『まほろばのはなし ー結ー』

  
 

 少年は、唄う。
 祈る様に。
 語りかける様に。
 心のない人形とはとても思えないほど、生彩に満ちた生き生きとした歌声を響かせて。 その唄は、夢の中にさえ届いていた――。

 

 


「ほーら、順番、順番! 焦んなくったって、桃はたっぷりあるって」

 子供達に取り囲まれながら、ポップはダイの取ってきた山桃をみんなに分け与えてやっていた。その光景を、ダイはにこにこしながら眺めていた。
 誰とでもすぐに馴染むことのできるポップは、すっかりとこの村に馴染んでいる。

 あまりに違和感のない光景に、うっかりすると故郷の村に戻ったのではないかと錯覚してしまうぐらいだった。
 そう思ってしまう一因は、さっきポップが着替えたばかりの着物にもあるのだろう。

 鮮やかな緑色の着物は、ポップによく似合っている。村にいた時にポップが着ていた鍛冶装束とは少し違うが、見慣れた色合いは見事なまでにポップに似合っていた。
 それは、ポップの手当てをしていた女性が用意してくれた着物だった。着物を汚して帰ってきたポップを叱らず、ちょうど出来上がったところだと新しい着物をだしてくれた。


 ポップを引き取ってくれた夫妻は、ひどく優しい。まるで、実の両親であるかのように何くれとなくポップの世話を焼き、その優しさをダイにも向けてくれている。
 良ければ、ダイもこの家で住まないかと言ってくれる優しさは素直に嬉しかったし、抗いがたい魅力があった。

 兄弟の様に、ポップと一緒の家で暮らす  それは、故郷の村にいた頃は考えたことすらもなかった夢だった。
 集落が違うから会うのも一苦労だった頃よりも、ある意味ではずっと恵まれた暮らし……旅立たねばと思う気持ちは、日々薄れていく。

 最初は、この村に長居する気などなかった。ポップが起き上がれる様になるまで……それまでで旅立つつもりだった。
 だが、起きれる様になればなったで、立てる様になってからでもいいと思えてきた。

 立てる様になれば、歩ける様になってからの方がいいと、心が囁く。
 ポップの体調が完全ではないのを言い訳にして、この村で過ごす日々がどんなに幸せに感じられることか。
 それは、ダイにとっては最高の日々。まほろばが、すぐ近くにあった――。

(このまま、ずっとこうしていたいなぁ……)

 奇しくも、そう思った時のことだった。
 かすかな鈴の音と共に、聞こえるか聞こえないか程度の歌声が聞こえてきたのは。

「……?」

 思わず、ダイはその歌声の聞こえてくる方向へと目をやった。
 聞こえてきたのが鈴の音だけなら、無視しただろう。まほろばの村に来る前に、さんざんダイの邪魔をしてくれた鈴の音は、ダイにとっては気に入るものではない。

 この村に入ってからも時折聞こえてはいたが、聞こえる方角が決まって村の外の方からだったため、ダイはあえて無視してきた。
 最初は罠かどうかを恐れてだったが、ポップに会ってからはほとんど気にならなくなり、忘れかけてさえいた鈴の音。

 だが、その鈴の音に合わせて聞こえる唄が、ダイの気を引きつけた。
 村の外から聞こえてくる、その唄が。

「どうしたんだよ、ダイ? ボーッとしちまってさ」

 ダイの頭を、ポップの手がくしゃっと掻き混ぜる様に撫でる。変わらないその感触に引き戻される様に振り向いたものの、ダイの意識はその唄から離れなかった。

「うん……この唄、誰が歌っているのかなって思って」

「唄?」

 と、初めて気がついた様にポップは耳をそばだてる。だが、彼はダイのようにはその唄に注意を払わなかった。

「ああ、そう言えばなんか聞こえるけど、気にするこたぁないだろ」

 全然気にした様子もなくそう言われて、ダイは戸惑う。

(え……?)

 それは、この村で  言い換えるなら、ポップに対して初めて感じた違和感だった。
 記憶を失ったのは分かっているが、この唄は特別なもの……その思いがあるだけに、ポップが全く反応を見せないのが信じられない。

 当惑し、どう言い返していいか分からないでいるダイに、ポップはいたって気軽に言った。

「だいいち、村の外から聞こえる声に耳を傾けるなって、みんなから言われなかったか?」


「う、うん、言われたけど……」

 その教えは、ある意味で真実だ。
 村の周囲を徘徊する『鬼』は、村人をおびき寄せようと様々な手を使ってくる。
 知り合いの声を真似て呼び寄せるのは鬼の常套手段であり、決して騙されてはいけないと、何人もの村人からくどいほど注意を受けた覚えがある。

 もっとも、鬼と戦うだけの力を持ったダイにとっては、その罠は別に怖いとは思わなかったが。
 ダイにとって恐ろしいのは、バーンにポップの居場所を掴まれることの方だった。だからこそ、ポップに会ってからは鈴の音の居場所を突き止めようと言う気もなくしていた。


 もし、聞こえてくるのが故郷での知り合いの声だったのなら、鬼の物真似と割り切って無視することもできただろう。
 だが、今聞こえてくる唄は、特別だった。

 この唄は、聖なる力の込められた巫女の唄だ。負の属性を持つ鬼が、真似をできようはずがない。
 なにより、この唄はダイ個人にとっても、特別なものだった。

「でも、この唄は――」

 それは、いつかポップが歌ってくれた唄だ。
 冬が間近に迫った頃、集落の外れの誰もいない空き地で、ポップは一人で歌っていた。 歌うポップは、どこか寂しそうで今にも消えてしまいそうに儚く見え――そして、怖くなるぐらいに、人間離れした存在に見えた。

 その光景を、ダイは昨日のことの様に思い出すことができる。
 そして、自分の呼び掛けた声に答えてくれたポップとのやり取りも、鮮明に思い出すことができた――。

 

 


「なーんだ、ダイじゃねえかよ。驚かすなよなー」

 ダイの姿を認めて、ポップはホッとした様に笑顔を見せた。
 そう言って笑う姿には、さっきまでの神秘性など微塵も感じられない。ダイの知っている通りの、いつものポップだ。

 その落差にちょっと戸惑いながらも、ダイはホッとせずにはいられなかった。
 ついさっきまで神の領域にいたポップが、自分のいる人間側へと戻ってきた――その事実が、たまらないほどに嬉しい。

「ごめん、脅かす気はなかったんだけど、こんな所から唄声が聞こえてきたから気になって……でも、ポップだったとは思わなかったよ」

 綺麗で、澄んだ歌声はてっきり女の子のものかと思った。
 普段のポップの口の悪さや喧しさを思えば、別人としか思えない唄だった。自分の耳で聞いたのに、今一歩信じられなくてダイはまじまじとポップを見返してしまう。

「でもさあ、なんでこんなとこで、唄ってたの?」

 集落からあまり離れると獣に襲われる危険があるため、成人前の子供や女性は基本的に集落から離れることは禁じられている。
 猟師として認められたダイはまだしも、半人前の神覡(かんなぎ)であるポップは、集落の外に出てはいけないという掟に関しては、普通の子供と同じ扱いを受けている。

 集落から少し離れたこんな場所にいるのを大人に見つかったら、こっぴどく怒られるだろう。
 だが、ポップは悪びれた様子もなくけろりとして答えた。

「そりゃあ、人に聞かれないようにだよ。そのためにわざわざ、こっそりと隠れて練習してたんだから」

「どうして? 別に、隠れる必要なんかないじゃないか」

 本心から不思議に思い、ダイは思わず聞いてしまう。
 巫女には、祭りで唄や踊りを捧げる役目もあり、それを覚えるのは義務でもある。
 ポップがこの間、神覡候補に選ばれたことは、村の誰もが知っている。そのポップが唄の練習をしているのなら、誰も邪魔をしないだろう。

 神事に関わることに関しては、たとえ練習であっても重視して優先するのが村の不文律だ。

 ましてや、こんなに綺麗な唄などダイは初めて聞いた。誰にも聞こえない所で歌われるのが惜しいと思えるほどに――。
 が、ポップは自分の唄に対して、全く価値をおいてなかった。

「だってよ、男がこんな唄を歌ってるなんて、なんか恥ずかしいじゃないかよー。本当ならこれって女の子が歌う唄なんだぜ、おれなんかが歌ったって似合わないしよ」

「えー、そんなことないと思うけどなぁ」

 本心からそう思ったダイだが、ポップは全く取り合ってくれなかった。

「なに言ってんだよ、おまえだって歌っていたのがおれだって、驚いてたくせに」

「それはそうだけど〜、でも、驚いたんだけど、そうじゃないんだってば」

 と、ダイが主張しても、ポップは「なんだ、そりゃ?」聞いてはくれない。
 説明な苦手なダイには、もどかしいくらいだ。
 確かに歌い手がポップなのには驚いたが、ダイはそれを意外だとか似合わないとは少しも思わない。

 ある意味では、すんなりと納得できるぐらいだ。
 ポップの言葉は、いつも魔法のようにダイを救ってくれる。ならば、その唄にも同じ力があっても、なんの不思議もない。
 そう、ダイには思えるのだが、ポップの意見はやっぱり違っていた。

「まあ、この唄は特別っていや、特別な唄なんだけどよ。一番最後に習った、めったなことでは歌ってはいけない唄なんだよ」

 ポップは教えてくれた。
 この唄には、不思議な力があるのだと。
 大切な人を守ろうとした巫女の、恋の唄なのだとポップは説明してくれた。

 禁忌を犯して、神に反してでも、自分の身を捨ててでも愛した人を守りたいと願った少女の、哀しくも美しい恋の唄。

「だからこの唄には、強い言霊が込められているんだってさ。言葉の一つ一つに深い意味があるし、少女の想いが込められている。神に奉じる唄の一つではあるけれど、そうそう人前で歌っていい唄じゃねえんだよ」

「ふうん……そうなんだ」

 正直言えば、ダイにとってはその説明は納得できるようでいて、そうでもなかった。
 その唄が特別な唄だからこそ、力を感じたのだとは思わない。ポップが歌っていたからこそ、特別な唄だと感じたのだ。

 もし、村で一番の霊力を持つメルルが歌っていたのだとしても、この唄を綺麗だとは思っても、ここまでは心を惹きつけられなかっただろう。

(残念だな、もう一回聞きたかったのに……)

 そう思いながら、ダイはその願いを自分の胸の中にしまい込んだ。
 巫女の唄とは、本来、神に捧げるためのものだ。練習とはいえ、只人が聞いていいものであるはずがない。
 うかつにおねだりをしても、ポップを困らせるだけだと思ったからこそ、ダイは口を噤んだ。

 だが、ポップにはそれはお見通しだった。
 自分のことに関してはとことん鈍いのに、ポップは他人の感情の動きにはひどく敏感なのだ。

「――ったく、なんて面してんだよ? そんなに気に入ったんなら、素直に言えばいいじゃないかよ。もう一回、この唄を聞きたいって」

「え?」

 戸惑うダイの頭を、ポップの手が乱暴に撫でる。

「バーカ、言わなくたって、顔に書いてあるんだよ。いいさ、そんなに気に入ったんなら、歌ってやるよ」

「で、でもさ、そんなことしたら、ポップ、怒られるんじゃないの?」

 大巫女ナバラは、巫女の決まりや掟にはひどく厳しい女性だ。戻り巫女とはいえその霊力は抜きんでているし、他の集落で起こったことや掟破りを察する能力も高い。

 山の奥での狩りの後に、決められた儀式に手を抜いたこともナバラに見抜かれた先輩猟師の話を知っているだけに、ダイはためらいを感じてしまう。
 だけど、ポップは至ってお気楽にいった。

「なーに、バレなきゃいいんだって。それに、この唄は他人のために歌ってこそ初めて効力を発揮する唄でもあるんだよ」

 そう言ってポップは、ダイのために、ダイのためだけに、その唄を歌ってくれた――。

 

 

 今でも、覚えている。
 それは、心に残る歌声だった。
 聞いたのはずいぶんと前なのに、今だにその唄を聞いた時の驚きも、感動も、当時のままに胸に焼きついている。

 生憎と、それっきりポップがその唄を歌うのを聞くことはなかったけど、だからこそダイの中でこの唄は特別なものであり続けた。
 ポップが村で行われる儀式の際、唄う役割に選ばれるのは珍しくはなかったが、ダイにあの時歌ってくれた唄を選ぶことはなかった。

 だから、その唄はダイにとって、ポップが自分のために歌ってくれた唄として、大切に記憶されていた――。

 

 


「さ、ダイ、あんな唄なんか気にしないで、とっとと家に戻ろうぜ。今日の夕飯は、おまえの好きな鹿鍋だとさ」

 笑顔のまま手を差し伸べてくるポップには悪いと思ったが、ダイにはどうしてもその唄を無視しきれなかった。

「ポップ、ごめん……っ」

 伸ばされる手を振り切って、ダイは村の外に一歩、足を踏み出した。

 


「――――?!」

 それは、突然の出来事だった。
 今までずっと眠っていたダイが、目覚めたのは。
 胎児の様に手足を丸め、安らかな表情で眠っていたはずのダイは、寝返りと共に目を大きく見開いた。

 仰向けにゴロリと転がったダイの目と、ダイを取り囲むポップ達の目が、しっかりと合ってしまった。

「え……?!」

 咄嗟に、マァムはどう反応していいのか分からず、立ちすくむばかりだった。それはマァムばかりではなく、ヒュンケルやラーハルトも変わりはない。
 代行四神である彼らには、神事の知識など皆無に等しいのだから。儀式の詳しいやり方も知らない彼らには、当然、途中で儀式が遮られた場合の対処方法も知るはずがなかった。
 

 そもそもナバラの話では、四神に鈴の音で眠らされた龍は決して目覚めないはずだった。 その驚きは、バーンとて同様だ。
 むしろ、様々な儀式の知識があるだけに、驚きは深かったとも言えるだろう。

 何百年にも渡ってかけられ続けた四神の封印を、覚せい前の龍が断ち切るなど信じがたい。全員が代行ならまだしも、正規の四神の一柱が加わった上で、巫女の唄まで奏でられていたのだ。

 本来なら、決して目覚められるはずがない――その思い込みがあっただけに、彼らは驚くばかりで手を打ち損ねた。
 その中で真っ先に行動を起こしたのは、ポップだった。

 ダイが目を開けた途端、ポップはぴたりと唄を止めた。そして、それまでは絶え間なく慣らしていた鈴から、手を放す。緩慢な動作ではあったが、それは単に手が滑ったという類いのものではない。
 目は空ろなままだが、ポップの手は明らかな意思を持って鈴を投げ捨てていた。

 儀式を否定し、中断するための動きだ。
 四つの鈴の呪力の内、一つが消えた――その途端、頸木(くびき)から放たれたようにダイが動きだした!!

 


 一瞬。
 それだけあれば、ダイにとって状況把握には十分だった。
 儀式から解放された途端、龍の力が全てを教えてくれた。
 今まで自分がいた村が、どこにも存在しない幻の村だったことも。

 騙されたまま、自分が深い眠りにつくところだったことも。
 仲間だと思っていたヒュンケル達が、自分を封印するためにやってきた追手だと言うことも。

 騙されていた悲しみと悔しさが、胸に込み上げる。まほろばの村での生活が楽しく、心を安らがせるものであっただけに、その思いはいっそう激しかった。
 ついさっき崖から落ちたばかりの身体も、強く痛みを訴える。

 だが、心身を痛めつけるその苦痛よりも、ポップの姿の方がダイには衝撃的だった。心を無くしたまま、静かに自分を見下ろしているポップ――それを見た途端、ダイは考えるよりも早く行動していた。

「バぁああーンッ!!」

 どんなに憎んでも飽き足りない敵の名を叫び、ダイは即座にバーンに飛び掛かっていた――!!

 

 


「くっ?!」

 一瞬で距離を詰め、襲いかかってきたダイの拳は、バーンの髪をかすめた。
 当たりこそしなかったものの、かすめただけなのにきな臭さすら感じさせる激しい拳の勢いは、バーンすらも刮目させるものがあった。

(力が、戻りかけているのか……)

 村を出たことで、ダイの封印は明らかに弱まってきている。以前、戦った時よりも明らかに力も速度も増してきている。
 今の攻撃は素手だったにもかかわらず、以前、ナイフを持って襲いかかられた時以上に驚異だった。

 無視して受け流すにはあまりに強力過ぎる拳は、さしものバーンも見逃せない。戦士としての本能から、迎撃のために反応してしまうのは自然の成り行きだった。
 だが、手刀を身構えるか身構えないかの内に、苛烈な炎がバーンを襲う。

「――っ?!」

 いきなり沸き起こった炎を、バーンは気迫を高めることで吹き散らす。消え去った炎の向こうに見えたものは  手で印を構えた姿勢のまま、不敵な表情でバーンを睨み付ける少年の姿だった。

「契約、違反だぜ、バーン……ッ。ま、おれとしちゃ助かったけどよ」

 口端をあげ、ちょっとからかうように言うその言葉は、ポップが発したものに違いなかった。

「ポップ……ッ!!」

 嬉しそうな声を上げ振り向こうとしたダイを、ポップは強い口調で止めた。

「気をぬくんじゃねえっ! 援護はするから、攻撃を続けるんだ!!」

「うんっ!」

 ポップの指示のままに、ダイは振り返らずにそのままバーンへと殴りかかる。
 だが、ただ殴りかかっているだけにも関わらず、その拳に込められた威力が普通のものでないのは、誰にでも見て取れた。

 空を裂く一撃は、外したとしてもその威力を減じることはない。バーンの後方にあったものを、嵐の様に吹き飛ばす。
 壊れかけた家が壊れ、荒れ果てた田畑に地割が入るのを、マァム達は見た。

 雷気を帯びて輝く拳は、周囲にまでその威力を余波として伝え、マァム達のいる所にまで影響を与える。
 だが、彼らを守る様に立ちはだかったポップは、印を組んで小声で呪文を唱え、見えない壁を作り上げる。

 それが終わった途端、今まで感じていた荒れ狂う空気が和らいだ。周囲では変わらずに荒れ狂う地割れも、暴風の様な風も、ポップの後ろだけには及ばない。
 ちらっと後ろを見てそれを確認した後、ポップの手は違う形の印を組んだ。

 瞬間、炎の塊が沸き起こりバーン目掛けて飛んでいく。不思議なことに、バーンと接戦しているダイにはかすりもせず、まるで吸い込まれる様にその炎はバーンだけを焼く。
 有り得ない光景は、マァム達の度肝を抜くには十分だった。

「ポッ……プ?」

 戸惑いながら、マァムはポップの名を呼んだ。
 普通の猟師であるマァムにとっては、それは理解の外にある戦いだった。村にいた頃のダイとポップしか知らない彼女にしてみれば、今、初めて、二人が人間ではない証しを見せられたのだ。

 まさに、人知を超えた能力――だが、それでいてポップが仲間達に向けた顔は、彼らが良く知ったものだった。

「おめえらは、下がれよっ! 戦いに巻き込まれたいのかよ?!」

 口調は荒いが、それはマァム達の身を案じての言葉には違いなかった。

「ポップ……」

 縋る様に、手にしたものを握り締めたのは、マァムにとっては無意識の行動だった。だが、その結果、鈴がチリンと小さな音を立てた。
 その音のせいか、ダイの行動がほんの一歩だけ遅れる。それを見て取ったのか、ポップの表情に苦いものが混じる。

「……おまえらまで、ダイを化け物扱いするのかよ?」

 ひどく辛そうなその言葉を聞いて、マァムは反射的に頭を振った。

「ち、違うわっ」

 否定と同時に、マァムは投げ捨てる様に鈴から手を放す。
 ダイを、ポップを、悲しませる様な行為をするつもりなんて、最初からなかった。ただ、これが今のダイにとって唯一の救いとなる方法だと説得されたからこそ、マァムは納得しきれないまま従ったのだ。

 だが、ポップの今の言葉を聞いて、マァムは自分のあやふやな決意が間違っていたのだと思った。
 だからこそ、鈴を捨てたのだが――それは完全に裏目に出た。

 振り捨てられた鈴が一際大きな音を立ててなった瞬間、バーンはニヤリと笑みを浮かべていた――。

 


 ――それは、バーンにとってはいささか不利な状況だった。

(ちっ、厄介な……!)

 不利、といっても劣勢という意味合いではない。ダイも、そしてポップも本来の力に目覚めかけ、以前とは比べ物にならない程に力を増しているとはいえ、総合的な力ではバーンの方が勝っている。

 だが、以前よりも差は確実に狭められていた。身体をかすめる拳を見切りつつ、バーンは冷静に敵を見定める。
 人間の姿のままにもかかわらず、確実に覚醒を遂げ始めている滅びの龍――だが、脅威を感じる相手はダイではない。その背後に控えている、ポップの方だ。

 援護のために炎の術を次々と放ってくるポップは、明らかに以前よりも霊力が増している。
 だが、バーンが恐れを感じたのはポップの能力などではなかった。

(ポップめ……ここまで計算していた、というのか?)

 意思を封じられていたポップは、神に従う行動しかとることができない。
 その制限の中で、ポップはあえてダイを封印する方向に行動して見せた。だが、その目的は全く逆だったのだろう。

 あの唄。
 神に奉じるはずのあの唄こそが、ダイの意識を揺り動かした。
 最初から、ポップはそれを計算に入れて行動していたに違いない。一歩間違えれば自分自身の手で親友を永遠の眠りにつかせるかもしれないことを理解していながら、ポップはあえてその行動を選択した。

 無謀とも言える大胆さと、ダイに向ける絶大の信頼感。
 それらを合わせ持つポップに対して、正直、畏怖にも似た思いを抑えられなかった。
 ポップの読みは、適格だった。

 目覚めたダイが、バーンに戦いに挑む。そのまま、不意打ちでバーンを倒せればそれがポップにとっては最良の結末だったに違いない。
 だが、ダイの力が及ばなかったとしても、ポップには次の手があった。

 今のダイの力を防御するために応戦するのは、ポップと交わした誓いに抵触する。その結果、ポップは意識を取り戻した。
 おまけに、ダイとのこの連携の取れた攻撃はどうだ。打ち合わせる余裕などなかったはずなのに、あらかじめ相談し抜いてあったかのように、一糸乱れぬ呼吸で攻撃を繰り広げてくる。

 単体で来るならどうということもないが、二人で力を合わせられると厄介だった。
 ダイの攻撃の鋭さに応じるためには、どうしてもある程度は本気をだして戦わなければならない。そして戦いに手が抜けない以上、ポップとの誓いを果たすことは叶わず、彼の自由を許すことになる。

 バーンにとっては、腹立たしい状況だった。
 一旦引くことも考えたが、ポップがダイとともに鎮魂(たましずめ)の村に帰ってしまう可能性を考えれば、それもできない。
 あの地に根を定めた神は、鎮魂の村でこそ最大の防御力を発揮する。

 まだ覚醒前で、前の様に外界に憧れる気持ちを持っていた時ならばまだしも、今のポップならば二度とバーンに付け入られる隙を見せないだろう。
 そうなれば、また数百年の時間を掛けて機会を窺うことになりかねない。それは、さすがのバーンも願い下げだった。

(さて、どうすべきか……)

 バーンが思考を巡らせていた時だった――赤毛の娘が鈴を投げ捨てたのは。
 それは、バーンにとっては願ってもない好機だ。
 龍を眠らせるための呪力の織り込まれた鈴は、ほんのわずかな音であっても確実に効力を発揮する。

 鈴の音色のせいで、ダイの動きが一瞬遅れる。バーンには、それだけで十分だった。
 防御の手を緩め、呪文を唱えるだけの時間を取れる。大地に手をつけ、バーンは声を張り上げた。

「聞け、この地に眠る亡霊よ! 別天つ神たる余が、汝らに力を貸そう。分け与えたものを、存分に取り立てよ。
 ――さあ、遠慮はいらぬぞ?」

 その声を同時に、古びた石の塚がぼうっと光を放つ。
 それと同時に、ダイが悲鳴を上げて蹲った。

「うわぁっ――?!」

「ダイッ?!」

 慌ててポップが助けようと手を伸ばすが、悲鳴を上げ続けるダイはそれさえ目に入っていない様子で、地面に突っ伏している。頭を抱え、ひどく苦しそうにのたうつ様子にマァムやラーハルトも彼に駆け寄ったが、ダイはやはり彼らにも反応しなかった。
 苦しむダイを見下ろしながら、バーンは尊大に笑う。

「フッ……やはり、その龍はまほろばの村の食物を食べたと見えるな。愚かなことだ」

 その言葉に顔色を変えたのは、ポップ一人だけだった。

「ど……どういうこと、なの?!」

 苦しみのたうつダイは、自分で自分を傷つけかねない勢いでもがいている。その苦痛を少しでも和らげようと、マァムはダイを強く抱きしめながら叫ぶ。
 それに答えたのは、バーンではなくポップだった。

「……古い、言い伝えなんだよ。生者が常世に属する場所に迷い込んだ時、そこで物を食べてはいけないんだ。死の国の食べ物を食べた者は、その国から帰れなくなるから――」


 ひどく辛そうにそう言うポップに対して、バーンは至って上機嫌だった。

「その通りだ。普通の人間であれば、もうとっくに死んでいるだろうに、さすがに不死の龍は頑強なものよ。余が亡霊に力を貸してでさえ、死にはしないのだからな」

 苦痛の声をもらすダイは、確かに死んではいない。だが、マァムだけでは抑えきれず、ヒュンケルまで手を貸してなお、まだ身体を痙攣させるほど苦しむ姿を見て、無事でよかったなどと思えるはずがない。

「なんてひどいことを……!」

 マァムの悲痛な糾弾を、バーンは物ともしなかった。

「ひどいとは、心外だな。これでも、言挙げは破ってはおらぬぞ。余は、ダイを『殺し』はしない」

 そう言いながら、バーンはポップに目を向ける。青ざめながらも、ポップはその目を真正面から受け止めて言い返した。

「……まだ、言挙げは有効ってわけなんだな?」

「察しがいいな。
 ならば、言わずとも分かるだろう。おまえも、おまえの言挙げを守ってもらおうか」

 ポップがためらっていたのは、ごく短い時間だった。
 苦痛にのたうつダイを見つめ、脂汗で湿った髪をそっと撫でてやる。それから、何かを振り切るように勢い良く立ち上がった。

「ポップ……ッ。やめろ」

 引き止めるヒュンケルに対して、ポップは強く首を左右に振った。

「行かなきゃ。
 おれ……失敗しちまったから。あの時、おれは――ダイと村には手出しをするなって、言っちまったんだ」

「それがなんだっていうの?! そんなの、ポップが行かなきゃいけない理由にならないじゃない!」

 マァムもまたポップを止めようとするが、ポップは足を止めようとしない。ダイを抑えるための手を緩められない二人は、せめて声を張り上げてポップを止めようとする。
 だが、その前に、ぽつりと呟かれた声があった。

「――つまり、『村』にいない人間にはなんの誓いも働かない。そういうことなんだな?」


 淡々としたラーハルトの言葉に、ポップは返事をしなかった。
 その意味に気付くのに、マァムもヒュンケルも一拍の時間を要した。
 だが、その意味を悟って、青ざめる。

 命だけは保証されたダイは、いい。苦しもうとも、バーンに殺されない。バーンが執着するポップもまた、危害を加えられる恐れは少ないだろう。
 だが、村から遠く離れた場所にいる自分達に対しては、バーンが手加減する理由もない。
 つまりは、もし、ポップがどうしても嫌だというのなら、自分達を殺すと暗に脅されているも同然なのだと――。

「ポップ……ッ」

 呼びかけるマァムの声が、震える。
 その声に応じて、ポップは一度だけ、ひょいっと振り返った。

「亡者に力を貸しているバーンさえいなくなれば、ダイはすぐに良くなるはずだ。そしたら、ダイに言ってくれよ。――もう、おれを追ってこなくってもいいって」

 マァム達にとっては見慣れたいつもの笑顔で、いつもの軽い口調でそう言うと、ポップは最後にひらりと手を振った。

「じゃあ、みんな、元気でな」

 その言葉と言い終わった時には、ポップはもうバーンの所まで辿り着いていた。

「賢明な判断だな。
 その利口さも、まだ自分を見失っていない強靭さも、なお気に入ったぞ、ポップ」

 親しげにそう声をかけてから、バーンはわずかに肩を竦める様なしぐさを見せる。

「……ああ、もう聞こえていても、反応はできないようだな」

 バーンの元に戻った途端、ポップの目からは再び光が失われていた。肩を抱くバーンの手を拒むことなく、ポップはおとなしく彼に付き従う。
 バーンとポップがそのままゆっくりと遠ざかっていくのを、マァム達は見送ることしか出来なかった。

 普通の人間であるかの様に、ゆっくりと歩いて行く二つの影が小さくなってきて始めて、ダイがやっと目を開ける。

「……う……ポ…ップ……!」

 マァムに抱かれたまま、まだろくに動けないダイはそれでも必死に手を伸ばし、ポップの名を呼ぶ。

「ポップ……ッ! ポップ…っ!!」

 聞く者の胸を締めつける様な切実な呼び掛けが繰り返されるが、それに返事が返るはずもない。
 立ち込める深い霧が、二人の姿を完全に覆い隠してしまうまで、そう長い時間は掛からなかった――。

 

 


「おれ、まだ村には帰らないよ」

 強い意志を込めて、ダイはそう言った。
 ポップが連れ去られて  ダイだけでなく、マァム達までも絶望と悲しみに暮れた。自分の力の無さを悔い、敵の強大さに震えを感じる絶望の時間。

 だが、その中からいち早く立ち直ったのは、ダイだった。
 体力とともに気力を取り戻した龍の子は、律義にも追手の四神代行達に自分の決意を告げる。

「おれ、ポップを助けたいだけなんだ。それが済んでからなら、封印でもなんでも受けるよ」

 本来なら、マァム達はそれを聞ける立場ではない。ダイを命に代えても連れ戻すこと……それこそが彼らに与えられた使命なのだから。
 だが、ヒュンケルは小さく頷いた。

「承知した。なら、そうするといい」

 ぶっきらぼうながらも、どこか優しさの感じられる言葉だった。

「……いいの?」

 あまりにあっさりと認められたせいか、ダイが当惑した様に問い返す。だが、そんなダイを励ます様に、マァムもまた頷いてみせる。

「ええ。私も、ポップを見習うわ。命じられた使命にただ従うんじゃなくて……ポップがそうしたように、自分の信じたもののために行動したいの」

 今となっては、マァムは元大巫女ナバラの命令に盲目に従ったことを後悔している。彼女の言葉が正しいかどうか……せめて、一考すべきだったと心底思う。
 自分が何をしようとしているか、自分の持っていた鈴の力がどんなものなのか、知っておくべきだった。

 もし、マァムに少しでも巫女の知識があったのなら、あの時にダイやポップに不利になる様な行動など取りはしなかった。
 その悔恨があるからこそ、マァムはダイの旅立ちを認めずにはいられなかった。

「ありがとう……!」

 一瞬だけ笑顔を見せた後、ダイはふと心配そうな顔をラーハルトに向ける。その視線を受け止めたのか、彼は律義に一礼してから返事をした。

「私は、反対です。是か非かはさておき、ダイ様があの村にとどまるのがご両親の望みでしたから」

 ラーハルトの言葉に、マァムやヒュンケルがわずかに目を鋭くする。手強い獲物の反撃に備える狩人の目だが、ラーハルトはそれに怯む様子もなく淡々と続けた。

「ですが、二人が賛成に回った以上、代行四神としてはできることはないですね。それに、ポップには借りが一つ出来ました。この場は、引かせていただきます」

 勿体ぶった態度でもう一度一礼したラーハルトは、おそらくは最初からその結論に達していたのだろう。
 それに気がついたヒュンケルはわずかに苦笑し、マァムは少しばかり憮然としながらも警戒を解いた。

 そんな二人の反応に気がついているだろうに、ラーハルトは声の調子を一切変えずに続ける。

「ポップに伝言を頼まれました。もう、自分を追ってこなくていいと伝えてくれ、と」

「……ポップらしいや」

 少し寂しそうに、ダイは笑う。

「でも、いくらポップの頼みでも、それだけは聞けないよ。おれは、絶対にポップを取り戻すんだ」

「――そうおっしゃられると、思いました」

 ダイのその返事を予測していたとばかりに、ラーハルトは珍しく破顔した――。

 

 


「じゃあ、ダイ……私達は村に戻るけど、気をつけてね」

 本当は一緒についていきたい  そう言いそうになる気持ちを、マァムは辛うじて飲み込んだ。
 ついていったところで、今のダイやポップのために何の役にも立てないのは分かりきっている。

 ダイを困らせるだけの願いを、マァムは心の中に沈めた。その思いは、ヒュンケルやラーハルトも同じだ。
 言わなくていいことは、他にもある。代行四神の使命を果たせなかった三人には、なんらかの処分が待っているだろう。

 だが、それを承知で三人は村に戻るつもりだったし、その上でダイやポップのためにしてやれることを探すつもりだった。

「うん! マァム達も、気をつけて。じゃあ、みんな、元気でね」

 奇しくもポップと同じ別れの言葉を継げ、ダイは去っていった。バーンやポップと同じように、その小さな背中が霧に紛れて見えなくなるまで、三人はその場に立って見送り続けた――。

 

 

(分かる……分かるや)

 先の見通せない霧の中を、ダイはしっかりとした足取りで歩く。
 もう、鈴に邪魔されることのないせいで、ダイには常世への道がはっきりとわかる。通常なら容易には見つけられない黄泉平坂(よもつひらさか)が、ダイにははっきりと感じられた。

 皮肉にも、まほろばの村でこの世のものではないものを食した経験が、ダイの感覚を鋭くさせていた。

(ポップ……ッ)

 空ろな目をして、だが、それでもダイのために唄を歌ってくれたポップを思いながら、ダイは拳を握りしめる。
 ポップを助けるために旅だったはずだったのに、逆に今度もポップに助けられてしまった。

 それが、ダイにはたまらないほどに悔しかった。
 自分がもう少し用心深く、そしてもう少ししっかりとしていたのなら――今度こそポップを助けられたはずだったのだ。

 正気に返ったポップの声を聞いた時の、あの嬉しさをダイはまだ覚えている。
 バーンに心を奪われていた時間も、ポップを変えてはいなかった。
 ポップは、やっぱりポップのままだ。

(ポップ……、必ず、助けるから)

 新ためて、ダイは強く、心に誓う。
 追わずには、いられない。
 たとえポップ本人が望まなくても、ダイはポップを探さずにはいられない。ポップがいない世界を、ダイは望んでなどいないのだから。

 もう、まほろばの村になど惑わされはしない。
 仮初の夢などとは違う、本物のポップを必ず助けだす。
 揺るぎない決意を胸に、ダイは黄泉平坂を下っていった――。
                                     《終》

 


《後書き》
 100000hit 記念リクエスト、『うたうポップ』でした!
 しかし、本来は○ルネトルリコ風にするつもりで最初は曲を聞いたり、歌詞やら特殊言語についてあれこれ考えたりしたんですがね……。

 いくらなんでも歌詞を丸パクは気が引ける上に違法、○ルネトルリコファンの方々から抗議されそな気がして、断念。
 ですが、音楽の成績がどんじりに近かっただけに(笑)、自分で歌詞をでっち上げるだけの技量もないので、イメージ優先でいかせていただきました!

 前作「りゅうのはなし」の続きで、この世からあの世に行くまでのお話です。
 他にも常世編とか、まだダイとポップが故郷の村でまったり暮らしている話とかも考えているので、また気が向いたらそちらも書くかもしれません。
 ……いや、気分次第で書いているので、確約は出来ないんですけど(笑)
 
 

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