『優先順位 6』

  
 

 そこは、ただの複数の石の置かれている場所としか見えなかった。
 アバンの師事を受けていたヒュンケルには、辛うじてそれが環状列石と呼ばれるタイプの遺跡で、古代の魔法陣の名残だとは分かった。

 かつては強大な魔法契約を行うために使われていたとのことだが、精霊の存在が希薄になってしまった現在では、すっかりと廃れてしまった代物だ。
 アバンの教えでは、今となっては古代の魔法陣を使いこなせる人間は数少ないという話だった。

 だからこそ誰も近寄らないまま時の流れに朽ち果て、半ば以上に土に埋もれて放って置かれたのだろう。
 さっきまでは貴族の命令で遺跡を守っていた私兵達がいたが、すでにヒュンケル達が気絶させたり、追い払った結果、もはや邪魔は入らない。

 クロコダインに抱かれたまま古びた魔法陣の中に入ったポップは、その中央に下ろしてくれと頼む。

 なんとか立つだけの力が戻ったのか、ポップは慎重に足場を見定めて、遺跡の中心点に立った。
 その途端、顔つきもしっかりとしてきたのは、魔法使いとしての本能のせいか。

「サンキュー、おっさん。じゃあ、魔法陣から出て行ってくれよ」

「うむ……」

 やや心配そうながらもクロコダインがそれに素直に従うのは、邪魔をするのを恐れたせいだろう。
 魔法によって差はあるが、魔法使いが魔法陣を使う様な術を使う場合、うかつに他人が魔法陣に踏み入るのはよくない効果をもたらす場合が多い。

 魔法陣に侵入した側にダメージを与える場合もあるし、なによりも術の妨げになる。だからこそ、ヒュンケル達は見張りを兼ねた見物人に徹した。

「大地と共に存在する、太古の精霊よ……我が声に耳を傾けたまえ……失われし呪文を、今、蘇らせたまえ……!」

 ポップが唱える言葉に応じる様に、魔法陣をかろうじて形取っていた石が、はっきりとした光の線を生み出す。
 欠けた石の部分も補う様に、光の円が描かれていく様は、まさに魔法だった。ポップ本人の身体も燐光を帯び、遺跡は神秘の光に包まれていく。

 そればかりではなく、ポップの回りにキラキラとした光が生まれ始めた。
 魔法を全く使えない上に、魔法にほぼ興味が無いクロコダインやヒュンケル、それに疑似的な魔法を生まれつき使えるように作られた金属生命体のヒムにとっては、生まれて初めて見る魔法契約だった。

 だからこそ、目の前の光景を物珍しく見入りはしても、驚きはしなかった。
 だが、魔法契約を一度でもしたことのある人間ならば、ポップの特別さに一目で気がついただろう。

 魔法契約の際、光が発せらるのは誰がやっても同じだが、それでもこれ程の光量を発する例はごく稀だ。
 ましてや、精霊を光臨させての呪文契約を成し遂げられる魔法使いなど、そうそういるわけではない。

 自分自身も微力ながら呪文を使える上、他人の呪文契約も見たこともあるラーハルトには、その光景は驚愕に値した。
 ポップの評価を決して低く見積もっていたつもりはなかったが、彼が桁外れの魔法使いであることを改めて実感する。

 古代の魔法契約は、術者に高い魔法力や資質を要求されるため、現在のものよりも契約が成立しにくい場合が多い。
 なのに、ポップはさして苦労をしている様子もなく、魔法力を高めて魔法陣を活性化させていく。

 聖域のように、眩いばかりの光に覆われた光の円――だが、外周を描いた光の線が円内の模様を描き出した時から、様子が変わりだした。
 ポップの周辺を切り裂く様な勢いで、光が円の中を直進し、地面にくっきりと光の線を引く。

 それは、ヒュンケル達が無意識に予測していた星の形ではなかった。
 正義を示す、五芒星ではない。

 二つの三角を組み合わせた、邪悪を意味する六芒星の形。
 それが描かれた途端、魔法陣内の空気が変わった。

 光の強さは変わらない物の、その輝きが赤味を帯びる。
 夕日を思わせるような鮮やかな赤は、どんどん濃くなることで黒味を増していき、今までの神聖な輝きをガラリと変えてしまう。
 見る見るうちにそれは、禍々しい雰囲気を感じさせる魔法陣に変化していた。

「おい……?! これって、なんかやべえ術なんじゃねえの?」

 そう口に出したのはヒムだったが、ヒュンケルやクロコダインにしても感想は同じだった。
 色の変化だけでも不吉なのに、魔法円の中の雰囲気が変わった途端、今までかろうじて立っていたポップが、ゆらりとふらついた。

「ポップッ?!」

 倒れる――誰もがそう思ったが、ポップはかろうじてその前に、自力でしゃがみ込んだ。倒れるのと大差がないへたりこむような格好とはいえ、倒れるのとしゃがみこむのでは、後者の方が遥かに身体へのダメージは軽い。

 だが、それでも息を切らし、青ざめた顔色を見れば、ただ事とは思えない。
 思わず動きかけたヒュンケルを見て、ポップは大声を張り上げた。

「……来んなよっ! 契約の邪魔を、すんな!」

 すでに自力で立てなくなる程弱っているのに、仲間達を睨みつけるポップの目には、強い光が宿っていた。
 その気迫に一瞬気圧されながらも、クロコダインが食い下がる。

「だが、この魔法は危険なものではないのか……?!」

 今にも倒れ込みそうな身体を、やっと手で支える様にしてなんとか身を起こしているポップ  それを心配そうに見つめているクロコダインを見れば、彼が何を心配しているかは一目瞭然だ。
 だが、ポップはクロコダインの心配を、明後日の方向へ誤解したらしい。

「心配はいらねえよ、おっさん。血を利用する術自体には、善も悪もねえんだ。別にこいつは、危険な魔法なんかじゃねえよ」

 そう言いながら、ポップは片手を自分の首元を拭う。手当てもろくにしていない傷は、触れるだけで血が滲み出し、ポップの手を赤く染める。
 痛みに顔をしかめながら、ポップはその手についた血を見つめ、言った。

「血は、全ての生物に共通した、命の基盤……命の源なる、液体なんだ。古来より、血には、特別な力があるとされていた。ことに、選ばれし者の血は、さ……」

 息も切れ切れに説明するポップの言葉を、否定できる者はこの場にはいなかった。
 竜の騎士バランの血によって、ポップやラーハルトが蘇生した事実をこの場にいた全員が知っている。そして元魔王軍の人間であればたとえ魔法に疎い戦士であろうとも、血を利用した魔法がこの世にはあることも、知らないわけではない。

 呪法に近い禁断の術とはいえ、血を利用する魔法が特別な効果をあげることは、魔族にとっては常識のようなものだ。
 だが……それだけに、生け贄のような形でなんらかの代償を捧げる必要のあるものではないかと、案じずにはいられない。

 この術を妨げてでも、ポップを助けた方がいいのではないか――そう考えたヒュンケルが動くよりも早く、逞しい腕が視界を遮った。

「ラーハルト……」

「――手を出すな。遺跡に関しては、あいつの意見を優先する」

 素っ気ない口調ながら、そこには絶対に譲らないと言う不動の決意が込められていた。この場で、もし自分以外の三人が反対派として立ちはだかるのであれば、腕ずくでも自分の意志を押し通す……そんな決意を感じさせる目だ。

 それを見てヒュンケル達三人が引いたのは、彼に対して恐れを感じたからでは無かった。いかにラーハルトが強くても、ヒュンケル達三人を敵に回して勝ち抜けるほどの差は有り得ない。

 引いたのは、決して実力の差ゆえではない。
 ラーハルトをリーダーに選んだ以上、その決定に不服があっても、咄嗟の判断ではリーダーを優先するのは当然という意識が働いたせいだ。

 そして、その決意に敬意を感じたからでもある。
 ポップへの心配と、ダイを見つけだすことの期待の間で揺れるヒュンケル達では及びもつか無い程、ラーハルトの決意は固く、揺るがないものだ。

 ラーハルトという盾が残り三人を塞き止めている間、ポップはすでに呪文契約を完了させようとしてした。
 魔法陣の光が最大限に強まった時、ポップは血に染まった手を地面に叩きつけて叫んだ。


「我が望みに応じ、我に古の呪文を与え賜え! 我が求めるは、全き血の盟約……っ!」


 その瞬間、魔法陣全体が真紅に輝いた――!
 今までのどす黒さを失い、鮮やかな赤となった魔法陣は眩いまでに輝き……そして、すうっと潮が引く様にその色や輝きが薄れる。

 中心に向かって色が引いていくせいで、まるでポップの中に魔法陣が吸い込まれた様に見えた。

「……や…った……っ、成功……だぜ……っ」

 嬉しそうにそう言った瞬間に、ポップの緊張の糸が切れたらしい。ぺしゃんと、潰れたカエルの様に無様に地べたに突っ伏す。

「ポップ?!」

 今度は、ヒュンケル達が魔法陣の中に飛び込むのをラーハルトも遮らなかった。
 気絶したのかと思ったポップだったが、意識はちゃんとあるらしく、起き上がろうとして身動ぎしている。

 だが、必死の形相の割には身体に力が入っていないのか、その努力は一向に実ってはいなかった。

「ポップ、無理をするな。しばらく、休んでいた方がいい」

 クロコダインの言葉に、ポップは首を左右に振る。

「ンな暇なんか、ねえよ! 早く、次の洞窟に向かわねえと、間に合わない……! もう、時間がねえんだよ」

 ポップがひどく焦ったように言うのも、無理も無い。
 予定の洞窟は残りたった一つとはいえ、ポップが間に合わせたいと願った日まで、後半月も無い。

 それなのに、次の目的地は北の小島……位置的には、カール王国と故オーザム王国の間に当たる場所だ。その上、ポップは移動呪文ではそこに行けないと言っていた。
 もともと、ポップの最初の師であるアバンは故国を捨てて旅をしていた都合上、カール王国に関わる場所は避けて旅をしていた。

 そのせいで、アバンについて旅をしていたポップはカール領域にはさして詳しくは無い。
 カール王国に留学した結果、多少は改善されたものの、それでもポップが移動魔法で行ける範囲から目的の小島に行くまで、まず二週間はかかる。

 目的の洞窟の難度が今までの洞窟と同じだとしても、目的地まで移動するだけでもかなり厳しいし、ましてやここまで弱ったポップなら尚更だ。
 はっきり言って、無茶な話だ。

 だが、ポップは微塵も諦めようとはしなかった。
 立つどころか起き上がるだけの力もないくせに、それでも這ってでも行くのだと言わんばかりに、ポップは前へ進もうとする。

「……ポップ…」

 呼び掛けるクロコダインの言葉が、辛そうに消えていく。
 どこまでも諦め悪く、危険を恐れずに最後まで食い下がる精神力。
 それこそがポップの最大の魅力であり、仲間達にとって何よりも頼みにできる長所だ。


 かつて、野心に目が眩んでザボエラの誘いに惑わされたクロコダインは、ダイを助けるために無謀にも挑んできたポップに救われたといって言い。
 それだけにクロコダインの目には、ポップのその心が貴いものとして映る。故に、今のポップを止める言葉が、クロコダインには見つけられなかった。

 ヒムやヒュンケルにしても、大差はない。
 だからこそ動けずにいる三人と違って、ラーハルトはなんのためらいも感じていないかのように、ポップの側に屈み込んで手を貸す。

 肩を貸す――というよりは、ほとんどラーハルトが力ずくで引き起こし、無理やり肩に手を回して立たせたような有様だったが。
 だが、それでも曲がりなりにも立ち上がったポップは、ラーハルトに引きずられるまま魔法陣の遺跡から脱する。

「ポップ。最初の洞窟はアルキード、次はベンガーナだったな。今度、おまえが目指しているのは、カールの洞窟か? それとも、オーザムのものなのか?」

 その質問に、ポップはうわ言のような口調で答える。

「カールだよ……。後、もう一つ、あの人形がいるんだ……っ」

「そうか。それを聞いて、安心した」

 ポップに向かって、ラーハルトはひょいと手をふるって見せる。軽く動かしただけにしか見えない素早さだったが、彼の手刀はものの見事にポップの延髄を一撃していた。

 ごく軽くとはいえ、絶妙のポイントに与えられた衝撃に、ポップはひとたまりもなく昏倒してしまう。
 力を失って倒れかかるポップを、ラーハルトはいともたやすく抱き留めた。

「おっ、おいおいっ?! てめえ、いきなりなにしてんだよ?!」

 さすがに驚くヒムら三人に対して、ラーハルトは落ち着き払った態度を崩さなかった。


「言ったはずだ。オレが、この隊のリーダーを務めさせてもらう、と。探索の中断と撤退を決めるのは、リーダーの判断の範疇だ。
 これ以上は、こいつにとっては負担が大きすぎると判断する。ここで旅は終わらせた方がいい」

 その宣言に、仲間達が見せた驚きはさっき以上だった。

「ええっ、マジかよっ?!」

「なんだ、反対なのか?」

「いや、別にそんなことねえけどよ。オレも、ポップの奴はそろそろオーバーワークだと思ってたしさ。
 けど、あんたがそう言いだすとは思わなかったからよぉ。てっきり、何がなんでも旅を最後までやり遂げようって腹かと……」

 率直に感情を口に出すヒムが口に出した言葉は、多かれ少なかれ、ヒュンケルやクロコダインの考えと似通っていた。
 ダイを終生の主君と定めたラーハルトの方が、ある意味でポップ以上にこの旅の遂行に拘っていると思っていた。

 言い方は悪いが、ポップかダイ、どちらか一人の安全を選択するはめに陥ったとしたならば、迷わずにダイを選ぶだろうと――。
 だが、ラーハルトはヒムの言葉を軽く受け流す。

「心外だな。オレは最初から、この旅の完遂など目的にしたつもりはない。
 オレがもっとも優先すべきは、主君の命令だ。ポップの頼みなど、それより下だな」

 そう言いながらも、ラーハルトは慎重にポップを抱え直した。あたかも大切な宝に触れる様な、丁重なしぐさで。

「だが……今、旅を止めればどうなるのか、おまえも知っているのではないのか?」

 気遣う口調でそう言ったのは、クロコダインだった。
 ポップははっきりとは口に出したことはなかったが、ダイが今、どこにいるのか、確信があるようだった。


 そして、そこがかなり危険な場所であり、自力では帰ってこれないような場所らしい。
 だからこそポップは躍起になって、残りわずかな時間の間に条件を整えようと死に物狂いになっている。
 今のチャンスを逃せば、また、一年かかってしまうからと――。

「オレは、ダイ様が今、どこにいるかは知らん。そこでもう一年、持ち堪えられるかどうかも、知らない」

 素っ気ないを通り越して、むしろ冷淡と言った方がいい口調で、淡々と続けた。

「オレが知っているのは、ダイ様がご自身を守るために、オレという手駒を使わなかったことだ。
 ダイ様がオレに下した命令は、この魔法使いと協力して敵と戦え、だった」

 それはすなわち、自分よりもポップの身の安全の方を重視したということ――。
 その解釈は、大きく間違っているとは思えない。最後の最後で、ダイはポップを守ることを選択し、地上を去っていったのだから。

「それに  バラン様の最後の命令は、ダイ様の意志に従って、助力をせよとの仰せだった。……あの方は、ダイ様のお命を優先して守れとは、おっしゃられなかった」

 ラーハルトの目が一瞬だけ遠くを見たのは、今は亡き人を追ったからだろう。
 だが、彼は自分の感傷を一瞬で切り捨てて、現実に立ち返る。

「いざとなればこいつを力づくで止めるために、オレは指揮権を要求した。おまえらに異存があろうとも、旅はここで終わらせる」

 主君の安全よりも、主君の命令に従う結論を下したリーダーに、誰も反論しない。
 唯一、猛然と反対しそうな魔法使いは、気絶してラーハルトの腕の中に収まっている。 結果として、誰も意義は唱えはしなかった。

「異存はない。……ダイを待たせてしまうのだけは、心残りだがな」

 ヒュンケルのその言葉に、ラーハルトは少しばかり皮肉げな笑みを浮かべる。

「旅はここで終わらせるが、ダイ様をお待たせするかどうかは、別問題だな。
 ――後は、あの姫君の手腕次第と言ったところか」

 言外に意味を含ませた言葉に、ヒムが不思議そうに問い返す。

「おい、そりゃあ、どういうこった?」

 その質問が聞こえなかったはずはないのだが、ラーハルトは済ました表情のまま指示を飛ばす。

「さあ、撤退と決めたからは、グズグズするな。さっさとパプニカへ移動するぞ」

 

 

 かくして、ポップが提案し、ラーハルトがリーダーとして行われた旅は、途中中断という形で終わりを告げた。
 成果として入手できたものは、奇妙な木の人形が二つに、ポップが習得した『全き血の盟約』の魔法。
 それが、ダイを捜すためにどう役に立つのか、知っている者はまだ一人しかいない――。

                                            END


《後書き》

 ポップがダイを捜しに行く準備をするための旅の一幕を、ちょろっと書く予定が、思ったよりも長引きました(笑)
 物語的にはこの後にもう一騒動あるんですが、ポップと騎馬戦ズの旅に焦点を当てた話なので、『優先順位』はここで終わりです。…一応、完結した話のはずなのに、引きのような仕様ですみません。

 まあ、魔界編の話は一話完結の形はとっていますが、全部を通して繋がっているので、こーなることも度々(<-全然フォローになっとりませんが)
 それはそうとして、各キャラクターによって何を最優先して行動しているのか、というのを明確化して書くのは結構面白かったです。

 でも、全員の中で一番分かりにくいのがキルバーンですね(笑)
 ウェルザーの配下で、バーンの部下として働きつつ、機会があったら暗殺をするようにとの命令を受けている。
 ……とゆーわりにはキルバーン、チャンスがあってもバーンを暗殺をしようなんて気配は微塵もなかったですよね(笑)

 ダイとの戦いの最中なんか絶好のチャンスだったにも関わらず、死んだフリしとりましたしねえ。
 で、ウェルザーを尊敬しているかと思えば、そうでもなくて悪口めいたことはゆーてるし、そのくせ、地上を無くすというバーンの目的は素晴らしいと絶賛している。

 ウェルザーの命令は聞かないといけないが、思想的にはバーンと合うんじゃないかなと思ってますが、さて、どうなんでしょうね。……ミストバーンと違って、バーンのために忠実には働いてなかったし(笑)
 
 

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