがついているんですが(笑)

 捏造話ではすでにこの後、ダイ達はテラン城にまた逆戻りしてお世話になり、パプニカに帰る、となっておりますので、その内、そこら辺の隙間も埋める話も書く予定ですv
 
 

前編に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system