『そして、気づく真実 ー中編ー』

 

「お? ダイじゃねえか。どうしたんだよ、朝っぱらからシケた面しちゃってさ」

 城の回廊を並んで歩いて来るポップとアバンの存在には、多分、ダイの方が先に気がついた。だが、挨拶をしたのは、ポップの方が先だった。

「あ……ポップ、アバン先生、おはよ……」

「おや、ダイ君、ずいぶんと元気がないみたいですねえ。どうかしたんですか?」

 心配そうに自分を見るアバンに対して、ダイはなんとか首を左右に振った。

「ううん、なんでもないです……」

 なんでもないどころか、大アリだ。
 昨夜、ダイはほとんど眠っていない。ポップとアバンのあの会話がどうしても気になって、眠ろうとしても眠れなかった。
 やっと眠っても怖い夢を見て飛び起きる様な始末で、少しも休まらなかった。

 だが、そんなことはどうでもいい。
 気になって気になって仕方がないのは、昨日聞いたポップの言葉の方だ。
 それを確かめたくて、朝早くからダイはポップを待ち伏せするためにこの回廊でずっと待っていた。

 だが、本当のことを聞きたくて仕方がなかったはずなのに、いざこうしてポップとアバンを目の前にすると、気後れがすると言うのか、喉が詰まって声が出てこない。

 戦いの時でさえ、そうめったには感じたことのない『恐れ』の感覚をどうしていいか分からず、ただ、その場に突っ立っているだけしかできなかった。
 そんなダイを心配したのか、アバンがちょっと身を屈めて顔を覗き込んでくる。

「おやおや、とてもそうは見えませんけどねえ。ダイ君、何かあったんですか?」

 アバンの言葉は、泣きたくなるぐらい優しい。
 それだけに、そのままならもダイは促されるままに重い口を開いていただろう。だが、ダイの決心がつく前に、第三者の声がかけられた。

「朝早くから申し訳ありません、アバン様。姫がお呼びなので、お越しいただけますか?」


 申し訳なさそうに声を掛けてきた伝令兵の言葉に、アバンは少しばかり迷うようにダイとポップをちらりと見やる。
 口に出さなかったアバンのその迷いを吹っ切る様に、元気よく答えたのはポップだった。


「先生、後のことは気にしないでください。姫さんを待たせるとおっかないし、すぐ行った方がいいですよ、絶対!」

「……うーん、それもそうですねえ。じゃあ、そうしますか。でもポップ、ちゃんとさっき言った通りにしてくださいね」

「はいはーい、分かってまーす」

「あなたの返事がいい時は、かえって心配なんですけどねえ……。じゃあ、ダイ君、後は任せますよ」

「……って、先生っ?! なんで、それをダイに言うんですか〜っ?!」

 子供っぽく文句を言うポップに対して軽く笑い、アバンは兵士と一緒に去っていく。
 それを見送ってから、ポップはのんびりとした足取りで歩きだす。それを、ダイは慌てて追った。

「ポップ、どこ行くの?!」

「どこって、部屋に戻るんだよ。それよりおまえこそこんなとこ、うろついてていいのかよ? そろそろ、授業の時間なんじゃねえの?」

 ポップにそう言われてから、ダイはようやく家庭教師のことを思い出したが、だからといってそちらに行く気にはならない。
 不安のままにポップを見つめるダイをどう思ったのか――ポップは苦笑しながら言った。


「ま、いいか。
 ダイ、食堂に寄っていこうぜ。眠くて仕方がないし、特製のコーヒーでも飲まなきゃやってらんないって」

 

 


「ダイ、今から言うものを取ってこいよ。えーと、まずはクロワッサンだろ、次に木苺のジャム、それとカボチャのヴィシソワーズにスクランブルにベーコン、あ、シーザーサラダもいいかな」

 食堂につくなり、ポップはさっさとテーブルにどっかりと座り込んで、当たり前のように注文を並べ立てる。

 この食堂はセルフサービスであり、本来なら自分の分の食事は自分で取りに行くルールだ。
 だが、ポップは最初っからダイにやらせる気満々だった。

「ま、待ってよ、ポップ?! そんなにいっぺんに言われても、覚えきれないよ?!」

「じゃ、適当なモンでいいから、もってこいよ。あ、眠いから、手早く頼むぜ」

 そう言って、あくびをする傍若無人っぷり――昨日のことが嘘だったかと思えるほど、ポップの様子はいつも通りだ。

「もう、ポップ、わがままだなぁ〜」

 と、文句を言いながらも、ダイは全然怒ってなどはいなかった。むしろ、ちょっとホッとするぐらいだ。
 それに、いつもと同じ行動を取っているのは、不思議なぐらい落ち着きを与えてくれる。
 言われたもの……に近いと思えるものを適当にトレイに乗せてポップの元に戻ると、魔法使いはおかしそうに笑った。

「なんだよ、ほとんどあってねえじゃないか。ま、おまえが食うんだからいいけどよ」

 そう言ってコーヒーだけを手にすると、ポップはそのままトレイをダイの方へ押してよこす。

「ポップは食べないの?」

「実はアバン先生んとこで、軽く朝飯は食ってきたんだよ。
 先生ってば、それだけは譲ってくんねえからさ。そういうとこ、王様になっても変わらないよなー」

 食事はきちんと、食べなければいけないというのがアバンの主義だ。一緒に行動する限り、自分の生徒には手作りの食事を与えるのが彼のポリシーでもある。
 たった三日しか修行を受けてないダイも、アバンの料理の絶品さは知っている。

「へー、いいなぁ。おれも食べたかったなぁ」

「なーに、心配しなくっても近いうちに食べられるって。先生、数日はパプニカにいるっていうし、一度ぐらいは腕を奮いたいって張り切ってたしよ。
 ま、それはさておき、今はそれを食べろよ」

 促されるままに、ぱくんと朝ご飯を口に含むと――途端に、今まで忘れていた空腹感が押し寄せてきた。
 なぜ、今まで我慢できたのか不思議なくらい空いているおなかをなだめようと、ガツガツと食べ始めたダイを、ポップはニヤニヤと笑いながら見ている。

「おいおい、あんま、焦って食うと喉をつまらせるぞ〜」

 からかう声すら、嬉しく聞こえる。
 なぜなら、今なら分かる――ポップがここに来たのは、ダイのためなのだ、と。
 コーヒーを飲みたいと言ったくせに、ポップはほとんど手もつけていない。最初から、ダイに朝ご飯を食べさせるのが目的でここに誘ってくれたのだろう。

「おーおー、すげえ食べっぷりだな。でも、まだ足りないんじゃねえの?」

「うん。ね、もっと食べてもいいかな?」

 ポップのためにと思って持ってきた量では、ダイには全然足りない。甘えるように頼むと、ポップは機嫌よく頷いた。

「お、やっと調子がでてきたみたいじゃん? じゃ、おかわりを取りに行ってくりゃいいよ。腹、減ってんだろ?」

「うんっ」

 そんな風にダイが二度目の朝ご飯を取りに行った時に、それは起きた。

 ガチャン――!!

 食器やトレイが床に落ちて、響く音。
 それは耳に突く音であるが、食堂ではそれ程珍しいものではない。それどころか毎日のように聞こえてくる音だ。

 大勢の人間が食事を取る場所なのだ、うっかりと失敗をする者が現れてもなんの不思議もない。
 食堂専門の職員も慣れたもので、落とした人に気を遣わせることもなく、てきぱきと片付ける。

 水面に小石を投げて波紋が生まれても、すぐに消えていく様に、また何事もなかった様に元に戻る。
 だが、今日のざわめきはいつになく大きく、なかなか引かなかった。むしろ、逆に騒ぎが広まっていくように見える。

 不思議に思って振り向いたダイの目に、床にコップの破片が広がり、黒い液体が大量に撒き散らされている光景が映った。
 それと一緒に、椅子と、ポップが横倒しに倒れていた――。

 

 

 

「ポップッ?! ポップッ、しっかり?!」

 再び、トレイや食器が床に落ちる音が派手に響くが、それはダイの耳に入ってもいなかった。
 トレイを投げ捨て、ポップの側に駆け戻る。だが、揺さぶっても、何の反応も見せなかった。抱き起こしたポップの服の、ひんやりと冷たく濡れた感触が不吉だった。

 どす黒い染みとなってポップの服を汚している液体が、まるで血の様だと思い  ダイは慌てて頭を振ってその考えを追い払う。

「……誰か……っ、はやく、マトリフさんか、先生を……っ」

 息が詰まりそうで、助けを求める声は自分でも情けないほど、ごく小さなものだった。だが、それでも周囲にいた人達が気を利かせたのか、人波を掻き分けてアバンがやってくる。

 どんな時でも穏やかな師は、一瞬だけ驚いたように目を見張ったものの、すぐに安心させるような笑みを浮かべてダイの頭を撫でた。

「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ、ダイ君。さあ、少し退いてくださいね、今、ポップを診ますから」

 アバンに促され、ダイはやっとポップから手を放して数歩下がる。
 アバンがしゃがみ込み、ポップに手を当てて小さく呪文を唱える。アバンの手がポウッと明るい光を発しだしてしばらく、ポップはやっと目を瞬かせた。

「ポップ、私が分かりますか?」

「……先…生……?」

 ぼんやりとそう呟いてから、ポップはやっと本格的に目を覚ましたのか、周囲をキョトキョトと見回す。

「あれ……おれ? あーー……、もしかしてまた、やっちゃいました?」

 顔色は冴えないものの、そう言うポップの口調はいつも通りの明るさであり、調子のよいものだった。

「『また』じゃありませんよ。まったく、仕方がない子ですね。こんなことなら、やっぱりあのまま客室で眠らせておくべきでしたよ。
 いいですか、睡眠不足は今のあなたにとっては一番の毒なんですよ?」

 やんわりとした口調ながら、アバンは眉を潜めてポップに注意を与える。

「……まあ、そう分かっていて夜更かしをさせた私にも責任がありますが……。
 いくら自室の方が落ち着いて眠れるからと言っても、こんな風に貧血を起こすようではとても歩いては帰せませんね。
 やっぱり、担架を用意してもらいましょう」

「ええ〜、そんなのみっともないですよー。大丈夫ですって、ゆっくり歩けば平気だし」
「何を言っているんですか、あなたがそう言うから歩くのを許可したのに、この始末じゃないですか。
 今度はわがままは許しませんよ、ちゃんと言うことを聞いてもらいますからね」

「先生、そりゃないですよ〜」

 ポップの突然の気絶に驚き、ショックを受けていた人々は、ポップとアバンのどこか間の抜けた師弟のやりとりを聞いてホッとしたような表情を浮かべだす。
 だが、その中でダイの表情だけはふるわなかった。

(……おれの、せいだ……!)

 そう思わずには、いられなかった。
 思えば、ポップは最初、真っ直ぐに自室に戻ろうとしていたのだ。
 だが、ダイの様子が変なのに気付き、少し寄り道してくれた。そんなポップの思いやりが嬉しくて、つい甘えてしまったダイは気がつかなかったのだ。

 ポップの体調が、ひどく悪いことに。
 食堂の椅子は、機能重視であり背もたれも付いてない簡易的なものだ。多分、今のポップには自力でそんな椅子に座っていることさえ、辛かったのだろう。

(おれ……言われていたのに……っ)

 アバンとの別れ際、彼は言ったのだ。

『じゃあ、ダイ君。後は任せますよ』

 本当なら、ダイがポップを気遣わなければならなかった。
 もし、ダイがポップの様子に注意して、ちゃんと部屋まで送っていれば、ポップが倒れることはなかったかもしれない。

 ここ数日、ポップがどんなに眠ってもまだ眠り足りず、常に眠気に負けるほど疲れている様子だったのを、ダイは誰よりもよく知っていた。
 なのに、昨夜のポップの言葉に気を取られ過ぎたせいで、彼の体調に気を回すことさえできなくなってしまった。

 本来だったら、昨夜、アバンと夜更かしをしていたポップの体調がよいはずがないことぐらい、気がついてもよかったはずなのに――。

(おれのせいで……ポップに、無理させちゃったんだ……)

 担架が運ばれてきて騒然とする食堂の中で、ダイは青ざめた顔のまま身を固くして、じっと立ちすくんでいた――。

 

 


 その人は、ダイの勝手な訪問を特に咎めはしなかった。
 他人の部屋に許可もなく入り込み、中で勝手に待っているダイに、少しばかり訝しがる表情は見せたものの、別に怒りもしない。

 夜番の警備の仕事を終え、自室にやっと帰ってきたと言うのに、寛ぐどころか不審な訪問者がいたのでは迷惑極まりないだろうに、彼の対応は淡々としたものだった。

「どうした? 何か、あったのか」

 ぶっきらぼうながら、どこか優しさを感じられる言葉。
 口数は決して多くはないが、適格に真実だけを口にする……そんな兄弟子だからこそ、聞きたいと思うことがあった。

「ねえ……ヒュンケル、教えてほしいことがあるんだ」

「……」

 いつものダイなら、聞きたいことや疑問があれば、まず、ポップやレオナに聞く。それをあえてヒュンケルに聞くなど、そうそうあることではない。
 だが、今回だけは他の誰でもなく、ヒュンケルに聞きたかった。

 いつもと違うダイの雰囲気を察したのか、ヒュンケルは無言で自分はベッドの上に座り、ダイにも座るようにと目線で促す。
 座るどころか、じっとしている余裕もなくただうろうろとヒュンケルの部屋の中を歩き回っていたダイは、進められてやっと腰を落ち着けた。

 最初から人が来ることなど想定していないのか、ヒュンケルの部屋には自分用の椅子が一脚しか置いてない。
 武骨ながら、がっしりとした椅子にしがみつくようにして、ダイはやっと言葉を押し出した。

「ポップって……もしかして、身体の具合が……あんまり良くないんじゃないのかな……」


 尋ねると言うよりは、確認に近い響きを帯びた言葉がダイの口から漏れる。
 それは今回の事件だけではなく、ずいぶんと前から薄々抱いていた疑問だった。
 というよりも、目を逸らそうとしていた疑問、と言うべきかもしれない。魔界から戻って来た頃から、ずっと疑いは持っていたのだから。

 ポップ本人に聞いても決しては教えてくれないと分かっていたからこそ、今まで聞かなかった。
 あまりポップも聞かれたくはなさそうだったし、必要があればポップから話してくれるだろう――そう思ったから、無理に聞こうとは思わなかった。

 だが、聞かなかっただけで、疑問がなかったわけではない。
 一番の疑問は、ポップがなぜ魔法をあまり使おうとしないか、だ。
 むろん、全く使わないと言うわけではない。瞬間移動呪文や飛翔呪文はちょくちょく使っているし、弱い攻撃魔法も時々使っている。

 だが……思えば、地上に戻って来て以来というもの、ダイはポップが強力な魔法を使うところを見たことがない。
 というか、最後の戦いで回復魔法を使えるようになったはずなのに、ポップは普段はそれを使おうとしない。

 それは、明らかに不自然だった。
 パプニカでは月に一度、レオナや三賢者も含めた高位の回復魔法の使い手が怪我人を癒す行事がある。そうでなくとも、急病人や大怪我を負った者が助けを求めに来れば、極力受けつけるのがパプニカ城の方針だ。

 だが、ポップがそれに参加しているのをダイは見たことがない。
 今まで本人にも、恐らくは答えを知っているであろうレオナにも聞かなかったその質問を、ダイは兄弟子に投げ掛けた。

「ポップがあんまり魔法使わないのって、もしかして、身体の具合が良くないから……なの?」

 答えが戻ってくるまでの時間が、ひどく長く感じられる。
 ダイの質問に対して、ヒュンケルは一瞬瞑目し……それから答えた。

「その通りだ」
                                    《続く》
 
 

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