『奇跡への条件 ー前編ー』

  
 

「……っ?!」

 瞬間移動呪文でパプニカの城内に突如として出現した彼らを見て、兵士達は驚きを隠せなかった。
 それも、無理もないだろう。

 移動呪文の使い手は、そう多くはいない。そういう魔法があるとは知ってはいても、突然、他人が現れただけで人は驚くものだ。
 ましてや、いきなり城のテラスに降ってきたともなれば、警戒心が真っ先に働くのも当然だろう。

 その上、メンバーが悪すぎる。
 クロコダインやヒム、ラーハルトという人外の者達に、一度はパプニカを滅ぼした元不死騎士団長ヒュンケルが以前のままの鎧化したままの姿で現れて、平然としていろという方が無茶だ。

「なっ、何者だぁっ?!」

 いくら彼らが勇者一行のメンバーだといっても、魔王軍との戦いから二年も過ぎた今、新しく雇われた者の中には彼らを知らない者も少なくはない。
 敵襲を受けたかのように、兵士達が殺気立って彼らを取り囲んだといっても、それを非難はできないだろう。

「お、おい〜。いきなりこんな所に降りてきたのは、ちとまずかったんじゃねえの〜?」
 

 声を潜め、ヒムがこっそりと非難がましい台詞をぶつけた相手は、ラーハルトだった。ポップが気絶している以上、この中では瞬間移動呪文を使えるのは彼しかいないため、移動したのは彼だった。

 当然、全責任も彼にある。
 が、面の皮が人一倍以上厚いに違いない半魔族の青年は、動じた様子もなく言ってのけた。

「緊急事態だ」

「それにしても、せめて城の外にしておけばよかったんじゃないのか?」

 人の良いクロコダインが、困ったような顔でそう呟く。以前から人間贔屓なこの獣王は、人間に対しての気遣いを忘れない性質なだけに、兵士達を驚かしたことをすまなく思っているらしい。

 いささか皮肉混じりだったヒムには辛辣に言い返したラーハルトも、実直なクロコダインに対しては強くは出れない。
 気まずそうにわずかに目を逸らし、ボソリと呟く。

「その通りだが……オレは――呪文は不得手でな」

「ををいぃっ?! んな話、初めて聞いたぞっ?!」

 思わず全力でツッコむヒムだが、彼らにとって幸いだったのは、この場所がこの国の王女の執務室に近かったことだ。
 しかも、執務中だったせいで彼女はすぐに現れた。

「どうしたの?! 何事なの?」

 兵士達を掻き分け、憶することなく現れたパプニカ王女は突然やってきた一行を見て息を飲む。
 だが、レオナが驚いたポイントは、他の兵士達とは大きく違っていた。

「ポップ君ッ?!」

 ラーハルトに抱かれたまま、ぐったりとして目を閉じている魔法使いの少年。それだけでも衝撃的だったが、彼の首元が赤く染まっているのを見ては、落ち着いていられるはずがない。

「あっ、姫様、お待ちをっ?!」

「平気です、彼らは勇者一行の仲間ですから。それより、今すぐアポロ達を呼んでちょうだい!」

 兵士の制止を撥ね除け、レオナはポップの側に駆けつけると即座に回復魔法をかけ始める。

(良かった……浅手だわ)

 血の色に最初は驚かされたが、ポップの怪我自体はごく浅かった。場所が首なせいで出血量が多く見えるが、皮膚一枚が切れた程度のその怪我はかすり傷といっていい。
 見る見るうちに血は止まり、傷は跡形もなく消えていく。

 だが、問題なのはレオナの全回復呪文を受けているというのに、ポップの意識が一向に回復しない点だった。
 回復魔法をかけた場合、表面上の傷だけでなく失った体力も回復される。普通なら、気絶していたとしてもすぐに目を覚ますはずだ。

 だが、今のポップはぴくりとも動きはしない。血と泥に塗れ、ひどく弱ったように見える外見も相俟って、見ている者を不安に陥れるには充分だった。

「いったい……何があったの?」

 兵士達にもう安全だと告げて人払いしてから、レオナは彼らに問い掛ける。
 心配そうな口調や表情には、隠そうともしない不安がありありと浮かんでいた。
 それも無理はないだろう、ポップの体調を承知の上で全面的に彼にバックアップする形で旅立ちを見送ったのはレオナだ。

 他の誰よりも、ポップの旅に責任や心配を感じていて当然だ。
 彼女の責任感を知っているだけに、クロコダインやヒュンケル、それに意外と空気を読めるヒムも言葉に詰まる。
 だが、ラーハルトは他の三人とは神経の太さが少し違っていた。

「魔法を封じられたところを、キルバーンに襲われた」

 淡々とそう告げるラーハルトの言葉に、さすがに豪胆な姫君もギョッとした様に目を剥く。

「お、おいっ、そりゃ事実だけど、もう少し言い方ってもんはねえのかよ?!」

 我慢できないとばかりにツッコむヒムを軽く制したのは、他ならぬレオナだった。
 さすがに驚きは隠せないものの、その衝撃を押し殺す度量が彼女にはある。

「あの死神、生きていたのっ?! ――って、驚いている場合じゃなさそうね。いいわ、あんな奴のことは後回しにしていいから、旅のことを教えて。
 ポップ君は、目的を遂げたの?」

「いいや。一歩、及ばなかった。
 怪我は浅手だが、旅のせいで体力を消耗し過ぎた。本人は後一つ洞窟に行くと言い張っていたが、これ以上の旅は無理と見て、引き返してきた」

 ぶっきらぼうなラーハルトの言葉を聞いたレオナは、一瞬、瞑目して沈思する。
 そして、深い溜め息と共に吐きだした。

「そう……賢明な判断だわ。ポップ君を無事に連れて帰ってくれて、ありがとう」

 わずかに顔を俯かせた表情も、声音も決して明るいとは言えないものだった。だが、レオナの心境を思えば仲間達の帰還を一言も責めず、労うことを忘れないだけでもたいした精神力と言うべきだ。

 ポップがこの旅を最後まで果たせなかったということは――すなわち、ダイへの手掛かりが遠ざかったということに等しい。
 レオナがどれほどダイの帰還を切望し、待ち望んでいるかを思えば、ここでの断念はどんなに辛いか想像に難くない。

 だが、それでもレオナは恋だけに心を奪われる少女ではない。仲間の無事を優先するだけの理性と公平さを、持ち合わせている。


 しかし、それでも期待が潰れた悲しみに打ちのめされるのは、仕方がないことだろう。
 細い肩を落とし、それでも苦難の旅を終えてきたばかりの仲間達を休ませようと手配しようとするレオナに向かって、ラーハルトは淡々とした調子で告げる。

「ところで、こいつに負担をかけずにダイ様をお助けするために……一つ、あなたの耳に入れておきたいことがある。聞いてくれるか?」

 その言葉に、レオナの目が大きく見開かれる。が、彼女はすぐに力強く頷いた。

「もちろんよ! それは耳寄りなお話ね、聞き逃せないわ……!」

 

 

 


 パプニカ城の中でも最も堅牢な塔の一室で、紙の上にペンを走らせる音だけが、静かに部屋を支配していた。
 真剣な目で書類をチェックし、素早い動きで書類にサインや字を書き込む作業は、見目麗しい姫君にはいささか不釣り合いなものかもしれない。

 だが、レオナにとってはすでにやり慣れた作業でもあった。
 国を治める立場の者として、少しばかりの時間でも無駄にできないとばかりに書類整理に追われているレオナの手が、無意識の様に机の左手の方へと伸ばされる。
 だが、その手は空しく空を切った。

(あ、そうだったっけ)

 失敗してから初めて、ここが自分の執務室ではないことを思い知る。
 ここは、パプニカ王国の幽閉室だが、今となってはポップの私室として使用されている部屋だ。

 ポップの机……というより、この幽閉室に元々あった机を一時的に借りているのだが、普段使い慣れた自分の執務室とはやはり違う。
 いつもならすぐ手に届くところに配置した資料がないのに、幾度となく不自由を感じてしまう。

 一応、必要最低限のものは持ってこさせたつもりだが、作業を進めれば進める程、足りないものは発生するものだ。
 一瞬どうしようかと思いを巡らせた時、おあつらえ向きに律義なノックの音が聞こえてきた。

「どうぞ、空いているわよ」

 レオナの返答を聞いた後で、片手に水の入った手桶を、片手には山ほどの書類を抱えて部屋に入ってきたのは、ヒュンケルだった。

「失礼します。先程頼まれた書類を持ってきました。それと、これはマリンから頼まれた新しい書類です、目を通しておいてくださいとのことです」

「後で見るから、その書類はそっちに置いておいて。
 で、悪いんだけど、あたしの執務室にある本棚から、辞書の中で一番分厚いものを持ってきてほしいの。
 それとアポロを急かして、リンガイアへの急使の支度が整っているか確かめておいてくれないかしら。例の貴族の身元は大方見当はついたもの……大魔道士を拉致監禁しようとした行為について、国を通して徹底的に締め上げなくちゃね。
 ああ、それと……」

 次から次へと飛んで来る命令に、ヒュンケルは嫌な顔一つせず、律義に一つ一つ頷きながらもポップの手当てを忘れはしない。
 まだ意識が戻らないポップの額に、冷たい水に浸した濡れタオルを乗せてやったり、少し弱った暖炉の火を強めたりと、こまめに動いているのはヒュンケルだった。

 単に看護という意味ならば、侍医や熟練の侍女があたる方が効率がいい。
 しかし、敵の襲来がいつ来るか分からないのなら、看病を普通の侍女に任せるのもまずいだろうとヒュンケルが看護役を買って出た。

 クロコダイン、ヒム、ラーハルトは看病の経験もろくにないためか、警護の役についている。
 邪魔にならない様にと彼らは隣室に控えてたり、順番を決めて城内を巡回している。

 なにしろ、キルバーンには空間を渡ってくる能力がある。普通の病室では、いざと言う時に対処がしにくい。
 以前、一度キルバーンの侵入を許したとはいえ、この幽閉室こそがパプニカで一番強固な部屋であるだけに、敵に備えるためには最適の場だ。

 だが、そこまではいいとしてレオナの存在は計算外と言うべきか。
 なにしろ、レオナはポップの看病のためにここにいるわけではない。
 実際にポップの看病をしているのは主にヒュンケルであり、レオナは文字通りここにいるだけだ。

 ポップを見張っていると言えなくもないが……ぶっちゃけ、レオナの存在は明らかに看病の邪魔だろう。
 ただでさえ塔の上という出入りさえ面倒な場所なだけに、看護に必要な細々としたものを運んでくるだけでも大変だ。

 何しろ、移動するためには当然のことながら、少なくはない階段を上下しなければならない。
 なのに、レオナがこの部屋に居座っているせいで、必要となる細々とした道具や用事は倍以上に増えている。

 書類が書き上がる度に、それを運ばせる役目までヒュンケルに押しつけてしまっているのだが、彼はそれに不満一つ漏らさず黙々と従っている。
 その上で、レオナを気遣う優しさがヒュンケルにはあった。

「姫、後はオレが引き受けますから、そろそろお休みになられてはどうでしょうか」

「んー、もうちょっとだけ、ここにいては駄目かしら? だってポップ君、そろそろ目を覚ましそうなんですもの」

 どんな朴念仁な男であろうとも心をくすぐられる、見とれる程に愛くるしい笑顔でのおねだり。並の男ならば、これを無下にはできないだろう。
 ――が、ヒュンケルはあらゆる意味で並の男ではない上に、朴念仁を通り越していた。
 

「ポップが目を覚ましたのなら、すぐに姫をお呼びします」

「だめよ、そんなんじゃ間に合わないわよ! 起きたらすぐ、ガツンと言ってやらなきゃとても気が収まらないわ!」

 強く首を振って、レオナはきっぱりと言い切った。

「いい? あたしはね、ポップ君に心の準備や理論武装の時間を与える気なんか、これっぽっちもないの。
 目を覚ましてすぐ、不意打ちで奇襲をかけさせてもらうわ。そのためにも、あたしはここにいなきゃ、なの。
 先手必勝よ」

 可憐な王女様の口から出るには、あまりにも勇ましい言葉に、ヒュンケルもわずかに困った様な、それでいてなんとも暖かみのある苦笑じみた表情を浮かべる。
 が、その顔が一瞬で引き締まって、後方を振り返る。

 何かあったのかと驚いたレオナだが、ヒュンケルが視線を向けたのはポップの寝ているベッドだった。
 今まではうなされはしても、目を覚ましはしなかったポップが、いつの間にか目を見開いていた。

 しかし、長い間眠っていただけに、ポップはすぐには状況をつかめない様だった。
 何度も瞬きを繰り返し、戸惑う様に口を開く。

「――おれ……なんで……?」

 あやふやな口調で言いながら、ポップは身を起こそうとする。それを見て、慌ててヒュンケルが彼の側に戻った。

「ポップ、無理に起きようとするな」

 皮肉にもヒュンケルに休めと促されて、ポップはやっと本格的に覚醒したらしい。今の今まで意識も戻らなかった人間とはとても思えないような口調で、ヒュンケルに食ってかかりだした。

「ヒュンケル、なんでおれをこんなとこへ連れてきたんだよっ?! おっさん達はどこだよ、早く次の洞窟に行かねえと……っ」

 やたらと焦った口調でそういいながら、ポップは無理やり身を起こそうとする。だが、威勢のいい口先とは違って、ずっと寝込んでいた身体は自由が効かないのか、萎えた腕は自分の身体さえ支えきれない。

 それでも、自分を寝かせようとするヒュンケルの腕に逆にしがみついて起きようとするポップに向かって、レオナは足音も高らかに近付いた。

「あぁら! 『こんなとこ』とはご挨拶ね。あたしの城にケチをつける気? これでも世界有数の風光明媚な城として、大絶賛を受けている城なのよ?」

 文字通り、先手必勝。
 わざと叩き付けた文句を聞いて、ポップは見てて面白い程ビクッとして身を竦ませる。


「ひっ、姫さんっ?! な、なんでここにっ?!」

「あら、あたしの城にあたしがいて、文句をつけられるとは思わなかったわ」

「あ、いやいやいやっ! 別に、姫さんとか姫さんの城に、ケチをつける気なんかねえって! そうじゃなくって、いつの間にここに来たのかが分からなかったから……っ。
 ――おいっ、ヒュンケル、これはどーゆーことだよっ?!」

 レオナに対してはたじたじのポップも、自分の兄弟子に対しては妙に態度が大きい。
 が、ほとんど八つ当たりっぽく怒鳴られたというのに、ヒュンケルは気にした様子もなかった。

「おまえが倒れたから、ここに運んできた」

「え……?!」

 ギクッとしたようにポップは考えこみ  その揚げ句、憤慨したように文句をつけだした。

「……ちょっと待てよ?! おれ、あの時は倒れてなんかねえぞっ! 誰かが、おれを気絶させたんだろっ?!」

 犯人を捜そうとポップが周囲を見回そうとするよりも早く、レオナがずいいっと身を乗り出す。
 ほとんどベッドに乗り上げかねない勢いで迫るお姫様を前にして、ポップが怯えたように後に下がる。

 が、その背はすぐにベッドボードに遮られた。逃げ場を無くしたポップの眼前に、美麗な姫君の微笑みが迫る。

「今のは、ちょっと聞き捨てならないわよね?」

「き、聞き捨てならないって、何が?」

「あら、自分のミスに気付かないの? ポップ君、今、文句を言う前に考え込んだわよね? つまり、あなたっていちいち考えなければ自分の健康状態に自信が持てないぐらい、調子が悪いみたいね」

「うっ?!」

 思わず詰まるポップとは逆に、思い当たることがあるような素振りを見せたのはヒュンケルだった。

「そういえば、前にも起き抜けにそんな素振りを見せたことがあったな」

「バッ、バカヤローッ、てめえ、普段は無口な癖して、いらん時だけなに詰まらないことチクッてんだよっ?!」

 と、怒鳴り返すポップにすかさず食いついたのはレオナだった。

「ああら、詰まらないことなんかじゃ無いでしょ。それもなかなか興味深い話だわ。
 それに、ヒュンケルは私の直属の騎士ですもの、主君の命令で行った旅の報告を詳細にするのは、むしろ義務だわ。
 旅の間の出来事はもーっと詳しく聞きたいから、後でじっくりと『チクッて』もらうわね」

 ヒュンケルへ話していると見せかけつつ、ポップに対してあからさまな脅しをかけてみせるのは、細やかな仕返しというものだ。
 ポップが旅に出てからというものの、レオナがそれを心配しなかった日など、ない。それを思えば、これぐらいの脅しは軽すぎるぐらいのものだ。

 わざとらしいまでの笑顔でそう言った後で、レオナは今思い出したとばかりに軽く付け加える。

「あ、ヒュンケル。悪いけど、ポップ君が目を覚ましたことをみんなに伝えてはもらなないかしら? 侍医にも連絡を取ってね」

 それは、本来ならば必要のない命令だった。
 わざわざヒュンケルに伝言を頼まなくとも、緊急のために設置したベルを鳴らすだけで、見張りの兵士にこちらの命令を伝えることができる。

 ポップの容体が急変した時の用心に、治療手を呼ぶための合図は幾つか用意されているぐらいだ。
 だが、それを知っていながらヒュンケルは一言も異を唱えなかった。
 レオナが口にはしなかった意思に従い、無言のまま黙礼して部屋を辞去する。

「え? あ、おい、ちょっと待てよ、おいっ?!」

 普段あれだけ反発しているくせに、この場でヒュンケルという防波堤を無くすのは不安なのかポップが引き止めにかかるが、ヒュンケルはそのまま出ていく。
 そして、部屋にはポップとレオナだけが残された――。
                                    《続く》
 
 

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