『時には休戦』 |
果たして、いったいどう対応したものか――。 祖父の代から宿屋をやっていた家に生まれ、子供の頃からキャリアを積んできたし、自分自身が店主になってからもう軽く十数年は経つ。 「離せぇっ!! 離せっつんだよっ、この野郎っ?!」 ひっきりなしにそう叫びながら、じたばたともがいている少年に、彼を荷物のように小脇に抱えた青年。 そんな二人組がいきなり宿屋にやってきて、困惑しない方がどうかしている。しかも、彼らがやってきたのはまだ昼下がり、ごく普通の旅人ならば宿屋に泊まるにはいささか早い時間帯だ。 (えっと……これは、衛士に通報した方がいい……のかね?) 普通に考えれば、誘拐を疑うところではある。実際、青年の人相がもう少し悪かったのなら、真っ先にそう考えただろう。 悪人には見えない――見た目だけでそう判断するのは危険とはいえ、そう思ってしまう。 その上、悪びれた様子がまったくなく堂々としているのが疑いにためらいをかける。 それに、青年は少年を拘束している風でもなかった。小脇に抱えるという態度のせいで一見、無理強いしているように見えるが、よく見れば青年が少年に気を遣っているのは見て取れた。 別に、少年を乱暴に扱っている風でもない。……というか、むしろ乱暴をしているのは少年の方だ。 「もうしわけないが、宿を頼みたい。できるだけ上質の部屋がいい。数日滞在する予定だ」
不機嫌そうに叫ぶ少年は、青年に比べると平凡そのものだった。体付きも貧弱だし、そんなに背が高い方でもない。 特に金持ちの子とも思えなければ、外見目当てに誘拐される程の逸材とも思えない。 だが、さんざん文句を言い暴れまくっている上に、少年は少しも青年に対して怯えている気配はない。 「二部屋頼むぜ、こんな奴との相部屋なんて真っ平ごめんだからな!」 下から青年を睨みつけ、少年は腹立たしそうに足をバタつかせる。 「いい加減に下ろせよっ! このままじゃ、財布も出せないだろうがっ!」 そう怒鳴る少年を、青年は意外なほど丁寧なしぐさでそっと床に下ろしてやる。その態度が気に入らないとばかりにフンと鼻を鳴らしながらも、少年はここに泊まる気になったようだ。ごそごそと荷物を探って、財布らしき包みを取り出してきた。 「はあ……しかし、生憎ですが、今日は大変予約が混み合いまして。シングルが一部屋しか空いておりませんですが」 そう告げた時の、少年と青年の反応は面白いぐらいに正反対だった。 「えぇえええーっ?!」 「ああ、構わない」 「って、じょーだんじゃねえっ、構うに決まってるんだろっ?! だいたい、それぐらいなら野宿の方がましだって!」 そう怒鳴って宿屋を出て行こうとする少年を、青年は軽く掴まえる。ちょっと腕を抑えているだけのようにしか見えないのに、いくら少年がもがいても気にもしない青年は、片手だけで財布を取り出した。 「それでいい。場所は?」 気前良く出された金貨は、一週間分の宿代に匹敵する。思わず、主人は飛び付いた。 「はいはい、二階の一番奥の突き当たりの部屋でございますよ、ご案内いたしましょう」 「いや、それよりルームサービスを頼みたいのだが。夕食は部屋まで運んでくれ。身体が暖まるようなもの……そうだな、消化の良い、食べやすいものを頼む」 そう言って鍵を受け取った青年は、さも軽い物でも持ち上げるような気安さで、ひょいと連れの少年を肩に担ぎ上げる。 「あーっ、また何すんだよっ?! みっともないだろ、自分で歩くから離せってぇのっ! それに、おれはおまえに宿代をおごられる筋合いはねえんだよっ、勝手に払うなーっ」 まだ少年が文句を言っていたが、もはや青年だけでなく主人すらそれを気にはしなかった――。
まだ機嫌が収まらないのか、ポップは腹立たしげにブツブツと文句を繰り返している。休むどころか、荷解きすらせずにいすに座り込んでむくれている弟弟子に向かって、ヒュンケルはできるだけ穏やかに聞こえる様に、最大限気を遣って声をかけた。 「もう一息だからこそ、慎重にあたる方がいいだろう。最期の詰めこそ、肝心なのだからな」 ヒュンケルにしてみれば、それは一般論を口にしただけのつもりだった。だが、ポップにとっては違う意味に聞こえたのか、ただでさえ不機嫌そうだったしかめっ面が余計にひどくなる。 「ああ! そうだろうよっ、どーせおれは詰めが甘くていつだって失敗ばっかしているよっ、悪かったな!」 ヒュンケルにとっては何気ない言葉だったのだが、それはポップにとってはもろに地雷だったようだ。逆鱗に触れられたかのように怒りまくる弟弟子を前に、ヒュンケルもまた怒りや苛立ちが沸いてくるのを感じていた。 正直、ヒュンケルは苛立ちを抑えきれない。 こんな時期に湖に潜ったのは、ポップにとっては随分と負担が大きかったらしい。身体が冷えたのか、熱が出始めている。 「せめて、その熱が引くまではおとなしく休んでいろ。それまでは、この部屋から一歩も出さないと思え」 ヒュンケルにとっては、一歩どころか百歩も二百歩も譲り、大幅に妥協して譲歩した条件だが、ポップは気に入らないとばかりに噛み付いてきた。 「ふざけんなよ、おれは平気だって言ってんだろ?! 熱なんてほとんどないのに、大袈裟なんだよ!!」 「まともに歩けない程、ふらついている奴が何を言っている」 言いながら、ヒュンケルはポップをベッドに突き飛ばした。軽くそうしただけなのに、ポップはひとたまりもなくベッドに崩れ込む。 「そのざまで、強がりなど言うな」 確かに、ポップの熱は微熱にすぎない。だが、ほんのわずかな体調の悪化さえ、今のポップには命取りになりかねない。 歩くのも辛いとばかりにふらついていたポップを見かねて、ヒュンケルは強引に彼を湖から引き離し、宿屋へと引きずり込んだ。 いくらダイを助けるためとはいえ、その代わりにポップが倒れたのでは話にならない。そんなことは、誰も――行方不明中のダイでさえ望んでいまい。 だが、当のポップ本人だけはそれを全く理解していないのだから、始末に負えない。
ダイの居場所を実際に見つけた後、ポップとヒュンケルの意見は真っ向から対立した。 ヒュンケルはここで一度みんなのところに連絡を入れ、協力を仰ぐのがいいと考えた。なにしろダイの居場所は分かったのだ、ならばここで焦る必要はない。 仲間達の手を借りて、より安全かつ確実な形でダイを助けるのがいいだろうと考える。 それに、ポップの行方不明を一行が心配していないはずがない。ダイばかりではなくポップの無事を知らせれば、さぞみんなが安心できるだろう。 だが、ポップの意見は違った。 だいたいのところ、ポップは次の満月さえ待ちきれず、あの後も湖の中へ潜ろうとしていた。 単に、聖母竜が次の満月でないともう話すだけの力もないせいか。 それでも諦めず、湖から離れようとしないポップを、ヒュンケルは半ば力づくで引き離した。 仲間達と連絡を取るのは、この際先送りしてもいい。 瞬間移動呪文を使えば簡単なことだが、今のポップの状態でそれを望むのは無い物ねだりと言うものだろう。 次善の策としてはヒュンケルがキメラの翼でパプニカに戻るのが一番確実だが、その場合、ポップを一人でここを残すことになる点と、ヒュンケルが再度ここに戻るのが困難になるのが問題だ。 キメラの翼は、基本的に本拠地へと戻るための道具だ。中には移動呪文と同じく、使い手のイメージした場所へ自在へ飛べる力の籠ったものもあると聞くが、ヒュンケルが今持っているキメラの翼は、そうではない。 使えばおそらくパプニカには戻れるが、そうなるとポップが待つこの場所に再びくるためには相当の時間を要することになる。 まともに歩いて旅をすれば、カール城からここまで一ヵ月やそこらはかかる。パプニカから移動するともなれば、掛かる日数はもっと増えるだろう。 一見、軟弱に見えるポップだが、彼は驚く程強い意志の持ち主だ。一度目的を決めたのなら、その決心を揺るがせることがない。 それが分かっていて、放置する気になんてなれなかった。 結局は、自分が譲るしかないのだろうとヒュンケルはなかば諦めにも似た気持ちでそう考えた――。
ヒュンケルが諦観的な結論に達した頃、ポップもまた似たような結論に辿り着いていた。 この兄弟子の意固地さを、ポップは嫌という程知っている。一度こうと決めたら頑固で、絶対に考えを変えようとはしない。 しかも、不言実行派なのが質が悪い。 過去を気にして、その贖罪のためになら死んでも構わないと思い込んでいる節があるのだ。 ついでに言うのなら、自分をやたらと子供扱いして庇おうとするのが気に食わない。ちょっと微熱がある程度でこんな風に大袈裟に心配され、宿屋に連れてこられたのは屈辱でもあるし、無茶苦茶に腹が立つが――それでもここは一つ、自分が我慢してやろうと、ポップは考えた。 ヒュンケルの言い分に従うのは癪だが、ダイを助けるためなら多少は譲歩してもいい。 そう思って、ポップは渋々ながらも妥協案を口にした。 「……分かったよ。休戦、してやるよ」 「……?」 ヒュンケルにしては珍しく、不思議そうな表情を浮かべる。戸惑っている顔をいい気味だと思って眺めながら、ポップは言葉を続けた。 「別に具合なんか悪くないんだけど、おまえがそこまで言うのなら、いいよ。ここで休んでも」 そう言った途端、ヒュンケルの表情に浮かんだ変化が、ポップを戸惑わせる。 だが、不本意ながらポップはそれを見分けられる数少ない一人だ。 それだけに何となく釈然としないものを感じながら、ポップはそれでも念を押すのは忘れなかった。 「…………言っておくけどな、満月の日までだぞ」 他のことは譲っても構わないが、ポップにしてみればそれだけは絶対に譲れない一線だった。 「熱が下がろうと下がるまいと、満月の日には必ず例の場所に行く。 この条件を飲まないようなら、この場で魔法をぶっ放してやろう――内心、そこまで覚悟していたポップだが、ヒュンケルの反応はあっけない程に素直なものだった。 「……分かった。なら、満月までせいぜい休養しておけ」 「あ、ああ、そうするよ。じゃ、おれはあっちのソファを使うからよ」 何だか肩透かしを食らったような気分ではあったが、話が一応ついたのならそれでいい。ポップはベッドから毛布を一枚とり、ソファへ移動しようとした。 「……な、なんだよ?」 やけに険しい表情で睨みつけられると、ポップも少しばかり怯んでしまう。 何かまずいことでも言ったのかと考えるポップに、ヒュンケルが堅い声で一方的に宣言する。 「オレが、ソファを使う」 「何言ってんだよ。あのソファじゃ、おまえには小さいだろ?」 宿屋のベッドは、それほど立派とは言いがたい。 合理的に考えるのなら、ポップがソファで、ヒュンケルがベッドで眠る方がいい。 「半病人がいらん気を使うな」 「な…っ?! 誰が、半病人だよっ!!」
元気いっぱいに怒鳴りまくるポップを見て、ヒュンケルは内心溜め息をつく。 だいたい、ヒュンケルがわざわざポップを宿屋に連れ込んだのは、きちんと休養を取らせるためだ。自分が楽をするためなどでは、決してない。 だから、ここだけはポップが何を言おうと譲る気はない。故にヒュンケルは勝手に毛布をとり、さっさとソファへと移動する。 「聞いてんのかよ、てめえっ?! だいたいだなぁ、てめえはいつもいつも、そうやってスカした面で偉そうなことを言うから癪に障るんだよっ! (……よく、口が回るものだ) 自分から休戦を言い出したとは思えない勢いでポップがまくし立てる文句を、ヒュンケルは半ば感心して聞いていた。 ヒュンケルに文句を言うのはいつものことだが、その度に表現や語彙が違うのはたいしたものだと思わずにいられない。 ポップをわざわざ怒らせたいとは思わないが、ヒュンケルはポップの文句を聞くのは嫌いではない。むしろ、曲がりなりにもポップがそうやって熱心に自分に声を掛けてくるのを、ある意味では楽しんでさえいる。 「――ポップ。満月に備えて、身体を回復させなくていいのか?」 「…うっ……」 痛いところを突かれたとばかりに、ポップが黙り込む。いかにも悔しそうな顔をしながら、それでもダイを探しにいくために体力を温存しておく必然性を思い出すぐらいの理性はポップにもあったらしい。 「くっそォ……っ、覚えてろよ! だから、てめえは気に食わないんだよ、ったく……!」 そんな捨て台詞を残して、ポップはヒュンケルに背中を向ける形でベッドに横たわる。不機嫌さ丸出しでそんな態度を取るポップを、ヒュンケルはどこか暖かい眼差しで見やる。
ポップの口の悪さも、意地の張り方も、ヒュンケルは決して嫌いではない。むしろ、気に入っていると言っていい。 これ以上の舌戦や揉め事は、避けたいものだ。
突然ですが、『二人で宿屋に泊まるが、ベッドが一つしかないシチュエーション』というのが大好きです♪ ポップとヒュンケルって、お互いに相手を怒らせることが多い割には、どういうポイントが相手を怒らせているか、自覚ははなさそうなところが気に入っています。
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