『そして、気づく真実 ー前編ー』

  
 

「ポップ、寒くない? ちょっと風が出てきたけど、窓、閉めた方がいい?」

 ダイのその質問に、返事は戻らなかった。

「ポップ?」

 不思議に思って振り返ると、呼び掛けに応じないのも当然だった。
 ポップはベッドの上にコロンと横だおしになって、目を閉じている。規則正しい寝息を立てて、いつのまにかぐっすりと眠ってしまったようだ。それを確認すると、ダイはそれ以上重ねて問うことなく、静かに窓を閉めた。

 

 


 ポップが倒れたのは、二日前のことだ。
 血の臭いを漂わせて気絶していたポップを見た時は、ダイは心底肝を冷やした。だが、その衝撃はポップの側で看病することで、少しずつ癒えてきた。

 レオナから絶対安静を命じられたポップは、あれからずっと自室にいる。一日の大半以上をベッドの上で寝て過ごしているが、口の達者さや食欲はいつも通りに戻ってきて、ダイは少なからずホッとしていた。

 ちゃんと起きていておしゃべりしている時のポップは、うっかりすると病人だということも忘れてしまいそうなぐらい元気で、ダイとしては嬉しい限りだ。
 ただ、あれ以来、ポップはやけに眠る時間が増えている。夜はもちろんのこと、昼間も少しでも気を緩めるとウトウトとしてしまうらしい。

 今も、そうだった。
 ついさっきまではごく普通に話していたというのに、ダイが風に翻るカーテンにちょっと気を取られた隙に眠ってしまった。
 まるで墜落するような突然の眠りは、一日のうちに何度も訪れる。

 下手をすると、起きている時間の方が少ないんじゃないかと思えるほどだが、ダイはそれに文句をつけるつもりはさらさらなかった。
 魔法使いにとって、眠りは重要なものだ。疲弊した精神を回復させるためには、安らかな眠りこそが必須条件である。

 確かにろくに話もできないのは寂しいし物足りない気もするが、それでもダイはそれを受け入れている。
 ポップが元気になるために必要なことならば、決して邪魔をする気にはなれなかった。
 だが側を離れる気にもならず、ダイは音を立てないように気をつけながらそっとポップの枕元の椅子に座り直す。
 毛布をかけてやりつつ、寝顔をまじまじと覗き込み、ダイは思わずにはいられなかった。


(……やっぱ、痩せたよなぁ)

 それは、倒れる前から薄々感じていたことだった。
 魔界から帰ってきた時から、それはダイにとっては密かな心配の種だった。
 前に比べれば背が伸びたとは言え、ポップの成長はダイに比べて格段に劣っていた。

 大魔王との戦いの時に比べると明らかに筋肉が落ちた体付きは、なかなか元に戻る気配が無い。
 デスクワークが主体の毎日を過ごしているせいもあるだろうし、あまり運動をしなくなったせいもあるのかもしれない。

 前は旅をしていたし、修行のために体術の訓練もしょっちゅうやっていたのに、今のポップはそれらをまったくやっていない。
 というよりも、やるだけの時間もないのだ。

 レオナの補佐役として手伝っているポップは、一日中書類を書きまくったり、色々な人と会って会議をしたりと、毎日忙しく働いている。
 もともと細身のポップだが、ここ数週間の間で一際痩せてしまったように思える。顔色だって、決していいとは言えない。

 だが、それらはきっと、すぐに良くなるだろうとダイは自分に言い聞かせる。
 ダイの目から見ても、ポップは働き過ぎだった。最近は特に忙しいのか、ダイの相手もろくにしてくれず、寝る間も惜しんで書類書きばかりをしていた。

 ダイには何も言ってくれなかったが、なにかに追われてでもいるように、ひどく焦っているような印象を受けたものだ。

(言ってくれれば、おれだって手伝うのにな……そりゃ、仕事とかは無理だけど)

 仕事の面においては、ダイはポップの手助けなどいっさいできない。
 ポップが普段扱っている書類は、やっと字が読めるようになったばかりのダイでは、読むことさえもできないぐらい難解なのだから。

 それでも、書類や荷物を運ぶなど雑多な雑用や、忙しくなると省略したがる食事の時間を補うためのおやつやお夜食を運ぶなど、そんな用事だっていい。
 どんな細やかなことだって、構わないのだ。
 ポップのために、何かしたいと思う。

 そういう意味では、ポップの仕事を代わることのできるレオナや三賢者が羨ましいぐらいだ。
 とりあえず今のダイには、ポップの看病と見張りを兼ねて一緒にいることしかできない。
 不寝番でもするようにポップの側に陣取って、ダイは本やノートを取り出してこっそりと宿題を始める。
 どうしてもポップの側にいたいと言い張るダイに、家庭教師達がそれなら授業の代わりにやるようにと渡してくれたものだ。

 やりたくはないが、これもサボったら強制的に授業を受けさせられてしまうだろうから、ダイも必死になって取り組んでいた。
 そうやってダイは勉強をし、ポップは眠るという静かな時間が過ぎていく中、扉をノックする音が聞こえた。

 律義にも鍵すらかかっていない扉をノックした相手が誰か、見なくてもダイには気配で分かっていた。

「ヒュンケル、入っていいよ」

 声をかけてから、やっと扉を開けて入ってきたのは見慣れた兄弟子だった。まだ勤務中なのかきっちりと近衛隊服を着込んだヒュンケルは、ベッドを一瞥してわずかに顔をしかめる。

「……ポップはまた寝ているのか?」

 彼がそう言うのも無理はないと、ダイも思う。
 ポップが倒れてからというものの、ヒュンケルは何度も様子を見にきている。だが、間が悪いというのかポップが起きている時にやってきた試しがなかった。

「ついさっきまでは起きてたんだよ?」

 ポップを起こさないようにいくぶんか声を潜めながらも、ダイは兄弟子のために一生懸命に説明する。

「ご飯もぜんぶ食べたし、ずいぶん元気になったんだ」

 倒れた日はポップは食欲がないと言って、ほとんど食事を取ろうとしなかった。顔色も悪く、一人で身を起こすのも難しいほど衰弱していた。
 それに比べたら、まだ安静を言いつけられているとは言え、出された食事を全部食べるようになった今の状態はずいぶんと回復したと言える。

「そうか……それはよかった」

 淡々と言っているように見えて、その言葉には確かな暖かみが感じられる。一見無表情に見えても、ヒュンケルもポップを心配していることを、ダイはちゃんと知っていた。
 それにポップを心配しているのは、彼だけではない。

 レオナもそうだ。
 レオナは、ちゃんと約束してくれた。ポップが良くなるまではしっかりと休養できるようにするし、回復してからも仕事を減らすように調整するから、と。

 そのせいでレオナや三賢者はずいぶんと忙しくなってしまったようだが、彼らはそれを表にはださないようにして、暇を見てはポップの見舞いに来ている。
 ポップ自身は気づいてもいないが、城の兵士や侍女達だってポップの身を案じている。ポップの具合を聞きに来る人達の多さを、ダイは見張りの兵士から直接聞いている。

 ポップを疲れさせない様にと面会謝絶にはしてあるが、それでもひっきりなしといっていい頻度で見舞いの品やら花が届けられている。
 早く、ポップに良くなってほしい。

 その思いは、皆が持っている。
 もちろん、ダイもその一人だし、誰よりも強くそう思っている。

「姫も、先生やマトリフ師に手紙を送ったと言っていた。もうじき、二人とも来てくれるだろう」

 ぶっきらぼうながら、優しさがこめられた兄弟子の言葉が、ダイには嬉しかった。
 今もパプニカ王国の侍医に診てもらってはいるものの、彼はポップの症状は自分では手に負えないと言っていた。

 侍医の説明は専門用語が混じった難しいものでダイにはよく理解出来なかったが、要するにポップのようなレベルの高い魔法使いだけがかかる特殊な症例なようで、並の医者ではどうすることもできないと聞いた。

 だが、アバンやマトリフなら話は違う。
 魔法に詳しく、なおかつ回復魔法も使える上に医者や薬師並みの腕を持つ彼らならば、ポップを治してくれるだろう。

 ポップが目を覚ました後、ダイはよっぽどルーラで二人を呼びにいこうかと思ったものだ。
 でもポップとレオナに揃って、それは相手に迷惑だからと絶対にやめろと止められので、しかたがなくおとなしくしている。

 だが、アバンとマトリフの来訪を待ち望む気持ちが減じたわけではない。兄弟子の気遣いと知らせ、その両方にダイは心から安堵する。
 彼らが来さえすれば、ポップは完全によくなるだろうと、ダイは心から信じていた――。

 

 

 

「あ、ポップ、起きた?! 気分、どう?」

 ポップが瞬きを繰り返して身動ぐのを見逃さず、ダイは声をかける。

「んー……、フツー」

 あくびをしながら起き上がり、ポップは今は何時だと聞いてくる。

「もうすぐおやつになるぐらいの時間だよ。あのね、さっきまでヒュンケルが来てたんだよ」

「またかぁ? あいつもマメっつーか、暇だよなー、一日に三回ぐらい来てねえか? その割には、会ったことないけど」

「だって、ポップ、寝てるんだもん」

「寝てたって、起こせばいいじゃねえか。ちょっとばかり、うとうとしてるだけなんだからさ」

 ポップは気楽にそう言うが、ダイはもちろん、ヒュンケルだってそんな意見には絶対に頷けるはずがない。

 そもそも、いくら小声とは言えヒュンケルやダイがすぐ近くで話していると言うのに、まったく目覚めないほど深く寝入っているのだ。
 その眠りを、妨げたいなんて思わない。

「あ、それよりさ、レオナがアバン先生とマトリフさんに手紙をだしたんだって。早く来るといいね」

 そう言ったのは、ポップの気を逸らすためだった。もし、誰か見舞いが来た時は必ず起こせ、なんてポップに言われればダイとしてはすごく困ってしまう。
 ポップの望みは聞いてあげたいが、ポップの具合が悪くなるようなことには協力したくないのだから。

「……って、別に、そんなに早く連絡しなくってもよかったんだけどよ。急ぎの用ってわけでもないし」

 ちょっと眉をしかめてから、ポップはよいしょと掛け声をかけてベッドから降りる。それが、用を足すために洗面所に行くとかだったら、ダイも止める気はない。
 だが、ポップは真っ直ぐに本棚の方へと進んで行く。

「ポップ?! まだ、起きたりしちゃだめじゃないか?! おとなしく寝てろって言われてるだろ?」

「うっせーな、ちょっとぐらい平気だって。だいたいもう熱も引いてるんだし、咳だって止まっただろ? 起きたって、問題ねえよ」

 ポップはそう言うものの、どことなく足取りがふらついているところや、抜き出した本をいかにも重そうに持つところを見ては、とてもじゃないが賛成出来ない。

「だめだよ! ポップ、ちゃんと寝てないと……っ」

 思わず、ダイはポップにしがみついていた。

「何、必死になってんだよ? まったく、おまえと言い、姫さんと言い、大袈裟なんだよ。 そんな重病人みたいな扱いしなくったって、平気だって」

 笑い飛ばす様な、軽い口調。
 いつもならポップがそんな風に言い、笑っていればホッと出来る。

「でも……っ」

 なのに、今日ばかりはどうしても不安が拭えなかった。
 具体的な理由があるわけではない。ポップの様子が、一昨日と比べて格段に良くなったのも、分かっている。

 だが、それでもどうしても消えない不安のままに、ダイはポップのパジャマにしがみついていた。
 その様子をしばらく見て――ポップは苦笑して、ベッドに戻り腰を下ろした。

「……分ーった、分かったっつーの。じゃ、ダイ、おまえが手伝えよ」

「うんっ!」

 ポップがおとなしく座ってくれたのが嬉しくて、ダイは元気良く頷く。ポップを休ませるために手伝うのなら、何の文句もない。
 ……が、それは結構大変な作業だった。

「じゃ、おれの言った本を、正確に抜き取るんだぞ。いいか? あそこの棚の、左端から4冊目と、そこからさらに2冊飛ばしたとこにある本に、その下の棚の青い表紙の本を全部に……で、ダイ、今までの本の数、何冊だがちゃんと分かってるか?」

「ポ、ポップ?! そんないっぺんに言われても分からないよっ?!」

「へー、じゃ、本のタイトルで教えてやろうか? 『偉大なるコルペニクスの考察における、予後治療の重要性についての十の注意』って古代語で書かれている本にー――」

 ニヤニヤと笑いながら、明らかにからかっているポップに、ダイは力なく頭を下げた。
 

「…………ポップ、なんか分かんないけどおれが悪かったから、分かりやすく教えてください、お願いします……」

 

 


「隠せって、どこに?」

 散々苦労して本を抜き出した揚げ句、そう言われてダイは本気で悩む。
 十数冊近い本を隠す――それはかなり難しいことなのだと、ダイは生まれて初めて実感した。

 ポップに隠せと言われたものの、それをどう扱えばいいのか、ダイには分からない。お年頃の青少年ならば必ず身につく常識にさえまだ無縁なダイにとっては、見られてまずい本というものの扱いなど想像外だ。
 悩んでいると、それがもどかしいとばかりにポップがベッドから降りてきた。

「どこでもいいよ、見つからなきゃ。えーと、ベッドの下辺りでいいや、この際」

 いかにも手慣れた様子で本をベッドの下に詰め込み始めたポップを見て、ダイは慌てて止める。

「あー、ポップは寝てなきゃダメだろ? おれがやるからじっとしててよ」

 ポップが手出ししない様に、急いで本をベッドの下に押し込んだが、それがポップにはまた気に入らなかったらしい。

「って、んなに乱暴に押し込むなよっ?! それ、どんだけ貴重な本だと思ってんだっ?!」
 

 などと言いながらベッドの下に潜り込んでしまったポップを見て、ダイは本を押し込むのとポップを引きずりだすのを、どっちを優先するべきかと悩む。
 だが、その時、ふと気配を感じてダイは振り向いた。

(わ……っ?!)

 そこには、ヒュンケルとアバン、マトリフが並んで立っていた。いきなり降ってわいたかのような彼らの登場にダイは少なからず慌てずにはいられない。
 困った子ですねえと言わんばかりの表情で苦笑しているアバンや、思いっきりしかめっ面をしているマトリフを見て、ダイはどうすればいいのか分からずにおたつくばかりだ。
 

(どっ、どうしよっ、ポップ?! えっと、教えてあげたいけど、もう手遅れって気がすごくするっ?!)

 ダイの心の悲鳴は、当然のことながらポップに聞こえるはずもない。かくして、ポップは二人の師に散々怒られつつ、治療されることになった――。

 

 


(ホントによかった……、ポップが元気になって)

 心底ホッとしながら、ダイは数日ぶりに自分の部屋に戻るつもりだった。
 ポップは大丈夫だと、アバンとマトリフがそろって保証してくれた安堵感は、大きかった。

 久しぶりに部屋から出たポップは今まで動けなかった分を取り戻す様に、元気よく城内をうろついていた。
 もっとも元気いっぱいに薬草園に行きたがった割には、やっぱり病み上がりのせいか少し散歩しただけで疲れた様に見えたので、ダイは半ば強引にポップを連れ戻した。

 ポップは欲しい薬草があったのにとブツブツ文句を言っていたが、ダイはアバンやマトリフの言葉をしっかりと覚えていた。

 無理をしないこと。
 疲れたら、早めに休むこと。

 それを、ダイは忠実に守るつもりだった。
 まあ、少しばかり残念なのは今日もポップの部屋に泊まる気満々だったのに、断られたことだ。

『もう看病はしなくってもいいんだし、おめえも自分の部屋に帰れよ。その方が、互いにゆっくり眠れるだろ?』

 ダイとしては看病とは関係なくポップの部屋に泊まりたいと思っているが、ポップ本人が嫌だと言うのなら無理強いはしたくない。
 ダイがねだれば、ポップはなんだかんだと文句を言いながらも、たいていはダイのわがままを聞いてくれる。

 だからこそ、必要ない時までわがままを言いたいとは思わない。
 ポップが倒れてから二日間、ずっと彼の側にいて落ち着いたせいもあり、ダイは素直に自室に戻ることにした。
 だが、途中でふと、思い付く。

(あ! そういや、ポップ、なんとかっていう薬草欲しいって言ってたっけ)

 ややこしくて長い薬草の名前は忘れてしまったが、日が落ちてから花をつける珍しい薬草があるという話は、ちゃんと覚えていた。
 前にポップがテランからわざわざ取り寄せたとか言う植物で、日が沈んだ後でゆっくりと開花する。

 開花してすぐに萎れてしまうのだが、そのわずかの間に詰んだ花びらが貴重な薬になるのだと教わった。
 時々、ポップがその花を摘むのを手伝ったことがあるだけに、見分けぐらいはつく。

 この二日間はポップは部屋から出してももらえなかったし、あの花が欲しくても手に入らなかったはずだ。
 それに、今日も早くに部屋に戻ったので、開花時間に間に合わなかった。
 代わりに、取ってあげたら喜ぶだろう――そう思ったダイは、薬草園へと向かった。

 

 


(あれ……? ポップ? それに、ヒュンケルも?)

 薬草園に入ろうとしたダイは、渡り廊下を歩いている人影を見て首を捻った。それは、紛れもなくポップとヒュンケルだった。遠くからでも、ダイがポップを見間違えるはずはない。

 だが、なんで部屋に戻ったはずのポップが、よりによってヒュンケルと一緒に外をうろついているのか、ダイには分からなかった。
 安静を申し付けられたポップが、それでも我慢出来ずに外に出るのは有り得そうな話だ。だが、ヒュンケルがそれを黙認するのは不思議だった。

 あの兄弟子もポップを心配しているし、昼間、アバンやマトリフの注意を一緒に聞いている。おとなしく眠らなければいけないはずのポップが、夜になってから部屋から出ようとすればそれを止める立場だろう。

 そもそも、ポップ自身がヒュンケルの付き添いなど嫌がりそうなものなのに、並んで歩いていること自体、珍しい。
 なぜ二人揃って歩いているのか疑問で、ダイはしばらく二人に注目していた。

 ポップとヒュンケルが向かったのは、パプニカ城の一角……主に、賓客を泊めるための部屋のある場所だった。
 アバンがにこやかにポップとヒュンケルを出迎え、何かしゃべっている。その会話までは聞こえなかったが、ダイはその時点で納得できた。

(なんだ、ポップ、先生に会いに行ったのかー)

 最初の師であるアバンを、ポップは心から尊敬しているし、慕っている。一緒に旅をしていた時間も長いし、普段はなかなか会えない分、たまに会えた時には積もる話もあるのだろう。

 普段だって、カール王国に用がある時はポップの帰りは決まって遅くなる。
 せっかくアバンがパプニカに来ているのなら、会いたいと思うのも当然だろう。それなら、ヒュンケルがそれを許すのも頷ける。

 アバンがポップだけを中に入れヒュンケルだけが来た道を戻るのを見ても、ダイは特に不思議には思わず、薬草園の中に入った。

 

 


「ん、こんだけあればいいかな?」

 片手に乗る程の量の花びらを集め、ダイは満足して立ち上がる。
 花が咲くのを待っていたので時間が掛かってしまったが、目的の物は手に入れた。後はポップがやっていた様に、濡らした布に挟んでしまっておけばいい。

 せっかくの花びらが萎れない内に早く保存しようと、ダイは近道を通って自室に戻ろうとした。

 レオナや三賢者には中庭を突っ切るのは行儀がよくないと言われているのだが、急いでいるとそんなことはコロリと忘れてしまう。客間のある棟を横切りかけたダイは、アバンの客室から話し声が聞こえてくるのに気がついた。

(ポップ、まだ起きてるのかな?)

 大きく窓を広げてあるせいか、ぼそぼそと何かを話している声が聞こえてくる。それを聞いてダイが客室に向かったのは事実だが、そこに他意はなかった。
 ポップがまだ起きているなら、一刻も早く花びらを渡したいと思っただけだ。だからこそ、耳に飛び込んできた声はダイにとっては不意打ちだった。

 聞こえてきたのは、しゃくり上げる嗚咽だった――。

「ポップ、今までよく頑張ってきましたね。……一人でそんな秘密を抱え込むのは、辛かったでしょうに……」

 嗚咽に混じって聞こえるのは、なだめるように優しいアバンの声だ。
 足音を殺してそっと近付いたダイは、吸いつけられる様に開いている窓の中をそっと窺う。

 ポップはアバンの胸にすがりついて、泣いている様に見えた。肩を震わせているポップの背を、アバンはなだめる様にゆっくりと撫でる。

「……いろいろやってはみたけど……っ、もう、駄目だって、おれ、自分でも分かってるんです……」

 やっと喋っている様な嗚咽混じりの言葉は、いやにはっきりとダイの耳に飛び込んできた。ポップらしくもない、弱々しい口調は聞いているだけで不安になる。

「咳が止まらなくなってるし……、胸の痛みだってどんどん強くなって……。無理し過ぎたから……身体が、もう駄目になってるんだって……。
 どんなに頑張っても、もう……長くはもたないって……分かったから、だから……」

 ダカラ、最後ノ手段トシテ先生ヲ呼ンダ――。

 途切れ途切れのポップのその言葉を、ダイは呆然としたまま聞いていた。

「ポップ、そんな簡単に最後だなんて言うもんじゃありませんよ、あなたらしくもない。いいですか、まだ『最後』と呼ぶまでは時間があるでしょう?
 残された時間をどうするか……それが、大切だとは思いませんか?」

 どこまでも穏やかな声で、アバンはポップに優しく声をかける。だが、ふとその手を止めて顔を上げた。 

「……?」

 アバンが窓の方を見ているのに気がつき、ダイは初めてハッとした。
 今、自分がやっていた行為は『盗み聞き』も同然だ。気がついた途端わき上がる罪悪感と、今聞いたばかりの話の衝撃から逃げ出す様に、ダイは身を翻して走り出した――。

 

 

 

 ハァハァと荒い息をつきながら、ダイは城の中庭にいた。
 アバンが自分に気がついたかどうかも、確認しなかった。追ってこなかったところを見ると、気がついていないのかもしれないが、だが、そんなことなどどうでもいい。

 正直、どうして自分がここに来たのか、ダイは覚えてもいない。というか、なぜここなのかも自覚はしていなかった。
 木の幹に寄り掛かってから、初めてダイは気がついた。

(あ、そっか。ここ、ポップのお気に入りの場所だっけ……)

 中庭の奥まった場所にある、花壇もなにもないちょっとした空き地。単に草が植えられていて、一本の木が生えているだけのこの場所をポップはとても気に入っていて、よくここで日向ぼっこをしたり、お昼を食べたりしている場所だ。

 ポップはこの木に持たれかかる様に座るのが好きで、よくそんな風に座って本を読んだりしていた。
 だが、それを思い出すと同時に、ダイは別なことも思い出す。

 そんなにも気に入っているはずなのに、ポップはここのところ全くこの場所には来ていない。
 忙しいからと言って、昼休みに休息を取るのも止めてしまったせいだ。執務室で書類を書き込みながら、合間に食事を摘む姿を何度も見た。

 そこまで無理をしなくてもいいのにとダイはいつも思っていたし、無理をしすぎて身体を壊したりしないかと、いつも心配していた。

(だから……っ、おれ、言ったのに……っ)

 誰に対してとも言えない理不尽な怒りが、ダイの胸を焦がす。だが、それを急速に冷やすのは、耳に残って消えない声だった。
 
『無理し過ぎたから……身体が、もう駄目になってるんだって……』

「うそ……だ」

 幻の声を否定しようとしても、消せるわけがない。まるで、ポップに直接打ち明けられたかのように、その声は明瞭に蘇る。

『どんなに頑張っても、もう……長くはもたないって、分かったから、だから……』

「……うそだっ……っ、そんなの……っ、絶対、ない……っ!」

 強く否定し――ダイは、いつの間にか手を固く握り締めていたのに気がついた。花びらのことを思い出して慌てて手を開いたものの、華奢な花弁が竜の騎士の握力に勝てるはずもない。

 大切に摘んだはずの花びらはくしゃくしゃに潰れ、萎れたように手のひらに纏わりつく。なぜか不吉に感じられるその花びらを、ダイは慌てて振り払った――。
                                    《続く》
 
 

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