『騎士の想い、彼女の願い ー後編ー』

  

 決闘当日、ロモスの闘技場は大観衆にあふれんばかりだった。
 それも、無理からぬことだろう。
 なにしろ、今日の決闘の話を聞き及んだ者は、こぞって見物に押しかけたのだから。集まったのは、ロモス近郊の者ばかりでない。

 わざわざ瞬間移動魔法やキメラの翼などを駆使して、様々な国からの来た見物客も少なくはない。
 そのせいで、貴賓席はいつになく華やいでいる。

 自国の闘技場なだけにロモス国王はもちろんのこと、カール王国の女王フローラもアバンと並び、夫婦揃ってにこやかに微笑んでいる。
 リンガイア将軍の盛装姿で貴賓席に座っているのは、北の勇者ノヴァだ。

 移動魔法の使い手であるアバンやノヴァは、噂を聞きつけた途端にやってきたのだろう。
 テランから訪れたメルローズ姫の姿も見える。

 メルローズ姫は護衛と共に馬車でやってきたのだが、それが計ったように決闘が始まる当日、それも闘技場に入るのにちょうどいい時間だった。
 噂を聞いてからでは到底間に合わない移動だが、当代一の占い師の名を欲しいがままにしているメルローズ姫ならば、それも当然だ。

 予知で未来を知ることの出来る黒髪の姫君の言葉があれば、未来に合わせて前もって移動を開始するなど簡単なことなのだから。
 魔法の使い手が極端に少ないベンガーナ王は、残念ながら移動には間に合わなかった様だが、彼もこの問題には無関心ではない。

 貴賓席に、代理人として出席しているのはベンガーナデパートの支配人だった。知る人ぞ知る事実だが、ベンガーナ王国の経済を支える存在でもあるベンガーナデパートの支配人は、ベンガーナ王との古い友人でもある。

 商用でロモスに訪れていた彼と連絡を取り、わざわざ決闘を見届ける様に命じた辺りに、ベンガーナ王のこの決闘への関心の強さが伺われる。
 もちろん、貴賓席の中にはロモスに滞在中のパプニカ王女レオナや、勇者ダイ、大魔道士ポップの姿も並んでいる。

 本来だったらロモスには来ていなかったはずの魔戦士ヒュンケルもそこにいるせいで、若い娘達の喚声は一際高いものになる。

 彼とは逆に、子供達の喚声を集めているのは、ロモス森林警備隊の面々……通称、獣王クロコダイン。そして、ネズミと愉快な仲間達……もとい、二代目獣王チウと、その直属の部下である獣王遊撃隊だ。

 クロコダインの巨体を見て、嬉しそうに手を振る子供の数は数しれない。人の好い巨躯の怪物は、その度に丸太のように太い腕を振り返しては、子供達を喜ばせていた。
 勇者一行全員ではないとはいえ、平和式典でもなければなかなか揃わない豪華メンバー集結に、観客も盛り上がっていた。

 まさに、世界が注目する世紀の一戦である。
 彼らはいつにない期待により、ざわめきと興奮に包まれていた。
 熱に浮かされたような群衆の話題の源は、なんと言ってもマァムに対してだった。

 勇者一行の武闘家であり、騎士の最高峰と言えるカール自治領の領主にて、いまや世界一の騎士として名高い拳聖女。もはや世界一の強さを備えたと言っても過言ではない女性に、騎士として名高いフランツが求婚した噂はすでにもちきりだった。

 彼女が求婚を受け入れるか、あるいは決闘を受けるのか――まず、その点が人々の話題や歓心を買うのも当然だろう。
 そして、マァムのその決意は彼女が登場してきた段階で、分かる。

 女性として、求愛を受け入れるのであれば、ドレス姿で。
 騎士として、決闘を受け入れるのであれば、騎士姿で。
 いったい彼女がどちらの姿で現れるのだろうかと、興味津々の目が闘技場の入場口へと注がれている。

 すでに挑戦者であるフランツは闘技場の中央で、騎士の盛装である鎧装束姿で待ち受けていた。
 そのすぐ近くには、決闘に使用するための武器が複数並んでいる。

 片手剣(バスタード)、両手剣(ツーハンドソード)、槍(スピア)、大槍(ランス)、鉄槌(ウォ−ハンマー)、聖職棍棒(メイス)、殻物棒(フレイル)など、騎士に相応しいとされる武器がそれぞれ二つずつ、ずらりと並べられている。
 決闘の種類によっては出番もあるであろう騎馬も、すでに二頭用意されていた。

 ただ、兜は被らずに手で持っているのが、通常の決闘と違う点だ。マァムの出方次第では、その兜は使われることなく地に投げ捨てられるだろう。
 果たして、この結果はどうでるのだろうか。人々が息を飲んで見守る中、刻々と決闘の開始時間は迫っていた――。







「んっふっふ〜、盛り上がって来たわよね〜♪ ねえねえ、メルル、この決闘ってどう決着がつくと思う?」

 と、気楽に浮かれているレオナに対して、メルルは恐縮したように答える。

「すみません、私には見えませんでした。ただ、マァムさんの身に何かが起きそうだという予知を得たので、とりあえず来てみただけで……」

 どう聞いても、レオナが単に面白がって話を振っただけであり、明確な答えを求めてなどいないだろう。なのに、それを正面に受け止めてしまう生真面目さが、メルルにはある。 おろおろと困ったような顔をするメルルに、フォローするように優しく言葉をかけたのはフローラだった。

「あら、メルル、レオナが聞いているのは予知じゃなくて、あなた自身がどう思うかっていう話よ? なんといっても、こんなロマンチックな決闘なんてめったにお目にかかれないもの」

「ですよねー、ですよねーっ、フローラ様もやっぱりそう思われます!?」

 などと、女性陣が盛り上がってきゃあきゃあと騒ぐ様を、ダイとアバン、新旧の勇者達はニコニコと眺めている。
 ――と、にこやかな女性陣と違って、男連中のいる辺りは決して和やかとは言えなかった。

「おい! ……いったい、おめえは何をしにきたんだよ!?」

 露骨に敵対的な視線で、ポップはすぐ隣に座っている兄弟子を睨みつけている。だが、ヒュンケルの方は、ポップがなぜそんな態度を取るのか分からないとでも言いたげだった。
「ご挨拶だな。だいたい、おまえがオレを呼んだんだろう」

 実際、ヒュンケルは元々ロモスに来るつもりはなかった。
 今回は個人の邸宅への招待だし、ダイが同行するということで、大仰な護衛をつけるのもかえって相手に失礼だろうと、パプニカで留守番しているつもりだった。

 それを、今朝になってから急にポップが瞬間移動魔法で飛んで来て、とにかく来いといわれて連れてこられたのだ。近衛騎士隊長というのも暇な任務ではないのだが、ポップが呼ぶのならと思い、無理に時間の都合をつけてまでわざわざ来たのだ。

 ポップに言われた通りにしたと言うのに、なぜポップに怒られるのか、ヒュンケルにはさっぱり分からなかった。
 が、ヒュンケルのその答えを聞いて、ポップはますます腹を立てまくる。

「馬鹿か、てめえはっ!? おれがおまえを呼びたくて、呼んだとでも思ってるのかよっ!?」
 身勝手にもほどのある意見だが、ポップにしてみればマァムのためでもなければ、わざわざヒュンケルを呼ぶ気などなかった。
 自分では出来なかったが、もし、ヒュンケルが引き止めたのならばマァムも決闘をやめる気になるかもしれない。

 そう思ったからこそ、嫌なのを我慢してわざわざヒュンケルを呼びにいったというのに、この朴念仁の根暗戦士はなんの役にも立たなかった。
 決闘や結婚の話を聞いてもさして驚いた様子も見せず、引き止めるどころか試合前の集中時間に気を散らせると悪いからと、マァムに面会すらもしないでここにいるのだ。

 ポップにしてみれば期待外れもいいところで、文句の一つや二つも言わなければ気が済まない。

「黙って座っているだけだっつーんだったら、師匠んとこから石の置物でも持ってきた方がまだマシだったつーのっ!」

「そうだそうだっ! マァムさんを守ろうともしないだなんて、なんて腰抜けな男なんだっ。少しばかりやる奴だと思って、ボクのライバルとして認めてやってもいいかな〜なんて思っていたのに、なんて奴なんだ! 見損なったぞっ!」

 普段はよるとさわるとケンカばっかりするポップとチウだが、こんな時ばかりは息もぴったりに、声を揃えてヒュンケルを非難しまくる。
 しかし、一方的に文句を叩きつけられているというのにヒュンケルは気にした様子もなく平然としたままだが、それはより一層、ポップとチウを怒らせているだけのようだ。

「おい、キミ達、いつまで騒いでいる気だよ、もうすぐ決闘が始まるっていうのに」

 余りの騒ぎようを見兼ねたのか、ノヴァが声を掛けると途端に、ポップとチウは目の色を変えた

「「えっ!?」」

 二人揃って貴賓席の手摺りにしがみつき、今にも落ちてしまいそうな程に身を乗り出して闘技場に注目する。普段は犬猿と言ってもいいぐらいケンカばかりしているというのに、ことマァムに絡んだ時は妙に気があっているようである。
 そんな様子を苦笑しつつ眺めやり、クロコダインは小声でヒュンケルに問いかけた。

「だが、ヒュンケル。マァムのところへ本当に行かなくていいのか?」

 ごく初期からダイ一行と関わってきたクロコダインは、マァムに親しみを感じているし、ヒュンケルがマァムをいかに大切に思っているかも、知っている。
 それだけに、彼女が結婚の絡んだ決闘をするなどと聞けば、なんらかの働きかけをする方がいいのではないかと思える。

 なんだかんだ言って、結婚と言うものは大きな人生の節目になる。
 それに対して、マァムが何か悩んだり、迷ったりすることもあるだろう。それならば、そんな時に声をかけるのも仲間の役割ではないのか――そう、声には出さずに促すクロコダインに、ヒュンケルは軽く首を横に振った。

「その必要はない」

 迷うマァムの背を押すための言葉なら、ヒュンケルはもう、とっくに告げている。魔王軍との戦いの最中、バーンパレスで。
 もし、その時の言葉をマァムが忘れていたとしても、問題はないだろう。

 ヒュンケルは、視線を弟弟子の方へと向けた。マァムが気になって仕方がないのか、闘技場の方を熱心に見つめているポップに聞こえない程度の大きさの声で、ヒュンケルは言う。

「オレがわざわざ行かなくとも、もう、すでにマァムは十分な言葉を受け取っているだろうからな」







 期待が最高潮に高まった頃、やっと登場してきたマァムを見て、大歓声が一際高まった。
 通路の奥から現れたマァムが、武闘着姿だったからだ。
 ブロキーナが開祖である武神流の名を刻み込んだ肩当てに、いかにも若い女性らしく明るい赤の色合いの武闘着。

 その左手にはめられた妙に目立つ籠手は、防具というよりはまるで武器であるかのように、独特の攻撃的な雰囲気を漂わせている。
 いまや懐かしいとも言える拳聖女本来の姿に、観客達はどよめかずにはいられない。

 二者選択を大きく離れた格好を見て、戸惑うのも無理もあるまい。その驚きが最も大きいのは、どうやらフランツのようだった。

「マァムさん……!? その格好は……?」

 戸惑うフランツに対して、マァムは騎士の礼に乗っ取り、丁寧に一礼する。
 そして、顔をまっすぐに上げ、いかにも彼女らしい生真面目さで相手を見つめながら、語りだした。

「戦いによってしか勝ち取れない愛もある……それには、私も賛成します」

 そう言いながら、マァムが思い出すのはかつての強敵、アルビナスの冷たい美貌だった。
 今でも忘れがたい、印象深い女性だった。
 誇り高く、美しい女戦士。
 命を懸けても、愛する人を守ろうと決めた彼女は、戦いを決して恐れなかった。

「私も戦う道を選んだ者です。ですから、守りたいと思うもの、守りたいと思う人のためになら、全力で戦います。
 そして全力で戦うには、私にはこの姿で、武闘家として戦うのが一番なんです」

 魔王軍との戦いの中で、マァムは学んだことがある。
 正義なき力は、無力。
 だが、力なき正義も、また無力なものだと。

 勝利を得るためには、主義や主張などでは何の役にも経たないこともあるものだと。力と力により、互いにぶつかりあうしかない時も、ある。
 それならば――なりふり構わずに、戦うしかない。

「あなたが、単に領主の地位を望むだけならば、私も騎士として正々堂々と応じ、騎士のルールに乗っ取って戦うつもりでした。
 ですが、あなたは私も欲しいとおっしゃった。それならば私は、私の持てる全力の力を持って、戦いを挑みます」

 そう宣言すると同時に、マァムは足を前後に軽く開き、拳を構える。
 武闘家としての臨戦態勢を見せるマァムを、フランツはしばし呆然とした表情で見つめる。

「……ど、どうなさいますか? この条件での決闘を、受けますか?」

 いささか当惑したように、決闘の立会人であり、裁定者でもある司教がフランツに問い掛ける。
 こんな騎士の決闘は、まさに前代未聞だ。

 もし、フランツがここで異議を唱えるのなら、この決闘は成立しなかっただろう。いかに挑戦者側に武器の選択の自由があるとはいえ、こんなにも突飛な異種格闘戦ともなれば不平や再考を唱える権利はある。

 騎士の戦いは相応しくないと糾弾し、自分の有利な方に話を進めるのも不可能ではない。
 だが、フランツは潔かった。

「……あなたのお話は、分かりました」

 そう言って、フランツは兜と盾を地面に投げ捨てた。
 騎士の家紋を刻む盾は、騎士としての誇りを表すものだ。そして、兜は騎士として決闘には欠かせないもの。

 てっきり、戦いを放棄するつもりかとざわめく観客だが、そのざわめきが消えぬ内に再び大きなどよめきが上がる。

 フランツが、並んだ武器の中から片手剣(バスタード)を選択し、身構えたのを見たからだ。
 彼の行動の意味をつかめず、戸惑う観客達の目の前でフランツは朗々たる声を響かせた。

「決闘の条件は、五分で行うのが原則……ならば、あなたも鎧を身につけてください。その代わり、私ももっとも得意な武器にて、挑ませていただきます。
 あなたほどの戦士に、無手で挑むのは返って失礼でしょうから」

 それはマァムを求婚者としてではなく、一人の戦士と認めて、全力で戦うことを意思表示した言葉だった。
 それを受けて、マァムは少し微笑む。
 が、次の瞬間、表情を引き締めて一声叫んだ。

「アムド!!」

 その合い言葉一つで、マァムの左手にはめられた魔甲拳は大きな変化を見せた。金属とは思えない動きで広がり、マァムの身体を包むという変幻自在の動きを見せた籠手は、すでに籠手とは言えなくなっていた。

 マァムの左半身を包む、奇抜な形の鎧へと変化する。
 武器を鎧と化す――大魔王バーンさえもが欲した武器職人、ロン・ベルクの真骨頂は、ものの見事に発揮された。
 変化にかかった時間は、瞬き数度ほどに過ぎない。

 左腕にはめていた時と同様に、どことなく攻撃的なフォルムと雰囲気を漂わせる鎧は、それでいて女性的な美しさを引き立てる魅力も備えている。
 猛々しさと美しさが見事なまでに調和され、矛盾なく融合した姿。

 戦女神と見間違うばかりのその姿を見て、眩そうに目をすがめたのはフランツ一人ではないだろう。
 だが、マァムが肩からメタル・フィストを引き出し、拳にはめるのを見て、フランツは表情を引き締めた。

 一見、ただの小さな鉄輪に過ぎないと見えるメタル・フィストは、見た目よりも遥かに恐ろしい武器だ。

 それ単体では、武器としての威力は皆無……だが、武闘家の速度と腕力を上乗せされ、打ち込まれたのなら鉄をも砕く必殺の武器となる。
 真剣を持つフランツは、決して有利とは言えないのだ。

「それでは、私も全力を尽くさせていただきましょう。さあ、決闘を始めようではありませんか!」

 その言葉をきっかけに、決闘は始まった――。







 それは見る者の目以上に、心を奪う戦いだった。
 騎士同士の戦いとは全く違う、だが、卓越した戦士同士だからこそ成り立つ、異種格闘。 アンバランスであるからこそ、独自の旋律を生み出して曲の印象を強める不調和音のように、不均一な戦いだからこそ見る者に強い印象を刻み込む。

 フランツの剣捌きは、騎士に相応しい鋭さと力強さに満ちている。だが、マァムは武闘家特有の素早い動きで、それを回避する。
 そこには、普通の騎士の決闘ならば生まれる剣戟の響きはなかった。

 しかし、蝶のように華麗に舞うマァムの動きが、人々に武闘家の凄まじさを教える。鎧など武闘家にとっては邪魔にしかならないのではないかと思う程、その動きは軽やかだった。

 時折、左手の籠手で剣を受け流す程度のことはするが、マァムは基本的に避けに徹している。
 だが、避けてばかりと言うわけではない。

 武闘家の神髄は、攻防一体の動きだ。敵をよける動きがすでに攻撃への予備動作に繋がっている。
 しかも、その攻撃は騎士と違い、剣によるものではない。

 己の全身、全てを武器としてこその武闘家だ。拳が、足が、思いも寄らぬ角度から襲ってきてフランツを攻撃する。
 しかし、その攻撃はたいしたダメージにはならない。

 騎士の鎧は、伊達ではない。
 人間一人分ものにも匹敵する重みを誇る騎士の鎧は、動きを鈍らせてしまうかもしれない。だが、その分、鉄壁の防御力を誇る。生半可な攻撃は全て鎧が受け止め、衝撃を殺してくれる。

 さすがに積もり重なればダメージとなるだろうが、その前に自分の剣がマァムを捕らえるだろうという自信が、フランツにはあった。
 フランツの騎士の鎧と違い、マァムのロン・ベルクの鎧は、防御力という点では明らかに劣る。

 魔法防御力に関しては高いかもしれないが、物理的な防御力はさほどでもない。動き易さを重視して身体を露出させた部分も多さが、防御と言う点では欠点になる。
 そして、その点はフランツにとっては付け目にもなる。

 マァムに勝敗を決する一撃を与え、なおかつそれを身体に負担にならないまでに軽減させることが出来る。
 女性に攻撃するなど騎士として恥じるべきことだが、彼女自身が望み、また彼女を手に入れるためともなればためらいはなかった。

 片手剣を両手で握り締めたフランツは、雄叫びを上げてそれを振りかぶる。
 マァムの左半身を狙って振り降ろした渾身の一撃の威力に、フランツは勝利を確信する。 だが――その瞬間、マァムの姿が消えた。

「……っ!?」

 それは、一瞬の喪失に過ぎなかった。
 だが、戦いの場で敵の姿を見失うのは、即ち、敗北と同義だ。

 渾身の一撃はマァム本人ならぬその残像を空しく散らし、代わりに不快な金属音と強烈な痛みがフランツを襲う。
 ひとたまりもなく、フランツは後方に吹き飛ばされていた。

「……あ……っ」

 即座に起き上がろうとしたものの、鎧の重みと今も身体に残る衝撃の痕跡が、それを許さない。

 それでもやっと頭だけを持ち上げたフランツの目に映ったのは、自分を殴り飛ばした姿勢のままの戦女神の姿だった。
 それから自分の手や腹に目をやり、さらに驚く。

(馬鹿な……っ)

 フランツの鎧は目茶苦茶にひびが入り、半分以上砕けかけていた。さらに、手にした剣は柄を残して完全に砕け散り、その破片が鎧のあちこちに食い込んでいる。
 それは、マァムの仕業だ。

 絶妙のタイミングで攻撃を仕掛けたマァムは、フランツの剣ごと鎧を砕いたのだ。
 見物人の目からさえ、その動きは一瞬消えたとしか見えなかった。
 ましてや真正面にいたフランツからは、マァムの動きは捕らえきなかった。

 敵の攻撃が大降りになる隙を狙った、まさに一瞬の出来事だった。半身を捻って敵の攻撃を避けると同時に、マァムは一歩奥へと踏み込んだ攻撃を仕掛けた。
 肩の厚みの分を利用した、一歩踏み込んだ攻撃。
 それまでの攻撃と違う間合いに距離感を狂わされたのが、フランツの敗因となった。

(しかも、手加減されるとは、な……)

 マァムの攻撃は、わざわざフランツの剣まで破壊している。自分の本気の攻撃が、鎧を砕けることなどマァムは先刻承知だったんだろう。
 だからこそ、マァムはフランツに致命的なダメージを与えないように、剣ごと拳を叩き付けることで、幾分かでもダメージの拡散を図った。

 それでさえ容易に立てないダメージをうけたが、正面に攻撃を食らうよりも遥かに軽症には違いない。
 実力でも、その心構えでも、フランツの負けだった。
 一度は持ち上げた頭を落とし、フランツは宣言した。

「……参りました。完敗です」

 途端に闘技場が揺れんばかりに、わあっと大喚声があがった――。







「あの……大丈夫、ですか?」

 心配そうに自分に声をかけ、近付いてくるマァムを見て、フランツは半ば無理やりに身体を起こす。
 負けたとはいえ、男の見栄というものがある。敗北の後に立ち上がるのに、女性の手を借りるわけにはいかない。

「ええ、お気遣いなく。ただ、私が未熟だっただけです」

 いまだになりやまない歓声や拍手のせいで、マァムとフランツの会話は、先ほどまでのように遠くまで響かない。
 せいぜい、一番近い場所にある貴賓席に届くぐらいのものだろう。

「貴女の強さに、心から敬意を表します。我ながら、大言壮語が過ぎたものです。
 貴女を守りたいなどとは、思い上がっておりました。さぞや、ご不快に感じられたことでしょう」

 貴婦人に対してするそれではなく、自分より上位の騎士に対する礼を持って丁寧に頭を下げる騎士に対して、マァムは慌てたように首を振った。

「いいえ、そんな……。私も、守りたいって気持ちばかりじゃないんです。
 誰かに守ってもらいたい……そんな気持ちだってあるんですよ」

 少し照れくさそうに、頬を染めてそう言うマァムの表情には、先程の戦女神の猛々しさなど微塵も感じられない。
 まだ、恋を知らないまま恋に憧れる可憐な少女の表情、そのままだった――。







「すごーいっ、さすがマァムよねー」

 他の一般観客と同じように、立ち上がって手を叩くレオナは、惜しみのない拍手と称賛をマァムに送る。
 それには、他の一般観客以上の喜びとマァムへの配慮が含まれていた。

 マァムのこの勝利には、本人が思っている以上の大きな意味がある。マァムは意識してはいないようだが、彼女の地位と美貌は世間にいる数多くの男達にとって垂涎の的だ。
 未婚の王女であるレオナやメルルに求婚する男が絶えないように、未婚の領主であるマァムに対して求婚する男も、この先増えこそすれ、減ることなどないだろう。

 ましてやマァムの場合は、自治領の騎士として騎士の決闘は避けられない立場にいる。今回の決闘でもし勝ったとしても、第二、第三のフランツが現れる懸念は十分にあった。 騎士として戦うマァムが、弱点を背負っているのは少し彼女について調べればすぐに分かる。

 フランツのように純粋で潔い者ならばまだいいが、弱みに付け込むような挑戦者が今後も現れ続けるのならば、厄介だとレオナは考えていた。
 だが、今回の決闘はいい前例となったし、強烈なアピールになる。

 もし彼女に求婚した場合は、世界最高の武闘家として全力で戦うと知った上で、マァムに挑む勇気を持つ愚かな騎士などはそうそういないだろう。
 求婚者を断る口実にいつも苦労している身として、親友がその苦労から開放されることを喜んでいたレオナだったが、怪訝そうな顔をポップに向ける。

「それはいいとして……ポップ君は何しているのよ?」

 マァムが首尾よく勝ったというのに、ポップは喜ぶどころかやたらとしょんぼりして、その場に蹲っている。

 マァムとフランツの決闘を見ている最中、興奮の余り泡を吹いて気絶をしたチウのように目を回しているのかと思ったが、ポップは膝を抱え込み、いじいじと指で『の』の字を描いていたりした。

「なにしょぼくれてんだよ、ポップ? マァム、勝ったんだよ」

 ダイに言われて、ようやくポップはのろのろと顔を上げた。

「…………だってよー。マァムの奴……『守ってもらいたい』って……それって、自分より強い男が好きっていってるよーなもんじゃんかよー」

 どうやら、ポップにとっては勝敗そのものより、試合後のマァムとフランツの会話の方がより衝撃的だったらしい。

 会心の一撃を食らって敗北したフランツよりも、まだダメージを受けたような表情でそう呟くポップに、ダイもレオナは揃って絶句した。
 やがて、溜め息を一つつきながら言ったのは、レオナだった。

「……呆れた。――ほんっと、あなたって分かってない人よねー」

「分かってないって、何がだよ?」

 大魔王にさえその叡智を認められたはずの少年が当惑したように問い返すのに構わず、レオナはどこからかポップの背中をどんと押す。

「いいから、マァムを迎えに行ってらっしゃいよ」

「あ? ああ」

 きょとんとした表情のまま、ついでにまだ精神的ダメージを引きずっているのかややふらつきながら、ポップが通路の奥の方へ向かって行く。
 それを見送りながら、ダイがボソッと呟いた。

「……前から思っていたけどさー、ポップとマァムだったら、ポップの方が強いのにね」
 心底不思議そうに、ダイが呟く。子供っぽい口調ながら、それは真実だ。
 戦いの申し子とも言える竜の騎士であるダイは、戦いについては感情や余談を一切交えない冷徹な目を持っている。それだけに、ダイの意見は疑いようもない事実だ。

「まったくよね。ポップ君って、ほんっと自分のことを分かってないんだから」

 くすくす笑いながら、レオナも頷く。
 レオナは、ダイほど戦いに長けているわけではない。だが、王女として判断力や他人の力量を見抜くことに慣れているだけに、やはり、冷静に他人を比べることができる。

 仲間への贔屓目を除外して、ポップとマァムの戦力差を冷静に見比べれば、その差は明らかだ。
 今や拳聖女と呼ばれるマァムに、勝てる男などそうそういるはずもない。

 ――が、勇者一行の魔法使い、今や二代目大魔道士と名高いポップが、彼女より弱いと本気で考えているなんて、ポップ本人ぐらいのものだ。
 確かに、元が魔法使いであるポップは肉体的にはそう頑健とは言えないかもしれない。
 だが、アバンの教えを受けたポップは標準の兵士以上の体術は持っているし、なによりポップの頭脳も魔法力も、並のレベルではない。
 はっきりいって、桁違いの実力差だ。

 ポップならマァムと正面きって戦っても勝つのは可能だし、また、どんな相手であれ彼女を守りきることも可能だろう。
 まったく、自覚がないのにも程がある。

(あの騎士の潔さを、いっそ見習えばいいのに)

 真正面から戦いを挑み、自分の力だけで地位も愛も勝ち取ろうとするのなら――ポップになら勝機は十分にある。
 いや、それどころか、その強引さや決意こそが、女心を大きく動かすものだというのに。
 だが、変なところだけ純情で、マァムを一途に想っているあの魔法使いは、未だに待っているのだ。
 戦いの最中、打ち明けた告白に対して、マァムが答えを出せる日がくるのを。

 もっとも、恐ろしいぐらいに天然で、恋愛に疎いままのマァムは、まだまだ答えを出す日は遠そうだ。
 そんなマァムを強引に引き寄せるのではなく、天然過ぎるぐらい天然で、鈍感な彼女自身の意思が固まるのを固唾を飲んで見守っている魔法使いの少年。

 なんとも焦れったい恋愛模様だが、それが彼らの選んだ恋愛ペースだというのなら、仕方があるまい。
 第三者が口を出すのは、野暮の極みと言うものだろう。

(まあ、気長に、そして楽しみながら見物でもするっきゃないわよね)

 まだまだ喚声なりやまない闘技場で、マァムに近付くポップの姿を見ながら、レオナは気楽にもう一度拍手を送ったのだった――。

                                          END


《後書き》
 140000hit 記念リクエスト「マァムのためにダイとポップが一生懸命になる」話でした♪
 最初はよくある少年漫画的展開で、マァムが敵に捕らわれてピンチになり、ダイとポップが助けにいく話を考えたのですが……助けられるだけの立場のマァムをうまくイメージ出来ず、没(笑)

 マァムを精神的に助けるという話になってしまいましたが、はたしてこれでお題に沿っているのやら……。
 それはさておき、騎士マァムを書くつもりで思いっきり武闘家マァム大活躍の話になってしまいましたv

 アムドシーンは好きなので、バトルシーンを書く時があったらぜひやろうと思っていたんですが……なぜ、ヒュン兄さんやラーハルトではなくマァムの話が先になったのかが我ながら不思議です(笑)
 

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