『いつか、繋がる物語 1』

  

「パプニカ? 今度はそこに行くんですか、先生。そこって、どんなところなんですか?」

 無邪気にそう問いかけてくるポップを見ながら、アバンは少しばかり胸が痛むのを感じた。
 だが、その痛みをおくびにも出さず、いつもの調子で平然と答える。

「ええ、パプニカは気候も温暖で風光明媚だし、いいところですよ〜。
 古い歴史のある国で世界有数の魔法王国で、歴史に名を残すような賢者や魔法使いが多数出現しているんですよ。今の国王や王女も、賢者の才能をお持ちですしね」

 アバンのその説明を聞いて、ポップは好奇心に目を輝かせた。

「へえ……! 面白そうなところですね! それに王女ってことは、お姫様もいるんですかー。どんな美人なんだろうな〜?」

 姫と聞けば美人と単純に思い込み、でへへと崩れた顔で楽しそうにはしゃいでいる弟子を微笑ましく見ながらも、アバンはそれ以上の説明はしなかった。
 ポップにはパプニカを目指す真の目的は、まだ教える気はなかった。

 いつもの旅のように、通り過ぎる目的地の一つとして、そこを選んだわけではない。パプニカ行きを選んだのは、ある目的のためだ。
 パプニカの海岸に住まう、とある天才魔法使いを尋ねるため――そして、ポップをその魔法使いに預ける目的のためだった。





 それは、アバンにとっても苦渋の決断だった。
 押しかけ弟子ではあるものの、アバンにとってポップは、今となっては手放せない大事な弟子だ。

 無邪気に自分を慕い、尊敬してついてきてくれる弟子を、手放すのは正直辛い。だが、ポップのことを思えば、そろそろ突き放してやった方がいいと思える。
 ポップが弟子入りしてから、すでに一年半近い。

 その間、アバンはずっとポップを手元に置いて、教えてやれるだけの知識を教え、魔法の使い方を鍛えてやってきた。
 だが……そろそろ卒業させるべきではないかと、思わずにはいられない。

 元々アバンは、家庭教師にすぎない。
 弟子に教えを与えるにせよ、数週間から数ヵ月の間ですませることが多かった。本人の適性を見抜いて一番向く職業に誘導してやり、基礎を教え、向上心を鍛えてやる。
 アバンにできるのは、そこまでだ。

 それ以上は本人に任せるべきだと、アバンはずっと思ってきた。
 所詮、人間を成長させることができるのは、その者本人だけだ。最初の一歩を踏みだすための手助けはしてやれるが、それ以上はできないし、すべきでもない。
 アバンはずっとそう考えてきたし、そうなるように実行してきたつもりだ。

 だが、残念ながら……というべきか、ポップは特別だった。
 それも、あらゆる意味で。
 甘ったれで修行嫌い。少しでも目を離せばサボりまくり、難しいと感じたことには挑戦もせずに投げ出してしまう。

 正直、アバンにしてみてもここまでやる気がなくて手のかかる弟子は、前例がない。
 なのにそれにもかかわらず、ポップの才能は一級品だ。
 魔法使いとしてここまで目覚ましい才能を持った人間など、アバンは他に見たことがない。

 おまけにその才能以上にアバンが惜しいと思うのは、ポップの頭脳だ。一度聞いたことは見事なまでの記憶力で暗記し、聞いたわずかな情報からでも物事の本質を理解して、有効に利用するだけの応用力を持っている。

 本人がまったく自覚していないし、お調子者な振るまいが目立つから周囲にも分かりにくいが、それは希有な才能だ。

 天才と呼ばれるだけの才能を持ちながら、意図的にふざけた態度をとって周囲を欺き続けたアバンから見れば、自然体のままで自分と同等の行動をとれるポップを高く評価する。

 今まで、アバンは弟子の中でも特別に才能を感じる者達にアバンのしるしを与えてきたが、ポップは間違いなくそれに値すると思える。
 だが――問題なのはポップの自覚のなさだ。

 自分の才能を特別だなんて思いもしないポップは、それを自主的に磨こうだなんて思いもしない。
 なにせ、いまだにアバンがなだめすかした上に時にはご褒美で釣って、やっと修行するような有様なのだ。

 アバンの元を離れれば、もう修行など面倒だと投げ出してしまうのは目に見えている。それがあまりにも惜しくて、アバンはポップを手元から離せないでいるのだ。

 これが普通の弟子ならば、それもまた本人の選択した道だと割り切れもするだろう。いかに才能があろうと、それをどう活かすかを決めるのは本人の自由なのだから。

 魔法を使わずに、一般人としての生活を選ぶと言うのであれば、アバンは本人の意思を尊重する。
 ――だが、ポップはそんな風に見放すには、あまりに惜しい逸材だ。

 成長さえすれば、確実に世界有数の魔法使いとなれるだけの資質を持ち、しかもアバンが喉から手が出るほど欲した勇気の資質を持つ少年を、どうして見放せるだろう。

 すでに、強力な魔法も使えるようになっているのに、卒業させられないのはそのためだ。

 ポップは成長がやたらと遅いが、何かきっかけを得た途端、爆発的に伸びるタイプでもある。
 そのきっかけを与えることができればと、アバンは今まで試行錯誤を繰り返し、長い目で見守ってやってきた。

 気長に成長を待つつもりで、長期戦の構えで育ててきたが――だが、最近になってアバンには迷いが出てきた。
 迷い、と言うよりは焦りというべきか。

 アバンが家庭教師を始めてから、すでに15年近くの月日が流れた。その目的は勇者の育成だが、残念ながらそれに見合う成果をアバンは上げてはいなかった。
 いつか、来たるべき魔王復活の前に、世界を救う次代の勇者を育てたいというのがアバンの目標だが、まだ目標は半分も達成できていない。

 最低でも5つのアバンのしるしを与えるに相応しい弟子を見つけるはずが、達成したのはただ一人のみ。
 もう一人は生死さえ分からぬ行方不明のままだし、ポップはまだまだ未熟だし、残り二人は手掛かりすら見つからない。

 つまり、実質、一人しか該当者はいないのだ。
 しかも、今のところ唯一の卒業認定を受けた正規の弟子とはいえ、マァムは戦力としては補助的な存在にしかならない。

 まだ幼かったマァムは向上心を持つ少女ではあったし、優れた僧侶であるレイラを母に持っている。
 自分の手元にいなくても成長はすると確信はできたが、マァムの資質を考えれば先行きに不安を感じないわけではない。

 僧侶の母を持つとはいえ、戦士の父を持つマァムは魔法の才能では明らかに母親に劣っていた。攻撃系の魔法とは一切契約できなかったし、回復魔法にしても反応が薄かった。あれでは、母親のように最上級回復魔法を使える可能性は、ごく低いだろう。

 かと言って、父親のロカのように高い攻撃力を持つ戦士になれるとも思えない。半分混ざった僧侶の血が、戦士としての成長の足を引っ張るだろうから。

 マァムがどう成長するかは未知数の部分が多かったが、アバンの予測が当たっていれば、攻撃も回復もできる代わりにどちらも突出しない、半端な能力の兼業戦士になりかねない。

 だが、その欠点はアバンにしてみれば大きな問題とは思わない。
 過去の経験から、アバンは勇者一人が世界を救うのではなく、互いの短所を庇い、長所を引き出し合うことのできる仲間の存在が、勝敗を大きく傾けると考えている。

 単体でみれば不利な資質でも、仲間と共に行動するのであれば、問題はなるまい。その時々の状況に合わせ、回復や攻撃の補助を適切に行える遊撃兵的な役割に成長するのがベストだと思える。

 だが、補佐役は、主力となる者達がいなければさしたる働きは出来ない。
 どうしても主力となる勇者が、物理攻撃の司る戦士が、魔法攻撃を司る魔法使いが、回復魔法を引き受ける僧侶か賢者が、必要だった。

 焦ってはいけないと自分に言い聞かせてはきたが――最近、奇妙に勘が騒ぐ。
 今、世界は申し分なく平和なはずなのに、怪物達もまだ穏やかなままなのに、それにも関わらず急ぐべきだと心が騒ぐ。

 それは、元勇者の勘としか言い様がなかった。
 その直感を信じるのであれば……ポップを一度手放すのは避けられないだろうと、アバンは考える。

 一刻も早く残りのメンバーを探そうにも、体力に欠けるポップに合わせたのんびりとした旅では、そもそも移動からして遅くなる。
 また、ポップの成長を優先するのであれば……これ以上自分が教えても、さしたる意味はあるまい。

 今までの自分の教育方針では、これが限界だろうとアバンは前々から思っていた。それよりは、信頼のおける者にポップを預けた方がいいと思える。
 そして、アバンに思い当たるのはたった一人だった。
 世界最高の魔法使いであり、自分の仲間でもあった大魔道士マトリフ。

 人間嫌いの変わり者の上にいささか偏屈なところがあるが、マトリフの才能は確かだ。魔法に関してだけでなく他人の才能を導く目の確かさも、厳しく他者を突き放すようでいながら人情の機微に通じた懐の深さも、信頼が置ける。

 マトリフになら安心してポップを預けられると、アバンは確信していた。
 弟子を取るのは面倒だと言って憚らないマトリフだが、彼は真の意味での魔法使いだ。旧友の誼の縁に縋るまでもなく、ポップの素質を知ればそれを見過ごすことなどできまい。

 前々からそう思っていたにも関わらず、ポップを手元に置き続けたのは未練と言うべきなのか。
 以前、卒業させるのを急ぎ過ぎて失ってしまった弟子の存在が、アバンの迷いを深めていた。

 しかし、真にポップのことを思うのであれば、弟子可愛さに引きずられて甘やかすばかりが、愛情ではない。

 頭ではそうと分かっていても、けなげに自分の後をついて回ってくる子供を突き放すのは辛い物があったが、アバンはそうするつもりだった。
 ポップをもっと成長させるためには、それが一番いいのだと自分に言い聞かせて――。





「へー、ここがパプニカですか。綺麗な所なんですねー」

 甲板から見える港や町並みを眺めながら、ポップが物珍しそうにはしゃぐのを、アバンは優しく見守っていた。

「ええ、パプニカの風景の美しさは有名ですからね。それに、魔力を込めた織物の加工でも知られているんですよ。特に今の国王に代わってからは、輸出にも力を入れていると聞いています」

「そうなんですか。……でも、その割には、この港ってちょっと寂しい感じですね」

 と、ポップが首を傾げるのも無理もなかった。
 港に停泊している船数は多いものの、それらには人影もなく閑散とした雰囲気が否めない。

 倉庫の多さから見ても、本来ならもっと大規模に活動していてもおかしくはない港である。
 にも拘わらず、妙に寂れた雰囲気の港は明らかに不自然だった。

「そう言えば、変ですね。前に来た時は随分と賑やかな港だったんですが。それに、ずいぶんと乗降手続きに時間が掛かっているみたいですねえ」

 アバンも不思議そうに、首を捻らざるを得ない。
 船は、すでに港に到着して錨も下ろしている。もう渡し板を下りているのだが、船員が許可を出さないためにまだ乗降が許されないままだ。

 飽きっぽいポップは早くも退屈し始めたようで、並んでいる列から離れてその辺をうろつきだす。新しい町につくといつもそうだが、少しでもよく見える位置を探しては船縁から身を乗り出すようにして、興味津々に港を眺めている。

「ポップ、船から落ちないように気をつけてくださいよ」

「はぁーい、大丈夫ですよー」

 と、本人だけは自信満々だが、どこかしら危なっかしさが感じられるところがご愛嬌というべきか。
 苦笑しつつも、アバンはポップの好きなようにさせてやりつつ、船乗り達の様子を窺う。

 船員や船長が港にいる人達と何やら話し合っているのが見えるが、どうもその話は長引いているようだ。

「すみません、まだ船から降りられないんでしょうか? なにか、トラブルでも?」

 近くにいた船員に声をかけると、船旅の間に顔なじみになった船員が苦笑しながら説明してくれた。

「や、待たせちまって悪いっすね。なんでも、今はパプニカでは嫌な事件が多発しているみたいで、港での出入りが厳しくなってるみたいなんすよ。なんせ、一時的に輸出も封鎖しているみたいっすから」

「ほう……それは大掛かりな事件みたいですね。いったい、どんな事件なんです?」

 と、アバンが尋ねたのは習慣のようなものだった。
 元勇者の性と言うべきか、アバンは行く先々で出会う事件に無関心ではいられない。力を貸せるものなら貸したいと思うし、そうでなかったとしても事件の流れぐらいは掴んでおきたいとは思う。

「いや、どうも、あんまりいい事件じゃないんですけど、でも、お客さんには話しておいた方がいいかもしれませんスね……」

 と、船員はちらりと、舳先の方にいるポップへ意味ありげな視線を向ける。そして、声を潜めて、内証話のように話し始めた。

「……実はですね、最近パプニカでは誘拐事件が相次いでいるそうなんですよ。極秘で捜査しているそうだから詳しい話はオレも分からないんですが、被害者は一人や二人じゃないって噂っす」

 予想を超える物騒な話に、アバンはわずかに眉を潜める。

「それは……穏やかではないですね」

「ええ、まったくっすよ。なんでも被害にあったのは子供や若い見習いが多いとかって聞くから、お客さんらも気をつけた方がいいですよ」

 船員が言ったのはそれだけだったが、アバンの頭脳はその言葉からでもある程度は事情が見通せた。
 国の要である貿易を一時中断してまで、出入りする船の乗降に検査の目を行き届かせる――それは、事件の規模がそれだけ大きいと意味している。

 誘拐された被害者の行方が全く掴めていないか、でなければ事件が組織的かつ国際的な物である可能性があるかの、どちらかだろう。
 詳しい情報がない以上断定はできないものの、アバンはその配慮にパプニカ国王の思慮の深さを見た。

(今のパプニカ王が、若いがなかなかたいした王様だと言ったのはマトリフでしたっけね)

 以前、カール王国騎士団の一員であり、勇者だったアバンは、各国の王についての知識もあるし、相手によっては個人的な面識がないわけでもない。
 とは言え魔王軍との戦いが終わった直後から、勇者の家庭教師として旅をし始めたアバンは、14年前に即位した現在のパプニカ王とは、直接の面識はない。

 だが、マトリフが魔王軍の戦いの後から一年程、パプニカ王国の宮廷魔道士をしていたのはよく知っている。
 パプニカはマトリフの故郷でもあるし、戦火に荒れた国を見捨てられなかったという理由も少なからずあるだろう。

 だが、本来人嫌いで王宮に関わるのなんか真っ平御免だと、公言して憚らなかったマトリフが、それだけの期間助力をしていたということは、相当にパプニカ王が気に入ったからとしか思えない。

 事件に対する配慮を見る限り、アバンもまたパプニカ王に好感を抱く。
 誘拐事件が頻発し、なおかつ犯人の手掛かりもなく、被害者の行方が分からない場合、真っ先に疑うのは人身売買などを目的にした営利誘拐だ。

 そのために真っ先に港の封鎖を手配したパプニカ王の考えには、被害者の救助を優先した配慮が見て取れる。
 自国の利益を最優先して考えがちな王侯貴族の多さを思えば、それは称賛すべきものだ。
 魔法王国として名高いパプニカ王家の者としては珍しく、魔法を一切使えない王ではあるものの、その業績から賢王と呼ばれているだけのことはある。
 今でこそ誘拐事件で騒いでいるとはいえ、パプニカは気候の温暖さに加え、治安のよさで知られた国だ。

(……あの子も、ここでなら伸び伸びすごせるでしょうねえ)

 少しばかり胸が痛むのを感じながら、アバンは舳先辺りで遊んでいる弟子の姿を見やった――。

 






 舳先の辺りにいるポップは、熱心に港の方を見ていた。
 正確に言うのなら、見ているのは港ではない。確かに最初こそは漠然と港全般を眺めていたが、今、彼が見ているのは埠頭にいる一人の少女だった。

 数人の大人達と一緒にいるその娘は、背格好から見て自分とあまり変わらない年頃と思える。
 少し距離があるせいで顔までははっきりと見えないが、長い黒髪が印象的な子だった。

(どんな子だろ、可愛い子かな〜?)

 都合よく想像しながら、ポップはそわそわしつつ何度もそちらに目をやった。
 人懐っこい性質で、誰とでもすぐに打ち解けられるポップは、人に話しかけるのにためらいはない。
 気に入った相手には、自分から積極的に声を掛けるのが普通だ。

 アバンと一緒に旅するのは楽しいし不満など微塵もないが、それでも時々、ちょっと寂しいというか物足りない気分を味わう時がある。
 先生だけではなく、友達もいればいいのになと思う時があるのだ。

 だが、当たり前といえば当たり前だが、ポップぐらいの年齢の旅人などめったにはいない。
 ましてや女の子ならなおさらだ。会ってみたいとわくわくしながら、ポップは黒髪の少女の様子を眺めながら、船から降りられる時を待っていた――。

 


                                     《続く》
  

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