『奇跡への条件 ー後編ー』 |
無情にも音を立てて占められたドアを、未練ありげに見つめたポップは、いかにも恐る恐るといった様子でレオナの方に視線を向ける。 きっと、猛獣のいる檻に閉じ込められたと気が付いた人間が、その瞬間に浮かべるであろうそれと、大差がないだろう。 (まったく、失礼しちゃうわね) ちらっとそう思いはしたものの、とりあえずレオナはその文句は封じ込める。言いたいことは、別にあるのだ。 「とりあえず……体調はいかがかしら、ポップ君?」 病人に対するごく普通の挨拶の言葉を投げ掛けただけなのに、ポップはビクッとして飛び上がらんばかりに反応する。 「え……ッ?! あ、いや、別に悪くないよ、フツーだよ。心配かけちゃったみたいだけど、もう平気だからさー」 説得力皆無な態度で、やたら早口な言い訳を重ねるポップに、レオナは半眼めいた目を向ける。 「へぇえええ、もう平気なのかしらぁ? さっきっからベッドボードに寄り掛かりっきりだし、とてもそんな風には見えないけど?」 皮肉たっぷりにそう言ってのけた後で、レオナはふと、真顔になった。 「それに――覚えてないかもしれないけどね、ポップ君がパプニカに戻ってきたのは、昨日のことなの。つまり、あなたは丸一日眠ったきりだったってわけ」 その言葉にポップが見せた驚きは、レオナの存在に気が付いた時以上だった。 「へ? 丸一日?」 信じられないとばかりに目を丸くしているポップにしてみれば、この一日は気がつかないうちに過ぎてしまった時間だろう。 あの後、レオナはすぐに侍医に治療に当たらせるのと同時に、アバンに連絡を飛ばした。ラーハルトを半ば脅しつけ、無理やりカール王国に手紙を運んでもらったのだ。 ラーハルトが旅を止めた判断は、正しかった。確かにずいぶんと衰弱してはいるが、危険な状態になる一歩手前に連れ戻されたのは不幸中の幸いだった。 それを聞いて心からホッとしたものの、それでも不安を残したまま、レオナはポップの目覚めを待っていた。 『このまま無理をせず、しばらく安静に』 そんな条件を守れる様な素直な性格なら、ポップの身体は当の昔に完治していたはずだ。そもそも最初に倒れた時、一年か二年ほど安静にしていれば治ると告知されたのは、今からちょうど二年前のこと。 そして、眠るポップの姿はそれだけで不安の源だった。 だが、それがなくなれば、疲れの色がはっきりと伺える。旅に出ていたのはほんの二ヵ月余りなのに、やつれたのがはっきりと分かる。 少なくとも、最悪の状態……ダイがいなくなった年の冬に比べれば、顔色も良くなったしずいぶんと元気そうになった。 二年前に逆戻りしてしまったかのような憔悴した姿に、旅立ちを見送ったレオナの胸も痛んだ。 手当てを重ねてもポップの意識はなかなか戻らず、どれだけ心配させられたことか。 それこそ、寝る時間も惜しんでずっと付き添っていたのは、この時のためだった。 「単刀直入に言うわね、ポップ君。 それを聞いた時、ポップの顔色がはっきりと変わった。 「姫さん……?!」 さっき、ポップがレオナに向けたのが怯えの表情なら、今の表情はそれとはまるっきりランクが違う。 その表現が、まずは適切だろうか。 「冗談じゃねえよ、ここであの人形を手にいれられなかったら、また一年、見送っちまう……! ただでさえ、もう二年もあいつを待たせちまっているのに……っ」 そう叫びながら、ポップはベッドから降りようとする。 「落ち着いて、ポップ君。ちゃんと話を聞いて。もう、あなたを旅に出すわけには行かないわ」 今すぐにでも、このまま外へ飛び出していきそうな勢いのポップだが、その身体には全く力が入っていなくて、レオナの力でも簡単に抑えられた。 「なんでそんなこと言うんだよっ?! 見損なったぜ、姫さんだけはダイを探すのを、最後まで力を貸してくれると信じていたのに……っ。今になってから、ダイを見捨てる気なのかよっ?!」 その言葉に、レオナは瞬時に頭が沸騰するのを感じた。 「…………?!」 平手打ちを食らったポップは、あっけにとられた表情でレオナを見返す。 だが、後悔はしない。 「覚えておいて……あたしは、絶対にダイ君を助けるって――彼の力になるんだって、決めたの!」 それは、レオナにとって絶対の決意だ。
「あたしが彼を見捨てるなんて、そんなこと……決して言わせないわ。いくらあなただって、許せない……っ!」 感情が高ぶって、目から涙が滲みそうになる。このまま声をあげて泣きたくなるような激情――それを沈めてくれたのは、申し訳なさそうな魔法使いの声だった。 「…………ごめん、姫さん。悪かったよ、おれが言い過ぎた」 そう言いながら、ポップはレオナに涙を拭くものを渡そうとしているのか、周囲をわたわたと探す。 が、布といえばポップの額に乗せてあった濡れタオルぐらいしかないせいか、どうしようか悩んでいるらしい。 「……いいわ。謝ってくれたんだし、今度だけは許してあげる」 わざわざハンカチを差し出されるまでもない。自分の指でわずかな涙をぬぐいながら、レオナは少しばかり大袈裟に脅しをかける。 「でも、二度と言ったら、次は手加減しないんだから……! マァムを呼んできて、彼女と一緒に徹底的にひっぱたいてあげるわ」 レオナのその言葉に合わせて、打てば響く様な反応が返ってきた。 「そりゃ、おっかねえや。そればっかりは勘弁してもらいてえな」 おどけてそう言いながら、ポップは再びベッドボードに背を預け、座り直してみせる。 それは、レオナの言い分をきちんと聞くという、意思表示に他ならない。だからこそレオナも、椅子に腰を下ろして話を切り出した。 「さっきも言ったけど、カール洞窟の探索は諦めてもらうわ。でも、ダイ君を助けるのを一年も延ばす気なんて、あたしもないの」 はっきりとした決意を、レオナはまず最初に示す。 「ラーハルトから聞いたわ。ポップ君自身がはっきりと言ったそうね? パプニカの洞窟には、行く必要が無いって。それに、テランの洞窟も捜さなかった……それって、あたしやメルルが全面協力するから、必要が無いってことなんでしょう?」 「……!」 ポップの顔に、驚きの色が浮かぶ。 「それならあなたが無理を押してまで、洞窟に行くことなんか、ないじゃない。別方向に準備をすればいいだけのことよ」 「ダメだ!」 すぐさま、鋭い声が制止をかけてくる。
レオナの断言を、ポップは否定はしなかった。 「ダメだよ。それだけは、ダメだ……フローラ様はずっとアバン先生のことを思ってて、なのに15年も別れ別れのままで……やっと幸せになったばかりなんだぜ。 その美貌と知性で知られる、カールの女王フローラ。 そして、彼女だけでなく、カール王国の国民全ての念願だった王子を出産したのは、今年の夏のことだ。 結婚や出産だけが女性にとって重大事とは言わないにせよ、彼女の人生の中で今が一番幸せと呼べる時期だと世間の人が噂するのは、間違ってはいないだろう。 「あら、どうして? フローラ様は比較的安産だったし、出産からこれだけ日をおけば体調も復活するわ。それに、王子は丈夫な質だし、健やかにお育ちだとも聞くわ。 まだ未婚とはいえ、王族の娘であれば出産についての基礎的な知識は持っているものだ。 健康状態や体調的には、今のフローラが出産前とほぼ遜色のない行動がとれるという確信が、レオナにはある。 「そうだとしても、ダメだって。 ポップのその言葉を聞いて、レオナは一つ溜め息をついて、サイドテーブルに置いてあったベルを手に取った。 「ポップ君は、一つ、勘違いしているわよ。頼み事に対してどのくらい協力するかは、頼む側じゃなくて頼まれる側が決める事だわ。 話の後半部分はポップにではなく、音もなく静かに扉を開けて入ってきた人物に向けられた言葉だった。 「フ、フローラ様っ?!」 優雅に歩を進めてくるカール女王の姿を見て、ポップはベッドから降りようと動きかける。 「ああ、そのまま休んでいなさい。まだ熱が下がりきっていないでしょう? あなたには、安静が必要なはずですよ」 「な、なんでここに……?」 そう問い掛けてから、ポップはハッとした様にレオナの方を見た。 「ええ。あたしが呼んだのよ」 アバンを呼ぶ際、レオナはフローラも招待した。そして、彼女をちょうどいいタイミングで呼ぶ様に、あらかじめヒュンケルに頼んでおいたのも、レオナだ。 「あ、そうそう。 「な……っ?!」 レオナの早手回しにさすがに驚いたのか、ポップが絶句する。 「ポップ君。 済ました顔でそう言ってのけるフローラに、ポップはものすごい勢いで慌てふためいた。
ぶんぶんと首だけでなく手まで振って、ポップは拒絶する。 「あら? 少しショックだわ、レオナやメルルには頼めて、私には頼めないと? 年増ではだめなのかしら?」 からかいめかせたその言葉に、ポップはさらに激しく首を振る。 「いやっ、そうじゃないですってば! だって、フローラ様には赤ちゃんが生まれたばかりじゃないですか! それなのに、もしものことがあったりしたら……っ」 最悪の場合、母親を生まれたばかりの子から引き離してしまう結果になりかねない。 そこは庶民と、王族の感覚の違いというものだ。あるいは、男と女の差というべきか。 無論、母親として我が子を愛する気持ちには庶民も王族も関係はない。 もし、王の身に何かが起きたとしても、跡継ぎがいるという保証があれば、重臣を納得もさせやすい。 「でも……っ」 まだためらいを見せるポップに対して、フローラは優しく声をかけた。 「ポップ。ミナカトールをかけた時のことを、覚えていますか?」 「え、ええ……」 ためらいがちに、ポップは頷いた。 「私はあの時、あなたに言いましたよね。アバンは決して、間違った者を選ばない、と。あの言葉を、もう一度あなたに言いましょう――ただし、あの時とは違う意味で、ね」 それは、ポップだけでなくアバンの使徒全員にとって、忘れられない言葉だった。 短く、だが、それでいて鮮烈な響きの込められた言葉だった。 ポップがもっとも尊敬する人物――アバンの名を通して、自分自身を信じるようにと、言外の励ましの言葉をかけた。 そして、フローラが今、再びポップにかけた言葉の意味を掴もうとポップが頭を巡らせているのは、傍で見ているレオナにも分かった。 (お願いよ、ポップ君。正しい答えを、見つけだして……!) あの時と同じように、レオナは祈る様な想いでポップを見つめる。 自分以外の存在――仲間達だ。ポップと同様に、アバンに選ばれた仲間達。 それと同じ気持ちを、ポップに対しても感じていると、なぜ気がつかないのかもどかしいぐらいだ。 「…………」 ポップの沈黙が、ひどく長く感じる。 「……ありがとうございます、フローラ様。おれ――なんだか……一人でやらなきゃって、焦り過ぎていたみたいです。 そう言ってから、ポップはフローラに向かって深々と頭を下げる。 「改めて、お願いします。お言葉に甘えて、もう少し頼んじゃってもいいのなら……フローラ様にもご協力願っても、いいですか?」 その言葉に、フローラはにっこりと微笑んだ。 「勿論ですよ」 優しくそう言いながら、フローラは手慣れた様子でポップに横になる様にと、促した。
撫でる様にポップの額に軽く手を当ててから、フローラは部屋を辞去する。ドアのところまで彼女を見送ったのは、レオナだった。 「この度は本当にありがとうございました、フローラ様」 言葉以上の思いを込めて、レオナは深々と頭を下げる。 それだけに、私的な用事でいきなり国をあけるのがどんなに大変か、レオナにはよく分かる。 しかも、予め数ヵ月前にポップから時間を空けてくれと頼まれたレオナやメルルよりも、急に頼まれたフローラの方が時間調整のやりくりに苦労するのは当然だろう。 そこには、ポップに対する気遣いが感じられる。もし、そんな裏話を聞けば、あの人のよい魔法使いの少年は気にするだろうから。 「さて、ポップ君。何かして欲しいこととか、欲しいものでもある? ……湿布薬とか」
「ええ、先生ならしばらくはパプニカに滞在する予定よ。だけど今は、マトリフ師の所へ行っているの」 カールから夫婦で駆けつけたアバンは、ポップの治療を一通りすませると、マトリフの洞窟に行くと言って城を出た。 大魔道士マトリフは、薬師としての知識にも長けている。 「覚悟しておいた方がいいわよ、ポップ君。きっとアバン先生とマトリフ師は二人して、とびっきりまず〜いお薬を持ってくるに決まっているんだから」 「うげー、まじかよ〜」 と、ポップが顔をしかめるのも無理はない。 「でも、まあいいや。それなら、先生や師匠はすぐ来てくれるんだろうし。 指折り数える様に、ポップは仲間達の名を挙げていく。 「ああ、マァムやロン・ベルクやノヴァにも連絡とれるかな。 「分かったわ、すぐに手配するわね」 そう言って、レオナは人をここに呼ぶのももどかしく、自分で直接手配に走ろうと身を翻しかけた。 「――姫さん。ダイは、魔界にいるんだ」 その言葉に、レオナはハッとして息を飲んだ。 実際に探しに行くことができない分、それこそ必死になって考え続けていたといっても過言ではない。 レオナは、前々から思っていたことがある。言葉は悪いが、疑っていたと言ってもいい――ポップは、本当はダイの居場所を知っているのではないか、と。 場所を聞いて安心できるどころか、返って不安に陥る様な場所だとしたら、口にするのをためらいもするだろう。 しかし……魔界という世界にいると知っては、生きているからといって安堵できるはずもない。 「間違いねえよ。ダイの奴は、今、魔界にいる」 確信を込めて、ポップは断言した。 本来なら、その情報はレオナに衝撃を与えるものだったかもしれない。だが、ダイが過酷な場所にいると聞かされたレオナの胸に、じんわりとした嬉しさが広がっていく。 今まで、ポップはダイを捜索するのは、自分の役目だと考えていた。 だが、今、ポップは初めてレオナに真実を打ち明けてきた。 「あいつ、どうやら一人で帰ってこれねえみたいなんだ。まったく、迷子になる年でもねえだろうにさ……仕方がねえから、おれが迎えに行ってやるよ」 ちょっとした散歩から帰って来ない人に対してぼやくような軽さでそう言ったかと思うと、ポップは一転して真顔になった。 「各国の歴史書を散々読みあさって、やっと見つけた方法があるんだ。 ポップのその簡単な説明の中から、真実を汲み上げるだけの聡明さが、レオナにはあった。 ポップの行動や目的を知っている限りを詳細に話したが、フローラやアバンでさえ思い当たるものはなかった。 おそらくは、大破邪呪文以上に古いものなのだろう。そして、呪文は魔法は基本的に古代のものほど強力な力が秘められている。 それを考えれば、今度の儀式魔法がどれほどの難度を持つものなのか、考えるのも恐ろしい。 しかも、ダイのいる場所が魔界だと言うのなら……そこに行くと言ったポップには、それ以上の試練が待ち受けているだろう。 「なぁんだ。奇跡を一つ、起こすだけでいいのね? 簡単じゃない」 わざと強気に言ったレオナの言葉に対して、ポップもまた、笑顔を返してくれた。 「……さっすが姫さんだよな。頼りになるぜ」
なぜなら『真の勇者ダイ』と呼ばれる小さな勇者の冒険は、最初から最後まで、小さな奇跡が連続して起こった旅でもあったのだから。 だが、当の勇者一行のメンバーながら、誰もが知っている。 そして、彼らはもう一つ知っている。
だからこそ、レオナは古代の儀式魔法への挑戦を恐れる気はなかった。 ならば……これで奇跡は起こる。
《後書き》 60000hit記念リクエスト、『レオナ&ポップな話』でした! 魔界編では、レオナが揺れたり迷っているとポップが助けたり、逆にポップが迷ったり思い詰めたりしているとレオナが助けたりと、共闘関係だといいなと思っています。 ところで、お話中ではあまり重要でないのではしょっていますが、フローラ様はパプニカ城の最上の客室で待機して、ポップの目覚めを待っていました。で、ヒュンケルに呼ばれてから幽閉室の隣室で待機。
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