『羅針盤は指し示す −前編−』

  


「これは、我がパプニカ王国の象徴とも呼べる品だ」

 王の手によって、小さな姫の目の前に置かれたのは、三刀のナイフだった。
 それは、全く同じように見えながら、ほんのわずかだけ差異があった。
 ナイフの形は同じだが、はめ込まれた宝玉の色はそれぞれ違う。赤、青、緑のそれぞれの色が、太陽、海、風を象徴しているのだと、王は分かりやすく姫に教えてやる。

 その話を聞く少女は、まだ幼かった。だが、将来の美貌をすでに感じさせる整った容姿と、聞いた話を適格に吸収しようとする理知の瞳を備えている。

「よく覚えておきなさい、このナイフを持つ資格のある者は、この国の王であろうとする者と――この国を守ろうとする者だけなのだよ」

 口調や声音こそは優しかったが、王の顔つきは父親が娘に向けるそれではなかった。相手の資質を見極めようとするかのようにじっと幼い少女を見つめる目には、為政者としての厳しさが感じられる。

 王のその態度に、気付いているのか、いないのか。
 小さな姫はその幼さには似つかわしくない、真摯な態度で聞いていた。

「これを後継者に譲り渡すに当たって、まずはその心構えを確かめておかねばならない。 姫よ、そなたは王と言う立場を、なんと心得る?」

「はい」

 小さな姫は、きちんと姿勢を正し、毅然とした声ではっきりと言った。

「あたし――いえ、私は、王とは羅針盤であるべきだと考えます」

 その答えに、王は始めて相好を崩す。王としてではなく、父親としての慈しみを込めて愛娘に微笑みかけた。

「――よい答えだ。そなたならば、さぞや良き王になれるであろう。
 さあ、レオナ、これを受け取るがよい」

 父王の許可を得て、小さな姫……パプニカ王女レオナは、パプニカのナイフを受け取った――。







『レオナ、元気かしら? と言っても、レオナのことだから、きっと聞くまでもなく元気で頑張っているわよね。でも最近は寒くなってきたから、どうか無理はしないで……』

 内容など、とうに覚えてしまっている手紙を、手に取って眺める。
 それは、最近のレオナの日課になっていた。
 政務の合間、ほんの少ししかない休憩時間の息抜きとしては、もってこいの方法だ。

 読む手紙は決まってはいない。
 マァムからの手紙、メルルからの手紙、アバンやフローラからの手紙の時もあれば、意外なところではヒムやクロコダインからの手紙のこともある。

 仲間達が送ってくれた消息を知らせる手紙は、レオナの執務室の一番上の引き出しにリボンをかけて丁寧にしまってある。
 その上に、重しのように乗せられているのは、一本のナイフだ。

 装飾は見事だが、ペーパーナイフと呼ぶにはいささか実用的すぎるそのナイフは、パプニカ王国に代々伝わる聖なるナイフだ。
 父王からそれを受け継いでから、すでに数年が過ぎた。

 かつては三本あったものの、魔王軍との戦いの中で失われてしまい、今はここにある一本しか存在しない。
 そのナイフも、手紙も、レオナにとってはこの上なく大切にしているものだった。

 国家的機密書類よりもよっぽど大切に扱っている手紙を読んでいる最中、不意に吹いてきた風が手の中の便箋を揺らす。
 それと同時に、明るい声が聞こえてきた。

「よっ、姫さん。相変わらず忙しそうだな」

 驚いて窓の方に目をやれば、ふわふわと風船の様に浮いている少年の姿が見えた。
 激戦がやっと終わり、城としての体裁も整えられて警備が固められた城の奥深くに、なんの前触れもなく侵入してくるなんて、普通なら有り得ない。

 が、目の前にいる少年は魔法使いだ。パプニカ城にこっそりとやってくるなど、彼にはたやすいと分かっているだけに、レオナは驚かなかった。
 不審者に対する警戒も、不要のものだ。
 驚いたのは、純粋に、彼との不意の再会に対してだけだった。

「ポップ君っ!?」

 驚くレオナに対して、ポップはひらひらと手を振って「おひさしぶり〜」なんて、軽い調子で笑っている。
 それが癪に障って、文句をつけずにはいられない。

「おひさしぶりじゃないわよ、おひさしぶり、じゃっ!? 本当にどれだけ久々だと思っているのよ、まったく! 夜逃げも同然にいきなり出て行ったかと思ったら、連絡もしないでいったい、今までどこに行っていたのよっ!?」

 ちょっときつめに文句を言ったのに、ポップは余計に楽しそうに笑うばかりだ。

「まあまあ、悪かったって。連絡しようと思ったけどさ、つい忘れちゃってただけだよ。いつでもルーラできると思うと、油断しちまうよな、全く」

 そんな気楽なことを言うポップに、レオナは近付いた。入りやすいようにと、窓を大きくあけたがポップは空に浮かんだままニヤニヤしているだけだ。
 間近から見るポップの姿に、レオナはふと小首を傾げた。

「……ポップ君、少し、痩せたんじゃない?」

 それは、ほんのわずかばかりの違和感だった。
 ポップはもともと、そう逞しいとは言えない。というか、細身と言った方が当たっているだろうが、それでも一応は少年の端くれだ。

 レオナより一つ年上でもあるし、深窓育ちの姫に比べれば、それなりに筋肉は付いていたし体格だってよかったはずだった。
 だが、重ね着のせいで目立たないとはいえ、――今の彼は自分と大差がないように思える。

(それに、顔色もあんまり良くない……のかしら?)

 以前に比べれば妙に色白になったように見えるのが、顔色が良くないせいなのか、単に冬になったせいで日焼けが落ちたせいなのか、レオナは判断に迷う。
 だが、レオナが疑問を口にする前に、おかしくってたまらないとばかりに笑う声が響き渡った。

「えー、んなこたぁねえだろ? そんなの、姫さんがちぃーっとばかり太ったから、そんな風に思うんじゃねえの?」

「まっ!?」

 からかわれているだけとは分かっても、つい反応してしまうのは乙女の性か。
 だが、レオナが本格的に怒りだす前に、ポップは先手をとって軽く流してしまう。

「うそ、うそ、姫さんは相変わらずだって」

「もうっ、ポップ君ってば相変わらずなんだから……! 本当に、変わってないのね」

 憎まれ口を叩きまくるのに、不思議に憎めない。ポップにはそんな人懐っこさがある。
「ところで姫さん、仕事中じゃなかったのか? 忙しいんなら、また出直すけど」

「安心して、今は休憩中なの。ちょうど、みんなからもらった手紙を見ていたところなのよ。誰かさん以外は、結構筆まめなのよ」

 ちくりと皮肉を刺しながらも、レオナとポップは誰からどんな連絡が着たのかと確認がてらに喋りあう。
 その最中、ポップはひょいと思い出したように聞いてきた。

「ふうん。ところでさ、ヒュンケルの奴からの手紙も来てる?」

「ええ、来たわよ」

「そうか……なら、あいつが今、どこあたりにいるとか、分かるかい?」

 おしゃべりの合間に知り合いの消息を聞く、何気ない質問。
 だが、レオナの中の警報が鳴ったのは、その時だった。
 咄嗟に、レオナは答えていた。

「前に手紙が来たのは、結構前だから今の居場所までは分からないわ。もう少し経ったら、パプニカに来るとは聞いたけど」

 その答えには、二つの嘘が混じっていた。
 手紙が着たのが結構前なのは事実だが、ヒュンケルの居場所ならばだいたい分かる。律義なことに、彼はどのくらいの期間で、どの辺りの場所を旅しているのかを、詳細に書いて寄越すのだ。

 魔王軍との戦いの中では、しょっちゅう単独行動を取って行方不明になっていた放浪ぶりが嘘のような変化だった。
 それは、少しでもいいからダイの捜索の手掛かりになるようにとの、ヒュンケルなりの思いやりなのだろう。

 その心遣いは、他の仲間達も変わらない。
 マァムやアバンなどはともかく、ヒムやクロコダインなど到底手紙とは無縁と思えるメンバーまでもが、現在の消息を書いてレオナに送って寄越すのは、ダイの捜索についての総合的な判断を彼女に委ねるためだ。

 ことに、ヒュンケルとラーハルトは、その傾向が強い。それこそ報告書のように正確で詳細な移動記録が、一定の時間ごとにとどけられる。
 そして、もう一つの嘘は、ヒュンケルが尋ねてくる日についてだ。

 正確な日付はポップに教えなかったが、律義なヒュンケルなら約束した日に正確に来ると分かっている。
 だが、その日を教えるのは得策ではないと、駆け引きに慣れたレオナの勘が囁く。

 もし馬鹿正直に日付を教えたなら、ポップはこのままひょいと旅立って、その日にだけ、それもごく短い時間だけパプニカに来るのではないかという疑い。
 そんな疑惑を、レオナはどうしても消せなかった。

 だいたい、いまだにポップが室内に入ろうとしてはいない。ほんのちょっと立ち話をしに来ただけと言わんばかりに、軽く距離をおいているのが気に入らなかった。
 大きく開けた窓を前にしていながら、窓枠に腰掛けさえもせずに宙に浮かんでいるポップが、このままどこかに行ってしまうような気がしてならない。
 そんな不安を払拭するためにも、レオナはポップを引き止めるべく声をかけた。

「どう、ポップ君もそれまでパプニカにいない? ヒュンケルに用があるのなら、下手に動いて擦れ違うよりもその方が効率的だと思うけど」

 内心の動揺や不安などおくびにも見せず冷静に駆け引きを仕掛けるなど、王女にとっては日常茶飯事だ。
 レオナの内心はともかくとして、その言葉は充分に説得力のある説明としてポップの気を引いたらしい。

「ん〜……、ま、それもそうか」

 少し迷ってから、ポップはやっと部屋の中に入ってきた。

「じゃ、しばらく居候させてもらうとしますかね。よろしくな、姫さん」








「姫様……お忙しい中、申し訳ないのですが、例の客分の少年に対して少し、ご相談があるのですが」

 と、パプニカ王国図書室の司書長を務める女性から話しかけられ、レオナは咄嗟に思ってしまった。

(また? 今度は、何をやってくれたのよ、ポップ君ってば!)

 ここが人前でなければ、お姫様という立場も忘れて舌打ちをしていたかもしれない。
 が、一国の王女たるもの、内心の苛立ちなど押し殺してにっこりと笑うなどお手の物だ。
「なにかしら?」

「ええ、実はあの少年が図書室に入り浸っている件について、ちょっと……。確かに図書室内での閲覧は自由ですし、別に本を汚しているわけでもないんですが、いくらなんでも、ああいう読み方はどうかと思うのですが。しかも、午後から閉館時間ぎりぎりまでずっと居続けるのが常ですし。
 まったく、私も図書室の管理をお預かりして20年になりますが、あんな少年は初めて見ましたわ――」

 くどくどと文句を並べ立てる司書長の話を適当に要約して聞きながら、レオナは内心溜め息をつく。
 勇者一行の一員であり、パプニカ王国の恩人であるポップを、レオナは特に身分を明かさずに個人的な客分として招待した。

 それは、その方が気楽に過ごせるだろうと判断したレオナの厚意だった。
 身分を公表して城中に広く知らしめ、最高級のもてなしをしてもよかったのだが、堅苦しい扱いをポップが喜ぶとも思わない。

 戦争中も城に居続けた兵士達ならばいざ知らず、戦況が悪化する前にほとんどの侍女は暇を出されて避難していたせいもあり、勇者一行について知るはずもない。
 こう言っては何だが、ポップの若さや軽い口調は、どこから見ても勇者一行の大魔道士の噂とは結びつかない。

 城に仕える侍女にとっては、ポップはなぜレオナに客人扱いされているのか分からない、ただの庶民の少年にすぎないのだ。
 そのせいか、侍女達のポップに対する態度は遠慮がない。

 彼女達が漏らす些細な不満は、レオナの耳にも幾つか届いている。
 呆れるほど朝寝坊でだらしのない客人だとか、せっかく料理を給仕しているのに好き嫌いが多くて張り合いがないだの、そんな細やかな不満話は幾つか聞いた。

 内心、思うところがないでもなかったが、そのぐらいはまあ、いいだろうとレオナも見逃している。
 なにしろ戦後二回目の世界会議が迫っていることもあり、レオナは最近忙しくてポップと顔を合わせる暇すらないのだ。

 だが、あまりに不満が強まってくるようならば、一度、本人に釘を刺しておくべきかもしれない。

「分かったわ、ちょうど私もポップ君に用があるところだし、きちんと言っておくわ」

 たいした問題でもないし、少し注意すればそれですむだろう……そのぐらいの気軽さで、レオナは軽く請け合った。







「ポップく……」

 呼びかけようとした声は、途中でかすれて消えてしまう。
 パプニカ城の図書室の片隅――少し埃臭さの漂う静かな空間の中で、そこだけ、空気の色が違っているように見えた。

 文字通り、山のような本を何冊も何冊も床に直接積み上げ、床に座り込んだままでポップは熱心に本を読みふけっていた。
 やたらと真剣な表情で本をじっと見つめ、信じられない程の早さでページを繰りながら、読書に埋没している。

 近寄ってきたレオナにまるで気がつきもせず、本だけに注意を向けているポップは、いつもの彼とは全く違って見えた。
 まるで追い詰められた者のような切迫感すら漂わせて、本を読むことだけに集中しているポップに、あの司書長が注意できなかった理由も分かる。

 本の管理については一家言を持ち、図書室の中では王族でさえ厳しい注意を下すことのできる女性だが、二の足を踏むのも無理はない。
 鬼気迫る、とでも言うのだろうか。
 今のポップには、戦いを前にしているような緊張感があった。

 誰の言葉も、どんな邪魔も受け付けない雰囲気をひしひしと漂わせている。
 彼を良く知っているはずのレオナさえ、思わず竦んでしまうような雰囲気――だが、それはポップが顔を上げた途端、霧散した。

「あれ? 姫さん?」

 一冊の本を読み終わって次の本に移る、ほんのわずかの時間。
 本から目を離した途端、ポップはいつものポップに戻った。
 驚くぐらい、あっさりと。

「なんだよー、驚かさないでくれよ。で、どうしたんだよ、姫さん。忙しいんじゃなかったのかい?」

 明るい口調も、ちょっとおどけたような笑顔も、いつもの彼に他ならない。ついさっきまでの切迫感のかけらも感じられないその落差に少し戸惑いながらも、安心感の方がはるかに強かった。
 だからこそ、レオナは意図的に軽く話しかけた。

「ええ、忙しいのよ。実は今日、世界会議があるんだから。で、物は相談なんだけど、ポップ君も参加してくれない?」

「へ?」

 と、思いっきり間の抜けた顔を見せるポップに、レオナはてきぱきと畳みかける。

「さっ、そうと決まれば急いでちょうだい。もうすぐ、各国の王達がご到着になる時間なのよ、まずはお出迎えを手伝ってくれない?」

 そう言って強引に手を引っ張ると、ポップは慌てふためいた。

「ちょっ、ちょっと、ちょっと、待ってくれよ、おれ、そんな話なんか聞いてないよっ!?」
(でしょうね、隠しておいたんだもの)

 と、こっそりとレオナは心の中で思う。
 世界会議の開催ともなれば、そうそうすぐにできるわけが無い。入念な打ち合わせと、下準備は必須条件だ。

 それこそポップがパプニカに来る前から世界会議の日取りは決まっていたのだが、レオナは敢えてポップには教えなかった。
 ――言えば逃げられそうな気がして、ならなかったからだ。
 そういう意味においては、レオナはいまだにポップを信用してはいなかった。

「ちょっと、往生際が悪いわよ! いいじゃない、別に少しばかり話し合いに参加するぐらい」

「冗談じゃねえよっ、近所の町内会とか寄り合いなんかじゃねえんだぞっ!? んな、気軽に言われたって、おれ、そんなお偉いさんが揃う所になんか行きたくないよっ」

「あら、なにを言ってるのかしらね、ポップ君ってばどこの国の王様とも知り合いだし、今更遠慮なんて柄じゃないでしょ」

「あのな、おれは姫さんと違って根っからの庶民で、王様とかお偉いさんとかとは関わりたくないんだってば!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐポップを強引に引っ張りつつ、レオナは王族だけが知っている抜け道を使って図書室からとある部屋へと近道をする。
 貴賓室の前で、レオナはノックをしてから多少悪戯めかした口調で声をかけた。

「失礼します。お約束していた客人を連れてきましたわ」

 レオナの声に扉を開けてくれた男は、にこやかに笑いかけてきた。

「おやおや、客人っていうのはポップだったんですか、驚きましたね。いつからパプニカに来ていたんですか?」

「せ、先生っ!?」

 アバンを見て、ポップはひどく驚いたような顔をする。
 それを見て、レオナは内心してやったりと思わずにはいられない。
 これは、ちょっとしたサプライズ。

 ポップとアバンを驚かせようと思って、ちょっとした出会いを仕組んでみたのだ。なにしろ、せっかくの世界会議でアバンも参加するのだ、久々に師弟の対面をするのも悪くないだろう。

 そのぐらいの軽い悪戯心がレオナの腹積もりであり、同時にちょっとした思いやりだったのだが――。

「ひさしぶりですね、ポップ。元気そう……と言いたいところですが、少し痩せたみたいですね。いけませんね〜、ちゃんとご飯を食べているんですか?」

「えっ、ええっ、もちろんですよ、先生っ! やだなあ、何言ってるんですか、ちゃんと、バッチリ食べてますって!」

「ふーむ、本当ですかぁ? 好き嫌いをしていると、大きくはなれませんよ?」

「せ、先生っ、そんな、ちっちゃい子供に対するようなこと言わなくってもいいじゃないですかー」

 一見、微笑ましく聞こえる師弟の会話を聞きながら、レオナはなんとなく変だなと思わずにはいられなかった。
 予想外の不意打ちだったにも関わらず、あまりアバンが驚いた様子を見せないのは、まあ、いい。

 少しばかりつまらないが、人騒がせさや他人を驚かせる技量についてはアバンの方が上なのは納得できる。
 疑問なのは、ポップの方だった。

 ポップの様子が、久々に師に会えて嬉しそうというよりは……戸惑ってあたふたしている様に見えるのだ。
 だが、それを詳しく追及しようにも、レオナはそもそもポップとアバンが一緒にいるところを、そうそう見たわけではない。

 それに何より、世界会議の開始時刻が迫っていることが、疑問を深く考えさせはしなかった。
 この時も、レオナは浮かんできた疑問を、自分自身で沈めてしまっていたのだ――。


  
                                                《続く》

 

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