『まほろばのはなし ー転ー』

  

 リィン、リィン、リィ――イン!!

 鈴が鳴る。
 絶え間なく。
 途切れることなく。

 それは、かすかな音とはとても言えなかった。
 タイミングを合わせながら、四つの鈴が一斉に鳴らされ続ける。
 見事なまでに同じタイミングで鳴らされる音は美しく、耳障りとはとても言えないだろう。

 むしろ、それは神聖な響きを伴っていた。
 一種の音楽であるかのように、鈴は一定の旋律を刻む。
 それは、奇妙に儀式めいた光景だった。

 護符を身に付け、幣(ぬさ)を身にまとった若者が三人、一定の距離を取って一人の少年を取り囲むように立ち、鈴を鳴らしている。
 そして、残り一つの鈴は、榊立てに立てられた榊の枝にくくり付けられていた。

 不思議なことに、人間の手で揺らされている鈴と違い、木にくくりつけられているだけの鈴は、風もなく、動かすものもないのに鳴り続けていた。
 他の三人の手にした鈴に比べると、音がいささか弱々しいものの、確かな合唱となって周囲の空気を震わせる。

 その澄んだ音には、人を惹きつけるだけの魅力があった。
 だが、四つの鈴のちょうど中央の位置に横たわっている少年は、目覚めなかった。
 寝ていたとしても確実に聞こえるであろうだけの鈴の音を一心に浴びながら、穏やかな表情でまどろんでいる。

 泥にまみれ、傷だらけになった姿からは考えられない穏やかさで眠る少年を見て、一つの鈴の音の色が弱まった。

「手を抜くな。ここで手を緩めれば、オレ達が来た意味がないだろう」

 その途端、鋭い声が叱責を飛ばす。
 言われた途端、淡い赤毛の娘は慌てて鈴を振る手に力を込める。
 だが、その表情と声には、まだまだ迷いが残っていた。

「ええ、分かっているわ。でも……。本当に……これが、ダイにとって一番いいのかしら……?」

 迷いながら呟くのは、マァムだった。
 彼女は答えを探すように、側にいる男達に目をやった。
 彼女と同じように鈴を振るう、ヒュンケルとラーハルトに対して。
 だが、二人は何も感じていないかのように、黙々と鈴を振るうばかりだ。

(ポップ……もし、あなたがここにいたら、なんて言ってくれたかしら?)

 マァムの目が、縋るように榊の方に向けられる。
 ちょうどマァムの真向かい、南の位置に置かれた主なき鈴に。
 本来なら、そこにいるのはポップ――朱雀の役割を持つ転生身だったはずだった。

 彼は、マァム達とはわけが違う。
 猟師としてしか取り柄のない自分達三人と違って、曲がりなりにもポップは神に仕える者の端くれだった。霊力もあれば、儀式についても詳しかった。
 彼ならば、この儀式についても知っていたかもしれない。

 対象を東西南北から囲み、四神の力を借りて封印をかける術。
 この術についての簡単な説明を受けたとはいえ、巫女の素質が皆無なマァムにとっては、それはまるで囮猟のように卑劣な罠としか思えなかった。

 その迷いや罪悪感が、鈴の音色を乱れさせる。
 だが、ラーハルトだけでなくヒュンケルもそれを許しはしなかった。

「マァム、迷うな。とにかく、儀式を敢行することだけを考えろ」

 ヒュンケルにも、迷いが全くないわけではない。
 ヒュンケルにとっては、ダイは弟にも等しい存在だった。多少、普通の人間とは違うとは分かっていても、それでも受け入れられる存在だった。

 その正体が邪悪な龍と知った今でさえ、驚きこそしたもののダイに対する嫌悪感など微塵もない。
 だが、あの村の住民として、龍の出奔を見逃せるはずがなかった。

 命ある限り、龍をあの村にとどめて封印を施し続ける――それが、あの村にすむ者の存在意義なのだから。
 その掟は、強い強制力を持って村人の心を縛り続けている。
 だからこそ、三人はこの使命を拒否できなかったのだ。

 先の大巫女、ナバラの命令を彼らは受け入れざるを得なかった。
 いくら現在の大巫女の座がメルルのものになったとはいえ、長きに亘って村を支配してきたナバラの言葉には深い重みがあった。

 その上、理(ことわり)はメルルよりもナバラにあると思えた。
 龍の化身たるダイにしばしの自由を与えよと命じるメルルに、ダイを連れ戻そうとするナバラ。

 すでに村の実権を握っているかのえの長の娘、レオナが、全面的に新大巫女であるメルルの味方に付いたとはいえ、彼女達の意見が即座に受け入れられるわけではない。
 二人の説得が功を奏し、村の意見がまとまるまでには多くの労力と時間が必要とされるだろう。

 なんといっても保守的な考えに凝り固まった小さな村だ、大半の者がナバラの意見に近いのは言うまでもない。
 たとえより良い風を呼ぶにせよ、新しい変化を拒み、今までの現状を保ちたいと言う思いの方が、遥かに強い。

 マァム達も、その例外ではなかった。
 だからこそ彼らは、代行四神に選ばれたとも言える。
 本来、四神の儀式が必要とされる時は巫女や神覡(かんなぎ)の中から力の強い者を選び、寄りましとして選ぶものだ。

 巫女達がそれぞれ神を自分の中に降ろし、その意思のままに儀式を遂行する。
 だが、巫女達の中に相応しいものがいなかった場合、代行として一般人の中から目的に添った人物を選ぶ。

 それを、代行四神と呼ぶ。
 大巫女によって選ばれた代行四神には、拒否権がない。
 神が降りないと分かっている以上、すべて大巫女の指示に従い、儀式をやり遂げなければならない。その際、代行本人の意思を反映させることなど、許されないことだ。

 彼らは大巫女の手足となって、言われた通りの使命をやり遂げなければならない。
 逆らうことも許されない、絶対の村の掟の一つだ。もっとも、ほとんどの村人は代行四神に選ばれるのは名誉なことと認識しており、命に代えても果たそうと考えても、逆らおうなどとは考えもしないものだ。

 マァム達もそうだった。
 与えられた使命に驚き、戸惑いはしたものの、彼らは最終的には諾った。
 ダイを村に連れ戻し、再び龍を魂鎮めにつかせるという至上の命令を帯びて。

 ナバラが、マァム達を選択したのには理由がある。
 ダイやポップと親しすぎるのは承知していたが、他に選択の余地がなかったというのが実情だ。

 村で一番の実力を持つ巫女であり、大巫女となったメルルは、ナバラとはっきりと対立している。
 とても、手を貸すどころの騒ぎではない。 かといって、並の人間ではダイにはとても追いつけない。

 村で一、二を争う猟師をダイを追うのを重視して、ナバラは腕の立つ猟師を追っ手として選んだ。
 そのせいで彼らには霊力はほとんどないが、それを補ってくれるのが、呪力を帯びたこの鈴と、まほろばの村だ。

 鈴の音でダイの感覚を狂わせながら、三人はまほろばの村にダイを追い込んだ。霊力はなくとも優れた狩人である彼らにとっては、一定の場所に獲物を追い込むなどお手のものだ。

 決して逃がさないように、そして、決して殺さないように気をつけながら、彼らがダイを追い詰めた。
 どこにも存在しない、幻の村の中へ――。

「ダイは……どんな夢を見ているのかしら?」

 心配そうなマァムに、ラーハルトはそっけなく言う。

「案ずるな。それがどんな夢であれ、幸せな夢のはずだ。そうでなければ、困る。
 そのために、わざわざ手を掛けてまで、この『村』へとダイ様を追い込んだのだからな」


 小さな石の塚で覆われた、そう広くはない『村』が、ここにはあった。
 この村は、ある意味でもう一つの魂鎮めの村だ。
 常世に通じる山の真の意味を知る者は、今はもう少なくなってしまったが、この山には実際的な使い道があった。

 年老いてもう働けなくなった者が人生の終焉を迎えるための姥捨山であり、育てきれない子を天に返すための山だった。
 そして、この村はせめてもの慈悲。

 鬼に襲われるのではなく、獣に食われるのではなく、山道に迷ったあげく飢えて死ぬのでなく、眠るように逝くための村。
 自力では生きていけなくなった者が、人生の最後に幸せな夢を見るためにある村。

 この村に入った者は、例外なく幸せな夢に囚われる。
 一番幸せな頃に時を戻し、一番大切な人が側にいる夢に浸り、安らかに永劫の眠りにつく。

 呪力の鈴の音で龍の力を抑えられたダイも、その例外ではなかった。
 この村の範囲に足を踏み入れた時から――正確に言うのなら崖から落下した時から、ダイもまた、夢に掴まった。

 幸せな夢にまどろむダイは、自ら深い眠りにつこうとしている。本人は気がついていないだろうが、まほろばの村に居たいと願う気持ちが眠りを深くし、目覚められないものへと変えていく。

 かすかな微笑みすら浮かべているダイにとっては、ここはおそらくその名の通り、幸せそのもののまほろばの村なのだろう。
 だが、しっかりと目覚めている三人にとっては――ここは、廃墟だった。

 とっくの昔に朽ち果て、残骸だけに成り果てた家が点在する、荒れ果てた村。野晒しのままの骨が幾つも転がる光景を、マァムは痛ましそうに見つめていた。
 子供のものと一目で分かる、小さな骨が多いのがなおさら無残さを誘う。

 もし、ダイをこの場に封印するためにこの儀式をしろと命じられたのならば、いかに三人でもためらい、反抗しただろう。
 しかし、ダイの場合は死ぬわけではない。

 そもそも不死の命を持つ龍は、肉の器が死ねば転生をするだけだし、ナバラが渡した呪力の鈴には眠りを深める効果しかない。
 元々、彼らはダイを殺すつもりなど毛頭ない。自力では目覚められないほど深い眠りに落ちたダイを、村に連れ帰るのが彼らの役目だ。

 ダイはただ、このままずっと眠っているだけだ。
 人間としての今世の身体が朽ち果てるまで、魂鎮めの村にとどまり、幸せな夢を見続ける。心だけはまほろばの村に置いたままで――。いずれ、命尽きれば転生するだろうが、ダイの命はそれまで保証される。

「おそらく、ダイ様にとってはこれが一番よいことだろう。……ソアラ様もバラン様も、ダイ様があの村から出ないことを望まれていた」

 残り二人にと言うよりは自分自身に言い聞かせるように、ラーハルトが呟く。
 だが、誰にも聞かれていない内に口にする言葉は、自分自身に対する言い訳も同然だ。 ダイの両親について、村で詳しい事情を知っている者は少ない。知っているのは、今となっては各集落の長とナバラ……それに、このラーハルトぐらいのものだ。

 ダイの父親に恩義を感じ、だからこそ彼の遺志に従って彼の息子を守り続けてきたこの青年にとっても、今の行為が本当に正しいのか疑問があるのだろう。
 確かにナバラの方法ならばダイの命は守られるし、彼が苦痛を味わうことはなく、村の使命も守られる。

 だが、それがダイにとって本当に幸せなのかどうか――。
 結局、誰もが迷いをためらいを抱きながらも、使命に引きずられるようにダイを眠らせようと、鈴を振る。

 だが、そこに、異質な音が混ざり込んだ。
 土を踏み締める、しっかりとした足音はそう目立つ音ではない。だが、その気配にすぐさま気がついたヒュンケルとラーハルトが、険しい目をそちらに向ける。
 マァムがそれに習うのには、一歩遅れた。

「フッ……、余のことなど、気に留めるな。それより、儀式を続けなくて良いのか? さもなくば、その『龍』が目覚めるぞ」

 尊大な口調で、三人を見下ろす長身の男がそこにはいた。
 いや  男、と呼ぶには語弊がある。
 こんな山に相応しくない長い髪や豪奢な衣装は、まだいい。長身や、鍛え上げられた見事な肉体も、有り得ないものではない。

 だが、額に浮かぶ三つ目の目と、頭に抱く二本の角は、人間には有り得ない。
 だが、その異形の姿よりもマァムの目に印象的だったのは、男の影に隠れるように佇む少年の姿だった。

 盛装の巫女と見間違うぐらい飾り立てられた衣装を身にまとった、黒髪の少年。しかし服はそれだけ凝っているのに、頭を飾っているのは粗末な山吹色の布に過ぎない。
 だが、彼を見た途端、マァムは思わず叫んでいた。

「ポップッ?!」

 とっさに鈴を手放し、そちらに駆け寄ろうとしたマァムだが、ラーハルトが素早く掴まえる。

「離してっ、ポップがあそこに……っ」

「落ち着け! 何をする気だ、おまえは?!」

 苛立った声で叱責するラーハルトに、思いも掛けず同調したのはバーンだった。

「その男の言う通りだな。落ち着くがいい、小娘。ここでお前が鈴を振るうのをやめれば、さすがにその黄龍も目覚めるぞ。三神でも封印維持はできるとはいえ、さすがに二神では無理があろうて」

 その言葉に、ハッとしたようにマァムはまた、鈴を振る手を力を込め直す。だが、目はバーンやポップから離そうとしない。

「それに、ここにはおまえの言う『ポップ』はおらぬ。ここにいるのは、言挙げにより余に付き従う神の化身よ。人間の時の人格などしょせんは仮初のもの……もう、ほぼ消え失せておるわ」

 バーンのその言葉を、信じたい者など誰もいなかった。
 だが、肝心のポップが何の反論もしないどころか、表情一つ変えずにその場に佇んでいるだけなのが不安を誘う。

 バーンの言葉どころか、ダイやマァム達の姿を見てでさえなんの反応も示さないままだ。 ポップが己の意思をなくし、バーンに誘拐された――話には聞いていたとはいえ、実際に見た衝撃は大きかった。

 無表情のままで、無言を押し通すポップの姿は、あまりにもマァム達の見知っている彼とは違い過ぎた。
 明るく、口の達者なお調子者で、コロコロと表情を変える少年と、今、目の前にいる人形のような少年はとても一致しない。

 その落差が激しければ激しい程、その変化をもたらした原因に悪感情を抱くのは当然だろう。
 この中ではもっともポップと関わりが薄かったラーハルトでさえ、不満を隠せない様子でバーンを睨みつける。

「……誰も、そんな話など聞いてはいない。おまえは、いったい何をしにきたんだ、別天つ神め……!!」

 不満を直接口にしたのはラーハルトだけだが、マァムもヒュンケルも、意思は同じだった。
 三人はそろって、憎しみすら感じさせる視線をバーンにぶつける。

 だが、さすがは神の眷属と言うべきか、バーンは人間の感情など気にする素振りすら見せなかった。

「そう毛嫌いすることもなかろう。余は、おまえ達と事を構えるつもりなど、毛頭ない。それが証拠に、余は結界に触れてもおらぬぞ」

 からかってでもいるように、バーンはいささか軽口めかした言葉を放つ。
 ラーハルト達にしてみれば忌ま忌ましいが、そこは認めなければならない点でもあった。 もし、バーンが邪魔をする意思を持ってこの場にきたのであれば、霊力など全くない三人には儀式を妨げられてもどうしようもなかっただろう。

「これは、ただの偶然だ……いや、必然と呼ぶべきかな? 生身の人間が生きたまま、無事に常世の国に行くためには、取らねばならぬ手段というものがある。
 それは、赤龍も黄龍も同じだったというだけのことよ」

 ダイが生きたままで、周囲に被害を与えぬまま常世に行きたかったように、バーンとてポップを死なせないまま常世の国へ連れて行く必要があった。
 そのためには迂遠ではあっても、ある程度は時間を掛けてこの世とあの世の狭間をうろつき、慣らすなどの配慮は必須となる。

 その最中にダイが追ってくることはバーンも充分予測していたし、邪魔をされないように気を使って避けてもいた。だが、そのダイを捕らえにきた追っ手とは、バーンにとっては敵対する意味がない。
 それどころか、ある意味では手を組んでも構わない相手とさえ言えた。

「まあ、そんな話などどうでも良い。余がおまえ達に声をかけたのは、一つの取引のためよ。
 龍の封印をかけ直すと言うのなら、ちょうどいい。ついでにこの者と黄龍との絆を、断ち切ってもらおうと思ってな」

 道を教えてくれと言わんばかりの気楽さで、バーンはその願いを口にする。
 意志をなくし、バーンの従順な人形と化したポップだが、まだ彼は土地神の名残をとどめている。

 土地に縁を持つ土地神は、その地にとどまり続ける限りは本来以上の力を持つものだが、それは同時に欠点にもなり得る。
 その土地との絆が有る限り、土地神はその地から離れることはできない。

 ポップのように、自分の意思でその地を離れると決めた神でさえそれは変わらない。
 その土地に住み、土地神を崇める者達が神の開放を認め、地の縛りを緩める儀式が必要となるのだ。

「本来ならあの村の大巫女が行うべき儀式だが、代行とはいえ四神がそろっているならば、可能だろう。
 それならば、余も力を貸すぞ」

 尊大なバーンからの提案に、真っ先に反応したのはやはりマァムだった。

「ふざけないでっ! そんな話なんか、聞けるわけないじゃない!」

 ほとんど反射的に、マァムは叫んでいた。
 条件の提示など、頭にさえ入っていない……というより、聞く気にもならなかった。
 マァムにして見れば、目の前にいる異形の男こそがすべての元凶だ。ダイやポップが村からいなくなったのは、彼のせいだと思わずにはいられない。

 そんな相手からの取引を損得勘定で受け入れられるほど、マァムは打算的な娘ではない。 ましてや、マァムは巫女ではない。
 バーンの霊力の恐ろしさや、神の儀式の決まりやその意味の深さなどは理解の外にある。 だが、そんなマァムの潔癖さをバーンは鼻で笑う。

「フッ……よく考えてから言葉を選ぶことだな、小娘。これはおまえ達にとっても、悪い取引ではあるまい?」

「――その通りではあるな」

 そう答えたのは、ラーハルトだった。

「ラーハルトッ?!」

 非難を込めたマァムの叫びを、ラーハルトは強い目線で封じ込める。

「……現状では、仕方があるまい。オレ達に与えられた使命を考えれば、それが最善には違いないだろう」
 

 表面的には、妥協を表す恭順の姿勢。
 だが、おそらくは意図的なのだろうが、淡々とした言葉にはわずかな不満と敵意が込められていた。

 四神代行としての役目を考えるならば、バーンからのこの取引は願ってもないものと言うべきだろう。
 本来の役目を放棄した元四神など、いたところで何の役にも立たない。むしろ、封印を弱めるだけの存在だ。

 前の神との縁を切らない限り、新しい神を地に迎え入れることはかなわないのだから。 地の縁を断ち切らせるのは、バーンにとっても望むところな上、村としても好都合には違いない。

 だが――理屈ではそれこそが最善と分かっていても、感情がそれに従うとは限らない。ポップ個人に思い入れを持つマァムやヒュンケルが、不快感を感じてしまうのは否めない。 ラーハルトにしたところで、不満や不快感がないわけではない。だが、それでも承諾するしか道がないのは分かっていた。

 巫女に比べれば微力とはいえ、この三人の中では一番霊力の強い彼には、はっきりと分かっていた。
 バーンを拒む力など、彼らにはないことを。 神の名を自称するこの異形の男は、それに相応しいだけの力を備えている。

 拒めば、おそらく三人は眠るダイごと、この場で殺されるだけ――それならば、不本意ではあってもポップを切り捨てる道を選ぶのが良いと、ラーハルトは判断した。
 それこそが村の掟にもかない、ダイを助けるための唯一の手段でもあるのだから――。


「結構。まともな判断ができる者がいたようで、なによりだ。では、さっさと黄龍を眠らせてもらおうか。
 それが完全に寝入らなければ、なにかと不都合だからな」

 バーンのその要求に、マァムだけでなくヒュンケルさえも顔をしかめる。
 ダイを眠らせる作業は、やりたくてやっていることではない。心をすり潰す思いで、使命だからと自分に言い聞かせながら、やっとやっていることを揶揄されて、我慢が効くはずがない。

 思わず言い返しそうになったマァムだが――それを止めさせたのは、こちらに近寄ってきたポップの姿だった。

「ポップ?!」

 正気に返ったのかと嬉しい期待が過ぎったが、それはほんの一瞬の夢だった。
 ポップは空ろな表情のまま、どこかおぼつかない足取りながらも、迷わずに結界内に入り込み、榊に括られた鈴を手にする。

「ほう……?」

 ポップの行動が意外だったのは、マァム達だけでなく、バーンにとっても同じだった。 今のポップは、自発的な行動をとることなどほとんどない。
 と言うよりも、自分の意思のままに動くことができなくなっているのだ。

 言挙げにより、バーンに従うと誓ったポップは、神に従う行動以外は一切取れなくなってしまっている。
 だが、ポップの精神は、実はまだバーンに抗い続けている。

 それは、バーンにとっても驚きの抵抗だった。
 本来なら、神の力に目覚めた転生身は、それまでの人間の人格を失い、神としての神格を取り戻すものだ。
 だが、ポップの場合はそうはならなかった。

 完全に精神を明け渡すことなく、ぎりぎりの線で人間として踏み止どまっている。だが、人と神の狭間でもがくポップの抵抗は、決して本人のためになっているとは言いがたい。 自ら立てた誓いと、自分の意思――相反する二つの思惑に板挟みにされ、ろくに反応もできなくなってしまっているのだ。

 それは、ある意味で綱引きのようなものだ。
 いや……両者の力関係からいえば、頑丈な鎖で繋がれた子犬と、飼い主ほどにも差があるだろうか。

 ポップの意思はバーンに決して従わず、逆らおうとしている。
 だが、ポップの立てた誓いは、バーンに従おうとする方向に働く。
 全く逆方向に引き合う意志力は、反発し合っている。だが、抵抗の意思と、恭順の誓いが奇妙に釣り合ってしまっているために、動けなくなってしまっているのだ。

 今のポップは、バーンの命令にかろうじて従うだけの、不完全な神の人形(かたしろ)に過ぎない。
 ポップが人としての人格を放棄し、完全なる神とならなければ、バーンにとっての目的は果たせない。

 そのためにも、バーンとしてはポップに村との繋がりを断たせたかった。
 しょせんはたかが人間の精神なだけに、いずれは精神の摩耗に耐えきれなくなるだろう。ポップの意思が完全に消滅するのはそう遠くはないと予測はしているが、早い方がバーンには都合が良い。

 ポップを人間としてとどめようとする未練を断ち切らせるためには、今回は絶好の機会と考えた。

(フッ……どうやらそう考えたのは、こやつも同じと言うわけか)

 命じもしないのに、他の四神と同じように鈴を振り始めたポップを見て、バーンはほくそ笑む。
 自分の意思を表現できなくなったとは言え、今のポップは何も考えられないわけではない。

 周囲のものを見ることはできるし、それに対して感じる心や、思考力もおそらくは残っているはずだ。
 今は、まだ――。

 そして、今のポップはそのわずかにある意思を、神の命令に逆らうためではなく、従うために使っている。
 主の意思に反する方に動けば、本人の首を締めるだけの鎖も、引かれる方向に逆らわなければ、限られた範囲内で動くのは可能だ。

 今の自分の立場に絶望し、解放を求めてそうしているのか。
 あるいは――今となってでさえダイを守るために、それを最善と考えて彼を封印につかせようとしているのか。

 意思の感じられないポップの表情からは、その感情は伺えない。
 ただ、ダイを見据え、鈴を振るう。
 他の三人と合わせて鈴を鳴らしながら、ポップは唄を歌い始めた。

「……?」

 マァムやヒュンケルは戸惑いを隠せないが、バーンはすぐに悟った。ラーハルトも、見当ぐらいはついている。
 それは、本来は巫女の唄だ。

 祭りや儀式を行う際に、唄は重要な役割を持つ。
 その唄い手として選ばれるのは巫女である場合が多いが、声変わり前の年若い神覡(かんなぎ)がその代理を務めることはままあることだ。
 儀式の成功を祈り、神へ奉じるための唄――。

 最初はとぎれがちで音程も外れがちだったが、唄声はすぐに滑らかさを取り戻し、耳に心地好い旋律を伴って流れ出す。
 その生彩に富んだ唄声は、以前の祭りで聞いたポップの唄声、そのままだった。

 元の彼に戻ったのかと思ってしまうほどだったが、ポップは、空ろな表情のままで唄う。 ダイを眠らせるための鈴を振りながら、神に捧げるための唄を――。
                               《続く》
 

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