『そして、気づく真実 ー後編ー』

  
 

「やっぱり……、そう、だったんだね……!」

 唇を噛み締め、一言、一言区切るように、言うダイの声は完全にかすれていた。
 半ば以上予測していた上、覚悟はできていたはずなのに、直接、はっきりと事実を聞いたダメージは大きかった。
 青ざめるダイに、ヒュンケルは噛んで含める様にゆっくりと説明する。

「勘違いはするな。ポップの身体は確かに以前よりも、弱っている。だが普通に暮らす分には、何の問題はないんだ。
 ただ……魔法の使い過ぎや無理が続けば体調不良を招くから、極力魔法は使わない方がいいとかなり前から言われている」

 攻撃魔法だけでなく、回復魔法に関してもそれは同様だった。
 まだ、ダイが戻ってくるずっと前……ポップが各国に宮廷魔道士見習いとして留学していた頃。

 留学を始めたばかりの頃、ポップは回復魔法を駆使して大勢の怪我人を治していたが、その頃も魔法を使い過ぎて体調を大きく崩した。
 回復魔法は攻撃魔法に比べれば魔法力の消費は少なめだし、身体への負担も少ないはずだが、要は程度問題だ。

 全体回復呪文(ベホマラー)だの、死者蘇生呪文(ザオラル)だのは、そもそも連発するような呪文ではない。
 目の前にいる怪我人全てを見捨てられず、自分への負担も顧みずについつい力を使い過ぎてしまいがちなポップは、明らかに回復手には向いていない。

 だから各国の王達が連盟で、ポップが公的な場で回復魔法を使うのを禁じたのだとヒュンケルは淡々と説明する。
 負担の軽い移動魔法はともかくとして、攻撃魔法も極力使わないようにとアバンやマトリフ、レオナがそろいもそろってきつく言い含め、ポップもそれに従っていた。

「完全に回復するまで数年はかかるだろうが、魔法さえ使わなければ少しずつでも体調が好転すると聞いた。
 実際、前に比べればずいぶんよくなってきていたんだ」

 淡々としたヒュンケルの口調には、彼を良く知っている人でなければ分からない程かすかに、苛立ちが感じられる。
 だからこそ、その言葉は嘘ではないと、ダイには信じることができた。

 少なくともダイの知っている限り、ポップはいつも元気だった。ヒュンケルも、そう思っていたに違いない。
 ここ数日の体調の悪化が始まるまで、ダイはポップが健康を損ねているだなんて気がつきもしなかった。

 急激な悪化になぜだと憤りを感じ、叫びたいのはむしろヒュンケルの方だろう。
 ヒュンケルが常にポップの様子に気を配っていたのには、ダイはとっくに気がついていた。

 ポップが魔法を使う度に、感心しないとばかりの表情を見せたり、時に諫めたりしていたのも、ダイは何度となく見かけた。
 おそらく、ヒュンケルはダイがいない間もずっとそんな風にポップを気遣い、見守ってきたのだろう。

「聞きたいんだけど……ポップの身体が最初に悪くなったのって……いつから?」

 その質問には、ヒュンケルは答えなかった。無表情な様に見えて、実は最大限に困った表情を浮かべる兄弟子を見て、ダイは悟る。

「……やっぱり、バーンとの戦いの時から、なんだね」

 魔王軍との戦いの際、ポップは目を見張る様な勢いで次々に強力な呪文を取得し、ダイに力を貸してくれた。
 当時はポップの使う呪文の凄さに目を奪われて深く考えなかったが、今なら分かる。
 理解出来る。

 強力な呪文と言うのは、身体への反動も大きいものだ。ダイ自身も自分でドルオーラと言う強力な呪文を放つだけに、理解出来る――あの呪文を唱えるためには竜魔人化した強靭な肉体が不可欠だ。

 でなければあの魔法力の反動の凄まじさに負けて、自分自身の肉体を滅ぼしてしまいかねないだろう。
 そんな超魔法にも匹敵する様な威力の魔法を、ポップは生身の身体で操っていたのだ。身体に何の影響も無かったはずが無い。

 あの激戦の最中、ポップは惜しみ無く魔法の力を使ってダイを何度となく助けてくれた。 そして、それは多分、ダイがいない間も同じだったのだろう。

 魔界に落ちたダイを助けるために、自分が見ていないところでポップがどんなに無茶をしたのか――。
 それは、想像するだけで恐ろしかった。

「おれの……せいで……」

 以前、世界全部に向けられた憎しみや憤りが、今度は自責の念へと形を変え、自分自身に向かう。
 だが、自分の心の闇へ沈み込みかけたダイに、決然とした声がかけられた。

「それは違う」

 それだけははっきりさせておくとばかりに、ヒュンケルは大きく首を振った。

「おまえにそう思われるのを、ポップは一番嫌がるだろう。だからこそ、あいつはずっとおまえにはこのことを隠していたんだ。
 おまえのせいじゃない」

 その言葉に込められた誠意や、思いやりの気持ちがあるのは分かる。だが、兄弟子のその言葉さえも、ダイの心の奥底までは届かなかった――。

 

 

 

「それじゃ、ポップは今日はご飯、ちゃんと食べたんだね。熱も下がったし、少しなら動けるようになったんだ」

 レオナの説明を聞き、ダイは大きく安堵の息を吐く。
 日に1、2度は必ずポップの所へ見舞いに行き、なおかつ侍医や兵士達からポップの具合に関する詳細な報告書を毎日受け取っているレオナは、この城で一番ポップの体調を把握している人間の一人だ。

「ええ、まだ少し微熱気味だけどだいぶ良くなったわよ。
 それにしてもダイ君、そんなに気になるのなら、自分で確かめにいけばいいのに。ポップ君も心配していたわよ? ダイ君が全然来ないって」

 あれから三日が過ぎたが、ダイはずっとポップの部屋には行かなかった。地上に戻ってきて以来、こんなに長く、自分の意思でポップに会いにいかないのは初めてだ。
 だいたい、毎日、何度となくポップの所に押しかけるのがダイの日常なのだから。

 だが、この前ポップが倒れる所を見て以来、ダイの中には恐怖が生まれた。
 自分が側にいたら、ポップは本当が具合が悪くても平気なふりをして、無理をするのではないかと――。

 一度そう思ってしまうと、前のようにつきっきりで看病するどころか、見舞いに行くことさえ怖かった。

「うん……ポップが、ちゃんと元気になってからにするよ」

「でも、ポップ君と会っておくなら、今のうちなのよ? これから先は、当分は今までのように頻繁には会えなくなるんだから」

「それ……どういう意味?」

 聞き捨てならない言葉に、ダイは食事の手を止める。それに合わせる様に、レオナも手を止め、近くにいた侍女に軽く合図を送った。

 熟練の侍女達は心得た顔で、無言のまま素早く席を外す。
 王族専用の食堂では、給仕役の侍女がいなくなってしまえば残るのはダイとレオナの二人きりだった。

「ポップ君はね、しばらくパプニカから離れることになったの。カール王国にしばらくの間、行きたいって言っていたわ」

 人払いされた食堂に、静かな声が響き渡る。

「レオナ……?!」

 いきなり聞いたその話も驚きだったが、レオナがポップが国から出るのを認めたのが、ダイにはショックだった。
 ポップが「城での生活も飽きたし、旅にでも出たいな〜」などと言う度に、レオナはいつもムキになって反対する。

 ポップの口調は到底本気とも思えない、明らかな冗談まじりのものなのに、それでもレオナは必ず反対した。

 そのレオナが、ポップがパプニカからいなくなるのを認めるなんて、有り得ないと思っていただけに衝撃は大きかった。
 だが、レオナは王女として決定事項を通達する時の口調で、澱みなく説明をする。

「知っているかしら? カール王国は薬草の研究が盛んで、パデキアの産地としても有名なの。パプニカに比べれば少し寒いのが難点だけど、空気もいいし胸の病の静養するのにはぴったりなのよ。
 体調が治るまでは仕事も休んでもらうつもりだったし、この際、気晴らしも兼ねて転地療養ってのも悪くないかと思うわ」

 パプニカは世界に誇る魔法王国ではあるが、それゆえの欠点もある。
 その話を、ダイは侍医から聞いたことがあった。大抵の人間は、病気や怪我を薬草で治すが、このパプニカでは回復魔法の使い手が多いだけに、魔法で治すことが多い。

 医師や薬師が軽んじられる風潮があるため、その数は決して多くない上に、他国よりも技術や知識が劣っている傾向がある。
 しかし、慢性的な病気には回復魔法はほとんど効かない。

 そのため、この国では重い病気にかかった人間を治療する手段が限られてしまうのだと、溜め息混じりに嘆いていたのを思い出す。
 病気を治療するためにはパプニカにいるよりも、カールやテランに滞在した方がいい。
 そんな話は、ダイでさえ知っている。
 だが、だからと言って、ポップが遠くにいってしまうのなんて、ダイにとっては到底受け入れられない出来事だった。

「で、でもっ! 『あんせい』だったら、パプニカにいたってできるだろ?! なにも、そんなに遠くに行かなくったっていいじゃないか!」

 ダイの猛反対に、レオナは少しばかり悲しそうな顔を見せる。普段ならダイの望みをできる限りきいてくれようとする王女は、今はきっぱりと首を横に振った。

「……あたしも、ポップ君にはパプニカにいてほしいわ。
 でも、最高の看病できる手段がある間は、できる限り手を尽くしておきたいの。……手遅れになってから、後悔したくはないのよ」

 ひどく辛そうなレオナの表情を見て、ダイは言葉を失う。
 ――レオナの母である前王妃は流行病にかかって、看病の甲斐もなくそのまま帰らぬ人となったと聞いた。それも、侍医が教えてくれたことだ。

 レオナ自身はそんな愚痴などこぼしたこともないが、それを苦にしていないはずがない。 それを聞いた時、ダイも胸が痛くなった。
 だが――今の痛みは、その時の比ではない。

 実際に、何かが胸に突き刺さったかの様に鈍痛が走り、息苦しくなる。心の痛みが身体にまで影響を及ぼすのを、ダイははっきりと感じていた。

「ほら……それに、アバン先生もフローラ様もいらっしゃるし、ポップ君にとってはここにいるよりも、ずっと楽に過ごせるんじゃないかしら。
 今、マトリフ師を説得しているところなの。念のためにマトリフ師も付き添ってくれれば心強いからって、アバン先生も言っているし、あたしだってそう思うもの」

 本心からそう思っているよりは、そうあって欲しいと願っているかのように、レオナは明るく言おうと努力する。
 だが、その言葉もダイには衝撃だった。

「マトリフさんまで……?!」

 ポップになにかあった時、最終的に頼りになるのはアバンよりもマトリフだ。アバンを上回る、彼の知識や経験を頼って助けを求めた回数は両手の数では足りない。
 言わば、最後の頼み綱とも言える存在だ。

 しかし、偏屈で城や賑やかな場所を嫌うマトリフは自分の洞窟からめったに出ようとしないし、よほどのことがなければ城まで足を運んで来てくれない。
 そんな相手を、最初から付き添いとして連れて行こうとする……それは安心感よりも逆に不安を強める。

 最初から、起こってはほしくない『何かがあること』を想定し、準備しているようで、とてつもなく不吉に感じられた――。

 

 


 静かに、静かに、ダイはそっと鍵のかかっていない扉を開ける。
 部屋の中は、静まり返っていた。
 確かめるまでもなく、ポップが眠っているのだとダイには分かった。

 ポップが眠っているのなら、最初から引き返すつもりだった。彼の眠りを妨げたいなんて、少しも思ってはいないのだ。
 ただ、ポップの様子を一目見ておきたくて、ダイは足音を忍ばせてベッドに近付く。

(……ちょっとだけ。ちょっとだけ、だから)

 寝息も落ち着いているし、顔色もずいぶんと明るい。
 心配はないと分かっていたが、ポップの無事を目で確かめた途端、もう少し欲が出てきてしまう。

 熱は大丈夫かと気になって、額に手を伸ばす。
 慎重にそうしたつもりだったのに、不意にポップがぱちりと目を開けた。
 起き抜けの混乱のせいか、ぼうっとしていた目がしっかりと焦点を結び、ダイの上で止まる。

「……よお、ダイ」

「起こしちゃって、ごめんっ、ポップ」

 慌てて手を引っ込めたのがおかしいとばかりに、ポップが笑う。

「いいって、ちょうど起きるとこだったんだし」

 よっこいしょと、年寄りじみた声を立ててポップが身を起こす。ベッドボードに背を持たれかけさせようとするポップを見て、ダイはクッションをそこに当て、側に置いてあった肩掛けをポップにかけてやる。
 すっかり病人扱いだよなーと笑いながら、ポップはそれを嫌がらずに素直に受け取った。


「……なんか、久しぶりだな。元気だったか?」

「おれは元気だよ。それより、ポップこそ大丈夫なの?」

「ああ、へーきへーき。
 こないだ失敗しちまったから姫さんが一段と厳しくなってさ、なかなか部屋から出る許可をだしてくれねえだけだって」

「…………ホントに、平気?」

 探る視線を、ダイはポップに向ける。確かにポップの顔色は悪くないし、目の光もしっかりとしているように見える。
 だが  それも、演技ではないのか?

 本当は辛いのを隠している兆しはないかと、ダイはこの上なく慎重に、ポップの様子を探らずにはいられなかった。

「おまえなー、心配してくれてんのは分かるけど、ちょっと大袈裟だぞ? そりゃ、ここ数日は寝不足が祟ってひっくり返っちまったりもしたけど、ホント、たいしたことないんだって」

 ポップの声の明るさも、調子のよい響きも、泣きたくなるぐらいいつものままだ。正直、このままそのポップの優しい嘘に騙されてしまいたくなる。
 ――だが、それでも、ダイには確かめておきたいことがあった。

「……ポップ、アバン先生の所に行くって、本当?」

 唐突にぶつけた疑問に、ポップは一瞬真顔になる。
 そして、その顔のまま頷いた。

「ああ。おれさ、しばらくの間、カール王国に行こうかと思ってさ。姫さんも賛成してくれたし」

 レオナから聞いた時もショックだったが、ポップの口から直接聞くと、衝撃はさらに強まった。

「……ど、どのくらいの間?」

 やっと押し出したダイの質問に、ポップは言い淀む。

「え……そうだなぁ」

 困った様な表情や、すぐに答えようとしない態度が、怖かった。普段のポップなら、ダイに限らず質問に対して、こんな風に口ごもるなんてことはない。
 口が達者なポップはすぐに言い返してくる方だし、答えたくない質問だとしたら、答えたくないときっぱりと言うだろう。

 そうしないのは、そう出来ない理由がある時だけだ。
 その気になればとびっきりの嘘つきで、口先で相手を煙に巻くのが得意な癖に、妙な所で妙に正直なポップは、自分の事に関してはごまかし下手だ。

 答えられないからこそ、答えないのではないか。
 その恐怖が、胸に広がっていく。

「すぐ……、戻ってくる?」

 一縷の望みにすがる様にやっと尋ねた質問に、ポップはわずかに目を泳がせた。

「…………えっと……、あんまり早く……は戻ってこれないと思うぜ。そうだな……長くなるな、多分」

 ポップのその返事を聞いた時、ダイはよほどひどい表情をしてしまったのだろう。ポップがしまったとばかりに顔色を変え、急いで言葉を付け足してくる。

「でもよ、ちょくちょく戻ってくるからさ! ルーラを使えばあっという間だし、なんなら毎日でも顔を出すよ。ま、ちょっと遠い部屋に引っ越すみたいなもんだって」

 ポップのその言葉は、きっと嘘ではない。
 ダイが望めば、ポップは必ずそうしてくれるだろう。
 ……たとえ移動魔法呪文が身体に堪えるものであったとしても、何食わぬ顔で、平気なふりをして毎日でも自分の所へ来てくれるだろう。

 大丈夫、こんなのなんでもないと、彼特有の調子のよい笑顔のまま嘘をついて、ダイだけでなく皆をまんまと騙してしまうはずだ。
 そして無理をした分、誰にも気付かれない所に苦痛を隠し、一人で耐えようとする  その様子が、ダイにはまざまざと想像出来た。

 まるで、現実であるかのように思い浮かべることのできるその光景に、目がじわりと熱くなるのを感じた。
 一度、感じた熱さは、もう抑えきれない。
 熱い滴りが次々と零れ落ちて、床に染みを作った。

「ダ、ダイ?! どうしたんだよ、おまえ?!」

 焦った様にポップに肩を掴んできたが、もう我慢できなかった。堰を切った様に、ポロポロと自然と涙が零れ落ち、滴っていく。
 そんなダイをなだめようとしてか、ポップが何度となくダイの背を叩く。

「あー……、そんなに泣くなよ? おまえがそんなにヤだっていうんなら、カール行きは取りやめるから……」

「……ダメだよ!」

 反射的に、ダイは強く叫んでいた。

「ポップが……おれの側からいなくなるの、なんて…っ、我慢できない……からッ!」

 涙のせいで声が震えて喋りにくかったが、それでもダイはそれだけはきちんと伝えようと、必死に言葉を繋ぐ。
 だが、その言葉はポップには巧く伝わってはくれなかった。

「だから、側に居てやるって言ってんだろ? 心配するな、別に無理に行かなくても……」


「ううん、ダメだよ――! カール行きを、やめたりしちゃダメだ……!!」

 ダイの激しい制止に、ポップは戸惑ったような表情を浮かべる。戦いの場ではあれほど察しがいいくせに、今は何が何だか分からないとばかりに、当惑しているのが分かった。
 

「なに言ってんだよ、ダイ? おれに居てほしいのなら、カールに行かない方がいいんだろ?」

 その言葉に頷けたら、どんなにいいだろうとダイは思う。
 もちろん、それがダイにとっては最高の望みだ。  だが、それ以上の望みが、ダイにはあるのだ。

「ポップが、いないのはヤだけど……ポップがっ……苦しい思いしたり、無理したりするのは、もっとヤだ……!」
 

 とてつもなく重く、熱い塊が喉を詰まらせる中、それでもダイはきちんと言おうと努力する。

 ポップが自分の側にいてくれるのが最高の望みだが、それ以上に、ポップに死んでほしくなどない。
 生きていて、ほしいのだ。

「……ポップ、死んじゃヤだ……っ、ヤだよぉ……!」

 もはや泣きじゃくりながら、ダイはポップにしがみつく。

「…………ダイ……」

 自分の名を呼んでくれる、声。
 前よりも、ずっと細く感じられる身体が腕の中で身動ぐのが、分かる。触れている肌が、暖かいのもちゃんと感じられる。
 これが失われるなんて、耐えられない。

「ポップ……ッ!」

 ダイには、今でも時々見る悪夢がある。
 自己犠牲呪文をかけて、動かなくなったポップの姿――その悪夢は、未だにダイを苦しめる。
 それに比べれば、自分がまた魔界に落ちる夢を見た方が、まだましなぐらいだ。

 目を閉じたポップの瞼が、もう二度と開かれなくなる日がくる――それが現実のものになるかもしれないと思うだけで、底無しの絶望が込み上げてくる。
 恐怖と不安から、より一層ポップにしがみつくダイの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。

「おい、ダイ。その馬鹿にはいい薬だとは思うが、その辺でやめといてやりな」

「え?」

 思わず顔をそちらに向けると、ドアに数人の人影が見えた。
 アバンに、レオナ、ヒュンケル、それにマトリフの4人がそこにいた。

 人をからかうような、軽い口調を投げかけてきたのは、マトリフだった。なぜ、彼がここにいるのかと疑問に思うより早く、緩んだダイの腕の中で、ポップが激しく咳き込みだす。

「ポッ、ポップッ?! 大丈夫ッ?!」

「ゴホッ、ゲホッ……バ、バカッ、そう言うなら手加減くらいしろよっ?! この馬鹿力っ、マジで死ぬかと思ったぞっ?!」

 文句は言っているものの、案外元気に応えるポップに対して、辛辣な言葉を言ってのけたのは、またもマトリフだった。

「自業自得だ、この馬鹿が。本音を黙ったまま小細工で周りをごまかそうだなんて、あざといことばかり考えてるから、そういう羽目に陥るんだよ」

 そう言いながら、ズカズカと部屋に入ってくるマトリフはきっぱりと言い切る。

「ダイやお姫さんまで巻き込んで、騙そうとした罰が当たったんだろ。
 いい加減、本当のことを教えてやるこったな  カールに行く必要があるのは、おまえじゃなくてオレなんだってよ」

 

 


「――――?!」

 驚き、息を飲む音が幾つか重なる。
 レオナも、そしてヒュンケルも、驚きを隠せていない。それは、もちろん、ダイも同じだ。

 だが――ポップとアバンだけは、別に驚いた様子は見せなかった。代わりにこの師弟が浮かべているのは、隠しておいた秘密をばらされてしまったような、どこか気まずそうな、そんな表情だった。
 そんな彼らの表情を見比べながら、ダイはゆっくりと理解する。

「……マトリフ…さん……、もしかして……?」

 答えを求める様にポップの方に目をやると、彼は無言のまま俯いてしまう。
 その態度こそが、ダイに真実を教えてくれた。
 魔界から二年ぶりに地上に戻ってきて、ダイは大勢の仲間達と再会したが、その際、前との差に一番驚いたのは、実はマトリフだった。

 外見と言う意味では、彼はほとんど変わっていなかった。
 だが、気配を察知する力を持つダイにとっては、マトリフが持っていた圧倒的な魔法力の気配が激減したのは、明白だった。

 そんなマトリフの変化を、ダイよりもポップの方が強く感じて当然だろう。ポップがなんだかんだと理由を付けて、マトリフの元にちょくちょく訪れていたのを、ダイは知っている。

 あんな洞窟にいないで、城に移り住めばいいのにと愚痴っていたのも、何度も聞いた。 実際、ポップやレオナ、アバンが何度となくマトリフを城に誘ったのをダイでさえ聞いている。
 その度にマトリフは、余計なお世話だと突っ撥ねていた。

 だが、いくら元気とはいえ、マトリフはすでに100歳を超える老齢だ、『もしものこと』がいつ起きてもなんの不思議もない――。

「フン、そろいもそろって何を辛気臭い顔をしているんだか。
 オレもこの年齢だ、別におかしな話じゃないだろうに。年を取った者から先に逝くのは、世の理だ。――だがな、それを逆にやろうって奴は、ただの馬鹿だ」

 そう言いながら、マトリフはポカリとポップの頭を叩く。

「こいつの場合、体調が悪くなったのは嘘じゃないとはいえ、別に転地療法なんか必要ねえよ。
 睡眠不足や無茶を解消してやって、劇薬の使用をやめれば、すぐに良くなる」

「師匠?! 気づいてたのかよ……?!」

「バーカ、馬鹿弟子の拙い嘘ぐらい気がつかねえわけがねえだろう。お師匠さまをナメてるんじゃねえよ」

 頭を押さえる愛弟子の頭を、マトリフはもう一度ひっぱたく。だが、派手な音とは裏腹に、それは少しも痛そうではなかった。

「この馬鹿は、寝る間を削って薬草の研究なんかしてたりしたから、体調を崩したんだよ。 その上阿呆にも程があることに、作った劇薬を自分自身を実験体にして試してたんだろ。ンなことすりゃ体調だって悪化するし、吐血して当然だっつーの」

 その言葉に、ダイ、ヒュンケル、レオナの視線は一気にポップに集まった。
 それぞれが思い当たることがあるのだろう、非難がましい視線を一心に浴びて、ポップがおたつく。

「え…、あっ、いやっ、その……っ」

「ポップ?! じゃあ、あの薬草とかって、そんな危険なことに使ってたの?! なんで、それを言わないんだよっ! 知ってたら、おれ、絶対協力しなかったよッ!!」

「…………預かったあの本は、こちらで処分させてもらうからな」

「……ポップ君……! 詳しい経緯といつからこの件を企んでくれちゃったかについては、じ〜っくりと話し合う必要がありそうね」

 口々に仲間達に責め立てられて、顔を青ざめさせたり赤くさせたりしているポップを見て、マトリフはこれ以上おかしいことはないとばかりに、声を立てて笑う。

「ケケケッ、いいザマだぜ。
 調子が悪くなったのを利用して、周りを騙くらかしてまで、オレまでカール王国へ連れて行こうとするなんざ、つくづく転んでも只では起きない奴だな。
 まったく、病人が、余計な心配ばっかりしてるんじゃねえや。てめえは、お節介が過ぎるんだよ」

 その言葉と共に、マトリフはもう一度手を振り上げる。
 殴られるのを覚悟してか、目を閉じて身を硬くするポップの頭に、皺だらけの手がフワリと置かれた。

「おまえのその馬鹿さ加減に免じて、譲歩してやらぁ。おまえの希望通り、オレはカールに行ってやる。
 だから、てめえは今の研究やら無茶やらを一切止めて、自分の療養に専念しとけや」

「……師匠……」

 自分を見上げる弟子の頭を乱暴に一撫ですると、マトリフはその手をアバンの肩におく。
「おめえは、おまえの勇者の側にいてやりな。オレの面倒は、オレの勇者に任せるからよ」
 それが、予めなんらかの相談があった言葉なのか、それともこれが初耳だったのか。どちらにせよ、アバンはごく平然とした様子で頷いた。

「もちろんですよ。ね、ダイ君」

 アバンのウインクに、ダイはこっくりと力を込めて頷いた。

「うんっ!!」

 そして、新旧の勇者達は、それぞれ自分の魔法使いの手を、しっかりと握り締めた――。   

                                                       END 


《後書き》
 や、やっと書き上がりました! うわ〜、ずいぶんと時間が掛かりました。
 『信じていること』って、最初はシリーズにするつもりもなかったのに、気がつくと続きをいくつか書いていて、一つの流れができていました。

 しかし、最後の話を先に書いてしまったせいでので、途中の話が書きにくくてまいりました(笑)
 なにせ、このシリーズって二年振りぐらいに書いてますし〜。お、お待たせしてしまって実に申し訳ないです。

 アンケートで、意外と期待されていることに気付かなかったら、結末はもう書いているんだし、途中経過は別に書かなくてもいいかなと思ってそのままだったかもしれません。 そういう意味で、見ている方の反応やコメントの力というのはやはり大きいなと、改めて実感したお話です
 
 

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