『ついて来るなよ!』


 

「…………………」

 後方を振り向いたポップは、露骨に眉をしかめて思いっきり睨みつける。
 その視線に気がつかないはずがないだろうに、ヒュンケルは動じた様子すら見せなかった。表情もペースすらも崩さないまま、黙々と歩いているだけだ。
 

 ヒュンケルは測ったように正確に、ポップから数メートルの距離を置いてついてくる。
 その態度が癪に障って、ポップは舌打ちする。それが聞こえない距離でもないのに、ヒュンケルは無反応だ。
 ――だが、それでいて、ヒュンケルは確実にポップの後を追って来る。

(まったくあの野郎め、どこまでついてくる気だよ?!)

 勝手にしろと怒鳴った手前、放っておいてはいるものの、文字通りヒュンケルは勝手についてくる。
 別にポップの行く手を遮ったり話しかけてくるわけではないが、後を延々とついてこられるのは、正直かなりうっとおしかった。

 いっそ、魔法を使って振り切ってやろうかと、何度思ったかしれない。移動系の呪文が使えるなら、当の昔に実行していただろう。
 が、残念なことに今のポップには移動系の魔法は負担が大きすぎて使えなくなっているし、攻撃魔法を叩き込むには考え物だ。

 手加減した魔法が聞くとも思えないし、かと言ってある程度以上強い魔法ともなればさすがに気が引ける。
 結局のところ、放っておくしかない事実が余計にポップを苛つかせていた。

「くそっ」

 何度目かの舌打ちをしながら、ポップは額の汗を拭う。
 初秋の昼間は、暖かいというよりはともすれば暑いと言った方がいいような感覚だった。 薄手の簡易服を着て室内にいるならともかく、完全防備の旅装束を着込んだ身で街道を歩くには、いささかきつい。

 暑さに耐え兼ねて、ポップは街道の脇に生えている木の下で足を止めた。荷物ごと身体を投げ出すように、そのまま木の根元に座り込む。
 水筒の水を一口飲むと、心の底からホッとできた。喉の潤いと共に、心も潤う様だ。

「ふう……っ」

 じりじりと照り付ける直射日光から開放されて、ポップは大きく息をつく。葉が日差しを遮ってくれる木陰は、他の部分よりもわずかに気温が低いせいか心地好い。
 歩いている時は熱風と感じていた風さえもが、涼風として体感できる。

 無理を押してまで暑い時間帯を歩くより、いっそ夜に歩いた方が効率がいいかもしれない――ふと、ポップはそう思う。
 夜の旅は危険とはいえ、山道ならばともかく、行く手は見晴らしのいい街道だ。しかも月は満月に近い。

 どうせ、次の町に辿り着くまでは数日はかかりそうな上に野宿の予定なのだから、休憩時間にこだわる理由もない。
 連れがいるなら考えたかもしれないが、今のポップは気楽な一人旅の身の上だ。――一応は。

(アレは、断じて連れじゃねーし!)

 と、ポップはまたも後方を見やる。
 勝手に行くのなら追い抜いて好きな所に行けばいいものを、ヒュンケルはどこまでもポップの後をついてくることに執着している。

 先を行くポップが歩調を緩めればヒュンケルもそうするし、足を止めればヒュンケルもまたその分だけ足を止める。
 本来ならヒュンケルの方が足が早いにもかかわらず、頑なにそうし続けているのだ。

 今もヒュンケルは、木陰からわざわざ離れた場所で立ち止まっている。
 休むにはどう見ても不向きな道に、佇んでいるのだから不自然極まりない。

 だが……、一般的に見れば不審者そのものの行動を取っているくせに、その姿が不思議なくらいに様になっているのが美形の利点というべきか。
 それを見て、ポップは微妙に苛つくのを感じてしまう。

(ちぇっ、あいつめ……!)

 うっとおしいから半径5メートル以内に近付くな  そう言ったのは、確かにポップだった。
 が、まさかここまでヒュンケルが律義にもそれを守るだなんて、思いもしなかった。

 どんなについてくるなと言っても聞かなかったくせに、ヒュンケルは変な点では妙に従順だった。
 ついてくるなという最大要求は無視するくせに、それ以外の文句には呆れるほど律義に従っている。

 腹立ち紛れに言ったポップの適当な言葉を、生真面目に守っているのは感心するべきなのか、呆れ果てるべきなのか。
 とりあえず、ヒュンケルにも見えるように大袈裟に外方を向き、ポップは目を閉じてパタパタと手を団扇代わりに自分を扇ぐ。

 しばらくそうやっていたポップの耳に、複数の人間の足音が聞こえてくる。そのまま通り過ぎるかと思った足音は、ポップの前でぴたりと止まった。

「よお、坊や、一人旅かい?」

 かけられた言葉そのものが、不快だったわけではない。
 悔しいことに、ポップの年齢では子供に見られるのは当たり前だし、そもそも一人で旅をする旅人は稀だ。

 大抵の人間は、獣や怪物、盗賊などを警戒して数人以上で組んだり、護衛の傭兵を雇って旅をするのが普通だ。
 そんな中で、ポップの年齢で一人旅をしていては目立って当然だろう。アバンについて旅をしていた頃でさえ、見知らぬ人にさんざんそう言われたのだから。
 だから、そう言われただけでは別にポップは不快も怒りも感じはしない。

 顔をしかめたのは、言葉ではなく声にこめられたあからさまな嘲りの響きのせいだった。 目を開けると、人相の悪い4、5人の男が自分をとりかこみ、ニヤニヤと笑っているのが見えた。
 それぞれが手に武器を持ち、わざとらしくそれでトントンと肩を叩いたりしてる。

「その年で一人旅とは、えらいね〜。でもよお、こんなご時世にお子様が一人でウロウロしていたりしちゃ、危ないよ〜」

「そうそう。いつ、どこで悪いオジサン達に会うか、分かったもんじゃねえしなァ」

 言葉面だけ聞けば親切と言えなくもないが、男達の面相や態度と合わせて見れば、その目的は明白だった。
 普通の旅人が今のポップの立場に追い込まれたのなら、顔色を変える場面だ。
 が、ポップは怯えた様子を見せるどころか立とうとさえせず、呆れたように呟いた。

「……やれやれ、分かりやすい連中だよなー」

「……?!」

 全然、自分達を恐れる様子を見せない少年に、男達の表情が訝しげなものに変わる。
 それが怒りの表情になったのは、ポップの次の言葉を聞いた時だった。

「おい、オッサンら。言っておくけど、おれ、金目のものなんかぜーんぜん持ってないから。暑くて相手をするのも面倒だし、どっかに行ってくれよ」

「なんだとぉ……っ?!」

 男達が色めき立つのも無理はない。
 大体、盗賊なんてものは、半分以上が最初のハッタリが勝敗を分ける。
 旅人を脅しつけてなんぼの商売だ。

 それがまったく効かない少年を前にして、男達の顔つきが変わってくる。今までのどこかふざけた表情に、険しさが増した。

「いい度胸だな、このクソガキ……っ。痛い目を見たいってわけか?」

 手に持っていただけの武器を身構える男達を見ても、ポップはびくともしなかった。

「冗談じゃねえよ、どっちが痛い目を見ると思ってんだか」

 ほとんど鼻で笑うような調子でそういうと、ポップは野良犬でも追い払うようなしぐさで、しっしと手を払う。

「いちおー、オッサンらのためにも言ってやってんだぜ? 余分な怪我をしたくなきゃ、今すぐどっかに行った方がいいって」

 当然のことながら、ポップのその口調と態度に男達が従うはずもない。

「ふん、大きな口を叩くガキだぜ。自分の立場がまだ分かっていねえようだな」

「金目のものがないなんて嘘で、オレ達が引き下がるとでも思ったのか? 所詮はガキの浅知恵だな」

「金なんかなくっても身ぐるみ剥げば、幾らかにはなるだろ。いやいや、それともいっそてめえを売り飛ばした方が儲かるかもしれねえな」

「違えねえな。口は悪いが、体付きは華奢だし、案外面も悪くねえじゃねえか。その手の趣味の奴なら、喜んで買うだろうぜ」

 舐めるような視線をポップに向けながら、男達がじわじわと迫ってくる。
 だが、それでもポップは立ち上がろうとさえしなかった。自分に向かって伸ばされる手を、避けようとさえしない。
 が、その手がポップに触れる前に、男の身体そのものが真横に吹っ飛んだ。

「なっ?!」

 驚いた声を上げた男が状況を把握するよりも早く、二撃目、三撃目が彼らを襲う。自分達が殴りとばされたのだと彼らが気がついたのは、すでに3人が吹っ飛ばされて目を回しかけた後だった。

 あんぐりと口を開けたままその光景を見やる男の前で、ギロリと目を光らせたのは長身の戦士だった。
 見るからに剣呑な雰囲気を宿したその戦士は、盗賊連中が狙いをつけた少年から数メートル離れた場所にいた青年だった。

「な、なんで、あんたが……?!」

 てっきり、何の関係もない通りすがりの旅人だと思い込んでいた。
 男達が少年を取り囲んでも、まったく関心がないかのように黙って立っているだけの戦士を、彼らは見掛け倒しの木偶の坊だと判断していた。

 よほど正義感が強いか、腕に覚えがある者でもなければ、見知らぬ旅の少年が盗賊に襲われそうになっても、知らん顔をするのが普通だ。
 他人のことなど構うよりも、自分自身の安全を優先する  それはごく当たり前のことだろう。

 見て見ぬふりをしてやり過ごす気だと決め込んでいただけに、まるっきり油断していた相手から攻撃された驚きは大きかった。
 しかも、受けたダメージはそれ以上だ。

 青年の動きは、必要最小限とでもいうべき少なさだった。彼は軽く殴っただけにしか見えなかったのに、盗賊らは渾身の力で殴られたように大きなダメージを受け、倒れている。 あまりにも大きすぎる実力差に、呆気に取られているだけの盗賊に向かって、青年はさりげなく立ち位置を変える。

「……一度だけ、言ってやろう。こいつに手を出すようなら、容赦はしないぞ」

 自分の身を壁にして、少年を守るように立ちはだかると、剣のある目を向けてくる。その目の鋭さが、身構えるその姿勢が、青年がくぐり抜けてきた修羅場を物語っていた。
 チンピラに毛の生えた程度の彼らにでさえ、はっきりと分かる剣呑な雰囲気に、ようやく彼らは自分のしでかした愚を悟る。

 どうやら、手を出してはいけない相手に、手を出してしまったらしい、と――。
 青ざめる盗賊らの目の前で、青年の背に守られた少年が、妙に悪戯っ子じみた顔で笑っているのが見えた。

「あーあ。だから、忠告してやったのにさ」

 

 

 

(まったく、馬鹿な連中だよな〜。あんな化け物相手に勝てるわけないって、一目見りゃ分かるじゃん)

 あくび混じりに、ポップは目の前で繰り広げられる乱闘を見ていた。
 というより、それは戦いやケンカと呼ぶのさえ憚られるような、一方的なものだ。自棄っぱちになったようにヒュンケルに襲いかかる盗賊達だが、実力の差は歴然としている。


 戦士として再起不能を言い渡されたとは言え、今のヒュンケルは一般人から見れば十分以上に強い存在だ。
 全身の筋組織がずたずたになったとはいえ、ヒュンケルには長年培ってきた戦士としての技の記憶がある。

 最小限の力で、最大の効率をあげる戦いをこなしてきた経験は、伊達ではない。
 実際、旅に出てからというものの、ポップは何度となくヒュンケルがこうやって戦うのを見てきた。ポップが魔法を使うまでもなく、ヒュンケルが番犬よろしくしゃしゃり出てきて、盗賊だの怪物を蹴散らしてくれる。

(普段は何にも言わねえくせに、手を出す時だけは早いんだからよ)

 ヒュンケルの行動が自分を庇うためのものだとは、ポップにも分かっている。
 だが、そうと分かっていても、なんともムカつくのは止められない。一方的に守られる立場というのは、ポップにはどうにも馴染まない。

 その気持ちが強いせいで、ポップはヒュンケルが盗賊達を追い払ったのを見ても、素直に礼を言う気にはならなかった。

「……礼なんか、言わないからな。おれが頼んだわけじゃねえし、第一、あんな奴等なんかおれ一人だって、なんとでもできたさ」

 それどころかつい憎まれ口が先に出てしまうが、ヒュンケルは気にした様子もない。

「ああ、礼などいらない。オレが勝手にやったまでのことだ」

 ぶっきらぼうな言葉だが、言外に気にするなと言うその態度……それが、また、ポップにとっては癪に障る。
 まるで、自分が子供じみた難癖をつけたのを大人の余裕で流されている様で、無性にむかつく。

 それに――ポップ自身が、一番よく分かっている。
 今となっては実力的にはそう大きく差はあるとは思っていないが、ポップとヒュンケルでは決定的に差がある事実を。

 魔法使いであるポップは、肉体的には普通の人間と全く変わりがない。おまけに年齢や外見のせいで、ポップは常に実力より下に見られる傾向がある。
 敵の油断を誘うのであれば好条件だが、ハッタリを仕掛けて敵を追い払うのには向かない資質だ。

 相手に脅しをかけるのであれば、実際に魔法を使って見せなければならない。――魔法を使えばそれだけでダメージになるポップにとっては、本末顛倒な話だ。
 それに比べ、戦士であるヒュンケルの強さは見た目という点では分かりやすい。

 多少は武術を齧った者ならなおさらだが、戦いに関してはずぶの素人であったとしても、彼の鍛え抜かれた肉体や気迫には脅威を感じるだろう。
 大半は脅すだけでも逃げるし、しつこい敵を追い払うぐらいの行動は、ヒュンケルに取っては苦にはならない。

 どんなに強がったところで縮められない差や、庇われた事実が分かるだけに、ポップの苛立ちは収まらない。

(まだ、恩にでも着せられりゃ、言い返せるのによ)

 八つ当たりとは知りつつ、ポップはそう思わずにはいられない。
 ポップの強がりや実際の体調も見越したように振る舞うその態度にムカつきながらも、根底にあるのが自分への気遣いと分かるだけに心底は腹を立てられない。
 ポップは盗賊達を蹴散らすと同時に、また日向へ行こうとするヒュンケルを引き止めた。
 

「おい、待てよ。日射病になりたいのかよ、バカ! 休むなら、日陰で休んでいりゃいいだろ」

 そう言った時の、ヒュンケルの様子は見物だった。
 今までポップがどんなにつっけんどんに、文句三昧を並べ立ててもびくともしなかった男が、当惑した表情で棒立ちになる。
 その揚げ句、確かめる様に慎重に聞いてきた。

「……しかし、いいのか?」

(まったく、こいつときたらどこまでバカ律義なんだか!)

 舌打ちしたい気持ちで、ポップはヒュンケルを睨み返す。
 さりげなく礼替わりにと思ったのに、こんな風に問い質されれば、応えない訳にはいかないではないか。

「言っとくけどな、ここでだけだぞ!
 街道にある木ってのは、旅人を休めるための特別のものだって知らねえのかよ?」

 そう言うと、ヒュンケルは少し黙り込んだ後、わずかに遠くを見やるような視線になった。

「――そういえば、昔、先生に習ったな」

「おれもだよ。一人でも多くの旅人が休めるように、日差しや雨を妨げるよう枝を大きく広げて成長する木を選ぶもんだって、習ったや」

 ポップもまた、アバンに習った時のことを思いだしながら、それがヒュンケルの知っている記憶と同じものだと確信していた。
 旅の合間に、アバンが教えてくれたこと――それはそれこそ数えきれないぐらい多数あるが、ポップとヒュンケルの習った知識は意外と似通っている。

 長期間旅をしながら教育を受けた弟子という共通点があるせいか、他の兄弟弟子よりも旅の知識は共有できる。
 今も、最後まで説明せずとも、意図は通じた。

 アバンに習った、旅の知識の一つ――街道の木の下ではいざこざは厳禁とされている、古い習慣。
 たとえ敵対していたとしても、同じ木の下で休む間は休戦せよとの教えは、今となっては知らない者や気にしない者の方が多いだろう。

 現に、盗賊達は木の下にいたポップを襲ってきたのだから。
 だが、そんな忘れられかけた古い言い伝えでも、守ろうとする気持ちがある者は、いるものなのだ。

「…………」

 無言のままだが、木を挟んで反対側にヒュンケルが腰を下ろしたのを感じて、ポップはどこかホッとするのを感じた。
 認めたくはないが、アバンと共に旅をしていた時のような安堵感がある。アバンの目の届く範囲にいる間は、何が起きても助けてもらえるという安心感があった。

 その安心感が、眠気を誘う。
 引き込まれるように眠り込む前に、無意識のように呟いたのはヒュンケルへの悪態だった。

「……ついて来るな…よ……」

 

 


 木を挟んで、裏側。
 とぎれとぎれに聞こえてきたポップのその寝言に、いつになく柔らかい笑みを浮かべたヒュンケルは聞こえないのを承知で、呟いた。

「悪いが、それだけは聞けないな」
                                                   《続く》


《後書き》
 ポップとヒュンケルの二人旅シリーズ、第二弾です。
 まだまだ、ポップはヒュンケルがついてくるのを嫌がってますが、でもそれでも信頼して頼ってもいるという微妙な距離感。
 素直じゃないポップと、律義過ぎるヒュンケルの組み合わせって、なんか好きです。
 
 

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