『意味深なリング ー後編ー』 |
「――ってことで明日の閣議はおれの意見が先走り過ぎているって、姫さんがやや渋って見せるって作戦で行こうぜ。これで、慎重論を唱える連中を揺さぶって、本音を引き出してやるからよ」 一週間後。 ポップの意見に、レオナが力強く頷く。 いくら天才的な頭脳を持っているとはいえ、この二人の若さで海千山千の老齢の政治家達と渡り合うのは、そう簡単なことではないのだ。 「ああ、分かってるって。おれだって、せっかく一週間後に休みの予定があるんだし、それを潰す様な騒ぎは願い下げだって」 「そうね、それまでに一通りのケリはつけておきたいわね」 政治の場で見せる表情のまま重々しく頷いたレオナだが、話がついて書類を仕分けした途端に一転して、茶目っ気のある笑顔へと変わった。 「そう言えば……うふふ、聞いたわよ〜、ポップくぅん♪」 年相応の悪戯っぽい少女の顔は、見た目は大変に可愛らしいものであったが、レオナをよ〜く知っているポップからすれば、嫌な予感しかしない。 「ポップ君ったら、本当に水臭いわね。今度、婚約するんでしょ? それならそれで、一言言ってくれてもいいじゃない」 「ぶっ!?」 驚きの余り、珍妙な声と共に持っていた重要書類を全部落としてしまったからと言って、誰もポップを責められないだろう。 「ふふっ、お安くないわねー、で、お相手は誰なの? マァム? それともメルル?」 「ち、違うっ、誤解だっ!!」 「あら?」 と、レオナが驚いた顔を見せるが、大仰なその仕草にはどこかしら、芝居じみたわざとらしさが付きまとう。 「意外ねー。まさか、あの二人の他に好きな娘がいたなんて、知らなかったわ。で、誰なの?」 「だから違うつってんだろっ!? 誤解もいいところだってば! だいたい、誰が婚約なんかするんだよっ!?」 心の底から、ポップは叫ぶ。 そして、ポップに言わせばその責任の一端はレオナにもあると言いたい。そこは、譲れない。 「そんな予定も暇もねーよっ! 姫さん、いったいどこでそんなデマ聞いたんだよっ!?」 「あらあ〜? デマだなんて、確かな筋からの情報なんだけどな。ポップ君、一週間前にベンガーナデパートで、指輪を予約したでしょ? それも、特注品のを」 「……え?」 一瞬きょとんとしたのは、決してとぼけたわけではない。本気で、分からなかったせいだった。 忘れかけていたところに不意打ちに持ち出された指輪の話に、ポップがぽかんとしている前で、レオナは見覚えのある絵をひらひらと振って見せる。 「ふふっ、なかなか素敵な指輪じゃない。これならエンゲージリングにはぴったりね。で、お式はいったいいつなの?」 「その絵……っ、まさか!?」 「ええ、ムッシュ・カタール画伯が手紙で教えてくださったのよ。今度完成した絵のお知らせついでに、おもしろい話をいろいろと聞かせていただいたわ。 (何が画伯だっ!? いつもは変人呼ばわりしているくせにっ) と、心の中でレオナを罵るべきか、それともその怒りをムッシュに向けるべきか、ポップはしばし迷う。 「あのな、姫さん、あのインチキ画家が何を言ったか知んないけど、婚約なんて誤解だって――」 言いかけたポップの言葉を遮ったのは、ドアを突き破らんばかりの勢いで走りこんできた勇者の姿だった。 竜の騎士であるダイは、脚力からして並の人間とは違う。ついうっかり全力疾走すれば、城に多大なダメージを与えることも何度もあった。 あるいは、三賢者が地道に、城のあちこちに城内での駆け足を禁じる張り紙を張る効果があったのか、最近はダイはよっぽどのことがなければ城の中を走ったりはしない。 一度、彼女の部屋のドアを全壊してしまった時にお説教されたのが効いたのか、必要以上にそっと開ける。 「ダ、ダイ?」 と、目が合った途端、ダイはいきなりポップに抱きついてきた。 「ポップーッ、ポップ! ポップ、ケッコンするってホントなの!?」 「ぐ、ぐぇえっ!?」 と、悲鳴を上げたのは、ダイが力一杯抱きついてきたせいだった。 「おれ、やだよ、ポップが遠くにお嫁に行くだなんて!」 「ぐっ……ぐ、っる、じい…っ、離せぇ……っ!!」 必死の思いでそう訴えると、ダイはやっと力を入れ過ぎていることに気づいたのか、腕の力を緩めた。 が、それは単に力を抜いたに過ぎない。ポップを手放すのが不安だとばかりに、抱きついていることには変わりはない。 「ちょ……っ、ちょっと待て! おまえは誤解とか違う以前に根本的に間違いまくってるぞ、いろいろと!」 レオナの誤解もひどかったが、ダイのはさらにその斜め上をいっている。 「だって、いっつもおれの部屋を掃除してくれる侍女のエマさんが言ってたよ。娘さんがケッコンして、遠くにお嫁に行っちゃったから寂しいって」 ごく真面目な顔でそう言いながら、ダイはポップが突き放そうとするのも構わず、ますますしっかりとしがみついてくる。 「おれだって、ポップがいなくなっちゃったらやだよ、寂しいじゃないか! ケッコンとかお嫁とかよく分かんないけど、ここじゃできないの? おれも手伝うから!」 熱心に、そしてすがりつくように訴えてくるダイに悪気はないのは分かっている。常識に至って疎いダイに、結婚だの嫁の意味が分かっているとも、思えない。 「あ、それは素敵にナイスな考えよね、ダイ君♪ にんまりとした笑顔のまま身を乗り出してくるレオナは、どう見たって全てを分かっている上で楽しんでいるとしか見えない。 「いるかぁ、そんなのーっ! だいたい、パプニカ一の色男って言ったらヒュンケルだろうが、そんなの死んでもごめんだぁーーっ! それ以前に男が嫁に行けてたまるかぁあーーっ!!!」 一週間前のベンガーナデパートと同様に、パプニカ王国にも二代目大魔道士の怒声が響き渡った――。
二週間後。 実際、デパートの店員に不審がられているのか、露骨に怪しい人を見る目で見られていたりもするが、ポップとしてはそれどころではなかった。 この二人を振り切って、こっそりとここまで来るのは本当に大変だったのだ。 基本的に素直なダイは、ちゃんと説明さえされれば大抵のことはだいたいは理解してくれる。 レオナが説明の度に割り込んできて混ぜっ返してしまうせいで、ダイは未だにポップが『ケッコンして嫁入り』し、どこかに行ってしまうと思い込んでしまっている。 (まあ、どうせ誤解なんだし、そのうち落ち着くだろうけどよ……姫さんめ、何を考えてるんだか) 溜め息をつきつつ、ポップは泥棒のごとくこそこそと指輪売り場へと向かう。とにかく、こんな厄介な騒動のネタは、さっさと片付けるに限る。
静かな、だが確かな自信をのぞかせて、店主は小さな箱を器用に開けて、恭しくポップに差し出した。 「へえ……! きれいじゃん」 宝飾品に関心がなく、また、この指輪に対して反感しか持っていないポップの目にも、その指輪は見事な出来と見えた。 ジャンクの書いた説明文や、鉛筆描きだったムッシュの絵では分からなかった魅力が、本物の指輪にはあった。 (これなら、きっと母さんに似合うな……) 苦労をかけっ放しの母親を思い浮かべながら、ポップは満足そうに頷いた。 「うん、気に入ったよ。これなら、良く似合い合うだろうし」 「それはよかったです、腕を振るった甲斐がありましたよ」 「全くですな。これなら、さぞやよく映えるでしょうよ――黒髪の女性には、ね」 「へ?」 同時に前後から二種類の声で返事があり、ポップがきょとんとして後ろを振り向いた。 と、そこにいたのは――間違いようもないムッシュ・カタールだった! 「えぇええっ!? な、なんであんたが、ここにっ!?」 ギョッとするポップに対して、ムッシュは口髭を指で捻りつつ、にっこりと笑う。 「なぁ〜に、この前のご提案について、もう一度考えてはいただけないかと思いましてな。 と、妙に勿体ぶった手つきで差し出された右方向に目をやると……そこには、一見王女っぽくない簡素な衣装に身を包んだパプニカ王女がいた。 よっぽどこちらが気になるのか、身を乗り出してポップの方を伺っているダイの姿を見て、ポップは声を出さずに呻いた。 (そうかよ! このために、わざわざ姫さんは……っ) 今になってからそれに気がついた自分の迂闊さを、罵り倒したいぐらいだ。 普段ならレオナの頼みを快諾するダイも、今回の話を最初から聞いていたのなら、素直に頷きはしなかっただろうから。 事情がよく分からなくとも、ポップが嫌がっていると知れば、こっそり跡をつけるなんて卑怯な真似には賛成はしないだろう。 だが、レオナにさんざんあることないことを吹き込まれ、コロッと騙されている今のダイなら、話が違う。 ダイがレオナに協力したのなら、絶妙のタイミングでここで待ち構えていたのも、理解出来る。 「ところで、そちらの脚線美が実にお美しいお嬢さんは、この指輪をどう思われます?」 確かにムッシュの言う通り、伸びやかな太股が眩しいぐらいの魅力を放っていたが、さすがのポップもこの状況で足に注目できはしなかった。 何度か息を飲み、それからマァムはようやく弱々しい声を絞りだして、律義に質問に答える。 「え……、ええ、とても綺麗、だと思うわ。それなら……メルルに、よく似合うと思うし――」 そこまで言ったかと思うと、マァムは不意に言葉を途切れさせ、身を翻して走り出す。 呼び掛け、咄嗟に追いかけようとしたポップの襟首に、ムッシュは手にしたステッキをヒョイと引っ掛けて動きを阻む。 「うわわっ、何すんだよっ!? 邪魔すんなよっ」 「おや、それはお取り込み中に失礼。ですが、それほど火急のご用があるなら、なおのこと先程の件を考え直してもらえるかと思いまして」 しゃあしゃあとそう言ってのけるムッシュに対して、ポップは一瞬、メラゾーマをかましたい衝動に駆られた。 一瞬、脳裏を過ぎった親父の雷を思い出しつつ、ポップは即座に最も優先すべきものを選択した。 「ほらっ、これ、頼む! だから離せよっ、おれにゃもっと大事な用があんだよっ!」 指輪の入ったケースを放り投げられたムッシュは、器用にそれを受け取りながらステッキをクルクルッと回転させて引き下げる。 「はい、確かにお預かりしました。では、ご健闘をお祈りしますよ、ポップ君」 丁寧に一礼をするムッシュを振り向きもせず、ポップは走り出す。 それを確認してから、ムッシュは今度はレオナに向き直ってから、同じように丁寧に一礼をする。 「ご協力ありがとうございました、プリンセス・レオナ。これでこの指輪もそれに相応しい形で、プレゼントされることでしょう。ご助力に、本当に感謝致します」 優雅な感謝の礼に対して、レオナもまた、優雅に会釈を返す。 「いいえ、たいしたことはしていませんわ。どうかお気になさらずに、ムッシュ・カタール。こちらこそ、あなたのこまやかなお気遣いには感服しましたわ」 レオナは、手紙でムッシュから全ての事情を聞かされていた。 「ポップ君って、ちょっと鈍感なんですもの。せっかくのご夫妻の結婚記念日だっていうのに、平気で実家に里帰りしようとしていたなんて……男の子って、本当にどうしようもないわ」 駆け落ちまでした夫婦で、結婚二十年以上も経っているのに結婚記念日を祝おうとしているのなら、いかに血を分けた息子であろうとそれを邪魔するのは野暮だろう。 「でも、良いのですか? あなたは、ポップ君をモデルにしたいのでしょう? 今回の件で、なおさら難しくなると思いますけど……」 と、レオナが首を傾げるのも無理もない。 別に、レオナはポップを味方する気も、ムッシュを味方する気もないが、今回の彼の親切がポップを怒らせるだけのものだと分かるだけに、首を傾げてしまう。 「なぁに、たいして問題ありません。なにせ、わたくし、元からポップ君には気に入られてはおりませんですからな」 「……あ。分かっていらしてたんですか」 気抜けした様に、レオナが相槌を打つ。 (分かってたんなら、よくあれだけ強引に勧誘できるわね〜) と、内心思った本音は、こっそりと胸の奥に沈めながら。 「そりゃあ、当然でしょう。ですが、ご心配なく。あれでポップ君はずいぶんと人が良いですからな。あれでは、他人の懇願はいつまでも無下には出来ますまい。 と、そこまで言い切れるムッシュに対して、レオナも苦笑を隠せない。 「……さすがはご高名な画家ですのね。ご慧眼、恐れ入りますわ」 「お褒めの言葉、痛み入ります。 と、わずかに気遣う響きが混じるのは、ポップとマァムとの関係を心配してのことだろう。 ポップやマァムの詳しい関係までは知らないとはいえ、ムッシュの目から見てでさえあの二人が恋愛過程の複雑さをはらんだ関係だと見て取れる。 「ああ、ご心配なく。あの二人なら、少しはこじれた方がいいぐらいですから」 そう答えながら、レオナはもう見えなくなってしまった二人の方に目を向ける。 (本当にもう、二年以上も進展なしのまんまなんですものね――) まだ、魔王軍との戦いの最中に出会って。 ダイが行方不明の間はさすがにそれどころではなかったが、最近になってからレオナはいささか二人に申し訳ないような気分を味わう時がある。 そう考えたのは、ポップ自身だ。 だが、ダイを探す代わりに、ダイが安心して戻ってこられる場所を作ろうと考えたレオナは、そのためにポップとマァムの手を借りてしまった。 レオナ一人では乗り切るのが難しい局面に助力するため、二人は出し惜しみ無く手を貸してくれた。 だが、そのために二人が払った犠牲の大きさを、レオナは決して忘れてはいない。政治の場でも通じる肩書きを持ったポップとマァムは、それと引き換えにそれぞれが自国に対する責任を背負ってしまった。 騎士としてカール王国の自治領を納めるマァムに、パプニカ王国の影の宰相として宮廷魔道士見習いの地位にいるポップ。 たまに会う時も、どうしても全員で顔を合わせることになりがちで、二人だけで過ごす時間はそう長くはない。 (だって、あの二人って、運命の恋人って感じじゃ、全然ないんだもの) どんなに遠く離れても、たとえ今、引き裂かれていても、決して引き離されない絆を感じさせる二人。 あの二人が、本当にくっつくかどうかと問われれば、恋愛話好きで一端の耳年増であるレオナとて首を傾げてしまう。 おまけに、二人を取り巻く人間関係も複雑だ。 未だにポップを一途に想い続けているメルルのいじらしさを思えば、彼女を応援したくもなってしまう。 (ま、あの二人は腹が立つぐらい鈍くて、自覚ないんだけどね) くっつくのか、くっつかないのか、よく分からない二人。 いたって無欲で地位を望みもしなかった二人なら、本来はもっと細やかな日常を分けあえるはずだったのだから。 騎士と宮廷魔道士ではなく、ただの村娘と片田舎の武器屋の息子として、近しい時を傍らにいながら分け合う日々があったかもしれないのだ。 だからレオナは、二人に少しでもいい、本来受け取るはずだったものを、返してあげたかった。 (ポップ君。マァム。たまには、二人っきりですごしなさいよ。うまくいくかいかないかは、その後でいいから――) そんな風に物思いにふけっていたレオナの手を、遠慮がちに引いたのはダイだった。 「あのさー、レオナ。……なんか、ポップとマァムが走っていっちゃたけど、ほっといていいのかなぁ?」 (――分かってないのは、こっちもなのよね〜) オロオロとしているだけのダイを見て、レオナは深々と溜め息をつく。 「安心して、ダイ君。これで、大丈夫よ。全部がうまく片付いたわ」 なんの根拠もないレオナの保証に、ダイはパッと表情を明るくさせた。 「ホント?」 「ええ、ホントよ。後はポップ君とマァムに任せればいいの。そうですわよね、ムッシュ?」 「プリンセス・レオナのおっしゃる通り、まったくですな。これ以上関わるのは野暮というもの。馬に蹴られないうちに退散しますかな。 「え? 馬なんか、ここらにはいないけど?」 不思議そうに首を傾げるダイは、やっぱりどこまでも分かっていない。まだまだ幼い勇者様を見ながら、お姫様はまたも苦笑してしまう。 「放っておいても平気よ。もう、ポップ君は絶対にお嫁には行かないから」 ま、お嫁をもらう甲斐性があるかどうかが問題なんだけど――と、口に出さずにレオナはダイの腕に自分の手を絡める。 「それより、あたし達は先に帰りましょう。あ、せっかくだから久しぶりに、二人っきりでどこかに行くのもいいと思わない?」 駆け去ったポップとマァムが気にならないといえば嘘になるが、レオナとてやはり恋が気になるお年頃だ。
《後書き》
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