『まほろばのはなし ー承ー』 |
苔むして古びた、小さな石の塚。 通りすぎる者が何の関心も持たないであろう、そんな小さな石の塚は、しかし絶対の意味を持っていた。 人間の気配を感じ取れば、即座に寄ってきて襲ってくるはずの鬼達は、村の中には決して入ってはこなかった。 石の塚が、はっきりとこの村と鬼の棲む場所に線を引く。 (本当に、鬼は入ってこない村なんだ……) まほろばの村。 常世の国にいくにはまだ早いと認められた者だけが、住まう村――巫女の娘は、そう説明してくれた。 だが、生き延びたいと願った者、心の正しき者だけがこの村に辿り着ける。 むしろ、驚く程に住み心地が良く、気持ちのいい場所だ。 「おや? 坊や、もう出歩いて大丈夫なのかい?」 手持ちぶさたに突っ立ているダイに、籠を背負った若い男が気さくに声をかけてくる。 「えっ、あ、うん。もう、平気だよ」 見知らぬ旅人に警戒する姿勢を持つ、閉鎖的な村で育ったダイには少しばかり戸惑いがあるが、ここの村人はみんなそうだった。 「そうかい、だがまだ無理はしない方がいいんじゃないのかね。ゆっくりと養生しないと、治る怪我も治さないからな」 分別臭い口調で言いつつ、どっこいしょ、とやけに年寄りじみた仕草で荷物を下ろした男は、いとも親しげに声を掛けてくる。 「なあに、焦ることはないさ、完全によくなってから村を案内してあげよう」 かけられる言葉が、嬉しくないわけがない、自分を心配してくれている言葉なのだから。 だが、それでもダイにとっては素直に頷けない言葉ではあった。 確かにこの村は、霊山に迷い込んだ人間にとっては安全な場所かもしれない。 怪我の回復が妙に遅いのも、常世への入り口の気配を感じ取れないのも、そのせいなのだろう。 おかげでなかなか怪我が治りきらず、出発がままならない。 常世にまで行き、バーンと戦うことこそが最終目標だ。不完全な状態で行ったところで、またも返り討ちに遭うだけだ。 その上、ダイには焦りがあった。 そのせいか、ダイはせっかく男が話しかけてくれる山で取れる美味しい果物の分布の話も上の空で聞いていた。 「……って、わけなんじゃよ。そうだ、一つわけてあげようか」 そういって男が籠から一つ取り出して放ってくれたのは、よく熟れた山桃だった。 「え? あ、ありがとう」 うっかりと話を聞きそびれていたダイは、突然でてきた山桃にびっくりしつつも、お礼を言って受け取った。 (そういやポップもこれ、好きだったっけ) 山桃が好きなポップのために、ダイは実る季節になると決まって山桃を詰んでは、持っていったものだ。 掟や禁忌などに縛られず、神覡(かんなぎ)にあるまじき行為を、けろっとしてしまう大胆さがポップにはあった。それに呆れたり、罰が当たるんじゃないかとちょっと心配になったりしつつも、ダイはポップのそんな自由さが気に入っていた。 (ポップ……ちゃんと、ご飯とか食べてるのかな) ちょっぴり沈み込みながらも、ダイの手は習慣通りに山桃の皮を向く。 「美味しい……っ!」 「そうじゃろう、そうじゃろう。この村の山桃は、絶品だからのう」 得意げに男が笑うのを聞きつけたのか、子供達が駆け寄ってきた。 「あーっ、山桃だぁ」 「ぼくにも、ちょーだい!」 「おらも、おらも!」 駆け寄ってくる子供の数は、ちょっとびっくりするぐらい多い。 「こらこら、お行儀が悪いぞ。それに、今日はダメじゃ、今年は実るのが遅くてほんの少ししか取れなかったからのう」 そう言いながら、男は籠を傾けて子供達に中身を見せる。 そして、同時に、そんなにも数の少ない貴重な物をもらってしまったことに、罪悪感を覚えてしまう。 「いつも言っておるように、食料はみんなで分ける。だが、分けられないぐらい少ない時は、村に来たばかりの者を優先する……それがワシらの決まりじゃ。分かるな?」 耳慣れない決まり事に、首を傾げたのはダイ一人だった。 この村が凄いなと思うのは、そんな点だった。 だが、まほろばの村では違う。 ダイのいた村では、子供や若者だけの集まりの時は、ちょっとばかり騒ぎ過ぎてしまったり、ケンカなどが起きてしまうことも珍しくはなかった。 見たところ若者と子供しかいないのに、騒ぎや問題など起こる気配もない。 「さて、そろそろ持って行くかの」 よいしょと、下ろした時以上にしんどそうに籠を持ち上げる男を見兼ねて、ダイは思わず口を出していた。 「あ、おれ、手伝うよ!」 「お、悪いの。助かるわい」 籠はひどく軽くて、ダイの感覚から言えば片手でも持てそうな物だったが、男が辛そうなのでダイはそれを支えるようにして後ろからついていく。 「それで、どこに行くの?」 「うむ、ひどい火傷をして寝込んでいる子がうちにおってのう。 ダイもそうだったが、この村に迷い込んだ者は最初は巫女が面倒を見てくれるが、そのうちそれぞれの家にふり分けられるのだという。 望めば、一人で居を構えるのも可能だが、大抵の者は数人で一つの家で暮らす道を選ぶ。 迷い込んだ者同士が、疑似家族のように一つの家で暮らすのが普通だそうだ。 「坊やの少し前に来た子でな、どうもひどい目に遭ったらしくて、怪我もひどいもんじゃったし、記憶も定かではないみたいなんじゃ」 あまりにひどい目に遭い過ぎて、それまでのことをすっかりと忘れてしまう。 「食欲もないみたいだから、少しでも食べやすいものを、と思うてな」 呑気にそう言いながら、男は素朴な家の一つの前に立った。 だが、住んでいる人間にとっては簡単に見分けられるのだろう、男は迷いもせず引き戸を開ける。 「おーい、今、帰ったぞ」 「はいはい、お帰りなさい、あんた」 前掛けで手を拭いながら出てきたのは、男よりも少し若く見える、娘とも言える年齢の女だった。 なにしろ、さして広くもない家だ。 「おかえりー。思ったより、早かったね」 聞いた話を裏切る、明るい声は元気よさそうだった。 子供……とは言っても、ダイよりは年上だろう。 「ん? 誰、その子? お客さん?」 きょとんとした顔でダイを見る目は、初対面の者に対するものだったが、ダイは思わず叫んでいた。 「ポップッ?!」 靴を脱ぐのももどかしく、ダイは転がり込むように家に上がり込んだ。 「ポップ、どうしてここにっ?! っていうか、おれのこと、分からないのか……?!」 思わず肩を揺さぶろうと伸ばしかけた手を、ダイは辛うじて抑えた。寝間着から見える範囲だけでもこれだけ包帯だらけなのだ、うかつに触れるわけにはいかない。 「…………ダ…イ……?」
鈴の音が、鳴る。
木登りをしているダイに対して、ぽんぽんと投げ付けられる文句の数々。一応は、桃の実が見える場所に誘導してくれているとはいえ、普通なら感謝の気持ちもなくなるような罵詈雑言に等しい掛け声だ。 山桃を一つもぎ取ってから、ダイは木の下を確かめる。 ごく当たり前の村人のように、ありふれた着物を着ている。大人用の物なのか色合いも地味だし、丈だってずいぶんと長い。 別に、何の意味もないその布を、ポップはちょっとしたおまじないだと笑いながらいつも決まって身に付けていた。
声を掛けてから、ダイはポップがとりやすいであろう場所へとやんわりと山桃を落とす。
広げた布を使って器用に受け止め、ポップはその山桃を近くに置いてあった籠に入れた。
「うん! じゃ、降りるから、そこ、どいてよ」 おまけとばかりに最後に二つ山桃をもぎ取り、ダイはそれを持ったままいきなり飛び下りた。 「わわっ?!」 ポップが焦った顔をするのも、無理はないだろう。 だが、ダイは途中の木の枝に2、3度着地して勢いを殺しながら、猿も顔負けの身軽さであっという間に地面に下り立った。
と、ポップがカンカンに怒るのも、ある意味で当然だろう。 「うわっ、ごめんっ! おれ、こんなことになるとは思わなかったんだっ」 ダイとしては、一刻も早く木から下りたかっただけで、悪気はなかった。 「ったく、しょうがない奴だな。いいよ、もう。ちょっと派手だったけど、これは山の神へのお礼の分、だな」 山で採ったものは、山の神のもの。 果物も、その例外ではない。 「でも、服、汚しちゃったね」 「いいって、後で洗えば落ちるしよ。この桃に免じて許してやるよ」 と、ダイの手から山桃を一つ奪い取って、ポップはその辺の倒木に腰掛ける。ひょいひょいと手招きをするのは、隣に来いという無言の誘いだ。 「うん、美味いや」 もぐもぐと口を動かしながら、ポップが満足そうにそう言う。感情のままにコロコロと表情を変える顔が、これ以上はないほど嬉しそうなものに変わる。
それがどんなに特別な時間だったのか……ポップを失ってから、ダイは何度となく思い知った。 猟師であるダイには、山で取れたものを即座にその場で食べるのに慣れていたし、その美味さも充分に知っている。 ただ、習慣から山の神に礼を述べ、黙々と腹に落とし込むだけだったことが、こんなにも感謝に満ち溢れた楽しい行為だったのだと、ダイはあらためて思い知った。 (ポップがいるといないとじゃ、やっぱ全然違うや) その喜びが、ダイの胸を暖かく照らす。
試しに聞いてみると、ポップは山桃を食べながら小首を傾げる。 「うーーん、あんまり、かな? まあ、前にもこんな風に、おまえと山桃とか胡頽(ぐみ)とか食ったことがある気がするんだけどよ」 それを聞いて、ダイは喜びたい気持ちと、ちょっぴり寂しい気持ちを、同時に感じてしまう。 あの村での暮らしもまた、至福だった。ポップと一緒に過ごした数多くの思い出が、全部なくなってしまったかと思うと、たまらない程寂しく感じる。 ポップには村に両親がいたし、多くの人に好かれていたし、好いてもいた。なのに、今のポップは両親の記憶もそうだが、マァムのことすら覚えていない。 マァムやメルル、ヒュンケル達が、今のポップの状態を知ったら、きっと悲しむだろう。 だが、それなのに、自分のことだけは覚えていてくれたことが嬉しくてたまらない。 「ま、実際に見たらなんか思い出すかもしんないし、そのうち、おれやおまえの村ってのに行ってみようぜ。そこって、近いのか?」 と、今すぐにでも出発しそうなことを言うポップを、ダイは慌てて止めた。 「ダメだよっ、まだ無理しちゃ!」 心配なのは、記憶喪失だけではない。 目に付く所の包帯は取れたとはいえ、まだ着物に隠された部分には幾重にも巻かれた包帯があることを、ダイはちゃんと知っている。 火傷の後遺症なのか、腕や足の動きが少々ぎこちないのもダイは気がついていた。今のポップは走る程の体力はないし、そう長い距離を歩くこともできないでいる。 「なーに、もう平気だって。それに、おまえだって故郷に帰りたいんじゃねえの?」 「それはそうだけどっ、でも、違うんだってば!」 巧く説明するのが苦手なダイは、何から言おうと言いあぐねてしまう。 ポップだけでなく、ダイにとってもあの村は故郷だ。 レオナやマァムやヒュンケルのような友達もいて、ダイはあの村で決して不幸ではなかった。 「聞いたぜ、おまえさー、ずっとここから出たいって焦っていたそうじゃないか。 その言葉が善意なのは、疑いようもない。 (ポップって……ホント、分かってないよなぁ) 他人の感情の変化に敏感で根はすごく優しいのに、時々、ポップは呆れるぐらい鈍感だ。 自分のことを、全然分かっていない。 記憶がないのに、ポップはポップのままでいる。 「一人でなんか、帰らないよ。おれ、帰る時はポップと一緒に帰るって約束したんだ」 それはダイの中では、絶対の約束だった。 しかし……ポップを早く村に帰してあげたいと思うと同時に、ダイは密かに思わずにはいられない。 だが、ダイの本心に違いなかった。 敵は、鬼だけではないのだから。 ポップを追っていたのは、鬼などとは比べ物にならない化け物。自ら神の名を自称する、悪神だ。 (そういえば、あいつは……どうしたんだろう?) 石の塚の外側に目をやりながら、ダイは口に出さないまま思う。 バーンには、この村は結界のせいで見えていないのかもしれない――いささか都合のいい考えだが、ダイはそうであって欲しいと思う。 この平和な村が、故郷の村と同じようにバーンの被害に被るかと思うと、申し訳なさに身が竦みそうになる。 村に出入りしようとしている鬼の気配に神経を尖らせ、いつ起こってもおかしくない戦いに備えている。 厳重に封印されたはずのダイ達の村の中にさえ入り込んできた男が、いくら結界があるとはいえこの村に近寄る気配が無い理由も、それならば納得が行く。 「いいかい、ポップ。怪我が完全に治るまで、この村から出ちゃだめだよ。いつか、この村を出て故郷に帰る時は、一緒に帰ろう」 ポップに向かってそう言うダイは、気がつかなかった。 |