『開かれた扉 ー前編ー』 |
夕日が沈むか沈まないかの時刻――。 落ち着きなく胸が早い鼓動を打っているのに、頭はどこか冷めたように冷静に現状を見据えている。 空を赤く染め上げる太陽を見つめながら、ポップはわずかに身震いする。 (……あの時も、そうだったっけな) 大魔王バーンに挑んだ日も、そうだった。 懐かしい記憶に導かれるように、ポップはゆっくりと起き上がった。 ……どうやら、体調は悪くなさそうだ。 それを確認してから、ポップはクローゼットの奥の鍵のかかった引き出しを開け、厳重に納められた小箱を取り出した。 王侯貴族ならば、男女問わずに身を飾る装飾品は持っていても当然だし、それをしまう場所を部屋に備えているのも当たり前だ。 よって、そこに納めているのは、ポップにとってしか価値のないものだった。 そして小瓶に一つずつ、厳重に納められた小さな玉が二つ。よく見るとその中には、赤い滴が封じ込められているのが分かる。 普通の人間が見たのなら、なぜこんな立派な宝石箱にガラクタじみたものが集められているのかと、不思議に思うだろう。 一見、ガラクタとしか見えないこれらの品に、強力な魔法力が働いていることが。 「うっしゃ、行くか!」 自分に自分で気合いを入れ、部屋を出る前に、ポップは一度だけ振り返る。 だが、最初に来た時と違ってその散らかり方が、無個性だった部屋にポップらしい個性を感じさせる名残になっていた。 もしかしたら、ここにはもう戻ってこれないかもしれない――そんな思いが込み上げてくるのを振り切るように、ポップは静かに部屋の扉を閉めた。
「あ、ポップ君、もう起きたの。早いのね」 「よく眠れましたか、ポップさん」 「時間になったら起こしに行くつもりだったから、もっとゆっくり休んでいてもよかったのよ?」 ポップを待ち受けていたのか、広間にいた女性達は笑顔で口々に挨拶をかけてくる。 「こっちはもう、支度は万全よ!」 と、得意そうに胸を張るレオナは、白地に銀糸で刺繍を施した凝った装束を着ていた。それは、彼女だけでなく、メルルやフローラも同じだった。 だが、あの時よりももっと華美で凝った仕立てであり、宝石をあしらったアクセサリーを付けているせいか、位の高い僧侶か司祭が着るに相応しい荘厳な印象がある。 それぞれタイプは違うがとびっきりの美少女や美女が身にまとうことで、ただ神聖なだけでなく華やいだな雰囲気を漂わせていた。 「その服、どうしたんスか?」 「魔法儀式用の衣装よ。この服は、各国の王族達が聖なる儀式を行う際に着た、古式ゆかしい正装なの」 少しでも成功率を上げた方がいいでしょうと、微笑むフローラの気遣いがポップには嬉しかった。 『詳しい説明なんか聞いたら、きっと止めたくなっちゃうじゃない。だったら、いっそ聞かないでぶっつけ本番で挑んだ方がマシだわ。そんなムダなことをする暇があるなら、少しでも身体を休めていて!』 豪胆にもそう言ってポップに休養を薦めておきながら、レオナを初めとした女性陣は儀式に臨むためにほぼ最高級の準備を整えてくれていた。その心遣いに、自然に頭が下がる。
ポップにしては珍しく、素直に述べた礼を述べようとしたが、それを止めたのはレオナだった。 「礼には及ばないわ。あたし達は、やりたくてやっているだけなんだから」 口にしたのはレオナだけだが、残る二人の女性も同意しているのが、一目で見て取れる。 礼を拒絶することで、彼女達は言外に主張しているのだ。 その気持ちを、ポップはありがたく受け入れた。この感謝の思いすら言葉に出来ないもどかしさはあったが、それでもポップは気持ちを切り替え、逞しく、頼りになる女性達に出発を促す。 「……じゃ、お言葉に甘えてそろそろ出発しようぜ。これからが、本番の大仕事なんだ!」
日が落ちてしまった後は、人家すらもないこんな辺鄙な場所には明り一つ見えやしない。 わずかに、白くぼうっと浮かんで見える部分が存在するぐらいだ。 大理石のように眩く白い石で築き上げられた、処刑台の跡だった。もっとも、その忌まわしい過去とは裏腹に、眩いまでの白さは少しも衰えてはいない。 闇ではない、ただその程度の白さ――だが、それが、いきなり劇的な変化を見せる。 この魔法陣を作り上げたレオナの存在に反応して、長い間放置されていた魔法陣が力を取り戻したのだ。 「まずは……この魔法陣の効力をおれに譲り渡してくれない、姫さん?」 「そんなこと、できるの?」 反対する意思からではなく、単なる疑問からレオナはそう問い返す。 今となっては、各国に留学してまで古代魔法の勉強を重ねたポップの方が、はるかに詳しいだろう。 「普通の魔法陣なら、難しいな。でも、これは特別だよ。複数の人間の力で同時にかけた古代の魔法を司る陣だから、術者の意思でその中の一人に主導権を譲渡できる」 ポップの説明を聞いて、レオナはためらいもせずに望まれた通りの呪文を唱えだす。 「オーケー。これで、ここはおれの支配する魔法陣になった……! 魔法陣は、現在では目的に応じて新しく書いて使用するのが普通だ。 そうした方が、魔法力が蓄積され威力が底上げされるからだ。 二年をかけて、古代の魔法に付いての知識を深めた魔法使いの少年は、長所のみを説明した後、自分で自分の左手を握り締める。 ポップが使った魔法がなんだったのか彼女達が悟ったのは、しっかりと抑えた手の間から赤い液体が滴り落ちたのを見てからだった。 「ポップさん……っ?!」 思わず身を乗り出しかけたメルルを制する様に、ポップは手を抑えたまま笑って見せた。
そう言いながら、ポップは血の滴る左手を魔法陣の上に突き出した。 だが、どんなに巧く制御したところで、全く痛みがない訳ではないだろうし、見ていて痛々しいのには変わりがないが。 「我が望みしは、全き血の盟約! 三人の女性達が見守る目の前で、ポップの手から落ちた鮮血は、魔法陣の上へと落ちる。 その途端、光の輝きが一変した。 暗闇の中、花が咲く様に魔法陣は色鮮やかに変化した。 「じっとしていて。あたしがやるわ」 スッと細い指を持つ手が、ポップの腕に当てられた。 「いいよ、こんなかすり傷ぐらい、すぐに治せるし」 「いいから! 君の魔法力は、少しでも温存しておくべきでしょ?」 強くそう言うと、ポップはそれ以上は反対しなかった。黙って、されるがままにレオナの魔法を受ける。 「さて、もういいわよ。それで、あたし達は何をすればいいの?」 そう言いながら、レオナは魔法陣に向き直る。 その魔法陣が特殊なのは、星の頂点と外円が合わさる場所に、丸い円が浮かんでいる点だった。 ちょうど、人が一人立つのに丁度いいぐらいの大きさの円は、外周に沿った部分に6つ、それに魔法陣の中心に一つ、用意されてある。 「姫さん達は、あの外側の円に入ってくれ。一人ずつ、間を開けて三角形を描く様に頼むよ」 言われた通りにレオナ達が並ぶと、六芒星の半分が三角形の光となって輝いた。 「この魔法は、ずっと昔……はるか古代に、竜の騎士に助力を求めるために作り出された魔法なんだよ。 ポップの説明に、レオナの表情が目に見えて変わる。 「竜の騎士は三界の守護者……人間界だけでなく、魔界や天界にいる可能性がある。 自信満々にポップは言い切ったが、この魔法がまだ不完全なのは誰の目にも明らかだった。 その胸に、小瓶から出した玉を当てる。すると、まるで熱いナイフがバターを溶かしつつ食い込むように、玉は木の人形の胸へと吸い込まれた。 「血の盟約により、代理人を立てる。身代わり人形よ、血を礎にその姿を写し身へと変えよ! フローラとメルルの間の円に落ちた人形は見る見るうちに膨れ上がり、ゆっくりとその姿を変えていく。 ものの一分と立たないうちに、変身は完了した。 「出でよ、森の王国……ロモスの正統なる王、シナナ王!」 小柄な人影へと変貌した木の人形は、かの王の優しげな表情までも再現した等身大の人形へと変わる。 「同じく、血の盟約によりて代理人を立てる。召喚するは、アルキード王女ソアラが一子、王子ディーノ!」 ダイの本当の名を呼んでの召喚は、今までの二つの身代わり人形とはずいぶんと違って見えた。 表情までも生き生きと写し取った二人の王とはちがい、ダイの姿はそんなにははっきりとは本人を象らなかった。 不鮮明さを残しつつも、それでも木の人形はなんとかダイの面影を宿す少年を形作る。 その途端、魔法陣の光が爆発的に高まった。
「ククク……ッ、どうやら、ものの見事に古代の魔法を復活させたみたいだね。さすがは魔法使いクンと言うべきかねえ?」 魔王軍との戦いに参加した者で、この死神に好印象を持つ者などいない。 「……来やがったのかよ。別に、おれはおまえを呼んだ覚えなんかねーよっ。邪魔だっ、どっかに行きやがれっ」 「おやおや、ツレないねえ、魔法使いクンは。それに、邪魔だなんて言われるだなんて心外だなぁ。 ポップがそれを望むはずがないということは百も承知の上で、ぬけぬけとそう言ったキルバーンは面白がるような視線を女性陣に向ける。 「ご存じですかな、ご婦人方? 血の契約には、少なからぬ代償が付き物だってことを」 貴婦人に向かって、一礼するしぐさ。 ポップにしろ、女性陣にしろ、自由に動くのが許されるのならば、間違いなく彼に攻撃魔法を放っただろう。 だが、魔法陣を立ち上げる最中に、迂闊な行動や魔法を放てば、その魔法陣の効力が無効になる可能性が高い。 「血の契約を行った場合は、必ず施行者が選んだ代償を支払される……莫大な魔法力か、それでなければ血の代償をね。 キルバーンのその言葉に、ポップは沈黙したまま答えなかった。 「ならば、代償は血――血の源……すなわち、心臓を捧げなければこの契約は完遂しない。クククッ、ぶっそうだよね」 命を刈り取ることを職業とした黒の道化師は、手にした大鎌を指揮棒のように軽く振り回して見せる。 「だが、この術式の魔法陣では施行者は生け贄にはなれない。もちろん、人形などには生け贄の価値はない。つまりだヨ……生け贄となるのは、キミ達の中の誰かか でなければ、他の犠牲者を召喚するか、だネ」 踊るように空を舞う大鎌は、順番に、フローラ、レオナ、メルルを一人ずつ指し示す。そして、未だ見ぬ生け贄を指すつもりなのか、高々と天に向かって掲げて見せた。 「クククッ、魔法使いのボウヤは誰を生け贄に捧げるつもりでいるのかねえ?」 |