『魔界での再会 ー後編ー』

  
 

 必死に駆け寄ろうとした距離を、絶望的に遠く感じる。
 わずか、数メートル。
 だが、その距離をダイが詰めるよりも早く、死霊はポップを襲うだろう。さっきまで以上の恐怖が込み上げる中、ダイとポップの目が合った。

「やっと、おれの名を呼びやがったな」

 ニヤリと笑ったポップは、すぐに表情を引き締めて片手を高々と掲げた。
 自分の周囲に寄り集まる者達を、全く恐れる様子も見せない。

「あーあ、ここにいる連中はずいぶんと長く彷徨っているみたいだな。
 なら、道を開いてやるよ……!」

 からかうようなその口調には、どこかしら優しさが感じられる。
 一瞬だけ目を閉じたポップは、打って変わって、真剣な声で呪文を唱え始めた。

「器は地へ。
 魂は天へ。
 苦しみの獄鎖は、今、断たれる。永劫の苦しみはこの場に棄て、汝、希望のみを持ちて、在るべき姿を取り戻し賜え……!」

 普段のお調子者ぶりが嘘のように、真剣な声で唱えられる魔法の言葉。
 それは、地上でも何回も見たことのあるポップのもう一つの顔だ。呪文を唱えている時のポップは、正真正銘の魔法使いだ。神秘の力を自在に操り、強大な魔法力を施行する。


 ポップの全身が、神々しいまでの光に包まれる。その圧倒的な輝きに、ダイは見覚えがあった。
 ミナカトールに挑んだ時、自分だけは光をだせないと葛藤していたポップ……だが、彼は能力を覚醒させた時、誰よりも眩い光を放っていた。

 賢者のみが放つことのできる、非常に高いレベルでの聖なる魔法の輝き。
 その輝きは、まるで太陽のように周囲を圧倒していた。

「彷徨える魂よ、浄化を受けよ!
 再び、輪廻の輪に戻るために!」

 叫ぶようなその声を上げた瞬間、ポップの周囲から立ち上ぼったのは、目には見えない炎だった。
 燃え上がる赤い炎とは程遠い、はっきりとは目視出来ない光の揺らめき。それがニフラムの呪文とほぼ同じ効果であることを、ダイは感じ取っていた。

 その炎に焼かれた霊魂達は、声になりきってない声をもらす。
 だが、それは苦痛を示すものではなかった。
 それは、歓喜を現す声。

 ここにいる死霊達は、この結界に呪縛された存在のはずだった。
 どんなにダイが斬っても、ヴェルザーの炎に焼かれたとしても、瞬間的には死ぬものの、また蘇って彷徨い続けていた不死の魂だった。

 だが、今のポップの呪文により、死霊達は真の意味での開放を迎えた。
 澱み、滞っていた邪気が見る見るうちに薄れ、清らかな気配へと変わっていく。透き通った光を放つ魂は、もはやこの結界にとどまる理由はない。
 彼らは一斉に、天に向かって昇っていった。

 大小の光の輝きが下から上へ――まるで地上から天に向かって降る雨のごとく、流れていく。
 あれほどダイを苦しめていた死霊達が全部昇天するまで、ものの数分とはかからなかった。

「……あ……」

 呆然とその光景を見つめ――それから、ダイはゆっくりと、すぐ目の前にいる少年を見つめる。
 もはや、ダイは彼の正体を疑ってなどいない。

 だが、目を見張る様な成長を見せた親友を、信じられない様な思いで見つめずにはいられなかった。

 ダイの知っている限り、ポップはずっと魔法使いだった。最後の最後で賢者の能力に目覚めたものの、それでもポップの基本は魔法使いであり、彼の能力は主に戦いのために特化したものだった。

 だが、離れていた間にポップは、見違えるほどに成長した様だ。
 無我夢中で駆け寄ったせいで、ダイとポップの距離は詰められていた。
 手を伸ばせば、届く程の距離。
 身動きもできずに蹲っているダイに、強い声がかけられた。

「帰るぞ、ダイ!」

 呆然と、ダイはポップを見上げた。
 ――この光景を、何度、夢に見ただろう。
 魔界に落ちて以来、繰り返して何度も見た夢の一つだ。

 ポップが目の前にやってきて、ダイに救いの手を差し伸べてくれる。
 夢を超えた夢の実現に、目まいがしそうだった。もし、これが夢なら、一生目覚めたくないとさえ思える。

 ――だが、これは現実だった。
 手に力を込めて握り締め、すぐ目の前にいるポップを見上げながら、ダイはゆっくりと首を横に振った。

「……ダメだよ、ポップ。おれは、ここから出ちゃいけないんだ」

 その言葉を口にするのは、恐ろしいほど勇気が必要だった。
 自分で自分の墓穴を掘るような気分で、ダイは長い間望んでいた夢を、自ら否定する。


「ダメなんだ、ポップ。……おれがここから出るには、結界を一度、壊さないといけないんだ」

 それは、竜の騎士の記憶から得た知識だった。
 この結界は、古代からの竜族の血を引く者を封じるためのものだ。半分とはいえ竜の騎士の血を引くダイにとっては、決して脱出できない見えざる檻に等しい。 

 長年に渡って積み重ねられてきた戦いの遺伝子の記憶は、ダイに正確な知識と最善手を授けた。
 そして、その最善手以上の方法など、ダイには思いつかない。ここに閉じ込められて以来、ずっと自問自答を繰り返したあげくにだした結論を、ダイは俯きながら口にする。

「この結界は、竜を封印するためのものなんだ……これを破ったりしたら……ヴェルザーも開放することになってしまう……!
 そのぐらいなら、おれはここで、このまま……。
 でも、ポップだけなら帰れるから、おまえだけでも  」

 どんどん小さくなる言葉を、ポップは最後まで言わせてもくれなかった。
 ぐいっと襟首を掴まれ、勢いよく引き寄せられる。

「ふざけんな! おれは、絶対におまえと一緒に帰るんだ!」

 そう怒鳴るポップの姿には、見覚えがあった。
 記憶を失っていた自分に対して、本気で腹を立てて怒鳴りつけてきた魔法使い。
 だが、あの時と違って少しも怖いなどと思わなかった。ただ――嬉しさだけが込み上げくる。

 嬉しすぎて、襟首を掴まれたことすら気にもならない。
 ダイがその気になれば、その手を振り払うなどはたやすかっただろう。だが、必死に自分を引き寄せるポップの手に、ダイは逆らう気にはなかった。
 気がつくと、その手に引かれるままに素直に立ち上がっていた。

(あ。ポップ、小っちゃくなってる)

 ほとんど同じ目線で向き合って、ダイは真っ先にそう思い――すぐに自分の思い違いに気がつく。
 ポップが小さくなったのではなく、自分が成長して彼に追いついたのだと。

 かつて、いつも見上げていたはずの年上の親友が、自分とほぼ同じか、もしかすると小さくさえ見えることはダイには驚きだった。
 それは、離れていた時間の長さを、否応なく思い知らせてくれる。
 だが、ポップの口調は昔と変わらなかった。

「おまえと一緒じゃなきゃ、おれだって帰らねえよ。おれはここに来るためにっ! 姫さんを怒らせて、マァムとメルルを泣かせてまで来たんだからよ!」

 ポップの口から飛び出してきた名前が、思いも寄らぬ強さでダイに郷愁を呼び起こす。普段、できるだけ思い出さない様にと気をつけているせいで薄れ掛けた仲間の女の子達を、思い出してしまう。

 初めての人間の友達、気が強くって、とても頭がよく、頼りになるお姫様だったレオナ。 一緒に旅をするのが楽しかった、しっかり者で優しいマァム。
 不思議な力を持ち、ポップを一途に慕っていた内気なメルル。

(……そういや、ポップって女の子に弱かったもんなぁ)

 彼女達とのポップのやり取りを想像し、場違いと思いながらも少しおかしくなってしまう。

「あいつらだけじゃねえんだ、みんなを半分騙して、協力させて! 師匠のいいつけも、先生との約束だって破っちまったんだ、今更一人でのこのこと帰れるわけねえだろ?! 帰ったら帰ったで、説教フルコースが確約済みなんだよ!
 まったく、誰のせいだと思ってんだっ?!」

 腹立たしそうに言うポップの意見は、どう聞いても無茶苦茶だ。というか、すごくワガママだ。
 だが、ひさしぶりに聞くポップのワガママさが、ダイには嬉しかった。

 あれからずいぶん経っているのに、それでも変わりのないポップの存在が震える程に嬉しい。
 まるで、自分がずっと魔界に閉じ込められていたのが嘘の様にさえ思えてくる。

「首に縄をつけてでも、おめえを連れて帰るって。せめて、姫さんぐらいは引き受けてもらわねえとな」

「……ずるいよ、ポップ。それって、一番、大変なのを押しつけてる気がする〜」

 思わず、当時のままの気分になって言い返した後で、ダイは気がついた。
 今までの暖かい気分を一掃する、邪悪な気配――。
 咄嗟にポップを後ろに庇う様にして、ダイは後方を振り向いた。ダイのその気迫に釣られたのか、ポップも同じ方向に目をやる。

 結界の中心部分、やや小高くなったところに座する石でできた竜。
 一見、彫像としか見えないが、それは古代より生き延びた最強の竜。石となり、普段は眠っているが、今だに生きている不死の竜。
 彼こそが、冥竜王ヴェルザーだった。

「この地に縛られた霊達を、解放したのはおまえか」

 石のままなのにも関わず、ヴェルザーは目覚めた時は自由に喋ることができる。そして、どうやって見ているのか知らないが、ヴェルザーはポップのことを見つけたようだ。

「おまえは……人間、だな」

 その言葉に、ビクンと身を強張らせたのはダイの方だった。
 ヴェルザーがポップを知覚した  それは、ダイにとっては歓迎できることではない。 ヴェルザーは今まで、霊達や結界に入ろうとする魔物や怪物にはなんの興味も示さなかった。

 そのヴェルザーがポップに目を止め、興味を示すというのは不吉な兆候に思える。
 だが、ダイの不安をよそに、ポップの方は平気な顔で答えた。

「ああ、そうだよ。おれは、正真正銘の人間さ」

 いかにもポップらしい軽口を、意外にもヴェルザーは気に入ったらしい。

「面白い。面白いぞ。まさか、魔界に生きたまま、しかも自ら望んでやってくる大馬鹿者がいようとはな。
 いったい、何をしに来た?」

「大馬鹿ねえ……まあ、その辺は否定しないけどよ」

 大袈裟に肩を竦めて見せたポップは、敵意がないと示すかの様に軽く両手を広げて見せる。

「言っておくけど、おれはあんたとは戦うつもりもないし、そんな理由もないぜ。
 ちょっと、大馬鹿迷子を引取りに来ただけだよ。
 素直に見逃してくれるってんなら、助かるんだけどね」

「ほう? 天下の竜の騎士を大馬鹿呼ばわりするとはな……!
 ……フハハハッ!! 面白い! これは、面白いにも程があるというものよ!
 オレも千年を超えて生きてきたが、おまえのような稀な人間に逢うたのは初めてだ。
 面白すぎて、とても見逃せぬな……!」

 石であるはずのヴェルザーの身体が、揺らぎ始める。
 その意味を、ダイはすぐに察した。

(ここで切り札を吐きだすつもりか……!)

 石になったとはいえ、ヴェルザーは決して無力ではない。魔力を駆使してバーンのもとに幻影を送ったり、配下であるキルバーンを生み出して結界の外に送り出すなどの力を持っている。

 その力を使えば、ヴェルザーは石化の呪いを一時的とは言え振り払うことも可能だ。
 だが、今までそうしなかったのは、その力がヴェルザーにとっては最後の切り札となるためだ。

 ヴェルザーが全力を出して暴れたとしても、この結界を壊せない。
 だからこそ、ヴェルザーは自分の力を蓄えつつ、長年に渡って機会を窺っていた。その力を、今、彼は吐きだそうとしている。

 ヴェルザーは、ここが勝負所と判断したのだ。
 ヴェルザーの気配が見る見る内に変わっていくのを、感じ取れないはずはないだろうに、ポップは陽気に言ってのける。

「あらら、あちらさんはその気のようだぜ。こうなったらもう、逃げられるわきゃあねえな。
 覚悟を決めろよ、ダイ。
 おれ一人で戦うか、じゃなきゃおれに協力して二人で戦うか、だ」

 済ました顔でそう言うポップの意見が正しいのは、ダイにも分かっていた。
 ヴェルザーに竜族特有の戦闘における勘があるのなら、ダイには竜の騎士伝来の遺伝子の記憶がある。

 本気で戦いを挑んできた竜から逃げれる術など、ありはしない。
 全力をふり絞って戦うしか、もはや道は残されていないのは分かっている。

 そんなことは、並外れた賢さを持っているポップには簡単に見抜けるし、計算もできるはずだ。
 それらが分かっていてでさえ、ダイは一言、文句を言わずにはいられない。

「ひどいや、ポップ。……それって、選択の意味、ないよ」

 ポップを見捨てるという選択肢は、最初からダイの中にはない。そんなことは分かっているだろうに、無茶な選択肢をあえて口にするポップに対して、ちょっと拗ねてみたくなったのだ。
 だが、ポップはこれだけの時間が経っても、やっぱりポップだった。

「何言ってんだ、あの時に人を問答無用で蹴り落としやがった癖に。選択の余地があるだけ、まだありがたいと思いやがれ」

(……ホント、ポップってワガママだよなぁ)

 そう思いながらも――少しも、悪い気はしなかった。
 むしろ嬉しさすら感じながら、ダイはヴェルザーから目を逸らさないまま、静かに問いかけた。

「……勝算は?」

 その問いに、ポップは驚いた様に目を見張る。珍しく絶句したポップに対して、ダイは重ねて問いかける。

「何か、考えがあるんだろ、ポップ?」

 驚きの表情が、みるみるうちに嬉しそうなものへと変わっていく。

「おうともよ! 勝てる算段もつけずに、こんな魔界くんだりまでいきあたりばったりに来るわけないだろ」

 不敵な笑みが、ポップの顔に浮かぶ。

「安心しろ、おれ一人ならまだしも二人がかりなら、話は別だ。バーンに挑んだ時ぐらいの勝算ならあるぜ」

「うわっ、低っ?!」

 と、思わず言ってしまうのは、あの時の戦いが恐ろしいまでに綱渡りを繰り返した上での、辛勝だったせいだ。
 だが、魔王軍との戦いの最中に一か八かの賭けを何度も仕掛け、その度に充分以上の成果を上げてきた魔法使いは強気だった。

「大魔王を見事打ち倒した勇者様が、なに言ってやがる! それとも、確実に勝ち目が見えなきゃ、戦えないとでも言うつもりかよ?」

「まさか」

 今度は、ダイの顔に笑いが浮かぶ番だった。
 ダイは意識していなかったが、それは魔界に落ちて以来、久しく忘れていた表情だった。


「ポップと一緒なら、戦うに決まっているよ……!」

 どんなに勝率が低かろうと、そんなのは問題にもならない。
 恐れなど、微塵もなかった。
 萎えていた足に、力が漲る。
 戦いをとっくに諦めたはずの腕に、力が籠る。

 と、それを見越していたかのように、ポップは背負っていた剣を外して、ダイの方へと軽く押しやる。
 それを、ダイはごく自然に受け取った。

 ずいぶんと久しぶりに手にする自分の剣は、驚く程しっくりと手に馴染んだ。まるで、自分の手の延長線であるかのように、自然にダイの手の中に収まる。
 あれからダイも成長したはずなのに、剣はまったく違和感なく手にすることができた。 ダイの半身とも言える、頼もしい剣。

 そして、誰よりも頼みにしている相棒が、すぐ隣にいる。
 戦いをためらう理由など、もはやない。
 剣を構え、敵をしっかりと見据えたまま、ダイはすぐ隣にいるポップに向かって言った。


「そして、勝とう……!」

 それは、ポップに向かってというよりも自分に向かって言い聞かせる言葉でもあった。
 

「必ず勝って……、そして、一緒に地上に帰ろう、ポップ」

 あの時。
 黒の核晶の爆破に二人で巻き込まれかけたあの時から、ずっと望んでいた未来。
 言いたくても言えなかった言葉を、ダイはやっと口にできた。
 その言葉に、力強い返事が戻ってくる。

「おう、あったりまえだろ! おれとおまえは、今度こそ一緒にみんなのところに戻るんだ」

 その言葉が、どれほど嬉しく聞こえることか。
 戦いに対して感じる武者震いとは違う意味で、身体に震えが走る。
 敵に対する恐れよりも、ポップと共に戦える高揚感の方が遥かに勝っている。
 今まで止まっていたように感じられた時間が、やっと動きだした気がした――。
                                                    END


《後書き》
 ついに、ダイとポップの再会シーンですっ!
 こ、ここまで書くまでが長かった……っ(笑) 順不同に書いていたにもかかわらず、サイトを開設してから3年近くもかかりましたよ(<-遠い目)

 でも、原作のあの悲しいラストシーン以来、ダイとポップが再会する話を見たくて見たくて堪らなくて、あれこれと考えまくっていたので、その一つを形にすることができて嬉しいですっ!
 まあ、これからボス戦スタートなので、この続きがまた書くのが大変なのですけどね(笑)
 

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