『敵じゃない、味方でもない』

  
 

 それは、遠く――はるか彼方で起きた閃光に過ぎなかった。
 言ってしまえば、地上で見ている人間にとっては、それは真昼の花火の様なものだった。ましてや何も知らない者にとっては、太陽が一瞬だけ強烈に輝いただけ――それだけのことに見えただろう。

 大陸一つを吹き飛ばすはずだった超爆弾は、あまりにもあっけなく爆破した。ほんのわずかの間に一気に距離を開けた爆弾は、遠すぎたせいで爆破の轟音すら他人事の様に遠く聞こえた。

 だから、地上に残された勇者一行達の耳に強く響いたのは、爆音ではなく魔法使いの少年の叫び声だった。

「バッカヤロオォオオォ――ッ!!」

 胸を貫く、絶叫。
 口の悪さとは裏腹に、それはひどく悲痛な叫びだった。
 その声と同時に、人影が落下してくる。

 それは、ほんの少し前に起こった勇者の帰還の再現の様に見えた。
 空を飛べる能力を持っているはずの少年は、まったく飛ぼうともせずに無防備に落下してくる。

 ただ一つ違うのは、ダイは気絶していて飛べずに落下していたのに対し、ポップはそうではないという点だった。
 たった今叫んだポップは、明らかに意識はあるとしか思えない。だが、自主的に飛ぼうとしない点では、さっきのダイと同じだった。

「ポップさん?! 危ないっ、飛んでくださいっ!」

 メルルの悲鳴が、痛切に響く。その場にいた誰もが、ポップの名を叫んだ。
 輪唱の様に、響き渡る一つの名前。
 だが、ポップはまったく反応しなかった。

「ポップッ?!」

 絶叫の様な声を上げ、真っ先に走り出したのはマァムだった。
 次いで、ラーハルトが、クロコダインやその他の者達が後を追う。落下するポップを受けとめようと、必死で走る者は驚くほどに多かった。

 ヒュンケルも、その一人だった。
 ろくに動けない身体を引きずるように、それでも精一杯の速度でポップの方へ向かう。 だが、それはひどく困難な移動だった。

 もともと、ダイとポップは全速力の移動呪文で仲間から遠ざかろうとしていた。しかも荒れ狂う爆風で流されているポップの身体は、不規則な動きで落下している。
 落下地点を正確に予測するのは難しかった。

「散らばれっ! 多少の間を開けて、広がるんだっ」

 一行で最速の足を持つラーハルトが、マァムを追い抜きながらみんなに向かって指示を飛ばす。
 その意図を、全員が素早く察した。

 ポップがどこに落ちてきてもいいように、それぞれが前後数メートルに気を配りながら、落ちてくる少年を受け止められるように身構える。
 その中で、ポップがヒュンケルの近くに降ってきたのは偶然だった。

 石の様に落下してきたポップを、ヒュンケルは無我夢中で抱きとめる。それを支えきれたのは僥倖というものだろう。
 激しい戦いのせいで大きなダメージを負ったヒュンケルの身体は、普段の力などは全然出せなかった。

 ポップを地面に激突させない様に、クッションがわりになるのが関の山だった。
 それでさえ手酷いダメージを受けたが、ヒュンケルにとっては自分の苦痛などは問題外だった。

「ポップ! ポップ、聞こえているか?!」

 自分の腕の中に落ちてきた魔法使いの少年に、必死になって呼び掛ける。
 だが、ポップは返事をしなかった。
 涙にまみれたままの、大きく見開かれた目は、空ろだった。
 そもそも焦点が合っていない。

 ポップの目は、自分を覗き込むヒュンケルなど見てはいなかった。
 その目は、ただ、ただ、空を見上げている。
 ダイの姿の見えない、青い空を。

「ポップ!! 返事をしてくれ! ポップ!」

 不安に駆られて何度も揺さぶると、やっと、ポップは視線をヒュンケルへと移す。だが、その表情はいつもの彼とは大きく違った、ひどく頼りなげなものだった。

「ポップ、聞こえるか!! しっかりしろ!」

「……ヒュン……ケル……」

 ぼんやりとそう答えたポップの顔が、嫌そうにしかめられるのを見て、ヒュンケルはむしろホッとするのを味わった。
 この弟弟子が自分の自分の助け手を嫌うなどは、いつものことだ。

 どんなに嫌がられようとも、ポップを助けられればそれでいい。
 だが、かろうじて命を拾ったはずのポップは、ヒュンケルの腕を邪険に振り払った。

「離せ、よ……っ! ダイが――っ」

 それだけを呟き、ポップはヒュンケルを突き飛ばしてその反動を利用して飛び上がろうとした。
 それを、ヒュンケルは抑えることはできなかった。たかが魔法使い一人を抑えるだけの力も無く、あっさりと手を振り払われてしまう。

 空へと飛び上がるポップを掴まえようと延ばした手は、届かなかった。
 自分の手の中にいたはずの小鳥が、飛び去ってしまうのを目撃したかのような恐怖と、喪失感――。
 だが、意外なことにポップはそのまま飛んではいかなかった。

「…………っ?!」

 急に胸を押さえ、そのまま失速して地べたに落ちる。

「ポップッ?!」

 彼の名を呼ぶ悲鳴が、幾つか重なった。
 幸いにもたいした高さではなかったとはいえ、今度はポップはそのまま地面に叩き付けられた。

「う……っ、…あ……ぁあっ?!」

 落下の痛みだけとは思えない様子で苦痛にのたうつポップの側に、真っ先に駆け寄ってきたのはラーハルトだった。

 ラーハルトは地べたに倒れたポップを、抱きかかえる様にして押さえつける。それが、再びポップが空へ飛び上がるのを抑えるための行動なのは、一目で分かった。
 だが――もはや、抑えるまでもなかった。

 ひどく消耗しきったポップは、抵抗すらしなかった。
 魔法を使うどころか自力で身体を起こす力も無くし、激しい苦痛に喘いで身を震わせている。

「ポップ、じっとしていて!」

 ラーハルトより一歩遅れて駆けつけたマァムが、ポップに手を当てて回復魔法をかけ始める。
 これでポップは救われるだろうと思ったヒュンケルの思いは、見事に裏切られた。マァムの回復魔法を受けても、ポップの顔色や苦痛は少しも好転しなかった。

「……ぐぁ……っ、…う……っ、……げほ……っ」

 爪が食い込む程自分の胸を強く掴み、ポップは苦しそうに咳きこんでいる。その咳の度に、ほんのわずかとはいえ鮮血がポップの口から飛び散るのが見えた。

「ポップ君っ?!」

 遅れてやってきたレオナも続け様に回復魔法をかけるが、効果がないのは同じだった。 ここにいるメンバーの中で、最高の回復魔法を司るレオナの力でさえ、ポップを癒すことができない。

 それでも、マァムもレオナも自分の手が血に染まるのも厭わずに、何度も繰り返してポップに回復魔法をかける。
 それにまったをかけたのは、アバンだった。

「マァム、姫、それにラーハルトさんも少し離れていてください!」

 三人がサッと離れると当時に、アバンはポップの額に直接手を当てて呪文を唱える。その効力は、すぐさま現れた。

「……ぁ……」

 目を閉じ、ポップはそのまま眠りに落ちていく。苦痛に歪んだ表情はそのままだが、それでもさっきまでポップを苛んでいた苦痛は遠のいたのだろう。
 咳も止み、呻く声も消えていた。

「一時的な処置ですが、ラリホーマで眠らせました。……ポップは、今は強制的にでも休ませた方がいいでしょうから」

 そう言いながら、アバンは悲痛な表情で弟子を見つめ、次いでその目を空へと向ける。 もう一人の弟子が、姿を消した空へと。
 致命的な爆弾と共に飛び去っていった二人の内、一人だけが地上に戻ってきた意味を、誰もが今になってから噛み締めていた――。

 

 

「ポップ……。あなたは、もう……魔法を使わない方がいいでしょう」

 沈痛な表情でポップにそう告げたのは、アバンだった。
 それは、大魔王バーンとの戦いが終わってから、一週間後のこと。
 最後の決戦の時に使っていた隠し砦に戻った一行は、そこでポップの治療とダイの捜索に当たっていた。

 ダイを探すためには現場に近い場所が望ましかったし、ポップの容体が悪すぎて迂闊に動かせないのも要因だった。
 だが、ダイはいつまで経っても見つからない。
 元々、臨時の砦だけに大勢の人が長期滞在するのには向かない。

 いつまでもここにいるわけにもいかないため、ポップの復調を待って近いうちに移動する予定だった。
 その前に、大事な話があると集合をかけたのはアバンだった。

 一行の主だったメンバーの集まった病室で、アバンはまだベッドから起き上がれもしない愛弟子に向かって、そう告げた。
 真実を告げることが何よりも辛いと表情に現れているのに、そう告げることこそが自分の義務だとばかりに。

 魔法使いとしては、致命的とも言える宣告だった。だが、その話をポップは表情も変えずに聞いていた。
 顔色の変化も感じられないが、ベッドに横たわったままのポップは元々、顔色がひどく悪かったから見た目で分からないだけかもしれない。

 身体を起こすどころか、頭を持ち上げるだけの力も無いのか、ぐったりとベッドに身体を投げ出しているポップは、重病人にしか見えない。
 だが、それでもポップの声だけはしっかりとしていて、いつもの明るさを伴うものだった。

「それって――おれは、もう魔法を使えないってことですか、先生?」

 いいえと、沈痛な表情でアバンは首を横に振る。

「使える、使えないだけを問題とするのなら、今でもあなたは魔法を使うことはできますよ。ただ……あなたの身体が、自分の魔法の反動に耐えられないだけです」

 それは自分が一番よくわかっているでしょうと、アバンは優しくポップの額に触れる。普段のポップなら、そんな子供扱いされるようなしぐさに黙って従うはずもないのだが、今のポップは文句も言わなかった。

 アバンの手が心地好いとばかりに目を瞑り、素直に身を委ねている。そのらしくもない素直さが、かえって見ている者にとっては不安を感じさせる。

「特に、移動呪文の反動がひどいですね。あの魔法は、特にあなたに負担をかけるものになっています。……いいですか、命が惜しかったら決して移動呪文は唱えないでください」
 

 すでに注意ではなく、懇願の口調でアバンは弟子を諭す。
 それは、アバンがポップを診察して分かった事実だった。
 爆破や戦闘によるダメージなどではない。

 短期間の内に無理に急成長させた自分自身の魔法力と、何度となく放った強大な力を持つ禁呪の影響で、ポップの身体はもうボロボロだった。
 かろうじて生還してきたものの、その日から高熱を出して寝込んだポップはそれこそ生死の境を彷徨った。

 数日は目も離せない状態だったし、やっと意識が戻ったのも三日前のことだ。今でさえ、ベッドの上に身体を起こすのさえ難儀するような体調で、熱も引ききってはいない。
 だが、そんな状態の弟子に対して、アバンはあえて注意を与える。
 それも、全員の目の前で。

 その意図を、誰もが説明をされるまでもなく悟っていた。
 爆破の直後、体力も魔法力も空っぽの状態の時、ポップは即座にダイを探しに行こうとしたのだから。

 高熱のせいで意識が朦朧としていた最中でさえ、ポップはずっとダイを呼んでいた。
 それを思えば、意識が戻り、ある程度体力や魔法力が回復したポップが、どんな行動に出るのか予想がつくというものだ。

 だからこそ、アバンはポップが回復しきらないうちから、受け止めることさえ辛い事実を突きつける。
 ポップの意思を砕き、この先の行動に制限を与えるために。

 そして、ポップだけにではなく周囲の人間にもその意味を刻み付けるために、アバンはあえて全員が揃っているところでわざわざ注意を施していた。
 とりあえず、差し当たって命の危険があるわけではない。魔法さえ使わなければ、普通に暮らすことは充分に可能だろう。

 だが――魔法使いとしては、再起不能になったと考えた方がいい。
 淡々と、だが、かみ砕く様に丁寧にそう説明するアバンの話に、一同は沈痛な面持ちで耳を傾けていた。
 だが、当の本人であるポップだけは、他人事のような顔でそれを聞いていた。

「分かりました、先生。
 それより……ダイの捜索は、どうなっているんですか?」

 自分のことより、そちらの方がよほど気になるとばかりにそう聞くポップに対して、応えたのはアバンではなくレオナだった。

「ダイ君の捜索は、もちろん続けているわ。みんなで手分けして探しているのはもちろんだし、各国の王宮に協力を仰いで大々的にお触れも出しているの」

 いかにも彼女らしい、てきぱきとした気丈な言葉。
 だが……元気の良さとは裏腹に、その言葉はダイがまだ見つからず、何の手掛かりもないことを示しているに等しい。

 その真相を読み取れないポップではないだろうに、彼はそれ以上に詳しくは聞こうとしなかった。

「そっか……」

 ぼんやりと見上げられた目は、窓の外の空へと向けられている。
 そこに広がる空は、皮肉なぐらいに青かった。
 秋特有の澄んだ空気に相応しい、抜ける様な青さを持つ空だ。だが、その空がポップにとっては決していい意味には映らないであろうことは、ここにいる全員が承知している。


「本格的な捜索は、明日、パプニカに戻ってから人手と時間を募って行う予定よ。どんなに時間が掛かっても、必ずダイ君を見つけてみせる……!
 だから、ポップ君は安心して、体調が戻るまで休んでいてね。
 あなたやヒュンケルがゆっくりと療養できるように、パプニカ城に部屋を用意させてあるの」

 少しでもポップの気を引き立てようと、必死になって前向きな態度を見せるレオナの努力は、かえって痛々しいもののように映る。
 なにしろポップを励まそうとしている彼女自身が、ダイの喪失に深く傷ついているのだから。

 それが分かるせいか、ポップはヒュンケルの名を聞いた時に嫌そうに顔をしかめたものの、いつものように文句を言いはしなかった。

「気ぃつかってくれて、ありがとよ、姫さん。けどさ――悪いけど、しばらく一人にさせてくんないかな?」

 それは助かって以来、ポップが初めて口にした頼みごとだった。それを撥ね除けることは、誰にもできなかった。
 親友との別離に、身体の不調、魔法を使えないという宣言……短期間のうちにポップが味わったショックの数々を思えば、尚更だ。

 一応は容体が安定したこともあり、傷心のポップが一人になる時間を望むのならば、叶えてやりたいと思う。

「分かったわ。移動は明日になるから、それまでゆっくりと休んでいてね、ポップ君」

 ポップの邪魔をしない様に、そっと部屋を出ていく一同は気がつかなかった。うちひしがれた様に肩を落としているはずの魔法使いの少年が、こっそりと口許に笑みを浮かべていたことに――。

 

 


「おっちゃん、ありがとうな! ホント、助かったよ」

「なぁーに、いいってことよ。どうせ、ついでだしな。じゃ、気をつけて行けよ」

 そんな会話を交わしながら山の様に作物を積み上げた馬車から飛び下りた旅装束の少年に、誰も目を留めなかった。

 季節は、秋。
 収穫期ともなれば作物を馬車に積んで運ぶ農民の姿は珍しくもないし、それに便乗して荷台に乗せてもらう旅人も、少なくはない。

 荷物と一緒に乗ることになるし、乗り合い馬車に比べて格段に乗り心地も悪ければ速度も遅いとは言うものの、自分で歩くよりもずっとに楽に移動できるし、礼金が安くてすむ。 行く先は自由にはならないが、市場と自分の農場を往復する荷馬車の数は無数にある。複数の荷馬車に交渉すれば、自分の行きたい方向へと移動するのはそう難しくはない。

 足弱で体重の軽い女子供が旅をする場合には、よく使われる方法だ。
 だからこそ、彼を荷馬車に便乗させた農民達は誰一人として気付かなかった。
 黒髪に黄色のバンダナを巻いた、どこにでもいそうな平凡な少年が、実は世界を救った勇者一行の魔法使いだとは。

 ポップが着ている緑色の旅人の服は生地こそは上質ではあるが、魔法使いだけでなく普通の旅人もよく着る程度の代物にすぎない。
 そして、魔法使いの証しとも言える魔法の杖は腰の後ろに差しているだけに、マントに隠れて見えはしない。

 そのせいで、今のポップはどこにでもいるような普通の旅人にしか見えない。
 年齢的に一人旅をするには若すぎるとは言え、それ程不自然とも言えないだろう。

(思ったより、順調だったよなー)

 そう考えながら、ポップは西の方角に向かって歩を進める。
 カールの砦で寝込んでいた時から、ポップはずっと収穫期の荷馬車を利用して旅立つ方法を考えていた。

 砦に食料を配送にくる荷馬車にこっそりと隠れて乗り込み、後は西に向かう荷馬車と交渉を繰り返し、半日かけて距離を稼いだ。
 今頃、レオナ達にポップの脱走がバレたかもしれないが、まだ追っ手が来ないのならば行く先の手掛かりは掴めていないと見ていい。

 何台もの荷馬車で少しずつ方向をずらしながら移動した自分の足取りを掴むのは、相当に難しいはずだ。

(姫さんやみんな、怒ってるかな……)

 仲間達に余計な心配をかけたかもしれないことが少しばかり心残りだったが、ポップは足を止めはしなかった。
 アバンに言われるまでもなく、自分が移動魔法を使えなくなったことは、自覚していた。今まで自由に使えていたものが突然、不自然に途切れた様な感覚がある。

 仲間達が自分を心配してくれている気持ちも、痛い程理解できる。
 だが、だからと言って、ポップは諦める気など微塵もなかった。
 ダイに蹴り落とされたと分かった時から、もう、とっくに決めていたのだ。

 絶対にダイを見つけてやる、と。
 ロン・ベルクから、ダイは生きていることだけは聞いた。
 しかし、ダイがどこにいるのか分からないままなのに、おちおち休んでなどいられるはずがない。

 先頭に立って、ダイを探さずにいられない。
 だが……今の自分の体調では、周囲がそれを許さないだろうことは分かっている。
 それでも、パプニカの城でお姫様よろしく大切に守られて静かにしている気など、毛頭ない。


 体調はまだ完璧とは言い難いが、魔法さえ使わなければ普通に動くことはできる。それに、移動魔法以外ならば一応使えることはすでに確認済みだった。
 もっとも、以前と同じように、と言うわけにはいかない。

 魔法を使うとひどい消耗を感じるので、使う際は相当の注意が必要になるだろう。魔法を使う時は、その後で手酷い反動を受けると自覚を持ち、よほどの時以外は封じておくしかなさそうだ。

 かなりの悪条件なのは認めるが、それでもポップはダイを探すために自分で動きたいと思った。
 本来なら仲間を説得し、決して無理はしないと安心させてから旅立つのが筋だと思いもしたが、そのための時間さえ惜しかった。

 説得に失敗し、旅立てない様に邪魔されるのを恐れて、ポップは置き手紙一つを残してこっそり旅立つ道を選んだ。
 急き立てられるような思いのままに、ポップは日暮れにもかかわらず町を脱して西へと向かうことに専念する。

 アバンと長く旅をしてきたポップは、野宿には慣れている。
 宿屋で身体を休めるより、少しでもダイに向かって近付きたいと思う気持ちが強かった。 賑やかな市場を抜け、町外れへと向かう――ほとんど人も疎らな地点までやってきてからポップはやっと気がついた。

 自分から少し距離があるものの、だが一定の間隔を置いてついてくる戦士の姿に。もし、それがごく普通の男だったとしたら、この先の旅のことで頭がいっぱいになっているポップも、偶然だと見逃したかもしれない。

 しかし、その戦士はやたらと目立ち過ぎた。
 長身で、人を振り返らせるほど美形の、銀髪の戦士。
 あまりにも見覚えのあり過ぎる戦士――彼を認識した途端、ポップは怒鳴りつけていた。


「な……っ、ヒュンケルッ?!」

 見慣れた仲間の姿を見出だし、戦慄じみた恐怖と共に困惑がポップを襲う。
 旅立ちがバレた場合のリスクを、ポップは当然考えていた。
 その場合は、ポップが抵抗しても無理やりにでも連れ戻されるだろうし、レオナやアバンの監視はより厳しくなるだろう、と。

 追っ手としてくるだろう仲間の中でもっともポップが嫌だと思い警戒したのは、ヒュンケルの存在だった。
 気配を察知する能力が高いヒュンケルやアバンが、荷馬車に隠れている自分の存在に気付くのではないかと、砦から逃げる時にポップはずいぶんとヒヤヒヤしたものだ。

 ヒュンケルも身体を壊し、療養を薦められている体調ではあるが、それでも戦士である彼とポップでは基礎体力がまるで違う。
 いざ見つかったのなら、魔法を使わない限り取り押さえられるのは目に見えている。
 よりによってそいつが追ってきた事実に、怯えずにはいられない。

 だが、疑問なのはなぜ、彼が自分を掴まえようとしないか、だ。偶然、ここにいたなど考えられない以上、ヒュンケルが自分の後をつけてきたとしか思えない。
 収穫期の荷馬車は重荷を積むせいで、人間が歩く程度の早さでテクテク進むのが普通だから、成人男性程度の脚力があれば追ってくるのも可能だろう。

 しかし、ヒュンケルがそんな真似をする理由がポップには分からなかった。
 自分を連れ戻すのが目的なら、もっと早い段階で止められたはずだ。
 ヒュンケルは何を考えているのか分からない無表情さで、ただ、黙ってじっとこちらを見ているだけだ。

 その居心地の悪さに、先に痺れを切らしたのはポップだった。腰に差した魔法の杖を引き抜いて、威嚇する様に身構える。

「なにしに来やがったんだよっ、ヒュンケルッ?! 言っとくけどな、おれは絶対に戻らないからなっ!」

 いつでも魔法を放てる姿勢で身構えるポップに、ヒュンケルは警戒するどころか眉一つ動かさなかった。
 その超然とした態度が、ポップの癪に障る。

 彼が持っているのは、兵士が持つ様なありふれた剣のみだ。
 ラーハルトの魔槍ならばともかく、そんな剣だけでポップの魔法が防げるはずがないと、ヒュンケルにだって分かっているはずだ。
 だが、彼は怯えた様子一つ、見せはしなかった。

「オレは、お前の敵になる気はない」

 淡々とした言葉をいいながら、ヒュンケルは争う気がないと証明する様に、軽く両手をあげて見せる。
 剣を掴むのに後手を踏む姿勢を取りながら、彼はどこまでも落ち着き払っていた。

「おまえの旅立ちを止める気なら、姫か先生にでも知らせて無理やりにでも止めた」

 警戒するポップにさえ、その理屈は納得できる。
 ポップの旅立ちを阻止したいのなら、砦から逃げ出そうとした段階でみんなで抑えるのが一番効果的だ。
 それだけに、ヒュンケルがそうしなかった理由が分からない。

「ならっ、なんでそうしなかったんだよっ?!」

「止めても無駄だと思ったからだ」

 淡々と、ヒュンケルはそう言った。
 ごく当たり前のことを、言う口調で。

「誰が、どんなに止めたとしても、おまえはダイを探しに行く……そう思った。
 違うか?」

「………………」

 兄弟子の言葉に、ポップは返事をしなかった。
 答える必要もない程、それはポップの本音に他ならないから。誰にも言わなかったのに、それを理解してくれたヒュンケルに対して、ポップはほんのわずかだけ構えていた杖の切っ先を下ろす。

「……見逃してくれる、っていうのか?」

 いくぶん癪に障るものの、そうされるのはポップにとっては願ってもない話だ。
 だが、ヒュンケルは頭を振った。

「賛成する気もないから、味方でもないな」

「は?」

 ヒュンケルの言っていることが理解できず、思わず間の抜けた声を上げるポップに対して、兄弟子は淡々と続ける。

「見逃しにすることは、できない。だから、見ていようと思った。それだけだ」

「はぁあ?!」

 思いも掛けない方向に達していた兄弟子の結論に、ポップはさらに間抜けな反応をしてしまう。
 だが、ヒュンケルはそれで話がすんだとばかりに、黙り込んでしまう。

 正直、こんな反応は想定外だ。
 無理やり連れ戻される様なら、最悪力づくでも抵抗しようと思っていたし、理詰めで説得される様なら徹底反論する気もあった。

 だが、自分の行動を邪魔はしないし、仲間にも教えはしない。それでいて、ついてきて自分を見ている――まさか、そんな形で行動する者が現れるだなんて、想像すらもしていなかった。

(こ、こいつを、どうすりゃいいんだ?!)

 咄嗟に思考を巡らせるものの、大魔王バーンにさえその頭脳を認められたポップにも、有効な対策は見つけられなかった。
 いくらなんでも無抵抗の仲間に対して、攻撃魔法をぶつけて始末すればいいだなんて思えない。

 それに、日常生活には不自由がないとは保障されたものの、ヒュンケルの身体は戦士としては再起不能と宣言されている。
 正直、それで旅をしようなんて無茶な話ではないかと思ったが……それは、ポップに言えた義理でないだろう。

 ポップ自身が、自分の体調を理由に旅を諦めるのを良しとはしなかった様に、ヒュンケルも自分の体調を理由に旅を止めるとは思えない。
 仲間なだけに、ポップはヒュンケルの頑固さや律義さもよく承知している。説得で追い返せる相手とも思えないし、かといって仲間の助け手を借りるなど論外だ。

 ヒュンケルの旅立ち以上に、ポップの旅立ちの方を咎められ、止められるに決まっているのだから。
 さんざん考えても、いい考えは浮かばない。

 それなのに、ヒュンケルの方はもう思い残すことはないとばかりに、涼しい顔をしてじっとしているだけなのが、非常にムシャクシャする。

(なんだって、おれがこいつのことなんかでこんなに悩まなきゃいけねえんだっ?! だいたい、こんな暇なんかあったら一刻も先に進みたいってえのに!)

 八つ当たり気味にそう思い、ポップは自棄っぱちの様に怒鳴りつけた。

「……もう、勝手にしやがれ!」

 そう怒鳴るなり、踵を返して西に向かい出すポップを、ヒュンケルは本当に止めなかった。
 だが、同じ方向に進んでくる。

「ああ、勝手にさせてもらう」

 

 


 もう、魔法を使わない方がいいと診断された魔法使いと。
 もう、剣を使わない方がいいと診断された戦士。
 二人の旅は、こうして始まった――。
                                    《続く》


《後書き》
 うちのメインルートとは違う、もう一つのダイ捜索ストーリーです。
 原作最終回のあの爆破の後の話は、いくつかのパターンを考えていたんですよ。
 その中で一番最初に思いついたのは、実はポップとヒュンケルが組んで旅に出るという話でした。

 まあ、その後、あれこれ考えた揚げ句、今の2年後魔界編が一番気に入ったんで、あっちをメインルートとして考えていますけど。
 が、微妙に違う設定の話を幾つ書くのも自由なところが、二次創作ならではの醍醐味だと思って、挑戦してみることにしました!

 こちらでは、ポップの魔法制限はよりひどく、またヒュンケルの身体も連載終了時のままという設定での旅となっております。

 ところで最初に宣言しておきますが、ポップとヒュンケルの旅ではありますが、決してヒュンポプではありません(笑)
 あくまで、不器用な兄弟子と意地っ張り弟弟子の旅なのです。
 
 

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