『アルキードの姫君 ー前編ー』

 

「……ダイ様。ご無礼を」

 短い、だが毅然とした響きを込めた声でそう言った直後、ラーハルトの右手が一閃した。
 パァンと、小気味のよい音が響く。

 思っていた以上に大きく響いたその音に、そのパーティ会場にいた全員の視線がダイとラーハルトに集まった。
 それは、驚きに値する一瞬だった。

 ダイに対して、ラーハルトが並々ならぬ忠誠心を持っていることなど、この場にいる人間は全員が知っている。
 自ら、自分はダイのための手駒で良いと広言している男だ。

 ダイのためになら、命すら喜んで差し出すであろうと確信できるこの律義な男が、よりによって自分の主君であるダイに攻撃を仕掛けるなど有り得ない。
 その固定観念があるため、一同の驚きは深かった。

 いったい何が起こったのか――そんな感じの表情で当惑する一同の中で、もっともそれが強かったのは、他ならぬダイだった。
 はたかれた頬を押さえもせず、きょとんとした顔で目を見張っているばかりだった――。





「? 練習パーティ? なに、それ?」

 何がなんだかよく分からないと言った顔でそう質問するダイに、ポップは早くもうんざりとした表情を隠さない。

(ンなもん、おれだって『なに、それ?』だよ! つーか、心底やりたくねえよっ!!)

 内心の叫びを率直に言うのなら、それがポップの本音だ。……だが、そうできないのには理由がある。

『ポップ君。お願いね、ダイ君やみんなを説得してちょうだい。練習パーティの準備や支度は、私が責任を持って引き受けるから』

 ニコニコと微笑みながら可愛らしい声でそうねだった、とあるお姫様を思い出せば、そんなのは不公平な条件だと思ってもどうしても嫌だとは言えなかった。――恐ろしすぎて。

 笑顔とは裏腹に、恐ろしいまでの迫力を感じさせる彼女に逆らう度胸など、勇気の使徒でさえありはしない。
 嫌だろうがなんだろうが、従うしかないのである。

「えーとだな、おめえに分かりやすく言うとだな、模擬試合みたいなものだ。ほら、普通に訓練を重ねるよりも、実戦やら、試合形式の稽古の方が身につくものは多いだろ?」

「うん」

 その例えがダイにも分かりやすかったため、彼はごく素直に頷く。
 武術の稽古には地道な訓練が必須であるが、単独で行う訓練には限界と言うものがある。実際に、相手を前にして剣を打ち合わねば、実戦の駆け引きは身につかない。

「練習パーティも、それと同じだよ。
 実際にパーティ会場に行って、まごまごしたり失敗しないように、模擬試合ならぬ模擬パーティで練習しておこうってハラだよ」

 ポップのその説明に、ダイはやっと納得したらしい。だが、納得したからこそ、ダイの顔の浮かぶ疑問は、困惑へと取って代わった。

「んー……。でも、おれ、あんまやりたくないなぁ。パーティって、好きくないし」

(そりゃ、おれも同感だっつーの)

 その点に置いては、ポップも親友と意見が一致している。
 お城で開かれる賑やかなパーティ。
 そんなのに気楽に憧れたり、一度出席してみたいなぁなんて無邪気に思えるのは、参加する前だけだ。

 一度でも、城で開かれるパーティに参加すれば、もう十分だと言う気分になる。
 根っからの庶民育ちのポップにとっては、堅苦しい貴族のルールは性に合わない。些細なしぐさや挨拶の順番さえ、一々礼儀作法に則って振る舞わなければならないパーティは、少しも楽しめるものではない。

 ポップも、出なくてすむのであれば極力パーティには出席しないで済ませたいと思う。しかし城で暮らす以上、それは避けては通れない試練だ。
 パーティと言うものは、王侯貴族の気楽で華やかな遊びの場ではない。政治力を試される、社交と駆け引きの場に他ならないのだ。

 毎日のように降る様に届くパーティへの誘いを厳選してうまく捌き、過不足なく招待に応じたり、逆に自分の開くパーティに招待する。
 パーティという習慣を利用して、いかに他の貴族達との親交を深めるか……それこそが貴族の手腕が問われる場というものだ。

 その決まりごとを無視してパーティにいっさい関わらないような貴族は、変わり者扱いされ、貴族社会で爪弾にされてしまう。
 だからこそ、王侯貴族階級の人間は一定の年齢になれば男女問わずに社交界にデビューし、他の貴族との親交を持とうとするものだ。

 それは、レオナとて例外ではない。
 パプニカ王女という地位を生まれながらに持っているレオナにとって、パーティへの参列は義務でさえある。

 ……だが、ここで問題とされるのが、ダイの存在だ。
 レオナがパプニカ王女として振る舞うためには、パーティへの参加は欠かせない。そのルールは、レオナのすぐ身近にいる人間にも適応されてしまう。

 レオナの片腕として働いているポップもそうだし、当然、レオナの婚約者候補と目されているダイもまた、ルールの範囲内に巻き込まれるのだ。
 貴族世界のルールを無視しては、ダイはレオナの側にいるのに相応しくない男と見なされ、婚約者候補から脱落するだろう。

 それはダイにとってもレオナにとっても、あまり幸せとは言えない展開に繋がりかねない。愛し合う二人が、身分違いだからとか下らない理由で引き裂かれるなど、ポップとしても賛成はできない。

 将来を見越して、今からダイを鍛えたいと主張するレオナの説はもっともな物だ。……なにより、レオナに逆らうのが怖いポップとしては、従わざるを得ない。

「とにかく! おまえがパーティに慣れてくれないと姫さんも困るし、おれももっと困ることになるんだよ! 
 助けると思って、パーティに付き合えよ!」

 半ば強引に誘うと、ダイはこっくりと頷く。

「うん。じゃ、おれ、やるよ」

 ダイにしてみれば全く事情は分からないが、自分が協力することがポップやレオナのためになると分かれば、それで十分だ。
 二人のためならば、多少嫌なことでも頑張れる。
 そう思ったからこそ賛成したダイだったが……それは、考えていた以上の難作業だった――。





「だぁあーっ!? 違うっ、違うだろうがっ! なんだっててめえは、こんな簡単なこともできねえんだよっ!? 
 もう一度最初からやりなおしだ!」

 と、遠慮無しにポップに怒鳴られて、ダイは困った様に眉を寄せる。

「ええ〜? またぁ?」

「『またぁ』じゃねえよ、『またぁ』じゃっ! だいたい、それを言いたいのはおれの方だ、てめえっ、何回失敗すれば気がすむんだよ!? 別に難しいダンスを踊れとまでは言ってないだろ、ただ、音楽と相手の動きに合わせてゆっくり動けって言ってるだけなのに、なんでそう、何度も何度も躓きまくるんだっ!?」

 あまり気が長いとは言えないポップが癇癪を起こして怒鳴りまくるのも、無理はない。今、ダイとポップはダンスの大特訓中だった。
 パーティの基本は、外交とダンスである。

 この際、外交の方はまあ、いい。にこやかな笑顔で軽く挨拶さえできれば、それで十分だ。後はレオナなりポップなり、誰かが側についてフォローすることができるのだから。だが、ダンスばかりはそうもいかない。

 パーティで女性と真っ先に踊る権利を持つのは、その女性を庇護する立場にある男性だ。ここはどうしても、ダイにレオナをエスコートしてもらわねばならない。その際、ダンスがあまりにもへっぽこだったりしたら、台無しだ。

 まあ、さすがにダンスが下手だからと言って政治的立場が悪くなるとまでは言わないが、レオナの機嫌が一気に悪くなることを思えば、せめて人並み程度には踊れるようになって欲しいと思う。

 なにしろ、未婚の王女であるレオナに踊りを申し込む男性は幾らでもいる。ライバルを牽制するためにも、レオナと真っ先に踊るのはダイでなければ困るのだ。
 そう思うからこそ、ポップもダイのダンスの練習に付き合っていた。

 だが……非常に残念なことではあったが、どうやら竜の騎士の記憶の中には『ダンス』は含まれてはいなかったらしい。
 運動はあれほど得意なのに、どうもダイは決まったステップを繰り返すと言うのは、嘆かわしい程に苦手だった。

「ほらっ、ちゃんと動けっつーの……って、痛っ、足を踏むんじゃねえっ!」

「ご、ごめんっ、でも、足が見えないんだもん」

 当惑した顔で、ダイはポップの足下を眺めやる。
 今のポップは、珍妙としか言い様のない格好をしていた。
 上半身はいつも通りの服だが、ポップの腰から下はドレスのごとくふんわりと膨らんだ布に覆われている。

 テーブルクロスを細工してドレス状に見せかけただけの服だが、そのせいで足下は見えないわ、腰に手を回しにくいわと、非常にやりにくかった。
 もっとも、その服装を嫌っているのはポップとて同じことだ。

 本来ならダンスとは言え女役を引き受けるのなど御免だが、レオナ直々の命令とあってはそうも言っていられない。

 賢者という立場でパーティに参加することの多いポップは、男女のどちらからもダンスを申し込まれる立場にある。その都合上、ポップは男性としても、女性としても踊れる。

 その特技を活用するのは構わないが、女装だけはさすがにお断りだ。賢者としての衣装は中性的なものではあるが、ポップの中ではそれとドレスは別の存在なのである。
 だが、ダイにドレスに慣れてもらわないと困るという名目により、強制的にこの格好にさせられてしまった。

 おかげでなまじ女装するよりもよっぽど中途半端で見苦しい格好になってしまっているのだが、ポップとしてはこれ以上は譲れない。

「だから何回も言っているだろ、力任せに人を引っ張り回してんじゃねえよ、もっとやんわりリードするもんなんだよっ。今はおれだからいいけど、パーティで実際に踊る相手は女の子なんだぞ、もっと優しく扱え! 
 で、そっちのてめえらもサボってんじゃねえっ! ちゃんと特訓を続けてろっ!」

 ダイのダンスの相手をする傍ら、ポップは残り二人に檄を飛ばすのも忘れない。
 鏡を前に、引きつった表情を浮かべて並んでいるのはラーハルトとヒュンケルだった。

 いや、本人達的には引きつっているのでなく、笑顔を浮かべているつもりなのだが、他人からの評価はまったく違うものになるだろう。

 特に、ラーハルトの顔の強張りっぷりときたら、物凄かった。ただでさえ笑顔とは無縁な仏頂面だと言うのに、ポップがダイを叱る度に彼は微妙に顔を引きつらせているのだから。

 ダイへの忠義一途なラーハルトにとっては、殊勲を叱り飛ばすポップの態度はどうも気に食わないもののようだ。

 だが、これほど叱られつつもダイ本人はポップとのダンスの練習を楽しんでいる。それが分かるからこそ、ラーハルトはなんとか堪えてはいるものの、その度に笑みが不自然になるのは否めない。
 それがまた、ポップにとっても気に食わないものでもあった。

(まったく、恨むぜ、姫さんよ〜。よりによって、こんな面倒臭い奴を三人も押しつけることはねえだろうにっ)

 ダイの特訓だけでも大変だと言うのに、ついでにヒュンケルやラーハルトにまでダンスを仕込めとは、無茶にもほどがある。
 いっそ、スライムにお手を教えた方が早いかもしれないと思いながら、ポップはそれでも努力はしていた。

「よし、ダイ、ここでいったん交替だ。今度はおまえが鏡の前で挨拶の練習してこい。おい、ラーハルト、来いよ」

 オルゴールが途切れたところで、ポップはいったんパートナーチェンジをする。

「ほら、いつまでそんな仏頂面してんだよ? それに、しっかりと相手の腰に手を回せよ。手も、きっちりととれって」

 ラーハルトやヒュンケルの場合は他人との接触に慣れていないせいか、その点が最大の問題だった。
 必要以上に女性にベタベタと触るのは論外だが、まるで相手に触れるのを怖がっているかのように積極を避けるのも、失礼に当たるというものだ。

 ダイと同じようにラーハルトにも文句を言うと、半魔の青年はますます顔をしかめて文句を言い返してきた。

「……背が低くて、手が回しにくい。それに、腰も細くて頼りなさすぎだ」

「な……っ!?」

 男としてはあまりに屈辱的な評価に、ポップは思わず絶句してしまう。

「だが、パーティで踊る相手はみんな女だ。そのぐらいの身長だし、体格もそんなものだ。練習にはちょうどいいだろう」

 ラーハルトのいい草だけでカチンときたポップだが、ヒュンケルのフォローは尚更神経を逆撫でしてくれる。……いつものことと言えば、いつものことだが。

「よっ、余計なこと言ってるんじゃねえ、この大馬鹿野郎どもがーーっ!! いっつもいっつも無口なくせに、嫌がらせだけペラペラしゃべるなぁあああーーッ!」





「ふぅうん、意外よねー。なかなか様になっているじゃない♪ やっぱり、見栄えがするってのは得よねえ。これなら彼らもパーティ要員として考えてもいいかも、だわ」

 と、いたって上機嫌でそう言うお姫様に、ポップは相槌を打つ元気も残っていなかった。素直だがひどく物覚えの悪いダイに、飲み込みは早いが、人間が苦手な上に不器用なヒュンケル&ラーハルトコンビ……この三人に一通りダンスと基本的な挨拶を仕込むのに、どれ程の労力を費やしたことか。

 なんとか形になったのは、それこそ締め切りぎりぎりとも言える今朝のことである。
 舞台は、パプニカ王国の広間の一つ。
 正式のパーティと言うわけではないので昼下がりに開かれたこの宴席は、軽いダンスと談笑を楽しむ場となっている。

 その中で、ヒュンケルやラーハルトは貴族の女性達のダンスの相手を務めていた。いささか笑みは固いし、今一歩杓子定規というと言うか規定通りのダンスを踊っているだけという感じは強いが、それでも美形で長身というのはそれだけで強みだ。

 ヒュンケルやラーハルトと踊りたがる女の子達は多かったし、それなりに様になっている。
 それはそれでめでたいことだが、付け焼き刃の癖に女の子達の注目を集めまくっている辺りが、ポップ的には非常にムカついてならない。

(だいたい、よくよく考えりゃ不公平にも程があるぜ……! なんだって、おれがあいつらがモテるための手助けをせにゃならんのよ?)

 ポップ本人はいまだに賢者としてパーティに参加しているせいで、半分以上の確率で野郎と踊らなければならないと言うのに、なぜ連中が女の子と楽しくダンスをするための練習などをしなければならなかったのか。

 考えれば考えるほど腹の立つ話ではあるが、とりあえず今はそんなことを気にしても仕方がないと、ポップは気を取り直す。
 今回の特訓のメインは、なんと言ってもダイなのだから。

(まあ、あいつもあいつでなんとかやってるみたいだな。……よかった)

 心配していたのだが、ダイはなんとかレオナとの最初のダンスはこなした。……さすがにとびっきり上手かったと褒めるにはちょっと無理があるが、少なくともレオナに恥を欠かせない程度のダンスはできた意味は大きい。

 ダンスの後は、ダイは次々に話しかけてくる来客の相手に追われている。それをフォローせずに、ポップとレオナはわざと少し離れた所にいた。
 もちろん、困っているようならすぐにフォローに出るつもりだが、できる限り自分で頑張ってもらいたい――それは、ポップとレオナの共通の認識だった。

 その作戦は、今のところ上手くいっているようだった。
 広間の一番目立つ場所に設置された肖像画の前で、誰かと話している親友の姿を見ながら、ポップはホッとするのを感じていた。

 今回のパーティはダイのために開かれたものであり、ごく小規模な内輪の集まりにすぎない。とは言っても、そこは王族であるレオナ主催のパーティなだけに、庶民のポップから見れば非常識なぐらい大勢いるのだが。

 だが、今回集まっているのはただのお偉いさんと言うわけではない。
 今回のパーティに呼ばれた者は、多かれ少なかれ、その肖像画に描かれた貴婦人に関わる人間ばかりだ。

 癖のある黒髪を緩やかに靡かせ、大きな、黒目がちの澄んだ目が一際目立つ、美しい姫。今は無き、アルキード王国の最後の王女、ソアラ――彼女こそが、このパーティのもう一人の主役だ。

 ここにいるのは、ダイの知り合い――もしくは、ダイの母親の知り合いに当たる人々ばかりだ。ダイにとっては、遠いとは親戚に当たる者も少なくない。

 今は無くなったとはいえ、アルキード王国が存在していたのはそう昔のことではない。かの国の最後の王族であるダイに関心を持つ者も、縁がある者も確かにいるのだ。

(……やっぱり、姫さんはさすがだよな。しっかりしているぜ)

 一見、レオナのわがままや気紛れからはじまったかの様に見えたこのパーティの意味が、今になってからポップにも見えてきた。
 これは、レオナの心遣いなのだろう。

 彼女は単に、ダイを王族の習慣に馴染ませたいからという都合だけで、このパーティを企画したのではない。
 レオナはただ、ダイに教えたいだけなのだ。

 自分が竜の騎士だからと悩み、普通の人間ではないと考えている勇者が、いまだにこの地上に自分がいてもいいかどうか、心のどこかで迷っているのをレオナもポップも、知っている。

 ダイのその迷いを振り払うことができるというのなら、レオナはどんな労力もいとわないだろう。
 その気持ちは、ポップだって同じだ。

 それがダイのためになるのなら、どんな力だって貸すつもりでいるし、その必要があるのなら策を弄しもする。
 そう言う意味で、レオナとポップは共犯者だ。打ち合わせるまでも無く、意思は共通している。

 時々、ダイが助けを求める様にこちらを見る視線を感じながらも、二人は素知らぬ顔で勇者の奮闘ぶりを見守っていた――。


                                   《続く》

 

後編に進む
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system