『まほろばのはなし ー転ー』 |
リィン、リィン、リィ――イン!! 鈴が鳴る。 それは、かすかな音とはとても言えなかった。 むしろ、それは神聖な響きを伴っていた。 護符を身に付け、幣(ぬさ)を身にまとった若者が三人、一定の距離を取って一人の少年を取り囲むように立ち、鈴を鳴らしている。 不思議なことに、人間の手で揺らされている鈴と違い、木にくくりつけられているだけの鈴は、風もなく、動かすものもないのに鳴り続けていた。 その澄んだ音には、人を惹きつけるだけの魅力があった。 泥にまみれ、傷だらけになった姿からは考えられない穏やかさで眠る少年を見て、一つの鈴の音の色が弱まった。 「手を抜くな。ここで手を緩めれば、オレ達が来た意味がないだろう」 その途端、鋭い声が叱責を飛ばす。 「ええ、分かっているわ。でも……。本当に……これが、ダイにとって一番いいのかしら……?」 迷いながら呟くのは、マァムだった。 (ポップ……もし、あなたがここにいたら、なんて言ってくれたかしら?) マァムの目が、縋るように榊の方に向けられる。 彼は、マァム達とはわけが違う。 対象を東西南北から囲み、四神の力を借りて封印をかける術。 その迷いや罪悪感が、鈴の音色を乱れさせる。 「マァム、迷うな。とにかく、儀式を敢行することだけを考えろ」 ヒュンケルにも、迷いが全くないわけではない。 その正体が邪悪な龍と知った今でさえ、驚きこそしたもののダイに対する嫌悪感など微塵もない。 命ある限り、龍をあの村にとどめて封印を施し続ける――それが、あの村にすむ者の存在意義なのだから。 先の大巫女、ナバラの命令を彼らは受け入れざるを得なかった。 その上、理(ことわり)はメルルよりもナバラにあると思えた。 すでに村の実権を握っているかのえの長の娘、レオナが、全面的に新大巫女であるメルルの味方に付いたとはいえ、彼女達の意見が即座に受け入れられるわけではない。 なんといっても保守的な考えに凝り固まった小さな村だ、大半の者がナバラの意見に近いのは言うまでもない。 マァム達も、その例外ではなかった。 巫女達がそれぞれ神を自分の中に降ろし、その意思のままに儀式を遂行する。 それを、代行四神と呼ぶ。 彼らは大巫女の手足となって、言われた通りの使命をやり遂げなければならない。 マァム達もそうだった。 ナバラが、マァム達を選択したのには理由がある。 村で一番の実力を持つ巫女であり、大巫女となったメルルは、ナバラとはっきりと対立している。 村で一、二を争う猟師をダイを追うのを重視して、ナバラは腕の立つ猟師を追っ手として選んだ。 鈴の音でダイの感覚を狂わせながら、三人はまほろばの村にダイを追い込んだ。霊力はなくとも優れた狩人である彼らにとっては、一定の場所に獲物を追い込むなどお手のものだ。 決して逃がさないように、そして、決して殺さないように気をつけながら、彼らがダイを追い詰めた。 「ダイは……どんな夢を見ているのかしら?」 心配そうなマァムに、ラーハルトはそっけなく言う。 「案ずるな。それがどんな夢であれ、幸せな夢のはずだ。そうでなければ、困る。
年老いてもう働けなくなった者が人生の終焉を迎えるための姥捨山であり、育てきれない子を天に返すための山だった。 鬼に襲われるのではなく、獣に食われるのではなく、山道に迷ったあげく飢えて死ぬのでなく、眠るように逝くための村。 この村に入った者は、例外なく幸せな夢に囚われる。 呪力の鈴の音で龍の力を抑えられたダイも、その例外ではなかった。 幸せな夢にまどろむダイは、自ら深い眠りにつこうとしている。本人は気がついていないだろうが、まほろばの村に居たいと願う気持ちが眠りを深くし、目覚められないものへと変えていく。 かすかな微笑みすら浮かべているダイにとっては、ここはおそらくその名の通り、幸せそのもののまほろばの村なのだろう。 とっくの昔に朽ち果て、残骸だけに成り果てた家が点在する、荒れ果てた村。野晒しのままの骨が幾つも転がる光景を、マァムは痛ましそうに見つめていた。 もし、ダイをこの場に封印するためにこの儀式をしろと命じられたのならば、いかに三人でもためらい、反抗しただろう。 そもそも不死の命を持つ龍は、肉の器が死ねば転生をするだけだし、ナバラが渡した呪力の鈴には眠りを深める効果しかない。 ダイはただ、このままずっと眠っているだけだ。 「おそらく、ダイ様にとってはこれが一番よいことだろう。……ソアラ様もバラン様も、ダイ様があの村から出ないことを望まれていた」 残り二人にと言うよりは自分自身に言い聞かせるように、ラーハルトが呟く。 ダイの父親に恩義を感じ、だからこそ彼の遺志に従って彼の息子を守り続けてきたこの青年にとっても、今の行為が本当に正しいのか疑問があるのだろう。 だが、それがダイにとって本当に幸せなのかどうか――。 だが、そこに、異質な音が混ざり込んだ。 「フッ……、余のことなど、気に留めるな。それより、儀式を続けなくて良いのか? さもなくば、その『龍』が目覚めるぞ」 尊大な口調で、三人を見下ろす長身の男がそこにはいた。 だが、額に浮かぶ三つ目の目と、頭に抱く二本の角は、人間には有り得ない。 盛装の巫女と見間違うぐらい飾り立てられた衣装を身にまとった、黒髪の少年。しかし服はそれだけ凝っているのに、頭を飾っているのは粗末な山吹色の布に過ぎない。 「ポップッ?!」 とっさに鈴を手放し、そちらに駆け寄ろうとしたマァムだが、ラーハルトが素早く掴まえる。 「離してっ、ポップがあそこに……っ」 「落ち着け! 何をする気だ、おまえは?!」 苛立った声で叱責するラーハルトに、思いも掛けず同調したのはバーンだった。 「その男の言う通りだな。落ち着くがいい、小娘。ここでお前が鈴を振るうのをやめれば、さすがにその黄龍も目覚めるぞ。三神でも封印維持はできるとはいえ、さすがに二神では無理があろうて」 その言葉に、ハッとしたようにマァムはまた、鈴を振る手を力を込め直す。だが、目はバーンやポップから離そうとしない。 「それに、ここにはおまえの言う『ポップ』はおらぬ。ここにいるのは、言挙げにより余に付き従う神の化身よ。人間の時の人格などしょせんは仮初のもの……もう、ほぼ消え失せておるわ」 バーンのその言葉を、信じたい者など誰もいなかった。 バーンの言葉どころか、ダイやマァム達の姿を見てでさえなんの反応も示さないままだ。 ポップが己の意思をなくし、バーンに誘拐された――話には聞いていたとはいえ、実際に見た衝撃は大きかった。 無表情のままで、無言を押し通すポップの姿は、あまりにもマァム達の見知っている彼とは違い過ぎた。 その落差が激しければ激しい程、その変化をもたらした原因に悪感情を抱くのは当然だろう。 「……誰も、そんな話など聞いてはいない。おまえは、いったい何をしにきたんだ、別天つ神め……!!」 不満を直接口にしたのはラーハルトだけだが、マァムもヒュンケルも、意思は同じだった。 だが、さすがは神の眷属と言うべきか、バーンは人間の感情など気にする素振りすら見せなかった。 「そう毛嫌いすることもなかろう。余は、おまえ達と事を構えるつもりなど、毛頭ない。それが証拠に、余は結界に触れてもおらぬぞ」 からかってでもいるように、バーンはいささか軽口めかした言葉を放つ。 「これは、ただの偶然だ……いや、必然と呼ぶべきかな? 生身の人間が生きたまま、無事に常世の国に行くためには、取らねばならぬ手段というものがある。 ダイが生きたままで、周囲に被害を与えぬまま常世に行きたかったように、バーンとてポップを死なせないまま常世の国へ連れて行く必要があった。 その最中にダイが追ってくることはバーンも充分予測していたし、邪魔をされないように気を使って避けてもいた。だが、そのダイを捕らえにきた追っ手とは、バーンにとっては敵対する意味がない。 「まあ、そんな話などどうでも良い。余がおまえ達に声をかけたのは、一つの取引のためよ。 道を教えてくれと言わんばかりの気楽さで、バーンはその願いを口にする。 土地に縁を持つ土地神は、その地にとどまり続ける限りは本来以上の力を持つものだが、それは同時に欠点にもなり得る。 ポップのように、自分の意思でその地を離れると決めた神でさえそれは変わらない。 「本来ならあの村の大巫女が行うべき儀式だが、代行とはいえ四神がそろっているならば、可能だろう。 尊大なバーンからの提案に、真っ先に反応したのはやはりマァムだった。 「ふざけないでっ! そんな話なんか、聞けるわけないじゃない!」 ほとんど反射的に、マァムは叫んでいた。 そんな相手からの取引を損得勘定で受け入れられるほど、マァムは打算的な娘ではない。 ましてや、マァムは巫女ではない。 「フッ……よく考えてから言葉を選ぶことだな、小娘。これはおまえ達にとっても、悪い取引ではあるまい?」 「――その通りではあるな」 そう答えたのは、ラーハルトだった。 「ラーハルトッ?!」 非難を込めたマァムの叫びを、ラーハルトは強い目線で封じ込める。 「……現状では、仕方があるまい。オレ達に与えられた使命を考えれば、それが最善には違いないだろう」 表面的には、妥協を表す恭順の姿勢。 四神代行としての役目を考えるならば、バーンからのこの取引は願ってもないものと言うべきだろう。 前の神との縁を切らない限り、新しい神を地に迎え入れることはかなわないのだから。 地の縁を断ち切らせるのは、バーンにとっても望むところな上、村としても好都合には違いない。 だが――理屈ではそれこそが最善と分かっていても、感情がそれに従うとは限らない。ポップ個人に思い入れを持つマァムやヒュンケルが、不快感を感じてしまうのは否めない。 ラーハルトにしたところで、不満や不快感がないわけではない。だが、それでも承諾するしか道がないのは分かっていた。 巫女に比べれば微力とはいえ、この三人の中では一番霊力の強い彼には、はっきりと分かっていた。 拒めば、おそらく三人は眠るダイごと、この場で殺されるだけ――それならば、不本意ではあってもポップを切り捨てる道を選ぶのが良いと、ラーハルトは判断した。
バーンのその要求に、マァムだけでなくヒュンケルさえも顔をしかめる。 思わず言い返しそうになったマァムだが――それを止めさせたのは、こちらに近寄ってきたポップの姿だった。 「ポップ?!」 正気に返ったのかと嬉しい期待が過ぎったが、それはほんの一瞬の夢だった。 「ほう……?」 ポップの行動が意外だったのは、マァム達だけでなく、バーンにとっても同じだった。 今のポップは、自発的な行動をとることなどほとんどない。 言挙げにより、バーンに従うと誓ったポップは、神に従う行動以外は一切取れなくなってしまっている。 それは、バーンにとっても驚きの抵抗だった。 完全に精神を明け渡すことなく、ぎりぎりの線で人間として踏み止どまっている。だが、人と神の狭間でもがくポップの抵抗は、決して本人のためになっているとは言いがたい。 自ら立てた誓いと、自分の意思――相反する二つの思惑に板挟みにされ、ろくに反応もできなくなってしまっているのだ。 それは、ある意味で綱引きのようなものだ。 ポップの意思はバーンに決して従わず、逆らおうとしている。 今のポップは、バーンの命令にかろうじて従うだけの、不完全な神の人形(かたしろ)に過ぎない。 そのためにも、バーンとしてはポップに村との繋がりを断たせたかった。 ポップを人間としてとどめようとする未練を断ち切らせるためには、今回は絶好の機会と考えた。 (フッ……どうやらそう考えたのは、こやつも同じと言うわけか) 命じもしないのに、他の四神と同じように鈴を振り始めたポップを見て、バーンはほくそ笑む。 周囲のものを見ることはできるし、それに対して感じる心や、思考力もおそらくは残っているはずだ。 そして、今のポップはそのわずかにある意思を、神の命令に逆らうためではなく、従うために使っている。 今の自分の立場に絶望し、解放を求めてそうしているのか。 意思の感じられないポップの表情からは、その感情は伺えない。 「……?」 マァムやヒュンケルは戸惑いを隠せないが、バーンはすぐに悟った。ラーハルトも、見当ぐらいはついている。 祭りや儀式を行う際に、唄は重要な役割を持つ。 最初はとぎれがちで音程も外れがちだったが、唄声はすぐに滑らかさを取り戻し、耳に心地好い旋律を伴って流れ出す。 元の彼に戻ったのかと思ってしまうほどだったが、ポップは、空ろな表情のままで唄う。 ダイを眠らせるための鈴を振りながら、神に捧げるための唄を――。 |