『そして、繋がる物語 ー後編ー』

  
 

「失礼します! ご歓談中、申し訳ありませんが……姫様、執務室にお戻り願えないでしょうか。急ぎの書簡が届きましたので、至急お目通し願いたいのですが」

 元気のよいノックやきびきびとした入室とは裏腹に、いささか申し訳なさそうにそう言ってきたのは、エイミだった。

 三賢者の一人であり、外交に絡む様々な雑務を主に担当している彼女は、最近、特に忙しいらしい。
 忙しいのは統治者であるレオナも同じらしく、エイミの来訪を見て慌てて立ち上がった。

「分かったわ、すぐに行くわね。じゃあ、ポップ君お大事に〜、また後で様子を見に来るからね」

「ちぇっ、急がしいってんなら、別に無理してまで来なくてもいいのにさー」

 などと、ポップはぶつくさとボヤくが、それは親しみの込められた、本気の文句とは程遠いものではあった。それに対応するレオナの言葉も、からかいの意味合いの方が強い。

「あーら、ちょくちょく様子を見にこないと、ポップ君ってば無茶をしたり、こっそり抜け出したりばっかりするんだもの」

「人聞きの悪いことを言うなよ、姫さん。『ばっかり』はやってねーだろっ!? そんなの、たまにしかやってないわいっ!」

「そんなこと言ったって、ポップの『たまに』はしょっちゅうじゃないか〜」

「あっ!? ダイの裏切り者っ、てめえ、余計なこと言うなよな〜っ」

 むきになって言い返すポップに、ダイまで加わってまたまた賑やかさが強まるが、それに軽く釘を刺したのはレオナだった。

「こら、ポップ君っ、安静患者はちゃんとそれらしくおとなしく寝ててよね。ダイ君も、あんまりここに長居しちゃ駄目よ」

「う、うん……」

 レオナの注意に、ダイは露骨にしょんぼりとした顔を見せる。
 だが、異議を唱えなかったのはポップの具合が良くないのを理解しているからだ。
 元々、ポップの体調を慮ったからこそ魔法を使わずに、テランからパプニカへ気球船に乗って移動を選択した。

 空の旅の最中もみんなで極力ポップを気遣い、かばう様にはしたものの、それでも長距離の移動が衰弱しているポップに堪えたのはどうしようもないことだろう。
 口だけは元気なもののポップの熱はまだ下がりきっていないし、移動で無理をした分、充分な休息が必要なのは分かっている。

 ……と、分かってはいても、それでもポップが心配で側から離れたくないと思う気持ちを隠せない辺りが、ダイの素直さというものか。
 そんなダイに向かって、助け船を出すように声をかけたのは、エイミだった。

「あ、そうそう。ダイ君に少し手伝ってほしいことがあるんだけど……よかったら頼めるかしら?」

「え? おれに?」

 と、ダイが意外そうに目をぱちくりさせる。エイミがダイに頼みごとをするのは、ひどく珍しい。
 が、人のいいダイは頼みごとは進んで引き受けるタチだ。

「うん、いいよ。で、おれは何をすればいいの? あ、じゃ、また後でね、ポップ!」

 レオナやエイミに続いて、ダイも一緒に部屋を出て行ったせいで、病室が急に静まり返る。
 別に広さまでは変わっていないはずなのに、急にガランとしたように感じる病室の中で、残されたのはポップにヒュンケル、それにクロコダインだった。

「じゃ、オレ達もそろそろ引き上げるとするか。悪いが、用事を思い出したからな」

 別に急ぐような用事もないのもそう言ったのは、クロコダインの優しさというものだろう。
 まだ本調子ではないポップは、ちょっとしたことでもすぐ疲れを感じるようだし、睡眠時間が増大している。

 精神的な疲れを感じると眠気が増すのは、魔法使い特有の症状の一つだ。
 そして眠りにつくには、一人で静かな空間にいた方がいいのは、常識だ。

 ……まあ、ポップの場合は一人になったのをいいことに、アバンの書を読み耽ったり、最悪こっそりと抜け出そうとしたりなどするので、ある程度の見張りやこまめな面会は欠かせないのだが。

 だが、今は一人で休ませた方が良いと見える。
 ポップが眠そうな様子を見せ始めたのを悟り、自分達が席を外した方が眠りやすいだろうと気遣ったクロコダインの思いやりに、ヒュンケルは内心感謝をしている。

 ヒュンケルも同じことを感じていたものの、自分からの言葉をポップが素直に受け入れないのは目に見えている。

 疲れている様だから休めなどと言えば、ポップはムキになって反発し、かえって疲れさせてしまいかねない。
 しかし、クロコダインの言葉にならポップも別に反発はしない。

「ん、おっさん、見舞い、ありがとな。……まあ、ヒュンケルにも一応、礼は言っとくよ」

 そう言いながら、ポップはあくびをして自分から毛布の中に潜り込む。
 ダイやレオナがいる時は元気にはしゃいでいたのだが、ずいぶんと疲れていたらしい。
 この様子なら素直に眠るだろうと、そっと部屋を出ようとした二人の耳にぼそっとした言葉が聞こえた。
 それは、独り言のような口調だった。

「さっきの話だけどさ……魔物なんかじゃなかったよ」

 部屋を出ようとしていた二人に、かろうじて聞こえるか、聞こえないかという程度の大きさの声だった。
 ハッとして振り向くと、ベッドに完全に横になったポップが、眠そうに呟いていた。

「少なくとも、おれをさらった奴らは人間だった。人間が、魔法力の高い子供をさらって、魔王軍の手先とやらに売り飛ばしていたんだ。何かの実験動物にするとかって言っていた」

 いつものポップらしくもない淡々とした口調だったが、それを聞いた二人は思わず絶句してしまう。

 ヒュンケルもクロコダインも、人間の素晴らしさに目覚めることで改心した者同士だ。
 人間という存在が、魔物や怪物とは違う優しさや輝きを持っていると思っている。

 だが、同時に……彼らは人間の醜さや弱さも、知っている。怪物や魔物もそうである様に、欲に目が眩んだ人間は時に愚かしい行動に走るものだ。

 他人が傷つくのを厭わず、同族である人間を蹴落としてでも、自分の欲望だけを満たそうとする者がいかに醜く見えるものか……それを、ヒュンケルもクロコダインも知っている。

 純粋な勇者や、正義のために人々を導こうとしている姫には決して聞かせたくはない、人間の醜さ。
 いかに人間離れした強さや、大人すらも上回る頭脳を持ってはいたとしても、ダイやレオナはまだ子供だ。

 だからこそポップは、自分の知っている話全てではなく、ダイやレオナに聞かせてもいいと思った部分だけを話したのだろう。
 そう判断するだけの賢さと他人を気遣う優しさが、ポップにはある。

 だが、ポップもまた、子供だ。
 自分より年下の二人を気遣い、こっそりと真実を隠そうとする優しさはあっても、それらも醜さもまるごと一人で許諾できるほど、大人ではない。

「……だから、面白い話じゃないって言っただろ?」

 最後にそう呟くと、ポップは二人に背中を向ける態勢で横たわる。左肩に怪我を負ったせいで仰向けに寝るのは傷に障るから、その格好を取ることは多いのは知っている。
 だが、今、ポップが背を向けたのはそれだけの理由とは思えなかった。

 やけに小さく見える背中を見ながら、ヒュンケルは一つの記憶を思い出していた。
 ポップは知らなかった、そしてヒュンケルだけが知っている事実がある。
 パプニカで起きた誘拐事件……あの時、魔王軍が求めた基準値に達していた子供は、たった一人だった。

 あの時、一人だけ他の子供達から離れた場所に倒れていた子供――助け損なった子供という後ろめたさゆえに記憶にとどめていたものの、顔までは確かめなかった。
 大体の背格好や、黒髪だったことや、緑色の服を着ていたことは、覚えている。

 だが、黒い髪なんてありふれているし、ヒュンケルがポップと会った時に着ていた服も色こそ緑色だったものの、別の服だった。
 だから気がつきもしなかったが、こうして改めて見ると、思い当たらなかった方が不思議なぐらいだった。

 奇しくもあの時と同じように、今もバンダナをしていないせいで、あの時の子供の姿が今のポップとぴたりと重なる。
 あの時の自分には助けることのできなかった少年が、アバンに助けられ、今、ここに無事にいる――それは、ヒュンケルには特別なことのように思えた。

(……あの人には、いつまでも助けられてばかりだな)

「どうした、ヒュンケル?」

 クロコダインに促されるまで、ヒュンケルはしばらくポップを見つめていたいたらしい。 声を殺して囁いてきたクロコダインに合わせて、ヒュンケルもまた押し殺した声で答えた。

「……いや、なんでもない。もう、行こう」

 本気で疲れていたのか、ポップの呼吸はすでに寝息に変わりかけている。これ以上、自分達が側にいては眠りの邪魔をするだけだろう。
 できるだけ音を立てない様に気をつけて、ヒュンケルとクロコダインはそっと部屋を出た――。






「申し訳ないんだけど、マトリフさんの所へお使いに行ってもらえないかしら? この手紙を持っていってほしいの」

 そう言いながらエイミが手渡した手紙を、ダイはしっかりと受け取った。

「うん、いいよ」

「ごめんなさいね。本来なら、三賢者である私が行くべきなんでしょうけど……」

 気楽なダイに比べ、エイミにしてみれば申し訳なさが先に立つ。
 確かにダイにとっては、マトリフは気安い相手だろう。
 アバンの仲間で、ポップの師匠にあたる人――おまけに、無人島育ちのダイは相手の身分や立場には至って無頓着だ。

 怪物とでも平気で仲良くなってしまう無邪気な性格のダイは、並外れて偏屈な老人にも遠慮というものがない。
 が……、パプニカ王国の多くの人々にとっては、マトリフはそんなに気安く接することのできる相手ではない。

 世界一の魔法使いであり、パプニカの前任宮廷魔道士であるマトリフは、パプニカ王国の人間にとっては誇りであると同時に、いささか恐れを感じる相手でもある。
 なにしろ彼の魔力の凄まじさはいまだに語り草だし、人間嫌いでも知られた人物だ。

 恐れ多すぎて、彼の所を尋ねるのはいささか敷居が高いし、普通の兵士を使いにだしても門前払いをくらうだけだろう。
 実際にフレイザード戦の後、三賢者とレオナが直々に礼を述べ、パプニカ王国への助力を頼みはしたのだが、マトリフはあっさりと断った。

『今回は気紛れで助けてやったが、オレは元々王家とかに拘わりたかぁねえんだよ。後は、おめえらで勝手になんとかしな』

 自分は隠居の身であり、国家や魔王軍との戦いに関わる気はないと言う姿勢を、示したのだ。
 断られた直後はなんて自分勝手な人だとエイミは憤慨したものだが、レオナやアポロはマトリフが断ったことを当たり前のように受け止めていた。

 それどころか、むしろ感謝すらしているようにさえ見えたものだ。
 その意味を、エイミが理解したのは最近になってからだ。
 先代勇者一行の魔法使いがパプニカに手を貸してくれれば、確かにそれだけで人々の心の支えとなり、心強いに違いない。

 だが、それでは駄目なのだ。
 すでに、先代の勇者一行は存在しない。
 大勇者アバン、その片腕だった戦士ロカはすでに死亡した。

 大魔道士マトリフや拳聖ブロキーナは生存しているものの、二人とも高齢であり年齢的に絶頂期の力を有しているとはとても言えまい。
 戦いから長く離れていた上に僧侶という職業のレイラも、戦力にはならないだろう。

 レオナを初めとした人々が頼るべきは、栄光に満ちた先代一行ではなく、今現在、魔王と戦おうとしている小さな勇者と、その仲間達なのだ。

 先代勇者に縋ることなく、成長途中である彼らの潜在能力を信じ、伸ばす方向に頑張るべきだという、言葉にはしなかったマトリフの叱咤――これも、大魔道士の深慮遠謀の一つなのだろう。

 それでいて、マトリフは随分と優しいところがある。
 自分には関係がないと突き放したようでいて、ポップを弟子として鍛えるという形で、間接的に勇者一行に知恵や手を貸してくれるのだから。

 ポップを通じて、マトリフは色々と勇者一行に――ひいてはパプニカ王国や世界のために力を貸してくれている。
 それに甘える形で、マトリフへの手紙をダイに託す自分達の思惑がいささか姑息なように思えるだけに、エイミにはちょっぴり後ろめたさがある。

 ダイは内容を聞きもせずに快諾したが、今、彼に渡したのは、ポップの具合がなかなかよくならないので治療の相談を持ちかける手紙だ。
 本来なら、戦いにおける負傷者の手当てこそ、三賢者が率先して行うべきことだ。

 だが、まだ年の若い三賢者は医師や薬師としての知識はまだ浅く、魔法だけでは治しきれない場合には対応しきれない。
 自分達の力不足を補って欲しいと頼むのに、第三者の使者を送るなど無礼もいいところだ。

 が、それを理解した上で、忙しさや大魔道への恐れなども除外したとしても、エイミにはマトリフへの面会を避けたい理由があった。

(私が行ったら、絶対にセクハラされるし……!)

 かの老魔道士は、偉大な魔法使いであるのと同時に、どうしようもないほどのドスケベでもある。
 エイミが彼と会った機会はそう多いとは言えないが、顔を合わせる度にお尻だの胸にタッチされてしまう。

 まあ、本人には一向に悪気はなさそうだし、ムキになるほどの被害でもないとはいえ、年頃の娘としてはできるなら避けたいではないか。
 というわけで、エイミの結論は手が空いている上にマトリフと親しい勇者様に使いっぱしりを頼むことだった。

「ホントにごめんなさいね、ダイ君。でも、お願いするわ」

「うん、分かったよ! じゃ、行ってくるね!」





 ぼこぼこと歪む古ぼけた大きな鍋に、何やら怪しげな物体が次々に放り込まれていく。ぐつぐつと音を立てて煮える鍋からは、なんとも言えないような奇妙な臭いが漂っていた。 奇妙なのは、匂いだけではない。

 鍋を満たす液体の色合いときたら、魔女の毒薬も顔負けの不気味さである。
 あまりの不気味さにダイは恐ろしい物を眺める目つきで、その鍋をじっと見つめずにはいられない。もっとも、その間もダイは決して手を休めることはない。

 薬鉢で、薬の材料をごりごりと小さく砕いている最中だ。面倒な上に結構力や根気を必要とされる作業だが、ダイにとっては苦にはならなかった。

 どちらかといえば不器用なダイは、精密な作業は苦手だが力仕事ならお手の物だ。この薬がポップのためになると思えば、やる気も充分にでる。
 ……が、問題は別にあった。

「ふん、いい色になってきやがったな。どれ、ダイ、そのヒヨテポタスの実を擦ったのをよこしな。……ああ、次はこっちを砕いてもらおうか。できるだけ細かく頼むぜ」

 マトリフが無造作に放って投げたのは、天井からぶら下がっていたトカゲのミイラだった。

「うぇ〜」

 嫌そうな顔でそれを受け取ったダイは、まじまじとミイラを見る。

「マトリフさん、本当にこんなの入れて、薬ができるの〜?」

 半信半疑になるのも、無理はない。
 ダイが持ってきた手紙を見て、マトリフはポップへの薬を調合してやるから手伝えと言った。

 もちろん、ダイは諸手を挙げて賛成した。
 蘇生以来、ポップの体調が今一歩優れずにずっと微熱が続いているのは、ダイのみならず勇者一行全員の心配の種だ。

 それを治す薬を作ってくれるというのなら、願ったり叶ったりだ。喜んで協力を申し出たダイだったが――いかんせんここまで怪しげな薬では、不安にならない方がどうかしている。
 だが、マトリフは自信たっぷりだった。

「ああ、よーく効くはずだぜ。こいつは強力な解毒効果があるんだ。
 前の時も、こいつできれいさっぱり治ったはずだからな」

「前?」

 訝しんで、ダイが聞き返す。
 デルムリン島を一緒に旅だってから、ダイは常にポップと共にいた。そして、ダイの知っている限り、ポップはいつも元気いっぱいだった。

 ――だが、昼間聞いたばかりのポップの話を思い出す。
 誘拐されていた間、変な薬で眠らされていて解毒するのに時間がかかった……ポップは、確か、そんな風に言っていた。

「ひょっとして、マトリフさんも前の誘拐事件のこと、知ってるの?」

「ま、多少はな」

「ホント!? なら、詳しく教えてよ!」

 勢い込んで聞くダイを、マトリフは軽く流す。

「別に、話す程のことでもねえよ。それに、オレはあの時はアバンには会ったが、ポップの野郎には会わないままだったしな」

「えー!? 先生と会ったんなら、なおさらその時の話とか聞きたいよー」

 人の好いバダックと違い、年下の子供にサービスしようだなんてかけらも考えていないマトリフは、人の悪い笑みを浮かべるばかりだ。

「ケケッ、無駄話している暇があるのなら、ちゃんと手を動かせっつうの」

「うー、つまんないのー」

 多少膨れながらも、それでもダイは熱心にせっせと手を動かす。
 どこか懐かしさを呼び起こすその音を聞きながら、マトリフは記憶を遡らせる。
 もう一人の勇者が、この洞窟を訪れた日のことを――。






『こんばんは、お邪魔します〜』

 そんな呑気な挨拶と共に、のほほんとした様子でやってきたのは、かつての勇者。
 数年振りに会ったと言うのに、アバンは少しも変わってはいなかった。妙に懲りまくった珍妙な髪形や、やけに目立つ服も以前のままだ。

 まるで、つい昨日会ったばかりであるかのように、ごく当たり前の様にひょっこりと顔を出してきた。
 その変わりのなさと、相変わらずの甘さには苦笑したものだ。

 押しかけ弟子に厳しくしきれず、迷っている様子だったアバンに、その弟子を預かることを申し出たのは、マトリフにしてみれば親切という程のものでもなかった。
 言うなれば、ちょっとした好奇心。

 アバンが選んだ弟子がどんな個性や素質を持っているのか、興味を抱いたにすぎない。無論、一度引き受けたのならきちんと責任は取るつもりはあったが、一番の動機は好奇心なのには違いなかった。
 だからだろうか……マトリフにしては珍しく、本気で楽しみにしていたのだ。

『約束します、その時は必ず二人の弟子を連れてきますから』

 そう約束した、アバンの言葉を。
 最初に来た時も、次に来た時も、寝込んでいる弟子の具合が気になるからと、早々と立ち去っていった勇者。
 それが、マトリフが最後に見たアバンの姿であり、言葉だった。

(……皮肉なもんだぜ。この老いぼれが死なずに、あんなに若い内にアバンまで逝っちまうとはな……)

 かつての仲間……ロカのあまりにも早い死を知った時に感じたのと同じ憤りや悲しみが、マトリフの中にある。
 それは、単に仲間の一人を失っただけの感情ではない。

 二度までも魔王との戦いを経験した大魔道士は、今の人間側の情勢の不利さを見切っている。
 勇者の存在とは、それだけ特別なのだ。

 先代の勇者が初手からいなくなったことが、いかに今後の戦いに不利に働くことか。
 それを理解できるだけに、いくら弟子を庇うためとはいえ最後の呪文を自ら唱えたアバンに、恨み言の一つも言いたくなってしまう。

 だが――アバンの判断が間違っているとは、マトリフには思えなかった。
 前の魔王軍の戦いの時も、この間会った時も、アバンの判断を甘いと感じたし、呆れさえしたものだが……それでも、彼は紛れもなく勇者だった。

 勇者の決断は、常に正しい。
 理屈や直感を超えて、見事なまでに世界を救ったのだから。
 あの時、アバンはポップを連れて、新たな勇者を育てるために旅だった。その決断こそが世界を救った事実を、アバンは知っていたのだろうか?

(やっぱり、勇者って奴はたいしたもんだぜ)

 本心から、マトリフはそう思う。
 あの時、マトリフがポップを預かっていたのなら、彼の魔法力や知識は確かに今以上に鍛えられたかもしれない。

 だが、それだけだ。
 その場合は、ポップの力を底上げすることはできたかもしれないが、ダイと共に過ごす時間は減っただろう。

 もし、そうなっていたのなら、ダイが今回の試練を乗り越えられたかどうか、怪しいものがある。

 未熟過ぎて呆れたものの、マトリフの目にもダイとポップの強い友情は感じられた。あの勇者と魔法使いが、今までどんな戦いを乗り越えてきたのかまでは、マトリフは知らない。

 だが、一緒に修行を受け、共に過ごした旅の日々が、二人の間に固い絆を築きあげたのは分かっている。
 だからこそ、マトリフはダイが自分の出生を知った時、それを支えられるのはポップしかいないと判断した。

 その判断は、正しかった。
 生き別れた親子の血の繋がりさえ凌駕したのは、ダイとポップのあの絆だった。実力など関係なく、ダイとポップの友情こそがバランとの戦いで決め手となった――。

 マトリフはダイの方に、ちらりと目をやった。
 小さな勇者はやたら真剣な表情で、一生懸命に薬の材料を砕く作業に専念していた。面倒な作業であるにも関わらず、文句一つ言わずに熱心に。

 身体を動かすのが好きで、じっとしているのが大の苦手なダイがそこまで熱を込める態度からも、ダイとポップの絆の強さは十分に伺える。
 ダイを眺めるマトリフの表情には、すぐにはそうと気が付かない程の小さな笑みが浮かんでいた――。






「ほれ、これを日に三度、食事の後にあのバカに飲ませな。
 量や注意書きはこっちの紙に書いておいたから、三賢者かあのお姫様に渡すんだぞ。ポップの野郎には、見せなくていいから」

 そう言って渡したガラス瓶と注意書きを、ダイはこの上なく大事そうに受け取った。

「ありがとう、マトリフさんっ。じゃ、おれ、ポップが気になるからもう帰るね!」

 しっかりと薬の瓶を抱えて元気よく走りだしたダイを、マトリフは洞窟の出口の所に立って見送った。
 よほど、早く帰りたいのだろう。

 振り向きもしないで走っていく小さな勇者の背中に、マトリフはもう一人の勇者の背を思い出す。
 無論、ダイとアバンでは年齢も体格も大幅に違う。

 だが、他人を助けるために一生懸命になれる点や、真っ直ぐな正義感は、アバンを彷彿とさせるものだ。
 そして、ポップを案じて急いで帰るところまで、そっくりだ。
 苦笑を浮かべつつ、マトリフはそれを見送った。





 アバンが、二人の弟子を連れて旧友を訪れるはずだった未来。
 ――その約束は、果たされなかった。
 だが、それでいて、約束は叶ったのかもしれない。

 アバンの志は、今も変わらずに弟子達を導いている。そして、彼の遺志を受け継いだかのように、彼の弟子達は世界を救うために戦い続けている。
アバンがすべての希望を託した、新しい勇者達が勝利を掴むことを、マトリフは望む。
 アバンの忘れ形見達の未来が、明るいものであることを――。


                                      END


《後書き》

 『いつか、繋がる物語』の後日談です!
 実は、こっちの方が先に浮かんでいました。最初は、ポップが寝込んでいる時期に、アバン先生のことを回想して事件を思い出す……という形式での話を書こうと思っていたのですが――回想と現実を交えた文章って、すっごく書くのが大変でして。

 こりゃ、分けて書いた方が楽だと、過去の事件と、回想を別にしてみました!
 繋がる話は連載中(笑)に書き留めていたネタ帳に書いていた話が元です。
まだ、アバン先生が死んでしまったと本気で思っていた時ですね。

 当時は、アバン先生復活を知ると同時に「今更先生を追悼する話なんか、書けないじゃないかーっ」と、一切のネタを封印した覚えがあります(笑)
 でも、今になってみれば「原作のこの時期の話」と明記すれば、何の問題もないですね。
 
 

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