『いつか、繋がる物語 2』 |
「ふん……! お断りだね! あたしゃ、そんな下種な占いに手を貸す程、落ちぶれちゃいないよ」 ずけずけとそう言ったのは、小柄な老婆だった。 「お、おばあさま……っ」 長い黒髪と同じ色の瞳が印象的な清楚そうな少女は、老婆の大胆さに怯えた様に目の前にいる男達を見やる。 なにしろこのチンピラ達ときたらどちらもせいぜいが20代前半程度の年齢だ。 「おいおい、ばあさん、いくらなんでもそんな言い方はねえだろうによ? オレらはただ、ちィーっとばかり聞きたいことがあるって言っただけじゃねえか」 「そうそう、オレらはこれでもあんたの腕を買ってるからこそ、頼むんだぜ。なんでも、あんたは結構な占い師だっていうじゃないか。あんたなら、他の占い師じゃ占えないことでもずばりと見通せるってよ。 馴れ馴れしく話しかけてくるチンピラ達の甘言に、老婆は少したりとも心を動かしはしなかった。 「そんな勝手な買いかぶりは迷惑だね……それにあたしゃ気に入らない依頼は、いくら大金を積まれても引き受けない主義でね」 取りつく島のない一方的な断りに、チンピラ達もムッとしたのかそれ以上は誘おうとしなかった。 「けっ、どうせ分からないんだろうに、カッコつけやがってよ。ああ、あんたなんかこっちからお断りだぜ!」 「アバよ、へぼ占い師!」 行き掛けの駄賃とばかりに捨て台詞を投げつけるところが、いかにもチンピラっぽいが老婆はそれにも動じなかった。 「おばあさま、あの方達、気を悪くしたのでは……」 「いいんだよ。あんな連中には相応しい扱いってものがあるんだから」 「でも……あの依頼を断ってしまって、本当に良かったのでしょうか……?」 「いいも悪いもあるものかね。あんな占いを引き受けるなんて、冗談じゃないよ。犯罪じみた占いを望む者の末路など、知れているからね」 割り切った口調でさばさばとそう言う老婆には、揺るぎのない自信と先を見通した者だけが持つ諦観があった。 神秘の国と名高いテランにおいて、歴代最高とまで謡われた占い師、ナバラ。彼女の占いを求めて、世界各国の王侯貴族が列を為して押しかけたと言う伝説を持つほどの占い師だ。 ただし、人間嫌いでも知られており、ナバラは宮廷占い師へと望まれた誘いを振り切って、唯一の身内である孫娘を連れて、気楽な旅暮らしをする道を選んだ。 だが、その孫娘であるメルルは、まだ若いだけにそれほどの割り切りはできない様だった。 「ですが……あんな依頼をする方達を、見逃していいのでしょうか?」 『この町で一番魔法力の高い子供の居場所を、占えないか』 チンピラにそう言われて、ナバラもメルルも眉間に皺を寄せずにはいられなかった。数日前にパプニカに来たばかりの二人でさえ、この国で魔法力の高い子供や若者が誘拐されているという事件の噂を聞いた。 あの二人が犯人という証拠はないが、限りなく怪しく思えるのは当然だろう。 「確かに気にはなるが、放置しておくしかないね。どんな怪しげな依頼をされたところで、それだけで証拠にはなりゃしない。 誘拐された人数の多さや、金品要求が全くなく行方不明のままでいることから考えれば、今回の事件が組織だったものであることは、占いの力に頼るまでもなくナバラには簡単に見通せた。 あんな浅はかで馬鹿なやり方で動くしかできないチンピラごときが、黒幕であるはずがない。 ただ利用されているか、金儲けに目が眩んで動いているだけのチンピラの一人や二人を官憲に突き出したところで事件が解決するとは思えないし、なにより関わり合いになりたくはなかった。 「それに依頼を秘するは、絶対の掟。どんな理由や事情があろうとも、依頼や占いの結果を決して他人に口にしないのは、あたし達占い師の決まりだよ」 「ええ、それは分かってはいますけど、でも……。あのままでは、誰かが被害にあうのではないかと思って――」 不安げに、メルルは視線を遠くに遊ばせる。 「それは無駄な心配ってものだよ。だいたい、占うまでもないね……この町で一番魔法力の高い子供なんて、分かりきっているじゃないか。 ナバラやメルルの故国であるテランが神秘の国ならば、このパプニカは魔法王国の名で有名だ。 今の王の一人娘も、確かそうだったはずだ。 一つは、彼女が賢者としての資質を持って成長するというもの。それは揺るぎないものであり、確実な予知だった。 平穏な道ではなく、大きな浮き沈みを経験する定めの子と感じられた。 近い未来ならばともかく、遠い未来にあるかもしれない不吉な予想など、告げても意味はないと判断したからだ。 それに、王に頼まれて占ったのならともかく、自然に脳裏をかすめた予知にすぎなかったせいもある。 数年前にパプニカ王妃が亡くなるという不幸に見舞われたものの、パプニカ王女は賢者の卵として健やかに、しかも美しく成長しているとの噂だ。 人は時として、自身の不幸を受け入れきれず、それを告げた者に責任を求めるものだ。おまえの占いが悪いのだと、身勝手な文句を告げる人間が存在すると知っているだけに、ナバラは極力、他者とは関わりたくはなかった。 「さ、メルル、支度をおし。もう、この国から離れるよ」 「え?」 と、メルルが戸惑うのも無理はない。 「あのチンピラはたいしたことはできなかろうが、この国でこの先騒ぎが起こるのは間違いがない。そんなのに関わり合いになるのは御免だからね、一足先にここから離れるよ」 祖母の判断は、メルルにとっては絶対だった。 だが、今、初めてメルルは祖母の決断に疑念を抱く。 その人の行く先に不幸が待っていると知りながら、それもその人の運命だからと、関わらない様に旅立つのは間違っているのではないかと、思えてしまう。 祖母に従うだけではなく、自分自身の想いや考えを元に生きてみたいと望む心。 ――ここを、離れたくない、と。 「なにをしているんだい、メルル。さ、行くよ」 ましてや祖母にそう急き立てられれば、それ以上ためらうのも憚られる。 「はい、おばあさま」 ――もう少しでいいから、ここにいたい。 不思議な程強く、そう思ってはいたのだが、後ろ髪を感じながらもメルルは従順に祖母に従った。
一方、舳先から港を眺めていたポップは、あっさりとそう思う。 港から離れていく女の子に声を掛け損なったのを、ちょっと残念に思っただけだ。その思いも、先生に呼ばれた段階でけろりと忘れてしまう。 「ポップ、そろそろ乗降の時間ですからこちらに来てください〜」 「はーい」 主人に呼ばれた子犬の様に、先生の元に元気良く駆け戻るポップには出会い以前のすれ違いなど、記憶にすら残っていなかった――。
歴史に『もしも』は有り得ない。 だが、もし――誰かがこの時、『もしも』違う行動を取ったのなら、糸の流れが変わり、引いては出来上がった時の布の模様にも影響を及ぼしたのではないかと思える瞬間が、複数存在するのも、また事実。 本人は気がついていなかったし、また、その後も気がつくこともなかったが、この日、この場所で、占い師の少女と魔法使いの少年の運命は大きく変わった。 メルルがこの時、ナバラに強く主張したのであれば、違った道が開けた可能性があった。 もし、もう少しの間……後数分でも、メルルとナバラがこの場にいれば、船の客が降りてくる場に鉢合わせたはずなのだ。 噂に聞くレオナ姫の資質を上回るかとも思える、高い魔法力を感じさせる少年の存在に。 その忠告が役に立ったかどうかは別として、そうすればメルルには一つの道が開けた。まだ僧侶戦士の少女と出会う前の魔法使いの少年と、自分が出会える可能性があったことを、メルルが知るよしもない。
強い口調でそういさめられ、パプニカ王女レオナはギクッとした様に振り返る。その顔に浮かんでいるのは、まずいところを見つかった悪戯っ子が浮かべる表情だ。 (やだ、まずいのに見つかっちゃった) お姫様らしからぬ言葉遣いでそう思ったレオナは、慌てて気球船の綱から手を離し、ほほほとわざとらしい笑みを浮かべながら数歩後ずさる。 「や、やーねえ、何をなさっているか、だなんて。ただ、ちょっと気球船を見物に来ただけじゃない?」 などと白々しい言い訳を口にする王女に向かって、アポロは溜め息をついて見せる。 「姫様……っ、何度も言ったはずですよね? 今はパプニカで大変な事件が起きている最中ですし、外出は控えていただくように、と。これはお父上であられる国王命令です、いかに姫様とはいえ従っていただきますよ」 「それは分かっているけど、でも、ずっと城にいるばかりじゃ息が詰まっちゃうわ。すぐに戻ってくるから、ね?」 レオナは甘えるようにそう言ったが、アポロは本心からの忠誠心を感じさせる真摯さを込めて、丁寧に頭を下げる。 「姫様はパプニカにとって、掛け替えのない大切なお方。しかもつい先日危険な目に遭われたばかりですし、御身をくれぐれもお大事に」 そこまで言われてしまっては、レオナもこれ以上のわがままも言えない。 「わ、分かったわ、分かっているってば。出掛けたりなんかしないわよ」 その言葉を聞いて、アポロはようやく安心したように頷いた。だが、それでもそのままレオナを解放する程には、甘くない。 「エイミ。姫様がお退屈されているようであるし、こちらはもういいからお相手をしてさしあげるように」
「あーあ、港に行きたかったのにな。もう、アポロったら急に頭が固くなっちゃてさー」 自室でお茶を飲みつつ、レオナはエイミ相手に愚痴っていた。 「ま、仕方がないっていえば仕方がないのは分かるんだけど、ねー」 パプニカの王位継承者に、賢者が仕えて身を守るのは長年に亘る習慣だ。 王家の親戚筋に当たる家系に生まれ、同期の魔法使いや僧侶はおろか、賢者の中でもっとも優秀だったバロン――彼こそが、三賢者に相応しいと誰もが思っていた。 だが、レオナはどうもバロンが気に入ってはいなかった。 彼がレオナ暗殺計画を企んでいたのを知った時、ショックはもちろんあったが、それ以上にやはりと思う気持ちの方が強かったものだ。 その卓越した頭脳と才能を買われて名家の養子となったアポロは、血筋でこそはバロンに劣るかもしれない。 失脚したバロンに代わって三賢者のリーダーに抜擢されたアポロが、自分の責任を果たそうと目一杯張り切っているのはレオナにも良く分かる。 が、分かってはいても窮屈になってきた立場に、少し愚痴りたいと思うのは人情というものだろう。 「もう二度と一人でお城を出てはいけないだなんて、横暴よねー」 大袈裟に嘆いて見せつつも、レオナはその実、そう本気で文句を言っているわけでもなかった。 暗殺未遂事件が起こったのはそうそう前のことではないし、大掛かりな誘拐事件というのが放置できない大事件だとも理解している。 この城の中で一番身近で年の近いエイミならば、レオナに同感し、アポロへの非難に付き合ってくれるだろう、と――。 「仕方ありませんわ、姫様。いつまでも子供ではいられないんですし、果たさなければならない責任がありますもの」
「そう……ね。そうだった、わね」 レオナが望んだ言葉ではないにせよ、慰める様に言ってくれたエイミもまた、自分と同じ立場なのをレオナは知っていた。 本来なら、エイミは三賢者になるはずの娘ではなかった。 王族の女性にとって、心を許せる友人などそうそうできるものではない。それを予め用意しておいてやるのは、親心というものだ。 それが、本来エイミとマリンに望まれた人生だったはずだ。 それでもバロンの裏切りがなければ、二人とも三賢者への昇進など考えもせず、レオナを守るためにも侍女の地位に甘んじただろう。 才能に溢れ、姫への忠誠心を備えた人間を侍女にしておく様な余裕など、今のパプニカにはないのだ。 もはや、エイミは友人兼侍女として、レオナの味方だけをしていればいい立場ではない。 そのことは頭では分かっていたが、こんな風に実感させられると寂しさを感じずにはいられない。 (ダイ君……元気かしら?) 南の孤島で出会った、小さな勇者。 レオナを助けるために必死になって頑張ってくれたダイは、彼女にとって特別の存在として記憶されている。 城下町にさえだしてはもらえないのに、遥かに遠いデルムリン島へ行く許可など、もらえる見込みなどない。 「姫様? どうかしましたか?」 レオナが一瞬見せた憂いに気付いたのか、エイミが心配そうに聞いてくるのを見て、レオナは思考を切り換えた。 身分の違いを意識するのが辛いから、普通に振るまえなどど部下に命じるのは、傲慢以外のなにものでもないのは、よく承知している。 「ううん、なんでもないの。それよりエイミ、あたし思うんだけど、マリンとアポロって最近、いい感じじゃない? あれって、やっぱり二人ともお互いを意識しているわよねー」
パプニカ王女、レオナ。 まだ、婚儀や国の後を継ぐという責任を自覚しきっていない、一人の少女にすぎない。城を抜け出して、城下町にお忍びで遊びに行くのを最大の楽しみとする、お転婆な姫君。 これよりわずか三ヵ月後には、彼女はパプニカどころか世界に号令をかけ、勇者一行の指導者として名乗りを上げることになる運命を、この時はまだ誰も知らない。 そして、この時城下町に行かなかったことで、レオナはパプニカの誘拐事件には直接関わらなくなった。 大勇者との出会いと、その弟子である魔法使いの少年との出会いを、左右したかもしれない可能性。 だが、この時の彼女がそんなことまで思いを巡らせるはずもなかった。この時のレオナは、遊びに行きそこなったのを嘆き、久しく会っていない友達との再会を夢見るだけの、少女にすぎない。
《続く》 |