『まほろばのはなし ー起ー』 |
リィィイン……!! 巫女の動きに合わせ、鈴の音が鳴り渡る。 特別な行事の際に着る巫女装束には、鈴が装身具として飾られている。それゆえ、巫女の動きに合わせて鈴の音が響くのだ。 ここは聖域なのだと、只人に強く意識させる神聖さに満ち溢れている。巫女の訪れを待って控えていた者達は、彼女が上座につくまで礼儀正しく目を伏せ、彫像のように身動き一つしようともしなかった。 そんな彼らを見下ろした巫女は、注意を喚起するためか、一際強く手にした鈴の音を鳴らす。 リィーン――ッ! ハッとして顔を上げた彼らに対して、巫女は厳かな口調で告げた。 「お聞きなさい。これより、あなた達が成し遂げなければならないことを」 そこまで言ってから巫女は一度言葉を切り、自分の前で頭を垂れる者達を静かに見下ろした。 「よいですか、心してお聞きなさい。
確かに、鈴の音色も混じってる。だが、その鈴の音に合わせるように、唄も聞こえてくる。 言葉の節回しや旋律に心を奪われたダイは、それが神を寿ぐ古い唄だとも知らないまま、唄の聞こえる方に向かって歩きだす。 村人もめったに訪れない、集落から少し外れた場所にある原っぱだった。ちょうど、貴説は冬になり掛かった頃で、枯れ葉も落ち、雑草も色も勢いも無くした灰色っぽくなった場所。 だが、その中で彼の存在は際立っていた。冬でもなお、色鮮やかな常磐木のように――。 ひどく熱心に、ダイの気配にすら気がつかぬまま唄う少年が、そこにはいた。 その姿を見て、ダイが真っ先に感じた感情は、禁忌への恐怖だった。 唄う少年は、どこか寂しそうで今にも消えてしまいそうに儚く見えて――そして、怖くなるぐらいに、人間離れした貴い存在に見えた。 だが、その感情はすぐに消えた。 「ポップ?!」 思わず名を呼ぶと、少年は驚いたように振り向いた――。
「――!!」 目覚めは、唐突だった。 ダイの目の前に迫るのは、霞のようにしかとは見定められない存在だった。 だが、濃厚に漂う嫌な気配や、肌身に迫る悪意は常人にさえ感じ取れるだろう。 「……邪魔だよ」 わずかな苛立ちを込め、ダイは身近に迫った気配に向かって愛用のナイフを切りつけた。 小さな品ではあるが、聖なる祝福を込められた刃の効力は確かだった。刃に触れた途端、霞じみた人外の存在は奇妙な呻き声と共に霧散していく。 それを見届けるダイの目は、少しも動じていなかった。 本来ならば人が入ってはならないとされる禁足域に踏み入り、『鬼』に襲われ続ける旅。 それが、今のダイの日常なのだから。 ダイ自身こそが、鬼を上回る異形の存在なのだから――。 (せっかく、ポップの夢を見ていたのに……!) ずっと一緒にいた、大切な友達。 自分自身が、伝説に伝えられる滅びの龍の化身だと聞かされても、ポップが龍の封印をする役割を負った神の転生身だと聞いても、関係はない。 そのために、ダイは今、険しい霊山を登っていた。 だが、心理的な意味では大きく離れた禁足域だった。 まだダイが村にいた頃、この山には決して近寄らぬようにと戒められたものだし、ダイも近寄りたいと思ったことはなかった。 普通とは明らかに違う、不穏な気配……それをわざわざ確かめたいと思う程、ダイは愚かではなかったし、今までは忠実に掟を守ってきた。 龍を封印するために、数多くの儀式や掟に縛られた生活を繰り返している村の暮らしに、ダイはなんの不満も感じていなかった。 バーンがポップを常世に連れて行くと宣言した以上、ダイも常世に行くのに何の疑問も感じない。 しかし、ダイは人ではない。
いくら本性が滅びの龍とは言え、ダイは人間として12年の命を生きてきた。村や家族に対する愛着もあるし、人の命を貴ぶ心も持ち合わせている。 龍の意識に引きずられてともすれば暴走しがちになるダイの思考をとどめてくれるのは、今はこの場にいないポップの存在だ。 他人が傷つくのを、黙って見過ごせる性格ではない。 そう思えば、とてもではないが破壊的な手段を取る気にはなれなかった。 その結果、一番穏便と思われる道が、この霊山だった。 それは、ある意味で蜃気楼に似ている。一定の条件が重なった時だけ、この世と常世が重なり合い、向こう側を垣間見ることが出来るのだ。 この山には、無数の死者が存在する。 常世と繋がりが在り、『鬼』の棲まう地は、すでに人の世にあっていい場所では無い。 だからこそ人々は異世界と混ざり合うこの地を禁足地とし、近寄るのを禁じていた。 ダイが目指しているのは、山頂のように分かりやすい目標のある場所では無い。 まさに蜃気楼のように、気紛れに毎回違う場所に現れると龍の記憶は告げていた。 村を出てからすでに一月近く、ダイはこの霊山を彷徨い続けている。 それだけでさえ大変なのに、さらにダイの邪魔をするのは鬼の存在だった。 それでもダイは少しもくじけることなく、常世への入り口を求めて霊山を彷徨う。どんなに困難だろうと、これこそがポップを助けることに繋がると思えば、苦にはならない。 幾手を阻む無数の鬼でさえ、ダイにとっては歓迎できるものだ。 (分かる……多分、こっちだ) 目を閉じ、ダイは自分の中の感覚を最大限に研ぎ澄ませる。 その力の中には、常ならざる気配を感知する能力も含まれていた。 近寄れば遠ざかるその気配を、ダイは根気強く追い続ける。 ほとんど崖と言った方が当たっている険しい岩肌を、ダイは怯まずに登りだした。垂直に切り立った岩壁は、ほとんどの人間にとっては登るのは無理だろう。 だが、これが目的への最短と思えばダイにためらう理由はなかった。 リィ……ン……!! かすかに、だが、確かに、どこからか聞こえる鈴の音色。 (またか……っ!!) 苛立ちに、ダイは思わず舌打ちする。 鈴の音が、どこから聞こえるものかはダイには分からない。 体力や霊力が抑えられるのか、鬼をたやすく追い払えなくなってしまうのだが、ダイにとって一番困るのは、そこではない。 特に、今ほど不思議な気配に近付けたことはないというのに、鈴の音に邪魔されたくはなかった。 リィイイン――! 「……あっ?!」 あっけなく、手がすべる。 しかし、ダイの内心にお構いなしに、重力は容赦なく少年を捕らえ引きずり落とす。 「ぅ…わぁああっ――?!」 尖った痛みを複数回受けた後、ダイは地べたに叩きつけられる痛みを味わう前に意識を失った――。
どこからか鈴の音が聞こえてきた気がして、ダイは目を覚ました。 (早く、離れなきゃ) まだ眠りたいとせがむ瞼を無理やりこじあけ――ダイは、驚きに目を見張った。 「え……っ?!」 ダイが横たわっていたのは、柔らかい布団の上だった。 周囲を見回すと、そこは見たこともない家の中だった。 生活感があまりなくて殺風景な風は感じられるが、ダイを寝かしつけている布団や、無人にも関わらず沸かしてある湯など、そこかしこに人がいた名残が残っている。 弱ったダイが起き上がろうとするよりも、玄関の引き戸が開く方が早かった。 巫女装束を着た娘は、起きているダイを見てちょっとびっくりしたような顔はしたものの、水桶を土間において慌てて部屋に上がってきた。 「あら、気がついた? でも、まだ動かない方がいいわよ。あなたは、ひどい怪我をしていたんだから」 切り揃えられた黒髪が、さらりと揺れる。 (なんか、メルルみたいだ……) 村で一番優れた巫女であったメルルは、癒し手や看護役としても活躍していた。巫女が、怪我人を助けてくれるのはごく当たり前のことであるという発想があるだけに、少し気が緩むのを感じながら、ダイは疑問を口にする。 「ここ……どこ? おれ、いったい……?」 しゃべろうとする意思に反して、口が強張ってうまく開かない。だが、たどたどしい疑問を汲み取ってくれたのか、娘はダイの枕元に腰を下ろし、なだめるように軽く触れながら話しかけてきた。 「安心して、ここはどこよりも安全な場所だから。 《続く》 |