『そして、気づく真実 ー前編ー』 |
「ポップ、寒くない? ちょっと風が出てきたけど、窓、閉めた方がいい?」 ダイのその質問に、返事は戻らなかった。 「ポップ?」 不思議に思って振り返ると、呼び掛けに応じないのも当然だった。
レオナから絶対安静を命じられたポップは、あれからずっと自室にいる。一日の大半以上をベッドの上で寝て過ごしているが、口の達者さや食欲はいつも通りに戻ってきて、ダイは少なからずホッとしていた。 ちゃんと起きていておしゃべりしている時のポップは、うっかりすると病人だということも忘れてしまいそうなぐらい元気で、ダイとしては嬉しい限りだ。 今も、そうだった。 下手をすると、起きている時間の方が少ないんじゃないかと思えるほどだが、ダイはそれに文句をつけるつもりはさらさらなかった。 確かにろくに話もできないのは寂しいし物足りない気もするが、それでもダイはそれを受け入れている。
それは、倒れる前から薄々感じていたことだった。 大魔王との戦いの時に比べると明らかに筋肉が落ちた体付きは、なかなか元に戻る気配が無い。 前は旅をしていたし、修行のために体術の訓練もしょっちゅうやっていたのに、今のポップはそれらをまったくやっていない。 レオナの補佐役として手伝っているポップは、一日中書類を書きまくったり、色々な人と会って会議をしたりと、毎日忙しく働いている。 だが、それらはきっと、すぐに良くなるだろうとダイは自分に言い聞かせる。 ダイには何も言ってくれなかったが、なにかに追われてでもいるように、ひどく焦っているような印象を受けたものだ。 (言ってくれれば、おれだって手伝うのにな……そりゃ、仕事とかは無理だけど) 仕事の面においては、ダイはポップの手助けなどいっさいできない。 それでも、書類や荷物を運ぶなど雑多な雑用や、忙しくなると省略したがる食事の時間を補うためのおやつやお夜食を運ぶなど、そんな用事だっていい。 そういう意味では、ポップの仕事を代わることのできるレオナや三賢者が羨ましいぐらいだ。 やりたくはないが、これもサボったら強制的に授業を受けさせられてしまうだろうから、ダイも必死になって取り組んでいた。 律義にも鍵すらかかっていない扉をノックした相手が誰か、見なくてもダイには気配で分かっていた。 「ヒュンケル、入っていいよ」 声をかけてから、やっと扉を開けて入ってきたのは見慣れた兄弟子だった。まだ勤務中なのかきっちりと近衛隊服を着込んだヒュンケルは、ベッドを一瞥してわずかに顔をしかめる。 「……ポップはまた寝ているのか?」 彼がそう言うのも無理はないと、ダイも思う。 「ついさっきまでは起きてたんだよ?」 ポップを起こさないようにいくぶんか声を潜めながらも、ダイは兄弟子のために一生懸命に説明する。 「ご飯もぜんぶ食べたし、ずいぶん元気になったんだ」 倒れた日はポップは食欲がないと言って、ほとんど食事を取ろうとしなかった。顔色も悪く、一人で身を起こすのも難しいほど衰弱していた。 「そうか……それはよかった」 淡々と言っているように見えて、その言葉には確かな暖かみが感じられる。一見無表情に見えても、ヒュンケルもポップを心配していることを、ダイはちゃんと知っていた。 レオナもそうだ。 そのせいでレオナや三賢者はずいぶんと忙しくなってしまったようだが、彼らはそれを表にはださないようにして、暇を見てはポップの見舞いに来ている。 ポップを疲れさせない様にと面会謝絶にはしてあるが、それでもひっきりなしといっていい頻度で見舞いの品やら花が届けられている。 その思いは、皆が持っている。 「姫も、先生やマトリフ師に手紙を送ったと言っていた。もうじき、二人とも来てくれるだろう」 ぶっきらぼうながら、優しさがこめられた兄弟子の言葉が、ダイには嬉しかった。 侍医の説明は専門用語が混じった難しいものでダイにはよく理解出来なかったが、要するにポップのようなレベルの高い魔法使いだけがかかる特殊な症例なようで、並の医者ではどうすることもできないと聞いた。 だが、アバンやマトリフなら話は違う。 ポップが目を覚ました後、ダイはよっぽどルーラで二人を呼びにいこうかと思ったものだ。 だが、アバンとマトリフの来訪を待ち望む気持ちが減じたわけではない。兄弟子の気遣いと知らせ、その両方にダイは心から安堵する。
「あ、ポップ、起きた?! 気分、どう?」 ポップが瞬きを繰り返して身動ぐのを見逃さず、ダイは声をかける。 「んー……、フツー」 あくびをしながら起き上がり、ポップは今は何時だと聞いてくる。 「もうすぐおやつになるぐらいの時間だよ。あのね、さっきまでヒュンケルが来てたんだよ」 「またかぁ? あいつもマメっつーか、暇だよなー、一日に三回ぐらい来てねえか? その割には、会ったことないけど」 「だって、ポップ、寝てるんだもん」 「寝てたって、起こせばいいじゃねえか。ちょっとばかり、うとうとしてるだけなんだからさ」 ポップは気楽にそう言うが、ダイはもちろん、ヒュンケルだってそんな意見には絶対に頷けるはずがない。 そもそも、いくら小声とは言えヒュンケルやダイがすぐ近くで話していると言うのに、まったく目覚めないほど深く寝入っているのだ。 「あ、それよりさ、レオナがアバン先生とマトリフさんに手紙をだしたんだって。早く来るといいね」 そう言ったのは、ポップの気を逸らすためだった。もし、誰か見舞いが来た時は必ず起こせ、なんてポップに言われればダイとしてはすごく困ってしまう。 「……って、別に、そんなに早く連絡しなくってもよかったんだけどよ。急ぎの用ってわけでもないし」 ちょっと眉をしかめてから、ポップはよいしょと掛け声をかけてベッドから降りる。それが、用を足すために洗面所に行くとかだったら、ダイも止める気はない。 「ポップ?! まだ、起きたりしちゃだめじゃないか?! おとなしく寝てろって言われてるだろ?」 「うっせーな、ちょっとぐらい平気だって。だいたいもう熱も引いてるんだし、咳だって止まっただろ? 起きたって、問題ねえよ」 ポップはそう言うものの、どことなく足取りがふらついているところや、抜き出した本をいかにも重そうに持つところを見ては、とてもじゃないが賛成出来ない。 「だめだよ! ポップ、ちゃんと寝てないと……っ」 思わず、ダイはポップにしがみついていた。 「何、必死になってんだよ? まったく、おまえと言い、姫さんと言い、大袈裟なんだよ。 そんな重病人みたいな扱いしなくったって、平気だって」 笑い飛ばす様な、軽い口調。 「でも……っ」 なのに、今日ばかりはどうしても不安が拭えなかった。 だが、それでもどうしても消えない不安のままに、ダイはポップのパジャマにしがみついていた。 「……分ーった、分かったっつーの。じゃ、ダイ、おまえが手伝えよ」 「うんっ!」 ポップがおとなしく座ってくれたのが嬉しくて、ダイは元気良く頷く。ポップを休ませるために手伝うのなら、何の文句もない。 「じゃ、おれの言った本を、正確に抜き取るんだぞ。いいか? あそこの棚の、左端から4冊目と、そこからさらに2冊飛ばしたとこにある本に、その下の棚の青い表紙の本を全部に……で、ダイ、今までの本の数、何冊だがちゃんと分かってるか?」 「ポ、ポップ?! そんないっぺんに言われても分からないよっ?!」 「へー、じゃ、本のタイトルで教えてやろうか? 『偉大なるコルペニクスの考察における、予後治療の重要性についての十の注意』って古代語で書かれている本にー――」 ニヤニヤと笑いながら、明らかにからかっているポップに、ダイは力なく頭を下げた。 「…………ポップ、なんか分かんないけどおれが悪かったから、分かりやすく教えてください、お願いします……」
散々苦労して本を抜き出した揚げ句、そう言われてダイは本気で悩む。 ポップに隠せと言われたものの、それをどう扱えばいいのか、ダイには分からない。お年頃の青少年ならば必ず身につく常識にさえまだ無縁なダイにとっては、見られてまずい本というものの扱いなど想像外だ。 「どこでもいいよ、見つからなきゃ。えーと、ベッドの下辺りでいいや、この際」 いかにも手慣れた様子で本をベッドの下に詰め込み始めたポップを見て、ダイは慌てて止める。 「あー、ポップは寝てなきゃダメだろ? おれがやるからじっとしててよ」 ポップが手出ししない様に、急いで本をベッドの下に押し込んだが、それがポップにはまた気に入らなかったらしい。 「って、んなに乱暴に押し込むなよっ?! それ、どんだけ貴重な本だと思ってんだっ?!」 などと言いながらベッドの下に潜り込んでしまったポップを見て、ダイは本を押し込むのとポップを引きずりだすのを、どっちを優先するべきかと悩む。 (わ……っ?!) そこには、ヒュンケルとアバン、マトリフが並んで立っていた。いきなり降ってわいたかのような彼らの登場にダイは少なからず慌てずにはいられない。 (どっ、どうしよっ、ポップ?! えっと、教えてあげたいけど、もう手遅れって気がすごくするっ?!) ダイの心の悲鳴は、当然のことながらポップに聞こえるはずもない。かくして、ポップは二人の師に散々怒られつつ、治療されることになった――。
心底ホッとしながら、ダイは数日ぶりに自分の部屋に戻るつもりだった。 久しぶりに部屋から出たポップは今まで動けなかった分を取り戻す様に、元気よく城内をうろついていた。 ポップは欲しい薬草があったのにとブツブツ文句を言っていたが、ダイはアバンやマトリフの言葉をしっかりと覚えていた。 無理をしないこと。 それを、ダイは忠実に守るつもりだった。 『もう看病はしなくってもいいんだし、おめえも自分の部屋に帰れよ。その方が、互いにゆっくり眠れるだろ?』 ダイとしては看病とは関係なくポップの部屋に泊まりたいと思っているが、ポップ本人が嫌だと言うのなら無理強いはしたくない。 だからこそ、必要ない時までわがままを言いたいとは思わない。 (あ! そういや、ポップ、なんとかっていう薬草欲しいって言ってたっけ) ややこしくて長い薬草の名前は忘れてしまったが、日が落ちてから花をつける珍しい薬草があるという話は、ちゃんと覚えていた。 開花してすぐに萎れてしまうのだが、そのわずかの間に詰んだ花びらが貴重な薬になるのだと教わった。 この二日間はポップは部屋から出してももらえなかったし、あの花が欲しくても手に入らなかったはずだ。
薬草園に入ろうとしたダイは、渡り廊下を歩いている人影を見て首を捻った。それは、紛れもなくポップとヒュンケルだった。遠くからでも、ダイがポップを見間違えるはずはない。 だが、なんで部屋に戻ったはずのポップが、よりによってヒュンケルと一緒に外をうろついているのか、ダイには分からなかった。 あの兄弟子もポップを心配しているし、昼間、アバンやマトリフの注意を一緒に聞いている。おとなしく眠らなければいけないはずのポップが、夜になってから部屋から出ようとすればそれを止める立場だろう。 そもそも、ポップ自身がヒュンケルの付き添いなど嫌がりそうなものなのに、並んで歩いていること自体、珍しい。 ポップとヒュンケルが向かったのは、パプニカ城の一角……主に、賓客を泊めるための部屋のある場所だった。 (なんだ、ポップ、先生に会いに行ったのかー) 最初の師であるアバンを、ポップは心から尊敬しているし、慕っている。一緒に旅をしていた時間も長いし、普段はなかなか会えない分、たまに会えた時には積もる話もあるのだろう。 普段だって、カール王国に用がある時はポップの帰りは決まって遅くなる。 アバンがポップだけを中に入れヒュンケルだけが来た道を戻るのを見ても、ダイは特に不思議には思わず、薬草園の中に入った。
片手に乗る程の量の花びらを集め、ダイは満足して立ち上がる。 せっかくの花びらが萎れない内に早く保存しようと、ダイは近道を通って自室に戻ろうとした。 レオナや三賢者には中庭を突っ切るのは行儀がよくないと言われているのだが、急いでいるとそんなことはコロリと忘れてしまう。客間のある棟を横切りかけたダイは、アバンの客室から話し声が聞こえてくるのに気がついた。 (ポップ、まだ起きてるのかな?) 大きく窓を広げてあるせいか、ぼそぼそと何かを話している声が聞こえてくる。それを聞いてダイが客室に向かったのは事実だが、そこに他意はなかった。 聞こえてきたのは、しゃくり上げる嗚咽だった――。 「ポップ、今までよく頑張ってきましたね。……一人でそんな秘密を抱え込むのは、辛かったでしょうに……」 嗚咽に混じって聞こえるのは、なだめるように優しいアバンの声だ。 ポップはアバンの胸にすがりついて、泣いている様に見えた。肩を震わせているポップの背を、アバンはなだめる様にゆっくりと撫でる。 「……いろいろやってはみたけど……っ、もう、駄目だって、おれ、自分でも分かってるんです……」 やっと喋っている様な嗚咽混じりの言葉は、いやにはっきりとダイの耳に飛び込んできた。ポップらしくもない、弱々しい口調は聞いているだけで不安になる。 「咳が止まらなくなってるし……、胸の痛みだってどんどん強くなって……。無理し過ぎたから……身体が、もう駄目になってるんだって……。 ダカラ、最後ノ手段トシテ先生ヲ呼ンダ――。 途切れ途切れのポップのその言葉を、ダイは呆然としたまま聞いていた。 「ポップ、そんな簡単に最後だなんて言うもんじゃありませんよ、あなたらしくもない。いいですか、まだ『最後』と呼ぶまでは時間があるでしょう? どこまでも穏やかな声で、アバンはポップに優しく声をかける。だが、ふとその手を止めて顔を上げた。 「……?」 アバンが窓の方を見ているのに気がつき、ダイは初めてハッとした。
ハァハァと荒い息をつきながら、ダイは城の中庭にいた。 正直、どうして自分がここに来たのか、ダイは覚えてもいない。というか、なぜここなのかも自覚はしていなかった。 (あ、そっか。ここ、ポップのお気に入りの場所だっけ……) 中庭の奥まった場所にある、花壇もなにもないちょっとした空き地。単に草が植えられていて、一本の木が生えているだけのこの場所をポップはとても気に入っていて、よくここで日向ぼっこをしたり、お昼を食べたりしている場所だ。 ポップはこの木に持たれかかる様に座るのが好きで、よくそんな風に座って本を読んだりしていた。 そんなにも気に入っているはずなのに、ポップはここのところ全くこの場所には来ていない。 そこまで無理をしなくてもいいのにとダイはいつも思っていたし、無理をしすぎて身体を壊したりしないかと、いつも心配していた。 (だから……っ、おれ、言ったのに……っ) 誰に対してとも言えない理不尽な怒りが、ダイの胸を焦がす。だが、それを急速に冷やすのは、耳に残って消えない声だった。 「うそ……だ」 幻の声を否定しようとしても、消せるわけがない。まるで、ポップに直接打ち明けられたかのように、その声は明瞭に蘇る。 『どんなに頑張っても、もう……長くはもたないって、分かったから、だから……』 「……うそだっ……っ、そんなの……っ、絶対、ない……っ!」 強く否定し――ダイは、いつの間にか手を固く握り締めていたのに気がついた。花びらのことを思い出して慌てて手を開いたものの、華奢な花弁が竜の騎士の握力に勝てるはずもない。 大切に摘んだはずの花びらはくしゃくしゃに潰れ、萎れたように手のひらに纏わりつく。なぜか不吉に感じられるその花びらを、ダイは慌てて振り払った――。 |