『ナイスコンビネーション』 |
周囲に見えるのは、敵だけだった。 猛り、今にも襲いかかってきそうな雰囲気を漂わせる敵に囲まれているというのに、ヒュンケルの心には微塵の恐れもない。 手を出してくる者をきつめにあしらい、威嚇することで敵を怯ませ、とどめることができる。 少しでも隙を見せれば、怪物達は襲ってくるに違いない。戦いにおいて、技量以上に重要なのは物量だ。 もし、敵がリーダーを持ち、多少の犠牲も厭わずに攻撃を仕掛けてきたのなら、達人の技を持っていようがなんだろうが関係がない。 個々に敵を倒すことだけを考え、他者に出し抜かれることだけを警戒している怪物達は、自分達の優勢に気がつかない。 各自が自分のことしか考えないのであれば、いかに数が多くともそれは少数対大多数の戦いにはならない。 変形であっても、一対一の戦いにすぎない。だからこそこれだけの大差がありながら、威嚇が有効なのである。 ――トン。 背中に軽いものが当たった感触があったが、その正体をヒュンケルは確かめなかった。 戦いにおいて、敵から目を逸らすのは死を意味する。それは決定的な隙であり、敵に襲いかかられるきっかけになるのだから。 だからこそ、戦いにおいて背後を突かれるのはなんとしても避けるべきだ。しかし、今、この場に限ってはヒュンケルは自分の背中は心配などしてはいなかった。 世界で最高の魔法使いが、そこにはいる。 「よォ。ちょっと、眩しくなるぜ」 まるっきり緊張感のない声が、背中から聞こえる。 敵に対する気構えのせいで、普段よりも無口になったり、あるいは逆に攻撃的と言うか好戦的になる者は珍しくない。 自分達の不利さを十分に把握した上で、それでも平然と振る舞う胆力が彼にあるだけの話。 「ああ。好きにしろ」 まるでその返答を待っていたかのように、爆音と物凄い光や熱が背後から襲ってきた。 恐らくは複数の怪物が一斉に呪文を放ったのだろう、それはまさに最大閃熱呪文に匹敵する魔法だった。 そんな必要などない――ポップにとっては、そんなものはそよ風も同じことだ。呪文を唱えた気配もないのに、背後から広がる魔法の光が綺麗に二つに分かれ、自分達をすり抜けて広がっていくのが見えた。 その光景を見て、ヒュンケルは背中を振り返れないのを残念に思う。 およそ魔法使いとは思えないほど若く、お調子者のポップだが、彼が魔法を使う姿は必見に値する。 だが、非常に残念ではあるが、今は自分の好奇心のためだけに見物に興じる時間はない。 魔法の余波を嫌い、ヒュンケルの目前にいた敵が慌ててそれを避けるのを見逃す訳にはいかない。 剣を振るってさらに敵を退がらせ、代わりに自分が先へと進む。その際も、後ろを見る必要などはない。 逆に、ポップが先に進んでも、ヒュンケルは何も言われずともそれに合わせる。言葉さえ必要ない――二人の目的地は、すでに向かっている。 宿屋で休養を取ったポップは、静養の甲斐があってかすぐに熱は下がった。さすがに満月までそう日にちがなかったから完全に体調が復活したとは言えないかもしれないが、それでも戦える程度の力は取り戻した。 そして、今日、満月の夜に小島に戻り、背中合わせに戦いながら湖の岸を目指していた。 今度は、前の時のように大技をぶっ放して湖までの花道を開く必要はない。すでに、湖の岸には安全圏が存在している。 ポップが作り上げた破邪呪文の魔法陣は、未だに光を失わず、近寄る魔物を退けている。そこまで辿り着く……それだけで、いい。 ――トン。 一度は離れ、少し寒さを感じたヒュンケルの背中に、再び軽い手応えが戻ってくる。一度、軽くぶつかった後はほんのわずかの距離を置いて、そこにとどまっている背中の存在を暖かいもののように感じながら、ヒュンケルは不敵に笑う。 ヒュンケルは、ポップの背中を守る。 背中合わせで戦いながら、ヒュンケルは思う。言えばポップは怒るだろうが……なかなかいいコンビネーションじゃないか、と――。
光輝く魔法陣まで辿り着いたポップが、どこかホッとしたような声をだす。 聖母竜と話すため、ポップはまた湖に潜るだろう。その間ヒュンケルがこの場を確保するのはいいとしても、やっと風邪が治ったばかりのポップに水に潜る行為が苦にならないかどうか……ヒュンケルにはそれが心配だった。 『……その必要はありません』 美しく凛とした声は、耳に聞こえるというよりは、心の中に直接響き渡った。 水面ぎりぎりまで浮かび上がってきたその泡を見て、ヒュンケルは初めて自分の目で聖母竜の姿を目の当たりにした。 「ダイッ?!」 それを見た途端、湖に飛び込もうとしたポップの腕を、ヒュンケルは辛うじて引き止めた。 止められたことよりも、腕を掴まれたのが不満とばかりにポップが顔をしかめるが、聖母竜が再び語りかけ始めると彼の意識はそちらに集中された。 『よかった……約束通り満月のこの夜に来てくれたのですね、人の子よ。 聖母竜の手が、優しく自分の抱く球を抱え直す。 「ああ、もちろんだぜ! ダイを助けるためなら、おれ、なんでもするよ! 『もちろんです。 そこまで語った聖母竜は、ゆっくりと瞬きをする。 『いえ……そうではありませんね。多分、奇跡はその前から……この子が、竜の騎士と人間の間に生まれた時から起こっていたに違いありません。
バーンとの初めての対決の後、ダイは一度死んだ。 ただ一つ違ったのは、今回の眠りが二度と目覚めないものになると言うことだけだった。 最後の竜の騎士と共に、聖母竜は永遠の眠りに就く予定だった。大魔王バーンの力を思えば、もはや竜の騎士とて勝てはしない。 それを思い直させたのは、正統なる最後の竜の騎士、バランの言葉だった。 聖母竜は自分の本能や自我を眠らせ、自分の命をダイに貸すという形で深い眠りに就いていた。 ダイに合わせて命を与えるせいで、聖母竜本来の長寿は望めないだろうが、それでも人間並みの寿命にはなるだろう。 我が子を救うためなら命を惜しまないのが、母親というものだ。 本来ならば、聖母竜と竜の騎士の魂は完全に同化する。だからこそ、聖母竜は竜の騎士の魂を一度自分の中に戻し、再びこの世に生み出すことが可能なのだ。 ダイは、自分自身の意志で竜の紋章の位置を操れる。 その気になれば、聖母竜に力を返すことも、彼にはできるのだ。
ダイには逃げようもなかった最悪の爆破も、空間を渡る能力を持った聖母竜にとっては切り抜けることは可能だった――。
聖母竜が回復するために取れる手段は、大きく分けて二つ。 魔界に行く方が、ずっと簡単だ。 その上、爆破直後の聖母竜にはとても魔界へ行くだけの力はなかった。だからこそ聖母竜は危険を承知していながら、裏技を使用した。 有名なのは、アルキード王国近くの岬のものだが、カールにもごく小さな場所があった。ただ、アルキードのものと違い、泉という程大きくはなかった。 そのままでは使えないので、聖母竜の力で無理やり魔界へと繋げ、強引に湖を作ったのだ。おかげで、聖母竜もダイも命は取り留めた。
「これ、全部が?」 思わずのように聞き返したポップに対して、聖母竜は水の中で深々と長い首を折って、謝罪した。 『……謝って済むことではありませんが、申し訳ありません。 その言葉を聞いてハッとしたのは、ヒュンケルだけではなかった。ポップが血相を変えて、食ってかかるような勢いで問いかける。 「……ダイはっ?! あんたがそうしたら、ダイはどうなるんだよっ!」 「落ち着け、ポップ」 「うるせえ、これが落ち着いていられるかよっ?! ダイも連れて行っちまうのかよっ?!」
これが、今生の別れになるかもしれない――その不安から叫ぶポップに、聖母竜は優しい声をかける。 『心を静めてください、人の子よ。 静かな、だが強い視線が、水の中からポップを見つめる。 『この子の望みが、私には分かる。 異形の姿であっても、直接血が繋がってはいなくても、それはまさに母の姿だった。 『ですから、私はあなたに呼びかけた。あなたがほんのわずかでも、竜の騎士の血を飲んだのは、幸運でした。 「おれ……が?」 『ええ。あなたなら、眠ってしまったこの子を起こせる――私は、そう確信しています』
人間の姿と心は持っていても、竜の騎士の本能は竜に近い。 聖母竜にとっては、ダイの眠りはたいした問題ではない。 だが、ダイにとってはどうだろうか? 人間の寿命は、短い。 ダイにとっては瞬きの一瞬の眠りの後、彼を待つ者は誰もいない地上を見る羽目になる……それが、彼のためになるとは聖母竜にはとても思えなかった。 今も、聖母竜とダイは半ば繋がった状態なのだから。 今のダイは、言うなれば胎児のようなものだ。卵に入った雛を、自然に孵るのを待たずに無理やり殻を破って外に出しても生きてはいけないように、今のダイも完全に聖母竜から切り離されなければ、生存できない。 『この子は、生まれ直す必要があるのです。 それは、聖母竜が完全な力を持っているのならばたやすいことのはずだった。 そんなに大層な力は、いらないのだ。もはや、準備は整っている。母鳥が嘴で卵の殻にひびを入れ割れやすくするように、聖母竜もダイが生まれるための準備はすでに整えきった。 後はただダイが目覚め、ここから出たいと望むだけでいい。それだけで、ダイは人間として生を得ることができる。 なのにダイはどうしても目覚めることなく、深い眠りについてしまったままで、いくら呼び掛けても目覚めることはない。困った聖母竜が思いついた手段が、誰かにダイを起こしてもらう方法だった――。
戸惑ったように、ポップが何度もまばたきを繰り返す。 聖母竜は、神の眷属だ。人間には及びもつかない力を持ち、竜の騎士と最も深い繋がりを持つ生命体――そんな彼女にさえできないことをやれと言われたのなら、ヒュンケルとて二の足を踏むだろう。 だが、ポップがやるというのなら、心配など無用だ。ヒュンケルはぶっきらぼうに急かした。 「ポップ。早く呼びかけろ。怪物達も、いつまでもおとなしくはしていない」 魔法陣の縁ぎりぎりで剣を振るいながら、ヒュンケルは言う。湖の岸にしゃがみ込んで、聖母竜に話しかけているポップと違い、ヒュンケルはずっと油断なく魔法陣の外を見張っていた。 破邪呪文の効力によりこの中にまで侵入しできなくとも、炎や飛び道具までは防げない。 聖母竜だけに気を取られ、魔法陣ぎりぎりから湖の上へと身を乗り出しかけているポップを狙う怪物を威嚇し、飛び道具を払うのはヒュンケルの役目だった。 『ええ、お願いします。 聖母竜のその言葉が、決め手になったらしい。ポップは大きく身を乗り出し、叫ぶ。 「ダイッ! ダイ、聞こえるか?! おれだよ、ポップだよ!」 母なる竜の腕の中、球の中で目を閉じているダイは、その呼び声にもびくりとも動かなかった。 「なんだよ、聞こえないのかよ?! 起きろよ、おいっ! おれのこといっつも寝坊だのなんだの言って、起こしまくっていやがった癖に自分の方が寝過ごしてるんじゃねえよ! 必死さを増し、切迫感を増しながらポップはなおも叫ぶ。身を乗り出し過ぎて、湖に落ちるんじゃないかと冷や冷やするぐらいだが、ヒュンケルには手を出す余裕がなかった。 運悪く、炎を吐くのを得意とする怪物が魔法陣の近くに集まってしまった。炎を切り裂く海波斬を連発し、ポップに炎が届かないように守るだけで精一杯だ。 「聞こえてるんだろ……っ?! おれの声が聞こえないなんて、言うなよな! おまえ、ハドラーが来た時だって、聞こえてただろ! おれは毒のせいで声もだせなかったのに、それでもおまえは、おれが呼ぶ声が聞こえたって言ったじゃないか!」 まるで反応を見せないダイに向かって叫ぶポップの声が、泣き出しそうなものに変わっていく。 「ダイ、聞いてるのか?! 呼び掛けや、言葉の細部は違っているかもしれない。 胸を貫く絶叫に、ヒュンケルは気を取られ過ぎたのかもしれない。ポップに忍び寄っていた怪物……テンタクルスの存在に、気がつかなかったのだから。 「ひゃ……っ?!」 「ポップ!」 もし、ヒュンケルの体調が完全だったのなら。 だが、いくら回復魔法で治療しているとはいえ、完治していない今のヒュンケルには以前の踏み込みの早さはなかった。 必死で手を伸ばすヒュンケルの目の前で、ポップは湖に引き込まれた。細い手がもがくように空を掻き、あえなく沈む様を見てヒュンケルの心が凍りつく。 間を置かず、飛び込もうとしたヒュンケルだが――その時、水飛沫をあげて湖から飛び出してきた者がいた。 水に濡れても、元気良くぼさぼさに跳ねまくった癖毛。小柄ながらもがっちりとした体格の少年は、自分よりも背の高い少年をしっかりと抱きかかえたまま真上へと飛び上がる。 ジャンプなどでは説明できない跳躍は、明らかに魔法の力によるものだ。 見慣れた、そして心の底から見たいと思っていた光景を目の前にして、ヒュンケルは思わず呟いていた。 「ダイ……ッ、ポップ……」 だが、本人にさえ聞こえないような小声は、上にいる二人の耳には届かなかっただろう。 空に飛び上がった勇者は、彼の魔法使いに向かって心配そうに声をかけていた。 「ポップ、大丈夫?」 「バ…ッカヤロ、大丈夫じゃなかったのは、てめえだろ?! 手間をかけさせんなよ、本気で心配しちまったじゃねえか!」 泣いているのか、怒っているのか分からないようなくしゃくしゃの顔で言い返すポップだが、抑えきれない喜びが彼の声を弾ませている。 「うん、心配かけてごめん、ポップ。でも、助けてくれてありがとう……ポップの声、聞こえていたよ。だから、おれ、帰ってこれたんだ……!」 ダイの声にも、喜びが溢れている。 『これで、ダイは助かりました。では、次はこの湖ごと、魔界への穴を塞ぎます。 聖母竜がそう言った途端、湖が光を放ちながら大きく渦巻きだす。水を張った風呂桶の栓を抜いた時のように、螺旋の渦を巻きながらどこか、奥底へと吸い込まれていく。 それを見た怪物達は、一斉に湖から遠ざかろうとする。だが、ヒュンケルはもちろん、ダイもポップもそれを見逃す気はなかった。 「よっしゃ、いこうぜ、ダイ!」 「うん! あ、でも、おれ、武器を持ってないや」 ダイの剣はもちろん、パプニカのナイフも持っていないことに気がついたのか、困ったように自分の手を見ているダイに、ヒュンケルは自分の使っていた剣を放り投げる。 「使え。オレには、予備のナイフがある」 ポップと一緒に地面にふんわりと着地する途中で剣を受け取った勇者は、いかにも彼らしい笑顔で礼を言う。 「ありがと、ヒュンケル!」 地面に足が着いた途端、ダイとポップは同時に同じ方向に向かって走り出していた。 (……自惚れていたものだな) さっき、ポップと背中合わせで戦っていた時に感じたことを思い出しながら、ヒュンケルは勇者とその魔法使いの戦いに目をやる。 隣り合って戦うダイとポップの間の距離は、さっきのポップとヒュンケルのそれよりも開いている。 「ほらよっ、ダイ!」 「うん!!」 背中を合わせずとも、目を見交わさなくとも、ダイもポップも相手の動きを完全に見切っていた。 また、ダイもポップに向かう怪物の攻撃を一度足りとも見逃しはしない。魔法に集中するポップの妨げにならないよう、片っ端から吹っ飛ばしている。 だからこそ、ヒュンケルは思わずにいられない。 弟弟子を助けることは、どうしてもこれだけは成し遂げたいとヒュンケルが心に決めていたことだ。
宙に浮かんだ聖母竜がそう礼を告げたのは、それからしばらく経ってからのことだった。 怪物達を湖に追い返すなど、勇者一行の主力三人がそろえばたやすいことだ。満月が傾く前に、ことは済んでいた。 『そして、ダイ。竜の騎士の使命から開放され、あなたはこれからは人間として地上で生きなさい』 ダイを見つめる聖母竜の目は、母のそれだった。だからこそ、母を知らないダイには戸惑いの方が大きいのだろう。 「……あの、……なんて言っていいか、分かんないいけど、あ、ありがとう……!」 不器用ながら一生懸命告げられた我が子の礼ほど、母親を喜ばせるものはない。慈悲深い眼差しを投げかけた後、聖母竜は翼を大きく広げる。 『私は、天で眠ります。 飛び上がった、のではない。 もはや湖など跡形もなくなった場所で、聖母竜はキラキラと輝きながら天へと昇っていく。
『大勢の敵に囲まれた時に、二人が背中合わせになって相手を威嚇する…みたいなシーンが好きなんです。 この素敵なお題を製作されたrewrite の管理人様がこのお題について書かれた一文を、そのまま引用させていただきました。 この説明文を見て、頭の中にパッとポップとヒュンケルが浮かびました♪ ポップとヒュンケルって、ダイとポップとはまた違った意味で名コンビですよ〜。 メインルートとはまた違った形で、ポップがヒュンケルと旅をしながらダイを助ける……一度は書いてみたかったシチュエーションなんです。 これで、このシリーズは終了です。……一応は(笑)
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