『迷子のいる洞窟 ー後編ー』

  

「なんですって? ポップがいなくなったんですか?」

 そう聞き返すアバンに、息を切らして駆け付けてきた若い男が、忙しなくこくこくと頷く。その顔が妙に青ざめて見えるのは、決して洞窟の暗さや松明の光の加減のせいではないだろう。

「は、はい。もうしわけありませんっ。
 村の子供達と仲良く遊んでいるなと思っていたんですが、ふと気がついたらいなくなっていまして……」

 村にとっては有り難い助っ人の連れの子供だ、村長宅では大事に預かるつもりだった。子供に与えるには少し勿体ないほど上等なおやつやお茶を与えたし、アバンが戻るまでゆっくり休ませてやるつもりだった。

 が、村長宅は、今日は少しばかりごたついていた。
 行方不明になった子供達と一緒に出かけた子達が、まだ見つからない子を心配して集まっていたせいだ。

 幼いながらも、自分達のせいで友達が行方不明になったことが分かるのか、自分達も助けにいきたいと訴えていた。

 その心根は立派といえば立派だが、大人から見れば少しばかり迷惑でもある。なにしろまだ興奮して半泣きになっている子供の話は、いまいち要領を得ないし、ただでさえ捜索で手一杯な時だ。
 とても、子供の相手までしていられない。

 だが、そこで思いがけず役に立ってくれたのが、ポップだった。
 子供達の話に興味を抱いたのか、あれこれと話しかけだした。子供は子供同士というべきか、彼らはアッという間に馴染んだ。

 ポップと話すことで迷子達も落ち着いたのか泣きやんだし、そのまま子供達だけで遊ばせておいてやろう――と気遣ったのが、どうやら裏目に出てしまったらしい。
 しばらくして迷子の親達が迎えにきた時には、迷子達は気持ちよくすやすやと全員が眠っていたが、ポップはその場にはいなかった。

 慌てて子供達に聞いても、「あのお兄ちゃんがどこにいったのか、知らない」というばかりだし、村長宅の者も人々の出入りが激しかっただけに、彼がいつ出て行ったかも分からないままだ。

 どうしていいのか分からないとばかりに、おろおろとしている若い男に比べ、アバンは少なくとも外見上は少しも驚いた様子を見せなかった。

「ああ、あの子ならやりそうなことですねー」

 ポップは、人懐っこい。
 初対面の相手とでも平気で馴染めるし、遠慮無しにおしゃべりできる質だ。ましてや年の近い子供達が相手だったら、なおさらだろう。

 そして、ポップは一度決めたことに関しては諦めが悪い。
 そりゃもう、呆れるほどに。

(……やっぱり、連れてきた方がよかったですかね)

 この洞窟に入りたがっていたポップを、半ば無理やり説得して置き去りにしたのは失敗だったかと、アバンは今更ながら思う。
 表面上は納得したように見えたが、ポップはどうやら諦めてはいなかったらしい。

「ど、どうしましょう、あの子を探すように手配した方がいいんでしょうか?」

 見ている方が気の毒になるぐらいおたおたと騒ぐ若い男に、アバンは落ち着き払った声をかけた。

「あ、それには及びませんよ。あの子は、そう遠くには行っていませんから」

 遠くも何も、間違いなくポップはこの洞窟に来たという確信が、アバンにはあった。
 だが、弟子の勝手のせいで、ただでさえ迷子の捜索にてんやわんやな村人にこれ以上の負担を掛ける気などない。

「あの子のことは、心配しなくてもいいですよ。まずは、迷子の捜索を優先しましょう」
「え……、で、でも、それでいいんですか?」

 ポップを気遣ってか、若い男は申し訳なさそうにそういうが、アバンにしてみれば迷子の捜索こそがポップを探すことに繋がる。
 この若い男がまっすぐにアバンを追ってきたのにポップに出会わなかったということは、ポップは単にアバンの後を追ってはこなかったということだ。

 ならば、ポップはどこに行ったのか――おそらくは迷子を捜しているのだと、アバンは予測していた。
 無茶な子ではあるが、ポップは馬鹿ではない。それどころか、並外れた利口さを持っている。

 多分、アバンを筆頭とする捜索隊とは別方向から、子供達を探そうとしているのだろう。 ポップにはそういうちょっと見栄っ張りというか、自分は一人前だと示そうとして目一杯背伸びしたがるところがある。

 意地を張って無茶をするか、でなければ逆に、やたら後込みして弱気になるか――はっきりいってポップの行動は、その両極の二パターンだ。
 そして困ったことに、教師の思惑とは全く違う方を選択することが多い。

(……まったく、こんな風にやる気を出すのならば、普段の授業でやって欲しいんですけどねえ)

 口には出さずに心の中だけに溜め息をとどめ、アバンは若い男を励ますように声を掛けた。

「ええ、平気ですよ。あれであの子は私の弟子なんですし、一通りのことは教えてあります。卵とはいえ、あれでも魔法使いですしね。
 ですから皆さんも安心して、迷子捜しの方を続行するように伝えていただけませんか?」





(ま、まずい、どうしよう……?)

 その頃、アバン先生ご自慢の魔法使いの卵君は――途方に暮れた顔でキョロキョロと辺りを見回していた。
 ちょうど、一本道がやっと終わりかけた時のことだった――ポップが、うっかりと足を滑らせたのは。

 気をつけていたつもりだったのだが、苔の生えた上に地下水で湿った下り坂は滑り台も同然だ。
 あっという間に転び、そのままゴロゴロと文字通り転がって坂の下に投げ出された。

 幸いにも、投げ出された先も苔がたっぷりと生えている上に、広い場所だったからこそ怪我もしなかった。
 だが、地面の柔らかさにホッとする暇もなかった。

「キキキイーッ」

 耳障りな鳴き声を上げ、ポップ目掛けて鋭い風が舞い降りてくる。それが風ではなく、ドラキーだと気がついた途端、ポップはパニックを起こしてわめき立てた。

「うっ、うわっ!? うわぁっ、く、くるなっ!?」

 地べたに転がった松明を拾い上げたまでは、ポップは幸運だった。
 たっぷりと松やにを含ませた松明は、地面に少しぐらい落としただけでは消えはしないし、火に恐れを成したのかドラキーは動きが怯んだ。

 それをいいことに、ポップは目茶苦茶に松明を振り回しながら、一番先に目についた穴へと潜り込んだ。

 洞窟にも幾つか種類があるが、人の手で作られたのではなく長い間かけて自然に発生する鍾乳洞は、やたらと深く不規則にでこぼことした形に広がるものであり、枝道や横穴が多数、発生するものだ。

 ポップが潜り込んだ穴は、ほんの1メートルも奥に行き止まりになってしまうような小さな穴だったが、それが幸いした。
 ドラキーは横穴に潜り込んだポップを探知しきれなくなったのか、しばらく迷うように飛んでから、その内どこかに行ってしまった。

 一瞬ホッとしたものの……よく考えれば全然安心できる状況じゃない。
 今の一連の騒ぎのせいで、ポップは自分がどこから落ちたかも分からなくなってしまった。

「え、えーと?」

 途方に暮れた目で、ポップは目の前の光景を見回す。
 そこは、やけに天井の高い大広間だった。
 それだけならまだいいのだが、ポップの今いる場所から見える範囲だけに限定して、複数の枝道や横穴が存在しているのが見える。

 そのどれか一つが、ポップが落ちてきた道のはずだ。
 だが――どれがその道なのか、ポップにはもう分からない。
 洞窟内では、迷うのは一瞬だけで事足りる。ほんの少しでも油断すれば簡単に人とはぐれてしまうし、一度横道に逸れたのならそう簡単に元の道に戻れない。

 似たり寄ったりの枝道の差を見分けるのは、熟練の冒険者でも難しいのだと、アバンが教えてくれたことを今更のように思い出す。
 確かに、どんなに目を凝らして必死に見比べても、どれがさっきまでの道か、ポップには分からなかった。

 一本道に油断し過ぎたポップは、道に目印すらつけなかったのだから、尚更だ。
 いつでも戻れるという安心感が消えた途端、一人で、危険な怪物のいる洞窟内にいるという不安がひしひしと込み上げてくる。

(せ、先生〜っ)

 もはや半べそになりかけて、今になってから師に頼ろうとしても、もはや完全に手遅れである。
 実際、そのままだったらいささか涙腺が脆いポップは、不安のあまりそのままべそをかいていたかもしれない。

 だが、先手を打ったかのように聞こえてきた声が、涙を吹き飛ばした。
 洞窟に反響して奇妙なまでに獣じみて聞こえる、子供の泣き声。
 それを、誰よりも最初に聞きつけたのはポップだった。もっとも、初めに聞いた時はポップはそれを子供の声だと見抜けなかった。

 ただでさえ道を見失い、この先どこにいけばいいのかと途方に暮れていたところだ。そんな時に、いきなり奇妙な声を聞いたのだから、びっくりしたもいいところだ。
 見たことも聞いたこともない、不気味な怪物の声かと思い込み、とっさに逃げ出しそうになったぐらいだ。

 だが、辛うじて足を止めたのはドラキーが飛び交う空気を切る音と、キーキーと鳴く声がやけに遠くから聞こえたせいだ。

 ドラキーがまたも自分に向かって飛んで来たのなら、やっぱりポップは逃げただろう。だが、ドラキー達が集まっていたのは、広間のちょうど反対側の、地面すれすれの場所。 そして、反響する泣き声に混じって、切れ切れだが意味のある言葉もきこえてきた。

「……っち、いけっ。いけったら! もう、来るなぁあっ」

 それが、今にも泣き出しそうな子供の声だと気がついた途端、ポップは意識する前に駆け出していた。





「く、来るな! どっか、いっちゃえ! いけってば!」

 そう繰り返す言葉とともに、小さな石が岩壁からぽつん、ぽつんと投げられる。だが、いかにも頼りなくひょろひょろと、間遠な間隔で投げられる小石など、ドラキーにとってはなんの驚異にもならない。

 かえって馬鹿にしているかのように、ひらひらと小石をよけて飛び回り、空中から岩影に向かって急降下して飛び掛かる。
 その度に、わぁっと泣き声が一段と大きく上がった。

「泣くなよ! 大丈夫、兄ちゃんが守ってやるから……っ」

 近付くにつれはっきりと聞こえてくる会話や、女の子のものと分かる泣き声で、ポップは確信する。
 岩影に隠れていて見えないが、迷子の兄妹はここにいるのだと。

 だが、それが分かっているのはポップだけではなく、どうやらドラキー達もらしい。まとわりつくように飛ぶ数匹の怪物に対して、ポップは少し離れたところで足を止め、手にした数個の小石を投げつけた。

「キキィッ!?」

 不意をついた形で飛んで来た小石に、ドラキー達が驚いたような声を上げる。
 ポップもそれほどコントロールがいい方とは言えないが、それでも迷子の子供よりはマシだった。

 数個飛んだ石を嫌ってか、ドラキーが高く飛び上がる。そして、その勢いのままドラキーは高く舞い上がってしまった。
 暗いせいでよくは見えないが、ここの天井はよほど高いのか、うんと高い位置で星のように赤い目が無数に瞬いている。

 それを見て思わずゾッとしたものの、とにかく今は子供達の無事を確かめるのが先決だ。ポップは先ほどドラキーが目標としていた岩影に近寄り、松明を掲げた。

「おいっ、大丈夫か?」

 松明の明かりの先に見えた横穴は、さっきポップが隠れた以上に浅い穴だった。
 単なる窪みといった方がいい浅い穴に女の子を隠し、その前に立ちはだかる男の子の姿があった。

 二人とも眩しい光のせいか目をぱちくりとさせて、ついでに口もあんぐりと開けてポップを見つめている。
 その顔がおかしいぐらいそっくりで、彼らが血の繋がった兄妹だと物語っていた――。





「ふうん……じゃ、おまえらがやっぱり、迷子になった兄妹なんだな」

 ポップの問いに、ジーノとシルは揃ってこっくりと頷いた。
 かなり前に唯一の明かりだったロウソクを失って不安がっていた二人は、松明を持ったポップに会ったことで大いに安心したのか、嬉しそうだ。

 もう、すっかり助けられたかのように安堵しきっている。
 10才と7才の子供にしてみれば、14才に一月足りないポップとて、立派に「お兄ちゃん」であり、大人に近い人だ。
 迷子になっていた彼らにとっては、頼もしいヒーロー登場だろう。

 だが――その無言の信頼が、ポップにとってはいささか気が重い。
 さすがにこの子達の前で言う訳にはいかないが……ポップとて、今は迷子なのだから。しかも、帰るのにはいささか条件が厳しくなった。

 村に無事に帰るのならば、ポップがここにくる時に使った道を探して、片っ端から枝道や横穴を調べていくしかない。根気はいるが、それが一番確実だ。
 実際に、ポップとほぼ同じような経緯でここにきたジーノとシルもそうするつもりだった。

 だが、問題なのはシルの存在だった。
 どうやら、この妹に潜在的な魔法力があるらしく、彼女が泣くとドラキーが襲ってくる。そのせいで、怯えてますます泣くシルも、妹を庇うジーノも小さな窪みから動けもできなくなったのだ。

「念のため聞くけど……おまえら、どこの穴から来たのか、覚えているか?」

 万が一の希望を乗せて聞いてみると、兄妹はやっぱり揃って首を横に振った。

「ちぇっ、そうそううまくいかないかー」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、ポップはがっくりと首を垂れる。
 が、シルの目に涙が浮かび掛けたのを見て、慌てて執り成した。

「あっ、大丈夫だよ、へーきだって! 絶対に助ける方法を、考えてやるからさ」

 そう保証してやると、妹の顔に笑みらしきものが浮かぶ。
 まだ涙が残っているのに健気な妹にも、一生懸命に妹を庇い守ろうとしている兄の姿にも、素直に好感が湧く。

 だからこそ絶対にこの二人を助けてやりたいと、ポップは懸命に頭を働かせだした。こんなに真剣に考えるのは、アバンの授業でだってめったにない。
 まず、迷子になった時は、動かず、慌てず、騒がずに助けを待つこと――それが、セオリーだとポップは知っている。

 だが、どう考えても、ここで助けを待つ手は論外だ。
 大人達が見当違いのところを探しているのを、ポップは自分の目で見ている。それに、ポップもここに来たことなんて、アバンにだって言っていない。

 彼らがここまでくる見込みは薄いし、来たとしても相当先になるだろう。
 それまで、ポップはまだしもこの幼い兄妹が持つかどうか怪しいものだ。
 なにせただでさえ二人ともおなかを空かせて疲れきっている上に、シルはドラキーにすっかり目を付けられてしまっている。

 それに、ポップは松明を一本しか持ってきていない。これが消えれば、それでまた暗闇に逆戻りだ。
 洞窟の中で明かりが消えた場合、それは動く手段が封じられたに等しい。暗闇は想像以上に人の動きを制限する上に、圧迫感や恐怖を与える。

 しかも、敵であるダークドラキーにとっては、暗闇は何の障害にもならないのだ。これでは、お話にもならない。
 まだ、動けるうちに勝負に出た方がいい。
 素早くそう計算したポップは、手にした松明をジーノに渡した。

「ジーノ。これからは、おまえがこれを持つんだ。いいな?」

「え?」

 戸惑うように自分を見上げる兄妹の方に手を掛け、ポップはこことは反対側……自分が落ちてきた辺りの横穴を指差した。

「いいか、あの横穴のどれか一つ、すぐに上り坂になっている道がある。
 それが、村に通じる帰り道だ。
 探せるな?」

「…………」

 ジーノは答える代わりに不安そうに妹の顔を見つめ、シルもまた、ぎゅっと兄の腕を掴む。
 それはこの兄妹がさんざん試そうとして、できなかったできなかったことだ。返事に詰まるのも無理はない。

「大丈夫だ。ドラキーは、シルを襲ったりしないから。それなら、おまえ達だけでもあの横穴を確かめられるだろ?」

「そりゃあ、あの変なコウモリがなにもしないなら。でも……」

 まだ不安そうなジーノとシルの目の前で、ポップは腰の後ろに差していた杖を取り出した。
 アバンからもらった、木の杖。それは、ごくありふれたただの木の杖にすぎないが、れっきとした魔法使いの杖だ。それを見た途端、ジーノの目が一気に輝いた。

「すごい、ポップさんって魔法使いなの!? そっか、だからここまで無事にこれたんだっ」
 過大評価な上に、明らかな誤解である。
 だが、ポップは敢えてその誤解を解かないままで、いかにも自信ありげに言ってのけた。
「言ったろ、大丈夫だって。ドラキーは、おれが引き受ける。だから、おまえ達は横穴を調べて、上り坂の洞窟を見つけたら、おれを呼べばいい。
 それなら、できるだろ?」

 今度は、ジーノもシルもためらわなかった。二人とも目を輝かせて、力強く頷く。

「はいっ、ポップさん!」





 胸が早鐘を打つ。
 不安が競り上げてきて、息詰まるような嫌な胸苦しさを感じている。足などはとっくに小刻みに震えていたが、この暗闇では目立たないだろう。

 遠ざかっていく松明に心細さを感じながらも、それでもポップは杖を握り締めてしっかりとその場に立っていた。
 そして、シルの方へドラキーが集まりだしたのを見て、ポップは杖に意識を集中する。

「メラッ!!」


 ポップが唯一、使える――というか、使える寸前まで発動できる呪文は、一瞬だけパァッと明るく辺りを照らす。
 だが、魔法の炎は打ち出される前に消えてしまった。

(やっぱ、だめかよっ!? この役立たずっ)

 頼りにならない自分の魔法に罵りつつ、それでもポップは動じなかった。途端に目先を変えて自分に向かってくるドラキーの群れを避けるべく、杖を振り回しながら適当に走り出す。

 兄妹とは、なるべく離れた方へ。
 自分を囮にして、その間にジーノ達に正しい帰り道を探させる――それが、ポップの計算だった。

 逃げ足にはそこそこ自信があるし、魔法は放てなくても杖を振り回せば威嚇にはなる。 それにすぐに消えてしまうとはいえ、魔法の火を連発していればそうそうドラキーには襲われないだろうし、時間稼ぎぐらいはできる。

 ポップはそう考えたのだ。
 ジーノ達が必死になって、横穴を一つずつ確かめていくのを横目で見ながら、ポップはすぐ消える炎を次々に生み出す。

 本人は気がついていないが、闇に幾つも踊る炎は目を奪うほどに鮮烈だった。特にシルは、魅入られたようにその炎を見ずにはいられない。

(すごく、綺麗……!)

 確かに、メラとして打ち出せない以上ポップの魔法は、魔法としては失敗している。
 だが、これほど大きなメラの炎を、連発して生み出せる魔法使いなどそうはいない。本人が思っている以上に、世にも稀な魔法使いの潜在素質に引きつけられたのはシルだけではなかった。

「ギギィィイイッ」

 耳を割くような奇声を上げ、真上から数えきれないほどの数のドラキー達が一斉に降下する。
 まるで竜巻のような勢いの大群は、明らかにポップに防御できる範囲を超えていた。

「……っ!?」

 怯えて息を飲んだのは、果たしてポップが先だったのか、それとも幼い兄妹達か。
 思わず立ちすくんでしまったポップに、それ自体が一匹の巨大な生き物であるかのように、大量のドラキーが襲いかかる。

 その渦に巻き込まれれば、何の防具も身に付けていない魔法使いの少年など、ひとたまりもなく引き裂かれてしまうだろう。

「……――――っ!?」

 誰のものとも分からない、声になりきっていない悲鳴が上がる。
 だが、ドラキーの群れはポップを引き裂く寸前に、不意に割れた。

「え……っ!?」

 塊が割れた群れは、蚊柱が散るように一気にバラバラにばらける。群れから単体に戻ったドラキーは、さっきまでの勢いが嘘のように慌てて逃げにかかった。
 その後ろから、剣を納めながら現れたのは、ポップにとってはよく知った顔だった。

「ふう〜っ、危なかったですね、ポップ。お願いですから私の目の届かないところで、いきなり無茶を始めないでください。寿命が縮みましたよ」

「せ、……せん、せい?」

 誰よりも信頼し、尊敬している師の姿を認めて気が抜けたのか、ポップがその場にペタンとへたりこむ。

「なんで、ここに……?」

「それはこっちのセリフだと思いますけどね、ポップ。あれほどこの洞窟に入らないようにと言いつけたのに、こんなに奥にまで入り込んで……本当に困った子ですね」

 珍しく、アバンにしては厳しい表情を見せるのは、心配の裏返しだろう。
 実際、本当に危ないところだったのだから。
 ポップの居場所が分かったのは、はっきりいってダークドラキーのおかげだった。

 魔法力に引かれる性質を持つダークドラキーが異常な興奮を示して、いきなり一方向に向かって飛び出したのを見て、アバンはポップがその先で魔法を使っているのを察した。 飛ぶドラキーの急降下を追うために、アバンはほとんど垂直の細い縦穴を命綱無しでダイブするなどと、ずいぶんと危険を冒してここにきた。

 それだけに文句はまだまだあったが、意外な助っ人がポップとアバンの間に立ちはだかった。

「おじちゃん、ポップおにいちゃんをいじめないで!」

「お、おじちゃん?」

 目一杯アバンを睨みつけるシルのその態度よりも、何気ない呼び掛けの方がアバンにはダメージが大きかったようだが。

「そうです、ポップさんは、おれ達を助けにきてくれたんです!」

 一生懸命になってポップを庇う二人の小さな子の正体を、アバンはすぐに察した。

「そうですか、あなた達はジーノ君にシルちゃんですか。無事でよかった、怪我はないですか」

「はい、ポップさんが助けてくれたから……だからあの、怒ったりしないでください!」
 熱心な兄妹の訴えに、アバンは苦笑せざるをえない。

「いや、別にいじめたり、怒ったりしてるわけじゃあないんですがね〜。それに、ずいぶんと頑張ったみたいですし……」

 詳しい事情を聞くまでもなく、ポップがこの幼い兄妹を助けるために奮闘していたのは一目瞭然だ。
 大人達が探しても見つけられなかった迷子を見事に探し当て、その上怪物から子供達を守ろうとした――無茶で無謀な話ではあるが、大手柄なのは間違いない。

(……これでは、怒るに怒れませんね)

 心配そうに自分を見つめる幼い兄妹と、その後ろからやっぱり不安そうな顔をしているポップに向かって、アバンは笑顔で頷いた。

「ま、ここはポップの活躍と、君達兄妹の願いに免じて、お説教は勘弁してあげましょう。 三人とも、本当によく頑張りましたね、偉かったですよ」

 その言葉で、子供達の表情はパッとそろって笑顔に変わる。

「もうすぐお家に帰してあげますからね、まずはこれをお飲みなさい。喉が渇いたでしょう? 甘いものもありますよ」

 ジーノもシルも、ものすごい勢いでアバンが持っていた水筒を飲み、アバン特製のたっぷりと甘くしたキャラメルをもらい、歓声を上げながら食べる。
 が、ポップだけはその場にへたりこんだまま、動かなかった。

「ポップ?」

 声を掛けると、ポップはなんとも言えない情けなさそうな表情で、ぽつりと漏らす。

「……なんか、腰、ぬけちゃったみたいで、動けないんです〜」





「先生〜、やっぱ、おれ、自分で歩きますよ。もう、大丈夫ですから」

 何度目かのポップのその主張を、アバンは聞かなかった。

「駄目ですよ、おとなしくしていなさい。まだ動けないんだから、仕方がないでしょう」
 ポップは単に、ビビッたせいで腰が抜けただけと思っているらしいが、実際にはポップの脱力は魔法力の使い過ぎによるものだ。
 気分的に立ち直っても、消耗した精神力が回復していない以上、体力が戻るはずがない。
 ただでさえ無理をした魔法使いに、これ以上無理をさせるのは教師として賛成できない。そう思うからこそアバンはポップをおぶっているのだが、本人は不満一杯のようだった。
「でも、こんなのみっともないにもほどがありますよー」

 今のポップは、シルを抱っこしているアバンに背負われて運ばれるという、情けないにもほどのある姿である。
 もう一人の迷子であるはずのジーノは、アバンに手を引かれながらもちゃんと自力で歩いているのだ。

 助けにきたはずの自分が、迷子になった子と同様の扱いなのが、ポップには我慢できないらしい。

「おやおや、どんな格好をしていても、ヒーローはヒーローでしょうに。さっきまで頑張っていたんですから、今は休んでいていいんですよ」

「でもぉ……」

 まだ不満そうなポップの文句を封じるため、アバンはとっておきの手を持ち出した。

「ほら、あんまりうるさくすると、シルちゃんが起きてしまいますよ」

 シルは、アバンの腕の中でぐっすりと眠っていた。
 ポップよりも消耗が激しく、疲れきっていたシルをアバンが抱いて運ぶと言い出した時、本人も含め誰も反対しなかった。

 その時、アバンはこっそりと気づかれないように彼女に催眠呪文をかけている。
 そこには、シルが再び泣き出してドラキーを呼び寄せないようにという用心も含まれている。

 そうそう簡単には起きる気遣いはないのだが、真相を知らないポップはアバンの嘘に騙されたまま、黙り込んだ。
 そんな、ちょっと不満げなポップに比べ、ジーノはやけに嬉しそうで、張り切っていた。
 なにしろ手の空かないアバンに変わって、松明を持つという重要な役目を任されているのだ。
 彼もまた疲れているはずなのに、自分が役に立たなければならないという気負いがあるせいか、しゃんとして一生懸命歩いている。

 彼にしてみれば、ポップは妹と自分を救ってくれた恩人だし、アバンはそのポップを救ってくれた大恩人だ。
 大恩人と恩人の恩に報いるためにも、頑張らねばならないと素直に思い込み、ジーノはアバンの足を引っ張らないようにと、必死だった。

 それに本人は気がついていないが、アバンが繋いだ手から時折回復魔法をかけてやり、体力を補充してやっていたので、体力的にはなんの問題もない。
 そのせいで、ペースよく移動することができていた。

 アバンが降りてきた穴は、たとえロープを垂らしても子供を連れて登るには難しすぎるので、上にいる人達と相談した結果、アバンが子供達を連れて入り口に戻ることになった。

 ポップの説明を聞いて、村人達が入り口付近の横穴を広げておいてくれている手筈はついている。
 黙々と歩いてずいぶん経った頃、真っ先にそれに気づいたのはジーノだった。

「あっ、アバンさんっ、ポップさんっ、明かりが見えてきましたっ!」

 転がるように走っていったジーノを、ツルハシで丹念に穴を広げていた村人達が歓声を上げて受け止める。
 そして、その歓待はアバンにも及んだ。

「ああっ、ありがとうございますっ、子供達を助けていただいてっ!」

「シルは!? シルは、無事なんですか!?」

 ジーノを抱きしめながら、真っ先に駆けつけてきた若い夫妻……おそらくは彼らが、兄妹の両親なのだろう。

「ええ、大丈夫ですよ、眠っているだけですから」

 心配そうな母親の手にシルを渡す前に、アバンは小さく覚醒呪文を唱えた。そのせいで、シルは親の腕の中で目を覚ます。

「お……かあさん? おとう、さんも?」

「シル……ッ!」

 親子の再会に目を細めるアバンに、村人達から惜しみのない感謝の言葉が掛けられた。
「本当にありがとうございます、旅人さん、あなたがいなかったらいったいどうなっていたことか……!」

「あなたは本当に、村の英雄ですじゃっ。まるで勇者様のように子供達を救ってくれるとは、礼を言いますぞっ」

「旅人様、そう言えばまだお名前を伺っていませんでしたね、ぜひ教えていただけませんか?」

 興奮した村人の感謝の言葉を聞きながら、元勇者は済ました顔で言ってのけた。

「いえいえ、子供達を救ったのは私じゃなくてこの子ですよ」

 そう言いながら背中を見やったアバンは、ふと、目を細める。
 お調子者で、こんな大騒ぎになると黙っていられないはずのポップがやけにおとなしくしていると思ったら、本物のヒーローはお休み中だった。

 魔法力を使いきったせいで、眠気を誘われたのだろう。
 魔法使いにはよくあることだ。
 こんな風に寝入ってしまったのなら、催眠魔法がかかったのと同様に、そうそう簡単には目を覚まさない。

 眠ってしまったせいで、少し重たく感じる弟子には聞こえないのを承知で、アバンは少しばかりおどけた口調で言った。

「この子の名前は、ポップ。いずれ世界一の魔法使いになるであろう、私の自慢の弟子です」

 冗談に紛らせた旅人のこの言葉が、いずれ真実になるのだが……この時はまだ、誰もそれを知らなかった――。

 


                                            END

 


《後書き》
 200000hit 記念リクエスト、『ポップとアバンの二人旅の時の話。まだヘタレなはずなのに(笑)、アバンを助けるため無理しちゃうポップ』の話、でした♪
 アバンのためと言うよりも、迷子の子供達を救うために無理しちゃった気がしますが(笑)

 アバンとポップはこんな風に、行く先々の村でお節介をしたり、事件に巻き込まれたりしながら旅をしていたんじゃないかな〜と、なんとなく思っています♪
 ところで、お気付きの方も多いでしょうが、パプニカの兵士ジャックに、ポップの幼馴染みのジンにラミーなど、うちのサイトでは割とトランプ関連から名前を拾っています。
 

 今回のオリキャラな兄妹も、実はそのパターン。
 ジーノは、実はカジノから取りました……言わずと知れた賭博場ですね。ちょっと語源を調べてびっくりしましたが、カジノって英語じゃなかったんですね。

 英語だとギャンブリング・ハウス。カジノは、本来はドイツ語、フランス語、イタリア語で賭博場を意味する言葉みたいです。
 で、シルは英語で、さくら。
 お花の方の桜ではなく、いんちき商売には欠かせない、客のふりをする方のさくらです。 賭博場にさくら…本編には関係ない名前づけで、ちょびっと遊ぶのも楽しいです(笑)
 
 

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