『羅針盤は指し示す −後編−』

 

(あーあ、ポップ君ったら、ベンガーナ王に掴まっちゃって。でも、あれじゃ、自業自得よね〜)

 世界会議の直後。
 ベンガーナ王の長話に突き合わされているポップを、レオナは同情半分、からかい半分ぐらいの気持ちで眺めていた。

 今回の世界会議は、特にこれと言った議題があったわけではない。
 定期的に世界会議を開くということ自体が目的であり、強いて言うのならば各国の復興の度合いを報告し合う程度の議題しか無かった。
 だからこそレオナも、気軽な気持ちでポップを世界会議の場に誘ったのだ。

 正直言えば、ポップが世界会議に貢献してくれるのを期待したわけでは無い。だいたい、レオナは最初からポップを参加させるスケジュールさえ組んでいなかった。
 ただ、ポップがあまりにも根を詰めて読書をしているようだったから、その気を逸らしたかっただけのこと。

 なのに、期待はいい意味で裏切られてしまった。
 ポップはあまり気が進まない様子だったが、実際に会議に参加してしまうと、それなりにちゃんと話を聞いていてくれたらしい。

 非公式の立会人という立場で参加したポップは、自分からは発言しようとはしなかった。 だが、意見を求められれば、ちゃんと答えていた。
 それがなかなかに鋭い意見だったために、すっかりみんなに注目されてしまっている。
(ポップ君って、本当に自分の価値を分かってないわよねー)

 大戦の後、第一回目の世界会議の場で、各国の王達は大魔道士ポップを自国に招聘すべく、それぞれが好条件で勧誘を行った。
 結局、ポップが断ったせいで実現しなかったものの、どの王もポップの招聘を諦めているわけではないだろう。

 レオナとて、チャンスがあるのならポップを自国に招きたいと思っているのだから。
 熱心さと強引さでは定評のあるベンガーナ王は、特にその思いが強いらしい。会議が終わるなりポップを掴まえて、何やら延々と話し込んでいる。

 迂闊に遮っては失礼になるし、ポップなら適当にあしらうだろうと思って放置していたのだが、思ったよりも長引いている交渉にレオナは少しばかり疑問を抱く。
 そろそろ、助け船でもだそうかなと思った時のことだった。

 ポップが突然、ばったりと倒れたのは。

(え……?)

 一瞬、ポップがふざけてそうしたのかと思った。そう思いたくなるぐらい、ポップが倒れたのは突然だったし、前触れもなかった。
 糸を切った操り人形のように、ふっつりと倒れ――そのまま、動かなくなった。

「え!? お、おいっ、ポップ君!? ど、どうしたんだ!?」

 数秒の間をおいて、やっとベンガーナ王が声を張り上げる。その声で、ようやくポップの異変に気付いたものも多かった。

「ポップ!」

 珍しく、声を荒らげたアバンの反応が一番早かった。離れた場所にいたにもかかわらず、アバンがポップの側に真っ先に駆けつける。そのまますばやく彼の側にしゃがみ込むと、アバンはすぐに両手を押し当てて回復魔法をかけ始めた。
 アバンの両手が暖かい光を放ちだすが、ポップはぴくりとも動かないままだ。

「お、おいっ、誰かを呼んだ方がいいんじゃないのか!?」

 近衛兵達もが、自体を悟ったのか騒ぎ始める。
 そんな動揺するベンガーナ王達をやんわりと諫めたのは、フローラだった。

「お静かに……ここで騒いでは、治療の邪魔になりかねませんわ。この場は回復魔法の使い手に任せて、私達は席を外しましょう」

 フローラの落ち着き払った口調と態度は、予想外のことに混乱していた王や近衛兵達の動揺を速やかに鎮める。

「ご安心を、妻の口から我が夫を褒めるのも惚気と思われそうですが、アバンはなかなかの腕を持つ回復手ですのよ? 
 それにお忘れですか、ここは賢者の国と名高いパプニカ王国ですのよ。ここには世界有数の賢者が何人もおりますもの、心配には及びませんわ」

 そう言いながら、フローラは促すようにレオナに向かって軽く頷いて見せる。
 それを見てから、レオナはようやく正気に返った。動揺のあまり、回復手としての義務感すら忘れていた自分を責めながら、彼女はアバンと向かい合わせになる位置にしゃがみ込む。

「先生、あたしもお手伝いします!」

 仮にも賢者のレオナは、アバンよりも高位の回復魔法をかけることができる。
 だが、レオナがポップの身体に触れるよりも早く、アバンはやんわりと止めた。

「助かりますよ。それでは、ポップを休ませる部屋の手配をお願いできますか」

 そう言いながら、アバンはポップが目を覚まさないうちに回復魔法を打ち切ってしまった。
 それだけで、レオナは悟ってしまう。

 ただの怪我や激しい運動による疲れならば、回復魔法で治すのは簡単だ。
 だが、病気……特に慢性的な病気の場合は回復魔法はたいして効かない。
 病気による体力の消耗に対しても、回復魔法の効き目は薄い。

 それどころか体力が消耗しきっている病人の場合は、回復魔法をかけてもそれにこたえるだけの体力がないせいで、反って悪影響が出る場合すらある。
 その場合は回復魔法は最小限に抑え、安静にさせて体力の自然回復を待つより他に手は無い。

 つまり――ポップの失神の原因が、慢性的な病気による可能性が高いと、予測ができてしまうのだ。

「先生……」

 それでも、万一の希望を乗せてアバンに眼差しだけで問い掛けると、優しい師は穏やかな――だが、どこか寂しそうな微笑みのままで、静かに頷いてみせる。
 その眼差しには、見覚えがあった。

 バーンパレスでの戦いで、キルバーンの手によって異空間に引き込まれた時にアバンが見せた表情に酷似している。
 それは、すべてを知った上での肯定に他ならない。
 だからこそレオナは、今こそ完全に悟らずにはいられなかった――。








「先生は……ご存じだったんですね」

 レオナがそう言ったのは、一通り事態が収束してからだった。
 ポップを治療のための部屋に移動させ、各国の王達を説得し安心させるなどの雑事にかなりの時間を費やしたが、それは問題ではない。
 問題なのは、ポップの容体の方だった。

「ええ。以前、マトリフのところで、ポップの現状を聞きましたから。――まあ、実際に診るまでここまでひどくなっているとは、思いもしませんでしたがね」

 口調こそ穏やかだが、アバンの表情は硬かった。
 難しい顔をして、眠り続ける愛弟子を見つめている。その表情の険しさこそが、ポップの状態を表しているようで、怖かった。

 普段の元気の良さが嘘のように、静かに眠るポップの青ざめた顔を見ながら、レオナは呟いた。

「あたしは……気がつきませんでした」

 言いながらちくりと胸が痛むのは、うかうかと見逃してしまった幾つかの『疑い』のせいだった。
 前触れもなしに、倒れた――。

 各国の王達はそう思ってもいい。それに文句が言えるはずもない。だが、レオナだけは違っていたはずだった。
 思えば、前触れはすでに幾度もあった。
 何となく変だと思ったのは、一度や二度ではなかったのだ。

(気がつかなければ、いけなかったのに……!)

 最初に、ポップに会った時に感じた疑問を追及していればと思わずにはいられない。
 せめて、侍女からの報告をもっと真剣に聞いていれば――。
 単に朝寝坊と思ったポップの寝起きの悪さが、具合が悪くて起きられなかったのだと、気がつくことができたはずだった。

 食事も好き嫌いで選り好みをしているのではなく、単に喉を通らなかっただけだと。
 追及すれば、分かったはずだった。
 ポップ自身は、知っていたのだから――。

 気がついてしまえば、それははっきりと分かる。レオナが引き止めるまで、ポップはすぐにでもまた旅立ちそうな雰囲気だった。
 アバンとの再会の時も、落ち着かない様子であたふたしていたのは、自分の具合の悪さが露見するのを恐れていたからなのだろう。

 そして、一つが見えればすべてのことが見えてくる。
 図書室でのポップの読書の仕方を見ていれば、分かる。

 ダイを探すこと。
 少しでも手掛かりを得ようと、ポップはがむしゃらに、突っ走っている。

 それだけしか、ポップの頭にはないのだろう。たとえ自分の身体の具合が悪くても、ポップは足を止めるつもりなどないのだ。
 その結果、自分自身が倒れてしまうことになろうとも――。

「…………っ」

 縋るように、レオナの手が聖なるナイフを握りしめる。
 それはここのところより顕著になってはいるが、彼女の昔からの癖だった。
 ここ一番の大切な時には、いつもこのナイフを手にしていた。

 辛くて、どうしようもなく心細い時は、お守りのようにこのナイフを握り締めずにはいられない。
 それは、かつて父王がレオナを正式な後継者と認めてくれた時にくれたものだった。
 そして、小さな勇者との思い出の品でもある。

 レオナからダイへ、そして、ダイからレオナへと手渡され、今、ここにある。
 それが唯一の支えであるかのように強く抱きながら、レオナは自分を立て直そうとしていた。

「レオナ姫……自分を責めないでください。気づかなかったのは仕方のないことですよ……ポップ自身が隠そうとしていたのだから」

 慰める口調で声をかけてくれた師に、レオナはしっかりと顔を上げて答えた。

「……ええ、自分を責める暇なんか、ないですわ。もう、あたしは気づいてしまったんですだから」

 なぜ気づかなかったのだと、自分を責めるのは簡単だ。
 だが、失敗を悔いるだけならば、それに何の意味があるというのだろう。問題なのは、その失敗を踏まえた上で、その先に進む勇気があるかどうか、だ。

 レオナは、当の昔から知っている。
 まだ父王が存命だった頃、家庭教師の一人から国を船と例える教えを受けた頃から、ずっと知っていた。

 海とは、荒れるものなのだと。
 どんなに順調に見える航海であっても、どんなに優れた船や乗り手を用意していても、必ずトラブルは訪れる。

 同じ船に乗った者同士で、争いが起こってしまうことがあるかもしれない。自分達の力では到底かなわない、大嵐に出会ってしまうこともあるかもしれない。
 だが、それでも船は進むしかないのだ。

 そんな時、王とは行く道を指し占めす羅針盤であるべきだと、教えてくれたのは誰だったかは覚えていない。
 だが、それはレオナの心に深く刻まれた教えとなった。

 羅針盤は、それ単体では何の役にも立たない。船を動かす直接の推進力にはなり得ないのだ。
 だが、それでいて、正しい方向に進むためには欠かせない道具でもある。

 たとえ、海が荒れたとしても、たとえ、船が方角を見失って迷走しようとも、現在の位置を見極め、行くべき道を指し示す。
 それこそが、羅針盤の役割だ。

 その役割を、レオナは受け入れた。
 そして、引き受けた以上には責任が生じる。羅針盤は船の一部として、その責務を全うする義務がある。

 船からこぼれ落ちた、たった一人の遭難者の行方にどんなに心を動かされようと、それでも船を導かねばならない。
 自由に飛べる鳥に内心羨ましさを感じながらも、羅針盤は船と共にあり続け、行く先を指し示す役目がある。

(今こそ、あたしが……しっかりしなくちゃならないんだわ)

 震えそうな手は、ナイフを握りしめることで抑えればいい。
 そうやって、レオナは心に羅針盤を描く。
 船を導き――その上で、自分自身や大切な仲間達をも導くための、羅針盤を。

(船に乗り切らない者を切り捨てながら進む道なんて、誰が選ぶものですか……!)

 今は姿さえも見つけられない遭難者も、そして、それを探すために無謀にも単身、飛び続けようとする鳥も、見捨てたりはしない。
 今にも翼折れそうな鳥だとて、手遅れと諦めるなんて早すぎる。

 気がついたならば、可能性はある。
 すでに失われた機会を嘆く暇があるのなら、気がついたところから再スタートを切ればいいだけのことだ。
 レオナはアバンに向き直って、ひたと真剣な瞳を向ける。

「教えてくださいますか、先生。あなたが、すでに気がついていることを」

 正しい方向を指し示すためには、現在の状況を正確に見極めなければならない。
 惑わされたがる心をごまかさず、どんなに厳しい現実だろうとしっかりと見据え、気がつかなければならない。
 これから先の未来を、正しく選ぶために――。








 覚悟を決めて自分を見つめる王女を、アバンはほんの少しだけ懐かしそうに、眩いものを見つめる目で眺めやる。
 衝撃に流されず、自分の義務を忘れず、それでいて自分にとって大切なものをも守ろうとする少女の真摯さが、アバンには好ましく見えた。
 それだけに、力を貸したいと思わずにはいられなかった。

「ええ、あなたが望むのでしたら。私の知る限りの『事実』をお教えしますよ」

 優しい微笑みをうかべながら、アバンは遠回しにぼかすことなく、嘘偽りのない真実を伝え始めた――。


                                      END


《後書き》

 勇者行方不明編の『塔の中の囚人』の手前当たる物語です。
 『塔の中の囚人』の方でもレオナの決意を語っているんですが、アバン視点っぽい書き方だったので、レオナ側からとしても一度、書いてみたかったんです。

 パプニカのナイフに絡めた話ってのも、前々から書きたいテーマでしたしv
 ついでに言うのなら、この話は『空っぽの腕』の続きに当たる話だったりもします。
 こうやって、話をパッチワークのように繋げつつ書くのが、結構好きなんですよね〜。……読まれる方には迷惑かもしれないんですが(笑)

 ところでこれは、すっかりと書くのを忘れかけていた一周年記念SSの最後の一つ、ポップとレオナのお話でもあります。…って、どんだけ忘れていたのやら(笑)
 
 

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