『ついて来るなよ!』 |
「…………………」 後方を振り向いたポップは、露骨に眉をしかめて思いっきり睨みつける。 ヒュンケルは測ったように正確に、ポップから数メートルの距離を置いてついてくる。 (まったくあの野郎め、どこまでついてくる気だよ?!) 勝手にしろと怒鳴った手前、放っておいてはいるものの、文字通りヒュンケルは勝手についてくる。 いっそ、魔法を使って振り切ってやろうかと、何度思ったかしれない。移動系の呪文が使えるなら、当の昔に実行していただろう。 手加減した魔法が聞くとも思えないし、かと言ってある程度以上強い魔法ともなればさすがに気が引ける。 「くそっ」 何度目かの舌打ちをしながら、ポップは額の汗を拭う。 暑さに耐え兼ねて、ポップは街道の脇に生えている木の下で足を止めた。荷物ごと身体を投げ出すように、そのまま木の根元に座り込む。 「ふう……っ」 じりじりと照り付ける直射日光から開放されて、ポップは大きく息をつく。葉が日差しを遮ってくれる木陰は、他の部分よりもわずかに気温が低いせいか心地好い。 無理を押してまで暑い時間帯を歩くより、いっそ夜に歩いた方が効率がいいかもしれない――ふと、ポップはそう思う。 どうせ、次の町に辿り着くまでは数日はかかりそうな上に野宿の予定なのだから、休憩時間にこだわる理由もない。 (アレは、断じて連れじゃねーし!) と、ポップはまたも後方を見やる。 先を行くポップが歩調を緩めればヒュンケルもそうするし、足を止めればヒュンケルもまたその分だけ足を止める。 今もヒュンケルは、木陰からわざわざ離れた場所で立ち止まっている。 だが……、一般的に見れば不審者そのものの行動を取っているくせに、その姿が不思議なくらいに様になっているのが美形の利点というべきか。 (ちぇっ、あいつめ……!) うっとおしいから半径5メートル以内に近付くな そう言ったのは、確かにポップだった。 どんなについてくるなと言っても聞かなかったくせに、ヒュンケルは変な点では妙に従順だった。 腹立ち紛れに言ったポップの適当な言葉を、生真面目に守っているのは感心するべきなのか、呆れ果てるべきなのか。 しばらくそうやっていたポップの耳に、複数の人間の足音が聞こえてくる。そのまま通り過ぎるかと思った足音は、ポップの前でぴたりと止まった。 「よお、坊や、一人旅かい?」 かけられた言葉そのものが、不快だったわけではない。 大抵の人間は、獣や怪物、盗賊などを警戒して数人以上で組んだり、護衛の傭兵を雇って旅をするのが普通だ。 顔をしかめたのは、言葉ではなく声にこめられたあからさまな嘲りの響きのせいだった。 目を開けると、人相の悪い4、5人の男が自分をとりかこみ、ニヤニヤと笑っているのが見えた。 「その年で一人旅とは、えらいね〜。でもよお、こんなご時世にお子様が一人でウロウロしていたりしちゃ、危ないよ〜」 「そうそう。いつ、どこで悪いオジサン達に会うか、分かったもんじゃねえしなァ」 言葉面だけ聞けば親切と言えなくもないが、男達の面相や態度と合わせて見れば、その目的は明白だった。 「……やれやれ、分かりやすい連中だよなー」 「……?!」 全然、自分達を恐れる様子を見せない少年に、男達の表情が訝しげなものに変わる。 「おい、オッサンら。言っておくけど、おれ、金目のものなんかぜーんぜん持ってないから。暑くて相手をするのも面倒だし、どっかに行ってくれよ」 「なんだとぉ……っ?!」 男達が色めき立つのも無理はない。 それがまったく効かない少年を前にして、男達の顔つきが変わってくる。今までのどこかふざけた表情に、険しさが増した。 「いい度胸だな、このクソガキ……っ。痛い目を見たいってわけか?」 手に持っていただけの武器を身構える男達を見ても、ポップはびくともしなかった。 「冗談じゃねえよ、どっちが痛い目を見ると思ってんだか」 ほとんど鼻で笑うような調子でそういうと、ポップは野良犬でも追い払うようなしぐさで、しっしと手を払う。 「いちおー、オッサンらのためにも言ってやってんだぜ? 余分な怪我をしたくなきゃ、今すぐどっかに行った方がいいって」 当然のことながら、ポップのその口調と態度に男達が従うはずもない。 「ふん、大きな口を叩くガキだぜ。自分の立場がまだ分かっていねえようだな」 「金目のものがないなんて嘘で、オレ達が引き下がるとでも思ったのか? 所詮はガキの浅知恵だな」 「金なんかなくっても身ぐるみ剥げば、幾らかにはなるだろ。いやいや、それともいっそてめえを売り飛ばした方が儲かるかもしれねえな」 「違えねえな。口は悪いが、体付きは華奢だし、案外面も悪くねえじゃねえか。その手の趣味の奴なら、喜んで買うだろうぜ」 舐めるような視線をポップに向けながら、男達がじわじわと迫ってくる。 「なっ?!」 驚いた声を上げた男が状況を把握するよりも早く、二撃目、三撃目が彼らを襲う。自分達が殴りとばされたのだと彼らが気がついたのは、すでに3人が吹っ飛ばされて目を回しかけた後だった。 あんぐりと口を開けたままその光景を見やる男の前で、ギロリと目を光らせたのは長身の戦士だった。 「な、なんで、あんたが……?!」 てっきり、何の関係もない通りすがりの旅人だと思い込んでいた。 よほど正義感が強いか、腕に覚えがある者でもなければ、見知らぬ旅の少年が盗賊に襲われそうになっても、知らん顔をするのが普通だ。 見て見ぬふりをしてやり過ごす気だと決め込んでいただけに、まるっきり油断していた相手から攻撃された驚きは大きかった。 青年の動きは、必要最小限とでもいうべき少なさだった。彼は軽く殴っただけにしか見えなかったのに、盗賊らは渾身の力で殴られたように大きなダメージを受け、倒れている。 あまりにも大きすぎる実力差に、呆気に取られているだけの盗賊に向かって、青年はさりげなく立ち位置を変える。 「……一度だけ、言ってやろう。こいつに手を出すようなら、容赦はしないぞ」 自分の身を壁にして、少年を守るように立ちはだかると、剣のある目を向けてくる。その目の鋭さが、身構えるその姿勢が、青年がくぐり抜けてきた修羅場を物語っていた。 どうやら、手を出してはいけない相手に、手を出してしまったらしい、と――。 「あーあ。だから、忠告してやったのにさ」
(まったく、馬鹿な連中だよな〜。あんな化け物相手に勝てるわけないって、一目見りゃ分かるじゃん) あくび混じりに、ポップは目の前で繰り広げられる乱闘を見ていた。
最小限の力で、最大の効率をあげる戦いをこなしてきた経験は、伊達ではない。 (普段は何にも言わねえくせに、手を出す時だけは早いんだからよ) ヒュンケルの行動が自分を庇うためのものだとは、ポップにも分かっている。 その気持ちが強いせいで、ポップはヒュンケルが盗賊達を追い払ったのを見ても、素直に礼を言う気にはならなかった。 「……礼なんか、言わないからな。おれが頼んだわけじゃねえし、第一、あんな奴等なんかおれ一人だって、なんとでもできたさ」 それどころかつい憎まれ口が先に出てしまうが、ヒュンケルは気にした様子もない。 「ああ、礼などいらない。オレが勝手にやったまでのことだ」 ぶっきらぼうな言葉だが、言外に気にするなと言うその態度……それが、また、ポップにとっては癪に障る。 それに――ポップ自身が、一番よく分かっている。 魔法使いであるポップは、肉体的には普通の人間と全く変わりがない。おまけに年齢や外見のせいで、ポップは常に実力より下に見られる傾向がある。 相手に脅しをかけるのであれば、実際に魔法を使って見せなければならない。――魔法を使えばそれだけでダメージになるポップにとっては、本末顛倒な話だ。 多少は武術を齧った者ならなおさらだが、戦いに関してはずぶの素人であったとしても、彼の鍛え抜かれた肉体や気迫には脅威を感じるだろう。 どんなに強がったところで縮められない差や、庇われた事実が分かるだけに、ポップの苛立ちは収まらない。 (まだ、恩にでも着せられりゃ、言い返せるのによ) 八つ当たりとは知りつつ、ポップはそう思わずにはいられない。 「おい、待てよ。日射病になりたいのかよ、バカ! 休むなら、日陰で休んでいりゃいいだろ」 そう言った時の、ヒュンケルの様子は見物だった。 「……しかし、いいのか?」 (まったく、こいつときたらどこまでバカ律義なんだか!) 舌打ちしたい気持ちで、ポップはヒュンケルを睨み返す。 「言っとくけどな、ここでだけだぞ! そう言うと、ヒュンケルは少し黙り込んだ後、わずかに遠くを見やるような視線になった。 「――そういえば、昔、先生に習ったな」 「おれもだよ。一人でも多くの旅人が休めるように、日差しや雨を妨げるよう枝を大きく広げて成長する木を選ぶもんだって、習ったや」 ポップもまた、アバンに習った時のことを思いだしながら、それがヒュンケルの知っている記憶と同じものだと確信していた。 長期間旅をしながら教育を受けた弟子という共通点があるせいか、他の兄弟弟子よりも旅の知識は共有できる。 アバンに習った、旅の知識の一つ――街道の木の下ではいざこざは厳禁とされている、古い習慣。 現に、盗賊達は木の下にいたポップを襲ってきたのだから。 「…………」 無言のままだが、木を挟んで反対側にヒュンケルが腰を下ろしたのを感じて、ポップはどこかホッとするのを感じた。 その安心感が、眠気を誘う。 「……ついて来るな…よ……」
「悪いが、それだけは聞けないな」 《後書き》 |