『大魔道士の祝福 ー前編ー』

  
 

「へん、ヤなこったな、そんな面倒なことはお断りだ!」

 と、にべもなく吐き捨てる憎まれ口に、その場にいた使者や兵士達は一様に不快じみた表情を隠せなかった。
 今、目の前にいる老人が生きる伝説と呼ばれるに相応しく、凄まじいまでの偉業を成し遂げた魔法使いだとは、承知している。

 たとえ各国の王本人であったとしても、頭を垂れ、礼を尽くして教えを請うに相応しい英知と魔法力の持ち主。
 だが、仮にも各国の王族より直筆の手紙を預かってきた使者に対して、この口の聞き様はあまりではないか。

 そう思ってしまった表情を隠せないほど、どの兵士達も若かった。不満を隠せない兵士達をなんとか押さえ、それでも使者としての正式衣装を身につけた若い文官は交渉を続けようとする。

「ですが、マトリフ様……!
 これは非常に意義のある祭事であり、世界を平和にもたらすためにも必要なことなのです。

 我がパプニカ王国ばかりでなく、世界各国の王達の連名での正式な依頼でもあります。 無理は承知な願いだとは思いますが、どうか、ここは一つ寛大なお心を持って、我らに……いえ、世界のためと思って、ご助力いただけないでしょうか?」

 まだ若い使者の目は真剣であり、熱意に溢れたものだった。パプニカ王国の紋章のついた衣装を着た使者を眺めながら、マトリフは表情に全く出さずに思う。

(へっ、青いねえ。さすがはあのお姫さんの寄越した使者だ、なかなかどうして、正攻法で真正直じゃねえか)

 自分がとうの昔に失ってしまった若者達の素直さや正論のみで押してくる熱意を、マトリフは決して不快に思ってはいない。
 どちらかというならば、むしろ好感が持てる。

 国家というものには、どうしても利権が絡む。金と権力を求める者が政治の頂点を争い、凌ぎを削る机上の戦いが繰り広げられる場所だ。
 かつて一時でも政治畑に身をおいていたマトリフは、それをよく承知している。

 顔ではにこやかに、言葉面だけは麗しく飾っておきながら、心の奥底では猜疑と毒を秘めて絡め手を使ってくる歴戦の古狸に比べれば、自分の感情すら押し隠せない使者の方がどんなに信用できることか。

 パプニカ王女として、国を治めはじめたレオナの実直な意向が、使者の態度にまで現れているのが見て取れる。
 だが、使者や、新しい城主に好感を抱くのと、その依頼を受けるのは全く別の問題だ。
 そして、マトリフもまた、百戦錬磨の古狸でもある。己の心情など巧みに覆い隠し、いかにも不機嫌そうに舌打ちして見せる。

「フン、世界のためって言われても、オレは当の昔から隠居の身でな。何度も言った通りオレにはとんと、その気はねえんだよ。
 だいたい、オレみてえなはぐれ者のおいぼれ魔法使いなんぞを担ぎ出さなくても、今のパプニカ王国にゃ賢者がゴロゴロいるだろうが」

 格式の高い祭事を取り仕切るのは、位の高い僧侶か賢者と相場が決まっている。世界的な儀式魔法を行うのであれば、尚更だ。
 その際、魔法王国として名高いパプニカ王国が、国の威信にかけても賢者を提供するのは歴史的必然だった。

 たとえ人材不足であっても、無理やりにでもパプニカ縁の賢者を探し出していた歴史を、マトリフは実例として知っている。
 しかし、今のパプニカ王国には国主である王女レオナも含めて、賢者が複数いる。わざわざ、隠居した自分が出る幕などないだろう。

「分かったんなら、いい加減に諦めて、とっとと帰えんな。でないと、塩をぶちまけるぞ」


 野良犬でも追いやるような手つきで、マトリフは自宅代わりの洞窟の前に、ずらりと土下座せんばかりの勢いで並んでいる兵士達を追い払おうとする。
 だが、彼らもなかなか強情だった。

「ですが、現在の賢者達は全員がお若い。今となってはあなた様以外に、あの魔法を存じておられる方はいないのです!

 マトリフ様ならば説明するまでもなくご存じでしょうが、世界平和を願う意味も込められたこの儀式魔法は、最高の賢者の手によって行われるべきものです。
 そして、あなた様は紛れもなく、パプニカ王国の記録上、史上最高の賢者であらせられる。

 そのお方を差し置いて、どうして他の未熟な賢者が儀式を執り行えましょう?! どうか、お考え直しを」

 熱心にそう訴える文官の言葉に、マトリフの眉がぴくりと引きつった。

「……なぜ、それを知っていやがる?」

 明らかに不穏さと険しさを増したマトリフの言葉に、使者は憶することなく答えた。

「はい、公式記録を拝見致しましたので」

 自分の言葉を証明するがごとく、どこからか書類を取り出した使者を見て、マトリフのしかめっ面はますます激しくなる。
 マトリフの最後の公式な身分は、パプニカ王国宮廷相談役だ。

 宮廷魔道士ではない。
 なぜなら――マトリフの場合、パプニカ王宮に出仕した時の書類では『賢者』と記されているのだから。

(ちっ、あの時のツケが、こんな時にくるたぁ思わなかったぜ。若気の至りって奴か)

 約15年前……マトリフ83才の時の出来事を『若気の至り』と呼べるかどうかは疑問が残るが、彼的にはそれは抹消したい黒歴史の一つだった。
 魔法王国として知られたパプニカ王宮において、もっとも人々に尊敬され、他者に注目される職業は、賢者だ。

 三賢者の例をあげるまでもなく、パプニカ王宮で高位の地位を望むのであれば、魔法使いよりも賢者の方がはるかに有利だ。
 出世願望など微塵もなかったマトリフだが、あの時は手っ取り早く城での地位を周囲に認めさせる必要があった。

 当時のパプニカ王……レオナの父でもあるパプニカ先王は、魔法王国の直系でありながら不幸にも魔法の素養が全くない男だった。
 王としての資質には優れていたが、魔法が不得手という一点に置いて周囲から軽んじられ、王としての地位を確立するのが難しい立場にあるという、気の毒な境遇だった。

 そんな彼に助力してやるために、マトリフは自分の職業を名目上は『賢者』として登城し、1年がかりでパプニカ王宮の政権を整えて地ならしを終えてから、職を辞した。

 その際、賢者という響きや扱いが気に入らなかったため、『大魔道士』の名称を世界的な通称へと変えさせるなどの小細工も施したものの、正規の公式記録までは改竄できなかった。

 つまり、パプニカ王宮を初めとして世界各国の王宮上の歴史においては、マトリフは正式には未だに賢者なのだ。
 当然、僧侶や司祭のみが扱うことのできる儀式への参加権利もある。

「チッ、よくもまあ、そんな昔の書類まで調べ上げてきたもんだ。わざわざ資料棚を全部、ひっくり返しやがったのか?」

 今度ばかりは演技ではない舌打ちをしながら、マトリフは毒づく。
 さすがに公式記録を改竄はできなかったとはいえ、小細工をしかけて見つけにくくするようにはできる。

 マトリフはパプニカ王国から辞去する前、膨大な未整理の資料の最も奥、しかも容易には読めないように古代語を駆使した正式文章にした揚げ句、そう簡単には見つけられないような場所に自分の記録をしっかりと隠しておいた。

 未整理の古代語書類は、宮廷魔道士達が時間を掛けて解読し、正式な史実として残すものだ。それには当然時間がかかるし、マトリフの記録が見つかるのはおそらくは彼が死亡した遥か後だろうと踏んでいた。
 それがまさか、たった十数年かそこらで見つけだされるとは思いもしなかった。

「はい、マトリフ師の記録を発見し、調べ上げた宮廷魔道士がおりましたので」

「見せてみな」

 奪うように使者の手から書類をぶんどったマトリフは、末尾のサインを見た途端、眉を吊り上げた。
 次いで、どこからどうみても悪党が浮かべるとしか思えない、凄みのある笑みがマトリフの口端に浮かぶ。

「ほほぅ……っ、なるほどなぁ、こいつの仕業か。こりゃあ、ちぃっとばかりお灸を据えてやる必要があるようだな……!」

 

 

 

「…ふわぁ……」

 パプニカ城の一角、図書室の閲覧室はその日、静かだった。
 人の姿もほぼなく、緑の服を着た魔法使いだけがぽつんとそこに座っていた。
 込み上げるあくびを噛み殺しながら、ポップは一時も休むことなく分厚い古文書のページを捲り、もう片手でペンを忙しく走らせている。

 いかにも本の上に倒れ込んで眠ってしまいそうな様子なのに、両方の手は少しも速度を落すことはない。単調なその作業は眠気を誘うものなのか、ポップは何度となくあくびを繰り返す。
 と、その時、凄まじい音が頭上から鳴り響いた。

「な…っ?!」

 さすがに眠気も飛んだのか、ポップは驚いたように上を見上げる。と、その真上の天窓から人影が降ってくるのを見て、さすがのポップも目を剥いた。

「わわわっ?!」

 焦って飛び退いたポップだが、落下してくる人影は嫌がらせのように有り得ない軌跡を描き、わざわざ避けた方へとやってきてポップの真上に下り立った。

「ぐっ、ぐぇえっ?! お、重いっ、死ぬっ?!」

 騒ぎ立てるポップにかけられたのは、皮肉めいた言葉だった。

「ふん、これぐらいで人間が死ぬわけがねえだろうが、大袈裟な奴だぜ」

 その憎まれ口と同時に、ポップの上にかかっていた体重が嘘のように消える。人影はフワリと宙を移動して、手近なテーブルの上に胡座をかいた姿勢のまま着地した。
 その人物を、ポップは恨みの籠った目で睨みつける。

「しっ、師匠、いきなりなんでこんな所にやってくるんだよっ?!」

 少なからず腹を立てて文句を言ってくる弟子を、マトリフはギロリと睨みつけるだけで封じてしまった。
 文字通り、年期が違う。

「な、なんだよ、師匠〜? おれが、なんか、したってのかよ〜」

 途端に及び腰になるポップを、マトリフは容赦なく怒鳴りつけた。

「喧しいっ、このクソガキが! よくもまあ、余計な真似をしてくれやがったな?! この書類を見つけたのは、てめえだろうが!」

「ヘ?」

 なにが何だか分からないとばかりにきょとんとした顔をしたポップだが、書類を実際に見せられるとようやく思い当たったらしく、ぽんと手を打つ。

「あー、それ? そういや、前に姫さんからパプニカ黎明期の記録を貸してもらったらさー、なぜか師匠の記録が混じってたんたから、変だと思ってたんだよなー」

 本来ならポップが調べたかったのは、まだパプニカ王国が発生したばかりの頃の古い記録だった。
 だが、知り合いの名前と言うのは、目を引くものだ。

 その頃にも師匠と同じ名前の人がいたのかと興味を持ち、遊び半分ぐらいの気持ちで訳してみたら、間違いなくマトリフ本人の記録だと知り、ポップの方がびっくりした。
 なんで時代も全然違う人間の公式記録がこんなところにあるのかと疑問には思ったが、マトリフの記録はポップが探していたものとは違い過ぎる。

 そのうち、本人かレオナに確かめようと思っていたが、忙しさに紛れて忘れてしまい、聞かないままだった。
 パプニカ黎明期の記録の数々は秘文書扱いになるため、本を返す際に訳や要点をまとめた文章を放出することは許されない。

 だからポップも自分用のメモとして記述した訳などの文章もまとめて渡したのだが……その時、マトリフの記録も混ざってしまったのだろう。
 それを見た三賢者やレオナが気がついても、何の不思議もない。

 むしろ、気がつかない方が不思議なぐらいだ。彼らは、本来なら貸し出すことすら許されない秘文書を書庫から出した責任を取って、破損していないか調べる義務があるのだから。

「てめえの余計なお節介のせいで、オレんとこに面倒な依頼が回ってきてんだよ、いったいどうしてくれるんだ?!」

 不満を叩きつけるように文句を並べ立てると、ポップは何かを悟ったような表情を浮かべる。

「面倒な依頼って……あっ、もしかしてアレ? あの依頼の話、最近、聞かないと思ってたら師匠んとこにいってたのかよー?!」

「ほう、心当たりがあるみたいだな。なら、……てめえも共犯と見なしても、文句がねえな?
 今回の強引な依頼のやり方には、オレもいい加減頭に来てるんでな……!」

 わざと大きめの声で言いながら、マトリフは手から魔法の光を放ちだす。それを見て、閲覧室の入り口辺りがザワっと騒がしくなるのを聞いたのも、計算のうちだった。
 むしろ兵士達が集まるのを狙って、わざわざこんな目立つ方法でパプニカ城にやってきたのだから。

 カンカンに怒っているように見せかけながらも、マトリフは実は見掛けの半分も怒ってはいない。
 持ち前の冷静さは、そのままだった。

 マトリフの目的は、自分への依頼をパプニカ城側から断念させることにある。
 魔王軍との戦いの時から、マトリフは表に出る処で活躍する気など毛頭なかった。すでに力も衰え、先の見えた先代勇者一行がでしゃばるのは、今、現在、地上を救うために精一杯力を尽くしている新世代勇者一行にとって不利に働く。

 そう見越していたからこそ、マトリフはダイ達への関与を必要最小限にとどめた。
 ましてや、戦後ならばなおさらだ。
 政治的にも重要で、大掛かりで人目につく行事に、先代魔法使いがしゃしゃりでる気などない。

 人材がいないのならいざ知らず、今のパプニカにはポップを初めとしてレオナや三賢者もいるのだ。
 彼らの国際的な立場を強めるためにも、隠居した老人ではなく若手の実力者が重要な用事も取り仕切るようにした方が、後々のためになる。

 今回の依頼だけでならまだしも今後のために、二度とこんな面倒で偏屈な老人に頼みごとなどしたくないと思わせるのが、目的だった。
 そのために、被害が出ない程度に魔法を使って暴れてやるのも一興だとマトリフは考えていた。

「お前達は下がれ! 誰か、オレの剣を持ってきてくれ!」

 部屋に入ろうとする兵士を制している銀髪の美形戦士を見て、マトリフは一段と手の魔法力を強めた。
 魔法を弾く魔剣を持つアバンの一番弟子までこの場にいるとは、ますます都合がいい。
 ポップがいれば適当に魔法を相殺してくれるだろうから、騒ぎを起こしても被害はごく少なくてすむと思っていたが、ヒュンケルも一緒なら尚更だ。
 せいぜい、派手に見えるように適当な魔法をぶちかまそうと考えたマトリフだったが、ポップの反応は予想とは違っていた。

 こんな理不尽かつ八つ当たりじみたような言い掛かりに、当然反発してくるだろうと思った弟子は、いつになく殊勝だった。
 予想外にもほどのある反応だが、文句一つ言うでもなく素直に頭を下げてくる。

「……悪かったよ、師匠。詫び替わりにこの件は、おれが責任持って引き受けるよ」

 思いも寄らぬ弟子の反応に、マトリフは不覚にも一瞬、虚を突かれて黙り込んでしまった――。

 

 

 

(ここまで無茶をするなんて、師匠、よっぽどこの依頼を受けたくないんだな……)

 ポップはポップで、マトリフのその沈黙や行動の意味を完全に誤解していた。
 元々、ポップは政治的立場などに興味はないし、ダイを探すことだけで頭がいっぱいだ。とてもじゃないが、その先のことだの、マトリフやレオナならば無意識に下す政治的判断まで、頭が回っていない。

 ただでさえ寝不足気味で疲れきっているせいか、ポップの思考は短絡的な結論に辿り着いてしまっていた。
 普段のポップならいかに師匠とは言え、こんな無茶苦茶な理屈を押しつけられて、素直に従ったりはしない。

 というか、むしろポップには師の命令には反発気味な方だ。
 だが――師匠の体調を案じない程、ポップは薄情な弟子ではなかった。

(姫さんは師匠の身体のこと……知らねえもんな)

 仲間達や城の連中は知らなくとも、ポップは師匠の体調を知っている。
 そして、レオナの強引さが自分のためだということも、知っている。
 その二つの事実が負い目となって、ポップは柄にもなく、相手に強く出れないでいた。
 特に、レオナの真意が分かるだけに、尚更だ。


 レオナは、禁呪法のせいで弱ってしまったポップの体調のことを知っている。
 それに対してレオナが、できる限り気を配ってくれているのは、ポップも承知している。
 ポップが無茶をしないように時には脅しつけ、時には笑顔のまま威圧し、時にはおしゃべりに見せかけて脅迫まがいの釘刺しをし、その他にも色々と有り難迷惑……いやいや、有り難い心遣いを忘れたことがない。
 今回の儀式魔法をマトリフに依頼したのも、その一つだろう。

 全世界が平和になった記念も含め、世界で最高峰と呼ぶに相応しい賢者が儀式魔法を執り行うのだとすれば、その候補の筆頭に上がるのはポップだ。
 それだけの力量もあるし、知名度も高い。なにより依頼主が依頼主だ、もし正式に依頼を打診されたなら、ポップは二つ返事で引き受けただろう。

 だが……ダイ捜索のために身を磨り減らすようにせっせと資料を探しているポップにとっては、この依頼は負担になるだけだ。
 それを心配したレオナが、なんとか他の人に頼もうとしてくれたのも、知っている。だが……惜しむらくはその人材がない、ということだろうか。

 レオナや三賢者ではレベルがいささか足りなくて、今回の儀式魔法をやり遂げるにはいささか難がある上、明らかに彼らより上位の賢者がいるのがネックになる。
 世界が注目する儀式に対して最高の賢者を差し出さなかった場合、パプニカ王国の出し惜しみを他国から非難される可能性は非常に高い。

 それらを案じたレオナが考えついた案が、ポップより先にマトリフに頼むというアイデアだったのだと理解できる。
 確かに、それは妙案に違いない。

 マトリフの力量も知名度も、ポップを上回っている。ポップの体調を優先的に気遣うなら、これ以上いい案はないだろう。
 ――マトリフもポップと同じ病いを患っているという、致命的な事実さえなければ。

 古代に使われていた呪文は例外なく現代の呪文よりも高度であり、魔法力も必要とするものだ。

 身体にかかる負担は少なくはない。
 その代償を、高齢である師匠に支払わせたいとは、ポップは思わなかった。それぐらいなら、自分が引き受けた方がましだ。

「姫さんには、おれからうまいこと言って説得しとくからさ」

 レオナは一度決めたことは頑として翻さない主義だが、聞く耳を持たない暴君とは程遠い。実に聡明で、思いやり深い気持ちも充分に備えた君主だ。

 きちんと説明さえすれば、マトリフに負担をかけるような依頼など取り下げてくれるだろう。
 さっそくレオナの所へ向かおうと、ポップは部屋の出口の方へと向かった。

(えっと、やっぱ初挑戦の古代語呪文なんだし、一生に一回の縁起ものの呪文なんだし、ぶっつけ本番ってのもなんだよなー。まずは関連古文書を訳してから多少は練習しないといけないな。まあ……睡眠時間を削ればなんとかなるか。しばらく、睡眠時間は一日置きに三時間にしとこ)

 いや、二時間にしておいて、暇を見てわずかばかりの仮眠を取る方が効率的だろうかと、真剣に考え出したポップの耳に、謡うような声が聞こえてくる。

「瞼の上と下は一つに。
 全ての生けるものは、母なる腕(かいな)に抱かれ、安らぎの園へ。
 疾く眠れかし」

 今ではめったに聞くことのない、古めかしい言葉の並び。
 それが催眠呪文……ラリホーの正式呪文だと思い出した時は、もう遅かった。

「し、ししょ〜? な…にを……」

 へなへなと倒れかかったポップだが、地面に激突する心配はいらなかった。
 慌てて手を伸ばし、彼の元に駆け寄ってきた兄弟子がいたのだから。

「ポップ!!」

「て…め……、おれに…さわんな……っ」

 意識を失う寸前に放たれた憎まれ口を無視して、ヒュンケルはしっかりとポップを抱きとめる。
 そのままあっさりと寝込んでしまったポップを見て、マトリフは舌打ちと共に吐き捨てた。

「ふん、ラリホーなんぞで寝入るような体調で何を言ってやがるんだか」

 演技で見せていたしかめっ面よりもよほど苦い表情で、マトリフは寝入ってしまった弟子を眺めやる。
 今のポップは、いっぱいいっぱいだ――多分、本人が思っている以上に。

 ポップは、行方不明のダイを探すための努力を惜しまない。そのために自分自身がどんな危険を冒そうとも、気にもしない。それこそ寿命を削るような真似でも、平気でしでかす。

 それを誰よりもよく知っているのは、マトリフだった。
 すでに、兆候は魔王軍との戦いの最中から見えていた。
 警告もした。

 だが、ポップは聞き入れようとしなかった。自分の身体も顧みずに強力な呪文を求めた魔法使いは、今、自分の勇者を捜すために同じぐらいの熱意を注いでいる。
 そのせいで身体がボロボロになりかけているポップは、どうしても体調が悪い時や重傷を負った時はマトリフの所へとやってくる。

 マトリフはそんなポップの無茶を、黙認してやっている。彼が自分の元にくる度、治療や助言を与えてやるようにしている。
 だが、決して賛成しているわけではない。
 若くして自分と同じ病を患った弟子に、無理をさせたくはないと思う気持ちもある。

「……マトリフ師」

 ポップをしっかりと抱えなおしたヒュンケルが、静かに声を掛けてきた。

「非礼は幾重にも、詫びさせてもらう。だが、今回の姫の依頼……ご不快かもしれないが、考え直してはもらえないものだろうか?」

 淡々とした声音ながら、確かな誠意の感じられる言葉を聞いて、マトリフはフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「何だかんだ言って、おまえさんも所詮は、アバンの弟子だな」

 一見、冷たそうに見えても、それに徹しきれない。
 とことん甘いアバンの考えを、無意識とはいえヒュンケルもまた受け継いでいる。

(……ったく、アバンの弟子どもときたら、本当に厄介な連中だぜ)

 ハドラーとの戦いの時、世界の運命など知るものかと諦観していたはずの自分を、無理やり戦いへと巻き込んだ彼の勇者は、未だにマトリフに大きな影響を及ぼしている。
 ダイがバーン戦でマトリフの力を借りたいと頼み込んだように、ヒュンケルやレオナもまた、戦後でさえ協力を要請する気らしい。

 だが、アバンやアバンの使徒達の最大に厄介な点は、巻き込まれてやってもいいかと本気で思わせる点だろうか。
 説明などなくても、レオナの使者やポップの反応、ヒュンケルの頼みから三者三様の心理を見通した老魔道士は、一転して口端に笑みを浮かべる。

「……まあ、考えてやってもいいぜ。こちとらのあげる条件を飲めるんならな」

 ニヤニヤと笑いながら、マトリフは指先だけで横柄にヒュンケルを招く。素直にそれに従ったヒュンケルだが、マトリフの耳打ちを聞き、珍しくも傍目からもはっきりと分かる程の驚愕を顔に浮かべた。

「……そ、そんなことを……っ。よりによって、オレにそんなことを、姫に言えというのか……?!」

「ああ、それでこの件を考えてやってもいいって言ってるんだ。
 なぁに、そう悪い話でもないだろう?」

 動揺のせいかよろめくヒュンケルに向かって、マトリフはむしろ楽しんでいるようにさえみえる態度で言ってのける。

「嫌なら別にいいんだぜ。オレが進んでやりたい取引でもねえんだ。オレがこの話にのらなきゃ、ポップの野郎がやるだけだろうしな」

「……!」

 ハッとしたように自分の腕の中の弟弟子を見下ろし  ヒュンケルは全ての苦悩を飲み込んだような声で確約した。

「…………承知した。姫が賛成なさるかどうかは分からないが……、あなたの意向に添うよう、全力を尽くすと約束しよう」
                                    《続く》
 
 

後編に進む
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system