『魔界での再会 ー前編ー』 |
――もう一度、会いたい。 強く、そう思いながらも、幼い竜は心を締めつける自分自身の願いを否定する。 ――もう、二度と会えない。 会ってはいけないのだと、幼い竜は自分に言い聞かせる。 ましてや、幼い竜が再会を望む相手は人間だった。 ――願ったりしては、いけない。 もう、友達に会いたいなどと考えるのは、間違っている。 しかも、危険はそれだけではない。 そして、魔界の瘴気は人間にとっては毒だ。即死させるほどの毒素はないかもしれない。だが、少しずつ身体を弱らせ、最終的には死にいたらしめるだろう。 それに……その問題を棚上げしたとしても、友達に二度と会うことはできないだろう。 別れ際の、あの顔を幼い竜は忘れたことはない。
「……?」 岩に寄りかかって座り、目を閉じる。 (なんだろ?) 閉ざされた結界が、一瞬、揺らいだ気がした。 魔界に落ちて以来、いつの間にか身に染み付いた癖だった。 (……雷、か?) 厚く覆われた雲を一瞬光らせた輝きは、最初、雷光かと思った。だが、雲に光でくっきりと特定の紋様を描く動きは、雷では有り得ない。 だが、魔法陣の位置は少しばかりズレていた。 魔界の澱んだ空に浮かぶ、六芒星を描く魔法陣――それは、ダイが今まで一度も見たことのないものだった。 もしかすると竜の騎士の記憶に刻まれた記憶かもしれないと、ダイは思う。 戦いに関する記憶なら、なんとかなる。実戦の最中で無意識に引き出せるものの、それ以外の記憶に関してはそううまくはいかない。 だから、ダイは僅かにしか持っていない自分自身の魔法の知識を元に、その魔法陣を見上げた。 その区分に従うのなら、今、見えている魔法陣は邪悪なものに他ならない。 魔界の空から地上までを一直線に繋ぐ光の柱は、神々しいといっても過言ではない眩さに満ちている。 そして、光の柱の中に人影が現れる。
数体の霊魂が固まり合って戦いに必要と思われる姿を形取り、襲ってくるにすぎない。 その際、人間の姿をとることは稀ではない。 ダイの記憶を探り、ダイが気を許すであろう知り合いの姿をとることで、少しでも攻撃を弱めさせようとするための罠だ。 そして、その手段を使ってくるのは、なにも結界内の死者達の専売特許ではない。 (ああ、今回の偽者はすごく出来がいいや) 思わず、ダイはその人影が近付いてくるのを見いってしまっていた。 他にも耳が尖っているとか、角が生えているなど、魔族ならではのそんな特徴が残っている場合は多かった。 だが、今、目の前にいる人影はダイの目から見ても、人間そのものとしか思えなかった。 大人ではないと一目で分かる背丈や、まだ成長途中の細身の体付きは、ダイの記憶に残る『彼』よりはやや大きめな感じはする。 だが、そのぐらいなら誤差の範囲内だ。 ただ、背中に剣を背負っているのが、ダイの目にはいかにも不自然に見えた。ダイの知っている限り、『彼』は剣を持ち歩いた試しなどないのだから。 「それ以上、近よるな!」 その声に、人影が一瞬だけ足を止める。もう、ダイと『彼』との間は、数メートルと離れてはいない。 ヴェルザーを中心にした結界は、数十メートルの半円を描く形で張り巡らされている。 結界自体は目には見えないが、その存在を察知するのは難しくはない。 特に魔界の生き物にとって、聖なる結界は自分とは正反対の資質を持ち合わせているだけに、近寄りがたいはずだ。 だが、今回の『彼』は、近付く程に類似点が目について見える。 (しっかりしろ、このぐらい……今まで、いくらでもあったじゃないか!) 折れそうになる心を、ダイは無理やり叱咤する。 ダイよりも三つ年上の『彼』は、ダイよりも背が高かった。いつだって自分を見下ろし、ダイのチビっぷりをからかってばかりいた『彼』との相違点は、かえってダイをホッとさせた。 「警告する。それ以上、一歩でもこっちに来れば、おまえは結界に弾かれる。それ以上は、近寄らない方がいい」 淡々とした、突き放した口調。 精霊達が張った結界――固く閉ざされたこの狭い世界に、侵入することは不可能だ。ここに入れるのは、太古の力をそのまま残す竜の血族と死せる魂のみ。それ以外の者が、この中に入ることは叶わない。 ヴェルザーの命を狙って、もしくは人間そのものに見えるダイの命を狙って、結界の中に入ろうとする敵は、今までいくらでもいた。 昔、アバンがデルムリン島に張ったマホカトールの魔法陣のように、生半可な者が入ろうとすると、弾かれてしまう。 それを警戒して、ダイは結界の外に近付く者を追い払うようになった。 実際に結界内に入ろうとして、瀕死に陥った魔族を目の当たりにして以来、ダイはこの結界に近付く者を拒むようになった。 「命が惜しかったら、ここには来るな! それ以上、近寄るなら……敵と見なす!」 魔法を放つ姿勢で気迫を高め、脅しつける。実際には、ダイの放つ魔法もまた結界に阻まれて無害になってしまうのだが、脅しのためならばこれで充分だ。 「近寄るな、だぁ? ――これまた、随分とご挨拶だな」 その声に、耳を疑った。 「最後の最後で人のことを蹴飛ばしてくれた揚げ句、再会の第一声がそれかよ。やれやれ、そりゃあいくらなんでも薄情すぎるぜ、ダイ」 ポンポンと元気良くしゃべる声に合わせて、その表情も生き生きと動く。ちょっと拗ねたように膨れながらも、本気で怒っているわけではないのだろう。 親しげに自分の名を呼ぶ声に、あの時のことを知っている事実に、ダイは激しく心を揺さぶられる。 目を見張るだけじゃたりなくて、目がこぼれ落ちてしまいそうな勢いで、ダイは目の前にいる『彼』を凝視する。 「なんだよ、おれが誰だか本気で忘れただなんて言うのかよ?」 思わず、ダイはぶんぶんと首を横に振っていた。 たとえ他の誰を忘れようとも、もう一度記憶喪失になろうとも、今、目の前にいる少年だけは忘れるはずがない。 「……ぁ……」 すぐ喉元まで込み上げてきた呼び名を、ダイはかろうじて堪える。 それだけはしてはいけないと、ダイは思った。 「……来るな……っ! 来ちゃ、だめだ……!」 本当なら、もっと毅然と言い放ちたかった。 だが、魔界という異世界に自ら進んでやってきた『彼』は、ダイの脅しや忠告に耳を貸す様子もなく、大袈裟に肩を竦めてみせる。 「……やれやれ、もしかしたらそんなことを言うんじゃねえかなーとは思っていたけどよ、おまえって相変わらず、頑固だな」 呆れたような、人をちょっと小馬鹿にしたような、そんなからかう口調でさえ嬉しかった。 「会えたら絶対に一発ぶん殴ってやるって決めてたけど、二、三発追加してやろうかな、まったく」 懐かしい声音を聞きながら、ダイは振り絞るように拒絶を口にする。 「やめろっ、それ以上、近寄るなっ! ここは、本当に危険なんだっ!!」 ダイが必死になればなるほど、『彼』は飄々として近寄ってくる。恐れる様子など微塵も見せない足取りは、散歩でもしているかのように軽やかだった。 「そんなの、言われるまでもなく知っているぜ。こいつは、精霊の結界なんだろ? それじゃあ、魔族や怪物には入れっこないだろうな。 結界のすぐ前で、『彼』がニヤリと笑う。 「おれは正真正銘の人間だ、対魔族用の結界なんざ人間にはなんの意味もない」 その言葉通り、結界は『彼』を拒まなかった。今まで、無数の怪物や魔物、それに出ようとしたダイ自身を弾いていたのが嘘のように、見えざる拒絶の壁はピクリともしなかった。 ただ、『彼』が結界を通り過ぎる瞬間、魔法同士が反発するように光となり、その身体を輝かせただけだ。 澱みきった空気が、嵐のように荒れ狂う。その合間に聞こえるのは、陰鬱な呻き声とも苦痛の声ともつかぬ音。 結界内に存在する、無数の死霊達……復活を求める彼らは蛾が光に惹かれるように、一斉に『彼』を目掛けて群がろうとした。 「ポップ――――ッ?!」 |