『優先順位 5』 |
「さァ〜て……どうする、魔法使いクン?」 絶対的に有利な立場に立った死神は、勝利を確信したかのような余裕を持って、ポップを見下ろしていた。 普段ならいざ知らず、魔法を封じられた上に身体の動きすらままならなくなっているポップは、完全に無力だ。 キルバーンがほんの少し手に力を込めれば、それだけでポップの命は絶たれる。それを思い知らせるため、キルバーンは決して力を入れない様に気を使いながら刃の角度を微妙に変え、ポップの刃先の鋭さを自覚させる。 人体の急所である喉に当てられた刃に、本能的な嫌悪感を感じるのか、刃が動く度にポップの身体がピクリと反応する。 「誰がてめえに向かって、命乞いなんかするもんかよ……!」 自分を殺そうとする死神をしっかと見返しながら、ポップは強気に言い返した。 「……へえ、さすがはいい度胸と言うべきかね? それともプライドが許さないのかな?」
確信を込めて、ポップはそう宣言する。それに対し戻ってきたのは、この死神にしては珍しい沈黙だった。
普段はうるさいぐらいに饒舌な男の沈黙は、かえって深い意味合いを感じさせる不気味さがある。 (迷うな! おれは間違ってなんか、ない!) キルバーンの真意……それは、ポップにとっては、この三ヵ月というものの何度となく考えさせられた問題だった。 以前、パプニカの幽閉室で出会った時、キルバーンはポップを殺そうとはしなかった。 殺そうと思えば殺すのは簡単だったはずなのに、キルバーンはあえてポップを殺そうとはしなかった。 キルバーンの残酷さや計算高さ、なおかつポップに対して個人的な恨みを持っているはずの彼が、腑に落ちない行動を取る理由――。 考え抜いた上にだしたとはいえ、証拠も保障もない推理を、ポップは揺るぎない真実であるかの様に口にする。 「おれは……、前から思っていた。 キルバーンの動きは常に気紛れな要素が強く、それだけに何を考えているか分からない不気味さがあった。 絶対の主君関係を築いていたバーンとミストバーンとは、訳が違う。 それが証拠に、キルバーンはウェルザーの望みが地上そもののだと知っていながら、バーンが黒の核晶で地上を滅してしまう計画を、阻止しようとはしなかったのだから。 むしろ主君の命令の範囲内で、不可抗力だと言い訳できる範囲で、自分の好きな様に振る舞っているとしか思えない。 「残念だったな、死神さんよ……! 今回のおまえのご主人様は、おれの死を望んではいないんだろ? だから、おまえはおれを殺さない――たとえ、おまえ自身がおれを殺したいと思っていたとしてもな。 ウェルザーの命令に逆らいはせずとも、キルバーンにはうまく立ち回って、自分の望みに近い形に持っていこうとする。 「…………………」 ポップの言葉が的を射たのか、それとも外したのか それはまったく分からなかった。 人間であれば、いきなり真実を突かれた衝撃に動揺を見せることもあるだろう。 元々が仮面を被っているだけに、顔色から表情を読むのは不可能だ。耳障りだったはずのおしゃべりが消えると、彼が何を考えているのか、まるで読めなくなる。 そんな相手に一方的に言葉をぶつけるのは、手応えがなさ過ぎて不安や空しさを感じずにはいられない。 「ネタバレしてんだから、脅しなんか時間の無駄だぜ。つまらない嫌がらせなんかやめとけよ。おれは、絶対におまえとの取引なんか受けない……!」 魔法使いにとって、人ならざるものとの契約は絶対の意味を持つ。 一度結んだ契約は、その魔法使いが生きている限り、一生続く誓約となる。それだけに、魔法と契約する際は十分な注意が必要となる。 自己犠牲呪文のように、自分の命と引き換えに発動する呪文もあるのだ。 純粋無垢で公平な心を持つ精霊と違い、魔族はもっと狡猾であり、悪辣だ。 その一人になる気など、ポップにはさらさらなかった。 わざわざ相手の要求を飲むまでもなく、キルバーンが自分に危害を加える気がないと分かっているのなら、なおさらだ。 (……当たっているのか?) 息を飲んで、ポップは沈黙するキルバーンを見つめる。 息づまるような沈黙の時間が、どれ程続いたのか……やがて、キルバーンが喉の奥でクククと笑った。 「やれやれ。利口過ぎるってのも、可愛げがないものだねえ。 死神の声が再び、軽やかに流れ出す。さっきまでの沈黙が嘘の様に、楽しげでさえあった。 「確かに、キミの言う通りさ。 まったく、どうせ魔界に来る予定があるのなら、ボクとの取引に乗ってくれれば何かと手っとり早いのにねえ」 「お断りだね! おまえらに縋るような真似なんかしなくったって、おれはダイに会いに行く」 「おやおや、気が強いことで。本当に、キミは邪魔ばかりしてくれる……! ボク個人としては、このチャンスにキミを徹底的になぶり殺しにしたいところなんだけどね……」 軽く肩を竦め、キルバーンはひょいと鎌を持ち上げてポップを開放する。 「ま、キミのお見事な推理に敬意を表して、ここは引かせていただくよ。 動けないのは変わらないものの、喉を圧迫し続けていた刃物が消えたことで、ポップは思わずホッとする。 「礼は、言わねえからな!」 「なんとまあ、ツレないことで。命を助けてもらっておいてから、恩知らずだなぁ。――ま、最初っから、どうせ期待はしていなかったけどね」 ポップの強がりを見透かしていると言わんばかりに、余裕たっぷりに振る舞うキルバーンが、癪に障ることこの上ない。 「なら、いちいち未練がましく催促してんじゃねえよ! だいたい、助けたとか貸しだとか恩を着せるぐらいなら、せめてその香炉をどっかにやりやがれ、この腐れ死神――っ!」 「だって、お礼も言われないのにサービスするのもつまんないからねえ。――それに、どうせボクがやらなくても、ナイト様達がやってくるみたいだよ?」 キルバーンのその言葉が終わるよりも早く、複数の足音が迫ってくる。 「……?!」 部屋にバタバタと倒れている人間達を見て、彼らが戸惑ったのは一瞬だけだった。すぐに、全員がそろって殺気だった視線をキルバーンにぶつけてくる。 「野郎っ、何をしてやがるんだっ?! そいつからさっさと離れろっ!」 威嚇じみた声を放ったのはヒムだが、残りの三人は無言のままでそれ以上の怒気と殺気を放って武器を身構える。 「おやおや、とんでもない言い掛かりをつけられたものだねえ。ボクは彼に指一本触れてもいないし、むしろ、魔法使いクンの命の恩人だよ? お礼を言われたっていい立場なのに、いきなり罵詈雑言とは傷ついちゃうなぁ〜」 ぬけぬけとそう言ってのけるキルバーンに、誰一人として同情の視線を向ける者はいなかった。 キルバーンがポップに指一本触れてないのは確かだが、脅しとはいえ大鎌で喉を切られそうになっては、感謝もへったくれもありはしない。 「ま、この場でキミらと戦ったところで、ボクにもなんのメリットもないし、ここはお言葉に従うよ。 陽気な言葉と共に、キルバーンの身体が壁に沈み込んで消えていく。忌ま忌ましげにそれを見やったものの、一行の関心はキルバーンよりもポップの方に向けられていた。 「おいっ?! ポップ、ポップ?! しっかりしろ!!」 倒れているポップを見て、血相を変えて抱え起こしたのはクロコダインだった。ごつごつした大きな手が自分を抱き上げるのを感じて、ポップは安心感を味わう。 やたらと心配そうに自分を呼ぶクロコダインを安心させたくて、ポップはなんとか笑顔を取り繕った。 「平気だよ。 「香? これか?!」 素早く香炉を掴むと、ヒムは何の躊躇もなくそれを窓の外に放り投げる。 多分、一番気にするであろう貴族の男は気絶したままだし、ポップにしてもざまあみろと思いこそすれ、同情する気にもならない。 「それにしてもおめえら、よく分かったな」 ヒュンケル達は別荘にさえ入れてもらえず、門の外で待っていたはずだ。 それだけに、ポップは助けが来るにしてももっとかかるだろうと半ば覚悟していた。 貴族には、自分の領地内での自治権が与えられているのだから。その中には、領地内で罪を犯した人間を国が定めた法に則って裁く権限もある。 もっとも実際に貴族がそうした場合、レオナやアバンがポップを開放する様に要求しただろうし、いずれは助かっただろう。 殺されはしないだろうが、その間はポップの身柄は拘束されたままだろうし、拷問や尋問は免れないだろうと思っていただけに、この展開は意外だった。 「ああ、さっきオレ達に襲いかかってきた連中がいてよ。ま、当然蹴散らしたんだが、それでおまえの方にもなんかあったんじゃねえかと思ってよ」 ヒムのあっさりとした説明に、他の三人もその通りだとばかり軽く頷いてみせる。 一見手っ取り早く思える解決方法だが、そもそも並の私兵にヒュンケルら4人を殺すなんてできるはずもない。 「ま、おかげで助かったけどよ。……でも、貴族に下手に手出しすると、後で面倒なことになるかもしんねえのに、またずいぶん、大胆だよな〜」 半ば呆れながらポップのその言葉に、ヒュンケル達が返したのは苦笑のみだった――。
(……分かっていない奴だ) 口には出さないが、ヒュンケル達4人の脳裏に浮かんだ言葉はそんなものだった。 もし、ポップの身に何かが起こる様なら、優先すべきは最初から決めていた。相談などするまでもなく、全員の意志は共通していたのだから。 その考えは、正式な騎士となったはずのヒュンケルさえ例外ではなかった。主君や騎士の名誉以外の理由を、重んじている。 「それより、ポップ。こいつらをどう扱う気だ」 レオナはヒュンケルを騎士に叙勲する前に、きちんとした訓練を受ける機会を与えてくれた。 ポップを拘束した貴族について、今すぐ、レオナやアバンなど信頼のおける王に連絡を取り、手を打った方がいいと分かっていた。 姿をくらまして逃げるにしても、貴族であれば一般市民ほどには身軽には動けない。 被害者の――ポップの身の安全を思えば、ここで確実に首謀者を抑え、背後関係を徹底的に洗っておいた方がいい。 そんなことは、ヒュンケルよりも宮廷生活を長く送ったポップの方が、よく知っているはずだ。 「いい。こんな奴ら、ほっといていいから、それより……おれを、遺跡に連れて行ってくれ」 「しかし、連れていくも何も、動けもしないのに……」 困惑した表情を見せる獣王に、ポップはしつこく言い募った。 「動けなくっても、問題ねえよ。呪文を使うんならともかく、魔法契約に必要なのは体力じゃねえよ。 不穏な例えにポップ以外の全員が眉を潜めたが、本人だけは気にした様子もなかった。早く移動しろとばかりに、力の入らない手でクロコダインの腕を掴む。 「だが、せめて手当てぐらいは……」 心配そうに、クロコダインが目をやった先は、ポップの首元だ。ほんの掠り傷とはいえ、喉をわずかに裂いた傷からは血が滲み出し、ポップの襟元を痛々しくみせている。 「手当ては後でやるよ。今は、この方が都合がいいからさ」 ポップのその言葉の意味を彼らが知ったのは、数分後のことだった――。 《続く》 |