『奇跡への条件 ー後編ー』

  
 

 無情にも音を立てて占められたドアを、未練ありげに見つめたポップは、いかにも恐る恐るといった様子でレオナの方に視線を向ける。
 その表情は、面白いほどに引きつっていた。

 きっと、猛獣のいる檻に閉じ込められたと気が付いた人間が、その瞬間に浮かべるであろうそれと、大差がないだろう。

(まったく、失礼しちゃうわね)

 ちらっとそう思いはしたものの、とりあえずレオナはその文句は封じ込める。言いたいことは、別にあるのだ。
 ほとんど乗り上げていたベッドから降りて、枕元に置いてあった椅子に座り直す。優雅に手を組んで、レオナは最初から仕切り直した。

「とりあえず……体調はいかがかしら、ポップ君?」

 病人に対するごく普通の挨拶の言葉を投げ掛けただけなのに、ポップはビクッとして飛び上がらんばかりに反応する。

「え……ッ?! あ、いや、別に悪くないよ、フツーだよ。心配かけちゃったみたいだけど、もう平気だからさー」

 説得力皆無な態度で、やたら早口な言い訳を重ねるポップに、レオナは半眼めいた目を向ける。

「へぇえええ、もう平気なのかしらぁ? さっきっからベッドボードに寄り掛かりっきりだし、とてもそんな風には見えないけど?」

 皮肉たっぷりにそう言ってのけた後で、レオナはふと、真顔になった。

「それに――覚えてないかもしれないけどね、ポップ君がパプニカに戻ってきたのは、昨日のことなの。つまり、あなたは丸一日眠ったきりだったってわけ」

 その言葉にポップが見せた驚きは、レオナの存在に気が付いた時以上だった。

「へ? 丸一日?」

 信じられないとばかりに目を丸くしているポップにしてみれば、この一日は気がつかないうちに過ぎてしまった時間だろう。
 ポップにとっては、意識すらしないうちに過ぎ去ってしまったごく短い時間……だが、レオナにしてみれば、この上なく辛く、ひたすらに長い一日だった。

 あの後、レオナはすぐに侍医に治療に当たらせるのと同時に、アバンに連絡を飛ばした。ラーハルトを半ば脅しつけ、無理やりカール王国に手紙を運んでもらったのだ。
 連絡を受けて文字通り飛んで来てくれたアバンは、慎重にポップを診察した揚げ句、命に別条はないと保証してくれた。

 ラーハルトが旅を止めた判断は、正しかった。確かにずいぶんと衰弱してはいるが、危険な状態になる一歩手前に連れ戻されたのは不幸中の幸いだった。
 このまま無理をせず、しばらく安静にしていれば良くなるだろう、と。

 それを聞いて心からホッとしたものの、それでも不安を残したまま、レオナはポップの目覚めを待っていた。
 アバンの言葉を疑うわけではないが、ポップが良くなるための条件が、悪すぎる。

 『このまま無理をせず、しばらく安静に』

 そんな条件を守れる様な素直な性格なら、ポップの身体は当の昔に完治していたはずだ。そもそも最初に倒れた時、一年か二年ほど安静にしていれば治ると告知されたのは、今からちょうど二年前のこと。
 それを知っていて現状がコレなのだから……。

 そして、眠るポップの姿はそれだけで不安の源だった。
 起きている時ならば、彼の明るさや、調子の良い口調にたやすくごまかされてしまうかもしれない。

 だが、それがなくなれば、疲れの色がはっきりと伺える。旅に出ていたのはほんの二ヵ月余りなのに、やつれたのがはっきりと分かる。
 旅にでる直前までは、王国への留学で色々と気疲れしているように見えることもあったが、体調的には格段に良くなっていた。

 少なくとも、最悪の状態……ダイがいなくなった年の冬に比べれば、顔色も良くなったしずいぶんと元気そうになった。
 しかし、どんなに準備を整えて荷を持たせ、考えられる限り最強の護衛を配したところで、今のポップには旅はきつかったらしい。

 二年前に逆戻りしてしまったかのような憔悴した姿に、旅立ちを見送ったレオナの胸も痛んだ。
 ポップは昏睡状態に陥ったわけではなかったが、もともと無理を重ね、衰弱していたところに魔封の力を秘めた香を嗅がされたダメージは大きかったらしい。

 手当てを重ねてもポップの意識はなかなか戻らず、どれだけ心配させられたことか。
 レオナはポップを見張る様に側に付き添いながら、彼が目覚めるのをずっと待っていた。 目を覚ましたポップに、一番に言ってやりたい言葉があるから。

 それこそ、寝る時間も惜しんでずっと付き添っていたのは、この時のためだった。
 姿勢を正し、レオナはポップに真正面から向き直って言った。

「単刀直入に言うわね、ポップ君。
 カール王国の洞窟に行くのは、諦めてもらうわよ」

 それを聞いた時、ポップの顔色がはっきりと変わった。

「姫さん……?!」

 さっき、ポップがレオナに向けたのが怯えの表情なら、今の表情はそれとはまるっきりランクが違う。
 絶望。

 その表現が、まずは適切だろうか。
 唯一信じていたものに裏切られた人間が浮かべる表情はこんなものかもしれないと、レオナは思う。
 そして、それはすぐに怒りの表情へと変わった。

「冗談じゃねえよ、ここであの人形を手にいれられなかったら、また一年、見送っちまう……! ただでさえ、もう二年もあいつを待たせちまっているのに……っ」

 そう叫びながら、ポップはベッドから降りようとする。

「落ち着いて、ポップ君。ちゃんと話を聞いて。もう、あなたを旅に出すわけには行かないわ」

 今すぐにでも、このまま外へ飛び出していきそうな勢いのポップだが、その身体には全く力が入っていなくて、レオナの力でも簡単に抑えられた。
 それにも関わらず、ポップは諦め悪くもがき、レオナを押し退けようとする。

「なんでそんなこと言うんだよっ?! 見損なったぜ、姫さんだけはダイを探すのを、最後まで力を貸してくれると信じていたのに……っ。今になってから、ダイを見捨てる気なのかよっ?!」

 その言葉に、レオナは瞬時に頭が沸騰するのを感じた。
 王族にあるまじきことだが、その瞬間、レオナは我を忘れていきなり行動に出ていた。 小気味良いほど高い音が、幽閉室に響き渡った。

「…………?!」

 平手打ちを食らったポップは、あっけにとられた表情でレオナを見返す。
 丸一日もの間、意識も戻らずにいた患者の頬をひっぱたくなど、王族どころか賢者としても、完全に失格の行動だ。

 だが、後悔はしない。
 レオナは力任せで打ったせいでヒリヒリ痛む自分の手を握り締め、震えそうになる声を必死に抑えながら言った。

「覚えておいて……あたしは、絶対にダイ君を助けるって――彼の力になるんだって、決めたの!」

 それは、レオナにとって絶対の決意だ。
 自分を助けてくれた小さな勇者を、レオナもまた、助けたい。
 その気持ちは、バーンと戦った時と微塵も変わりはない。


 もう、勇者様は戻ってはこないだろうから諦める様にと、遠回しにほのめかしてくる重臣達に何を言われても、持ち続けてきた思いだった。

「あたしが彼を見捨てるなんて、そんなこと……決して言わせないわ。いくらあなただって、許せない……っ!」

 感情が高ぶって、目から涙が滲みそうになる。このまま声をあげて泣きたくなるような激情――それを沈めてくれたのは、申し訳なさそうな魔法使いの声だった。

「…………ごめん、姫さん。悪かったよ、おれが言い過ぎた」

 そう言いながら、ポップはレオナに涙を拭くものを渡そうとしているのか、周囲をわたわたと探す。

 が、布といえばポップの額に乗せてあった濡れタオルぐらいしかないせいか、どうしようか悩んでいるらしい。
 その素振りがおかしくて、レオナはつい苦笑してまった。

「……いいわ。謝ってくれたんだし、今度だけは許してあげる」

 わざわざハンカチを差し出されるまでもない。自分の指でわずかな涙をぬぐいながら、レオナは少しばかり大袈裟に脅しをかける。

「でも、二度と言ったら、次は手加減しないんだから……! マァムを呼んできて、彼女と一緒に徹底的にひっぱたいてあげるわ」

 レオナのその言葉に合わせて、打てば響く様な反応が返ってきた。

「そりゃ、おっかねえや。そればっかりは勘弁してもらいてえな」

 おどけてそう言いながら、ポップは再びベッドボードに背を預け、座り直してみせる。 それは、レオナの言い分をきちんと聞くという、意思表示に他ならない。だからこそレオナも、椅子に腰を下ろして話を切り出した。

「さっきも言ったけど、カール洞窟の探索は諦めてもらうわ。でも、ダイ君を助けるのを一年も延ばす気なんて、あたしもないの」

 はっきりとした決意を、レオナはまず最初に示す。
 ポップが自分の身を危険に晒すのを、黙認する気はない。だが、同じくダイを待たせる気も、レオナにはなかった。

「ラーハルトから聞いたわ。ポップ君自身がはっきりと言ったそうね? パプニカの洞窟には、行く必要が無いって。それに、テランの洞窟も捜さなかった……それって、あたしやメルルが全面協力するから、必要が無いってことなんでしょう?」

「……!」

 ポップの顔に、驚きの色が浮かぶ。
 その表情の変化を見逃さないように、レオナは慎重に言葉を続けた。

「それならあなたが無理を押してまで、洞窟に行くことなんか、ないじゃない。別方向に準備をすればいいだけのことよ」

「ダメだ!」

 すぐさま、鋭い声が制止をかけてくる。
 まだレオナが説明を口に出してもいないのに、過敏に反対するその態度。
 ポップのその反応の早さこそが、レオナは自分の予測が正しかった確信を与えてくれた。


「……やっぱりそうなのね。フローラ様の協力があれば、カールの洞窟には行く必要がない――そうなんでしょう?」

 レオナの断言を、ポップは否定はしなかった。
 だが、それだけは受け入れられないとばかりに、首を小さく左右に振る。

「ダメだよ。それだけは、ダメだ……フローラ様はずっとアバン先生のことを思ってて、なのに15年も別れ別れのままで……やっと幸せになったばかりなんだぜ。
 それなのにこんな危険なことになんか、巻き込めるわけねえだろ」

 その美貌と知性で知られる、カールの女王フローラ。
 まだ少女の頃から父王に代わって国を治め、長きに亘って人々の信頼と尊敬を勝ち得てきた彼女が、初恋の相手であるアバンと結婚したのは世界が平和になってからだった。

 そして、彼女だけでなく、カール王国の国民全ての念願だった王子を出産したのは、今年の夏のことだ。

 結婚や出産だけが女性にとって重大事とは言わないにせよ、彼女の人生の中で今が一番幸せと呼べる時期だと世間の人が噂するのは、間違ってはいないだろう。
 それはレオナも承知していたが、彼女の意見はポップとは違っていた。

「あら、どうして? フローラ様は比較的安産だったし、出産からこれだけ日をおけば体調も復活するわ。それに、王子は丈夫な質だし、健やかにお育ちだとも聞くわ。
 数日、手を貸してくださるぐらいの時間はとれると思うけど?」

 まだ未婚とはいえ、王族の娘であれば出産についての基礎的な知識は持っているものだ。 健康状態や体調的には、今のフローラが出産前とほぼ遜色のない行動がとれるという確信が、レオナにはある。
 しかし、ポップは頑なにそれを拒んだ。

「そうだとしても、ダメだって。
 フローラ様は、もう充分に協力してくれたんだ。これ以上は頼めねえよ」

 ポップのその言葉を聞いて、レオナは一つ溜め息をついて、サイドテーブルに置いてあったベルを手に取った。
 それを優雅にチリンと鳴らしながら、レオナはゆっくりと言う。

「ポップ君は、一つ、勘違いしているわよ。頼み事に対してどのくらい協力するかは、頼む側じゃなくて頼まれる側が決める事だわ。
 ――ねえ、そうは思われませんか?」

 話の後半部分はポップにではなく、音もなく静かに扉を開けて入ってきた人物に向けられた言葉だった。
 入ってきた人物を見て、ポップはギョッとしたように目を見張った。

「フ、フローラ様っ?!」

 優雅に歩を進めてくるカール女王の姿を見て、ポップはベッドから降りようと動きかける。
 が、それをやんわりと制したのはフローラだった。

「ああ、そのまま休んでいなさい。まだ熱が下がりきっていないでしょう? あなたには、安静が必要なはずですよ」

「な、なんでここに……?」

 そう問い掛けてから、ポップはハッとした様にレオナの方を見た。

「ええ。あたしが呼んだのよ」

 アバンを呼ぶ際、レオナはフローラも招待した。そして、彼女をちょうどいいタイミングで呼ぶ様に、あらかじめヒュンケルに頼んでおいたのも、レオナだ。

「あ、そうそう。
 あたしやメルルがポップ君に頼まれたことをそのまま話して、協力をしてはくれないか、とも頼んでおいたわ」

「な……っ?!」

 レオナの早手回しにさすがに驚いたのか、ポップが絶句する。
 そんなポップの驚きっぷりを無視して、レオナは座っていた椅子から立ち上がって、フローラへと譲る。

「ポップ君。
 なんで今までその話をしてくれなかったのか、とは言わないでおくわね。今だからこそ、聞ける無茶もあるんですもの」

 済ました顔でそう言ってのけるフローラに、ポップはものすごい勢いで慌てふためいた。


「エっ?! えっ、いやっ、その、ちょっと待ってくださいよっ?! フローラ様に協力してもらうつもりなんてっ、そんなのっ、ダメですって!」

 ぶんぶんと首だけでなく手まで振って、ポップは拒絶する。

「あら? 少しショックだわ、レオナやメルルには頼めて、私には頼めないと? 年増ではだめなのかしら?」

 からかいめかせたその言葉に、ポップはさらに激しく首を振る。

「いやっ、そうじゃないですってば! だって、フローラ様には赤ちゃんが生まれたばかりじゃないですか! それなのに、もしものことがあったりしたら……っ」

 最悪の場合、母親を生まれたばかりの子から引き離してしまう結果になりかねない。
 それを考えればポップがフローラに最大に気を遣い、頼み事そのものを口にしかなった理由も分かる。
 だが、ポップとフローラの間には、認識の違いがある。

 そこは庶民と、王族の感覚の違いというものだ。あるいは、男と女の差というべきか。 無論、母親として我が子を愛する気持ちには庶民も王族も関係はない。
 だが、王族として言うのであれば――世継ぎを手に入れた国主は、以前よりも自由に行動できる様になる。

 もし、王の身に何かが起きたとしても、跡継ぎがいるという保証があれば、重臣を納得もさせやすい。
 ポップが留学していた頃にはできなかった協力を、今のフローラならできるのだ。

「でも……っ」

 まだためらいを見せるポップに対して、フローラは優しく声をかけた。

「ポップ。ミナカトールをかけた時のことを、覚えていますか?」

「え、ええ……」

 ためらいがちに、ポップは頷いた。

「私はあの時、あなたに言いましたよね。アバンは決して、間違った者を選ばない、と。あの言葉を、もう一度あなたに言いましょう――ただし、あの時とは違う意味で、ね」

 それは、ポップだけでなくアバンの使徒全員にとって、忘れられない言葉だった。
 アバンのしるしを光らせることができず、自分の力の無さに苦悩するポップにフローラが与えた一言。

 短く、だが、それでいて鮮烈な響きの込められた言葉だった。
 あの時、ポップは自分自身を信じきれずに迷っていた。そんなポップに対して、フローラは責めることなく、また、安易に励ますことはしなかった。

 ポップがもっとも尊敬する人物――アバンの名を通して、自分自身を信じるようにと、言外の励ましの言葉をかけた。
 アバンに選ばれた、自分自身を信じろ、と。

 そして、フローラが今、再びポップにかけた言葉の意味を掴もうとポップが頭を巡らせているのは、傍で見ているレオナにも分かった。

(お願いよ、ポップ君。正しい答えを、見つけだして……!)

 あの時と同じように、レオナは祈る様な想いでポップを見つめる。
 傍目から見ているレオナには、とっくに見えている正解だった。
 ここで、ポップは信じなければならないのは、自分ではない。

 自分以外の存在――仲間達だ。ポップと同様に、アバンに選ばれた仲間達。
 そして、アバンが選んだ生涯の伴侶。
 ダイを助けたいを思う気持ちは、誰もが同じだ。そのために助けの手を差し延べる気持ちを、誰もが思っている。

 それと同じ気持ちを、ポップに対しても感じていると、なぜ気がつかないのかもどかしいぐらいだ。

「…………」

 ポップの沈黙が、ひどく長く感じる。
 答えを見つけるどころか、迷路にでも迷い込んだのではないのかと心配するほど時間が経ってからのことだった。
 やっと、ポップが口を開いたのは。

「……ありがとうございます、フローラ様。おれ――なんだか……一人でやらなきゃって、焦り過ぎていたみたいです。
 おかげで、目が覚めました」

 そう言ってから、ポップはフローラに向かって深々と頭を下げる。

「改めて、お願いします。お言葉に甘えて、もう少し頼んじゃってもいいのなら……フローラ様にもご協力願っても、いいですか?」

 その言葉に、フローラはにっこりと微笑んだ。

「勿論ですよ」

 優しくそう言いながら、フローラは手慣れた様子でポップに横になる様にと、促した。


「ですが、焦らなくても良いのよ。後半月あるのでしょう? 今はゆっくりと休んで、まず、体力を取り戻しなさい。私は一度帰国しますが、用を済ませたら必ずまたパプニカに来ますからね」

 撫でる様にポップの額に軽く手を当ててから、フローラは部屋を辞去する。ドアのところまで彼女を見送ったのは、レオナだった。

「この度は本当にありがとうございました、フローラ様」

 言葉以上の思いを込めて、レオナは深々と頭を下げる。
 王族の生活は、単調でありながら忙しい。
 国を治めるということは、いつ終わるともしれない細かな雑用を、無数に背負う役目を持つのと同じことだ。

 それだけに、私的な用事でいきなり国をあけるのがどんなに大変か、レオナにはよく分かる。
 今回の呼び出しは急だったため、アバンやフローラに多大な迷惑をかけたのは、容易に想像がつく。

 しかも、予め数ヵ月前にポップから時間を空けてくれと頼まれたレオナやメルルよりも、急に頼まれたフローラの方が時間調整のやりくりに苦労するのは当然だろう。
 それを思うと、どんなに深く頭を下げても足りないと思えてしまう。だが、フローラは事も無げに微笑みを一つ残し、そのまま去っていった。

 そこには、ポップに対する気遣いが感じられる。もし、そんな裏話を聞けば、あの人のよい魔法使いの少年は気にするだろうから。
 だから、レオナも必要以上のことは言わず、静かに彼女を見送るだけにとどめた。
 それから、レオナはポップを振り返った。

「さて、ポップ君。何かして欲しいこととか、欲しいものでもある? ……湿布薬とか」


 と、付け加えてしまったのは、ちょっとした罪悪感のせいだろう。
 なにしろ、さっき力任せにひっぱたいてしまったせいか、ポップの頬は今になってから腫れてきたのだから。
 だが、本人は対して気にしていないのか別にいらないと答え、代わりに質問をしてきた。


「んー。姫さん……ここにフローラ様がいるんなら、先生もいるんだろ?」

「ええ、先生ならしばらくはパプニカに滞在する予定よ。だけど今は、マトリフ師の所へ行っているの」

 カールから夫婦で駆けつけたアバンは、ポップの治療を一通りすませると、マトリフの洞窟に行くと言って城を出た。
 その目的が、ポップのための薬の調合のためだと、レオナはすでに知っていた。

 大魔道士マトリフは、薬師としての知識にも長けている。
 ポップが体調を崩す度に、なんだかんだ言いつつ薬を調合してくれるのは常にマトリフだった。

「覚悟しておいた方がいいわよ、ポップ君。きっとアバン先生とマトリフ師は二人して、とびっきりまず〜いお薬を持ってくるに決まっているんだから」

「うげー、まじかよ〜」

 と、ポップが顔をしかめるのも無理はない。
 マトリフの薬は効き目は強いが、味の悪さも抜きんでている。わざと凄まじい味になるように調合しているのではないかと思えるほど、その味はひどいものなのだ。

「でも、まあいいや。それなら、先生や師匠はすぐ来てくれるんだろうし。
 それに、ヒュンケルもいるってことは、ラーハルトやヒムやおっさんも、まだここにいるんだろ?」

 指折り数える様に、ポップは仲間達の名を挙げていく。

「ああ、マァムやロン・ベルクやノヴァにも連絡とれるかな。
 みんなに話したいことと……頼みたいことがあるんだ」

「分かったわ、すぐに手配するわね」

 そう言って、レオナは人をここに呼ぶのももどかしく、自分で直接手配に走ろうと身を翻しかけた。
 だが、独り言のような声が、彼女の足を止めさせる。

「――姫さん。ダイは、魔界にいるんだ」

 その言葉に、レオナはハッとして息を飲んだ。
 その予測を、全くしていなかったといえば嘘になる。ダイが行方不明になって以来、レオナは何度となくダイの居場所について考えた。

 実際に探しに行くことができない分、それこそ必死になって考え続けていたといっても過言ではない。
 その予測の一つが、ダイが魔界にいることだった。
 だが、同時に今の言葉はレオナにとっては不意打ちに等しかった。

 レオナは、前々から思っていたことがある。言葉は悪いが、疑っていたと言ってもいい――ポップは、本当はダイの居場所を知っているのではないか、と。
 ダイの居場所は、みんなに告げるにはあまりにも遠い場所ではないかと、レオナはうっすらと思っていた。

 場所を聞いて安心できるどころか、返って不安に陥る様な場所だとしたら、口にするのをためらいもするだろう。
 なにしろ今のままなら、ダイの剣の輝きのおかげで、ダイの無事のみは保証されている。
 

 しかし……魔界という世界にいると知っては、生きているからといって安堵できるはずもない。
 わずかに漏れ聞いただけの魔界の噂でさえ、想像以上に過酷な場所なのだから――。
 だが、今、ポップははっきりとした口調で繰り返した。

「間違いねえよ。ダイの奴は、今、魔界にいる」

 確信を込めて、ポップは断言した。
 その根拠を語りはしなかったが、そんなものは聞くまでもない。勇者の魔法使いである彼の言葉を、レオナは何よりの証拠として聞くことができた。

 本来なら、その情報はレオナに衝撃を与えるものだったかもしれない。だが、ダイが過酷な場所にいると聞かされたレオナの胸に、じんわりとした嬉しさが広がっていく。
 それは、ポップからの信頼を現す言葉に他ならない。

 今まで、ポップはダイを捜索するのは、自分の役目だと考えていた。
 レオナやメルルに協力を頼んできたとはいえ、それはあくまで『手助け』の範囲であり、ポップが身を削る様にして道を切り開くのをわずかに後押しするにすぎない。
 そのせいか、ポップは必要最低限のことしか仲間達には話そうとはしなかった。

 だが、今、ポップは初めてレオナに真実を打ち明けてきた。
 その事実が、胸が震えるほどに嬉しかった――。

「あいつ、どうやら一人で帰ってこれねえみたいなんだ。まったく、迷子になる年でもねえだろうにさ……仕方がねえから、おれが迎えに行ってやるよ」

 ちょっとした散歩から帰って来ない人に対してぼやくような軽さでそう言ったかと思うと、ポップは一転して真顔になった。

「各国の歴史書を散々読みあさって、やっと見つけた方法があるんだ。
 もう、直系の王族であるはずの姫さんにも伝わらなくなっちまったぐらい古い……それこそ、神話級に古い儀式魔法がよ。
 それを使えば、必ずダイの所までの道が開ける。
 正統なる王家の者のみが使うことのできる、秘伝中の秘伝  手伝って欲しいのは、そいつなんだよ」

 ポップのその簡単な説明の中から、真実を汲み上げるだけの聡明さが、レオナにはあった。
 ポップが試そうとしている儀式魔法の、希少さと難しさ……それを、レオナはしみじみと思い知らされる。

 ポップの行動や目的を知っている限りを詳細に話したが、フローラやアバンでさえ思い当たるものはなかった。
 つまり、ポップが今回使用するつもりでいる儀式魔法は、歴史に造詣の深い二人でさえ知らないような古代のもの。

 おそらくは、大破邪呪文以上に古いものなのだろう。そして、呪文は魔法は基本的に古代のものほど強力な力が秘められている。
 大破邪呪文への挑戦の時でさえ、相当な試練を強いられた。

 それを考えれば、今度の儀式魔法がどれほどの難度を持つものなのか、考えるのも恐ろしい。
 それこそ大破邪呪文を習得し、実行した時以上の奇跡が要求されると言っていい。

 しかも、ダイのいる場所が魔界だと言うのなら……そこに行くと言ったポップには、それ以上の試練が待ち受けているだろう。
 だが、レオナは笑顔を浮かべて言ってのけた。

「なぁんだ。奇跡を一つ、起こすだけでいいのね? 簡単じゃない」

 わざと強気に言ったレオナの言葉に対して、ポップもまた、笑顔を返してくれた。

「……さっすが姫さんだよな。頼りになるぜ」

 

 


 奇跡。
 そう軽々しく使える言葉ではないが、勇者一行の旅や伝説を語る際は欠かせない言葉ではある。

 なぜなら『真の勇者ダイ』と呼ばれる小さな勇者の冒険は、最初から最後まで、小さな奇跡が連続して起こった旅でもあったのだから。
 ゆえに、吟遊詩人は謡う――かの勇者ダイは、勇者一行は、天運に恵まれ、奇跡に愛された者達なのだと。

 だが、当の勇者一行のメンバーながら、誰もが知っている。
 奇跡とは、恵まれたがゆえに与えられるものではなく、自らの力で掴み取るものなのだと。

 そして、彼らはもう一つ知っている。
 奇跡とは、一人の力で起こすものではない。
 その場にいる者全てが力を合わせて、初めて起こせるものなのだと――。

 

 

 だからこそ、レオナは古代の儀式魔法への挑戦を恐れる気はなかった。
 もう、条件は整ったのだから。
 痛々しいほど一人で全てをやり遂げようとしていたポップが、ようやく仲間達の手を求めてきた。

 ならば……これで奇跡は起こる。
 きっと、起こすことができる。
 レオナは、固くそう信じた――。
                                END

 


《後書き》

 60000hit記念リクエスト、『レオナ&ポップな話』でした!
 ダイを探すことに専念するポップと、ダイが戻ってこれる場所を守ることに専念するレオナ――この二人の話って、書いていてとても楽しくて大好きですv

 魔界編では、レオナが揺れたり迷っているとポップが助けたり、逆にポップが迷ったり思い詰めたりしているとレオナが助けたりと、共闘関係だといいなと思っています。
 実はこそっとオプションとして、『何故か人知れず不幸に見舞われるヒュンケル』も混じっているんですが……シリアスめな話だと目立たなかったですね(笑)

 ところで、お話中ではあまり重要でないのではしょっていますが、フローラ様はパプニカ城の最上の客室で待機して、ポップの目覚めを待っていました。で、ヒュンケルに呼ばれてから幽閉室の隣室で待機。
 レオナのベルの合図で、部屋に入ってきた――という段取りを踏んでおりました。
 

 

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