『開かれた扉 ー後編ー』


 

「さァ〜て、いったい誰が生け贄になるのかな〜?」

 嘲笑うような死神の言葉に、女性陣は怯む気配すら見せなかった。それどころかレオナは不敵にも微笑みを浮かべ、挑発的に言葉を返す。

「それはどうもご親切に。ありがとう、死神さん」

「……?」

 思いも掛けぬ礼の言葉に、さすがのキルバーンも戸惑いを隠せない。そんな死神に対して……と言うよりは、ポップの方に視線を向けながら、レオナは声を張り上げる。

「私、今の今まで、ちょっぴり疑っていたのよね。ポップ君が、自分を犠牲にするきじゃないかってね。自分自身を生け贄に捧げる気じゃないかって……実は、ちょっと心配していたの」

 わざとらしくそこでポップを軽くウインクを送ってから、レオナはキルバーンに向かって勿体ぶったしぐさで一礼してみせる。

「でも、それができないのなら、安心ね。おかげで、心置きなく儀式に集中できるわ」

「そうね。それは私も同じだわ」

 レオナの言葉を全面的に肯定したのは、フローラだった。
 花の女王の名を冠するカール王国の女王は、大人の女性しか浮かべることのできない艶やかで余裕に満ちた笑みを浮かべて、気を持たせるように言った。

「アバンの選んだ弟子を、私は信じたわ。でも、後でそれが間違いだと知ったの」

 フローラが真実を知ったのは、戦いが終わり平和を取り戻し、アバンと結婚してすぐのことだった。
 当時、フローラには不安があった。

 王族の絶対条件は、後継者の獲得だ。それは何があっても欠かせない、王位継承者の役割であり、フローラもそのつもりだった。
 もちろん、最善は夫との間に子を成すことだろう。

 フローラとてその気持ちは十分にあったが、不安は拭えなかった。アバンとの子を授かりたいが、もはや年齢的に無理があるのではないか、と――。
 そのため、一時、彼女は養子をとろうかと真剣に考えたものである。

 その養子の候補の筆頭が、ポップだった。
 候補にあがった段階で、フローラはアバンから詳しい話を聞くだけでなく、ポップの出生時からの調査報告を調べさせている。

 アバンの使徒の一人である事実や功績の高さを考えれば、王国の内外から上がる不満を抑えるのは十分に可能だろう。庶民出身という身分の低さがネックとはいえ、調査の結果、面白い事実が分かった。

 ポップ自身は庶民出身とはいえ、ポップの父親であるジャンクはベンガーナの貴族に準じる家系の生まれである。
 今は勘当されて縁を切られているというものの復縁の手続きを取りさえすれば、孫であるポップの身分も自動的に昇格される。

 その後、父親の実家から正式にベンガーナ縁の貴族の養子にし、さらにそこからカール王国への養子へと手続きする裏技を使えば、身分の問題はクリアできる。
 それを知って以来、ポップを養子にすることを真剣に考え、アバンとも何度も相談したものだ。

 最終的には、本人の意思と両親の存在を重んじて、話を持ち掛けることなく水に流したのだが、繰り返された話し合いの最中にフローラは知った。

「ポップは、アバンに選ばれたわけじゃない――あの子の方が、アバンを選んでいただなんて……なんて、見る目のある子なのかしらね?」

 旅の最中、とある村で偶然出会った子供。
 アバンがポップの才能に気づくよりも早く、ポップの方からアバンに惚れ込み、弟子になりたいと押しかけてきた――あんな弟子は初めてだと、アバンは笑っていた。

「身分や実力を隠していたアバンを選ぶほどの目を持った子なら、信じる以上に確信できるわ。総てを任せても悔いはない、とね」

 自信とゆとりに満ちた表情で、フローラは言い切った。
 揺るぎもなく、ポップへの信頼感を示した二人の女性に対して、キルバーンは戸惑いを隠せない。

 思惑を大きく外れる反応に、不快さと戸惑いをみせる死神に対して、テランの王女は静かに呟いた。

「あなたは、ポップさんを見くびっています」

 物静かな少女の口から漏れる自信に満ちた一言に、さすがのキルバーンも一瞬たじろいだ。

「なんだって……?! このボクが、あの魔法使いクンを見くびっているだって?」

 聞き捨てならないとばかりにキルバーンが聞き返す。
 実際、それは心外とも言える一言だろう。 キルバーンはポップを、高く評価しているつもりだ。

 魔王軍時代から、買いかぶりではないかと周囲に言われながらも、キルバーンは一見平凡に見えるポップの特異性を重視してきた。
 それなのに、そんな一言を言われるとはまさに心外の極み。

 だが、メルルの黒曜石の瞳はすべてを見通す様にキルバーンを見つめ、必ず訪れる予言を告げるかのように揺るぎなく言葉を語る。

「ええ。あなたは、ポップさんを見くびっている。ポップさんは、あなたが考えているよりも、もっと賢く、もっと強い人……あなたになんて、決して負けたりはしません」

 気弱なはずの少女の、どこにそんな芯の強さがあるのか。
 恐るべき実力を備えた魔族を目の当たりにしながら、メルルは怯む素振りすら見せなかった。

「ポップさんは、私達に約束してくれました。ダイさんと、胸を張って再会するんだって。ならば、その方法が忌まわしいものであるはずがありません。
 そうでしょう?」

 問い掛けですらない、確信の籠った言葉はキルバーンにではなくポップに向けられたものだった。
 三人の女性達の視線を受けて、魔法使いの少年はヘラリと、少しばかりおどけた笑みを浮かべる。

「ああ、もちろんだぜ。
 女の子の期待には応えなさいってのが、先生の教えなんだよ」

 お調子者めかしたそのセリフの後に、ポップは小声で本音である言葉を漏らす。

「みんな……信じてくれて、ありがとうよ。おかげで、こっちも全力で挑めるぜ」

 その言葉はあまりに小さすぎて、キルバーンの所までには聞こえなかっただろう。だが、仲間達の耳にはきちんと届いた。
 だが、その言葉の余韻が消えないうちに、ポップは声を張り上げる。

「……我が選びし贄は――黒の核晶!
 出でよ、黒の核晶よ、我が命に応じて我が下に来たれっ!」

 ポップがそう叫んだ瞬間、魔法陣に6つの黒い塊が召喚された。
 レオナ、メルル、フローラと、三体の人形のすぐ近くに出現した、不気味な輝きを見せる黒い球は、紛れもなく黒の核晶だった。

「く……黒の核晶だとっ?! なんで、ここにっ?!」

 さすがに声をうわずらせるキルバーンに対して、ポップは冷静だった。

「あいにく、封印をかけたのは他ならぬおれなんでね。場所だってバッチリ知っているし、小細工を仕掛けて呼び寄せる魔法をしかけておくのは難しくなかったぜ」

 アバンとマトリフ、それにポップが加わって黒の核晶の封印を行ったことは、キルバーンも知っていた。
 その時はアバンの警戒が厳しかったため、さすがのキルバーンも正確な場所を知ることはできなかった。

 だが、仲間であるポップに対してはアバンも警戒はしなかったろうし、封印の場所を隠す理由などあるまい。

「黒の核晶はただの爆弾なんかじゃない……貪欲に魔法力を吸収するという、鉱物でありながら生き物にも似た性質を持ち合わせている代物なんだろ?

 おまけに魔法力の高さは保証付きだ、並の魔族を上回るどころか、魔法使い数十人分の魔法力はたっぷりとつめこんでいる。
 これなら生きてなんかいなくっても、充分生け贄の代用ぐらいにはなるぜ!」

「く……っ」

 キルバーンの声音に、苛立ちが混じる。
 それは、盲点を突かれたがゆえの苛立ちだった。
 ポップの考えは、キルバーンの予測をはるかに超えていた。意表を突いた突飛な考えではあるが、確かに有効だ。

 普通、贄を捧げろと言われれば、なるべく低コストで抑えることを真っ先に考えるものだ。
 生け贄というのは、そのための最も手っ取り早い選択にすぎない。

 単なる魔法力だけでは膨大な量を必要とされるからこそ、生き物の持つ生命エネルギーを相乗させて犠牲にすることで、術を起動させる。
 他人の命を惜しんで、一財産となる貴重なアイテムをあたら無駄に消費しようなどと考える魔族はいないだろう。

 ましてや、黒の核晶ほど膨大な魔法力を秘めたアイテムならば、なおのことだ。それを持っているだけで、魔界の支配権に大きく関われる程の貴重な超兵器と、わずか数人の高い魔法力を持つ者の命……どちらを選ぶかなど、明白だ。

 なのに、人間の命を惜しんで二度とは手に入らないかもしれないほど貴重な爆弾を消費しようと考えるポップに、目まいに似た感覚さえ覚える。
 しかし――ポップのその考えを、甘いと笑い飛ばせるだけの余裕が、キルバーンにはまだあった。

「だが、一つ忘れているよ、魔法使いクン! 器物による贄は、所有者にしか捧げられはしないってことをね!」

 魔法力を込めて製作したアイテムは、創り手の意思や思惑が大きく込められる。
 たとえ死亡したとしても、バーンはいまだに黒の核晶の正統な所有者だ。持ち主の許可もなく、それを使用することはできるはずがない。

 それに気がついたからこそ、余裕を取り戻したキルバーンの嘲りに、ポップは動揺する気配すら見せなかった。

「おまえこそ忘れてるぜ。
 おれが、なんでこんなに手間の掛かる上に禍々しい血の契約なんかを行ったのか――その理由を、今、教えてやるよ。

 血の儀式を行う以上、血の効力は絶対だ。血の契約を施行している最中は、持ち主の血を吸った品を代理として使用出来る」

 そう言いながら、ポップは懐からナイフを取り出した。厳重に鞘に納めたパプニカのナイフを、勢い良く抜き放つ。

「このナイフはさ、世界最強の女の子が、あの大魔王バーンを切りつけた代物なんだ……この意味が分かるか?」

 ニヤリと笑ったかと思うと、ポップはナイフを高々と掲げて叫んだ。

「大魔王バーンの代理人として、命じる!
 黒の核晶よ、贄となりて扉を開く糧となれ!」

 かつての敵の名を使っての呼び掛けは、ものの見事に作用した。途端に轟音が鳴り響き、黒の核晶が激しく震え始めた。

「さあ、遠慮は無用だ! 釣りはいらねえよ、贄を残らず食らい尽くせ! こんな忌まわしいものなんか、きれいさっぱりなくなっちまえッ!」

 ポップの叫びを聞き届けたかのように、魔法陣は見る見るうちに色を変えて急速に輝きを増していく。
 古代より伝わる魔法陣は、贄に相応しいだけの力を認めれば、着実に効力を発揮する。その際、エネルギーが少なければともかく、多い場合は何の問題もない。

 余剰なエネルギーを返還などせず、貪欲に吸収してしまうだけだ。
 ポップの言葉通り、魔法陣は黒の核晶のエネルギーをすべてくらい尽くすだろう。黒の核晶の抹消を望むポップや勇者一行にとっては、それは望むべき結果だ。
 だが、魔族の立場から見れば、それはとんでもない無駄遣いとしかいい様がない。

「ボクがそれを見逃すとでも思っているのかい?」

 大鎌を握り直すキルバーンから、ゆらりと、殺気が立ち上ぼる。だが、それにもポップは動じない。

「思っちゃいないさ。――おまえの目的の一つは、地上の爆破なんだろうからよ」

 今や、ポップは正確にキルバーンの思惑を見抜いていた。
 ウェルザーに従っている様に見せかけて、キルバーンは自分の欲望に正直だ。前回も黒の核晶という切り札を隠し持ちながら、彼が失敗した要因はそこにある。

 自分を倒したアバンを見返したいと言う思いと、黒の核晶の誘爆を狙う計算――その二つが重なったからこそ、キルバーンはダイが帰還したあの時、ノコノコとあの場で登場してきた。

 バーンに忠実であれば、ダイの抹殺を果たすために時間を置いて、再度暗殺を仕掛けにきた方が確実だった。
 そして、ウェルザーに忠実ならば、キルバーンはあのまま魔界へ戻ればそれですむことだった。

 だが、彼は自身の虚栄心と欲望に忠実だった。
 だからこそ、キルバーンはあそこで勇者一行に挑戦してきたのだと、今のポップなら分かる。

 それを知っているポップは、キルバーンが大鎌を構えて自分に迫ってくるのを見ても、驚きもしなかった。
 ただ、皮肉たっぷりに言っただけだ。

「なんだよ、見物だけで邪魔しないはずじゃなかったのかよ」

「生憎と、ボクは嘘つきでね」

 悪びれもなくそう言った後、キルバーンは大鎌を振りかざしてポップに襲いかかる。

「……そうくると、思ったぜ」

 自分に迫る凶刃を、ポップは避けようとさえしなかった。刃が風をまいて切り裂こうとするのを見ながら、身動き一つすらしない。
 ゆとりすら感じさせる表情で軽く目を閉じ、彼は一言、呟いた。

「だから――おれは、みんなに頼ったんだ」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、高い金属音が響き渡る。
 それは、大鎌と剣がぶつかりあって立てられた音だった。
 驚くキルバーンの目の前で、ポップの前にすばやく立ちはだかったのは、ヒュンケルだった。

「こいつには、指一本触れさせん……!」

 今まで気配すら感じさせなかった魔剣戦士は、かつて魔王軍時代に持っていたのと同じ武器を構え、ポップの前で気迫を撒き散らしている。
 そして、突然現れたのは彼だけではなかった。

「あなたの好きにはさせませんよ。ポップ達と魔法陣を守るのは、我々の役目です」

 アバンはフローラを守り、その前に立っていた。
 メルルの前にはマァムが、レオナの前にはクロコダインがすでに鉄壁の壁となって立ちはだかっている。

 勇者一行の勢揃いに、さすがのキルバーンも怯んだように足を止める。だが、そのまま引き下がるような死神ではない。

「なるほどね……たった4人きりでずいぶんと大胆な真似をすると思っていたら、最初から伏兵を潜ませていたと言うわけか。
 さすがだね、魔法使いクン。――だけど、罠を潜ませるのは暗殺者の十八番でね。
 最初から罠を張っていたのは、キミだけじゃないんだよ」

 くぐもった声に、笑いの色合いが滲む。
 そのキルバーンの頭飾りについているラインが、いつの間にか一つずつ残らず消えていた。
 その意味に真っ先に気付いたのは、かつて彼と決闘をしたこともあるアバンだった。

「みんな、気をつけてください! 奴は、この空間に罠を仕掛けている……っ!」

 アバンの忠告を、キルバーンは遮らなかった。
 むしろ、嬉々として自分から語りだす。

「フッ、もう遅いさっ!! このボクのファントムレイザーは以前より、パワーアップされている!

 この魔法陣はすでに、罠の中にあるのさ。見えない刃の数々を、随所に仕込んでいる……。
 おっと、探そうとしても無駄だよ。仕掛けたのは、この頭上なんだから」

 闇雲に剣を振るおうとしたアバンやクロコダインを牽制するように、キルバーンは嘲笑う。

「パワーアップした、と言っただろう? 前のファントムレイザーは、空間に浮かぶだけの代物だった。 だけど、今度は違う。
 見えない刃はボクの合図一つで、いつでも好きな方角に射出できる! しかも、重力という加速度を付けてね」

 その恐ろしさを想像してみるだけの時間は与え、だが、対策を考える時間は与えない説明を、キルバーンは楽しげに続ける。

「そうだなぁ、名付けるのならファントムレインとでも呼ぼうか。
 素敵だろう? 見えない刃が、雨の様にキミ達の上に降り注ぐのさ! 
 キミらに、それらをすべて防ぐことができるかな?!」

 暗殺とは、最小の効力で最大の効果をあげるのが目的だ。全員を守ろうとする彼らと戦おうとするなど、愚の骨頂。
 殺すのは、たった一人でいい。
 キルバーンの狙いは、最初から決まっていた。

「どうする、魔法使いクン? 逃げるのなら、今のうちだよ」

 勝利を確信して、キルバーンは言ってのける。
 ヒュンケル、アバン、クロコダインがいかに達人であれ、魔法陣に入らないという条件の元では、その中央に立つポップを庇いきれまい。

 そして、違う角度や高さから一気に降り注ぐ見えない刃を、ポップが避けきれるはずがない。
 唯一、逃げれるとすればポップ自身の瞬間移動魔法だけだろう。

 でなければ、仲間がポップの危機を見兼ねて魔法陣に足を踏み入れて、彼を庇うという選択もありそうだ。
 だが、それをすれば魔法陣は効力を失う。

 魔法が完成しきる前に術者が魔法陣からいなくなれば、その時点で無効化されてしまう。 それはそれで、キルバーンにとっては都合がいい。
 だが、ポップは強い口調で拒絶した。

「ふざけるな……! やっとここまで来たのに、誰がここで逃げるかよ!!」

「ハッハァ、そういうと思ったよ! じゃあ今度こそサヨナラだよ、魔法使いのボウヤッ!」

 高々と掲げられたキルバーンの指が、パチンと鳴らされる。
 数人の息を飲む音が重なり――しかしながら、何も起こらなかった。

「……っ?!」

 それに誰よりも驚愕し、頭上を見上げたのはキルバーンだった。信じられないとばかりに、何度となく空を振り仰ぎ、焦った様に指を何度も鳴らす。
 だが、やはり何も起こらなかった。

「見えようが見えまいが、関係などないさ。武器職人相手に、暗器が通用するとでも思ったか?」

 その声と共にのっそりと現れたのは、ロン・ベルクだった。

「おまえがこの空間に仕込んでいた刃は、一つ残らず取り払わせてもらった」

「って、言ってもよ、実際に取り除いたのはオレだけどなあ。全く、人使いが荒いぜ」

 軽くボヤきながらヒムが手を握り締めると、その間からガラスが砕けるような音が鳴り響いて地に落ちた。
 目には見えないながらも、何かが落ちる音が断続的に響く。

 不可視の刃を素手で砕いた金属生命体は、必殺の罠を無効化された驚きに立ちすくむキルバーンに向かって、不敵に笑う。

「さあ、これであんたの自慢の罠は最後ってわけだ、死神さんよ。
 どうだい、切り札がなくなったところで、いっちょ男らしく決闘でもしてみるか?」

 誘うように両の拳を打ち合わせるヒムに、キルバーンはもちろん応じなかった。

「く……っ」

 一言の呻き声を残して、キルバーンの身体が揺らぐ。得意の空間転移で逃げようとする死神より早く動いたのは、疾風の早さを持つ戦士だった。

「……遅いな」

 その声をキルバーンが聞いたのは、槍が腹を貫いた後でだった。

「な、……なぜ、殺さ……なかった……?!」

 地面に倒れ伏し、苦痛に身を震わせずにはいられない重傷とはいえ、その怪我は致命傷とは言えない。
 仮面の奥から自分を刺した男を、キルバーンは睨みつける。

 ロン・ベルクの最高傑作の一つと言われる、鎧の魔槍を手にした魔族の血を引いた青年を。
 だが、彼はキルバーンには見向きもしなかった。

「ポップ。本当に、こいつを殺さなくていいのか?」

「ああ、ラーハルト。殺す必要まではないんだ。っていうか、その方が厄介っぽいし。
 多分、殺したって、そいつは死なない。
 主人であるヴェルザーが生きている限りは、殺したって生き返ってくる……そんなところなんだろ?」

 後半はキルバーンに向かって言ったポップの言葉に、死神は返事をしなかった。だが、その返事こそが答えになっている。

「野放しにしとくと邪魔されるから、おれが戻るまでそいつを逃がさないでいてくれればいいや」

「おう、任しときな」

 軽く答えながらも、ヒムがきっちりとキルバーンを押さえ付けにかかる。
 ちょうどその時、術が最後の輝きを見せた。
 黒の核晶が同時に全部消滅し、それと引き換えのように魔法陣から一際強い光が立ち昇る。

「よーし、これで、準備はできた。で、ちょっとこっちに来てくれよ」

 神々しいまでの魔法陣を作り上げた者とも思えない軽さでそう言い、ポップはちょいちょいとレオナを手招きする。

「姫さん、これ、返すよ。ありがとな……、姫さんのおかげで儀式が無事に済ませられた」
 

 ポップがさも大切そうに差し出してきたパプニカのナイフを、レオナはじっと見つめていた。
 身動きどころか、声すら出せない。
 込み上げる想いが涙となって溢れだしそうで、涙を堪えるだけでやっとだった。

 ――自分のしたことは、無駄ではなかった。
 そう思わせてくれたのが、なによりも嬉しかった。
 ダイと共に戦うと決めた癖に、あの時のレオナには彼をサポートするだけの力さえなかった。

 ダイの苦悩を和らげることも、勇気を与えてあげることもできなかった。
 必死に行った抵抗でさえ、バーンにかすり傷を負わせるのがやっとだった。その代償としてレオナは『瞳』に閉じ込められてしまい、戦いの成り行きを見守るしか出来なくなったのだ。

 それはレオナにとって長い間、心の傷となった出来事だった。結局、自分はダイのために何一つできない、足手纏いにすぎなかったのではないのかと――。
 だが、そうではないと、ポップは言葉にせずに証明してくれた。

 あの時、大魔王バーンをただ激昂させただけで、自分でさえ無意味と思えた抵抗に、ポップは見事に意味を付加してくれた。
 まるで魔法のように、レオナの誰にも言えなかった心の憂いを救ってくれた魔法使いは、さらに嬉しい言葉をくれる。

「これは姫さんが持っててくれよ。そして、姫さんからダイに返してやればいい。――文句と一緒にな」

「……え……ええっ、そう、してやるわ」

 泣きながら、それでもレオナは精一杯の笑顔を浮かべてポップの手からナイフを受け取る。

 ずっとポップが握り締めていたせいでほんのりと暖かいナイフを、レオナは強く握りしめる。
 と、ポップが武器を手放すのを待っていた様に、ロン・ベルクが口を開いた。

「持って行け。いくら天才魔道士とは言え、武器がなければ困るだろう」

 ロン・ベルクが無造作に放り投げたのは、ブラックロッドだった。
 大魔王バーンに挑む際、彼がポップに与えた物と同じ武器だが、微妙に先端部分の形が違う。

「基本的には以前のモノと同じだが、そいつはミスリル銀で出来ている。以前のものよりも強度が上がった分、いささか工夫を凝らしてみた」

 受け取ったブラックロッドを、ポップは試すようにクルクルと回してから、強く握りしめて念を込める。
 その意思に反応してロッドが伸びるのを確認してから、ポップはわずかに首を捻る。

「これ、前と変わらないみたいだけど?」

「そう慌てるな。攻撃魔法ではなく、回復魔法を使うつもりで念を込めてみろ」

 その途端、杖から湧きだした光が輝く盾となってポップの身を覆った。
 ポップは知らないが、その輝きや仕組みはかつて老バーンが使っていた光魔の杖と同じものだった。

 使い手の魔法力によっては、竜の騎士のドルオーラにさえ耐えられるほどの防御力を発揮する。
 自分の武器の威力を眺めやり、武器職人は満足げに頷いて見せた。

「おまえの意思で、その杖は攻守どちらにも力を発揮する。せいぜい、うまく使うことだな」

「サンキュー、助かるよ! 丸腰じゃ、心許無いって思ってたところでね」

 礼を言い、ポップはそのロッドを腰の後ろに差し込んだ。

「ほら、キミに頼まれたものを持ってきたよ」

 そう言ったのは、ロン・ベルクの後ろから現れたノヴァだった。
 大きな布に包まれたものを大切そうに持ってきたノヴァは、ポップの目の前でその布を解いた。
 現れたのは、ダイの剣だ。

「ありがとよ。ダイの奴は、これを必要にしているに決まっているからな」

 ポップが持つには重すぎる剣を、かつてダイがそうしていた様に背に背負う。
 ただし、ポップの場合は最初から剣を使う気が皆無なので、持ちやすさを追及してあるのが、ダイとは違う点だ。

 背や肩にかかる重みを分散するために、布で包んだまま、幅の広い皮ベルトで無理なく背負えるように工夫が施されている。
 まだまだ武器職人としては修行の取っ掛かりを始めたばかりのノヴァだが、師匠の助けも借りて、彼なりに一生懸命に工夫をして用意した品だ。

「すげーじゃん。けど、なにもここまで準備しなくってもよかったのによ。別に、長旅をするわけじゃないんだし」

「でも、戦いが待っている……そうなんだろう?」

 静かなノヴァの問いに、ポップはちょっと困ったような顔をみせる。――それが、十分に答えになっていた。
 ダイの所へ行くだけで終わるのなら、ポップはここまで準備を整える必要も、みんなの助けを借りる必要も無かった。

 ポップがここまで入念に、自身の体力や魔法力を温存して扉を開けたがった意味を、誰もが気がついていた。
 だからこそ、全員がポップに協力した。

 かつて、ダイを無傷のまま大魔王の前に進ませた様に、ポップを無傷のままダイの元へと行かせてやるために。
 だが、だからといってポップの身を案じないはずがない。

「ポップ。……無茶はしないでくれよ。
 ジャンクさんやスティーヌさんも、キミの帰りを待っているんだ」

 口にしたのはノヴァだったが、その言葉はその場にいた全員の総意でもあった。誰もが、物いいたげな視線をポップへと注ぐ。
 その中で、ポップに向かってふらりと歩み寄った人影がいた。

「ポップ……」

 泣きそうな顔でそう呟いたのは、淡い赤毛の少女だった。

「必ず、帰ってきてくれる……わよね? あなたも、ダイも……そう、信じていいのよね?」

 信じていると言いながらも、ひどく不安そうなマァムに、ポップは一瞬だけ目を瞬かせる。
 だが、すぐに大袈裟な身振りで肩を竦めて見せた。

「あーあ、おれって未だに全然信用ないのな。まったく、そんなに深刻な顔をするほどのことじゃねえっつの。
 おれは、わざわざ魔界くんだりまで迷子になっている、あのバカ野郎を連れ戻しに行くだけなんだからさ」

 いかにも簡単なことをするだけと言わんばかりの、調子の良い口調。
 誰もがそんな簡単なことではないと知っていながらも、そこには、つい、それを信じたくなる様な明るさが込められていた。

 涙をこぼしかけていたマァムの表情に、泣き笑いながらも笑みらしきものを取り戻したのは、間違いなくその調子の良さだ。
 そして、その明るさに力づけられたのは彼女だけではない。

 何度となく調子のいい軽口を叩き、なんだかんだ言ってそれを実行してきたこの魔法使いが、もう一度奇跡を起こしてくれることを、誰もが信じたいと望む。

「それにさ、最初からそのつもりだよ。おれは――ダイと一緒じゃなきゃ戻らねえよ」

 マァムだけにではなく、全員に向かって宣言する様に言い放ったポップは、くるりと周囲を見回す。

「じゃあ、みんな、手伝ってくれてありがとうな。マジで感謝してる……!
 おれ、そろそろ行くよ」

 軽く手をひらりと振り、ポップは呪文の仕上げとなる最後の言葉を口にした。

「古の魔法陣よ、扉を開け! 我を竜の騎士の元へと導け!」

 ポップがそう叫んだ途端、魔法陣から生み出された光が彼を包み込む。その輝きの眩しさに目を焼かれ、思わず目を瞑った瞬間、魔法は完成していた。
 閃光にも似た輝きと共に、魔法陣の中央に立っていた少年の姿は消えていた。

 


 こうして勇者の魔法使いは、魔界にいる勇者の元へと旅だった――。
                                               END



《後書き》
 や、やっと書けました、このお話!
 暫定的ですが、これは一応30303hit記念リクエスト作品でもあります。
 ポップが黒の核晶を消滅させたエピソードをとのリクエストでしたが、伏線を数編書くのにものすごーく時間がかってしまいました。

 みんなの助けを借りて、黒の核晶の消滅と引き換えにポップが魔界へと出発する  魔界編の中でも、特に書きたくてたまらなかった話の一つです!
 が、フルメンバーを出す話ってのはやっぱり、書きにくいというか大変ですね〜。いや、力量不足と言ってしまえばそれまでなんですが。 
 

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