『迷子のいる洞窟 ー前編ー』 |
と、頬を膨らませて、不満そうにそう言う弟子に対して、アバンは噛んで含めるように、丁寧に言い聞かせた。 「どうしてもなにも、決まっているでしょう? いいですか、この洞窟は見習い魔法使いにとっては危険すぎるからですよ、見ていてごらんなさい」 そう言いながら、アバンは松明を片手に持ったまま、洞窟内部に向かって小石を投げてみせる。 転がった小石は反響して予想外に大きな音を立て、奥の方まで転がっていく。 「はいっ、問題です。今、あそこに見えた怪物はなんだか分かりますか、ポップ?」 「ええっ!? 見えたっていうか、暗くって見えなかったじゃないですかー。あんなの分かりっこないですよ!」 「ノンノンノン、駄目ですよ、ポップ。考えもせずに諦めたりしちゃあ。いいですか、はっきりとは見えなくてもヒントはあったでしょう?」 そう促されて、ポップは洞窟の中を覗き込む。 「えっと……光る目は、そんなに大きくはないから鳥ぐらいの大きさですよね。 順序だてて推論していく弟子を、アバンは満足げに見つめた。 だが、まったく成長していないというわけではない。 だが、ポップは賢さは抜きんでている。 「分かった! コウモリ系の怪物でしょ、先生! ドラキーですか?」 得意そうに目を輝かせる愛弟子の頭を、アバンは優しく撫でてやった。 「ぴんぽーん、正解ですよ、ポップ。その通り、ここの洞窟にいるのはドラキーの仲間です」 ベテランの戦士や魔法使いなら、鳴き声を聞いただけでそれを察するだろう。だが、旅を始めたばかりのポップには、それほどの経験はない。 この思考回路や頭の回転の速さは、魔法使いにとって大きな武器となる。 「でも、ここにいるのはただのドラキーじゃないんですよ。いいですか、ポップ、見ててくださいよ」 そう言いながら、アバンは手のひらに魔法の光を生み出す。 それ以上に驚きを見せたのは、周囲にいる村人達だった。 その途端、洞窟内で怪物達がけたたましい声をあげた。 前後左右、上下を問わずに飛び交うドラキー達の体当たりを食らい続けた魔法の光は、数秒と持たずにふいっと消えた。 「な、なんですか、あれ……?」 怯えたように身を引くポップに、アバンは答えた。 「あれは、ダークドラキーと呼ばれるドラキーの亜種ですよ。見ての通り、魔法力に引かれる性質を持つ、少し特殊なドラキーでしてね。 それを聞いた途端、ポップが露骨に怯えた顔を見せるのも無理はない。 「だから、危ないと言ったでしょう? あなたはこの洞窟には、入らない方がいいですよ」 食い下がるポップを、アバンは優しくいなした。 「私は、魔法力をコントロールできますから大丈夫です。でも、ポップ……あなたにはまだ、ちょっと無理でしょう」 そう指摘すると、ポップは悔しそうに俯いた。 が、訓練を受けた人間や、狩りをする動物が、気配を相手に悟らせないように静かに身を潜めることができるように、魔法力の気配も静めることは可能だ。 れっきとした魔法使いならば、それはできて当たり前のこと。 だが、まだ魔法を使えるようにはなっていないのだ。 まだ未熟で自分で使えもしないとはいえ、ポップの中に潜在的に眠る魔法力の量はおそらく自分以上だろうと、アバンは見ている。 魔法力の気配は通常の状態ではごくわずかなものだから、すぐには襲われないかもしれない。ダークドラキーがいかに魔法力に敏感とはいえ、彼らの知能はごく低いし、判断力もそう高くはない。 だが、ポップが魔法を使おうとしたり、そうでなくとも感情的に大きく動揺したりすれば、アウトだ。 「……というわけで、すみませんが私が戻ってくるまで、この子をよろしくお願いします」 ポップを説得した後、アバンは村人達に向かって丁寧に一礼する。それを見て、村長を初めとする村人達は慌てて止めた。 「いやいや、頭を下げるのはこちらの方だよ。すまねえな、旅人さん、何の関係もないあんたにこんな危険なことを頼んじまって……」 人の良さそうな初老の村長は、アバン以上に深々と頭を下げる。 アバンとポップがこの村を通り掛かった時、この村の人達は大騒動の真っ最中だった。 弱いとは言え怪物が多数住み着いている、村外れの洞窟――そこに、村の子供が迷い込んでしまった。 なにせ、この洞窟は鍾乳洞の一種だ。 洞窟に入りさえしなければ光を嫌う性質の強い怪物はほとんどでてこないし、そもそも迷路のような構造になる鍾乳洞自体が迷う危険性が高い場所だ。 厳しく禁止されていることにかえって興味を持ってしまったのか、冒険気分で何人かが洞窟に入ってしまった。 さっそく子供を探すための捜索隊を送りこんだものの、怪物に襲われる者が続出。 にっちもさっちもいかなくなったところ、よろしければ手をお貸ししましょうかと声をかけたのがアバンだった。 修行の目的で旅をする戦士や魔法使いが、怪物退治などをして村人を助けるのはそう珍しいことではない。 しかも、アバンは礼金など必要ないと言った。まさに、村人にとっては救世主のようなものだ。 「そんなこと、お気になさらずに。私も旅が長いですから、怪物のやり過ごし方は慣れています。剣や魔法も、それなりに使えますしね」 陽気にウインクしてから、アバンは松明を掲げて他の男達に声をかけた。 「いいですか、この松明は一本で二時間ほど燃えます。これが尽きた時点で子供達が見つからなかった場合、一度入り口に引き換えしてください。それと、この通路を探したという合図のために書くためのチョークは、充分にありますか?」 怪物に襲われなかった者――即ち、魔法力がない男達全員にアバンは助力を頼み、松明と目印を書き込むためのチョークを持たせて虱潰しに枝道を探す作戦を立てた。 村の男達と混じり合って、あれこれと話し合っているアバンを見つめながら、ポップは拗ねたように少し離れた場所にいた。 (ちぇっ、おもしろくないのっ!) そもそもポップが村を飛び出してきたのは、アバンのようになりたかったからだ。 ……まあ、勇者や戦士の素質はないときっぱりと宣言された今、魔法使いになるのも悪くはないと思っている。 だが――ポップの憧れとは裏腹に、道は遥かに険しく、遠かった。 ポップ的には、旅に出る前より自分が成長したし、事件や怪物に対して場慣れしたと思っている。 それでは、村にいた頃と全然変わってはいないではないか。 「さ、君はとりあえずワシの家で休むといい。誰か、この子を家まで送ってくれないか」 村長の命令に、気の良さそうなおばさんが小さい子を労るような態度でポップの肩に優しく手をおいた。
アバンの声は、幾度かの輪唱を繰り返して響き、そして消えた。 だからこそアバンは子供達を怯えさせないように、時間と場所をおいて呼び掛けるようにと捜索隊に頼み、自分でもそう実行している。 返事は全然聞こえないし、子供の姿はちらりとも見えない。 (さて、どうやって逃げたんでしょうかね?) 多少でも経験のある者なら、洞窟内で無闇に動くのは危ないと知っている。迷ったと気がついた時はその場から動かないのがベストだし、動くにしても目印を付けながら移動する。 だが、まだ幼い子供達にそれを期待するのはさすがに酷だろう。その上、子供の発想や行動は、時として大人の予測を超える。 いかに捜索しにくい鍾乳洞の中とはいえ、これだけの数の大人が探しても見つからないともなると、よほど変なところに隠れている可能性もある。 (こんな時、あの子がいれば助かったかもしれませんね) 時々無茶をしでかすまだまだ子供な愛弟子は、突飛な発想や柔軟な視点を持つという点ではアバン以上だ。 子供を守るのが、大人の役目だ。 子供を危険に晒してまで利用しようとするだなんて、責任のある大人としては失格な行為だとアバンは考えている。
もちろん、そんなのは錯覚だ。 それに、松明は闇を払うだけでなく、火を恐れるたいていの怪物にも有効な対策だ。もし怪物に襲われても、松明で脅せば追い払える。 アバンと一緒の時は、洞窟に入るのがこんなに怖いとは思わないのに、一人で行くことを思うと足が竦む。 ポップの目標は、アバンだ。 何の役にも立たない子供なんかではなく、自分だってアバンの手助けをできるのだと証明したい。 だからこそ、あれこれと面倒を見てくれた親切な村人をごまかし、しかも洞窟前に人がいなくなるのを見計らって、こっそりと抜け出してきたのだ。 (こ、こわくなんかないしっ、それに、魔法を使わないってんなら、おれ、得意なんだからなっ) ……魔法使いとしては、全然自慢にはならない気がするが。 闇に光る赤い目は、先ほどアバンの作り出した魔法の光に飛び掛かってきたダークドラキーに間違いがない。 とりあえず最初の枝道まできたポップは、ふとそこで考え込んだ。 すでに調べ尽くした枝道には、入った印と同時に出た印が書かれている。 色違いのチョークが捜索隊が先に進んだという印だと、説明を盗み聞きしていたポップは知っている。 『大人の知らない道を見つけて、びっくりさせてやろうと思った』 そう言いながら泣いていた子供達と、村長宅の壁に張られていた、色褪せた洞窟の地図を思い出す。 大体の形は、覚えている。 一番広い道だけが、広めの鍾乳洞へと辿り着く。そこから先がまた細かく分岐しているため調査は行われず、地図は止まっていた。 ポップも実際にアバンと旅に出るまで、自宅で見た地図と実際の道が違うなんて、思いもしなかった。 鍾乳洞を見てみたいから行くのならともかく、大人を出し抜くのを目的で洞窟探索をするのなら、わざわざ行き止まりなど目指さない。 たとえば……地図に載っていない、枝道を見つけたなら? ポップの目はチョークさえ書かれていない、窪みや穴に向けられる。 そして、そんな穴の一つを覗き込んだ時、手にした松明が大きく揺らいだ。奥からわずかな風が吹き込んでいるらしい。 (ん……これなら、いけるかな?) もうじき14歳のポップにとってはずいぶんと窮屈で小さい穴だが、四つん這いになればなんとか通れないことはない。 子供がやっと通れる程度の細い穴の奥には、ふいに広がっていた。 大人ではちょっときついかもしれないが、ポップぐらいの身長ならば余裕で立って歩ける道はどうやらかなり奥の方まで続いているらしい。 危なくなったら引き返せばそれですむ……そう思う気持ちと、大人が気がついていない道を自力で発見したわくわくした感覚が、ポップを先へと進ませた。
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